考え事をキャッチする壁画的ノートブック

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Notebookersに投稿する内容については、もうちょっと気軽に書いてみようと思う。
少し離れた友人に向けて書くように、ことばを選んでみようかな。

 

この時期、いつも外でノートを書く機会が多い。
自分の生活時間が少々変動的なこともあるのだけど、日中ぼんやりと外にいることが多いからだと思う。大半は、本数册を持って原っぱにいる。自分のノートブックは、何か考え事をしているときに少しずつ埋まっていく。本を読んでいるときは、やはり考え事をすることが多くて、その度に手を止めて、ノートブックを開いて、ぐしゃぐしゃと書き込んでぱたりとしめて、再び本を読むような動作をくりかえしている。何冊か同時進行で読むので、本を交互に手に取って読んでいたりする。
端から見ると、本数册を目の前にして、数ページぱらぱらとめくっては本を閉じているので本を読んでいるのか、ノートを書いているのかわからないと思う。
読書というよりは、何かを探していることに近い。

 

 

自分のノートブックは、考え事を記録するというよりは、空中にふわふわと浮いているなにかを捕まえるためのノートだと思う。なので、後で読み返すということがない。
文具的なプロセスで「Think -> Catch -> Draw -> Stock」というのがあるのだけど、このCatchの部分にたぶん重点を置いているのかなと思う。なのでDrawもStockも中途半端で終わる。ページに残っているのは、書きながら考え事をしているときの痕跡が、まるでページを汚すように残っているだけなのさ。おかげで、ミーティングで出会った人々に自分のノートブックを見せているときに、解説がどうしても必要になってしまう。

 

 

最近、ライアル・ワトソンの「アフリカの白い呪術師」という本を読んでいる。
16歳の時にナイフと塩だけを手にして、アフリカのブッシュに徒歩で入って行った白人の男の話。彼は荒野を歩いている時に洞窟でずっと大昔の人々が描いた壁画に何度か遭遇するのだけど、その時の解説が面白い。
アフリカにおいて、一つの洞窟で描かれる絵は一つの時期に描かれたものだけではない。いくつもの時代に渡って描かれていることも多く、2色で描かれた狩りをする人物たちの上に、1色で描かれたジャッカルが重なっていたり、多くの色をつかったインパラが描かれていることがある。描く時に使われた染料などから、描かれた時代もだいたいわかっているのだけど、面白いことにこの一つの洞窟のなかで各時代の人々は、前のモチーフの上に重ねて描いているようなのである。
さて、これらの洞窟の画家たちは、既存の壁画の上に描きたがるとか、照明が暗くて気付かなかったとか諸説あるのだけど、実際にこの洞窟の壁画を観たことの無い遠くの学者が机上で考えだした説にすぎなかった。
実際のそれらの各時代ごとにレイヤーになって重なった絵画には、明らかにパターンがあった。
それらは不思議なことに、人間はオオカモシカの上に描かれず、オオカモシカが人間の上に描かれることが多かった。彼ら洞窟の画家たちは、人間の上に動物を描くことを好み、動物の上に人間を描くことを意図的に避けていたのである。
それともうひとつ。不思議なことに、ここに描かれた動物たちは「その周辺で食料としてよく求められる動物」や「食料になりやすい動物」は描かれていないこと。そして一方、「象」はその地方に多かったのだけど、ひとつもシンボルとして描かれることはなかった。

さて、この本の面白いところはこれらの内容を淡々と書いていて、それが何か?それはなぜか?という分析を行っていないことが面白いと思った。何を思うか、読者に任せている。

 

 

自分の場合は、描くことや書き出す(Write down)することは、空中に浮遊しているものを捕まえるために行うと思っている。書かれたものの上に、意図的にメモを上書きすることも多い。スケッチなども上に上書きしてしまうこともある。それらは、たぶん自分の頭の中で意図的に配置されている。特定のブロックに上書きして行くこともあるし、まったく別なブロックに描き出すこともある。
ノートブックの上で考え出したことは、どこか見えない場所にストックされていく。
描き出されたノートブックは後で読み返しても、自分でも何が書かれているのかよくわからないことが多い。自分にとって、その描き出されたものはあまり興味の対象ではないのかもしれない。冬ごもりするリスみたいに、そこで感じたものを心のどこかにストックしてため込んでおくのが好きなんだと思う。そして、ライナスの毛布みたいに、考えたことと寄り添って一緒に歩くのが好きなんだと思う。

 

 

ずっと古代の人々は、狩猟の前に考えごとをしていたと思う。
そして、考え事をからだの中にしまいこんで、よっこらしょと槍と弓を持って、空っぽの洞窟を後にして地平線に向かって歩みだしたのかもしれない。考え事をした後に、ノートブックをぱたりとしめて、その場所を離れるたびに「考え事」がくっついてくるような感じがする。自分もよっこらしょとペンをしまい込んで、空っぽの洞窟を背後にして、地平線にむかってのそりのそりと歩き出すのである。

 

タカヤ

ヒッピー/LAMY・モレスキン・トラベラーズノート好き/そしてアナログゲーマー

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