人が書いたノートを勝手に解説してみる #1

最終更新日

出典:Codex Seraphianusより

親愛なるラムダへ

私が前回の街に愛想を尽かして旅に出たのは先週のことである。その街では、人間の糞便を食物に戻そうとしていたり、胡瓜から日光を取り出そうとしていたり、言語を廃止して物体言語を使おうとしていたりとしており、文明に慣れ親しんだ私としては、暮らしていくだけでもやっとのことであった。最初の頃は、奇怪な人々の奇怪な風習が私を魅了した。

しかし、誰か友達を案内できるようになった時、自分にとってその街は去りどきである。日常を過ごすうちに、私が異国を強く感じていた香り、ボロ切れを纏った男たちが寝転がる裏通りの埃と汗とスパイスが入り混じった香りは、少しずつ異国の雰囲気を失なっていたのである。このことは、私を新しく旅に出るように促した。

私がこの街にやってきたのは、つい先日のことだ。ここでの風習をノートに書き留めて、少しずつ観察することで理解していこうと考えている。この新しい街セラフィニアでは、人々は憂鬱な仕事に従事しているのを観察することができる。街中を歩いていると、ふと理容院のような店構えが気になったので中に入ってみた。そこで人々は、風変わりな風習を日がな繰り返ししているのである。

別室で衣服を脱ぎ去って、白骨の状態で出てきた人々は椅子に座って行儀よく並び、新しい衣服を着せてもらうのを待ちながら楽しそうに談笑するのである。待っている間は、多少なりとも体が涼しいようで、落ち着きがなく、台の上の客が終わるのを今か今かと、何度も覗きながらソワソワとしながら待っている。

台の上に飛び乗った客は嬉しそうにして、店員が新しいデザインの衣服を着せてくれるのを大人しく待つ。現在のパリでいうならば、新作の香水や衣服を心待ちにする人々のためのブティックのような面持ちなのである。この街では、衣服を着る纏うというのは新しいデザインとなることを表している。つまり、新しい皮を着るというのと同意義であり、新しい人格や人生の始まりであると考えられている。

股間のあたりを通過して人間の皮を着せるのは非常に難しいものとされている。皮を着せる行為は人体に精通した知識が必要であり、手術的な動作が必要であるため、医療系の知識も携えているようである。知識を盛り込んだ書物を重ね施術台とするアイディアはなかなかのものである。黒の半長靴は国の仕事に従事しているというサインでもあるようだ。ただし、施術は黒色の大きな針で荒々しく縫うだけとなっており、側から見ていると私でも縫うことができるのではないかと考えていた。

新しい皮で仕上がった人々は、手鏡を眺めながら自分の出来に惚れ込む者や、憂う者、その場で制服を着込み店内の仕事に従事しだす者、この街に暮す人々の人生のように様々である。

引き続き、この街での風習を解説していこうと考えている。次回を楽しみに待っていてほしい。世界の果てまでセラフィーニ!(この街での一般的な民衆の挨拶)

親愛なるラムダ
またブルーのドレスを着て会ってくれるかい?

タカヤ

ヒッピー/LAMY・モレスキン・トラベラーズノート好き/そしてアナログゲーマー

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