本棚におけるセクシーさについて

Posted on 22 5月 2014 by

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時々、本棚というのはセクシーだなぁと思う。
ものすごく長い年月をかけて、限られたスペースを埋めて行くことで本棚の姿は変化していく。重みで歪んで行くその姿はすこし色っぽいと思う。『書物はすべて、ナツメグのように、異国から招来される香料のにおいがします』ということばを教えてもらってから、時々本棚の近くで香りを嗅ぐ。自分の生活圏外から訪れた古書から、漂ってくる「かすかな香り」を嗅ぎながら、自分の知らない世界について想ってみるのもなかなかいい。

僕の本棚は、主に文学と人文と美術デザイン関連と世界中のテーブル上で行われる遊戯関連と音楽と食文化の本で埋められていると思う。こうして自分の本棚を眺めていると気付くのだけど、大小様々・ジャンルも様々。堅苦しい本もあるけれど、ところどころに顔を出す趣味関連の本がいいアクセントになっているのだと思う。ひとは「とらえどころない姿」が本当の姿だと思うので、そういうのが本棚にじわりとにじみ出ると思う。

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本は絶対に手放さない主義。そしてデジタル化はあまり興味が無い方。小さな頃から集め続けた本達は今も数カ所に分けてそれぞれの本棚をぎっしりと埋めつくしている。その昔、雑誌のバックナンバーを全て資料として保管していたので、今も実家の自分の部屋はすべて本で埋めつくされていて、足の踏み場もないくらい。両親も僕が異常に本に執着することを知っているので、捨てないでいてくれています、感謝。
何度も何度も本を読み返す癖があるので、メインとなる生活の場所の一角を多くのスペースを使って埋めつくすことになる。それぞれ本達は本棚の奥のスペースを使って、常に2列に並べられており、「ずっしりとしたその重み」で歪んだ棚板がセクシーに感じる。
本棚の姿がそばにあること、その姿を眺めることが自分の支えになっている。旅に出る時には、本棚の前にコーヒー片手にあぐらをかいて、その「旅の夜に寄り添う本」を長い時間をかけて選び出す。眠る前に本棚からよく眠れそうな本を選び出して枕元に積み上げて、ぱらりぱらりと拾い読みしながら眠る。椅子に寄っかかって、後ろに重心を倒し、本棚に衝突し上からばらばらと何冊も落ちてくる。数十冊大型本を抜き出して、床に置き簡易テーブルを作り、上にコーヒーを乗せる。本棚の前でたまたま抜き取った本に夢中になり、そのまま立ち読みをする。本を数冊枕にして眠る。本のページの隙間から、当時付き合っていた女の子が残した秘密の手紙を発見する。本棚に寄り添う自分の生活が好きさ。

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何の映画だったか忘れちゃったけど、部屋の中の家具が一切無くて、積み上げられた本を椅子代わりにしてお客さんに座らせるシーンが好きだったな。本は家具代わりにも使用できる。そういえばポール・オースターの小説「ムーン・パレス」でも、古書をベッド代わりにして眠って、それを少しずつ読んでいくというのもあった。生活の中で現れる異形の本棚(?)の姿にゾクゾクくる。文学における最高にセクシーな本棚は「海底二万里」のネモ船長の本棚だと思う。彼の本棚にはものすごい分量で様々な本があるんだけど、世間から離れてノーチラス号で暮らす彼の本棚には「政治」と「経済」の本は一切無い。ぎっちりと埋めつくされた壁一面を覆う本棚と数々の生物標本、美術品、海底を眺める大きな窓の外には巨大なタコ、ごうんごうんと船が動く低音、異国のナツメグの香り。筒井 康隆の小説「旅のラゴス」で登場する、旅の行く末にたどり着く古都の、柔らかい光がたっぷりと差し込む書庫の姿もものすごく色っぽかった。
理想の書庫や書斎について徹底的に想像してつくりあげていくと、それはそれだけで文学として成り立つような気がする。

僕の理想の本棚のある環境は、天井までびっしりと埋めつくされた壁一面が脚立を使って登るような本棚で、近くに大きな窓があって独りがけのソファーとコーヒーテーブルを置いて、風通しの良い場所に風鈴がぶらさがっていてちりんとなるような環境がよいなと想像する。書物を手放していくようなデジタル化が流行する中で、これからも逆行して本棚を埋めつくして行こうと思う。あなたが本棚に寄り添う時に、『書物はすべて、ナツメグのように、異国から招来される香料のにおいがします』ということばをふと想像してみてください。部屋の中で、ものすごく遠くにいるような気分になるから。

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ゲームブッカーズなノートブックはどのような痕跡を残すのか?

Posted on 16 4月 2014 by

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こんにちは、Notebookers管理人 タカヤ・モレカウです。
2008年に「blanq_text」でタカヤが書いた記事のリライトです。

中学校のころに夢中になったゲームブックの話。
J・H・ブレナンの「ドラゴン・ファンタジー・シリーズ(原題:『グレイル・クエスト』Grail quest)」という80年代の名作ゲームブックがある。ゲームブックというのは、「宝箱を開けるなら26へ、開けずに通り過ぎるなら52へ」というように、番号で分割された各パラグラフに飛びながら物語を進行していくというモノ。
そもそもこの本との出会いは14歳ごろ、友達の家に遊びに行ったときに、彼の本棚に格好良くズラッと並ぶタイトルが気になったのがきっかけだったことを覚えている。数冊その友達に借りてプレイしてハマり、その想像力をぶっちぎる冒険の世界にドキドキしたものでした。

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全8巻+αを少しずつ少しずつお小遣いを貯めながらそろえたのだが、その後誰かに貸した後に、全てをなくされるという悲しい運命をたどる。そのときのあまりの悔しさを覚えており、大人になった今ついつい懐かしくなって、当時を思い出して全巻をそろえてしまった!(後述しますが、このシリーズは復刊されているものもあるんだけど、あえて当時のバージョンが欲しかったのさ)

アーサー王のエクスカリバー伝説や円卓の騎士の時代を、相棒のエクスカリバー・ジュニア(話す剣)を携えて、全8巻にて洞窟や海や塔などの様々な舞台を冒険するストーリー。ファンタジーとしては王道なありふれた世界観なのだが、著者 J・H・ブレナンの独特なユーモアあふれる文章で味付けされて一味も二味も違う。
この部分は、まさに「天才的なユーモア」で、あっという間に世界に引きずり込まれるといった表現がふさわしいと思う。古めかしい大きな宝箱を開いたと思ったら「チクチクする指輪」が入ってたり、ポエム好きの魔神に出会ったと思ったら魔法のアヒルをもらったり、おかしいくらい強いウサギやニンジンが襲ってきたりと、最初から最後まで、肩すかしをくらうジョークや、不可思議で魅力的な(そして理不尽な)人物や敵が現れ、主人公の受難っぷりはなかなかの読み応えがあると思う。そして文章に添えられる、フーゴ・ハル氏の鉛筆画のものすごいイラストレーションも必見。けっこうぞわぞわ来ます。

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この物語の中には、まぁ理不尽な人物や敵が大量に登場する。特に好きな人物は、「魔術師マーリン」である。
彼が魔法をかけて、本を読んでいる現代のあなたに呼びかけて、アーサー王の時代までさかのぼって、魔術書である本書を使って引き戻すというメタフィクション的な雰囲気からストーリーが始まるのだけど、この魔術師マーリンはものすごい「変わり者のふてぶてしいおっちゃん」で、主人公を連れてきて冒険に行かせようとするわりに、冒険をする理由もあまり詳しく説明してくれない(笑。その上、旅に持っていく装備品のカタログを渡してくるのだがこれがまた不思議なものが毎回渡される。

冒険の始まり部分。冒険に出かける君の装備を点検するマーリン。

「まず最初に…… ん?」マーリンは急にことばを切って顔をしかめた。「剣はどうした?」
「それが…その…家に忘れてきたんです…」きみは悪いことでもしたかのように答えた(なぜ悪いことをしたと感じたのはわからないが)。
「間の抜けたことを。怪物に出会ったらどうするんだ?たちまち喰われちまうんだぞ。しょうがない…取ってきてやろう。…さてと、そろそろ装備を点検した方がいいな」(装備品のカタログを渡すマーリン)

【装備品リスト】
斧、人工アリクイ、毛布、包帯、本喰い虫、青い粉、調理器具、釣り針、オイル瓶、アイゼン、着替えの服、クリック・スティック、犬の首輪、金モール、ハープ、掛け金、革紐、ジョークブック、ナイフ、リュート、羊皮紙、インク、羽根ペン、白ぶどう酒、ノコギリ、火口箱、水袋、木琴、ハンマー

「あのう…なかによくわからないものがあるんですが…」
「本当か?わしには、どれもこれも冒険にふさわしい品物ばかりだがな。どれがわからない?」
「たとえば、人工アリクイっていうのは?」
「それはわしのちょっとした発明品でな」さも自信ありげにマーリンが言った。
「アリを喰う一種のロボット・ネズミなんじゃよ」
「本喰い虫というのは?」
「文字通り、本を喰う虫じゃ。それくらいのこともわからんのか?」
「でも…なぜそんなものを?…」マーリンはじれったそうな顔をするだけで答えない。
「じゃ、青い粉っていうのは…?」しかたなく、たずねてみた。
「ああ、それ?なかなか便利なものでな、何かに追われた時にその青い粉を撒いて使うんだよ。追ってくるものが何であれ、足を滑らせて首の骨を折るんじゃよ」
「それから、クリックスティックというのは?」
「それもわしの傑作発明品でな。そいつがあれば、コオロギと話ができるんだ。いわば、コオロギ用通訳機械じゃ」
きみは不審に思っている品物を立て続けにきいてみた。
「金モールとか、ジョークブックとか、木琴がなぜ必要なのですか?」
「じゃ、ハンマーやノコギリは、なぜ必要なんだ?」逆にマーリンがきき返した。
「たぶん、役に立つからでしょう?」
「金モールやジョークブックや木琴にしたって、同じことじゃよ」マーリンはもっともらしい顔で答えると、
「こういう冒険ではどんなものが役に立つかわかりゃしない。だが持っていくかどうかはおまえが決めることじゃ」

「どうやらきれいなブーツを持ってこなかったようじゃな?かわいそうに、お前が履いているブーツは磨かないとならんな。ひどいものだ。だが、ま、かまわんだろう。彼も頭が混乱しているから、そこまで気付くまい」
「彼、というと?」マーリンのやり口を知っているきみは少し身構えてきいた。
「王に決まってるだろうが!世の中が手に負えなくなる前に、わしらは彼に会わなければならんのだよ。」
「王に会うんですか?そういう服装じゃないですよ?——- 」他人の話などめったに聴かないマーリンだ。君の話などうわのそらだ。彼の目はどんよりと曇り、両手を振って何やらつぶやいている。古代ウェールズ語、偉大なる英国の魔術師の謎に満ちたことばだ。

王の謁見終了後
「ほれ出発じゃ。」
「え?ちょっと待ってください。魔界の門なんてどうやって行ったらよいかもわからないんですが?!」
「やりかたさえわかってしまえば、簡単なものよ。おまえがどこにいようとも、一番不気味そうな方角へ進め。足を止めたときも、また一番不気味そうな方角へ進め。もっとも不気味そうな方角へ進むんじゃ。魔界とは不気味なところだからそれでたどり着くようになっておる……」(グレイル・クエスト「魔界の地下迷宮」より)

魔術師マーリンは終始こんな感じ。しかし女性にもてるなかなかニクイ老人なのである。毎回、魔術師マーリンはその隠れ家を変えるんだけど、これがまた不思議な場所に住んでいる。丸太の城→ 水晶の宮殿→樫の木の中→井戸の中→サイコロ型の隠れ家→樽の中→ロック鳥の卵の中→行方不明。毎度のことながら、まったく話を聞かないのがわかってくると、だんだんマーリンと話すのが楽しくなってくる。こんなマーリンを終始相手にしているのだから、主人公の振り回されっぷりも、ものすごいことになっています。 

当時、この本を読んでいて思ったのが、わりと古代ウェールズとかスコットランドの文化についてさらっと書かれているのでためになるなぁと思っていた。ハギス (Haggis) とは、羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理なんだけど、ハギスはこの物語の中では一筋縄では行かない敵のキャラクターとして登場する。そして、「ハギス牧場」なるものも登場します。WEBも無いような中学生の頃、この得体の知れないハギスを一生懸命図書館で調べた記憶がある。

スコットランドで古来より存在が信じられている伝説の生物。ハイランド地方の山中に密かに生息し、満月の夜に心の清らかな者だけが目撃できるとされ、くちばしを持ち全身が毛で覆われて丸っこいカモノハシのような姿であったり、長い3本足ですばやく動き回ったりなどさまざまな姿が言い伝えられている。この料理は見た目があまり良くないことから、「伝説の動物の肉」を使っているのだという冗談の種にもされる。毎年末には「ハギスハント (Haggis Hunt)」という捜索イベントが開催されている。(@ wiki)

だが、このグレイル・クエストの中での表現はこうだ。

囲いの中から漂ってくる臭いと神経を逆なでする、身の毛もよだつあの独特の鳴き声。他でもない、ここは内臓風の化け物ハギスの飼養場だ。
「だけど、生きてるハギスなんてみたことないぜ?」E・J(主人公が持つ、おしゃべりする剣)が言った。
「見たくもないよ」きみは落ち着いて言った。「ドラゴンとイタチを別としたら、ハギスほど気味の悪いいきものはないね。気味が悪いだけじゃなくて、凶暴なんだ。見ろよ」と指さしながら、「あいつらを飼っている柵の丸太の太さ。それに丸太を縛っているロープだって普通の二倍はあるぜ。だいたい柵の高さも並じゃない。ハギスは自分の背丈の七倍の高さでも飛び越えるっていうからな。それに見ろよ、柵の上に埋め込んだガラスの破片を。周りにも深い壕が掘ってあるだろ?万が一あの化け物が一匹でも逃げたら溺れさせるためなんだ」—— (グレイル・クエスト「ゾンビ塔の秘宝」より)

もはや完全にハギスは凶暴なモンスターで描かれている。イラストレーションも「内臓っぷり」がものすごい感じです(笑。このアイルランドのこの作家が、ニヤニヤとしながら書いている姿が想像ができてしまうところにとても愛着が沸く。

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さて、ゲームブックの中の「冒険」をノートブック上で想像したり、考え事をすると、それはなかなかカオスのような痕跡を残すことになる。自分にとってノートブックは考え事の痕跡の集合みたいなものなんだけど、本に夢中になってからページをぱらりとめくってみると、もう暗号のようになっていて、一見何が書かれているのかさっぱりわからないのがポイント。
ここに載せたノート写真は全て、ゲームブック上の考え事を記載しているページなんだけど、「地下迷宮」の状況や「セクションの数字」を書き綴った ページや、魔人から手渡された「暗号」を数学的に式を作って考えているページや、文章だけではピンとこなかった部分をWEBで調査して簡単な挿絵を入れておいたりと、次々と埋めつくされていく。

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巨大なモンスターのお腹の中から「真鍮製の頭」が出てきたり、「数字の割り振られた鍵」など、手にいれるものは不可思議なものが多いので、ノートブックを使って持ち物リストのチェックもなかなか楽しい。

中学生の頃に熱心に読んでいた本を再度読みなおすと、王妃グィネヴィアとランスロットの不倫関係や、円卓の騎士たちや、ギリシャ神話に登場するイアーソンの「黄金の羊」などにまつわる物語等、大人になってからわかるジョーク等も隠されていることに気付く。なかなかに奥が深い。

ちなみにこの記事を読んでゲームブックに興味を持った方は朗報、当時のグレイル・クエストは絶版で入手困難だが、復刊されたバージョンは2014年4月現在、amazonで購入することが可能だ。暗黒城の魔術師」→「ドラゴンの洞窟」→「魔界の地下迷宮」→「7つの奇怪群島」→「魔獣王国の秘剣」の第5巻までは復刊されている(ちなみに同作家の別刊「ドラキュラ城の血闘」も復刊済)。残り、「宇宙幻獣の呪い」と「幻城の怪迷路」と「ゾンビ塔の秘宝」の復刊を楽しみに待っている。

読み始めたなら、魔術師マーリンが読み手に呼びかける呼び声で、最初の2ページで一気に引きずり込まれるので注意願います。そういえば、どこかのWEBで読んだけど、「ゲームブック」というジャンルの読み物だけが「中の登場する人物が、読み手であるあなたに、ずっと呼びかけることができる唯一の物語」であるとのこと。これはなかなか目からウロコな考え方だった。ミヒャエル・エンデの「ネバー・エンディング・ストーリー」も読み手であるあなたに話しかけた物語だったけど、ゲームブックなるものは、ずーっと最初から最後まで、中に描かれた魅力的な人物が、あなたに話しかけてくることができる。そういう「物語」だ。そういう文学に出会ったことがあるかい?

P.S ちなみに大好きなモンスターはグレイルクエスト3巻目「魔界の地下迷宮」に登場する不気味な姿の「ボタボタ」です。このモンスターが6歩歩くとそれはもう大変なことになります。どれくらい大変なのかは、本を読んでチェックしてみてください。

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人工アリクイ、毛布、包帯、本食い虫、青い粉について

Posted on 13 4月 2014 by

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斧、人工アリクイ、毛布、包帯、本食い虫、青い粉、調理器具、釣り針、オイル瓶、アイゼン、着替えの服、クリック・スティック、犬の首輪、金モール、ハープ、掛け金、革紐、ジョークブック、ナイフ、リュート、羊皮紙、インク、羽根ペン、白ぶどう酒、ノコギリ、火口箱、水袋、木琴など、文房具ユーザーはそれなりに荷物が多い。

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カバンの中を開けると、いつも紙モノが多く入っている。何かに役立つだろうと思うなんらかの紙やポストカードがいつもカバンの隅に押し込まれている。お気に入りのペンとノートブックを持ち歩いているということは、コンパクトにまとまって小さく丸まった毛布を持ち歩いているようでもあり、アネモネの花束を抱えているようでもある。ただし、ものすごくものすごく一人で。
頭の中のできごとや考え事を書き出すときは、なるべくインクがぬるりとしたペンを使いたいので必然的に万年筆になる。水性ペンやボールペンだと、なんだか物足りない。紙の上でカリカリとひっかかるようなペン先だと、何か考え事もカリカリと引っかかっているような気分になってしまう。

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ノートブックには考え事の形跡が残っている。
音楽が好きで、よく聴きたいなぁと思っている音楽を思い出しながらリストにすることが多い。一回書き出してから、それを買うべきであるか借りるべきであるか考えた形跡。TSUTAYAのレンタル在庫にあるものを○、ないものを×。○のついたものは片っ端からレンタルで束にして借りる。×のついたものは、Amazonで大量にまとめて購入した。

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ノートブックを開くタイミングは、本を読んでいるときでもあるし、誰かに会った直後でもある。好奇心を持って何かに触れた直後が多い。ノートブックを開くときは大半において、軽い興奮状態にあると思う。そういったときは、すきまがあれば書くし、ページをめくるのも もどかしい。

おわり。

 

 

 

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生活の傍らのボードゲーム

Posted on 13 4月 2014 by

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生活の傍らにボードゲームがあるというのは良いなと思う。
玄関やテーブルの上にチェスのボードを置いておいて、気が向いたら一手進めるという感じ。そして次の一手のことを考えながら、カレーを作ったり、出かけてしまう。そして人に会って話をしながら、ぼんやりとそのことについて考える。

ボードゲームの盤上のできごとは、日常的なものごとから少し切り離された場所にあると思う。それは、テーブルの上に乗った小さなボードの上での出来事であって、生活の中での円環とはまったく別な場所にあるものだと知っているからだと思う。生活の傍らのボードゲームの考え事は、僕らを日常から切り離し、生活にちいさな穴を穿つ。カレーを別な味に変えていく。出かけた先の日常的な光景が奇妙に感じる。出会った人々との会話に魅力的なズレを生じさせる。

好きなアートのインスタレーションで、会場の向かい側のビルのいくつかの窓際に、「白いカップの上にオレンジをただ乗せたもの」をランダムにいくつか置いておくというものがある。向かいのビルの古びた窓枠に置かれた、白いカップに乗ったオレンジ。あなたが窓から眺めた時に感じる、日常の中のかすかな違和感がそのまま作品となっている。

生活の傍らのボードゲームとは、この「窓辺の白いカップに乗ったオレンジのようなもの」で、日常の中での非日常だ。生活の中では、いろいろと自分をとらえるような出来事が多い。しごとのこと、ゆうじんのこと、こいびとのこと、しゅみのこと。ひとつの円環のなかに閉じ込められると、ものの見方はちいさく狭くなる。目の前のできごとの傍らに、まったく別な「生活から切り離された非日常的なかんがえごと」を置く。ボードゲームをひとりで右手と左手が対戦したときと同じように、相反する考え事をひとつの場所におく。
そういうときにボードゲームのような非日常的な考え事は、隅っこになぜかこじんまりと収まる。2手〜3手先で決まったものごとが起きるというボードゲーム上の予感は、日常的な考え事の隅っこに小さく収まる。収納をうまく終えた時に、目の前の人の笑い声が聴こえてくる。相手が何を話しているか、そこから考える。

生活の傍らのボードゲームは、日常的な円環にちいさな穴を穿つ。夜空の月を出口として見ると、暗く紺色に染まった空の向こう側に空洞を感じるのと同じ。生活からすこしだけ切り離された考え事を、あたまの隅っこに置くと、円はとぎれ、その穴から「遠く」をみる。

目の前のできごとから、すこしだけ間をおいてものごとを感じたりしてみよう。そのために、非日常的なものごとを頭のすみっこに置いてみよう。それは例えば、お祭りの会場で、夜店が並び人通りの多い風景を、ちょっとだけ小高くなった場所に登って、優しく見下ろす感じに似ている。暗闇に浮かび上がるライトアップされた様々な夜店を、遠くに、ざわめく喧噪を感じながら、静かに集中して見つめてみよう。

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Notebookers HandBook #1 「失うこと、得ること」

Posted on 05 7月 2013 by

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学生の頃、夏休みの度にバックパックを背負って旅をしていた。旅の中でのささやかな楽しみというと、一日が終わり疲れ果ててテントの中で眠る時に、キャンドルランタンに火を灯して眠くなるまで本を読むことである。

当時は自然や旅に関わる文学を読むのが好きで、ヘンリー・D・ソロー「ウォールデン 森の生活」やケネス・ブラウワー「宇宙船とカヌー」やM・トゥエイン「ハックルベリー・フィンの冒険」や星野道夫や椎名誠や野田知佑を読んでかなり衝撃を受けていた。おかげで、カヌーで旅をすることや、針葉樹の森の奥深くの樹上に小屋を建ててストーブに薪を放り込んで、訪れた友達にコーヒーや暖かな飲み物をふるまうことなどを夢想しながら何度も眠っていたと思う。好きな雑誌は「BE-PAL」…わかりやすいなぁ。

誰かと二人きりでいるときは、やはりそういった森の奥深くで火を灯すことや、雪降る夜の森の奥に灯る焚き火の暖かさについて経験したことも無いのに熱心に語っていた。これらは当時、あらゆるものを捧げても良いと思う程に大切な何かだったと思う。

炎というものは、それが例え小さくとも、一度からだの奥深くに何らかの形で灯ることがあるなら、それは何十年経っても消えることは無いのだと思う。あれから数十年経っても、「炎」というと、どこか自分が観たことも経験のしたこともない見知らぬ土地で燃える炎について連想するのは、これらの知識がきっかけとなっている。

小さな枝に小さな火を焚き付けるように何かに導かれ、ごうごうと燃える炎のように誰かと出会い、うっすらと漂う煙のように消えていく。そしてどこか見知らぬ土地でまた同じ炎を起こす。これらは「旅」のイメージだけではなくて、同時にこれらの炎は、自分が今衝動的に何かを行うときの最初のイメージや、最終的な結論をイメージするときのシンボルになっていると思う。

当時、愛用していたランタンは、タラスブルバの真鍮製のキャンドルランタンである。自分が中学生の頃、父親がお金を出してくれて買ったもの。コンパクトにたためるんだけど、ずっしりとして、何より銀色の鴨が羽ばたくラベルがヘビーデューティな雰囲気があって好きだった。ぶら下げるための小さな鎖がついていて、テントのひさしのところのポールにひっかけて、本を読んだ。

20歳頃に、何となく、もう旅をすることは無いなと思った時期があった。当時、好きだった女の子に今まで大切にしていたこのキャンドルランタンをポンとあげた。あげた後で気付いたのだけど、結局旅をやめることは無くて、10代の頃の何か大切にしていた時間をそのままパッキングして、消えてしまった感じがした。いつかまたどこかでこのキャンドルランタンと同じものに出会って、また同じ火を灯すことができたらいいなぁと思い続けていた。

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それからだいたい18年後、久しぶりに同じランタンを見かけた。まるで遠い日に出会った誰かに再会したように、心が一気に当時にまで引き戻されて、そのことしか考えることができなくなった。久しぶりにみかけたランタンは、その所有者の納屋の奥に90年代の初頭からずっと転がっていたようで、真鍮の表面も鴨のラベルもぼろぼろに腐食していた。不思議なものでちょうど失った年代と重なり、まるで手放した当時にその場所に保管されたように錯覚した。「時間を丁寧にパッキングして手放した感覚」がそのまま目の前に転がっているような感じがした。

少し話はずれるけど、自分は、過去を振り返った時に、それぞれの時代を代表する「道具」というものがあって、不思議なもので、ある一時期を通り越すとその時代を代表する「道具」というものは自然とどこかに行ってしまう。過去を振り返った時に、思い出される道具たちは想像の中でいつもピカピカと光っていて、まるで丁寧に手入れされていたようにイメージとして浮かんでくる。ただ少し異なるのは、それを手にして立っている自分を想像できないということだと思う。自分が欲しいものというのは、そのものの姿ではなくて、自分が手に持っている姿をイメージしないと手に入れることができない。ひとつは欲を満たすもの、もうひとつは自分を象徴するもの。

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最近、ずっと昔に夢中になったものや思い入れのあったものに再び出会うことが度々あった。少しの謝礼とともに自分のところへ戻ってくるものや、ただで譲り受けたものもあった。当時に自分を象徴するものであった道具が、少しずつ戻ってくることは、もちろん嬉しいのだけど、なんだろう、何か自分の中での時間の感覚を変化させたような感じがしている。一度手離したものに再会すると、不思議なもので昔の習慣が良いものも悪いことも含めて、もう一度繰り返される。
道具に対して、すこし特別な考え方がある。これらのおかげで、今所有している自分を象徴する道具に対して特別な愛情のようなものを感じている。

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タラスブルバのキャンドルランタンは、所有者に当時の思い入れを伝え譲り受けることになった。ホームセンターで金属用のパテと銀メッキ風の塗料を購入し、よく晴れた直射日光の強い日に時間をかけて修復した。本当はちゃんとメッキを行ってぴかぴかに仕上げたかったのだけど、丁寧にヤスリをかけて表面をなめらかに磨いて銀メッキ風のスプレーできれいにしてみた。

ひとりでテントを原っぱに張って、夕暮れ時に再び炎を灯すことができるようになった。遠い過去に、灯した同じ火をふたたび見つめることができる喜びは、何にも代え難い。何か大切なものをポンと手離して、ふたたび同じものを手にいれること。思い続けること。そこに意義があると思っている。ずっと遠い過去に燃えていた同じ炎を灯すことは、なんとなくひとつ、終焉を迎えた気がしている。「終わり」ということばを手にいれて、なにかひとつ失ったのだと思う。

時々、すべてのものを失った時のことを想像している。人もモノも何もかも。これは悲しい空想ではなくて、どちらかというと旅の時に感じる「一種の身軽さ」に感じる。何かを失って、再び手にいれること。そして再び失うこと。過剰と欠落のギャップが僕を日々生かしている。

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バナナを使った好奇心の例

Posted on 04 6月 2013 by

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【好奇心について】
まず、自分らしく奇妙であること。それを見た人は、驚愕が先に立ち、それから好奇心が生まれるか恐怖が生まれる。恐怖が生まれた人は、あなたから立ち去る。好奇心を持った人はあなたの近くに来る。あなたが燃やす火にあたりに来た旅人を静かに愛すること。

【バナナを使った好奇心の例】
まずその気もないような態度でバナナを1本食べる。食欲旺盛な人の喜びというよりは、学者のような熱心さでよく噛んで味わって一房を食べ切ること。そしてもう一房を一気に食べること。

それから、鞄からおもむろにレンズや天秤や定規を取り出し、ダイヤモンドを買う時のように測定しバナナを熱心に調べること。皮を数ミリ切り取って重さを測るなどが望ましい。続けて、気温や湿度や光線の強さを測ること。それから、沈黙してしばらく考え事をすること。その場では熱心に語らないこと。

数日後、周辺で虫取り網と籠を持って蝶を追いかけること。世界の果てまで追うこと。これを1週間ほど続けること。
すると、好奇心を持ってあなたの元に人々が訪れることに気がつくので、たどたどしいことばで説明をすること。可能であれば「ある一定のものを示しておきながら、何かを意図的に語らない」という方法で話すこと。焚き火をすること。

さてそれからはあなた次第。目の前に二股のY字路がある。そこに留まって旅人の一人と恋に落ちて幸せな暮らしをしても良い。その先を歩いて行くのも良い。しかし、そこにはもうバナナの姿はないことに気がつくと良いと思う。発端は何でもいいのさ

自分らしく奇妙でいるんだよ。エンジョイ

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「指の無い女の子と湖の話」

Posted on 19 4月 2013 by

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20代前半の頃、本州のいろんなところに滞在して仕事しながら旅をするという生活をしていた。やはりそのころからノートとペンを愛用していて、仕事で使えそうなアイディアとか思ったことをコリコリと書いていた。1年程、箱根の芦ノ湖の湖畔に住んでいたときのことをよく思い出す。仕事の都合で、湖の側に寄り添うように建った古い家をまるごとひとつ貸してもらって数人で住んでいた。居間の雨戸を開け放つと、湖に面した窓が開け放たれて、広々とした景色が見えた。いい風を受けて、風鈴がちりんとなる。窓を開け放つとたくさんの光が差し込んで来てすぐ近くに置いてあったモンステラの葉っぱに反射した。椅子に深々と座って、膝にノートを立てかけて、その頃の考え事を書き留めたり、ギターを弾いていた。

湖の側に住むというのは、とても素敵なことだなぁと思った。大きなお金が入ったら湖をまるごとひとつ誰かにプレゼントするのもいいなと思う。
仕事の都合で、一緒に住んでいた同居人の女の子は、自分が毎日のように窓際の椅子に座ってノートに何かを書き留めているので、何を書いているの?と聞いてきた。その頃は、音楽にハマっていたのでお気に入りの音楽のことを書いたり、そこからイメージした絵とかを書き留めていた。「ん〜、考え事とか絵とか書いているよ」と言う度に「見せて見せて」と言うので、やがて書いているものをよく見せるようになった。
自分のノートブックを観たことがある人はわかると思うけど、ひとつのページにぐしゃぐしゃに書くので、やはりその子も「何が書いているのかさっぱりわからないね」と言いながら、眉をしかめて怪訝そうな顔で読んでいたのを思い出す。でも、何度かそういったやり取りを毎日のようにくりかえしていると、その子も同じようにノートブックに何かを書くようになった。彼女はホラー映画好きで、自分がオートバイに乗って小田原とか静岡に買い物に行ったときのついでにビデオを借りてきて、居間でよくゾンビ映画を一緒に観たので、おそらくゾンビについて書いていたのではないかと推測する。

古い家の隅で、古いストーブの残骸が薄闇にいくつも積まれている細い廊下があって、足の長い蜘蛛が二匹もつれているのを頻繁に観た。床板に綿状になったキノコが湿気を吸い取りながら広がっている、どこか遠くで映写機がカタカタ鳴っているような音がよく聴こえた。

彼女はその廊下の奥の部屋に住んでいた。部屋の中には、旅行から帰ったばかりのように大きな鞄が並び、錆びた写真立て、締め切ったグリーンのカーテン、青色のシーツカバーのベッド、小さなテーブル、それだけの部屋。薄暗い部屋に入ると度々うつ伏せになってじっとしていた。二十八歳の色白の女の子。

ただ彼女の身体的な特徴で、気になることが一つあった。左手の指が「3本」しか無いのである。彼女の左手の人差し指と中指は、根元からきれいに切断されていた。見かける度に、何か尋ねてみようかと思ったけどその度に、やめた。彼女の左手の小さな国では、自分の知らないことが起きているのだと思った。

そういえばこの家の二階にはピアノが置いてある誰も使っていない部屋があって、真夜中に僕が本を読んでいると遠くから微かに、「どこかで聞いたことがあるのにどうしても思いだすことのできない曲」が聞こえてくることがあった。おそらく彼女が弾いていたのだけど、欠けた彼女の指が演奏するその姿を想像するのがなぜかつらかった。

自然と彼女は僕の部屋によく遊びに来るようになった。普段から彼女は物静かで石のようにじっとしているのを好んだ。ベッドに潜り込み、僕のギターを黙って聞いている。気に入っていたのは確か「Wave」というボサノバの少し物悲しい曲だったと思う。丁度そのころの僕の練習曲 だ。なぜ好きか?と聞くと、彼女は五分位黙ったままで考えている。ようやく口を開いて「どこか遠くの曲なんでしょ?」と言ったまま肩をすくめた。目を閉じてどこか遠くを想像しているようだった。

「この前ね、夢の中にタカヤ君が出てきた」
「どんな形だった? ハート型?」
「夢のことをノートに書いておいたの。私は何か個展会場に来ていて知らない人が私の手を引っ張ってる。そこの会場はとてつもないくらい広くって莫大な数の絵が飾っているわけ。彼はまだ見ていない絵があるからと言って私を連れていくの。だけど私はもう絵を見るのはうんざりですごく嫌だった。連れていかれたのは階段の途中で、そこには巨大な上から下まで真っ黄色に塗られた絵があって、だからどうしたのよと言ってすぐに会場から出たの」
「それだけ?」
「ううん、会場の前にパーキングメーターがあって、車がたくさん並んでいて、その中にタカヤ君がいるの。だけどね、みんな駐車料金をメーターに入れて車に乗っていくのに、タカヤ君だけ真っ赤なソファーをパーキングメーターの所に停めて、一生懸命何かしてるわけ。そして、私を見てムスっとした顔で『遅かったな、だけどここにプロペラがついてないからちょっと待ってくれ』とか言うの、私はおかしくって嫌な気分も忘れた」
「ふーん、俺けっこう飛行機が好きだからな。そういえば、ちょっと前に、東京で変なパーティに参加したんだけど『飛ぶ用意』をして行かないとならなくなった。だけど『飛ぶ用意』ってなかなか思いつかないんだよね。だけどさ、いったい俺は君をどこに連れてこうとしてたのかな」
「私達はそのプロペラのついたソファーに乗って真っ青な空を飛んでいく。あなたは真剣な顔をして運転をして私は一緒についてくる鳥達を見てた。最後にねえ、あなたは私にこう聞くの『世界の果てって見たことある?。俺がそこに連れていってやるよ』」
「うわ、恥ずかしい」
「そんなことないよ。だってタカヤ君って世界の果てから来たんでしょ?」と彼女は言った。

湖畔を歩いては何かを拾ってきたりするので、僕が部屋に住むと、それはいつでも博物館のような様相をほどこした。このことは小さい頃になにか関係があるように思う。子供が白い画用紙を手に入れる。汚すことによって自分の領域を想像していく。ぐしゃぐしゃと交差した線は空に浮かぶ巨大な雲を、床に置かれた段ボール箱は大きな船を、時間がたつにつれ僕の世界は変化し、時には宇宙空間で、時にはイカしたお店屋さんだった。僕らはそれぞれ自分の世界に暮らしていて常に独りぼっちだ。何もない空間というのは自分にとってとてもつらい。狭い部屋がどんどん僕の集めてきたもので埋まっていくのは気持ちがいい。
「私の耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」とジャン・コクトーの詩の一節を書き、隣のページに湖の絵を描いた。ここでの生活の最初の頃はよく窓を開けて本と湖を交互に眺めていた。

とある雨の日に、彼女は僕のベッドで目を閉じて眠っていた。僕もギターを置いて本かなんかを見ていた。窓の外では真っ暗な湖に雨が繰り返し反射していて、ばしゃばしゃとおおげさな音が聞こえている。夜の湖は気持ちが悪い。それが海であっても同じなんだけど。しばらくすると妙な音が雨の音に混じって聞こえているのに気がついた。小さな動物がこそこそと動くような音がする。眠っている彼女の布団の下からそれは聞こえるので、なにげに布団をめくってみると、彼女はうつ伏せになって、小さな白い魚のように指の欠けた左手を動かしていた。見ていると神経質そうにシーツをひっかいたり何かを握ろうとしてみたり何かをなぞったりしている。「起きてるの?」と声をかけてみたが返事がない。動いたままの指先がピクッと反応したがすぐに同じように指先は動きだしている。眠っている人の眼球は夢の中と同じように動いていて夢の中で上を見上げると現実世界の眼球も上を見上げる、という話を読んだことを思いだした。どうやら彼女はなにか夢の中で何かを行なっているようなのだけど、何かがうまくいっていないようだ。指先は神経質そうに何かを繰り返していた。

その時、彼女の指の傷口を近くで見るのは始めてだった。僕は無意識に周りを見回した後、彼女の呼吸のリズムを計った。眠っている人の呼吸は吸う時間と吐く時間が一定だ。眠っていることを確認する。思い返してみると、彼女はいつも手を自然に人の目線から隠している。人に何かを聞かれるのが嫌なのだろう。手の甲から目線を下に送っていくと、指の付け根あたりから白色から薄いピンクへと微妙に変わっていく。小さな円形の形にきれいに人差し指と中指は切り取られていて、その部分の皮膚は小さくひきつっていて変形している。恐らく傷口を修復するのに、多分体の別の部分の皮膚を切り取ってラップをかけるように小さく貼り付けたのだろう。不自然なのは傷口の周囲に他の縫い跡がないことだった。普通なんらかの事故が起こって傷を作る場合、その患部の周囲には別な縫い跡があるはずだ。とても鋭利なナイフのような物で切断されたとしか言いようがない。僕の知り合いは昔高いところから落ちて手首から骨が突き出たことがあったが今でもその周囲は七十針の傷口が跡を残している。
「これは事故ではないのだろうか」と思った。
外の雨の音が大きく聞こえる。彼女の静かな呼吸、真白な肌、左手の失われた指。気がついてはいけないことがあるように思えて僕は頭の片隅をそーっとつつくように考え事をした。こういったとき人というものは自分が見たり聞いたりしたものからその状況に適した答えを探してしまうのはなんでだろう? 彼女の左手に一致する答えを僕は知らなかった。こういった言葉を使いたくないのだけど、僕の想像できるかぎりではそれは、狂気の影というものを感じるしかなかった。
彼女は休むことなくベッドの中で神経質に指を動かしている。それはあまりにもひどいので、僕は彼女の手を両手で包みこんで握ってみた。こうすると彼女の世界では何もかもがうまくいくのではないかと思ったからだ。
同時に、彼女は僕もびっくりするくらいの大きな息をついて何も聞こえないくらい静かになった。外では激しく雨が降っている、近くの杉の木から雨が流動し叩きつけられる音が聞こえた。注意深く呼吸を聞いていると彼女の呼吸は蚊が飛ぶくらいかすかに聞こえている。その後一切指先は動くことはなかった。
僕も側に添い寝し、自分の指を切って並べていく夢を静かに見た。彼女は夢の中で僕の指を要求している。拳銃にこめて頭を打つらしい。

二週間後の暑い夜。彼女は僕の布団に入り込みだいふくを食べながら小さい頃の話や世界の毒薬の話をする。次の日、店から持ってきたカルーアに牛乳を注ぎ、一緒にホラー映画を見ながら、僕はその娘のことが好きになった。正確に言うと、ホラー映画の画面の中の廊下からゾンビの手が数百本出てきてどきっとしてから三十秒後に彼女のことが好きになった。

二人は湖を眺めた。湖の浅瀬でもがく鱒をいたぶった後逃がしてやった。ボートに乗って凧を上げた。手術台の上のミシンと洋傘の出会いについて議論した。全ては夜行なわれた。彼女はおそらくそういった行動の一つ一つごとによく喋るようになっていったし、よく笑うようになったから、僕も嬉しかった。何よりも嬉しかったのは彼女は自分の左手を僕の前では意識して隠さなくなったことだ。

彼女は近くに良い所があると僕を連れ出したのは湖に面した場所にある「聖火台」だった。彼女は僕を誘ったときから何かそわそわとしていて僕もなんだか落ち着かなかった。時刻はもうすでに午前の2時位をさしている。辺りはひっそりとしていて遠くで魚が跳ねる音がした。彼女は、ここで一緒に眠ろう、と提案したので毛布を持ち出してきていた。気になったのは彼女の呼吸が喘息の人のように小さく細切れになっていて、僕は大丈夫か?と聞くと、「平気」と言った。前からたまに彼女はこのように呼吸をしていた。

住んでいた家から約三分の一位の距離を湖沿いに行くとちょっとした森があり箱根神社を通り過ぎると急に舗装道路が途切れて小さな公園を三つ並べたような広場が現われ 妙に不自然な聖火台がぽつんと建っている。ここには観光客も来ないし、もし来たとしても別に面白いものでもない。近くで見ると聖火台はコンクリートの階段状になっていて意外と頑丈に造られている。高さは2メートルほどで金属の火を灯す部分にもっともらしくオリンピックの五輪のマークが刻まれていた。多分、1968年の東京オリンピックの年にこれは建てられたのだろうと思うのだけど、なんでこんな場所に聖火を灯す必要があるのかと思った。
聖火台は裏側から回るとぽっかりと空洞になっていて頼りない。それはちょうど屋根のような形をしているのでここを僕らの家として占拠することにした。
僕らは湖を眺めながら毛布にくるまる。遥か彼方に月がひもで吊ったように浮かんでいる。ずっと彼女は喋ることがなかったので僕は一人でとぎれとぎれに話していたように思う。緊張していたのだろうか。思ったことをそのまんま口に出す、その時犬が歩いていたら、あ、犬だ、と言ったと思う、それで小さいころに犬を飼っていたことを思いだしたら続けて、僕は犬の友達がいたんだ、とか言ってしまいそうだ。こういった自分は見るのも嫌だし、だいいちかっこ悪いと思う。

「何か、話して」
彼女は要求をする。あいかわらず呼吸は小さくかすれている、不思議なことに、しきりに自分の左手の指を気にしているのを見て、言い訳ではないのだけど、遠回しに元気を出してやりたかったので、僕は確か、ミロのヴィーナスの腕はどこに行ったのか?、という話をした。僕の思いやりというものは形が変でよく無神経だとか、絶対ズレてると言われる。一応努力はしている。
何か問題があったのだなと思ったが、理由は聞かない。僕は問題がありそうな人には決して問題の内容を尋ねる質問をしないという癖がある。一応努力はしてる。

僕は話し続ける。
通称ミロのヴィーナス(ギリシア名:アフロディテ)は、千八百二十年四月八日エーゲ海の小島ミロ島の古代遺跡近くの畑で、イヨルゴスという農夫によって発見されたと記録されています。腰から上下に分かれたこの大理石像が発見の日から一月あまり後にフランスの軍艦に積み込まれるまでは、当時ミロ島周辺で勢力を争っていたフランスとトルコの間でいさかいがあり、像の表面にも新たな傷がついたようですが、とにかく両腕があらかじめ欠けていたことは証言されており、両腕の付け根の保存状態も腕がかなり以前から欠けていたことを示すものでした。なお、ヴィーナスの周辺からは同時に二体の男の首のついた石柱(ヘルメ柱)や台座、腕や手の断片、大理石の銘板などが発見されましたが、それがヴィーナス本体とどういう関係にあるかは、やはり説が分かれます。一番有力なのはフルトヴェングラー説です。この説ではヴィーナスは林檎を持っていたとなっています。フルトヴェングラーこと彼は、ヴィーナスの右手は左腰にあてがっていて、左手は丸い果実を持っていたと分析しています。その学者はヴィーナスと共に発見された腕の断片を、林檎を持った彼女の手とみなし、その腕の重さを支える台座としてドベェという画家のデッサンに描かれた銘文入りの台座を当てたのでした。だけど他に存在するどの説も有力な証拠はなく、ヴィーナスは二本の腕 を失うことによって永遠の美を得ることができたのです。

僕はここでぴたっと音声を切り、辺りの音を聞いた。遠くで僕を呼ぶ声が聞こえたような気がしたのだ。何も聞こえなかった。彼女は夜の湖をまばたきのない瞳で見つめている。霧が微かに遠くの電灯にかかっている。湖の端に小さなさざなみが見える。空の偽物のような月がこすれているような音が聞こえてくる。僕はなんだか胸が締め付けられるような気分がした。彼女は大きな目を見開いて硬直していた、そして本当に聞き取れないような小さな声で僕の名前を何度も呼んでいたのである。

なにか危険な信号を感じて彼女を引き寄せた。眼球が乾ききっていて白い膜のようなものが表面に見えた。呼吸が小さくひゅうひゅうと聞こえた。彼女の白い肌の色が微妙に変化している。危険な信号を読み取ったとき、ヒトはなんですぐに大丈夫だと考えてしまうのだろうか、本当の事実をねじ曲げてよい方向を期待する。
「おい。ここにいるか?」
彼女は僕に前後にゆすられたこともあまり理解していないようでぼーっとしていた。彼女の目は穴が開いているところにガラスの玉を押し込んだように違う世界を見ている。彼女の肩は金属でできているように冷ややかで驚いた。人が苦しそうにしているのは風邪をひいた人しか見たことがなかったがそれとはあきらかに違った種類で混乱した。 彼女の半径数メーターに未知の世界が迫っているような気分になってしまいすぐに辺りを見渡したがどこにもそんなものは見えなかった。僕は何をすればいいのかわからないので、少し混乱したまま懸命に背中をこすっていた。暖めると全てがうまくいく気がした。
飛行機事故の生存者を救ったボスニアのある民族の人々の話では被害者をフェルトと獣脂で包み暖めて救ったそうだ。その被害者の一人は生き残り、アーティストになり獣脂で作られたオブジェを提示し、フェルトで作られたスーツを壁に引っ掛けた。体温が持つ力は強い。死ぬほど悲しい思いをしているときに、人が持つ体温はどこまでも優しく感じる。彼女は口から小さな呼吸を漏れだすように押し出すと同時に白いもやが浮かび上がる、僕はそれを見てふと魂はこんなものなので はないかと思ってしまう。
すぐ隣にいる人が突然危険な信号を送り出す、そういったときに自分の中に一瞬のうちに過去の想い出をたどって自分が何者なのかということを探しだす、何もない、といった壁に打ち当たって僕は自分が誰なのかということがわからなくなる、そういったときに始めて自分の中に体温を認めることができる、僕には腕がはえていてその指先は体温に包まれているんだということを思いだす。僕は彼女の腕とか背中とかを夢中でごしごしとさすっていて、自分に腕がはえていることを嬉しく思った。自分の事というものは気付きづらいものだ。小さいころ転んだときに自分の膝から流れる血を見て始めて自分の体のもろさと体重があることに気付いたと思う。僕はその頃、車より体が頑丈で実力を出せばパンチ一発でコンクリートに穴が開くと本気で思っていたので、それはあまり直視したくない現実であったなあと思い出しちょっとおかしくなった。僕らはこういった事実を自分の経験で知るか、もしくは自分の好きな人に「それは違うよ」とか「それはちょっと変だよ」とか言ってもらいたいと考えている。僕と彼女はこの湖の端っこで震えているただの「もろい存在」だと思った。

次第に彼女は、凍った湖が少しずつ溶けていくように呼吸が回復していった。そのような、自分が他人に与えた直接的な影響を具体的に見るのは始めてだった。 ヒトというものはたった一言で他人を殺すこともできるし、たった一本の指先で他人を回復することもできるのだと実感した。彼女はゆっくりと呼吸を大きくして 一回して「ありがとう」と言った。「ありがとう」か、いい言葉だなと思ってほっとした。彼女はずっとここにいたいと僕に言った。

「タカヤ君が持ってるんでしょ。腕、ヴィーナスの」
「聞こえてたのか… …もちろん、持ってるよ」
「返してよ」
彼女は自分の左手をじっと眺めた。僕はそこから目線を動かすことができない。
「指がなんで、ないか、聞きたい?」
僕はしばらく考え、どっちでもいい、と答えた。彼女はなんでもないことのように言って、頭の中が少し混乱して僕はもう一度聞いた。外国の言葉を早口に聞いたような気分だった。僕はここが本当の世界の果てなんではないかと思って、思わず涙が出そうになった。
「お父さんが切ったの」

彼女はそこで言葉を切った。僕は世の中の会話に馴れているのでじっと、続く言葉を待った。しかし、それに続く「理由」もなかったし、「原因」もその言葉の後続に続くことはなかった。その事件は彼女の中で、ただの「事実」として心の中に存在していた。
それから、僕らはただ二人手をとって黙って煙草を吸い続けた。きっと遠くからの姿は、声の無いこの世の中の深い心に耳を傾けていたように見えたかもしれない。
朝方に僕らは、湖の浅瀬でもがく二匹の鱒を逃がす前に、小さなキスをした。弱い光で青みかかった湖には、誰かがほうり投げたのだろうか、座布団が浮いていた。

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4/13 (土) 三省堂書店@札幌 トークライブ開催します

Posted on 26 3月 2013 by

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4/13(土)『旅ノート・散歩ノートのつくりかた』トークライブ開催します。

奥野宣之×高谷宏記(モレカウ @blanq)トークライブ
『旅ノート・散歩ノートのつくりかた』ダイヤモンド社・三省堂書店札幌店共催

日時:平成25年4月13日(土)
15:00から16:30ごろ(14:30開場)

会場:三省堂書店札幌店
店内ブックス&カフェUCC

●ご参加方法●
定員:先着30名様
参加費:1000円
※お飲み物代含む・書籍は含まれません。当日受付にてお支払い下さい。

書籍をご購入頂かなくても、ご参加頂けます。
三省堂書店札幌店サービスカウンターにて直接お申込み下さいませ。
お電話でのご予約も承ります⇒TEL:011-209-5600(10:00-21:00)

当日は直接店内ブックス&カフェUCCまでお越し下さいませ。

●トークライブ内容● ※三省堂書店さん告知より掲載
今、歴史散策や街歩きがブーム。でも、せっかくの楽しい経験も記録しなければ忘れてしまいます。
そこで、ノートを使って旅や散歩の思い出を残してみませんか?
自分で歩いて発見したことをノートに書いたり、旅先のパンフレットを上手に貼るだけ で、旅と散歩をもっと面白いものへと変えることができます。
『旅ノート・散歩ノー トのつくりかた』(ダイヤモンド社 1,680円)の著者・奥野宣之さんと、
『モレスキン 人生を入れる61の使い方』(ダイヤモンド社 1,680円)の著者・高谷宏記さんが、ノートを使った旅と散歩の新しい楽しみ方をご紹介します。

 

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トーテムポールと何かの上に登ることについて

Posted on 18 3月 2013 by

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「お前は何を踊るのか?(オ・ビナング?)」– アフリカの少数民族の挨拶

小学生の頃、校庭の端っこの生い茂った原っぱに朽ち果てたトーテムポールが立っていた。おそらく数十年前の卒業生が製作したものだと思うのだけど、3m程の高さに、長い年月で変形した気味の悪い顔や鳥やワニなどいまいち正体が判別できない動物が縦にならび、てっぺんには白塗りの象の頭が乗っていた。ペンキで塗られた表面も色あせて小学生が作ったとは思えない程なんとなく呪術的な雰囲気がにじみ出ていた。
皆がドッジボールなどをして遊んでいる場所から遠く離れていて、その場所にあまり訪れる子もいなかったのと、夏の暑い時には日陰となって静かなこともあって、よくそのトーテムポールのてっぺんに登って近くに流れる川を眺めていた。子供達の声でにぎわう大きな地面と隔絶されてひっそりとしていて、なんとなく校庭とは対照的な場所だなぁと思っていた。昼休みになると、鷲のような正体の不明の顔の横から突き出た翼に足をかけて登り、いちばんてっぺんにある「鼻がぐにゃりと曲がって地面にたれた鼻を持つ(おそらく)象」の頭の上に座るのである。当時は、「ハックルベリー・フィンの冒険」に影響を受けており、何かの上に登っているというのが自分の中でのステータスだった。長い間、そこに登っているうちに思ったのだけど、自分の中ではトーテムポールというのは何か隔絶された場所の入り口に立っているようなそんな印象がずっと残り続けている。

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関係ない話だけど、この「何かの上に登って、そこに留まること」というのは、自分の人生の中ではとても重要なことなので書き留めておく。
カトリックの聖人「登塔者シメオン」の話をどこかで読んだ。残っているイコンのグラフィックでは塔の上に座るシメオンを誘惑しようとする蛇が絡みついている。シメオンは18メートルの塔の上に登り頂上に小さな小屋を建てて40年間暮らした。この噂を聞き付けた修道士や使者達は、シメオンが他人より優れようとする傲慢からこのような風変わりなことをしているのではないかと考え、降りてくるように大きな声で彼に命じた。降りてこないようなら力づくで下ろそうとしていたらしい。さて、ここで面白いのは、シメオンは「オッケー♫」と言ってあっさり降りようとするところである。使者達はあわてて、彼が塔の上に留まっているのは傲慢から来るものではなくて、それは謙遜からくる態度であり、神を思う気持ちで塔の上にいると判断して、塔から降りちゃダメ!と彼を留めるのである。
さて、何かの上に登るというのは神秘的なことが多いので、いくつか書いておく。中学生に上がったころ、親の財布から100円玉を抜き取って、近所の幼なじみと夜中に抜け出して缶コーヒーを買いにいくことが日課だった。暖かな缶コーヒーを持って、近所の鉄工団地の工場の脇にあるらせん階段を上って、自分たちが住んでいる背丈の低い小さな街をよく見下ろした。秋の夜は芯まで冷えて、缶コーヒーが世界最後の飲み物のように大切に飲んだ。らせん階段の上ではいつも流れ星は近くにあって、幼なじみとはとりとめのないことをよく話した。このことがきっかけで「らせん階段」というのも何か象徴的なものであるように感じている。
以降も、樹の上に小屋を建てる話である小説「宇宙船とカヌー」を読んで影響を受けたり、樹の上で暮らすヒッピーの話を読んだりしては、何かの上に登る行為にものすごく興味を持っていくのである。ちなみに樹の上で暮らすヒッピーは、ただ登っているのではなくて、樹を切り倒されるのを守るために、彼はそこにMacbookと一緒に留まって暮らすのである。面白いなぁと思ったのは、ウンコの処理である。樹の上にバケツを置いておき、長いひもを結びつける。1日おきにウンコをしたバケツをひもを使って下ろし、地上で友人達がそのバケツを回収してきれいにして、またバケツを引っぱりあげるのである。友情ってすごいなぁと思った。

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さて、話がずれたのだけど、今日書きたかったことは「何かの上に登ること」ではなくて「トーテミズムやトーテムポールのこと」である。
トーテムポールとは、先住民の多くが、彼らの家の中、家の前、あるいは墓地などに立ててきた、柱状の木の彫刻で、人々の出自、家系に関わる紋章や、彼らが伝えてきて、かつ「所有する」伝説、物語の登場者などを彫刻したものである。(wikiより)
このトーテムというのは、宗教的なものというより紋章のような象徴的なものとして作られている。写真家 星野道夫氏のエッセイ「旅をする木」でも書いてあったけど、現存する本物のトーテムポールというのはなかなか無いらしい。つまり、観光目的で残されているものは多いけれど、少数部族が森の奥にひっそりと残して今でも発見されていないトーテムポールを見るというのはとても困難なことらしい。今現存しているものは20世紀初頭に先住民達の伝統文化を残すという目的において作られたものがほとんど。

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このトーテムポールに代表される「トーテミズム」という考え方にとても興味を持っている。トーテミズムというのは世界的にある民族のものごとの考え方のひとつ。アラスカやカナダや北アメリカに限らずアフリカなど世界的にその考え方は存在している。トーテミズムというものは、日常生活においてなかなか出てこない上に、最近のビジネス書でも取り上げられないので一般的にトーテミズムについてあれこれと考えている人というのは少ないと思うので書いておく。
アフリカの多くの部族では特定の動植物を自分と同定して、それをトーテムとする。トーテムの特性が部族の特性となる。挨拶代わりに「お前は何を踊るのか?(オ・ビナング?)」と聞かれる。これは出身を尋ねる時に使う。つまり、「自分が踊るもの」というのは部族と同定しているトーテムである動植物のダンスのことである。例えばコヨーテをトーテムとしている部族では、コヨーテのダンスを狩りの前や結婚式や部族の中での記念的なことがある日に踊ったりする。この「踊るもの」で、彼がどこの出身なのかが相手に伝えることができる。またこの自分のトーテムを答えることで、部族間の関係性(過去に敵対をしていたこととか、部族間での婚姻関係とか)も判明するらしい。このトーテムとしている動植物を食べることは、その部族にとってタブーとなり得るし、またその動植物を体の中に取り入れることはものすごく大切なことなのである。
昔から、自分に特別に関連していると信じている野生の動物や植物などが存在するというトーテミズムという考え方がものすごく好きである。誰にでも、自分を象徴するものというのがあると思っている。

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トーテムポールには小さな像を含めると数十の彫像が彫られていて、これらには陸上に見られる動物、鳥、海、川、湖に住む動物や魚、人間のような実際に存在するものが多い。また、先住民が語り伝えてきた神話や伝説に登場する怪物も見られるし、自然界の動物などでも超能力を備えた特別なものもあって、植物の彫刻も存在しているらしい。
トーテムポールには必ず見えない物語が背後にある。その物語のことを考えるとぞくぞくする。どこにも書かれず、飲み込まれたことばの数々のことを思うと、なんだか心がものすごくぎゅっとつかまれるような気分になる。その部族を救ってくれた特別な動物に対する畏敬の念が込められた物語や、世界の果てにある地平線の向こう側にある観測不能な物語。それらが自分をとらえて離さないのである。

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最近その「トーテミズム」についてよく考え事をしているので、頻繁にスケッチをしている。自分のノートブックは考え事をキャッチするための道具である。そういうトーテムの背後にある見えない物語をキャッチして、ごくんと飲み込むために描いているので、なんとなくちょっとした想いを込めたスケッチだと思う。
自分に特別に関連していると信じている野生の動物や植物。もしくは動植物に限らず「物」や「動作」であるかもしれない。これらについて想いをはべらすというのはなかなか素敵な考え事だと思っている。
自分の内側に一致する「象徴的な外側のもの」についてゆっくりと考えるというのが自分のひそかな遊びである。

小学生の頃、トーテムポールのいちばんてっぺんにある「象」の頭の上に座っていたのも、自分を象徴する物事のひとつなのかもしれないなぁと思う。何かの上に登ることや、らせん階段もどこか自分の中では象徴的だ。トーテムは動植物に限らず、自分の外側にある物や行為も含まれるのではないかなと思っている。
校庭の端っこにひっそりと立っていたトーテムポールは世界の果てのように感じていた。今ではその小学校は取り壊されてしまって、グラウンドにあった奇怪なオブジェの一群もどこかに行ってしまった。その場所は今でも原っぱとして残っているのだけど、見えないそのトーテムポールがいつまでも残っているような気分になる。トーテムポールのてっぺんで、ぐにゃりと鼻をまげた象が、見えない風に乗せてその鼻をゆらりとしているそんな感じがしている。

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とあるインタビューのこと

Posted on 28 2月 2013 by

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モレカウです。
前に自分のFacebookの近況にだけUPしていたんですが、とあるインタビューに対して用意した回答文載せておきます。「ノートブックを携える」ということに対するモレカウの考え方や、このサイトが「どのように成り立っているのか?」が少しでも伝わるとうれしいです。

 

Q. これまで手帳といいますとスケジュール管理であったり、メモ書きをするための道具でしたが、ほぼ日手帳やモレスキンなど新たなタイプの手帳が登場したことで手帳の使い方が大きく変わったとお考えでしょうか?

 
これまでは「手帳」というとスケジュール管理やビジネスモデル色が強く、「ノートブック」と言うと学生の勉強向けというコンセプトが長らくあり続けていました。
まずこれまでの手帳やノートブックとの違いについて考えてみたんですけど、モレスキンやトラベラーズノートやほぼ日手帳の背景には、共通のキーワードがあります。
「モレスキン」については「文化、想像力、記憶、旅、個性」という個性的なヴィジョンを打ち出しています。
「トラベラーズノート」については「旅の相棒」「旅との親和性」これも趣味の自分に寄り添うようなコンセプトですね。
「ほぼ日手帳」については「何でもない日おめでとう」(素敵な「たいしたことがないもの」を大切にするというスピリッツを持っています)使う人を限定しないこれらのテーマは、今までのノートブックや手帳には無かったものだと思います。

これらの、モレスキンやほぼ日手帳やトラベラーズノートという新たなツールが登場することで、手帳とノートブックが融合されたという感じがしますね。これらのことで、生活の上で手帳やノートブックを元々愛用していたユーザー達の生活はかなり大きく変わったと思います。
これらのような新たなヴィジョンを持ったノートブックが登場し、手帳とノートブックが融合されることによって、「自分にさらに近くなって寄り添うこと」ができるようになったと思います。
まるで「ひとつの小さな自分の部屋(書斎)を持ち歩いているような安心感」がありますね。ただの手帳であったものが、自分自身と近づいて親密度が増したという感じです。
サイトやソーシャルネットワークを通じてこれまで、多くの人に出会って実際に会って、数百冊単位のノートブックや手帳を眺めることになったのですが、中身をぱらぱらとめくるとその紙の上に、皆「自分自身」を書き留めていると思いました。

 

Q. 手帳や私用のノートといいますと、とてもプライベートなものなので自分の手帳を投稿し、それぞれの使い方についてコミュニケーションをとるということを非常に新しいと感じました。Notebookersを立ち上げるにあたって、そのようなニーズなどがあったのでしょうか? またオフ会なども多く開かれていると聞いております。手帳を通じたコミュニケーションについて皆様はどのようなことをお楽しみでしょうか?

 
まず、「デジタルとアナログの融合」という背景があります。
例えば、インターネットやデジタルなガジェット(道具)が普及したことによりアナログなノートブックの使い方が少し変わってきていました。
それまでは自分の書斎や机の上で収まっていたものが、オンラインを通じてパソコンにデータを保存したり、ソーシャルネットワークを通じて自分たちのノートや手帳の使い方について語り合うようになりました。
数年前までは、ソーシャルネットワーク上の話題を見ているかぎり、たとえば「自分の使用しているノートブック」について語っている人は日本では1日に30〜50ワード程度だったと思いますが今では数百単位に増えて読み切れないほどになっています。
多くの人が「自分に寄り添うツール」を手にして、どのようにそれを使うか?どのように自分自身を表現するか?どのように個性を書き留めるか?多くを語る場所を求めて、皆が「自分のノートブックを手にして」ソーシャルネットワークに現れ始めた感じがします。

これらのノートブックの愛用者たちは、共通の話題について尽きることはありません。
オンラインでもオフラインでも出会うときは、ものすごく多くのことを話します。
先ほど話したように、ノートブックの中には「自分自身」について書き留めていることが多いからだと思います。中身は、仕事のことは程々で(笑)、趣味や楽しかったことや、簡単なイラストレーション、何気ない思い出、旅の最中に手にいれた切符から、小さな紙切れ、旅の最中に食べたご飯のハシ袋など(笑。
つまり、自分自信を書き留めているので、自分自身について語りあっているのと同じです。

ノートブックのユーザー達は、主婦やビジネスマンやアーティスト等多岐に渡り、特定のカテゴリーに所属していないので集まった時には、多くの話題があります。オフ会のことをミーティングと呼んでいるのですが、ミーティングを開催した場合はいつも早い時間に開始しても最終電車で帰るほどですね。
皆で持ち寄ったたくさんのノートブックをテーブルの真ん中に象徴的に積み上げて焚き火のように囲みながらいつも話し込んでいます。
面白いことにミーティングの最中は「ノートブックそのものの話題は少ない」ということです。つまり皆は、映画や音楽や旅や演劇やダンスや個人的な趣味などなど、ノートブックの表面に書かれていることを中心に話しあっています。以前関西で28時間耐久ミーティングというのを行ったのですが、ずっとしゃべりっぱなしでしたね。

当サイトNotebookersは、そのような多くのノートブックユーザー達に共通の話題を提供するために立ち上げました。ソーシャルネットワークやオフラインを通じて、ノートブックの愛用者やそれらについて語ることを愛している人々72人を募集しました。そのライター達を通じて、ノートブックを中心とした記事を書く・話題を提供するために運営しています。
当サイトのコンセプトは「ノートブックそのものよりノートブックを使うその人が面白い」という考え方のもとに成り立っています。つまり、そのノートブックに書かれている「個性的な自分自身」に注目している視点を持っています。
ノートブックのユーザーが何を見つめているのか?何を愛しているのか?
そしてその愛用するノートブックには何が書かれているのか?そういった内容を中心に書いています。
Howtoを書くことを目指しているわけではないので、手帳術やノート術といったような書くためのテクニックを求めて来られた方は物足りないかもしれません。

ノートブックの本質は「遊び」にあると考えています。
「遊び」とは楽しいと感じること、または楽しいと感じる誰にも強制されない自由なアクションのこと。僕は、自分が面白いと感じる「遊び」を選んでいったら、自動的にノートブックにたどり着きました。ノートブックは最高の遊び道具です。ピース。

 

 

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AirPlay環境をつくってみる

Posted on 15 2月 2013 by

AirPlay環境

モレカウです。あまり物珍しいネタでは無いけれど、誰かの役に立つと思うので書いておく。
普段から頻繁に話しているのですが、めっちゃ音楽好きです。
今日は無線で音楽を飛ばして再生できるAirPlayについて。

部屋の中の機器環境や配線などをやたらと改善したくなる時期というのが定期的にある。
移動先や作業の際にいろんな通信機器や端末を使うことが多いので、配線状況や割り当てられたローカルのIPアドレスとかMACアドレスを頻繁にノートブックにメモしていることが多い。
どちらかというと映画を観たいというよりは、部屋の中にある光入力の無いオーディオ機器に、音楽をiPhoneやMacやWindowsから無線で飛ばして聴きたいということもあって、だいぶ前だけどAppleTVを購入した。それからというもの、音楽環境に非常に満足している。

部屋の中で無線LANで使っている方は、オーディオのスピーカーをそのままAirPlay対応にできるので、iPhone等を持っている方はオススメする。AirPlayは音質も良くていいね。机とかベッドにいる時に、iPhoneとかでさらっと音楽飛ばして遠くのスピーカーで鳴らすことができる。部屋の中にいくつかスピーカーを配線しておくと、台所で料理しながらとか洗濯しながら、どこにいても音楽が聴こえてくるのが楽しい。

 

購入したもの

—————————————-
合計:14099円

配線方法は上の写真を参考にしてみてください。
ようするにAppleTVを無線でつないで、D/Aコンバーターをつないで、オーディオとテレビの外部入力へ配線するだけでOK。
※念のために注意ですが、光入力があるオーディオ機器の場合はD/Aコンバーターとオーディオケーブルは不要です。
※D/Aコンバーターはピンキリでいろいろあって、Cypress デジタルーアナログオーディオコンバーター DCT-3:3570円というのもあるよ。

 

AccuRadioのChillのチャンネルをAirPlayで流しっぱなしで過ごすのが好き。
AppleTVからオーディオで重低音聴かせながらhuluで映画も見れるのでうれしい。
huluでSTARWARS配信されないかな〜。

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2013年度Notebookersライターが決定しました

Posted on 23 1月 2013 by

 Notebookers_midashi

2013年度Notebookersライターが決定しました。

さて、Notebookersも2年目に突入です。
1/1〜1/14まで行った2013年度Notebookers新ライター募集にて、新年度ライター53名のエントリーが確定しました。これでNotebookersのライターは総勢124名になりました。
新しく参加されるライターさんのリストを掲載しておきますね。知っている方はいますか?

既存メンバーのライターさんは先輩として、新しいライターさんを優しく手助けして頂けると助かります。

Twitter Notebookers Name 記事へのリンク
@t1886 t1886 read
@lordnakasy なかしぃ read
@sala_ky Kyrie read
@aooooon なかむら真朱 read
@ieneko7 千尋 read
@ehagaki_hana エハガキ華 read
@krav_dima read
@7colors_diary さや read
@tnao なお read
@ixxParadis イーパラ read
@s_100k ひゃく・ひろし read
@kaede_lily かえで read
@maity522megane 藤吉まいちゃら read
@fair_sg しろ read
@halunautausagi ハルナうたうさぎ read
@praline_31 saki read
@peony_mellow mellow read
@yasu_yas ヤス read
@chaachii まみ read
@hisash22 アンナ read
@cn_merry かな read
@mitsuruk43 ミツル read
@motizuki 望月蒼 read
@whimsin garyou read
@x_xshiorix_x しおり read
@SALLAcreme サラ・ブランクス read
@jayjaysai jayjaysai read
@mr735 じゅん子 read
@pom_638 ぽむぽーむ read
@AKISUZU888 AKI read
@ryuge98544933 りゅ read
@pandora1010 あっこ read
@Shokun1108 Shokun read
@pata0406 ぱた read
@kunoichi_a くのいち read
@mor_whisper mor read
@karma_rain MasatoKei read
@doggyaholic あや read
@y_kimu08 kimu read
@Aym_drops read
@pecora_wolf おおかみ read
@xiangxiangx テケテンテン read
@hibi_hayano hayano read
@merorionsa めろ read
@akiko_s85 タビウサギ read
@sap_5 ゆりゆり read
@pukuryo ふくだりょうこ read
@niko231 niko read
@YOKOnotes YOKO read
@mokyun もきゅん read
@masayasu_s まさ read
@jq2aok yasu read
@ryu2kudoi Ryu16.くどい。 read

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世界の果てまで歩く人のハンドブック

Posted on 05 1月 2013 by

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学生の頃、札幌郊外の豊平川の河畔で学校帰りによく本を読んだりして過ごすことが多かった。それはとても大きな河で、くもり空の時などは、向こう岸が、霧がかってよくかすんで見えた。時々、好きな女の子を連れて行って夕方になるまでそこでくっついて過ごした。周囲では車の音などは聴こえないので、ものすごく静かな場所で、自分たちが話す声も必要以上に大きな音に聴こえることもあった。
向こう岸では、荒野に建てられた清掃工場の煙がもうもうと立ち上がっていて、その巨大な建造物はまるでお城のようだなと思った。当時、車の無い自分たちにとっては、その河を渡るにはものすごい遠回りをしなければならないので、自分たちのいる河川敷が、ある意味そこが「世界の果て」に見えた。
今でも、ちょくちょく時間を見つけては、その世界の果てに建っている城を見に行っている。見る度に、やはり孤独な煙をもうもうと空に向かって吐いていて、なぜかとても安心する。そして、いつでも世界の果ての城が荒涼な大地に建っているのを確認して、しばらく眺めては立ち去るのをくりかえしている。

先に書いておく。
この「世界の果て」という場所にものすごく興味があって、歩いていこうとしている。
「世界の果て」ということばについて調べている時に知ったのだけど、アルゼンチンには「世界の果て博物館(Museo del Fin del Mundo)」というのが存在している。ここにはアルゼンチンのフエゴ島の氷河の近辺に住む、クジラの獣脂を体に塗って裸で住んでいた異形の先住民ヤーガン族やヤマナ族の資料がある。
やがて、アルゼンチンのフエゴ島「ティエラ・デル・フエゴ」は「炎の島」という意味であることを知った。かつてマゼランが海域を船で渡った時に、海面から島々を眺めた時に、紺色の闇の中で、先住民達が燃やす大きな炎が見えたことに由来している。
マゼランが眺めたように、星の海を横切る船上から、地平線で燃え上がる未知の炎を見つめるというのはどんな気分なんだろうと、ずーっと考えていた。世界の果てに住む人々の炎のことが頭の裏側に焼き付いていて、以来そのことを考えている。

最近出会う人に、自分がたびたび相手にする質問があって、「あなたの世界の中心は何(どこ)ですか?」と尋ねている。それは家族であったり、熱中している趣味であったり、恋人であったりする。人によって世界の中心は変わる。では、世界の果てはどこだろう?これまた、答えは幾通りもあると思う。10代の頃はただの河川敷が世界の果てだったように、今でもちゃんと存在している。
旅に出るには、お気に入りのコップや本など必要なものがあるように、世界の果てに向かうには、それなりに必要なものがある。まずその一つは「態度(アティチュード attitude)」である。

最近、「態度(attitude)」ということばが妙に気に入っている。普段の生活の中で、どのような姿勢を持って生きているのかということ。今自分が住んでいる世界の中でどのような態度でいるか?そういうこと。この「態度」に関しては、割と特殊な考え方をする方だと思っているので、そのことについていろいろ書いていってみたいと思う。
「態度」は大切なことだと思う。例えば、仏像を彫る彫刻師は仏を彫る前に身を清める。「祈り」を彫るためには、その態度が「祈り」に近いことが必要。何かを作り上げるには、作り上げる対象に自分自身を近づけることが必要だったりする。世界の果てに向かうには、世界の果てに近づくための態度やスタイルが必要であると思う。自分が所有している態度やスタイルが、自分が気に入って選択するものを決定していくと思う。態度が自分の武器を決めてくれる。世界の果てまで歩いていくための食料をゲットしてくれる。態度は大切である。「態度(アティチュード)」は「飛行姿勢」であり「スタイル」であると言ってもいいと思う。こういった態度は、自分が選んできたものや感じてきたものが作り上げていると思う。

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自分が生きていくための「態度」は、10代の頃、ヒッピー・ムーブメントに関する本やビートニクなどに触れてから、だいぶ影響を受けたと思う。これらの文学に触れてから、自分を集団から切り離して考えることが多くなった。みんながどのように考えているのかについて考えなくなった。例えば、テレビなどのメディアを通じて、多くの悲しみが伴うような一つのニュースが流れるとする。そのことで「集団全体が悲しみに包まれている」というような考え方をしなくなった。例えばオリンピックやスポーツ中継についても同じで、メディアを通じて集団全体がひとつの歓喜に包まれるという考え方があまり好きではない。
以来、メディア自体が描くものにあまり興味を持てなくて、自分が目でみたり、感じることに静かに集中することが多くなる。ノートブックを通じて、感じたことを書き、自分がどのように思ったのかを詳細に書き留めていった。結果、一人でいることが多くなり、調べ物が増えた。「調べること、知ること」が自分の生活の中心になっていった。

一人でいると、いろんな本に出会うことになる。
リチャード・バックの「カモメのジョナサン」の中でも書かれているけれど、ジョナサンが群れから追放された後の住処である「遥かなる崖」のシーンがとても好きだ。追放されたジョナサンは、孤独を感じるよりも、一人で飛ぶ練習をする喜びを得ていく。くもり空を静かに飛ぶジョナサンと、モノクロームのカモメの写真が印象に残る。なんとなく、ジョナサンに自分を重ねて、少しずつ少しずつ、世界から自分を切り離していく練習をした。
ある日、リチャード・バックの「イリュージョン (村上龍 訳)」に出会ったときは衝撃的だった。
当時、東京に1年ほど住んでいて、趣味といえばピンボールとバイクくらいで、どうにも眠れなくて六本木の遅くまでやっている本屋で文庫本を漁っていたところこの本に出会う。読み終わった時、ぽかんとする程ビックリしたのを覚えている。詳細については省くけど、この本との出会いですべてが変わってしまった。今、モレカウをやっているのもすべてがこの本がきっかけだと思う。自分が世界の中でどのような「態度」でいるべきか、この本にほとんど書いてあった。ここで学んだことは「俺も好きにするから君も好きにしなさい」ということ。

ヒッピーのムーブメントについて調べていくとたどり着いたのだけど、アメリカ北西部の真っ白い塩の平原であるブラックロック砂漠で行われている「バーニング・マン」に興味を持った。バーニング・マンの参加者達は「 Burner (炎を燃やす者)」と呼ばれ、何もない塩の荒野に円形の街を作り上げ、そこで自分を表現しながら生き抜く。そして最後に、すべてを無に還すべく街の象徴である人型の造形物「ザ・マン」に炎を放つというイベントである。この特殊な環境の街では、貨幣経済が禁止されており、見返りを求めない「贈り物経済」で運営されている。これらは、物々交換や物とサービスの交換すら行わず、ただ相手に与えることを目的としている。
これらの大規模なイベントは、そもそもが、たった数人が始めた行為であることに興味を持った。「浜辺で人形のオブジェクトに炎を放つ」という単純な行為が一つのムーブメントとなって、大規模な人数になり、最終的に法執行機関に中止を求められた結果、ビーチを後にした集団が隊列を組みシェラネバダ山脈を越え、ブラックロック砂漠に集結し街ひとつを作り上げ、さらに大規模なものとなっていった。

これらの砂漠に存在する街のように、世界から自分を切り離して、そして荒野の果てで独立していくという行為のことを考えると、自分はものすごく興奮するタイプであることを知った。「荒野の端っこで燃える炎」のことを知った時、これだと思った。これが自分の「態度」であり「スタイル」であると感じた。
集団の中で自分がいる場所がないなら、世界の端っこまで歩いていって、そこで炎を燃やしてたき火のような人であるといいなと思った。それが大きな炎であるかぎり、誰かを呼び寄せる。しかも世界の果てで燃えるたき火。

「人は自分の中に音楽を持っていて、外側からの音が内側の音と一致するときに、音楽的な至福を感じる」ということばがある。このことばを知った時、自分の中に小さな炎を灯るような「よい気分」がした。なるほど、良い音楽を聴いた時に、妙にしっくりくるのはそういうことかと腑に落ちた。

何を選べばわからないときは、自分の内側と一致する外側のものを選べばいいんだなと思う。「世界の果てで燃える炎」が自分の象徴であり「態度」だと思う。自分の内側にぴたりとハマってしまった。この炎が自分の、道標になって自分の内側と一致するものを照らしてくれている。あとは見上げながら歩くだけ。またそういう人であるようにいるだけ。寒い時には暖も取れる。以来、船乗りの歌や北極星のように、目印になっている。
飛行姿勢を保つ。すると、飛んでいける。

How many miles to Notebookers.jp?
ここがあなたの世界の果てのサイトでありますように。

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モレカウの小物紹介

Posted on 02 1月 2013 by

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文具好きの人に多いと思うのだけど、ポケットに入るような小ささの小物雑貨が好きな人が多いのではないかなと思う。
モレカウは、比較的普段の生活の中で必要にかられて増えていくことが多い。
Notebookersの連結スタンプは、この前の石けん作りでの刻印のために東急ハンズで買ったもの。一文字210円ほどした…

右側の真鍮のテンプレートは、All Ordinariesで売っていたもの。上からスプレーでぷしゅっと塗料をかけたり、ペンでなぞるときれいに文字をレイアウトできる。とある作業で使用したのだけど、近日トラベラーズノートの革の表面に文字を印字するのに使ってみようかなと思っている。

モレカウの記事ではおなじみのダイスは、カジノで使用されているもの。すべての目が同じ比重のプラスチックで埋められているので、理論上すべての面が同じ比率で数値が出現する。

Appleのキーリングは、Macを購入した時に知人がプレゼントしてくれた。Apple本社の売店で売っているらしい。

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ビクトリノックスの「ソルジャー」とLAMY Picoが同じサイズであることに気付く。
ソルジャーは、机の上の作業に向いているツールだと思う。鉛筆を削ったり、文具のカスタマイズに使ったりする道具として美しいなぁといつも思う。平たい部分で釘を打ったせいで微妙にへこんでいるのが愛らしい。刃の根元に製作された年代が刻印されている。1995年に作られたものを愛用しているので、かれこれ18年ほど愛用していることになる。何本もの鉛筆を削っている。

LAMY Picoのボールペンは、どこにも角がないのでポケットの中でのおさまり具合がちょうどいい。
どこかで読んだけど、Picoは女の人がハンドバックの中に忍ばせるためのデザインであると読んだ気がする。そうなると必然的に胸ポケットに留めるためのクリップ部分がいらなくなるという考えに至る。丸みを帯びていながら、机の上で転がらないというプロダクトデザインとしても美しい一品だと思う。

カフスボタンはシンプルなポール・スミスのものを愛用している。一度壊れてしまったのだけど、ショップに伝えたところなんと新品に取り替えてくれた。それ以来、スーツのときのシャツの袖にいつも収まっている。

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LAMY スクリブルは、落書き専用のペン。手に持ったときの全体的な重心のバランスが非常に使いやすい。
スケッチする時みたいに逆手に持って利用することも考えられている。そのためクリップ部分が手に当たらないように外せるようになっている。
最近では、ジェットストリームの1.0mmのリフィルを挟んで使っている。いつもLAMY製品を眺めては思うのだけど、樹脂の部分と金属の部分のつなぎ目が美しいなぁと思う。

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身につけるものや持ち歩くものは、銀色か黒色のものを集める傾向にある。銀色や黒色の好きなところは、たたずまいが静かなところだと思う。
同じ色や雰囲気を持ったものを集めて、部屋の中のトレイに乗せておいて出がけに、その日の気分で身に付けるものを選択するというのが好きだ。

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ワードローブ的モレカウのデスク紹介

Posted on 02 1月 2013 by

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ものすごく書きたいことがあるわけでもないのだけど、
久しぶりにこのデスクでのんびりしているのでさらっとデスクについて書いておく。

文具好きなんだけど、実はあまり机らしい机は普段使っていない。
手描きで何か描きだすのは普段のモレスキンの紙の上でしかないので、色とりどりの鉛筆やサインペンを並べたデスクにも憧れるのだけど、あまりそういった雰囲気にならない。どちらかというとデジタルツールを使うための用途のデスクにしていることが多いかも。端末はWinも使うし、Macも利用している。
時には、段ボール箱をひっくり返して、上に端末を置いて使っていることもある。
iPod 60GBとか古いiPhoneなどは、机の近辺に数台並べてあって音楽を聴くためのデバイスとして置いてある。
ドックを通じて、部屋中にあるスピーカーに連結している。最近では、appleTVを利用してAirPlayで音楽を聴くことが多いので直接デバイスを再生することも少なくなっちゃったかも。iPhoneからACCURADIOをAirPlayで飛ばして再生している。

照明は、蛍光灯はあまり落ち着かないので、スポットライトの電球1個をつけてるだけ。
薄暗い雰囲気が好き。

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ポストカードを集めるのが趣味で、いろんなところで数枚買っておいたり、もらったりしたものを並べて、コーヒーでも飲みながら眺めていることが多い。ポストカードは、普段よく会う友人に送ることが多いかも。ふだんから、その辺の原っぱを散歩したりしている時に、旅行をしている気分で、ボルドーのインクでさらっと書いて、そのままポストに投函してしまう。

デスクの上に、自分のお気に入りのものが並んでいる光景は、コーヒーのつまみになる。
時には、自分のお気に入りのアーティストの絵を印刷して壁とかデスク周辺に貼っておくだけで居心地がよい。
ただの紙切れひとつが、自分に与える影響は大きいと思う。
その昔、古いオートバイがものすごく好きで、トライアンフとかノートンとかクラシックなオートバイのピンズを集めるのに凝っていた時期がある。ジャラジャラっとまとめて瓶の中に詰めておいてあって、ときたま取り出して眺めるのも好きだ。

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椅子は、長年イームズのシェルサイドチェアを愛用している。ハーマンミラーのレプリカで、ベースはエッフェル。
もともと、ホワイトだったんだけどかれこれ15年くらい使っていたらクリーム色になってしまった。
これまた長年愛用しているぼろぼろのマーチンのブーツ。最初買ったときはつやっとしていたけど、くたびれ感が妙に気に入ってる。後ろにあるのは、ゼロハリのアタッシュケース。
こうやってみると、モレスキンもLAMYのペンもブーツも自分にとってみればワードローブの一つなんだなぁと思う。

 

 

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2013年度 Notebookersライター新規募集

Posted on 01 1月 2013 by

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2013年度 Notebookersライター新規募集を開始します。
期限: 1/14 23:59まで
多くの参加を頂いた場合は抽選となります。
希望の方はフォーム入力をお願いします

締め切りました!
たくさんのご応募ありがとうございました。全員採用させて頂きます。
登録完了後、順次連絡先メールアドレスに追って連絡致します。
数週間程お待ちください。

 

 

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2013 モレポケカレンダー 完成しました!

Posted on 31 12月 2012 by

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2013 モレポケカレンダー 完成しました!
切れ目を1箇所入れて、山折り、谷折りで作ります。
ブックレット型のモレスキンのポケットに収まるカレンダーができあがります。
モレスキンのポケットに入れて使ったり、各月を切ってページに貼ってお使い下さい。
※作り方は一昨年のものを参考にしてください フチ無し印刷がおすすめ。

ダウンロードはこちらから↓ (140メガくらいあります)

download

 

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手作りNotebookers石けん

Posted on 04 12月 2012 by

モレカウです。
NotebookersのサイトのノベルティとしてNotebookers石けんを作っていた。
映画「ファイトクラブ」を観てから、ずーっと石けん作りしてみたいなぁと思っていて、最近日中がヒマなので、えいやっと試してみたところハマってしまった。それからいろんな油を使って試しては化学実験している感じ。これがね〜、なかなかおもしろい。
手作り石けんを試してみたところ、市販の石けんに比べて泡は控えめなんだけど、使うと肌の表面に薄くオイルコートしたみたいでとても肌触りがよい。
さて、熟成も終わり、Twitter限定で限定4個の応募をしたところ、54名の応募があって、当たった4名様は本当にラッキー。近日郵送しますのでお待ちくださいませ。

そもそも石けんというものがどのようにできているのか知らなかったのだけど、油と水酸化ナトリウムを混ぜて固めて熟成するだけでできてしまう。

いろんな資料を読んでみて、手作り石けんを作るための式みたいなものをノートブックに最初に作っておいたので作業がとてもスムーズだった。

例えば、油(x)グラムに対して水(y)グラムは、x*28/72=yで計算できる。
例:600gの油に対しては、600*28/72=233gの水が必要

対して水酸化ナトリウムの量は、けん化価*40/56.1*0.9*x/1000 で求めることができる。
けん化価というのは1g の油脂を鹸化するのに必要な水酸化カリウムや水酸化ナトリウムのミリグラム数のこと。

けん化価 例:
オリーブオイル:191mg
ココナッツオイル:258mg
アーモンドオイル:194mg

以上により、オリーブオイル600gでの石けんを作る場合
191*40/56.1*0.9*600/1000= 73.5g の水酸化ナトリウムでできる。

牛乳1パックで作る簡単オリーブオイル石けん作り手順

  1. 水酸化ナトリウム73.5gをガラス瓶に入れる。
    ※注意:水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)は劇薬です。素手で触れてはいけません。アルミはNG
  2. 水233gを水酸化ナトリウムの入った瓶に入れて混ぜる。
    ※この時発熱するので注意。目に入らないように注意してください。メガネなどや作業用ゴーグルをつけると良い。
  3. オリーブオイル600gを40度くらいに湯煎する。
  4. 水酸化ナトリウムの入った瓶を冷水につけて40度くらいに冷ます。
  5. ステンレスのボウルにオリーブオイルと水酸化ナトリウムを入れてかき混ぜる。
  6. 30分くらい本気で混ぜる
  7. 10時間くらいの間、時々思いついたらかき混ぜる感じで放置
  8. 表面に雫で絵が描けるようになったら型入れ時
  9. 蜂蜜大さじ1.5杯、お気に入りのアロマオイル20滴くらい混ぜる
  10. 牛乳パックに注ぎ込む
  11. あたたかいところで、固まるまで数日間放置
  12. 後日固まったら切り分けてスタンプを押す。28日間くらい放置して熟成
  13. できあがり

石けんに型押ししたスタンプはこちら。
1文字別の連結スタンプを利用してみた。1文字200円くらいする…

型押しするとこんな感じ。

切り分けるとこんな感じ。熟成させると「きんつば」みたいになる。食べれそう。

耐油紙に包んで、毛糸でひもを縛ると雰囲気が出る。
手のひらサイズのコンパクトな姿に愛着が湧く。

ちなみに、石けんを手作りすると女の子ウケがとても良いので、男子諸君におすすめする。
たくさん作ったのに、4個しかプレゼントできなかったのは、身近の女の子に「俺さ、石けん作ったんだけど使ってみて。そして、君の肌がどれくらいつやつやになったか教えてよ。ベッドで」と言いながら渡したのは内緒である。

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Notebookersからのアンケートのお願い

Posted on 23 10月 2012 by

Notebookersからのアンケートのお願い

http://notebookers.jp

当サイトでNotebookersらしいと思う記事を教えてください!
形式問わず。なんとなくでOKです。
例えば、「ノートブックの面白い使い方のヒントになった記事」 とか「ノートブックを使う人っておもしろいなーと思った記事」etc…
記事のURLを、さらっと一言を添えて送ってくださいませ。

↓連絡先はこちら

■Twitter: @blanq
■メール:info@notebookers.jp
■もしくは、この記事のコメント欄に投稿

なおこのアンケートは割と重要なものに使われます。
もちろん楽しいことに使います☆

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アウトドア文具術

Posted on 10 9月 2012 by

こんにちは、モレカウです。
この夏は、t.freeのテザリング環境のおかげでものすごーくアウトドアを満喫できた。いつでも、好きな場所にいることができるのはしあわせなことだ。今まで公衆無線LANを使って接続が中心だったので、ベースキャンプは主に街中だったんだけど、どこでもネットに接続できる環境を手にいれてから、主に原っぱになった。

野外で文具やPCなどを使う方で役に立つかもしれないので書いておく。

実は写真のテーブルは公園のベンチ。
椅子を隣に設置するだけで、手頃なテーブルに早変わり。車の中に、高さの違う2台の椅子をいつも積んでいる。大きな椅子をテーブルにして、小さな椅子に座って作業することもできるのでおすすめ。もしくは芝生に座って、小さな椅子をテーブル代わりにするというのもよい。

野外において紛失すると見つけ出すのはなかなか困難。
文具については常にコンパクトになるように、雑多なものはひとつのパッケージになるようにまとめておく。使い終わったら必ずもとの場所に戻す癖をつけておく。
デルフォニクスのビニールのパッケージはいろいろなサイズがあって使い勝手が良い。
最近購入したつくしペンケースもお気に入り。収納能力と畳んだときのコンパクトさが最高。

背もたれのある小さな椅子は便利。パタッと背もたれを倒すと普通のテーブルのように活用できる。

封筒型の寝袋をひとつ積んでおくと、固い地面で作業する際のクッション代わりになるので便利。寒いときは広げて、毛布代わりにもなるし、下に引いてピクニックシート代わりに。誰かといっしょに包まってもよい。

朝日を浴びながらガラスのピラミッドを見下ろす。
原っぱや好きな場所に、いるのが好きだ。自分がいるべき場所をつくりあげて、とてもとても大切にしてみよう。都会の中の一点でもかまわないと思う。そして、そんな愛すべき場所ができたら「ベースキャンプ」と呼んでみよう。日常の中での旅を楽しんでください。

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クリスマス・モレスキン裏話「かんざし」の話

Posted on 13 8月 2012 by

最初に告知!

多様な変化を見せるクリスマス・モレスキンは久しぶりに東京に帰ってくることになった。
Notebookersのライターである@midori9binさんと@kotori1982さんの二人展の会場内で設置して頂けることが決定!!

 「アートライフ2人展」

日時:8/18(Sat)〜8/26(Sun) 11:00-17:00
場所: 河の手ギャラリー 神奈川県海老名市河原口(かわらぐち)1丁目21-20 厚木駅下車徒歩2分
TEL: 046-235-8446
※詳細は@midori9binさんブログまで: http://ameblo.jp/tukurinbo/
※メールでの問い合わせ:midori9bin@gmail.com  まで

 

改めて「クリスマス・モレスキン(通称:クリモレ)」について書く。
当サイト管理人ことタカヤは、クリモレのオーガナイザーである。
そのため、このノートブックを遠くから常に見守っている。

クリモレは、旅をするモレスキンノートブックに「クリスマスの思い出」のことを書き続けていこうというコンセプトの元 生まれたノートブックである。主にカフェに設置されたり、各国の担当者といっしょに旅をして様々な人々に出会っては、暖かなメッセージやイラストレーションや切り絵やコラージュ多種多様な思い出が書き込まれている。

今では、ぶ厚いのが3冊になってます。

札幌から出発して岡山・大阪・東京・兵庫・ロンドン・イタリアのモレスキン本社・再び東京・再び札幌・京都・エジプト・ドバイ・福岡・ベルギー・バンコク〜と旅をしていて、最近はカナダのバンクーバーでお世話になっている。すこし自分の分身のような気分がしているので、このノートブックが遠くで旅をして多くの人に出会うことは本当にうれしい。まるで自分が旅をしているような気分になるのである。少なくとも、このノートブックに奇跡的に出会って、そこに何かを書き残した人は同じように感じているのではないかと思う。

さて裏話。
昨年9月にダイヤモンド社より出版された「モレスキン 人生を入れる61の方法」の著者をさせていただいたのだけど、そこにクリスマス・モレスキンについて書いたページがある(194ページ)。実はこのページは最初クリスマスモレスキンのゆかいな旅について触れようと思ったのだけど、何回か原稿を書き直しているうちにやめてしまった。
いろいろと考えた結果、最初にトルーマン・カポーティの「あるクリスマス」の引用をして、クリスマスのことを書いて、最後にほんの少しクリスマス・モレスキンに触れただけにしてみた。
自分の中で、このノートブックについて、説明をしきってしまうのがあまり好きじゃない。

昔からの古い友人で、世界の数カ国を旅する友人の女の子がいる。
札幌に立ち寄った時に必ず声をかけてくれて、いつも軽く一杯やるのだけど、その度にみやげ話が楽しい。彼女がひとつの場所に滞在して、そこから場所を移動する理由はただ一つで「知り合いができて、その町を案内できるようになってしまったら悲しいけれどその場所から去り時なの」という。
時折赤い布を引っ掛けたマサイの男が槍を持って、ライオンのいる草原を一人で歩いていくのをよく見かけたらしい。現地の言葉で話しかけてみたところ彼は「ライオンなんて怖くないぜ」と言い「毎日、ただ普通に暮らしてるだけさ」と彼女に向かって熱心に話した。
いろんな町の空を見続けるのが彼女の旅である。そんな話を聞きながら、軽く嫉妬する。

「クリスマスの思い出」を書き留めるというコンセプトのノートブックが、世界の多様な人々に触れる度にそのコンセプトを保ったまま、同じく多様な姿に変わっていくのは、まるで一人の人のようだなぁと思った。遠くでだれか友達を作って、その人の孤独にほんの少しだけ触れて、また旅をするために立ち去る。そんなかんじ。一人の旅人について、語り尽くすというのは難しい。一人の旅人について、説明するというのは難しい。
「クリスマス・モレスキン」というノートブックは、軽やかなステップで移動して、いろんな町の空を見続けていて、いつも軽く嫉妬している。

このノートブックには、ほんの少しだけ仕掛けがあって、開いた人だけが知ることのできるサプライズを含んでいる。最初の1冊目の数ページを読むとそのサプライズについてわかるので、いつか出会ったときは味わってみてほしい。
遠くの誰かを喜ばす「サプライズ」というものは、とてもとてもしあわせなことだ。
このとてもとてもしあわせなことも、地平線の向こう側の誰かが、ひとりのときにふと考えたことで、これも孤独の一種である。このノートブックを目の前にしたときの遠くの誰かの孤独は、姿を変えて、遠くの誰かをとてもとても幸せにする。ふしぎなもんだ。

 

クリスマス・モレスキンの中にはいくつも秘密があって、そのうちのひとつに「かんざし」がある。
これは僕の仕事の関連で、札幌のかんざし職人ツバクロさんに出会ったことがきっかけ。
世界を旅するクリスマス・モレスキンについて説明したところ、モレスキンラージサイズにぴったりのしおりとして使うことのできるかんざしを作ってくれた。彼は、札幌のとあるスープカレー屋さんのマスターであり、かんざし職人という変わった経歴を持っており、 スープカレー屋さんのカウンターで話し込んで、自分の経歴も話して意気投合。モッズの姿でヴェスパを乗り回し、ボー・ディドリー風の四角いギターを愛用し、ジャポネスクを愛するかっこいい兄さんなのである。深夜の公園や居酒屋で、何度かの打ち合わせ(飲み会ともいう)を行い「クリスマス」をイメージしたデザインでかんざしを作ってくれた。

彼のかんざしの製法として、一枚の真鍮を削りだすところから始まる。
たまにお店に顔を出すと、カウンターの奥でお客さんのいない時間にヤスリで愛おしそうに金属を削っている彼の姿を見かけることがあった。何日も何日も、この一本のかんざしの前で時間を費やしてくれたのを知っていたので、麻の布で丁寧に包まれたものを紐解いて、現れた姿に驚いた。緑と赤に彩色された玉の部分は黒檀を削って丸めて、日本画で使われる鉱物から作った顔料で、クリスマスをイメージして緑と赤で彩色したと聴いた。絶妙なのはその全長で、ちゃんとモレスキン・ラージのサイズにぴたっと挟まってブックマークとして使えるように長さを調整してくれたとのこと。
たった一枚の真鍮の板から、このような面をもった一本の曲線を削りだすというのは、どれくらいの時間がかかるものなのだろうか?そういうことを考えながらかんざしを眺めると、とても愛おしく見えた。

完成した一本のかんざしを受けとった時に、以下の言葉が添えられていた。

かんざしは、旅先でじっさいに使ってくれると嬉しいです。
旅先で、誰かの姿に留まることができたなら、とても幸せなことです。

その後、京都にクリスマス・モレスキンが滞在した時に、担当してくれた@riccasnowさんから一通の写真が届いた。

着物姿で、「モレスキン 人生を入れる61の方法」の発売日に、着物姿でお出かけして写真を送ってきてくれたのである。
※色っぽいうなじにも注目。

ツバクロさんは続けてこのように語る。

「一本の細長い棒には神が降りると信じています」日本では古くからそう信じられ、簪の由来でもある。邪気をも払うその道具は豊かな気候風土に恵まれるこの国で、感謝し培った感覚を形にし 発展してきた日本人のきれいな心で目の前に在る物と接していたいという気持ちが簪に現われているそうです。
簪の形のモチーフに耳掻きというのがあります、旦那様を膝枕して耳も掻ければ尖った先端で喉も突ける、この話しを聞いた時、女性の「情念ある道具」だなと簪という物に興味を持ちました。
19世紀中頃のヨーロッパにおけるjaponismeには日本のデザインの構図、生活と思想について取り入れるという動きがありました。彼らの目には新鮮で斬新、静粛さと落ち着きを持ち合わせた不思議な国と映った様です。日本の核心に触れようと真摯に向き合い取り組んだ 文化に富んで美に長ける国々に感謝と感銘を受けます。まさに今 私たちが日本について知るべきです。

簪作家 ツバクロ 1974/5.21
kanzashi簪tsubakuro 代表

日々の綴り http://japon.tsubakuro.co
kanzashi@tsubakuro.co

 

「クリスマスの思い出について書き留める」
そのように始まったクリスマス・モレスキンだけど、多くの人に出会って多彩な変化をしている。
あなたが出会ってそのページをめくる時、多くの言語で書き込まれ、多彩な方法で書き留められたページに驚くかもしれない。
日本に帰ってくるのは本当に久しぶり。そしてわずかな期間での東京滞在となるので、ぜひ河の手ギャラリーに足を運んでみてね。

海外の人からみたクリスマス・モレスキンはどのように映ったかな? 日本の雰囲気も伝わっただろうか。
自分もふたたびこのノートブックに再会して、書き込まれている内容をゆっくりと見るのを楽しみにしている。

クリモレはまだまだ秘密が隠れています。
クリモレのゴムバンドに留められた「黄色い小鳥」の冒険についても書いてみようかな。

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考え事をキャッチする壁画的ノートブック

Posted on 01 8月 2012 by

Notebookersに投稿する内容については、もうちょっと気軽に書いてみようと思う。
少し離れた友人に向けて書くように、ことばを選んでみようかな。

 

この時期、いつも外でノートを書く機会が多い。
自分の生活時間が少々変動的なこともあるのだけど、日中ぼんやりと外にいることが多いからだと思う。大半は、本数册を持って原っぱにいる。自分のノートブックは、何か考え事をしているときに少しずつ埋まっていく。本を読んでいるときは、やはり考え事をすることが多くて、その度に手を止めて、ノートブックを開いて、ぐしゃぐしゃと書き込んでぱたりとしめて、再び本を読むような動作をくりかえしている。何冊か同時進行で読むので、本を交互に手に取って読んでいたりする。
端から見ると、本数册を目の前にして、数ページぱらぱらとめくっては本を閉じているので本を読んでいるのか、ノートを書いているのかわからないと思う。
読書というよりは、何かを探していることに近い。

 

 

自分のノートブックは、考え事を記録するというよりは、空中にふわふわと浮いているなにかを捕まえるためのノートだと思う。なので、後で読み返すということがない。
文具的なプロセスで「Think -> Catch -> Draw -> Stock」というのがあるのだけど、このCatchの部分にたぶん重点を置いているのかなと思う。なのでDrawもStockも中途半端で終わる。ページに残っているのは、書きながら考え事をしているときの痕跡が、まるでページを汚すように残っているだけなのさ。おかげで、ミーティングで出会った人々に自分のノートブックを見せているときに、解説がどうしても必要になってしまう。

 

 

最近、ライアル・ワトソンの「アフリカの白い呪術師」という本を読んでいる。
16歳の時にナイフと塩だけを手にして、アフリカのブッシュに徒歩で入って行った白人の男の話。彼は荒野を歩いている時に洞窟でずっと大昔の人々が描いた壁画に何度か遭遇するのだけど、その時の解説が面白い。
アフリカにおいて、一つの洞窟で描かれる絵は一つの時期に描かれたものだけではない。いくつもの時代に渡って描かれていることも多く、2色で描かれた狩りをする人物たちの上に、1色で描かれたジャッカルが重なっていたり、多くの色をつかったインパラが描かれていることがある。描く時に使われた染料などから、描かれた時代もだいたいわかっているのだけど、面白いことにこの一つの洞窟のなかで各時代の人々は、前のモチーフの上に重ねて描いているようなのである。
さて、これらの洞窟の画家たちは、既存の壁画の上に描きたがるとか、照明が暗くて気付かなかったとか諸説あるのだけど、実際にこの洞窟の壁画を観たことの無い遠くの学者が机上で考えだした説にすぎなかった。
実際のそれらの各時代ごとにレイヤーになって重なった絵画には、明らかにパターンがあった。
それらは不思議なことに、人間はオオカモシカの上に描かれず、オオカモシカが人間の上に描かれることが多かった。彼ら洞窟の画家たちは、人間の上に動物を描くことを好み、動物の上に人間を描くことを意図的に避けていたのである。
それともうひとつ。不思議なことに、ここに描かれた動物たちは「その周辺で食料としてよく求められる動物」や「食料になりやすい動物」は描かれていないこと。そして一方、「象」はその地方に多かったのだけど、ひとつもシンボルとして描かれることはなかった。

さて、この本の面白いところはこれらの内容を淡々と書いていて、それが何か?それはなぜか?という分析を行っていないことが面白いと思った。何を思うか、読者に任せている。

 

 

自分の場合は、描くことや書き出す(Write down)することは、空中に浮遊しているものを捕まえるために行うと思っている。書かれたものの上に、意図的にメモを上書きすることも多い。スケッチなども上に上書きしてしまうこともある。それらは、たぶん自分の頭の中で意図的に配置されている。特定のブロックに上書きして行くこともあるし、まったく別なブロックに描き出すこともある。
ノートブックの上で考え出したことは、どこか見えない場所にストックされていく。
描き出されたノートブックは後で読み返しても、自分でも何が書かれているのかよくわからないことが多い。自分にとって、その描き出されたものはあまり興味の対象ではないのかもしれない。冬ごもりするリスみたいに、そこで感じたものを心のどこかにストックしてため込んでおくのが好きなんだと思う。そして、ライナスの毛布みたいに、考えたことと寄り添って一緒に歩くのが好きなんだと思う。

 

 

ずっと古代の人々は、狩猟の前に考えごとをしていたと思う。
そして、考え事をからだの中にしまいこんで、よっこらしょと槍と弓を持って、空っぽの洞窟を後にして地平線に向かって歩みだしたのかもしれない。考え事をした後に、ノートブックをぱたりとしめて、その場所を離れるたびに「考え事」がくっついてくるような感じがする。自分もよっこらしょとペンをしまい込んで、空っぽの洞窟を背後にして、地平線にむかってのそりのそりと歩き出すのである。

 

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Putumayo World Beat !!

Posted on 12 4月 2012 by

“Latin Lounge”

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Twitterでは頻繁に語っているのだけど、モレカウは非常に音楽好きである。
家にいる間も、車の中でも、歩きながらでも常に音楽を聴いている。
その中でも好きなジャンルのひとつにワールドミュージックがある。

一昔前に、TOWER RECORDでそのジャケットの美しさに一目惚れしてこつこつと集めているコンピレーションアルバムのひとつにPutumayo(プテュマヨ)のレーベルがある。

“Music From The Coffee Lands”

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Putumayoというレーベルはもともと洋服屋さんをやってたDan Storper氏が自分のお店のBGMでかけるための音楽をセレクトしたことがきっかけというレーベル。旅先で見つけた世界中の音楽を、まさしく世界各国の音楽をカバーするようにセレクトしてくれている。

World Music PUTUMAYO
http://www.putumayo.com/

なんと、ホームページ上では全部のアルバムの全ての曲が試聴できます。

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“iBaila a Latin Dance Party”

“Samba Bossa Nova”

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このPutumayoレーベルはジャケットの可愛さも半端ないんだけど、収録されている選曲も非常にレベルが高いと思う。たとえばあなたが、このPutumayonoの気になる国のアルバムを選んで、その国の音楽を初めて聴いたとしても、そのすべてが何度も聴きたくなると思う。
Putumayoのレーベルはジャケ買いしてもハズレがない。

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音楽はエキゾチックな風を時々運んできてくれる。
日当りの良い窓際に座って、コーヒーとノートブックを片手にアームチェア・トラヴェリングを楽しむ人であれば、 「訪れたことも想像したこともない国の音楽」が収録されているアルバムを聴いてみるのも良いかもしれない。

例えばアラビアのアルバムだけでも現在3枚リリースされている。
アコースティックなPOPSのアルバムと、アラビック・グルーブといって思わずクネクネと体をゆり動かしたくなるような雰囲気のアルバムと、 ターキッシュ・グルーブというExophrenia(異国のことを思う病)にかかってしまいそうなアルバムの3枚。
ヨーロッパのアルバムにしても、ワインを飲みながらピクニックをするためのアルバムや、イビサを思わせるようなラウンジ系の音楽や、スパニッシュビートなアルバム、 ロマの人々の歌をPOPSに組み立てた音楽…。そのバリエーションが世界各国の音楽に及んでいる。

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“Music From The Wine Lands”

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Putumayoレーベルのアルバムは莫大な量があるんだけど、
こつこつと少しずつためて全部そろえたいなーと思っている。

ちなみに朗報。
モレカウの大好きなAccuRadioでは、
このPutumayoのチャンネルがあって無料で試聴できるのである。
World Music –>; Putumayo Showcaseのチャンネルで聴けるよ。
アームチェア・ワールドトラベラーのみんな、おいで。

http://www.accuradio.com/

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モレカウのお店紹介 Vol.2 札幌のステーショナリー&カフェ「KushuKushu」さん

Posted on 22 3月 2012 by

モレカウの札幌のお店紹介 Vol.2
※写真ブレブレですがまぁ大目に見てね

先日札幌のカフェ本をぱらぱらとめくっていたところ、
気になっていたカフェKushuKushuさんに行ってきました。
中でも目に留まったのはサブタイトルに「ステーショナリー&カフェ」と付いていたところです。そこでの紹介文には月光荘画材店のアイテムが手に入ることが書かれていました。

店内に入ると、驚き。けっこうな品揃えで文具が置かれている。

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店主の新飯田さんにいろいろお話を聞いてきました。

元はご自宅で雑貨を取り扱うショップ経営をされていたとのこと。札幌の中央区に「スペース1-15」という古いマンションの各部屋を利用し、週末だけ開店する作家たちが集まるスペースがあります。そこにカフェスペースとともに出店したことがきっかけで、このステーショナリー&カフェ「KushuKushu」開店に至ったそうです。

新飯田さんに最初ご挨拶した時に、「Notebookers.jpという72人のノートブック使いに注目したサイトの管理人をやっています」と言ったところ、ずーっとノートブックのことではなくて72人のノートPC使いのサイトだと思いながら俺と話していたそうです(笑。

近日道内の作家さんたちが集まって「ポストカード展」を行うとのこと。
ポストカードと聴いてピンと来たのですが、店主が写真家で札幌市内の風景をポストカードにして販売している店舗Pasque Islandさんの話をしてみたらやはりこちらのKushuKushuさんとつながりがあることが判明(先日文房具女子の彩織さんがブログで書いていた札幌市内の店舗です)。

店内の商品は月光荘画材店の商品はもちろん、様々な文具の取り扱いがあります。道内の作家さんのポストカード。海外の便せんやクラシン紙の封筒、ペーパーナフキン、ペンギンの色鉛筆やシロクマのメモ帳可愛かったなぁ。

店内の商品をいろいろ眺めてみたところ、イタリアのフリーペーパーや切手等を詰め合わせにした紙ものが100円で売っているのを発見。中身を眺めていると、ポストカードや古切手も入っていて、これで100円は美味しいとたくさん買い占めてしまった☆

いろいろ話を聴いていると、やはりお客さんも文房具好きの人が訪れるらしく何人か自分が知っている人が浮上(笑。特徴をいろいろ聴いたところ「ペッツに詳しく、いろいろなところでゴハンをよく食べていてモレスキンを使っている人」と聴いて@yu_star_oneさんを特定、「ゴスペルのボーカリストのモレスキンユーザー」と聴いて@fabulousWakakoさんを特定しました。やはり文具好きの人はアンテナが鋭い。

新飯田さんにお店の商品のお気に入りのものを持って見せてください!と頼んでみました。
新飯田さんがセレクトしたのはPencoのノートブックと、ドイツのレアな修正液。

別れ際に「グッバイ!カウボーイ!」と言ってもらえて思わずニヤリ(笑。

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本日KushuKushuさんでゲットしたペーパートークン(紙の記念品)たち。
イタリアのフリーペーパーとポストカードと切手。

————–

Stationery & Cafe “Kushu Kushu”
札幌市豊平区月寒東1条19丁目2-72伸光ビル1F
090-6870ー1649

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ひとつのお店に訪れるといろいろ横のつながりを教えてもらえます。次は道内の作家たちが集うスペース1-15に突撃だな。 書庫303というお店が気になってる。また近日。

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モレカウのお店紹介 札幌のカフェ・雑貨「SODAGUM」さん

Posted on 16 3月 2012 by

モレカウのノートブックな日々。
本日は午前中から雪原を歩きながら、ツイキャスしてました。話しながら歩いていてわかったのだけど「何も無い場所を歩く」のと「何も書いていないノートブックを開く」というのは似ているなぁと思った。
自分の場合、考え事をするためにノートブックを使うのだけど、それと同じように雪原のような何も無い場所へ行くと考え事がしやすいと思います。暖かいのでサクサクという音を聴きながら数時間も散歩してました。

その後、車で20分ほど走った場所にある以前から気になっていたカフェ「SODAGUM」さんに行って来ました。
ホームページでこのカフェを調べた時に「スクラップブッキング」のワークショップを定期的に行っているようで、ファイアーキングや海外のアンティークなどを扱っているようなので、ノートブッカーズの勘で「これはノートブックに使えるブツ(紙モノ)があるな」と考えていました。

SODAGUMさんは、札幌市北区の住宅街にあるカフェである。
青色と白色に塗られた壁で遠目でもわかりやすい。

店内に入ると、雑貨のスペースが広がっていて、奥側がカフェスペースになっています。
海外アンティークのコースターやマッチボックスやチロリアンテープやスタンプやファイアーキングやマステや革小物やポストカードやステッカー等。このお店でしか手に入らないアイテムなど。
やはり!あるわあるわノートブッカー的に宝の宝庫です。

こんなすばらしいお店に入って、店主に話しかけないわけがないモレカウ。
入店数分後、さっそく店主の田村さんにお話をお伺いしました。

こういうときのモレカウは大半名刺を持っていないので、すかさずNotebookersのステッカーをお渡しして、サイトの主旨と内容をお伝えし興味をもっていただき、こちらのカフェでスクラップブック好きの人たちが集まってワークショップをされていますよね?と尋ねたところ、やはり話がはずむ!紙もの好きが集まると、ほんと会話って楽しいです。

店内をぐるーっと見回してみるとアンティークな雰囲気のテープや金具。

その他オリジナルの革小物など。

もちろんアンティークのスタンプだってありますよ〜
(金属製のずしっとしたアンティークスタンプが1000円台で売っていた)
そのアンティークスタンプを押した革の端切れも可愛いなー!

そういえば、写真で写すの忘れていたけどもちろんマステの種類も豊富でした。なんと最近大阪で行われたmtのイベント限定マステも売っていました!(札幌市内では激レアと思われる)。大阪に行った時に直接仕入れてきたそうです。

スクラップブック好きへのオススメ製品をお伺いしたところ、アンティークのチロリアンテープが今アツイ!とのこと。そういえば、mtの限定マステでもチロリアンテープ柄ってありましたね。

チロリアンテープ各種。

中でもこのチロリアンテープ(国の名前忘れちゃいました…)はデッドストックで非常に貴重とのことです。

革でつくったボタンもめんこいなぁ。
スクラップブッカー的視点で見るとひじょうにノートに貼りたくなりますね。

店主:田村さんのスクラップブックも見せてもらいました(ごめんなさい、光の反射が…)。
(顔は写っていませんが、とても愛らしい方です☆)
田村さんのスクラップブックはアルバムサイズのスクラップブックを使っていました。どうやらスクラップブック専用で使うためのものらしいです。愛犬と思われるワンコの写真を切り抜いて、お店の雑貨を使って飾り付け。とっても愛情溢れるスクラップブックにできあがっていました。

モレカウも嬉しくて、当Notebookersに所属するライターさんにこんな人がいるんですよ!と興奮してたくさん話してしまいました。サクラバミキさんの180度開いてるモレスキンの写真で盛り上がりました。
その他、クリスマス・モレスキンのようなノートブックを使って人と人を繋いでいくこと。人に着目してサイトを運営していること等を話してきました。

田村さんのお話をうかがったところ、なんと以前お母さんが元文房具店を営んでいたとのことです。そのため、倉庫に昭和の時代の文房具のデッドストックがたっぷり眠っているとのことでした(お宝の宝庫と思われる)。そういったお話を聴いていたら、ノートブッカーとして来るべき場所へ来た!と思いました。

話がはずんで色々話していたら、なんと田村さん、倉庫の文房具の山の中から「コクヨのトレーシングペーパー50枚 中厚口 50g/m」と「コクヨのCampus Air mail pad 横罫(←これデッドストック)」と「NASAのレアなステッカー」をただで頂きました☆
ちなみに、Campus Air mail pad 横罫はトレーシングペーパーのような便せんで罫線が非常に薄く、机の上に紙を置くと罫線が見えるのですが、持ち上げると罫線が消えるという面白い紙です。

んで、本日もたっぷりとペーパートークン(紙の記念品)をゲットして家に帰りました。
アンティークの数字遊びカード(左上)、左下の小さな金属みたいなものはイタリアの金属のチャームでシロクマ、中央下はアンティークのコースター、右側はホテルステッカー各種、右上はNASAのデッドストックのステッカーです。

SODAGUMさんのポイントカードも可愛い(中央上)。そういえば本日雑貨と会話に夢中になりすぎてアットホームでくつろげそうな空間のカフェスペースについて触れていないのですが、パキスタンカレーがオススメとのことです!次回ランチタイムに行って食べてこようっと。

——————————————-

『SODA GUM』
札幌市北区拓北1条2丁目1-3
011-557-1902

営業時間:10:30~17:00
(冬期間10:30~15:30)
ランチタイム:11:30~14:00
定休日:日・月

アメリカン雑貨、ナチュラル雑貨、手作り雑貨、手作りのパーツなどいろいろな雑貨やファイヤーキング、コカコーラグッズなども有り。

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赤いリボンがつなぐメッセージ。 震災時にあなたは 何を感じましたか?

Posted on 11 3月 2012 by

本日は、もうひとつのモレスキン本2を紹介します。
タカヤがモレ本2の中で担当したりっかさんの記事の初稿です(モレ本2の190P参照)。

 

赤いリボンがつなぐメッセージ。

震災時にあなたは 何を感じましたか?

あえてこのページでは、2011年3月11日午後2時46分に日本を襲った震災について触れたいと思います。地球の自転に影響を与えるほどの大きな地震と津波が日本を襲った後に、私たちは多くの大切なものを失い、そして大きく心が動きました。そして現時点でも、震災の影響は放射能汚染となって深刻な影響を与えています。

帯にモレスキンをさした姿がきりりと似合う、着物姿などの和装でモレスキンを使う機会の多い京都在住のセラピストりっかさんの所有しているモレスキンのお話を伺いました。

震災の当日、りっかさんは仕事で大きな催事があり、その準備で京都を駆け回っていました。京都も揺れたのですが、そのときは全く気づかず16時くらいに職場に戻って初めて、東北地方で大きな地震と津波が起きていたことに気付きました。マグニチュードと場所を聞いて、心臓が止まるかと思いました。弟一家が仙台住まいだったのです。すぐに「阪神大震災」のときの光景が浮かびました。小さな姪っ子と生まれたての甥っ子がいるのです。でも、仕事中に私用電話などはできず、結局胸が潰れそうなまま残業を終え、すぐに実家に連絡すると、とりあえず弟一家の4人は怪我もなく生きているという連絡があったことを知り、とてもとてもほっとしました。でも、実家もそれくらいの情報しか分からず、自分が弟一家に直接コンタクトをとった訳でもなかったので、それでも母と、良いほうを語り合って電話を切りました。

母と電話を切った後に、急にこころが落ち着いた気持ちになって、馴染みのバーにお酒を飲みに行きました。りっかさんにとって、とてもほっとする楽しい場所です。そこには仲良しの常連客と店長がいました。私たちは、互いに顔を見るなり「地震!」と互いに指を指して叫びました。みな、阪神大震災の記憶が強烈で、私たちは当時の話をたくさんしました。お酒を飲みながら、あのときこんなだったねえ、としみじみ語り合ったり、ふとバカな話に転んで笑い合ったり、また気持ちが戻って悲しみが襲ってきたり…。それでも体にしみ込むようななんとも言えない「気持ち」が、帰るときには少しだけ持ち直していました。

翌日は朝から恋人に逢う約束でした。恋人は少し遠いところにいるのです。時間には目覚めることができたのですが、ものすごく体も気持ちも重たすぎて動けなくて、日曜日も仕事だし、東京のように電車が止まったりすると困るから、という理由を作って、悪いなと思いながらも会うのをやめました。それから1日の間で何度も、寝たり起きたりしたと思います。何度も仙台が心配で、神戸のようになっていないか確認したくてテレビをつけるのですが、津波のニュースしかやってなくて、それを5分も観ているとどうしようもなく落ち込んでいくので観ていられなくて、テレビを消しました。

その日は、とても落ち込みました…。何を思っていたのかなあ…、弟たちが心配というのもあるのですが、東北地方の方々の気持ちが振動として体中に伝わってきて、共鳴しているかのような気分でした。なんだろう、「悲しみ」が自分のものとして体に入ってきて、他人と自分の区別がつかなくなりました。何事も起きていない関西にいて、こんなに落ち込んで、なんにもできなくなって、ぐずぐず泣いてる私なんて価値がないと思いました。

SNSを通じて、そこに溢れる「力強いことば」を読んでいて、なんでみんなこんなに強いんだろう、人のために、自分のショックを抱えながらも立ち上がって助けようとできるんだろう。ひきかえ、自分はなんて弱すぎるんだろう。私も何にもないんだから、何かしなくちゃいけない、なんでもいいから、何かしたい、と思いました。ただ、何かをしたい、何が、何なら、私にできるんだろう?と、ただずっと考えていました。義務や使命・・・とても重たいことを考えて、答えも出せず、ぐるぐるとループして重油の中を歩いているような気分でした。私は元気だし被災していないから…。すごくしんどかったなあ。ものすごくしんどかったです。それだけです。そして、それはものすごく長かったように感じています。

その後、関西のモレスキン・ミーティングを通じて、モレスキン・ユーザー同士で「京都紙モノ巡りやろうよ、おしゃべりするだけでもいいから集まろうよ!」という話があって集まりました。

このことがきっかけとなり、モレスキンの中に皆で「明るい応援のメッセージ」を集めて、ページをみんなで埋めて行ったら、少しでも何かになるんじゃないかと思ったことがきっかけとなり、この「東日本応援モレスキン」が生まれました。

東日本へいつか届けたいと気持ちと、そして皆でメッセージをつなぐ意志をこめて、ページが全てつながっているジャパニーズ・アルバムを使いました。初めに願いと希望、祝福の意志を込めて「赤いリボンのマスキングテープ」を全体でつなぐように貼り、あとは皆でそれぞれ思い思いにモレスキンを、言葉や絵、写真等をコラージュして埋めて行きました。赤をアクセントカラーにして、手をつなぐイメージや、鳥の羽、手をつなぐイメージ、ハートのポップアップやメッセージが全体を埋めています。

私たちにとってこれは「とても小さなモレスキン」です。ですが、自分たちが震災に対してできる「ほんのわずかな小さな物事」が、このモレスキンを通じて大きくつながった気がしました。

このモレスキンは、参加した皆と被災された方々のモレスキンであると考えています。そして、多くの方の書き込みでつないで行きたいと考えています。そして東北地方の方に深い哀悼の意を表したいと思います。

りっかさんが、震災で感じたこと。言うまでもなく、これは日本に住む「私たち」が感じたことでもあります。一つの大きな脅威が訪れたときに「不安」という大きな大きな強いイメージが、私たちの頭上に巨大な曇り空のように浮かび上がります。それは空に向かって弾丸を撃とうとも、何度手でこすっても簡単には消えて行きません。

時として、一冊の小さなノートブックが、あなたの孤独に寄り添って、わずかな心の支えとなることがあるかもしれません。それはとてもとても「小さくささやかなこと」ですが、あなたの頭上のぶ厚い雲に細い針を穿つように光の筋を通すことがあるかもしれません。時として。

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象部

Posted on 03 3月 2012 by

象部発足!
あなたの自慢の象グッズを見せてください☆
象にまつわる画像/ことばたくさんお待ちしております!

個人的には、ライアル・ワトソンの「エレファントム」おすすめです。

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今日の世界の果て Vol.3 「ツールボックスとしてのTraveler’s Notebook」

Posted on 02 3月 2012 by

どうもモレカウです。
Traveler’s Notebookとモレスキンを併用して使っている。

普段から非常に多くの「紙もの」をカバンに入れて持ち歩くので、ドキュメントフォルダのようなアイテムに普段からとても愛着がある。折り畳まれていない用紙であればドキュメントフォルダが最適なのだが、以前から折り畳んだ紙を持ち歩く方法を探していたところ、意外な方法でそれは解決した。
トラベラーズノートを昨年、大切な方からプレゼントしていただき、もう手放すことができないグッズとなっている。それまでこのノートブックについては、リフィルをいろいろ使うことができる長方形の革カバーのノートブックというのみの認識だったんだけれど、何よりも気に入ったのはその「収納力」だった。

このノートブックの面白いところは、その計算されたサイズにあると思う。

  •  A4の用紙を三つ折りにした状態で収納することができる。
  • ポストカードをそのまま挟んでも はみ出さない。
  • 封筒や便せんを挟んで、レターセットとして使うことができる。
  • ZIPケースなどの充実した収納拡張ができること。

このトラベラーズノートのリフィルのZIPケースはしっかりとした作りであるため、ぎゅうぎゅうにアイテムを押し込んでいても特に壊れることなく持ち歩けている。仕事で定規やペンなどを多用するので、当初は普段持ち歩く文房具などを筆箱がわりに収納していた。

最近ではちょっと趣向を変えて、外に出かけた時にさらっとゲームができるようにするために駒とダイスやカードを収納して持ち歩いている。ボードゲームを持ち歩くという概念は、わりと文房具界隈でもあまり聞かないのではないだろうか?
ボードはA4サイズで印刷して、そのまま三つ折りしてトラベラーズノートに挟んでしまうのである。

バックギャモンの駒各色15個、ダイス5個、カード一式がZIPケースにきっちり収納できる。
スタバに行くとチェステーブルも置いてあるので、トラベラーズノートに駒を持ち歩いているだけで英国式チェッカーも遊べてしまうのである。

まぁ何にしても「遊び心」なのだ。
仕事先でとつぜん誰かとゲームを楽しむことがあるかもしれない。
出先で急に、ポルトガルに向かって旅立たなければならないことがあるかもしれない。
そんなとき、世界の果てに向かう列車の車中、さりげなくトラベラーズノートを取り出してゲームを始めるのも一興。

同時に、トラベラーズノートはレターセットを収納する道具であって、皆からもらった手紙を持ち歩く道具にもなっている。テーブルに紙の束を積み上げ、ダイスを振りながら手紙を書く男を見かけたらそれはモレカウだ。

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Twitcasting now

Posted on 09 2月 2012 by


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今日の世界の果て Vol.2 “モレスキンの殺傷能力”

Posted on 05 2月 2012 by

こんにちは、モレカウです。
モレカウは、よく仕事が終わったあとに一人で焼き鳥を食べながら読書をしている。
そのときに、焼き鳥の串を眺めていて、モレスキンのゴムバンドにセットしてみたところ妙にフィットした。冷奴に打ち込んでみたところ、軽く貫通するほどの威力があったため、全力で打ち込んだ場合どれほどの破壊力があるのか知りたくなった。

いわゆる焼き鳥である 串をセット → Fire !! 軽く貫通

 

 

実験してみようのコーナー

用意した道具は、4点。
左からメジャー、割り箸、モレスキン、某コンビニのちぎりパン。
ちぎりパンは、なぜかいつも朝ゴハン代わりによく食べている。
モレカウは米よりパンが好きなのである。

モレスキンに割り箸をセット。割り箸の下側にゴムバンドをセットする。
このとき、モレスキンが良い具合に膨らんできていてちょうど傾斜角度が40度くらいになっていたことに気がついた。その昔、「ハイパーオリンピック」というファミコンのソフトでやり投げの競技の時に、傾斜角度40度で発射すると遠くまで効率よく槍を投げることができたのを思い出した。ちなみに90度でやりを投げると、たしかUFOが刺さるんだよな〜ということも思い出した。
ちなみにモレカウが初めて買ったファミコンのソフトはバンゲリングベイである。その当時、皆がスターフォースを買っていたのに、俺だけバンゲリングベイを買ったことは大人になってもトラウマである。

それでは発射してみよう!FIRE!!
これが、思っていたよりも凄まじい威力で発射されたのである。
割り箸は、ゆるやかな放物線を描き、途中、空気抵抗にもがき、ゆるやかに失速し地上に降り立ったのである。 その放物線は、まるで女性のゆるやかなラインを連想させた。

割り箸は孤独に見えた。

 

メジャーを持って計測するモレカウ。
ひとりで黙々と誰もいない場所に向かって割り箸を発射して、メジャーで飛翔距離をけわしい顔で計測している人物。このとき、周辺でソリ滑り大会が行われており家族連れが多かったのだが、不思議なことに誰も、俺がいる場所にはこなかった。
↑写真の「右側の人物」は俺と一定の距離を保ち、二人の距離はその後も縮まることはなかった。

距離を計測したところなんと!!

「950cm」

の記録であった!カール・ルイスよりも飛んだ(←先ほどのハイパーオリンピックへのオマージュ)。感想として、割り箸の場合軽いため先端に「おもり」をつけることでもっと距離が稼げると思った。後ろ側に矢羽のようなものをつけるとなお良いだろう。これで、ヤドクガエルでもいれば、立派にジャングルでも生き残っていけそうな予感がした。

次に、貫通能力について調べてみた。
ここで登場するのがさきほどの某コンビニのちぎりパンである。
ちぎりパンを固定して、先ほどのモレスキン弓矢で全力で打ち込んでみたところ…

はい、刺さりました。
ここで注意なのだが、本日の実験は良い子はマネしないこと!!
ほんとうにあぶないからね!!

本日の実験結果で満足して、ちぎりパンを静かに食べるモレカウ (ちぎらないのが通)。

How many miles to Notebookers.jp?
世界の果ては遠い。

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