出せない手紙

Posted on 12 3月 2013 by

今年も3.11がきて、そしてすぎて行く。
一年目だとか二年目だとか、節目だからといって何かがちがう訳でもないのだけれど、やはり、静かに過ごしたいという気持ちになる。

いつか形にしようと思っていた言葉の断片は、今もあの当時のモレスキンに眠ったまま。
結局のところ、未だそのことに関してなに一つ語るべき言葉を持たないし、そうしてあふれてきた“外側”の言葉をまた、こぼさないように書きとめておくだけである。

二年前の震災の約一ヶ月半後、私は都民ボランティアとして一週間、現地に滞在して作業に当たった。
その二日目。ある避難所で働く方と親しくなって、今も交流が続いている。

その日のことはよく覚えている。
私がその時目の当たりにしたその人の美しさを語るとすれば、それは同時に、それがどんな状況下でどんな激流のさなかのものであったかをほのめかすことになる。
それはあたりまえといえばあたりまえのことで、色々な立場の人間が集まれば軋轢もある。
結局のところ、何かを発することで遠回しに誰かを傷つけてしまうというところで、口を噤んでしまっているというところが大きいのだと思う。

話すことでなにかを「美談」にしたくない、ということは、どこかで何度か書いているような気がする。
同時に、誰かの美しい物語を壊してしまいたくはないのだ、とも思う。

我々はストレンジャーのひとりに過ぎないので、なにか暗黙のなかに「なにをみても、泣かない」というルールを持っていたし、そう決めている仲間は自分の他にもたくさんいたようだった。
もちろん、写真もほぼ撮っていない。養鶏場の方が持たせてくださったものすごくおいしいたまごと、折れた枝から咲こうとしていた桜。これだけ。

未だ、あのモレスキンを開くことはほとんどない。
何故なら、開くまでもなく、全部覚えているからだ。

私はその、たった半日関わっただけのその人の魂に打たれたことは紛れもない事実であって、
あのとき見た光景は目に焼き付いて未だ鮮明で、(こんなことを言っていいのかわからないけど)それを目の前にして「亡くなった方の分もちゃんと生きよう」などということを考える余裕は正直なくて、ただ圧倒されて悲しく苦しい思いが募ったけれど、
生き残って立ち直ろうとしている人、笑顔、こんな大変な中で「ありがとう」って言ってくれるんです。本当に、力強いものをもらった。不謹慎だろうか?きっと不謹慎だろう。でも、もらってしまった。
力強いままでいてくれなくてもいい。弱った時、あの時いただいたものをなにかの形で返せたら、と思う。
それすら、上手く伝えられずにいるのだけど。
言葉にならないことを言葉にするのが我々の仕事であるはずなのに、大事なことほど、やっぱり、言葉にはならない。

出せない手紙がある。

日付は回った。わざと、回した。
祈りはいつだって、しちゃいけないことはないのだ。
復興の道のりはまだまだ長い。
日本中がこの日、二年前の出来事に思いを馳せている。
私もまた、東北へ行きたいと思うし、まだまだ何かできることを、と思うし、節目でそういう人が少しでも増えるのなら、それもとても意味のあることなんだろう。

そんなことがいちどきに駆け巡ったおかげで、当の時間には黙祷できずじまいだった。
黙祷。祈りはいつでも。

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ノートブックのこと。/ご挨拶に代えて

Posted on 25 1月 2013 by

はじめましての方も、お久しぶりの方も、いつも仲良くしていただいてますの方も、こんにちは。

Notebookerで、ふだんは歌をやっています。ハルナうたうさぎと申します。

どうぞ、よろしくお願いします。

 

Notebookersのライターに決まってから、とてもワクワクしていました。

「ノートブックのむこうに“人”が見える」───ということについて、考えていたからです。

 

 

この“Notebookers.jp”で、ひとのノートにまつわるエトセトラを眺める。

それは私にとって、人の孤独のありようを覗いているような感覚です。

(“孤独”は、このNotebookers.jp管理人であるタカヤさんのキーワードでもありましたね。)

 

スケジュール管理という実用面から、形にならないものを受け止めてもらうような作業まで。そこにあるのはすべて「自己との対話」。

外界と交わることも共有することも、すべて自分というフィルタをとおしているのだ、というあたりまえのことが、厳然とそこに示されているかのような感覚。

境界。輪郭。皮膚。そういうもの。

ノートブックにはその手触りがあります。

 

ノートブックを楽しむ人は、自分を楽しんでいる。

ノートブックというアイテムを通して、誰かの世界を垣間見ることは楽しい。隣で歩く人の見る空は私から見るそれと全く同じではないけれど、できるだけ寄り添って、想像力で補って、その人の風景を旅する。

「孤独を、分かち合う」

というフレーズは、私にとって淋しさを含むものというより、どちらかというと凛としてワクワクする言葉です。

 

自分自身を振り返ってみると、誰かの目に触れるところではたいていふざけているか、あるいは、ある一定の距離感をもって観察したことを淡々と述べるか、どちらかという気がします。

実際のところ、自分の世界を思い切り出しているのは、歌の中だけかもしれない。

多くのライターさんの記事を読み進めているうちに、私もまた、私自身の風景を旅したくなりました。

 

ここでは、おとなぶってなめらかなものだけを見せるのじゃなく、思い切り自分を出してみようと決めました。

きっとすべてのアートの原点は、こういう気持ちなのでしょう。

だから、Notebookersのライターに決まってから、とてもワクワクしていました。

 

 

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どんな誰かの世界に出会えるか、

そして、どんな自分に出会えるのか、

とっても楽しみです。

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