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衣替え

Posted on 05 6月 2014 by

こんにちは、ヨルです。

6月になりました。
わたしにとっては衣替え月です。洋服ではなく、手帳の。

yoru140605

わたしの手帳はモレスキンポケットプレーン・ハードカバー。
これを3か月ごとに交換して使っています。
前年の12月から2月、3月から5月、6月から8月、9月から11月という具合。
せわしないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしにとっては具合よいことこのうえないサイクルです。

3か月ごとの手帳のコンテンツは、

・見開き1年の日付確認用のカレンダー
・見開き1か月のざっくりとした予定を書くマンスリー
・1日1ページの細かいタスクを書き込むデイリー
・思ったことから会議録までなんでもかんでも書き込むフリーページ
・担当している仕事やしたい仕事ごとに、考えや打ち合わせメモをまとめておく仕事ページ

となっています。
できるだけ、なんでもかんでも、この1冊だけで済ませたいのです。
手帳術云々の話ではまったくなく、単に忘れ物王だからです。

しかし、そんな手帳はもちろん売ってないので、手帳はオール自作です。
エクセルで作った方がきれいにできますが、せっかくのクリーム色が見えなくなってしまうのが忍びないのと、スタンプが大好きなので、ちまちまと数字をおして作ります。
間違えてもわたししか困らないぜ?の精神がものをいいます。(とでも思わないとやってられないほど間違います)
時間はそれなりにかかりますが、お休みの日2回分ほどを手帳の日にあてて、録りだめた番組などを流しつつ、携帯のバックアップなんかもしつつ作業すれば出来ます。

このスタイルにするまで、8年、ほぼ日ユーザーでした。
けれど、ある日ふと、使わないページやあまり見ないページがあってもったいないな…と気になり始めたんですね。
1日1ページで書かないページがあるのは意外に気にならないのですが(そういう日だと思えばいいのです)。
カバーは毎年魅力的だし、1日1ページは書き込みの多いわたし向き。
だけど、仕事以外に書きたいこともあるし、ほぼ日以外にも仕事メモをまとめたノートを持ちあるいていたので、結果いつも鞄が重たい。
そこで、なじみのあるほぼ日からの移行を試みたのです。

ほぼ日で気に入っていた、見開き1か月や1日1ページはそのまま採用、あとは使い勝手のきく自由なページがほしい。
ほぼ日のますめも気に入ってたけど、ほんとは罫線が苦手なので罫線もますめも無しがいい。文字の大きさは自由に書きたい。

まっさきに候補にあがったのが、モレスキン。
年々光に弱くなってきた目に、このクリーム色の紙は具合も良かったし、いろいろ言われている書き心地も、そういう方面に悲しいほど大雑把なわたしには特に気にならない。
ひっかかりのある硬い書き心地よりは、なめらかに滑るほうが好き。
(勘の良い方はお気づきかもしれませんが、わたしの使用ペンはジェットストリームです)
モレスキンポケットの大きさも、重さやかさばりから脱却したかったわたしにはうってつけでした。

もちろん最初は、モレスキンデイリーを使おうと思ったんです。
でも、わたしが譲れなかった見開き1か月じゃないわけで…。
ついでにいうと、あの厚みもわたしにはヘビー。
うんうん唸りながら、モレスキンサイトをじっと見て、思いました。

デイリーでもウィークリーでもない、クラシックのポケットは192ページ。
このページ数、1年は無理だけど3か月なら使えるんじゃないか?

思いついたら、さっそくラフスケッチ。
おおよそのサイズを出してラフを切ります。
お、なんとかいけそう。
もともと、毎年12月に新規手帳へ変わるスタイルだったのも役にたちました。
前年12月にスタートして3か月ごとに変えると、季節ごとに変わることになるのです。
同じことの繰り返しがすこし苦手なわたしにぴったり。
そうだ、それなら季節ごとに違うマステを表紙に貼れば、季節ごとに違うモレスキンを使っているかのような気分になるじゃない。
あとで見返すときにも役立ちます。3か月同じマステを使うと、わりと強く覚えてるものなのです。

こう、考えがぱーっと開ける瞬間はたのしいですね。
たかが手帳1冊のことですが、思いついたときにはものすごい高揚感と幸福感がありました。
そして、モレスキン。
ほかにもたくさん、同じようなノートはあるのに、やっぱりモレスキンがいちばん気に入りました。

これは、おそらく、なんですけども。
1冊の適度な厚みやハードカバーが生んでくれるらしい、小さな本のような持ち心地。
誰でも持っていそうな黒い手帳なのに、よく見るとやっぱり持ってる人それぞれに違う黒い手帳。
それは、マステやシールでデコるからではなく、くたびれ方というか風合いというか、匂いや体温のようなものが、よくあるモレスキンを「その人のモレスキン」にしているんだなあと思うのです。

そして、わたしは、新品の本と同じくらい、何度も読み古したくたびれた本が大好きなのです。

この3か月で、このモレスキンはどんな風に変わるのかなあと思いながら、衣替えを終えました。
また3か月、よろしくね。

ではまた!


ヨル

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観たもの・見えたもの・みたいなもの

Posted on 24 4月 2014 by

こんにちは、ヨルです。

ただいま、贔屓の卒業公演という、タカラヅカオタクとして最大のイベントを迎えて、あたふたと毎日を送っています(いや、仕事もしています…)。
手帳のマンスリーページには仕事のスケジュールと一緒に観劇スケジュールが書き込まれていき、そのたびに、あとどれだけ姿を観られるのかな…などとしんみりして涙ぐんだり(ヅカオタにとっては複数回観ることは珍しくありません)。
観劇したあとは、デイリーページにいろいろ書き込みながら、その姿を思い出してまた涙ぐんだりしています。

私は観劇メモというものをあまりつけません。
つける方はそれこそとてもきれいに、きっちり書かれていて(ネットでもたくさん読めます)、記録ってなんて有益なんだろうと思い、私もやろう、と何度か鼻息荒く決意したのですが、できたためしがありません。
使われている曲名や、その日出たアドリブや、舞台の出来など、観劇メモらしいものはほとんど書けないのです。

では何を書き込んでいるのかというと、覚えている姿から連想したり妄想した、なんというのか、夢のようなものです。

初めて観て好きになったときの気持ち、その笑顔がどんなに私を元気にしてくれたか。
ハマり役になると妄想はもっと顕著になって、もし自分があのお話の中の人間だったらあの人に何が出来るだろうとか。
あの人はああいう役になるとこういう顔をする、そこが好きなんだなあとか。

感想よりもひとりよがりで、舞台をみている間に雨のように心に落ちてきたものだけをノートに書いているのです。
観劇メモよりも役に立たず、ファンレターよりも思い込みの激しい、そういう言葉。
これらを書いて書いて、もう少し整頓されると、ようやく感想となって他人に言える言葉になります。

思うに、夢をみているのだと思います。
お芝居を観ている間だけでなく、書いている間も。
出来が良くても悪くても、それよりもどんな夢をみられたのか、そのことを書いておきたい。
いつまでもいつまでも、夢をみていられるように。
きらきらした姿を、覚えていられるように。

そんなおぼろげな(一種、寝言のような)ものを書くのは、わたしにとってはノートが最適のようです。
オンラインで書いてたこともあるのですが、なんかもう、恥ずかしくてたまらない。
深夜のラブレターみたいなものなので、黙って綴らせてくれるノートがいちばんしっくりくるのです。
(ちなみに整理整頓の必要なく通じる友人と行くと、血のしたたるようなレアな言葉が出てしまいます。「あの人は私にとっての世界平和だよ!」など)

yoru140423

写真は、兵庫のほうに遠征した時のメモ。
遠征なのでいつものモレスキンではなく、遠足ノートにしているカイエポケットに書いています。
遠足ノートは、gitaちゃんと呼んでいまして(イタリア語で遠足の意味です)遠足の相棒。
タカラヅカのメモと一緒に、食べたものや買ったものを記録しています。
遠征だけでなく、いつもの生活圏から外れたところに行ったときは、たいていgitaちゃんを鞄に入れます。
いつか、このノートのことも書きたいです。

まだしばらく、夢をみながら生きているような、そんな日々が続きます。
ではまた!


ヨル

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ご挨拶。

Posted on 16 4月 2014 by

はじめまして。
このたびNotebookersライターに登録していただきましたヨルと申します。

ノートタイム中です

ノートタイム中です

……ああ!緊張します…何度も何度もTextwellに下書きをし、そして消し、そして書き。
文字を書く仕事をしてはいるのですが、こんなに緊張した文章は初めてかもしれません。
ともあれ憧れていた媒体です。
なるべく素直に、なるべく明るく、楽しいことを書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。

えーと。最初ですので「作文」について書いてみます。

私は文章を書くことが好きです。
たぶん小学1年生の「先生、あのね」作文のおかげだと思います。
毎朝、授業の前に小さな作文をしたのです。
小さな、B6くらいのわら半紙に、おそらく100文字くらいのマス目が書いてある原稿用紙でした。
最初のマス目に「先生、あのね」とあらかじめ印刷されていて、思ったことや遊んだこと、家族や友達のこと、なんでもいいから先生にあてて書く、そういう作文でした。
そんなことを毎日していたのは、担任の先生が国語の先生だったせいかもしれません。
6歳になったばかりで、おまけに当時の私は本を読むことは好きだったけど、自分の名前を書くこともできなかった落ちこぼれでしたが、「先生あのね」作文は大好きでした。

大したこと書けたわけじゃないんですよ、もちろん。
でも楽しかった。
書くことがないなんて思ったこともなかったですし、うまく書こうなんてことももちろん思いませんでした。
ただひたすら、心の中のことや見たもの食べたものを文字にしていく。
その快感と楽しさだけを覚えています。

ちなみに、学年の終わりに、先生はこれまでの「先生、あのね」を生徒ごとにバインダーにまとめてくれました。
だいぶ大きくなった時に読み返したことがあるのですが、書いてあったのは朝ごはんがおいしかったとか、朝ごはんをおかわりしたとか、とにかく朝ごはんのことばかりでした。
当時、極端に偏食だった私の朝ごはんは、
「ごはんとたらこ・ごはんとすじこ・パンといちごジャム・めだまやき」
このローテーションでして…。
先生、さぞかし苦笑でしたでしょうね…。

偏食がすっかり直り、なんでも食べる大人になりましたが、作文は好きなまま育ちました。
読書感想文、小論文、レポート、卒論。
書けなかった漢字も書けるようになり、ちゃんとした文章を組み立てることも覚えました。

けれど、「先生あのね」作文がくれた快感や楽しさは、それらからは生まれてこなかったのです。
それどころか、そんな楽しみや快感は、ずいぶん長いこと忘れていました。
ブログやツイッターなど、プライベートで文章を書くことはずっとあったのに、あの楽しい気持ちはあまり無かった気がします。
どうしても、見ている人を意識してしまうのです。
ネットに乗せる以上、プライベートでもパブリック。だから当然のことなんですけど…。

「先生、あのね」作文は、先生にあてて書いてはいますが、あれはいま思うと完全にプライベートだったのでしょう。
公私の区別なんてつかない頃に、ただ聞いてほしくて、ありのままを書く。
それと同じことを、私はいまモレスキンに書いている気がします。
仕事でもない、締め切りもない、誰にも見せない、なにも求めない。
ただひたすら文字を書く。
自分の気持ちが、目に見える形になっていくのを楽しむ。
私のモレスキンはいつも黙って、なにも言わず、文字を綴らせてくれます。
とっても、ありがたい存在です。

辛かった、楽しかった、好き、大好き、心がしんとする、頭が軽くなる、目のさめるような気がした。
私のモレスキンは、そんな言葉が多いです。

ここに綴っていく作文は「先生、あのね」より、もうすこしパブリックではありますが、自由に、素直に、楽しく。
いつもモレスキンに書いているような気持ちで書いていけたらいいな、と思っています。

—-
ヨル

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