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海図廃材のカードでカルタ遊びをした話

Posted on 04 1月 2019 by

海図廃材のメッセージカード

横浜にある日本郵船歴史博物館を訪れた際、海図の廃材を利用したメッセージカードが販売されているのを見つける。地図好きの私にとっては最高のメッセージカードだったので、早速購入する。帰宅後にニヤニヤと眺めていると「これでカルタ遊びをすると面白いのでは」ということを思いつく。ルールは簡単だ。カードに印刷されている地図の断片から場所を特定する。ただし、検索をせずに、だ。

購入した海図メッセージカード

まず、遊びが出来そうなもの、そうではないもののグループに分けてみる。

遊びに向いているカード: 陸地と海が印刷されているもの。場所の特定が可能。
遊びに向いていないカード: 海上や海図説明が記されているもの。場所の特定が出来ない。

写真説明にもあるように、海岸線がはっきりと印刷されているものはこの遊びに適している。反対に、海上の海底深度だけ記されたものや、陸上の断片、それから、海図の説明が記されているものはこの遊びに適さない。今回購入した10枚入りのカードは、4枚が遊びに使えそうだ。

遊んでみる

早速遊んでみる。陸上や海上にプリントされた地名や川の名前から場所を推測し、丁寧に海岸線を追っていく。あった。この地図の場合には、陸上に印刷された津駅が決め手となった。

三重県津市の海岸

二枚目、大島という島が印刷されている。大島という地名は厄介で、全国にかなりの数が存在する。ここでは印刷された港の名前、「唐津港」がポイントとなりそうだ。発見、佐賀県唐津市の海岸だった。

佐賀県唐津市の漁港

写真に写っているiPadの地図は海図だけれども、海図である必要は全くない。Google Maps.appでも、iOSであれば標準の地図.appでも構わない。自分が答え合わせが出来れば良いのだ。海図廃材のメッセージカードメモブックで「海図カルタ遊び」を楽しんでみるのは如何だろう。

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「毛糸のジッパーケース」アンケートへのご回答をいただいて

Posted on 16 12月 2018 by

今年の秋にお願いしていました前回記事、【「毛糸のジッパーケース」アンケートのお願い】につきまして、貴重なご回答を多数いただきましたので紹介させていただきます。
ご協力くださった皆さま、本当にありがとうございました。
読んでくださった方もありがとうございます。

全てのご回答を紹介すると長文になってしまうので、要点をまとめて発表できたらと思っていたのですが、多数のご回答の要点をまとめるなんて難しいことを私ができるはずなどなく、うんうん考えている間に数ヶ月が過ぎてしまいました。アンケートなんてお手数がかかることをお願いしておいて、本当に申し訳ございません。

よって、全てのご回答を順に並べ、その下に私の見解をちょこっと書いていく、という形にしました。ちょっと長いですが、様々なご意見ご感想を楽しんでいただけたらと思います。

読まれる際は、次のポイントに注目して読まれるとより楽しいと思います。
・毛糸のジッパーケースをどのようにご使用されているか
・毛糸のジッパーケースの改善して欲しいところ
・毛糸のジッパーケースについてご提案くださること
・アンケートのご回答を受けて私が考えること
・トラベラーズノートご使用の素敵画像を観賞しよう(全体に散りばめました)

では、どうぞ。

aisennさんpic.

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ねむれぬよるにおもうこと

Posted on 05 12月 2018 by

眠気に愛想を尽かされた日。
ベッドの中で、何か邪魔のものが無いかポケットを探ると紙切れが手に当たる。

5%オフクーポン
栞の切れ端

なんとくだらないものをベッドに持ち込んでしまったんだ。
とりあえず栞は手帳に挟んでおこう。

手帳を開くと真っ白なページ。思わず眩む。
この先は暗闇しかないという事を知っているのかと思わず問いかける。
虚空に消える。

栞を挟むのは7月23日。
なんの意味もない。きっと何処かの誰かの良い日なんだろう。
意味はないのに藁にも縋る思いで意味を見出す。

身軽になった事で何かに近づけた気がしてすっかり冷えてしまったベッドに戻る。
まんじりともせずに布団と自分の境界がなくなる事を待っていると枕の下に何かあると気づく。
無くした万年筆がこんなところにあったんだ。そう想うことにして確認するのは怖くてやめる。

濡れ夜に乞うも 音 眠る。

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生き残ろうぜ!映画に学ぼ☆アクションサスペンス編

Posted on 30 11月 2018 by

日、ポールオースターの『インヴィジブル』を読みまして。
オースター読むのって年単位ぶりくらいかもしれない。
このタイトル、『不可視』見えないもの、見ることができないもの、の通り、ものすごく物語じたいがつかめず、頼りなく、寄る辺なく。ひとつの出来事は、あるひとにとっては「あったこと」で、また別のひとにとっては「なかったこと」
そこで、オースターのいつものフレーズ「ヴァージョンAとヴァージョンB、どちらもが本当の物語なのだ」と。
良かったです。はー、次は何を読もう。
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旅モレ

Posted on 23 11月 2018 by

 

布張りのかわいらしい桜モレスキンを見た時、大事に大事に使おうと思った。

が、すぐにその考えを変えた。

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世界の果て(の淵)に、小さな船で訪れようとする話

Posted on 18 11月 2018 by

目次:
1. 世界の果て
2. 世界の果てからの通信手段
3. 世界の果てへの移動手段
3-1. 小さな船の免許
3-2. 筆記試験の講習
3-3. 操船実技の講習
おまけ1: 海で使う文具の話
おまけ2: 地文航法・天文航法という本の話
おまけ3: 六分儀を手に入れる

1.世界の果て
Notebookersには「世界の果て」というタグが存在する。タグを辿ると各々の「世界の果て」が記されている。ある人は文字通り、自身からはるか遠方の「世界の果て」を記し、ある人はノートブックの中にある「世界の果て」を記している。世界の果てについて「ペンギン・ハイウェイ」という小説に出てくる主人公の父親は、

「世界の果ては折りたたまれて 、世界の内側にもぐりこんでいる 」

と表現している。
私はこの一文が好きだ。仮に内側にもぐりこんだ点がそれぞれのノートブックにあるとすれば、その内側に沈み込んだ点からこちら側を眺める時、私たちがいる今、この場所が、同時に世界の果てになるのだろう。そのような視点から部屋を見渡すと、それとなく、ここも世界の果てに見えてくる。

一方で、私にとっての「世界の果て」という言葉は、物理的に隔絶された、誰の助けを受けることもできない、文字通り一人ぽっちでたどり着く場所という印象で「では、そこにたどり着くにはどうしたらよいのだろう」としばらく考えていた。そして、いくつかの現実的な問題と照らし併せ、私にとって一人で到達可能な「世界の果て(の淵)」は、

「海上」

ではないだろうかという仮説に達し、小さな船(小型船舶)の免許を取得しようと決心した。こうして文字として記すと全く馬鹿げているのだけれど、私にとっての世界の果て(の淵)にたどり着く合理的な手段であるように、その時点では思えた。

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日曜日のホテル、曇天の朝

Posted on 04 11月 2018 by

部屋の片付けをしていたら、以前、出張が多かった頃につけていたホテルの間取りメモが出てきた。
そういえばずっと前に書きかけていたホテルの話があったなと、ちょうど季節も冬っぽくなってきたし、ちょうど日曜日だし、日曜日のホテルの話を、日曜日の夕方に仕上げる。


 
ふと思いついて、日曜日の夜のホテルをとってみた。何処か遠くじゃない、いつもの通勤の途中の、時々寄り道をして買い物をしたりする定期券だけで行ける街のホテルを、出かけるついでに思いつきでとってみた。
いつもの通勤バッグに月曜日の着替えをぎゅうぎゅう詰めて、日曜の昼間の電車に乗った。

── 柳通りのホテル ──

石の小さな玄関をくぐると、ホテルのロビーは、キャリーケースの鈍い光と旅行鞄とウールのコートと、声を抑えた複数の喋り声がたてるさわさわした小々波のような音で満ちていた。
チェックインを済ませてカードキーをもらう。奥にあるエレベーターホールはしんと静かで、フロントの人の気配もざわめきも届かない。エレベーターの箱の位置を示す機械仕掛けのインジケーターの、ピン、カチ、カチ、という音がホールに小さく響く。
自分で荷物を持って部屋に行くような、特に高級でもなく気取ってるわけでもない庶民的なホテルなんだけど、ちょっと外国のような雰囲気と立地のせいか、ゲストは何となくよそ行きの顔をしている。わたしも何となく背筋を伸ばす。エレベーターで乗り合わせた紳士が、いちど日本語で喋ったことを、一瞬おいて英語で言い直したりする。(イヤワタシサッキニホンゴデヘンジシタヨネ)

部屋は、街中のホテルらしい小ぢんまりしてシックなインテリアだった。窓からは向かいの建物に絡む植物の緑が見える。今日は部屋が空いてるからということで少し広い部屋にアップグレードしてもらったのだけど、それでもずいぶん小さな部屋。ベッドはシングルサイズだし、部屋のなかで大きいものといえば、ゆったり足を伸ばして入れるバスタブと、向日葵みたいなやたら大きいシャワーヘッドだけ。ベッドでも部屋でも、わたしはだいたいが狭いより広々とした方が好きなんだけど、この部屋はこの小ささがなんとも心地よかった。

── 日本語の聞こえない街 ──

少しホテルで休んでから、出先に向かうためまた駅に向かう。歩いてる間も四方からいろんな国の言葉が聞こえてくる。この街はいつもこんな感じで、時によっては日本語がまったく聞こえないこともある。聞いたことのない音の言葉を聞いていると、気持ちがどんどん楽に、肩の力が抜けてくる。自分の知っている「常識」が通じないんじゃないかなと思うとほっとする。身体のまわりに廻らされている壁が消えて、気楽で自由な気分になる。

いつもは素通りするだけの通りを、今日は旅人の気分で、路面に出されたレストランのメニューを眺めたりしながらゆっくりと通り過ぎる。いつも通りかかるたび気になって、でもいつも満席っぽいので通り過ぎるだけのカフェを、今日もまた気になりながら通り過ぎる。次は何の用事もない時にホテルをとって、夜まで旅行者らしく街を歩きまわってみようかなと思いながら、そうしたらその時こそこのカフェに入ってみようと、店の窓にかかった美味しそうなモンブランの大きな写真を眺めたりしながら通り過ぎる。

── ホーム ──

戻ってきたのは夜の11時。夕飯もまだなので何処かで食事をしたいのだけど、日曜日の夜は早い。もうほとんどの店がラストオーダーの時間を過ぎていて、駅の売店でどうにか駅弁だけ買うことができた。

いつもの ”帰りの電車” には乗らないで、いつもは遊びに行くだけの街に帰る。にぎやかだった通りはすっかりひと気が少なくなっていて、夜遅くお腹を空かせてとぼとぼ歩いてると、帰るところがなくなってしまったようで心細くなる。帰るところのない旅に居るような感覚は、不思議と、知らない土地では感じることがない。知らない土地ではそんなことを感じている暇なんてないからかもしれないし、日常の景色の中に非日常の時間が混じった時にこそ、感じることのような気もする。

それでも、柔らかい灯りが漏れるホテルの小さな玄関を抜け、こんなに遅い時間だというのに変わらず旅人達でにぎわってるロビーを抜け、微かな機械音のする滑らかなエレベーターであたたかい部屋に戻って、買ってきたお弁当を食べてお腹が膨らんだら、すぐに、ああ、ここがホームだ、ただいま、みたいな気持ちになる。お湯を沸かしてお茶を飲む、何かを食べる、お風呂に入る、ベッドでひと眠りする。日常の儀式をするたびに、ホテルの部屋がホームになってゆく。

── 朝、月曜日 ──

普段より遅い時間に起きて、ゆっくり身支度をした。夢の続きのようなふわふわした気分でチェックアウトを済ませ、朝の人通りの少ない繁華街を、駅に向かう。平日は始まってるんだけど、自分の中の時間はまだ旅の続き。
旅行者の気分のまま乗り込んだ満員電車を降り、職場の駅の、いつもの、通勤の人達の暗い色のコートと黒い鞄の波の中に混じる。
前を歩く黒づくめのサラリーマンの鞄の裏地がチラッと見えて、黒の中から一瞬、眩しいくらいの鮮やかな空色が現れた時、何となく自分の今の心の内側を映してるような、ささやかで重大な秘密をみたような気がして、ちょっと愉快な気分になった。


 
冒頭の写真のノートは、この話のホテルとはまったく関係なく、雰囲気もまったく違うホテルの間取り。たぶん出張中のホテルは旅先のホームだから、その頃に思ったことと繋がって連想したのかなと思う。
 

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舌貧乏はうまいコーヒーとまずいコーヒーをどう見極めるか

Posted on 14 10月 2018 by

ちょっと愚痴っぽくなってしまうのだけれど,ちょっと思い至ったことがあるので,聞いてほしい.

 

残念ながら僕は舌貧乏だ.たいてい作るものはまずいし,カップラーメンでもお店のラーメンでもどちらでも同じような味に感じてしまう.

冷凍うどんと釜揚げうどんの違いも多分わからないんじゃないかと思う.

それぐらい舌貧乏なのだ.本当です.(ただし,コカ・コーラとペプシの違いはなぜだか分かる.こちらも本当.)

 

Anyway,コーヒーの味の微細な違いなんて,絶対にわからない.僕の中では,

苦いー酸っぱい(ロースト/産地)

熱いー冷たい(温度)

ぐらいの違いしかない.好きなのは,熱くてやや苦いコーヒーである.なんとなく淹れたてがよい気がするけど,それは古いコーヒーが体によろしくないのであるとどこか拾い読みしたからであって,味に関しては単に冷めるからなんじゃないか思っている.

 

となると,飲み比べ(カッピング,というそうです)だとかに行く気はない.いろんな産地の豆を買ってみたりするけれども,結局ローストが強いものに行きついてしまうし,そうなればもう苦い以外の何物でもなく,単に苦ければいいんじゃないか,という話になってくる.

 

とはいっても,サイゼリアさんや各種コンビニのコーヒーがとんでもない代物だということぐらいはわかるんだけれども.

 

さて,ここまではコーヒーの味自体の話である.

 

しかし,カフェおよび喫茶店等,外で飲む場合は多少事情が異なる.

そもそも,僕の中で,カフェおよび喫茶店を別の呼称で呼ぶべきだという強迫観念みたいなものがある.一つは「コーヒー屋的コーヒー屋」であり,一つは「なんでも屋的コーヒー屋」である.

コーヒー屋では,コーヒーを売る.コーヒーがメインであり,モーニングとか,パンケーキとか,そういうものはサブである.お供である.

なんでも屋では,コーヒーはあくまでも包み紙,包装紙であって,メインではない.喫茶店だとか,カフェだとか,聞こえのよい言葉でくるんでいるだけで,本質は「なんでも屋」,である.

パンケーキだの,アフタヌーンティーだの,ランチメニューだの,そういうのが稼ぎ頭なのであり,コーヒーではない.

 

だいたい,コーヒー屋のマスターは,内気そうな実直な人か,人生経験を積んだおじいさん的な人が多い.一方,なんでも屋のマスターは,ともかく薄ら笑いを浮かべていたり,コーヒーだけ注文するとちょっと表情が曇ったりする.

それに,見た目に騙される人がいてもよくない.たとえば,サイフォンがあるからといって,そこがコーヒー屋的コーヒー屋かどうかは,また別の話である.サイフォンなんて買おうと思えばどちらも買えるわけなので.むしろ,そのサイフォンを導入することでなにをしたいのか,が見えなければいけない.サイフォンが店先にどうどうと並んでいるようなところは,ちょっと信用できないですね.

 

無論,ここまで来ればわかるように,コーヒー屋のコーヒーは理由なくうまい.酸っぱくてもうまいのである.

一方,なんでも屋のコーヒーは大体が薄暗い味がする.後ろめたい味といってもいいかもしれない.あるいは資本主義におぼれた味かもしれない.ともかく,何かが足りない.

 

まあつまり,舌貧乏は舌貧乏なりに,味以外の何かを求めて外のコーヒーを飲むのだな,と感じていたわけです.

 

でもしかし,これはコーヒーを飲む頻度の5パーセントにしか過ぎない.

残りの95パーセントは,コーヒー屋的コーヒー屋で買った豆を,フレンチプレスなんかにぶち込んで飲んでいるだけです.

なんでって?だって舌貧乏ですもの.おほほ.

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方眼紙とデスクライト

Posted on 30 9月 2018 by

A3の方眼紙

ここ最近、使い道のない資格試験の勉強をしている。勉強中、いくつかのノートブックを使ってみたのだけれど、どれもしっくりこない。結局、学生の頃から続けているA3用紙に書出すという方法に戻ってくる。私の場合、A3用紙(大きな紙)であれば特にこだわりはない。ただ、近所の文具店にあったオストリッチダイヤの方眼紙がとても良かったので、文具好きの皆様ご紹介したい。この方眼紙は厚手で、安価なものにありがちな「消しゴムで擦ると方眼が薄くなる」ということがなく、とても良かった。

LEDのデスクライト

デスクライトは文具だろうか。私にとっては文具かもしれない。以前は、山田照明のZ-107というデスクライトを使い続けていた。今は廃番になってしまった灰色のモデルが本当に好きで、何度か修理に出してまで使っていた。後継のZ-108というモデルもあるのだけれど、優美な曲線を持つZ-107のランプシェードの方が私は美しいと感じている。

Z-108のランプシェードデザインはオリジナルシェード(復刻のZ-00参照)から曲線を排したとも解釈できなくもなく、寧ろZ-107の方が本流から逸れるとも解釈が可能だけれど、そんなことは割とどうでもよく、私はこのZ-107のランプシェードラインが大好きだ。そんな大好きなZ-107は、このアパートに越してから、しばらく机に向かうことがなかったので(そもそも向かう机がなかったのだ)、今は手元からは離れている。

折りたたみの机を用意して以来、白熱球のデクスライトを再び用意しようと心に決めていたのに、目の衰えには勝てずに最近LEDデスクライトを購入した。硬質なLEDの光は毛嫌いしていたよりもずっと生活に溶け込んでいる。悪くない。

それから、これは多分気のせいだろうけれど、白熱球の柔らかい光より学習効率が上がっている気がする。作業環境の光については多くの研究がされていて、より色温度の高い照明(白熱灯色ではなく蛍光灯色)の方が、生産性が高いという研究結果もあるようなので、私の体験は単純な勘違いとも言い切れないのかもしれない。何れにせよ、文具を囲む照明を変えることによって、普段書き記しているノートブックに変化が生まれるのであれば、それは面白い体験になるのではないだろうか。

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Perspective 後編

Posted on 27 9月 2018 by

◀︎ Perspective 前編(サンライズ出雲〜三原港)

6. 因島

3年前、その時もちょっとした思いつきで、短い船旅をした。三原から隣市の尾道まで、海路でいったん海に出て、船を乗り継いで行った。(『断片』)
その時にも経由した因島。いんのしまと読む。以前は因島市だったのだけど、いつのまにか尾道市になっていた。元は独立した市だったくらいだから、「島」ときいてなんとなくイメージする島よりはずいぶん大きい。船着場はいくつもあるし(いくつあるんだろう?わたしが知ってるだけで4つはある)、山もある。ついでにいうと村上水軍の拠点でもあって、城跡も多くある。

3年前のルートは、1本目の船で三原港から因島の重井(西)港へ、そこから歩いて同じく因島の重井東港、重井東港から2本目の船で尾道港に向かうというもの。同じ「重井」の西港から東港なんだから隣にあるんだろうと思ったらとんでもない……はじめのうちは民家の意匠を見て「おー、すぐ近くなのに本州側とは違う。これは因島村上氏の海賊風なんだろうか」とかなんとか考えながら写真も撮ったりして楽しくてくてく歩いてたんだけど、てくてくてくてく歩いても次の港らしきものは見えないしそれどころか道なりに進むだけで丘を越えるような地形になってくるし、てくてくてくてく歩きながら大層心細くなってきて真夏の道路は容赦無く熱いし、てくてくてくてくてくてくてくてく歩き続けて30分、半べそでたどりついた港では港湾ビルも切符売り場も見あたらず桟橋がぴよっと出てて、……って、あ、話が逸れた。とにかく、安易に「島」というイメージで想像してるとひどい目にあうような大きさの島なのだ。

そして今回。
三原港を出た船はまず因島に向かう。因島では寄港地が3つあり、島の北側にある重井港→中ほどにある因島モール→南側の土生港と、同じ島の3つの船着場を海路で渡ってゆく。
(本当は因島までの途中で佐木島に寄り、因島の後で生名島に行く航路なのだけど、わたしが乗った便は佐木島に寄らず、生名島の前で下船したのでそのへんはまぁその)

防風ガラスにあたる波飛沫と白い航跡を眺めざぶざぶと揺れながら、3年前と同じルートの同じ景色というのもあってか、いつのまにかぼうっと考えごとをしていた。重井港から因島モールまではこの船で10分強、因島モールから土生港が5分弱。因島モールというのは最近新設された桟橋のようだけど、モールというからにはモールなんだろう。きっと大きなショッピングセンターがあって、あのピーピー鳴るカードを渡されるフードコートなんかもあって、、、あ、もしかして、島の人たちはバスの代わりに船に乗って買い物に行ったりすることもあるんだろうか?船にちょうどいい時間帯だったら「今日は船で帰ろー」とか……

……と、つらつら考えてるうち船は因島の北側、1つめの重井港を過ぎていた。このあたりまで船で来たのは、記憶に残ってるなかでは初めて。見憶えのない景色に焦点が戻る。

重井港から先は、(三原港から重井港までの間もそれは瀬戸内海らしい景色ではあるのだけど、それをずっと上回るほどに)信じられないほど美しく可憐な瀬戸内海の景観が続いていた。ふくふくと起伏のある小さく立体的な秘密基地みたいな島々が、空から落ちてきたみたいに艶やかで平たんな碧い海に溢れている。どうやったら行けるだろう?と想像して楽しくなるような、島側からだと隠れて見つからなそうな小さな砂浜や入り江もあるし、今は夏の緑一色だけど、季節になれば蜜柑や八朔やレモンの橙色や黄色の果物のなる木があちこちに見られるはず。
もしかしてこれは絶景というのじゃないだろうか。絶景というとなんとなく、字面からして何処か遠くの険しい地形をあらわす言葉のような気がしてたけど、こういう「信じられないくらいかわいい」も絶景に含まれるんじゃないかと、この景色を見て思う。とてもきれいな玩具のような、空想の世界をそのまま地形に写したような、現実感のない景色だった。

船は土生港に着く。次にのる今治行きの船までは1時間と少し。陽は強いけど日陰にいれば涼しい風が吹いて心地よいので、港でのんびりすることにした。

普段は縁のない港の切符売り場を興味津々で眺める。美術館のチケット売り場のような仕切りガラスのある窓口、ガラス越しでやりとりをするための穴の開いた窓口が並ぶ。以前は係の人が居たのだろうけど、いまは誰もいない。ガラスには何年前から貼ってあるのかわからないような灼けたテープのついた張り紙やポスターがみっしりと貼ってあって、その隙間から、奥にぼんやり見える暗い無人の事務所を覗いてみたりする。

切符売り場の其処此処に貼られた張り紙を見ているうちに、「……は、道路を出て左200m先のコンビニで…」という一文を見つけ、散歩がてらコンビニまで行ってみることにした。
コンビニはどの町に行っても同じコンビニなんだけど、何となく、少し、その土地独特の雰囲気がある。何がそうなのかと言われてもうまく答えられないけれど。いつも行ってるコンビニのいつも買ってるソフトクリームを、いつもの町から500マイル離れた島のいつもと少し違うコンビニで買い、眩しく澄んだ陽射しの町をを少し歩き、うす暗い港湾ビルに戻る。シャッターの下りた売店の前の風除けのガラスで囲われた待合室の出口に座って、海の風に吹かれながら、ソフトクリームをかじりながら、次の船に乗るためにそろそろとやってくる島の人たちの会話を聞くともなしに聞いている。島には住んだことがないけど同じ瀬戸内海地方だし、同じ言葉だし、たぶん他の旅人よりはずっと景色や音や空気の匂いを自分の内にあるものと同じに自然に受けとっているだろうとは思うのだけど、それでも、何処か知らない異国にいるような気分になる。

「海難、密航、密輸、不審船
(海の事件・事故)
直ちに通報118番」

海では110番じゃなくて118番、なんていう今までの人生では想像したこともなかった常識をその辺にかけてある看板で知るのも、また異国めいた体験か。

次の船が来るまであと10分。着いた時には桟橋からまっすぐ入ったので見ていなかった建物の南側を覗くと、小さなお社があった。海はきらきらして明るくとても良い天気なので、出港の前に挨拶をしてゆくことにする。

7. 芸予諸島

瀬戸内海には全体で3千もの島があるらしい。3千もの、と書いたけどそんなに大きな数、実は自分でもぴんときていない。とにかく、中国地方と近畿と四国と九州で囲まれた小さな海に、たくさんの島がある。ただ、とはいっても、ヒトのスケールからすれば瀬戸内海も広い。島の多い海域と、島は少なめで開けた海域がある。今回の船旅は、芸予諸島という数百の島が密集した、瀬戸内海屈指の多島美といわれるところを通っている。

芸予諸島のほぼ真ん中の本州側、竹原の祖父母の家から車で帰る時に、「本線がいい?呉線がいい?」ときかれたら必ず「呉線!」と答えていた。本線というのは、昔は山陽道・西国街道といわれた大阪から門司を結ぶ国道2号線のこと。呉線というのは、電車の呉線と並んで走る国道185号線のことで、瀬戸内海を臨む海沿いの道だ。

呉線から見える瀬戸内海。なめらかできらきらしていて、グリーンがかったたぷたぷした海の上に、大きいの、小さいの、たくさんの島が浮かぶ。その間をフェリーや小さなボートが行き交い、遠くにはタンカーが見える。よく晴れた日には「四国」といわれるうす青く長い陸影も見えるらしいけど、子供の頃の自分の目には、遠くの空と海の境にある青い影が、大きな島なのか四国なのかの区別はつかなかった。海沿いを走る車窓の下はすぐに海で、満潮で海が満ちている時にはスナメリクジラが泳いでるのが見えるんじゃないかと目を凝らした(けど、それらしい白い影が見つかったことはない)。漁港ではない港町(漁港のにおいがしない)、海沿いの小さな町には見合わないほど大きな造船会社のビルの間を抜け、赤と白のゴライアスクレーンを過ぎると、小さな砂浜のあるお気に入りの無人島が見える。
遅くなって夜になった時には、島々の灯りと船の灯りがゆらゆらして、時々、灯台の回る光がちか、ちかと、光の棒を空(くう)に投げる。左手にはカーブを描いて今から帰ろうしている街の光が連なり、右手は海と島の世界のあかりが灯る。

「船で四国に行く」というのは、その、近くて遠い島々の世界を、眺めるのでなく入ってゆくこと。島の世界は思っていたよりずっと”島の世界”で、土生港で感じた異国めいた気分は、気のせいではなくて本当に異国なのだろうと気付く。

四国行の2本目の航路は、因島の土生港を出て、生名島、弓削島、佐島、岩城島、伯方島、大島、そして最終港の今治まで、幾つもの島に寄りながら行く。港を出た船は、すい、と進んで次の港、すい、と止まってまた次の港へと、町中の電車がとまるくらいのリズムで軽やかに進んでゆく。
「はい今日はぁ」着いた港からゆるく挨拶をして乗ってくる次の島の人達が、前の島から乗っている人達と合流して楽しそうにお喋りをしている。ここに住む人たちは、隣島が隣町くらいの感覚/間隔で暮らしているのかなと思う。町工場のようにあちこちにあるドック。あちこちに泊まっている船。海は水路のようで、海の水路をゆく船は、電車やバスのような気軽な乗りもののように見える。

穏やかなこの海域、きっと歴史にも残ってないような昔から人が住んでいて、しまなみ海道や瀬戸大橋はもちろん、乗合の定期渡船もなかったずっとずっと昔には、泳いで渡ったり個人の持つ小さな手漕ぎ舟で渡ったり送っていったりが普通に行われていたんだろうなと、またぼんやり想像する。この海域を制していた水軍の武士たち、海を自由に行き来した逞しい人と、もし浅瀬なら歩いて渡れるほど近くにある島にすら渡る術がなくて溜息をつく人も居たかもしれないと、退屈そうな細い指と紅い木の花を想像する。

8. 今治港は想像していたよりもずっとモダンな港で、振り返って見上げた建物は船のような形をしていた

朝になって計画を立て、時間もあまりなく出てきたので、今治港に着いたものの電車の駅が分からず一瞬途方にくれた。すぐに気を取り直してスマホの地図で調べてみるが、JR今治駅……、駅と港はすぐ近くだろうと思ったら意外と遠い。
それでも、タクシーに乗るほどの距離ではなさそうだし、迷うほど複雑な道路でもなさそうだし、からっとしてそれほど暑くもなさそうなので、歩いて今治駅に向かうことにした。

ずっと続いていた暑さに比べればずいぶん涼しい日とはいえ、9月になったばかりの真夏のような日差しの下、外を歩く人はほとんどいなかった。港の建物の日陰を選って歩いていたら、地元の人らしい、子供のような瞳をしたおばあさんにじっと見つめられ、すれ違う。「こんにちは」と会釈すると、にっこりと破顔する。

20分ちょっとかかって今治駅に着く。駅にいたバリィさんに挨拶して、まっすぐみどりの窓口へ。
「松山まで一番早く着く列車(の切符)をください」
特急しおかぜで松山に向かう。

9. 松山は想像していたよりもずっと都会で、街には路面電車が走っていた

目的地の道後温泉は、道後温泉行き電車の終着駅なので特に迷う心配もない。Suicaは使えないので小銭の両替に少し戸惑ったけど、目の前の両替機で両替をする人がいて、安心してそれに続く。発車。キーキー、ガタガタ、チンチン、キーキー、プシューーーーーー、ガタガタ、キーキー……と、古い車両のようでわりとやかましい路面電車だった。特にカーブの時のがんばってる感がすごい。
路面電車の走る道路は、ちょっと不思議な感じに見える。道路の上に張ってある電車の電線がうすくかかった蜘蛛の巣か屋根のようで、街全体が、電線の糸でできたアーケードのような気がしてくる。その下を、キーキー騒がしい音をたてながら電車が走る。まるで街自体が何か大きな生きものの巣のように感じる。

10. 道後温泉

道後温泉には、「道後温泉本館」という大きな木造の建物がある。ここが道後温泉の中の「道後温泉」の本体。白鷺が見つけた温泉なのだそうで、その伝説にちなみ、建物の天辺に白鷺の像が居た。

道後温泉本館は、宿ではなくてお風呂のみのいわゆる外湯という共同浴場で、お風呂は「神の湯」と「霊(たま)の湯」、2種類の浴室がある。大広間と個室の休憩室もあり、
神の湯に入れて大広間での休憩(お茶とお煎餅付き!)とか、
霊の湯と神の湯に入れて個室での休憩(お茶と坊っちゃん団子付き!!)とか、
1時間程度の休憩の付いた入浴コースを選べる、スパ施設の日本伝統版みたいな温泉施設だ。

2つの船で瀬戸内海を渡り、さらに2つの電車を乗り継いで、遥々、お風呂に入りにやって来た。ホテルにチェックインし、早速……まずは腹ごしらえをしてから ── (* ¯ ω¯)<鯛めしうま!── 道後温泉本館に向かう。ホテルで外湯用の湯かごを貸してくれるとのことだったのだけど、戻るのも面倒だし、そのまま偵察がてら玉の湯+大広間のコースで入ってみることにした。

外の札場で入浴券を買って、白鷺のシンボルが掘られた石灯籠の間の大きな玄関から建物の中に入る。改札で入浴券を見せると、廊下を進んで突き当たり、階段をのぼって二階の大広間の休憩室に上がるよう言われる。広間の休憩室を覗くと案内の人がすぐに来て、席に通してもらえる。席には浴衣が用意してあって、説明を一通りきいてから、浴衣を持って階下のお風呂へ。

「温泉」といえば「温泉」で、温泉といえば温泉らしいある一定のイメージがある。だけど、道後温泉本館・神の湯の浴室は、温泉というよりは銭湯に近い印象のお風呂だった。優雅にお湯に…みたいなしっとりゆったりな感じはなく、ザッパーンと体を洗ってザブーンとお湯につかってパーッと上がるみたいな、何となくそういう豪快な生活感がある。松山・道後温泉といえば「坊ちゃん」だけど、あの坊ちゃんのリズムで温泉に浸かると、正しく道後温泉になる気がする。銭湯というには重厚で古めかしく、芸術的とも思うんだけど、温泉というよりは風呂とか共同浴場という飾りっ気のない言葉で表現する方が何となくしっくりくる。国も時代も違うし行ったこともないけど、何故だかローマの共同浴場が思い浮かんだ。

この日は平日。近隣随一の温泉とはいっても長期休暇シーズンでもない平日は空いていて、お風呂上がりの休憩でお茶をいただいてる間に他のお客さんはお風呂に入りにいったりで、ほとんど居なくなってしまった。
窓はすべて開け放されて、簾と縁側の手摺の間から明るく青い夜の空が見える。畳の上にごろんと横になって夜風を感じながらうとうとすればずいぶん気持ちいいだろうなあとは思ったのだけど、誰もいないとはいえ一応広間だし、せめてもの気分でお湯で温まってほかほかした裸足の足を縁側に投げ出した。柱にもたれて夜空を眺めながら、甘いお煎餅を食べ、温かいお茶を飲む。

11. 帰路

本当は、道後2日目の午前中はもういちど道後温泉本館に行って、今度は個室で思う存分ごろごろしようと思っていた。が、少し疲れが出てお風呂に入るにはしんどいような気分だったので、個室はまたいつか行くときの楽しみにして、そのまま帰ることにした。後悔しない程度に少しだけ仕残しがあるのも、未来の楽しみでいいんじゃないかなと。

午後も早めに着いた松山空港ではずっと地形と飛行機を見ていた。
滑走路の見える展望デッキから、滑走路を超えて遠くを眺める。左の方は地続きのようで、ずっと先まで半島のように伸びた陸があり、消えてゆく先の正面はよく見えない。右の方は海らしい。島のような三角の山と、タンカーのような大きな船が見える。
自分はいま何を見ているんだろうと思い、スマホの地図と滑走路の方向を合わせてみる。
方向からすると、見えない正面にあるのは遥か遠く九州の大分。だったら、左に見えている陸は佐田岬なんじゃないかなとか、それより手前にある何処かなのかしらとか、ただただそんなことを考えながら、何時間も過ごした。

🚢おふねで瀬戸内海を渡る参考
土生商船(三原-鷺-重井-因島モール-土生) http://habushosen.com/timetable/timetable02
芸予汽船(土生-生名-弓削-佐島-岩城-木浦-友浦-今治) http://www.ehimekisen.server-shared.com/geiyo1.html

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Perspective 前編

Posted on 24 9月 2018 by

1. どこへ行こう

今年は5月頃からずっと夏のように暑かった。カレンダー上の夏に入ったあたりからは35℃オーバーもあたりまえで、ちょっとでも涼しい、涼しいイメージのところへ行きたかった。
それから、数年前の同じ頃、おんせん県の大分で入った温泉、一日中汗をだらだらかきながら歩きまわって夕方たっぷりのお湯にさぶんと入ったこと、夜風に吹かれながら身体を温めた夏の露天温泉の心地よさを思い出して、どうしても温泉に行きたかった。

だから、初めに計画を立てていたのは富山の宇奈月温泉。
帰省の寄り道旅なので、実家のある山陽地方から東京までの間でなんとなく ”涼しい” イメージの土地を求めて、地図を眺めながら線路をたどり、たどりながら景色を想像し、♨️マークを探して、宇奈月温泉に決めた。

広島から富山まではとても遠い。新幹線やら特急やら地方鉄道やら何やら、長距離列車を何本も乗り継ぐ。朝8時に出ても着くのは夕方の手前。旅に出てもそもそもがあまり観光をしない方なので、行った先のことはほとんど下調べもしないんだけど、“ボンヤリしてると日中に着かない” ともなれば、最低限、移動の時刻表は作っておかないとならない。時刻表の数字だけを見ていてもピンとこないので、少しでも土地鑑を得るために地図を描いて、そこにルートや時間を書き込んだ。

2. サンライズ出雲

「温かいコーヒーが飲みたい」と思ったのは出発時刻の15分前。サンライズ瀬戸/出雲号が出発する東京駅9番ホームは新幹線乗換口のすぐそばにあって、その乗換口のすぐそばにはコーヒースタンドがある。何度か使ったことのある店だし10分もあれば行って帰れる自信はあったのだけど、途中で迷子になって出発時刻までに帰ってこれない自信もあったので、あらかじめ買っていた冷たい水のボトルと冷たいお弁当をベッドサイドの小さなテーブルに並べておとなしく出発を待った。次に乗るときには必ず、熱いお湯の入った魔法瓶とコーヒーとカップめんを持ち込もうと考えていて、ふと、子供の頃の家族旅行を思い出す。──車に毛布と魔法瓶とインスタント味噌汁を積んで何故だかいつも夜に出発していた。夜まで待てずに眠ってしまったのにいつのまにか車で出発していて、目が覚めて動く車の窓から見上げた天の川── を思い出した。ああいう旅をまたいつかすることができるのだろうか、できるといいなと思いながら。

22:00。寝台特急のサンライズ号は、まだスーツを着た人々で賑やかな東京駅をそろりと出発する。車内改札が終わるまでは油断せず、きちんと服を着て、ベッドに腰掛けて、粛々とお弁当を食べる。食事も終わり、改札も終われば、あとはのんびり。室内灯を消してシェードを全開にする。

23:23の熱海あたりからは駅にも町の景色にも人影はほとんどなくなって、空っぽの明るいプラットホームや、室内灯を消した暗いビロードの座席にホームの明かりが落ちる無人の列車が見えるようになる。夢のような景色が次々と車窓に現われる。灯りのついた外廊下の大きな団地、誰もいない、と思ったら、舞台のようにたったひとり明るい外廊下を歩く人が浮かび上がる。景色の切れ間からちらちらと見え隠れし始める真っ黒な海。大きな弧を描く、小さな灯りの粒をその弧に載せた相模湾。枝を拡げた樹木のような白い木の柱が並ぶ、月明かりの夜の木陰のような美しい沼津駅を過ぎ、信号だけがひっそり動いている無人の交差点を過ぎる。青い灯と赤い灯、何となく、シグナルとシグナレスを思い出す。見上げると曇り空の一点に薄明るい透けたようなところがあって、じっと見ていると雲が開いて月が顔を出した。

目が覚めたのは赤穂のあたりで、田んぼと、瀬戸内地方らしい小さな丸こい山と、その裾に纏いつく朝霧の景色だった。サンライズを下車する岡山までは約1時間。身支度を整え、寝台の上で脚を伸ばしてしばらくぼんやりする。

3. 山陽本線

距離的にみれば岡山はほとんど地元といっていい土地なんだけど、県が違ってるのもあって地理も路線もそんなによくは知らない。次に乗る予定の三原行きと同じ方向の電車が来て、乗ろうとしたんだけど何となく様子がおかしいのでよくよく確認してみたら伯備線だった。あやうく山陰に行ってしまうところ。

朝の山陽本線。日曜日なので普段の通勤通学の人もいなくてそれなりにのんびり。海が見える側の、進行方向の西に向かって左側の席に座ったけど、こちら側でもどちら側でも海はほとんど見えない。
東尾道を過ぎて少し行ったあたり、しまなみ海道の大きな橋の下で向島造船を過ぎる。それから、たぶん他所の地方の人からすると川のように見える尾道水道。いわゆる”尾道”の景色の一端。
尾道を過ぎたら糸崎の手前あたり、一瞬、視界が開けて瀬戸内海がふわっと見える。
おうちまであと少し。

4. そうだ、おふねにのろう

帰省3日目。台風で交通の状況が難しい。
列車を乗り継ぎ何時間もかけて旅行するのは、交通機関の遅延が発生しないのが前提だ。残念だけど富山は見送ろう、今回は無理をせずそのまま東京に帰った方がいいかも…と思いかけて、もう寝ようかという夜も遅くになって四国のことを思いついたのは、その前の日にちらっと松山空港の話をしたからなんだと思う。
うちのあたりからすると四国は一番近い旅先で、家族旅行で行ったり、小学生の時の修学旅行先だったりとなかなか馴染みのある土地ではあるのだけど、そういえばおとなになってからは行ったことがなかったような気がするし、子供のときに行ってふわふわきらきらとした印象だけが残っている夜の道後温泉にも、もう一度行ってみたいと思っていた。

とりあえずざっとルートを考えて、スマホで松山空港から東京へ帰るLCCの便があることを確認。何にしても次の日は朝早く起きる予定だったので、あとの続きは朝起きてからにして眠った。

5. 瀬戸内海を渡る

朝起きてすぐに船のルートを調べる。昔、港で見かけたような気がしていた四国のどこかの港への航路(※電車と同じように定期航路も船に行き先が書いてある。フェリーなんかだとデカデカと書いてあるので、ふだん船を使ってなくても港の近くを通ってればだいたい何処行きがあるのかは把握する)は無くなっていたので、2本の航路を乗り継ぎしなければならないみたい。

船会社のサイトから乗る時間帯の時刻表をざっと書き写したノートをスマホで撮影して、朝ごはんを食べて、三原港へ。
台風一過。すっかり晴れて、涼しい風が吹いて、とても心地よい朝。

しまなみ海道ができてから、車の人達は橋を渡って四国に渡るようになったのだと思う。いつのまにかカーフェリーの航路は減って、人を乗せる小さな高速艇がメインになったように感じる。
三原港から乗った船は最大とう載100人弱のボートで、後ろの方はオープンスペースになっていた。自分一人だったらなんとなく不安で室内に入ったかもしれないんだけど、先に乗船した年配の女性が一人、後部オープンスペースのベンチに座ったので、心強くなってわたしもその反対側に座った。平日の午前中の船は空いていて、この後ろのスペースはその人とわたしの二人きり。とても贅沢。

港を出港した船は、ぐんぐんスピードを上げて沖に向かう。台風が抜けた翌日のせいか、それともいつもこのくらいなのかは知らないけれど、小さい船は波をうけて、ざぶんざぶん揺れたかと思うと波飛沫がばさっと降りかかってきた。
(こんなにいい天気だというのに乗ってきた人たち皆んな室内に入っていったのはこのせいか!)
ちょっとしたスプラッシュ系ローラーコースター。一瞬、先の女性と目が合い、笑いながら、バックパックを抱えて防風ガラスがあって飛沫がかからない席にあわてて移動する。何かひとこと言葉を交わしたのだけど、何と話したか覚えていない。ひどく揺れる船のベンチと、船のエンジン音と、波飛沫が船に当たるバサバサいう音と、扉の向こうに見える操舵室と、左舷の女性と、右舷のわたしと、瀬戸内の青い空と、流れてゆく島の景色。

▶︎ Perspective 後編(因島〜松山空港) に続きます

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「毛糸のジッパーケース」アンケートのお願い

Posted on 22 9月 2018 by

来年の手帳や文具が店頭に並びはじめ、ノートブックの秋、手帳の秋となりましたね。

さて、2016年3月よりトラベラーズノート用の「毛糸のジッパーケース」をこちらで販売してきましたが、ここで一度、お買い上げくださった方々を中心にアンケートを実施したく、告知させていただきます。
ご購入者の方々には、すでにメールにてアンケートを送信いたしました。
それぞれの宛先は、お買い上げの際にご入力いただいたメールアドレスです。
もし、該当の方で届いていない方がいらっしゃいましたら、私までご連絡ください。
(迷惑メールフォルダに入ってしまっている場合があるようです)

また、まだ「毛糸のジッパーケース」をご購入いただいていない方でも、
もしお聞かせ願えるのならば、下の質問事項をコピー&ペーストし(答えたいものだけでもOKです)、プロフィールに載せているアドレス宛てに送信いただけると幸いです。
『「毛糸のジッパーケース」、ここがこうだったら購入検討するのになー』等、匿名で構いませんのでお聞かせ願えませんか。
その通りに作るかは(技術的な面で)お答え(またはお応え)できかねますことご了承くださいね。

ご返送いただいたご回答は、真摯に拝読し、こちらでまとめ記事として公表したいと考えています。
それによって「毛糸のジッパーケース」のなにかが変わるかもしれません。
ご意見により改善していけたら、と思っております。
ぜひ自由で率直なご意見をお聞かせ願いたいです。

先ほども述べました通り、アンケートはこちらでまとめ記事として公表する予定ですので、回答期限を設けさせていただきます。

ご協力いただける方は、2018年10月8日(月・体育の日)までにご返送くださいますようお願いいたします。

下記よりメール本文です。
(未購入でご協力いただける方は、その旨をご入力の上、持っていたらこうだろうというようなことで構いません。なんか、わかるように書いていただけたら結構です。)

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ピース・メーカーさんからのお題 [072.母の若いころの手紙を読みたいですか?]

Posted on 26 7月 2018 by

こう書くと,僕がどこぞのマザコンみたいに思われるかもしれないが,僕は母がわりと好きである.

大体,意見を求めると,とても的確な答えをしてくれるのが一つ.

もう一つは,私が独自に意見を述べると,ふんふんとうなづいて聞いてくれるからである.

そんな人,この世の中にそう多くはない.本当に残念なことだけれど.

 

母の若いころの手紙を読んでみたいですか,という質問を見て,思い出したことがある.

それは,僕が,父が母にあてた手紙を読んだことがある,というものだ.

正確に言うと,父が父になる前に,母になる前の母に向けて送った,プライベートな手紙である.

2人はおつきあいしていたのだ.

 

 

僕はそれを何かの拍子で家の中で拾い,母にかえした.

内容を見たのだけれど(というのも,読む前までそれが手紙だってことなんかに気づかなかったものだから),内容自体は大したことはない.

I love youもなければ, I miss youもない.簡単なお礼と,次の約束を取り付けるようなものだったと記憶している.

 

しかし,結構奇妙な体験だ.私は母になった母にしかあったことがないし,父になった父にしかあったことはない.

そういう意味で,父になる前の父の手紙を読んだので,母になる前の母の手紙を読まないと,なんとなく気持ち悪い感じもしなくもない.

ただ,そんなことはきっと起こらないだろうと思う.

 

今の若い人たちは,手紙って送るんだろうか.

僕みたいに,奇妙な体験をするには,それが未来において参照可能な形で保存されていなければならない.

I love youだの,I miss youだのが.

しかし,LINEもメールも,きわめてパーソナル形で残されるか,あるいは消去される.そこに,あたかも何もなかったかのように,消えてしまう.

おそらく,僕みたいに奇妙な体験をできる人は,減っていくんだろう.

 

私はすべてを記録できないし,すべてを記憶することもできない.

それが人生なんじゃないか!と快闊に語ることができたら,どれだけいいだろう.

僕の根暗な性格では,それは難しいかもしれない.

手紙ぐらい,時々書いたっていいじゃないか,と思うのである.

 

恋文を 量りし夕凪 畳薫る

neokix

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伊東で求めた万年筆

Posted on 15 7月 2018 by

伊東にゆくならハトヤ“というCMが関東圏では定番らしい。北海道の”定山渓ビューホテル サンバカーニバル“みたいなものだと信じている。今日は伊東屋で万年筆を購入した話を書こうと思う。
文具店で万年筆を買い求める経験はこれが最初で、特に詳しくもないので、知ったかぶりをせずにお店に行き色々聞きながら購入した。インクの詰め方や、メンテナンスの仕方を丁寧に教えてもらえた。

購入したモデルはパイロットというメーカのカスタム74というもの。最初の一本には悪くない選択とのこと。

インクは今のところ標準のインクカートリッジを使っている。

今朝は意味もなくノートパッドに文字を書いたりしてニヤニヤしている。

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153.Define it  ―私の好きな怪談を定義する

Posted on 15 7月 2018 by

 ノートブッカーズお題に “153.Define it(定義せよ)”が、あった。
そこで季節がら、「私の好きな怪談」を定義してみることにした。

はじめに

 私は怪談が好きだ。幼少期から「ムー」を購読し、「あなたの知らない世界」や「心霊写真特番」などを見聞きしては、夜な夜な後悔していた。
そうして、多くの怪談に親しんでいるうちに、どうやら、「好みの怪談」が固まってきていた。というか「好みでないもの」が明確になってきた、というほうが正しいだろうか。
そして今、この原稿の下書きをしながら私は、「いわゆる怪談」なんて好きではなかったのだということに気づかされた。それでは、なぜ私は「怪談」が好きだと勘違いしていたのだろうか? 私は頁を改めて、「私の好きな怪談」を定義しなおしてみた。

Ⅰ.私好みではない怪談を定義する

1.理由にならない理由

 「怪談」のすそ野は広い。
『氷菓』という作品の「愚者のエンドロール」篇で「人によってミステリーの定義はずいぶん違う」という場面があった。それと同じく、人々が「怪談」と言われて思い浮かべる話は様々だろう。
「心霊現象」「祟り」「風習」「自業自得」「民話」「妖怪」「サイコパス」「狂気」「超能力」「シンクロニシティ」「転生」「エクソシスト」などなど。これらの話は、たいてい「怖い状況の発生」と「その理由」がセットになっている。そして私好みでない怪談とは「その理由」をもつ話なのである。

 怪談の冒頭か最後かで語られる「怪異の理由(=原因)」は、実際のところ「理由」になっていないことが多い。「その部屋で自殺した人がいる」から「住んでいる人が次々に自殺する」なんて、説明になっていないことは明らかだし、現象の方も全くおもしろくない。そんな「怪談的お約束」に、私は退屈してしまうのだ。

2.類型的な演出

 「かくれんぼ」「追跡」「人別改め」の構造をもった「怪談」は多く語り口も類型化されている。この文体ではたいてい「くりかえしの後の断定的大声」によって「吃驚させようとする」。急に大声を出されればびっくりするのは当然で、これは「怖い」というのとは違うし、むしろ「怪談」を壊していると思う。

3.心温まる怪談

 霊現象を扱っていながら「命を救われる」とか「心が通い合う」とかいうタイプの話が、「世にも奇妙な物語」などに多い。これらは登場人物に「霊」を交えただけの「渡る世間は鬼ばかり」にすぎない。

まとめ

 私好みでない怪談とは「怪談の話法で怪談的理由に頼った怪談らしい怪談」だった。

Ⅱ.私好みの怪談を定義する

1.因果因縁は不要のこと

 「因果因縁不要」この条件によって、「長編怪談」はほぼ全滅する。「長編」とはその大半が「因果因縁の説明」だからだ。だから私好みの怪談とは「新・耳袋」型となる。

2.新・耳袋型とは

 私が考える「新・耳袋」型怪談の特徴は「不思議な現象だけを淡々と語り、言いっぱなしで終わること」である。(この精神こそ、元祖「耳嚢(根岸鎮衛さん)のモットーであった。)
「因果因縁」で説明されてしまうところに「不思議」はなく、それらの怖さとは「理解できる怖さ」でしかない。正確に表現するなら「怪談的お約束を理解できる怖さ」ということになる。
「新・耳袋」型の怖さとは、「目の前の現象が理解不能なために引き起こされるパニックから、思考が強制停止し、あたかも「放送を終了したテレビ画面を席捲する砂嵐」を見つめ続けている時の、自らがバグってしまった(のではないかという)怖さである。そこには、静かな恐慌と、爆発的な笑いの予感が同居する。

3.同じ構造をもつ話の例

 都市伝説(陰謀論は除く)、「ロア」(ネットより)、「ちょっと不思議な話」(南山宏さん)、伊藤潤二さんの「阿彌殻断層(あみがらだんそう)の怪」「落下」「首吊り気球」、「百物語」(杉浦日向子さん)などが思いつく。

まとめ

 以上から、私好みの怪談の定義は
「私の世界認識や現状認識や知識が揺らぐほど理解不能な現象(=不思議)を表した話」ということになる。

Ⅲ.この定義から得られる定理

1.私好みの怪談(以下【怪談】)に「霊」は必須ではない。
2.【怪談】は「奇妙な話」の中に含まれている。
3.【怪談】は既存の「恐怖」では処理できない
4.【怪談】は「オーパーツ」「世界の七不思議」「UMA」「深海生物」「絶景、奇景」を含む
5.【怪談】は唯物的である
6.【怪談】は実話である必要はないが、創作するのは困難である
7.【怪談】は「霊」より「妖怪」にシフトする
8.【怪談】はヒューモアを有する

以上

おまけ ノートブッカーズお題
「文具にまつわる怪談を教えてください」

上記の定義はあくまでも私的なものなので気にせずに、あなたの「Notebookers的怪談」を、教えてください。実体験、創作談は問いません。あなたは何を「怖い」と感じますか?

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「なつかしさ」とはなんなのか

Posted on 08 7月 2018 by

 

「なつかしさ」,についてここひとつきほど考えている.

そりゃあもしかしたら「僕はかれこれもう30年もなつかしさについて考えているよ」という人があるかもしれない.

でも僕だって「なつかしさ」について考えてみたっていいじゃないか,とすねてみる.

 

さて,「なつかしさ」.なぜそんなみょうちくりんなことを考えているかというと,それは僕がジオラマ作家でもある南條亮(なんじょうあきら)さんの「人形が語る懐かしの昭和」と副題された展示会に,たまたま出くわしたからにほかならない.なによりも入場無料だから,ちょっと入ってみようという感じになったわけである.

 

入場無料!人形が語る懐かしの昭和-大阪「ジオラマ記念館」 | 大阪府 | トラベルジェイピー 旅行ガイド : https://www.travel.co.jp/guide/article/30304/

南條 ジオラマ – Google 検索 : https://goo.gl/oPxQDd

 

上の記事を見ていただいたらわかるけれど,戦後復興から,昭和までを時系列に歩く構成のジオラマである.

見ている人はやはり昭和生まれの人が多いような気がした.僕がぎりぎり昭和生まれだから(昭和60年代),それから考えるとやっぱり来るのは昭和な人たちなのだ.中には白髪のご老人もいる.

 

ジオラマは感心するほどリアルな感じがする.特に戦後復興.例えば,空爆で赤子を無くしたショックからか,かわりに犬をおんぶしている女性,あるいは派手な化粧でドレスを着て,米軍の将校に話しかけている女の人,戦争で片腕を無くしたのか,「更生のために」と書かれた看板を立てて,片手でハーモニカを吹く元軍人,喧嘩っぱやい男たち.

そして,そんな雰囲気を見ていると,つくづく「あぁこんな時代に生まれなくてよかったな」と思わされる.YouTubeもNotebookersもLINEもノートパソコンもない時代を経験してきたけど(それはほんの少し前のような気がする),それが煩わしいと思いながらも,やはりあったらあったほうがいいと感じるのは人の性か.

その後,やっと懐かしの昭和がやってくる.板張りでネズミの出る家や,ロバに群がる子ども,子どもたちがめんこやこまで遊ぶ姿,などなど.

 

さて,ここで気になるのはこの「なつかしい感じ」はどこから来ているのだろう,ということ.私はめんこで遊んだことはあったかもしれないけど,ロバに群がったことはないし,家でネズミをみたこともない.これを懐かしいと感じるのはなにかおかしい.なによりも,その資格がないような気すらする.

あるいは,私の感度が低いのだろうか.僕は,なつかしさをしんみりと感じるべきだったし,あるいは,ちょっと涙ぐむことがあってもよかったのだろうか?などと,少し自分を責めたりして.

 

「なつかしさ」とは何だろう.懐かしいとは,どういう感情なのだろう.

経験したことないことでも,なつかしさを感じるべきなのだろうか.

 

展示会のポストカード200円の懐旧

neokix

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知らないから知るへの道順

Posted on 27 6月 2018 by

知らない事を知るまでの過程はできるだけ暗闇の方が面白い。

未経験な事に出会うまでに自分はどういった道順を辿っているかを考えてみたけど、案外知っている事から導入されていそうだな

そう ふと 考えた時に、不快じゃないけどなんだかムズムズする勿体無い感が出てきた。

大げさだけど得体の知れないものを初めから自分のフォーマットに書き換えて吸収しやすくし過ぎてるのではないか、ある意味恐怖すら感じる。

日頃から感じているマンネリ感の正体は噛み砕きすぎな気がする。

たまには知っている形に整えないで無理やり喉を通さないといけないと心に刻んでおこう。

久しぶりの記事がこんなんですいません・・・

 

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それっぽいものを編む

Posted on 25 6月 2018 by

普段はかぎ針編みで、トラベラーズノートに合うジッパーケースなどを作っておりますが、

たまにこういうものを無性に編みたくなります。

ある書店のカバー、書皮と呼ばれるものですね。

電車の中で、書皮をかけた本を読んでいる人を見かけ、なんとはなしにぼーっと眺めていたところ、

「あれが編みものでできていたらおもしろいなー、おもしろいんじゃないかなー」とふと思ったことが始まりでした。

降車駅に着くころには、二色の毛糸を買いに行くことを決めていました。

 

その後、何年かして、コーヒーの紙コップにつけるスリーブ(熱くないようにつけるもの)を手作りしたものを雑貨店で見かけました。色とりどりの可愛らしいデザインで。

「あのコーヒーショップのデザインのまま、毛糸でできてたらおもしろいのになー、おもしろいんじゃないかなー」とまたふと思いました。

またすぐに二色の毛糸を買いに走りました。黒い毛糸は持っていました。

 

書皮の時もそうなのですが、柄は刺繍のように後で入れるのではなく、端から編み込んでいます。書皮は直線的なデザインだったので、特に苦労はなかったのですが、この有名コーヒーショップのデザインは違います。「複雑な図形の編み込みなんて面倒だからやったことない、でも作りたい、けどどうしよう」材料は揃ったものの逡巡します。

まず、本物のデザイン画像にモザイクをかけ、それを編み図としてその通りに編んでいけば良いのではと、思い立ちました。ドット絵のような見本があれば簡単だと思ったのです。

緑色の円形の中に、尾を二つ持った人魚のデザイン。これを認識できるようにドット絵を作ったところ、A4サイズになりました。大きすぎるのではと不安がよぎります。でもひとマスは毛糸の一目なので、実際作ったら小さくなるだろうととりあえず編み始めます。でも、結果は約4分の1、マスクくらいの大きさになっただけで、紙コップに添わせるスリーブには大きすぎるのでした。

もっとマスを減らして単純なドット絵にしなければならないと悟り、一気にやる気を失います。普段何気なく目にしているドット絵は、とても計算され精査されてあの単純なピースに集められているのだということを身をもって知りました。

また編み図を作る気力は残っていませんでした。

「なにがやりたかったんだろう」初心を思い返します。

なんか、それっぽいものが作りたかったんだよねー、ふわっと見たら見過ごしてしまうような、でもよく見ると実は毛糸で編んでいる…というものを。

じゃあもう編み図は要らないな、と結論が出るが早いか、「あのへんに緑色入れていけばいんじゃね?このへんじゃね?」と、本物のスリーブと照らし合わせながら大きさに注意して編むこと数時間。

くるくると下から螺旋状に編んで、このスリーブはできあがりました。ちょっと厚みがあるし、人魚には全く見えないけれど、作りたかったものを完成させることができて満足です。

 

それからまた数年経ちまして、今年のこと。

今年の日記に選んだ「ほぼ日手帳カズンavec」のカバーを編みました。

大学ノートっぽくしようと思ったのは、岩波文庫のデザインを再現した市販品のブックカバーをどこかで見かけたからです。あれ編みものでできんかしら、と頭の隅に残っていました。

文庫本にするとタイトルとかどうしよう、好きな本?いや、一つなんて選べない。ではノートブックのデザインだったら?いけるかも。そんな感じでした。

かぎ針編みをやったことある方ならお分かりいただけるのですが、前回のスリーブは、一方向にクルクルと色の異なる毛糸を編み込んでいくので、比較的狙った通りに色を置いていけました。

しかし、このノートカバーは平面なので、表裏があります。

私は右利きなので右から左に編み進み、端まできたらそれまで表だった面を裏へひっくり返し、裏だったら表へ返してまた右から左に編んでいくのです。

表を編んでいるときは見ている面の狙ったところに、今回でいうと黒糸を出して編めばいいのですが、裏側を編んでいるときに、表面にどう黒糸が出るのかよくわからず、編んでみては解いてを繰り返し、なんとか下の第一号を編みました。

端から一段一段、編んでる様子。

表面だけを撮影していますが、この裏面は黒糸を渡してあったりして表と同じ図になっていません。できるんだろうけど、インターネットで調べてみたかぎり分かりませんでした。これは私のこれからの課題です。

試行錯誤しながら数日かけて編んでいるので、「模様がへんなふうに出てるけど、もうこれでできあがりにしようかな」と、正直なところ何度も思いました。でも、「これを目にするたびに『ここをこうすれば良かった』と後悔するだろうな」というのも何度も思いました。

第一号の手を止め、第二号にとりかかったのは、ひと月ほど経ってからでした。

なんとかもう少しきれいに、狙ったところに黒糸を出せないかと再度挑戦したのが、上の水色と黒で作った第二号です。あまり変わらないかもしれないけれど、上下のライン模様が、第一号よりは思ったとおり出せたかなと自負しています。

また、第一号を編んでいるときは黒糸の出方ばかり気にしていたので糸を引き気味に編んでしまい、A5サイズに作りたいのに、上下がだいぶ短くなってしまっていました。

第二号ではそれも鑑みて作れたので、やはり編み直してよかったです。

因みに、ノートカバーを開くとこんな感じです。

横軸のノートブックっぽく、ストライプの生地を差込口に使用しました。開いてもノートっぽいを目指したよ。

さらに因みにですが、中央に生地をかぶせておらず(黒い部分)編み地のままになっているのは、背表紙が厚くなってもそれに対応できるようにです。

中に入れる「ほぼ日手帳カズンavec」は分冊で、2冊で1年分です。合わせると厚みが2.5センチメートルほど。これを、1冊で使用している今年中も、2冊とも保存する来年以降も、同じカバーに入れておきたかったのです。

「ほぼ日手帳カズンavec」2冊とも入れたところ。ほらね、背表紙が伸びるでしょう。

 

ほんとうは表紙に「NOTE BOOK」と黒糸で編み込めればとっても格好いいのだけど、編み技術が追いつかず、裏編みの時の糸の渡し方とともに私の今後の課題が浮き彫りになったところで、恥をまとめたものはこの辺で終わりにさせてもらうとします。

 

 

 

 

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第3回Bullet Journalプチオフ会にちょっとだけ参加してきた話

Posted on 17 6月 2018 by


毎度ご無沙汰しております。
今年2月に行きつけのポケモンセンターで限定品のピカチュウモレスキンを入手したのをきっかけにBullet Journalをしていた私。去る2018/6/16、むやたん様主催の第3回Bullet Journalプチオフ会に参加してまいりましたので、筆をとった次第です。
といっても、都合により第1部の手帳朝活の部分にしか出られなかったのですが…

朝の部だけにも関わらず、時間が濃厚でした。
集まった4名で、時に黙々と手帳を書き、時にグデグデと手帳をはじめとする文房具周りの雑談で盛り上がり…
文章だと何その緩すぎる集まり、という印象しか持たれないかもしれませんが、大量の文房具に囲まれながらゆっくり時間が過ぎていくこのひと時がもう本当に幸せな時間だった(語彙力不足)。
特に黙々と手帳書いてる時間なんかは、小中学生時代に友人同士で集まってみんなで宿題やってた時を彷彿させ、懐かしさも相まって。
しかも主催者様から、限定モノの添え文箋やらマステやらをお裾分けいただきまくる始末です。

次は、皆さんにお裾分けできそうな文房具を携え、メインプログラムまで出てみたいです。
引き続き開催予定とのことですので、Bujo愛好家の皆様やご興味をお持ちの皆様におかれましては、今後ぜひご参加を検討されてはいかがでしょうか!

むやたん様、そして参加者の皆様、すてきな時間をありがとうございました。

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断片

Posted on 17 6月 2018 by

わたしはあまりノートを書かない。たぶん、Notebookersイチ、ノートを書かないんじゃないかと思うくらいに書かない。
人のノートを見るのも実はあまり好きじゃない。いや、「好きじゃない」とは違う。すごく興味もあるし見たい気持ちもあるんだけど、見ることが少し怖い。生々しくそのひとそのものの欠片であるようなノートを覗くのに躊躇する。恐る恐る、に近いような気がする。

ずっと昔、

本を本棚に収めている時に見つけて、何の本だろう?と開いたら、本ではなくて手書きのノートだった。ノートだ、と思った瞬間あわてて閉じたので何が書いてあったのかは知らない。本の間に無造作に突っ込んであったくらいなのだから
・・・
うっかり見つけてしまったノートブックを隠すように差し込んだその本棚の隅は、結界が張ってあるみたいに、禁忌のように、その家を出る何年もの間ずっと、触るのも、視線を落とすことすらも避けた。

─────

柚子の木の折返し場、殿の谷戸、めぐみ野、日あたり台、野猿峠、絹の丘、多摩丘陵、打越弁財天、北の野、北野天神、六万坊、子安、

※ バスに乗りながら

─────

not much / nothing much
without haste
modest – confident

─────

ポストアポカリプス
Post-apocalypse
Post-apocalyptic

─────

echo break crack

─────

マギーブイヨン
キャベツ茹でてみじん切り
絞って
ミンチ牛豚合挽き
にんにくみじん
玉ねぎ生でみじん
塩、胡椒、
醤油はほんの気持ち

※ 母の餃子のレシピ。ブイヨンは餃子ではなく、餃子をつける付け汁。うちの餃子はちょっと変っていて、野菜っぽいさっぱりした焼き餃子を温かいつゆにざぶんとつけて食べる。

─────

卵豆腐
卵1 だし2

茶碗蒸し
卵1 だし4

いりこだし

※ 卵の蒸し料理だしの配分

─────

lquince paste
halloumi / hellim

※ ずっと食べてみたいと思いながら見たこともなく2年半経った。

─────

コンテ
カマンベール ノルマンディ
ブルーチーズ61

─────

酒、塩、胡椒、醤油、にんにく(おろし)

まるのまま一晩漬ける
唐揚げ
カットして一味唐辛子をぱらり

※ 砂肝の唐揚げ

─────

ごまめ一袋をからからさくさくになるまで(弱火で25分)から炒り(途中から胡桃を加えて一緒に炒る)する
オレンジマーマレードに醤油を加えて煮る。しゃもじですーってなるまで煮込んだところにごまめと胡桃を加えて混ぜ、からんだら、バットへあけて冷ます。

─────

6/9 1030

6/3 5/25 4968
6/23 6/14 1840

※ 謎の数字。家計簿につける何かの代金のメモかと思ったんだけど、複数の日付(らしきもの)にまたがるものもあって謎。

─────

マシュマロトースト
とろけそうに愛くるしい人たちに乾杯

※ 何かの本からの抜書き。「ザ・コピーライティング」(ジョン・ケープルズ著)のような気がする(曖昧)

─────

El Borrachito Canto andino
El Borrachito del canto andino
The Andean ridge Borrachito

─────

that’s ok i like it

─────

琥珀と硫黄と魔法の材料。
革のリボンで縛られる。

─────

絵が欲しいにはマッチするが、絵を買うことによる諸々にはマッチしない
(インテリア、技巧)

重い額縁、モダンな額縁

絵描きのパトロン

─────

ハシエンダアルナシア

ハシエンダアルサシアの間違い。スターバックスのコーヒー豆。音の響きが好きでメモしたものだと思う。

─────

マイナンバーカード
4.5×3.5

パスポート切替新規申請
一般旅券発給申請書
4.5×3.5

─────

‘最良のデザインに出会うと、「このデザインが採用されたのは必然だ」などと感じたりするものですが、たいていは別のデザインもありえるのです。’

※ 何かの本からの抜書き。「マイクロインタラクション」(Dan Saffer著)のような気がするけどまったく違う気もする

─────

ふと思いついて、日曜日の夜のホテルをとってみた。

※ 次

─────

154

アドルフヴェルフリ

─────

59 59
104-5

2.02 1.36 1.77
1.76

1.70 1.79
1.48

1.34 2.12

※ 寸法

─────

島に住む伯母がいる。伯母の家は納屋から小さなモノレールが出ていて、お山のみかん畑に続いていた。冬になると、ダンボールいっぱいの甘酸っぱいみかんが船に乗って島から届いた。
高校生の時、船で島から通ってくる子たちがいた。とても優秀で何で島からの子はみんな賢いんだろう?と思っていたのだけど、「船で勉強してるんだよ」と聞いて何だかとても納得した。電車通学もバス通学も(自転車通学も!)したことのないわたしにとって、”通学の船”で勉強したりマンガを読んだりおしゃべりをしたりという時間は、何だかとてもうらやましいものだった。
自転車でフェリーに乗って、島に海水浴に行った。自転車でひと山超えて港の反対側に出た時の、夏の濃い日陰の道から真っ白な太陽の光にきらきらした海。

瀬戸内海沿岸の町に暮らしていると、島や船はとても身近なものだ。島に住む彼らは電車やバスのように船を使い、電車やバスの時刻表のように船の時刻表を気にし、駅やバス停のことを話すように港を話す。わたしは島に住んだことがないので、彼らのように船を使ったことはない。
と、帰省して実家にいる時にふと思い立って、海路で隣町に行ってみようと思った。

http://www.go-shimanami.jp/access/ship_map.html

三原→(鷺経由)→因島・重井港
徒歩30分弱?
重井東港→尾道
尾道(福本渡船)→向島→尾道(福本渡船)

※ 3年近く前、午前中の船旅。とても暑い日。尾道でラーメンを食べて、電車で帰った。

─────

わたしはあまりノートを書かない。食べたものはしばらくつけていたのだけど、結構な負担になるのでやめてしまった。iPhoneの「メモ」と写真と、時々頭の中の情報を整理するために紙に描くくらい。今日はそのノートをそのまま、ここに置いてみたくなった。

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Note of the note ―ノートの調べ  p.5 太宰治さんの横顔のノート

Posted on 03 6月 2018 by

はじめに

「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

第5回目は、太宰治さんのノートを鑑賞する。

出典


1.別冊太陽 日本のこころ159 太宰治 生誕100年記念 平凡社 2009.07.09

2.弘前大学付属図書館貴重資料 太宰治自筆ノート(「英語」ノート、「修身」ノート)

予習用読方帖

1923(大正12)年。14歳のとき、青森県立中学校受験勉強の一環として、二十篇の課題綴方を書いた。(p.169)

   

左 表紙 右 本文 (p.23)

官立弘前高等学校1年(1927/昭和2年/18歳)の英語ノート

英語のノート

英語の教科書の見返し(p.37)

 

弘前大学付属図書館貴重資料 太宰治自筆ノート 「英語」より

表紙

見返し

ノートの解説は

青森近代文学館 太宰治の旧制高校時代のノートについて 安藤宏(東京大学准教授)(以下「解説」とする)による

「英語」のノートから解説に入ることにしよう。
使われているのは横罫線二三行の大学ノートで、表紙左上に弘前高校の校章が刷り込まれ、裏表紙に「今泉本店(注ー弘前市内の主要な書籍店)特製」の標記がある。サイズはA4版に近い縦二一〇ミリ、横一六五ミリ。表紙に「Johnson & Goldsmith/Essays by/T.B.Macaulay/The Hirosaki High School/L.1.1/S.Tsushima」と記入されている。太宰は昭和二年の四月に文科の一年一組に入学しており、「L.1.1」とあることから、第一学年時に使用されたものであることがわかる。

英語の授業は「発音」「綴字」「読方読解」「話方」「作文」「書取」「文法」からなっているが、このノートには文学作品の現代語訳が記されているので「読方読解」に該当するものであろう。

下(閲覧p79)顔の下の欄外の書き込み (解説より)

橄欖之実が/ほろほろと/月の光に 散つて行く/TaRanTuLa!/蜘蛛に咬まれた若者は/空を見つめて 舞ひ狂ふ/哀れ悲しく/舞ひ狂ふ

当時、多くの高等学校がそうであったように、弘高でもまた、〝ノート主義〟ともいうべき風潮が支配的だったようだ。あたかも速記術を思わせるような口述筆記が授業の中心をなし、それが学生にとって大きな負担になっていたようである。(解説)

落書きページ

裏表紙

「英語」のノートには、実に多くの箇所に落書きがあるが、その大半は肖像画(4~8、14、19、27~30、34、36、40、41、43~45、47、53、57、59、73、83、86、裏表紙など)と、英語・日本語による自己の署名(3、58、59、86など)である。(中略)自画像や、来るべき文壇デビューに備えてのサインの練習(?)を繰り返している様態は興味深い。

官立弘前高等学校2年(1928/昭和3年/19歳)の修身のノート

「修身」の科目は文理共通の三カ年に渡る必修科目。
講義内容の大まかな構成は次のようになっている。
吾人ノ国家観及ビ吾国体
国家ト個人ナラビニ愛国心
歴史上ヨリ見タル吾国ノ特性
日本民族ノ外観
1、日本の民族及国民(注ーここから〈第参学期〉とある)
2、日本ノ国民国家
3、日本社会運動ノ諸傾向ト我が氏族性(ママ)(解説)

表紙

表紙見返し

「修身」もやはり「英語」同様、横罫線二三行の大学ノートで、弘高の校章が刷り込まれ、サイズも同一である。ただしこちらは「今泉本店特製」ではなく、「神書店製」の標記。表紙に「修身/宮城教授/弘高/文 二 一/津島修治」の記入がある(「二」の漢数字は白黒の画像だと「三」に見えるが、実際は「二」である)。昭和三年度、太宰の第二学年時のものと考えられよう。38頁まで使われ、あとは白紙。なお、ノートの終わりの部分に七ページに渡る落書きがあるほか、「英語」同様、表紙、裏表紙、表見返し、裏見返しにも落書きがある。(解説)

閲覧p.71 自画像?

閲覧p.79 津島修治サイン

顔ばかり

裏表紙

二冊のノートの人物画像の合間に頻出する数多のサインは過剰な自意識の表象でもあろう。名前と共に The Hirosaki High School の署名が多く記されているが、そこからは一方で旧制高校スピリットの交錯した、屈折したプライドをうかがい知ることができる。(解説)

太宰治愛用の万年筆

(別冊太陽 p.41)

エヴァーシャープの万年筆はもともと美知子夫人がアメリカ土産にもらった品であったが、いつからか太宰が使うようになった。透明な軸は途中で破損して取り替えいちいちインクをつけて書いていたが、軽く字を書く癖があった太宰は、1939(昭和14)年頃から最期まで、この万年筆1本で執筆を続けることができたという。
(この文は、青森近代文学の名品 vol.1 太宰治 愛用の万年筆より)

太宰治さんの万年筆は、EVERSHARPのDoricシリーズかと思われる。(キャップの金具の形状から)検索により似たものは見つかったが、型番は判明しなかった。しかし、同型の万年筆を落札なさったジョリ様のブログを見つけた。参考としてご紹介する。ジョリのブログ 2016-01-07 太宰治の万年筆

ちなみに使用していたインクは 丸善のアテナインキ(P.149)とのこと。

有明淑の日記

彼女が19歳の頃、本人が太宰へ郵送した。

太宰はこの日記を再構成して『女生徒』を書きあげ、川端康成の絶賛を受ける。1939(昭和14)年4月「文学界」。翌年12月には北村透谷文学賞副賞を受賞した。

太宰から『女生徒』を送られた彼女は感激し、長く愛蔵したという。(p.80)

手帳

1947(昭和22)年12月のページ。(38歳)

(P.115)

この年の11月に『斜陽』のモデル太田静子との間に治子が誕生。太宰は認知。12月に『斜陽』発表。一躍流行作家となるも、精神と身体は蝕まれ続ける。3月末に、看護婦兼秘書の役割を果たす山崎富栄と出会っている。

『M.C様へ うぬぼれないでください』

太宰は、M.C、マイ・コメヂアン、を自称しながら、どうしても、コメヂアンになりきることが、できなかった。(坂口安吾『不良少年とキリスト』より抜粋)(p.102)

1948(昭和23)年2月のページ(39歳)

この年、『太宰治全集』の配本が始まる。

『如是我聞』を連載。『人間失格』の執筆開始直前の時期。

この4か月後に山崎富栄と入水心中。

おわりに 横顔のノート

弘前高等学校時代の二冊のノートのおびただしい落書きの大半が「横顔」であったことが、ひじょうに印象深い。横顔で目立つのは、「鼻」「顎」そして「眼」である。

「鼻」「顎」は、自尊心の象徴として用いられるものであるし、「眼」は虚栄心、自惚れ、承認欲求などを表すように思う。そして、その眼が真正面からではなく、横、もしくは斜であることが、太宰治さんの性質の全てを表しているかのように思われるのだ。

たとえば太宰治には過敏な自意識はあります。いつも他人に見られていると思っている。しかし、そこに「まなざし(サルトル)」はないと思います。日本の私小説家は自意識だらけですけれど「まなざし」はない。
柄谷行人(『ダイアログⅤ p.331 戦後文学の「まなざし」)より

『太宰は絵や書を一気呵成に仕上げることが多かった。とくに酒席の「席画」が好きで、酔った勢いでものの数分で描くこともしばしばだったという。(pp.58-59)』

左頁 自画像 /1947 (昭和22)年

右頁上 三つの貌 /1947(昭和22)年

右頁下 風景 / 1940 (昭和15)年ごろ

さいごに、太宰治さんといえば、月見草が有名だが、私には1940(昭和15)年に描かれた「水仙」の絵がとても印象深かった。

以上

おまけ 5月のマンスリー絵日記

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『人はなぜ日記を書くか』読後雑感

Posted on 27 5月 2018 by

※以下は別のブログに書いた記事を転載したものです。


『人はなぜ日記を書くか』 大島 一雄 著
Jパブリッシング(1998/11発売)


はじめに

日記という事件

本書にこのタイトルの答えを求めてはならない。なぜなら本書では「日記」ありきの論考しか行われないからだ。そのような姿勢で「日記」を扱うのなら、「日記」を解体するところまでいかねばおもしろくないのだが、本書において「日記」は、徹頭徹尾「日記」のままだ。
一体、この本において、いやこの本の筆者にとって、「日記」とはどのような「事件」だったのだろうか?

ここで唐突に「事件」という言葉を用いた理由は
「今の私の気分として日記はテクスト化すべきではない、と思うから」
と、今の私はとりあえず、説明するだろう。
結局、私は『人はなぜ日記を書くか』などいう問題提起には、なんの魅力も感じていなかったのだ。むしろ「人はなぜ日記以外のものを書きうるのか」のほうが、よほど今の気分なのである。

読んだ理由

ではなぜ、本書を手にしたのか?
その理由は本書が網羅している日記資料の豊富さである。それが本書唯一の長所である。
膨大な資料を読み込んでいるからこそ、筆者は、日記筆者と、その関係者の日記を、横断的に読み合わせることができた。
ただ、その作業が糸を毛糸に拠り合わせるに留まり、編み物を編むに至らなかった点が残念なのである。

日記から普遍へ

そのようにして立ち上がる日記(個人)相互の関係性としての編み物こそが「小説的」に「時代」を構成するのではないか。
そしてそのようにして立ち現れた「時代空間」は「無数の人称」によって、「普遍」となるのではないか。

そんな酔狂な考えが、頭をよぎった。

日記と世界

もともと世界とはそのように編まれている。
「日記」という「自己疎外=モダン」の産物を「時系列」で「横断的」に集成すると、関係性の全てを保持したまま「普遍=ポストモダン」が顕れる。「モダン即ポストモダン」「集団的個即一的全」
日記は「世界を顕す特異点」というわけだ。

穴に嵌まれ

もちろん、あらゆる文章のなかで、「日記」だけがこうした特権を担う、というわけではない。

全ての存在は縺れ合い、網目という「穴」を構築する。我々は世界を「綱渡り」しようとばかりするのだが、おそらくもっと、この「網目」に飛び込んでいくべきなのだ。
「個」から「個」を渡り歩くための順路を模索するのではなく、自らの質量をもって穴に飛び込み、周辺の時空を歪ませるブラックホールとなるべきなのだ。
この穴は、拡大すればするだけ、同じような網目が現れるフラクタルな構造を有する。
事件の解決のためであればその緋色の一本を解きほぐすべきなのだが、「解決」などという「予定調和」は、ハナからおよびでない。
ただ、やみくもに飛び込んで、跳ね返されたり、ぶつかったりしたいだけなのだから。

日記の特性

そのとき、我々が携えるべきが『日記』なのである。

なぜならば、日記は誰が書いてもよく、誰が書いても正しく、誰が読んでも(日記そのものを)批判できないという、稀有の特性を持つからである。
かつて、究極超人あーるは『誰も私がここにいることをとめられないのです!』と宣言した。このことをより重く考えねばならないと、私は考えている。

日記の不完全性

私がここにいること。私がここにいることを記憶すること。私がここにいることが及ぼした影響を記録すること。私がここにいることはあらゆるものがここにあることを証明していること。

一切の自己検閲を排除し、あらゆる忖度を度外視して日々生産される日記が構成するのは、「遅れてきた今日のモデル」である。それこそが「普遍世界」の極めて貧しい欠片なのだ。我々は、その不完全さを嘆いたり、不平を抱いたりするべきではない。

他人の日記を読む

我々は、多くの日記を、横断的かつ網羅的に読むことによってのみ、世界の全体像をまさぐることができる。
公開を気にも留めず、思いのままにSNSに垂れ流される脊髄反射こそが、現代の日記の一形態でもある。内省やら洞察なぞ、日記には求めてはいない。むしろ、そういう「作為」は邪魔である。

日記を読む場所

ただし、網羅的かつ横断的に読むことは、読者というメタレベルから俯瞰的に並列することとは全く違う。そのように読まれたとき、日記は単にテクストとなり「歴史=当事者性」が剥奪されてしまうだろう。それは日記性の消滅を意味する。

日記を日記のままに取扱うことも、日記性を消滅させることも駄目だというのなら、一体、日記はどのように読まれるべきなのか?(因みに、この本では「なぜ書くか」ではなく「いかに読むか」を論じている。ならそういうタイトルにすべきである)

日記とは生き様

「他人の日記を読む」とは「他人を生きる」ことでなければならず、「多くの他人の日記を読む」とは「多くの他人を同時に生きるというメソッド」でなければならない。

これは「輪廻」を体得する姿勢に酷似する。

我をもって我を空じ、他者を我として他者を空じるとき、世界を我として世界を空じ、我を世界として我を空じるという手触りを感じられるのである。世界は「あなた」でできている。

はじめにのまとめ

多分、「普遍」とは、そのようにしか捻出できないものなのだ。
すなわち日記とは、「ありうるべき世界」=「統制的理念」の破片なのである。

人はなぜ日記を書くか?

それは世界存在のあるべき姿を紡ぎだそうとする「我々」という存在者に共通する「根源的衝動」に他ならない。これがとりあえずの私の回答だ。

本編

それでは、この本を最大限有効活用して、今回のブログをとじよう。

すなわち「参考文献リスト」である。(各見出しは、引用書の章題)

Ⅰ 日記とは何か

『日記の虚実』紀田順一郎(ちくま文庫)
『蘆花日記』徳富蘆花
『戦中日記』シモーヌ・ボーヴォワール(白水社)
『日記論』ベアトリス・ディディエ(松籟社)
スタンダールの日記
@日記の自己言及性と「現在(同日)性」
『続高見順日記』(勁草書房)
『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房)
アナイス・ニンが日記をアヘン吸引にたとえていた
D.H・ローレンス、マルセル・プルーストは膨大な書簡を書いたが日記を書かなかった
プルーストは膨大で複雑な「草稿」を残した。カフカは日記も書簡も残した
ローレンスの「三つのチャタレー夫人」
『カフカ全集 7 日記』フランツ・カフカ(新潮社)
『ノートブック』ヘンリー・ジェイムズ
樋口一葉の日記=ノート(『樋口一葉全集』筑摩書房 第三巻上下)
『全集樋口一葉 3 日記篇』(小学館)
『セーレン・キェルケゴールの日誌』(未来社)
『トーマス・マンの日記 1933-1934』(紀伊國屋書店)
『トーマス・マンの日記 1935-1936』(紀伊国屋書店)
『トーマス・マンの日記 1940-1943』(紀伊国屋書店)
『無知の涙』永山則夫(河出書房新社)小説「土堤」の元となった箇所が削除されている
『人民を忘れたカナリアたち』永山則夫(辺境社/河出文庫)公開を意識していたため『無知の涙』のよさが消えている
『草稿 1914-1916』ウィトゲンシュタイン
『川端康成全集補巻一』著者十五歳からニ十五歳1914-24および1944-45の公表を意識しない日記草稿等
中上健次は日記を残さなかった 「枯木灘」の著者校ゲラ
吉本隆明『試行』巻頭の「状況への発言」
『吉本隆明著作集15』初期ノート
ヴォルグフガング・ケッペンの日記論
フィリップ・ルジュンヌ『フランスの自伝ー自伝文学の主題と構造』(1971)(法政大学出版局)
エドワード・サイデンステッカー 平安朝の女流日記
グスタフ・ルネ・ホッケ『ヨーロッパの日記』
diary,journal,notebook,cahiers(カイエ),carnets(手帳),journal intime《仏》(個人的日記),
tagebch《独》

Ⅱ 人は一日にどのくらい長い日記を書けるのか

『モンゴメリ日記(1897-1900)・その光と影』ルーシー・モード・モンゴメリ(立風書房)
『モンゴメリ日記(1889-1892)・プリンス・エドワード島の少女』 同上
『マリ・バシュキルツェフの日記』上下(国民文庫刊行者)
『アンネの日記』(文春文庫)
『青春さまよい日記』青木正美 (東京堂出版)日記収集家
『石川啄木全集 6 日記』(筑摩書房)
『百鬼園日記帖』内田百聞 (福武文庫)
『恋日記』内田百聞 (福武書店)
『戦中派虫けら日記』山田風太郎(未知谷/ちくま文庫)
『戦中派不戦日記』 山田風太郎(講談社文庫)
『占領下日記』ジャン・コクトー(筑摩書房)
『美女と野獣/る映画の日記』 ジャン・コクトー
『マレーシュ/ある講演旅行の日記』ジャン・コクトー
『定過去』(未邦訳)ジャン・コクトー
ヴァージニア・ウルフの完全版日記 全五巻
『ヴァージニア・フルフ著作集 8 ある作家の日記』(みすず書房)
『ゴンクールの日記』(岩波書店)
『ジュール・ルナール全集11』(臨川書店)
『左手の日記』大屋典一 (青娥書房)
『日本空襲記』一色次郎
『奇妙な戦争』ジャン・ポール・サルトル (人文書院)
『ドストエフスキー夫人 アンアの日記』 (河出書房新社)速記を反訳
スースロワの日記(ドストエフスキーにとって重要なもう一人の女性)
『古川ロッパ昭和日記 戦中篇』(晶文社)
『The Complete Notebooks of Henry James』ヘンリー・ジェームズ(Oxford)

Ⅲ 他の日記や日記作者について語ろうとする日記

『富士日記』武田百合子(武田泰淳夫人)
『成城だより』大岡昇平
@日記に非公表性による、関心ある他者への気兼ねの無さ(自己検閲がゆるむ)
『戦時の日記』ロマン・ロラン全集 26 (みすず書房)現存するだけで百七冊あるノートのうちの二十九冊分
『トーマス・マン日記 1940-1943』(紀伊國屋書店)邦訳された氏の日記のなかで最も厚い
『ジッドの日記 Ⅰ1889-1911』アンドレ・ジッド(小沢書店)本人による取捨選択のある日記集
『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房) 九冊
『ワイマル日記 上下』ハリー・ケスラー(冨山房)
『ニ十年代』~『六十年代』の5冊 エドマンド・ウィルソン
『神谷美恵子著作集10 日記・書簡集』(みすず書房) ウルフの訳者・研究者、精神科医
『野上弥生子全集 第Ⅱ期 日記』(岩波書店)
『アーネスト・サトウ公使日記 Ⅱ』(新人物往来社)
リチャード・ゴードン・スミスの日記
『罹災日記』永井荷風
『断腸亭日記』永井荷風(岩波書店)
『疎開日記』谷崎潤一郎『谷崎潤一郎全集』所収(中央公論社)
『内面の日記』ボードレール『ボードレール全集Ⅵ』所収(筑摩書房)
『ジュリアン・グリーン全集 日記Ⅰ、Ⅱ』(人文書院)
『ヨーロッパの日記』グレアム・グリーン
@ジャン=ポール・サルトルは十九世紀の日記を集中的に読んでいた。スタンダール、ゴンクール兄弟、ルナール、ダビ、そしてジッドの日記を、自分が日記を書く際に参照にした。
『ボーヴォワールの戦中日記』(白水社)
『カミュの手帖』アルベール・カミュ(新潮社)さまざまな作家の日記への言及。後半はみずからのjurnal
『ドリュウ・ラ・ロシェル日記1939-1945』(メタローグ)
『エリアーデ日記 上下』ミルチア・エリアーデ(未来社)
『秋田雨雀日記』(未来社)

Ⅳ 〈血〉で繋がり、〈性〉で作動し、〈夢〉として記述される日記

『穂積歌子日記 明治一法学者の周辺』(みすず書房)
『欧米留学日記(1912-1916) 大正一法学者の出発』穂積重遠(歌子の息子)(岩波書店)
『二十歳の原点』高野悦子
『自殺直前日記』山田花子(太田出版)
『インマンの日記』コリン・ウィルソンが言及 アーサー・インマン(ハーバード大学出版局)
『春の歩み』ジェームズ三木
夢日記の例 東雅夫による紹介「正木ひろし、島尾敏雄、つげ義春、横尾忠則」
『日本「日記」総覧』「歴史読本特別増刊」「事典シリーズ」(新人物往来社)
『小林信彦60年代日記』(白夜書房)
『アンネの日記 研究版』(文藝春秋)

Ⅴ 自殺者はどんな言葉を日記に残すのか

『ニ十歳の原点序章』高野悦子(新潮文庫)
『ニ十歳の原点ノート』高野悦子(新潮文庫)
『意思表示』岸上大作(角川文庫)
『もう一つの意思表示』岸上大作(大和書房)
『青春の墓標』奥浩平(文藝春秋)
『闇の産卵/立中潤遺稿 日記・書簡』(弓立社)
『転回点 -マン家の人々』クラウス・マン(晶文社)

Ⅵ 人は日記を書きながら苦痛のなかで死ぬ

『日本の名随筆別巻 28 日記』(作品社)
『「死への準備」日記』(朝日新聞社)
千葉敦子の日記形式の連続エッセー
『アミエルの日記』(岩波文庫)アンリ=フレデリック・アミエル
『麻酔剤服用日記』正岡子規
『仰臥漫録』正岡子規(岩波書店)
『動揺記Ⅰ』永山則夫(草頸書房)
『回復記』永山則夫
『死刑確定直前獄中日記』永山則夫(頸草書房)
『永山則夫の獄中読書日記』永山則夫

Ⅶ 日記は、どのように歴史の極限を刻みうるか

『南京の真実』ジョン・ラーベ
『覚え書』エマヌエル・リンゲルブルム
『ワルシャワ・ゲットー/捕囚1940-42のノート』ジェイコブ・スローン編(みすず書房)
『涙の杯/ワルシャワ・ゲットーの日記』A・ポロンスキー編(影書房)
『ワルシャワ・ゲットー日記/ユダヤ人教師の記録 上下』ハイム・A・カプラン(風行社)
『吉野作造選集14 日記ニ』(岩波書店)
『将軍の遺言/遠藤三郎日記』宮武剛(毎日新聞社)
『ヒロシマ日記』蜂谷道彦
『重松日記』重松静馬(風媒社)

Ⅷ 日記は独身者的な書きものである

『日記と人格の概念』アラン・ジラール
『セーレン・キェルケゴールの日誌 第一巻〈永遠のレギーネ〉』(未来社)
@フランツ・カフカは恋人に日記をすべて渡した。

Ⅸ 結婚のなかで日記はどのように継続されるか

 『アンナ・カレーニナ』に日記で触れた著名人の日記の例(※ここには名前のみ列挙する)
有島武郎、森鷗外、夏目漱石、永井荷風、山田風太郎、阿部昭、野上弥生子、アンドレイ・タルコフスキー、永山則夫、ドストエフスキー

Ⅹ 日記論・女性編としではなく

『蜻蛉日記』藤原道綱母
『ボーヴォワールの戦中日記』ボーヴォワール(白水社)
『インセスト』アナイス・ニン 非削除版
『ヘンリー&ジューン』アナイス・ニン
『火』アナイス・ニン 非削除版
頼静子の日記(頼三陽の母)
頼春水の日記(静子の夫)
『梨本宮伊都子妃の日記』
『近代日本の日記』(講談社)
『千葉敦子のななめ読み日記』(三笠書房)
『日記の虚実』(ちくま文庫)

ⅩⅠ フィクションの中に日記はどのように生かされるか

@日記の自伝化
『険しい道』ウェス・モンゴメリ自伝
『東京焼儘』内田百聞
『新方丈記』内田百聞
『日日不穏』筒井康隆
『イーディスの日記』パトリシア・ハイスミス
『一九八四』ジョージ・オーウェル
『収容所群島』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
『イワン・デニーソビィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
『情事の終わり』グラム・グリーン
『鍵』谷崎潤一郎
『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎
『正義と微笑』太宰治
『女生徒』太宰治
『日記の一揆』野坂昭如
『三島由紀夫/剣と寒紅』福島次郎
『クローディアスの日記』志賀直哉
『ハムレット日記』大岡昇平
『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー
『IT』スティーブン・キング
『ファウスト博士』トーマス・マン

以上(日記)

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合格スタンプ好きがランニング記録を残せている途中経過

Posted on 25 5月 2018 by

以前記事にした、今年から作ったランニングログのページ
すごい。えらい。頑張れてる。

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少し遠回りした週末の帰宅

Posted on 19 5月 2018 by

“The boarding will be start at 11:45 on 4th floor, she said.”

“boarding”という単語がとっさに口から出て「この単語は元々は空港ではなく、旅客港で使われていたんだよな。今まさに語源通りに使っているのか。」などと少し感動しながら、私は目の前の男性と、困って慌てている券売担当の女性の会話に割って入った。男性はこちらを振り向きに”Thank you”と軽い会釈をした。僕も適当に”No hey problema.”と返す。徳島のフェリーターミナルで交わした彼との最初の言葉だった。

彼と出会う前日、私は帰宅途中に神田にあるお好み焼カープで同僚と一緒に食事をし、そのまま駅中の神田鐵道倶楽部で飲みながら店内のディスプレイをぼんやりと眺めていた。ふと、自分が十分に疲弊し限界に近づいていることに気づいた。それは、何かのきっかけて音を立てて切れてしまうような切迫したものだった。私は会計を済ませた後、東京駅で閉店間近のみどりの窓口に滑り込み、寝台特急のチケットを買い求め、同僚に「良い週末を」と交わし寝台列車へ乗車した。この場所から少しでも早く離れる必要があると感じたのだ。翌朝に高松に到着すると、駅構内にあった連絡線うどんでうどんを食べ、そのまま特急で徳島まで向かい、寄り道をせずに市内フェリーターミナルに移動した。時間軸を正確に記すとこうなる。

Leg 1: 東京: (金) 2200 🚆 高松: (土) 0727 寝台特急 サンライズ瀬戸
Leg 2: 高松: (土) 0823 🚆 徳島: (土) 0936 特急 うずしお5号
Leg 3: 徳島: (土) 1200 🚢 東京: (日) 0730 オーシャン東九フェリー びざん

今回は「少し遠回りした週末の帰宅」の際、フェリーで出会った彼について書こうと思う。

私がこのフェリーに乗船するのは今回が二回目で、以前は東京から北九州の逆航路だった。この会社のフェリーは新造から間も無く、綺麗で、そして船内で販売される酒類がコンビニと殆ど変わらない価格だった。つまり、乗船中は天候に関わらず酔いどれていられるのだ。今回も船が岸壁を離れる前から船内の自販機でビールを何缶か買い、関空から飛び立ったであろう幾機もの旅客機が曳く雲を眺めながら、甲板でそれを煽った。

船内は大型連休後の週末らしく閑散としていて、彼を見つけるのは難しいことではなかった。もっとも、甲板でビールを飲み続けていた僕に彼から声をかけてきた。彼の喋る英語はとても紳士的な英語で、時々イタリア語の響きに近い訛りが出るのが年齢も相まって可愛らしかった。彼は世界に点在するいくつかの巡礼路を歩いている最中だった。今回の来日は四国の巡礼路が目的で、三月から歩き始め今日徳島にたどり着いたとのことだった。確かに、彼は十分に日焼けをし、笠を被り白い巡礼服を纏っていた。

彼とは乗船後の東京での乗継路線や、船内の自販機の利用方法などの話はしたけれど、不思議とそれ以上の話をしなかった。彼は基本的に私に個人的な質問をしなかった。私も彼に多くを投げかけなかった。甲板で沈む夕日を眺めたり、それから約束をしたわけでもないのに、早朝から朝日を見るために甲板に上がろうとしているところを偶然に出会い、各々に房総半島を上る朝日を眺めた。

彼は満ち足りているようにみえた。彼の動作一つ一つが、私が殆ど失ってしまった何かを感じさせた。lonly planetを開き何かを調べ、ノートブックに文字を記し、そしてゆっくりと外の風景を眺める。彼は、彼の人生を完全に楽しんでいた。私はどうであろうか。私は、過剰なコミュニケーションに疲弊していた。昼夜を問わず通知が届き、携帯の微かな振動音で目が覚める。そんな生活に心底嫌気がさしていた。

りんかい線の大井町で彼と別れ、私は帰宅した。カレンダーには翌週の予定がいくつか届いていた。私は日曜の昼間、ごく当然のことのようにいくつかのSNSアカウントを閉じ、携帯電話の連絡先を整理した。それから、冷蔵庫に冷やしてあったビールをグラスに注ぎ飲むと、少し幸せな気持ちになれた。簡単な答えにたどり着くまで、帰宅以上に遠回りをしてしていたようだった。

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ノートがなければ箸袋を。 (ピース・メーカーさんからのお題 No.069)

Posted on 18 5月 2018 by

ピース・メーカーさんのお題:069.パンがなければケーキを。ではノートがなければ?

 

昔,大学にダンディーな声の言語学の教授がいた.

その人はよく,「言語学者はねぇ」といって,言語学者あるあるを授業で言っていた.

渋いその声で.

 

その中でも印象的だったのは,「言語学者はねぇ,酒屋で議論になると,樹形図を箸袋に書くんだよ.

 

詳しくない人のために解説しておくと(僕もそんなに詳しくない),樹形図というのは,

構造主義言語学(いろんな言語って実は共通した構造パーツからできてるよね)という人たちが使っている言語の分析表記方法で(詳しい人,こんな説明であってますか),

言語を樹形(···ピラミッド型っぽいよね)に表す表記法です.

たとえば,こんな感じ.

これを箸袋に書くというのである.

ということで,言語学者にとっては,「ノートがなければ箸袋に書けばいいじゃない」ということになるだろう.

 

しかしよくよく考えてみると,いろんなところに走り書きってできるものだ.

後はそれを,ノートに貼り付けておけば一件落着.

 

貼られる側がもったいないではないか!と思う人もいるかもしれない.

しかし,大切にしたいのは,そのモーメントだろう.

 

その

ジョットして

スクラブする

その理性的かつ感情的な

モーメントが!

 

···ボールペンのほうは,店員さんか大将にでも借りてください·

 

neokix

 

[[[ちなみに]]]

ノート: 無印良品 開きやすいノート A5 ドット方眼 (多分廃盤)

写真中のペン:OHTO GIZA + Zibra SARASA Dry 0.5

樹形図を描いたシャーペン:Bic Matic

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ワクワクはどこから来るのか?

Posted on 13 5月 2018 by

こんばんは。れでぃけっと と申します。
滅多に書かない2016年度ライターです(すみません)

以前こんな記事を書きましたが・・・

手帳社中presents手帳年初め~手帳かるたと新春の手帳と出会う3時間~に行ってきました


この時ゲットしたCITTA手帳を2018年に本格導入しました。
というのも昨年7月に手帳ライフコーディネーターさんの講座を受講しまして、課題に
「ワクワクリスト108個を3日以内に提出」というのがあり、講座では10個も厳しかった
ダメダメな受講者が締め切りギリギリに提出。
CITTA手帳の基本である「自分を愛すること」「自分を大事にすること」の大切さを教わり
この手帳は自分に合っていると感じました。

最近は自分で決めた時間内(だいたい1時間)にワクワクリストを書くことにしています。
自宅より外のほうが集中してできるみたいなので、スタバとかに行っています。

ワクワクリストって何を書けばいいんだろう?と思いますよね?
とにかく思いついたものを書いてます。

オレンジ色で書いて、青で理由(何故そうしたいのか)を記入。
もう欲まみれですよ。何かを買うとかそんなのばっかりです。
「こんなこと書いていいのか?」と制限をかけずに思いついたことを書くのがいいらしいです。


ほんの一部です。字が汚くてすみません。

本当はここからウィークリーに落とし込んで行くんですが、私は書いたら忘れてることが多いです。
でも後で読み返すと叶っていることがあります。知らず知らずのうちに行動に向けて動いているんですね。
ワクワクすることって待ってるだけではやって来ない。
じゃあどこから来るのだろう。結局は自分の気持ちからなんじゃないのかなと思うこの頃です。
講座で書けなかったのはそれだけいろいろなことに疲れていて、ワクワクを感じることができなかったのかなって。

少しずつでいいからやりたい事を叶えていきたい。
それがほんの些細な事・すぐにできない事だとしても。


今年の手帳は白。手帳ライフコーディネーターさんから買って、後日青木千草さんにサインしていただきました。
青木千草さんのセミナーをいつか受けてみたいです。
お値段も競争率も高いけど・・・

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着付師のノートブック

Posted on 22 4月 2018 by

photo by 着付師いっちゃん(@kitsukeshi_1

 

はじめに

「着付師」という職業の人がTwitterに、ノートブックに書いたご自分の仕事用のメモを上げていらした。

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獏に会いに行く ―獏部

Posted on 22 4月 2018 by

4月27日「世界バクの日」World Tapir Day!

http://www.tapirday.org/

に先駆けて、4月19日(木)、バクに会いに行きました。

フタバ君がいる、

静岡市立日本平動物園へ!

静岡市立日本平動物園 〒422-8005静岡市駿河区池田1767-6 TEL:054-262-3251
開園時間9:00〜16:30(入場は16:00まで) ※月曜日休園

曇り空。予報ほど気温はあがっていません。因みに、4月19日は「飼育の日」とのこと。

日本平動物園には、現在マレーバクが一頭います。フタバ君(4歳)です。寝ています。

しばらく見ていると、起き上がってぐるりと一回り。ながいこと、こんな風にカメラをかまえていたから気になってしまったのかもしれません。

ピーィ! と甲高い笛の音のような声で鳴きます。最初、鼻を吹き鳴らしているのかと、勘違いしたほど。

「白くまカレー」は案外本格派。

因みに、日本でマレーバクがいる動物園はおよそ10園、35頭程度らしいです。子供たちがいろいろな動物園に出園したり、他から来園したりしますから、家系図を追いかけていけば、日本にいるバクの一覧ができそう。

あなたの近くの動物園には、バクはいますか? そして、バクがいる動物園で一番近いのはどこですか?

「バクのいる動物園一覧表」と「日本の動物園にいるバクの家系図」つくってみようかな。

フタバ君

4月27日「世界バクの日」。どうか、バクのことを知ってください。バク推しで、いきましょう!

次は「東山動物園」(予定)へ。

 

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Notebookers的 Fail better 〜ビーントゥバーを作ってみました

Posted on 15 4月 2018 by

月のアタマに、お休みをとって遊んできました。
美術館に行き、スカイデッキで空を眺め、ひとに会い、オモシロい宿にも泊り、やっぱり本を読み。
次に記事書きます。
ヒルズスカイデッキ
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筆箱よ,さようなら

Posted on 09 4月 2018 by

昔から使っていた筆箱(というかペンケース)がある.

これはある人に作ってもらったもので,しかしその人とはもう何年も会っていない.

いろんなことが原因で(そして大体の若い日の出来事がそうであるように,それはほとんど僕の責任だったのだけれど)その人とは疎遠になってしまった.

 

それからも今日まで,ことあるごとに使い続けてきたけれど,そろそろお役御免となりそうだ.

コンディションはすこぶるいいし,形も色も好きだ.

だけれど,ミニマリストWannabeになってから,筆箱が気になって仕方なかった.

かさばるし,重い.ものをいくつも吸収してしまう.

 

スティック状の修正テープ

携帯タイプの小さなテープのり

ステッドラーの固形蛍光ペン (ちなみにめちゃくちゃオススメです)

カドケシの消しゴム

スティック状に変形合体するはさみ.

必要のないものばかりが目に付く.

 

 

持ち運びは,ボールペン,赤ペンだけでいいじゃないか.

オレンジのケースに入れて.

BICのシャープペンシルも入れるかどうか,迷うところである.軽いから持っていくか?

 

そういうわけなので,筆箱よ,さようなら.

僕にはもうたぶん,必要のないものなのだ.

宿るあのつらい思い出も,ほどよく一緒に.

 

あ,お久しぶりです.元気です.

neokix

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