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ゾウがいる海を手で漕いで進む。検索せずに。

Posted on 02 7月 2016 by

今、わたし、短篇エッセイの『トリエステの坂道』(須賀敦子)を読んでいるのですが。
1編読んでは2編戻って読み直す、というくらい素晴らしいです。
なんて言うのだろう、著者の須賀さんは、60年代からヨーロッパへ留学して、本を読んで、ひとと出会って、結婚をして、そして別れがあってーー とあるのですが。
複数の居場所、複数の言葉、その間にあって、揺れたり、迷ったりしていて。そして、歩いてーー

街にただようフレンチ・フライの匂いは、もうひとつ、私がトリエステに惹かれる理由に気づかせてくれた。サバのなかにも綿々と流れている異国性、あるいは異文化の重層性。ユダヤ人を母として生まれただけでなくて、サバはこのトリエステという、ウィーンとフィレンツェの文化が合流し、せめぎあう街に生きたのだった。サバが書店につけた名、ふたつの世界、にはそんな意味も含まれていたのではないか。そして詩人は痛みとともにそれを知っていた。ふたつの世界に生きようとするものは、たえず居心地のわるい思いにさいなまれる運命を逃れられないことを。

読み終わったら、レビュー書きます。

というわけで、エッセイのレビューではありません。
7月にもなりまして。夏の自由研究ノートブックを作ろうと思います。
同じくNotebookers.jpライターのKyrieさんが2016年の夏ノートの準備を始めるという記事を書かれています。
こちらとはちょっとまた趣が違うものとなる夏のノートブックです。
ちょうどいいカンジの、気にかかること、ひっかかること、課題が3件ありましたので、その3つを、お約束『検索せずに』調べよう、夏の自由研究としよう、と思います。

わたしは以前、こういう記事を書いていて。>>知のイルカと制する錨
こいうカンジで、検索せずに、ネットに頼らずに、図書館へ通う、本屋さんでそれらしい本をあたってみる、そして、ひとに聞いてみる、その三本柱が本当に楽しいのです。
わたしの合い言葉というと『検索しないで』というくらい(にしたい)。

そのひとつめ。
4月の終わりに、みんぱくの『夷酋列像展』を見てきまして。
(あ、こちらも記事を書こうと思います。面白かったー!)
その時に見た祭器で『ヒケアケ』とカタカナで書かれたものを見まして。
「なんだこれは」と思いました。
以下、ツイートからの引用です。

最初のツイート

こういうものです。

わたし、これ、アイヌの民話か何かで、ヒゲを棒でかかげるそういう風習というか、そういうものを読んだ覚えがあるんですが、さて、何で読んだのだったか。
読んだ民話の本とか、みんぱく関係の本とか、読み直して、ヒケアケとは何かを見つけようと思っています。
ちなみにみなとさんが読まれている本は、みんぱくの書籍閲覧のコーナーにあったものだそうです(書籍閲覧のコーナーがあるのです)。
これがまずひとつめ。

ふたつめ。
以前、ツイッターで  #本の断片 というハッシュタグが流れてきました。
本の題名は書かずに、その本のページの画像だけをタグと一緒にアップする、そして、その本のタイトルも作者も訊ねてはいけない、というルールでした。
そして、ものすごく惹かれたツイート、言葉がありました。コチラです。

何かに気づくためには一度見失う必要がある

わたしは本を読んでいても、得るものがものすごく少なく、失ってばかり、なにかをこそげ取られているような、篩いにかけられて、どんどん濾過されているような、そんなキモチなのですが。
それを代償に、何かに気付けているならいいなあ、と。
そんなことを思いながら、 #本の断片 のタグのついたツイートを見ていたんですが。
胸をつかれるようなひとつを見つけまして。


人は孤りを生きて漂ふ夢の岸いくたりにすれ違ひすれ違ひ

短歌だということはわかります、そして『詩の翼』というタイトル? 章の名前? そして左にもう一首の短歌があり。手がかりはこれだけ。
これを検索せず、ただ、ひたすら、じみちに発行されている短歌の本を見ていこうと思います。
あんまりにも相手が膨大すぎて、本当に大西洋をゴムボートで横断するくらいのキモチ。
乗り出すぞ!冒険!みたいな。わくわくする♪

みっつめ。
Notebookers.jp 管理人たかやさんのつぶやき。

わたし、これ、すごく読んだ覚えがあるんですが(もしたかやさんの創作だったらどこで読んだんだろう)。
(まだ読み返してはいないんですが)ココロ当たりとしては『ケルト幻想民話集』かなあ、とか…)
(あと、Gマルケスの地の文…?)
これも、また検索せずに、それっぽい本をあたってみて、探します。

そして。
どのノートブックを使おうかと考えて。
先日、モレスキンチャプターズジャーナルを手に入れたので、これを書いていこう。
7つに区切られているので、1件につき2章あてて、7章めは、まとめ、総括のスペースにしよう。
ちょっとだけコラージュしました。わたしの好きなグレゴリーコルベールの写真を裏表紙に一枚。

夏の自由研究ノート裏表紙

夏の自由研究ノート裏表紙

表紙にはNotebookersのステッカーを。

夏の自由研究ノート表紙

やっぱり横仕様の表紙

表紙の裏にも一枚。

夏の自由研究ノート表紙裏

コレもグレゴリー コルベール

ルネサンス期のイタリアでは、海を自由に泳ぎ回るイルカ(知性、知識の象徴)が暴走しないように、制するための錨を組み合わせて意匠としたそうです。
わたしの場合、暴走するほどの知性はないので、そういった心配はないのですが、逆に海が大き過ぎて、それでも怯まないように、少しずつでも、手で漕いででも前へ進めるように。
この一枚を選びました。
ちょっとずつ、書いていこうと思います。

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これから紡がれる物語について

Posted on 24 6月 2016 by

ルーマニアを離れることになった.と言っても,今年の9月なので,まだ時間は少し残されている.

離れることになった,という言い方は適切ではない.二年契約のお仕事なので,それはもう決まっていたことなのだ.

そんなわけで,お別れムードが高まる中,今日はプレゼントを貰った.お礼,だそうだ.

例のごとく,文房具類をもらうと,私はしこたま嬉しくなる.

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カナダに本拠地を持つ,paperblanks社のノート(罫線・MIDIサイズ・144ページ)である.

ちなみに,MIDIサイズは,どうやらpaperblanks独自規格のようです.120*170cmのサイズなので,A5よりも一回り小さいサイズ,となるでしょうか.

表紙は,カナダのアーティストである,Alistair Bell(アリステア・ベル)の作品とのこと.烏とは不吉な,という感じがするかもしれないが,八咫烏(ヤタガラス)を思い出せば,このチョイスをした人が日本を意識したものをくれたことがよく分かります.赤い太陽なんかも素敵.

さて,paperblanks社のノートは,コンセプトがはっきりしていて好きです.(方眼のチョイスが無いのが本当に残念でならないのですが.)

アーティスティックであること,頑丈であること,持ち運びできること,書き留められること.

紙の厚みがある割に,思ったほど重くはなく,表紙の加工もいつも驚きに溢れている.そんなノート.方眼のチョイスがないのが(ry

 

出会いは別れ,別れは出会い,であるという.このノートにどのようなことを紡げば良いのか,僕にはまだわかりませんし,まだ知りません.しかしながら,たぶんこの地との別れが,そして日本との再会が,なにかこのノートに紡ぐ物語になるだろうと思います.これからも,どうぞよろしくお願いします.

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旅のおとも

Posted on 07 6月 2016 by

実は来週出張で大都会東京へ参ります。よろしくお願いします。

 

さて。仕事は午前中の早い段階で終了となるし。

となると行ってみたいなトラベラーズファクトリー。

だけどよくよく見てみたら、開店時間が12時じゃん。。。てことは仕事をダラダラする?

いやいやそれは私のポリシーに反するぜ。。。とっとと終われなかったら行ってみようかな。

ていうか文房具屋に行きたい!!

 

これはあれか。リニューアルした 銀座 伊東屋 に行くべきなのか。

呼ばれている気がしてならない。。。どうしよう。

 

 

ここ2~3年、東京に呼んでいただける機会が多く、その都度あちこちを探検してまして。

前出の銀座伊東屋も、2年前の出張の時に実は行ってたんです。

ただあまりにも時間がなくてとにかくひたすら俯瞰で眺めてきました(要はズラーっとみておしまい)

 

また違う機会に東京へ行った際は、文房具カフェにも。

むーん、ってなって帰ってきたのでした。。。

 

さて。今回はどこの文房具屋さんと出会えるかな。

いや取り立ててほしいものはないのだけど、あれですよあれ。

神社に行ったらまずはお参りするでしょ?それと一緒。

 

 

IMG_5841

で。ちょっとしたアイテムをゲット。

東京ってあっついでしょ。しかもびっくりするくらい人がいる。一目見てぱってわかる時計がほしくて。

腕時計はあるのだけどステンレスだし。汗でかゆくなるし。こらいかんと。

 

こないだ息子がどうしてもほしいって言って買ったこれの黄緑を見ていたら

どうしても欲しくなって。

今回の旅のおともとしてゲット。ダイソーでなんと108円!素敵。すごいクオリティ。

時間だけわかったらいいのに、日付まで!すごいじゃ~ん。

ということで。

来週東京に伺います。

暑さに負けず、人ごみに負けず、時間管理をしっかりできるアイテムとともに伺います。

ドキドキするような、田舎もんが行ってもすぐわかる文房具屋さんがあれば教えてください。

汗だらだらで行ってみます(行けたら)

 

 

 

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Pilotさんの海外戦略に救われた話

Posted on 01 6月 2016 by

僕は貧乏性で,ゲルインクボールペンの減り具合とかが好きになれなくて,ずっとゲルインクを避けていた.けれど,数年前(だと思うけど),PilotのJuiceシリーズが出て,その発色の良さに驚いた.これなら使ってもいいなって.

ただ,Juiceシリーズには,基本色を除いて替え芯がない.だから,基本は使い捨て.ちょっと残念な気持ちで,数本,こちらに持ってきた.

一本,また一本と無くなっていき,最後の茶色が無くなった時,僕は少し悲しかった.そして,そのことを友だちに言ったら,「Pilot?G2ってやつがあるじゃないか.あれ書きやすいよ.今度アメリカに行ったときに,買ってきてやるよ」といわれた.

右から,G2,Juice,JetStream

渡されたG2は,なんだか遠い親戚みたいに見えた.日本でも売っているらしいけど,あんまり見たことがない気がする.なんだかいかにも人気がなさそうな外見だし,クリップもごっつい感じで,いかにも不器用そうな感じだ.

そう思ってつかってみると,インクフローは確かにゲルインクだ.そしてなにより,なんだかJuiceとすごく似ている.

「気のせいか?」

ばらしてみてみると,なんと,リフィルが一緒ではないか!

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Juiceは一本100円だ.G2は一本200円もする.それでいて,Juiceの方が,グリップといい,クリップといい,完成度は高い.ちょっとみみっちい話だけど,そういう性分だから仕方がない.

「詐欺やん!」

自室で叫ぶ.Juiceは輸出しないくせに(してないと思うけど),G2は輸出しよってからに!

でもやっぱり,その書き味が良くて,使ってしまう.

もちろん,外見はJuiceのものを再利用する.スプリング,芯はG2のものだ(スプリングが少し固めなので,それはJuiceより小気味よい).

なんだか納得できないけれど,いいものは変えられない.特にそれが,物質的に豊かでないところだと,なおさらなのだ.

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チーズとはちみつ

Posted on 30 5月 2016 by

ちょっと前から気になりながら、手を挙げる勇気が持てなかったけれど・・・
この前あまりにおいしいものを食べて、誰かに伝えたいと思ったので、ここで勇気をだしてチーズ部、入部したいです!

けそ

スペインのアンダルシア地方で食べたヤギのしょっぱいチーズ。
軽く温めてあってとろーんとしています。
そして、チーズは甘いはちみつの上に乗っかっています。

チーズがかなりしょっぱくてクセがあるのだけど、はちみつと食べることで口に入れると2つの味が主張しまくりながら混ざって、脳天と舌がしびれるような、ついついもう一口と食べてしまう一品でした。
私は残念ながらお酒はほとんど飲めないのですが、多分きっと赤ワインとこれ食べたら本当はもっとおいしいんだろうなあ。

 

イタリアもチーズが有名ですが、今まで食べて印象深かったのは、水牛のミルクのモッツァレッラ。(ブッファラと呼ばれます)
このチーズで有名なナポリの近くの町に親戚がいる人が、会う前日に親戚のところで調達し、木のバケツのようなものに入った水に浮かんだチーズをもってきてくれて、「1日経った今が食べごろだから早く食べてー!」と。
結構なんだかんだブッファラはスーパーでも売っているので食べたことがあったけれど、この時のブッファラのおいしさと言ったら・・・!

今晩は、シチリアから届いた唐辛子入りの辛いチーズを夕飯に食べました。
見た目結構赤かったのだけど、味は見たまんまかなり辛かった。
一緒に、シチリアで肉屋を営む親戚から届いたフェンネル入りのソーセージも食べました。
こってりした豚肉にフェンネルの清々しい香りがするのは最初変な感じがしたけれど、慣れるとこれまた癖になる。

また、おいしいチーズと出会ったら報告します!

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アンダルシアで朝ごはん

Posted on 29 5月 2016 by

以前、イタリアのバールでのコーヒーの話を書いたのですが、その後嬉しいことに週2くらいで行くバールで、バリスタから「マッキアートだね」って注文する前から言ってもらえるようになりました。
やったー!常連認定だー!
こうなってくると、嬉しくてこの店にいつも行こうってなりますね。

さて、今回もノート全然関係ないのですが、先日スペインのアンダルシア地方に行きました。(一応旅日記はつけるのですが、みなさんの記事を読んでいると私のはただのメモというか殴り書きに近くて・・・食べ物のことばっかりだし)

泊まったホテルが全部朝食付きではなかったので、毎日外に食べに行ったのですが、スペインの朝ご飯はイタリアより日本人好みだなと思いました。
イタリア人は朝はともかく甘いもの。
私が日本は朝から、ごはんとお味噌汁と納豆に焼き魚なんて食べちゃうよというと、信じられない、どういう胃袋だ、ましてや納豆なんて恐ろしいもの・・・と言われてます。朝ちゃんと食べたほうがいいよって言っても誰も聞いてくれません。

一方スペインは、イタリア同様コーヒーを飲みますが、初日周りを見回してみると多くの人が「コーヒーミルク(カフェ・コン・レチェ)」を注文。
そして、トーストされたパンにマーガリンを塗りたくり、さらに何かを塗っている。
ジャムだなって思っていたのですが、途中何か赤いものを塗っている人を指さして「あれは何?」と聞くと
「トマトの細かく切ったものとかハムとか肉のパテとか」という予想外の答えが。
トーストされたパニーノ用パンに生ハムを挟んでくれたりもしました。
砂糖をいれたコーヒーミルクと、しょっぱいパンの組み合わせのおいしいこと!
最初は拒否感を表していたイタリア人も「あ、意外といける」と。(ほらね)

cafe con leche

写真はちょっと変ですが、ガラスのコップに入ったミルクコーヒーと、イベリコ豚のパテを挟んだパニーノ。(トマトは1個丸ごとナイフと渡されて自分で切れと言われた)

そして、甘いもの派のイタリア人をも驚かせた、スペインの甘甘な朝食。

ちゅろす

チュロスをどっぷりとホットチョコレートに浸して食べてね。

チュロスって日本で何回か食べたことがあって、結構固い生地だったと思うのだけど、このチュロスは中空洞みたいな軽い感じで、実は思ったほどチュロスは甘くない。どちらかというとほんのり塩味。ただしこのチョコレートがかなり甘い。
1回食べて、もうこれでいいかなと思ったのだけれども旅を続けていくうちにやっぱりもう一回食べてみるかなと思い、同じお店でチュロスと今度はいつものミルクコーヒーを注文。
チュロスもコーヒーミルクもどっちも好きだけど、一緒になったら意外と「食べきるの辛いけど、ホットチョコとの組み合わせがベストなんだな。」と納得。

 

アンダルシアは何食べてもおいしかったし、見るものすべてが素敵だったけど、
この旅で一番印象的な風景がこれ。

mucche al mare

海辺にたたずむ牛の群れ。

ちょうど雨が降りそうな空の色とかもあって、こんなに楽しい旅をしているのにどこにいっても「外国人」である自分の、どっかにいつもトゲみたいに寂しいような変な気持ちがある、それを改めて突き付けられたみたいな感じがぶわあああっと襲ってきてちょっと泣きたくなってみたり。
でも、そのちょっとした寂しさが、ピアノへの芸のこやしなのさと思ってみたり。

旅から帰ってきて、仕事前にバールで「マッキアートですか?」というバリスタの問いに「はい!」と毎回答えるそんな日常が戻って、こんな風にコーヒー飲むために3分くらい滞在する場所でのちょっとした会話や動きで気持ちが切り替わったり、いつも通りの安心感を味わったり、ますますバールって面白いなあと思う今日この頃。

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2016年の夏ノートの準備を始める

Posted on 29 5月 2016 by

P5201718

 

ここ数年、黄金週間が終わり、緑が明るく透明感を持つものから少し濃さを増し、日の光がこれまでの春っぽいものではなくなったと感じる頃、私は夏ノートの準備を始めたくなる。

夏ノートは特別なノートではない。
ただ、浮かれた夏を一緒に過ごすノートのことだ。

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己を疑え(エピメニデス)〜バンクシー ダズ ニューヨーク 見てきました〜

Posted on 16 5月 2016 by

日、キジ ジョンスンの『霧に橋を架ける』という短篇集を読んだのですが。
なんだろう、この人間の底なしの想像力。
その世界は、霧が川のようになっていて、魚もいるし、渡し守もいる。《でかいの》と呼ばれる正体不明の怪物もいる。
その未知の空間に橋を架ける物語です。
そして同じ短篇集収録の『蜜蜂の川の流れる先で』
ある日、ある川に、水の代わりに蜜蜂が流れてくる。
主人公は、その川をたどり、源流をさぐるのですが…

あと、わたしの好きなジョナサン キャロルの作品に『木でできた海』があります。

「木でできた海にどうやって、船を漕ぎ出す?」

人間の想像力、そして幻想ブンガク万歳。

☆ ☆ ☆ ☆

毎度のことながら、幻想ブンガクについての記事ではないです。

えー。先日、BANKSY DOES NY 見てきました。初日、そして1回目上映という本気で見てきました。
>>公式サイト
やー、ものすっごく楽しみにしてまして、ものすっごく楽しかったー! 席で、もう膝ばんばん叩きたかったくらい楽しかったー!(ラストは、ホントに拍手しそうになりましたよ!)

BANKSY、バンクシー、ご存知でしょうか。
wikiではこんなカンジで↓

バンクシー(Banksy, 生年月日未公表)は、イギリスのロンドンを中心に活動する覆面芸術家。社会風刺的グラフィティアート、ストリートアートを世界各地にゲリラ的に描くという手法を取る。バンクシー本人は自分のプロフィールを隠そうとしており、本名をはじめとして不明な点が多い。2005年、自作を世界各国の有名美術館の人気のない部屋に無断で展示し、しばらくの間誰にも気づかれないまま展示され続けたことが話題となった。

上記にもあるように、美術館で、作品を盗むのでは【なく】、【置いて】くる、CD屋さんでCDを買い込んで、バンクシーオリジナルのジャケットを【勝手につけて】、また、お店に【置いて】くる、そういうことをする別名アートテロリストです。
2015年の8月から9月頃には、期間限定で、イギリスにて『デズマランド』という遊園地を作りました。
某超有名テーマパークを、えー、なんていうんだろう、もじった、皮肉った、えー、そういう遊園地です。
舗装されていない道(つまり土が剥き出しになっていて、泥っぽい)、やる気のないスタッフ、造形に失敗してるような人魚姫、かぼちゃの馬車が事故を起こし、シンデレラの死体の写真を撮るパパラッチ、園を出るためには必ずお土産屋さんを通らないと出られない、とか、そういう遊園地だったそうです。
こんなの。

わたしは、この御仁がとても好きで、えー、そのバンクシーがNYで何をやらかしてくれるのかと、ずっとこの映画を楽しみにしていまして。はい、楽しかったですー!

映画の内容としては。
バンクシーNY出張編です。
2013年10月、この1か月間、NYにて、毎日、どこかに作品をひとつ作って、バンクシーアカウントのインスタグラムにフォトアップする、NYのファンたちがそれを追い掛ける、『宝物があるうちに』『消されないうちに』。

wikiの説明にもありますが、バンクシーが描いているのは、グラフィティアートと呼ばれている、街の壁やら塀にスプレーやペンキで描く、いわゆる【ラクガキ】です。
つまり、街のエラいひと、もしくはその建物の持ち主が「消しなさい」と行ったら、それは【消されても文句が言えないもの】なのです。なぜなら、ラクガキだから。それがどんなに芸術性が高くても、価値があっても。

なので、
インスタグラムで『今日の作品』をバンクシーアカウントがアップする → SNSで拡散される → ファンが駆けつける → 写真を撮ってSNSにアップ、更に拡散 … という流れで、この映画では『SNSと街、路上の融合、そのNY市民たちの反応も(バンクシーの)作品の一部だと言える』と説明されていました。
バンクシーの作品にスマートフォンやデジカメを向けているファンに、更に映画のカメラが向けられる、という、そういう作品です。
(これが何度も映されるんですが、これがものすごく皮肉に見えました。バンクシーが電柱やら壁の影から、そのファンたちを見ているような気が。「(バンクシーの)作品を見ている君たちを世界中が見てるよ」というカンジで)

いくつか紹介を。えー、それなりに遠慮していますが、ネタバレがダメな方はお読みにならない方がいいかと。
よろしくお願いします。

========以下、これよりネタバレあります========

◆10月1日:チャイナタウン

バンクシーNY1日目

この映画のポスターにもなっている絵です。

男の子が手を伸ばして、標識のスプレーをつかもうとしているんですが。
この標識の文字が『グラフィティは犯罪です』
この日の夜か翌日早朝に、この標識は盗まれてしまい、別の標識が描かれていたそうです。
次の標識の文字は『ストリートアートは犯罪です』

グラフィティ、ストリートアートを全否定するモチーフから、バンクシーが企てた騒乱の1か月が始まるというのも、ツイストが効いてていいなあ。
自分が作っているものを、自分が作ったものそのものに否定させるって、なにそのフクザツ骨折したようなゲイジュツ的マトリョーシカ(や、マトリョーシカでもないなあ、なんだろう、死んだ鍋?)。

◆10月7日:レッドフック

バンクシーNY7日目

絆創膏を貼られた赤い風船です。

ファンたちはこの風船の周りで写真を撮る。

バンクシーNY7日目

女の子は絵じゃないです。

こんなのとか。

バンクシーNY7日目

グラフィティとファンたち。

これは、こういう結末になったようです。

Banksy art in Red Hook is destroyed by graffiti artist
この絵に限らず、塗りつぶされる、消されるというのは、普通にあるようです。

赤い風船@英国

この絵は実は対になっていて、こういう絵もあったり。

この絵の風船が飛んでいって、傷だらけになって絆創膏が貼られて、遠くNYまでたどりついたのかなーと思ったり。

◆10月8日:グリーンポイント

10月10日

一つの独創的な思想は、千もの愚かな引用に値するーーディオゲネス

これはドアに描かれたそうなのですが、ドアの所有者が即時に撤去したそうです。

◆10月10日:イーストニューヨーク

10月10日

電柱は本物で、ビーバーが描かれたグラフィティです。

本では、ビーバーはNY市民、アメリカ国民の象徴で、電柱は政府を意味していると説明がありました。
それがバンクシーからのメッセージなんですが。
わたしには、この絵に関して、バンクシーのメッセージよりも印象的な言葉、というか、エピソードがありました。
この絵が描かれたのは、あまり治安の良くない地区らしく、この絵に価値があると気付いたストリートギャング(っぽい)おにーさんたちが

「撮影するなら金を払え」
「払えない金額じゃないだろう」

と、写真を撮りにきたファンたちに言うのです。
(5ドルだったか20ドルだったか)(本には20ドルと書かれていますが、映画では5ドルって言ってた気が)
(だいたい500-2,000円くらい)
そして、忘れられない言葉が飛び出しました。

「お前ら、この絵がなきゃ、こんな場所へ来ないだろう」

この言葉を聞いた時、わたしは、バンクシーはこの一言を言わせるために、や、この一言をファンたちに聞かせるために、ひょっとしてニューヨークでの活動をしたのかなー、と思いました。

が、本では

もちろん、バンクシーが場所を選ぶとき、そこに一切、慈善事業的な意識はないだろう。街中に作品をばらまくことで、白人や高所得者が多い場所を選んでいるという批判に対して先手を打ちたかったんじゃないかな?(まあ、「ニューヨーク市全域制覇」というのは、全体の計画の一部だったしね)

とあるので、わたしが感じたソレではないっぽい… ない、かなあ…

◆10月17日:ブッシュウィック

バンクシーNY10月

日本のお嬢さんふたりの絵ですが。


グラフィティアーティストが、女の子ふたりの部分を黒のスプレーで塗りつぶしたようです。

ニューヨークには、バンクシーファンもいれば、アンチバンクシー派もいるわけで。
バンクシーの絵をこんな風に傷つけたり、GO HOME! と書いたり、活動を邪魔される、妨害されることもあるようです。
そういうことをされることも含めて、街に描く絵、グラフィティなんだろうなあ。
(これは、有志のファンが塗装用シンナーで、元の状態に戻されたそうです)
こうなる前に、ファンは駆けつけて、綺麗な状態で写真を撮り、SNSへアップするのが理想なのですが、場所を割り出す、そこへ駆けつける、それまでの時間に、持ち主が撤去したり、こうして傷つけられたりしたり。
グラフィティアーティストたちからの嫉妬ややっかみのみならず。
バンクシー、ニューヨークでお尋ね者になっていました。
ニューヨーク市警はバンクシーを逮捕すると声明を出し、ブルームバーグ(前)ニューヨーク市長は「他人や公共の財産に損害を与えるものは芸術に値しない」と公言しました。
美術雑誌の評などでも「低俗で分別を欠いた芸術の面汚しだ」と言われていたようです。

そして反バンクシー派の意思とは正反対に、バンクシーがグラフィティを残した建物の所有者は、それをオークションに出したりして、えー、大金を手に入れている。

◆10月22日:ウィレッツポイント

バンクシーNY10月22日

この日の作品はスフィンクスですが。

わたしはコレはあんまりいいと思えませんでした。映画館の大きな画面で見ても、本で見ても、ネットで見ても。
好きじゃない、というか、なんだろう、造作が雑に見える、や、ちょっと違うなあ、なんだろう、バンクシーっぽくない、のかなあ。
他のステンシルなら、あー、バンクシーだな、と思うんですが、これは何だろう、バンクシーの指紋が見えないような気がする。

これは地元の自動車修理工が自宅のガレージに持って帰り、話を聞きつけた画廊の店主が委託販売という形でお店へ引き取ったそうです。
(スフィンクスは、この映画ができた時点でまだ売れていないとか)
この画廊の店主は、作中、他のエピソードでも出てくるんですが、ちょっと不愉快、というか、あんまり好意的には見られない御仁なんですが。
その不愉快も併せて、バンクシーの映画なんだろうなあ。
そして、自宅のガレージに持って帰った自動車修理工ですが。
このひとの台詞もまた強烈でした。

「身なりのいい連中が写真を撮っていて、慎重に扱っていたから、きっと貴重なものだ。だから、誰かに取られる前に、自分が頂く」

10月10日のイーストニューヨークのストリートのおにーさんの言葉、そしてこのひとの言葉、わたしは、この言葉に対して、どう捉えたらいいんだろう、なんていうか、バンクシーからの宿題のような。
次の映画を作るまでに、答えを考えておいてね、と言われたような。

☆ ☆ ☆ ☆

わたしがいいなあ、好きだなあと思ったものを、いくつか。

◆10月20日:アッパーウェストサイド

バンクシーNY10月20日

これがオリジナル。

BANKSY_HUMER_FAN01

こんなのとか。

BANKSY_HUMER_FAN02

楽しそう。

これはスーパーマーケットの壁だそうでして。
そこの店主さんたちが、この絵をお店に飾ったりして。
そんで、絵自体は、強化ガラスで覆って傷まないようにしているんだそうです。
(写真は撮ることができるようですが)
おかしかったのが、店主さんに案内されて、映画のカメラがこの絵を撮りに行った時、ゴミの日の前日だか、何だかで、その絵の前にゴミ袋がいくつか置かれていたりして、店主さんは、そのゴミ袋を無造作に脇によけて「これだよ」と…。
そのシークエンスが、ほんっとーに微笑ましく、楽しかったです。

今回の映画でバンクシーのグラフィティ、わたし最高認定の
◆10月24日:ヘルズキッチン

バンクシーNY10月24日

なんて好みなんだ。

コレ!すっごい気に入った!!
ファンの人たちも、この絵の前で、それぞれで想像したシュチュエーション(膝まづいて花を受け取るポーズや、「だめよ、受け取れないわ」的なポーズとか)で写真を撮っていて。楽しそうでしたー♪
これは金属のシャッターに描かれたものですが、これも建物の持ち主が撤去したそうです。

◆翌日10月24日:イーストヴィレッジ

このインスタレーションそのものじゃなくて、映画に映っていたファンの人たちがすっごく良かったのです。
「この時間と空間を共有しないと、良さはわからないよ」
というようなことを言っていて、その場にいるからこそわかるワクワク感とか、死神と演奏者との近さ、とか、そういうのがすごく羨ましかったです。

◆10月29日:ハウジングワークス
ここにある画廊で買われた風景画が、バンクシーによって加筆され、また【戻ってきた】のだそうです(タイトルまで新しくなって)。
なんかもう、Oヘンリーの短篇みたいだ。

バンクシーNY10月29日

『悪の陳腐さの陳腐さ』

もともとの絵には、人物の絵はなかったそうです。
この後姿からわかるように、これは、えー、ナチスの将校の後姿、これが描き足されました。
タイトルは
“The banality of the banality of evil”
『悪魔の陳腐さの陳腐さ』だそうで。
これはハンナ アーレント著『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』をもじったそうなんですが。
アイヒマンというと、ナチスの将校で、ホロコーストに関係した人物であり、それだけのことをしていながら、裁判では「命令に従っただけだ」と言った人物であり。
映画では、思考停止、自分で考えないことをバンクシーは批判している、と、そういうメッセージだと言っていました。
この画廊の主は、この絵をオークションに出して、その収益をホームレスや、HIV患者のための活動に寄付したそうです。
このエピソードもすごく好きなんですが。
ちょっと戻ります。

◆10月13日:ウッドサイド
セントラルパークで、じ様がバンクシーの原画を60ドルで売っていたんだそうです。

バンクシーNY10月13日

「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」

じ様のしれっとした顔が、ものすごく楽しくて、もう、なんだこの映画! 好き!!と思いながら、ホントにこの辺りで、膝をばしばし叩きたくなっていました。
こんなことするんだなあ、バンクシー!

結局、半日ほどで、全部で8枚売れて、売り上げが420ドル(4万2千円くらい) 。
翌日、動画でアップして、ファンたちが歯ぎしりしたとか。
オリジナルなら、28万(2,800万円くらい)ドルくらいするそうです。

映画の説明では、この機会を逃して、嘆く人も多かったそうですが、彼らの目的は、バンクシーの作品を60ドルで買う、というエピソード、ドラマが目的だ、と言っていまして。
Oヘンリー通り越して、なんだろう、笠地蔵とか、困ってるおじいさんに親切にしたところ、土地神様だったとか、そういう昔話レベルのイメージが。
これがものすごく印象的でした。

10月7日のレッドフック、
10月10日:イーストニューヨーク、
10月29日:ハウジングワークス、これらを見て、バンクシーって、ものすごく皮肉で、ブラックっぽい作品を作っていますが、ひょっとしてとても優しいひとなんじゃないかなあと思ったり。

こういう動画がありました。
バンクシー ダズ ニューヨーク公開 RT達成記念公開の動画で。
https://twitter.com/uplink_jp/status/720221763104145410

このコピーが『悪人がパイを食らい、善人が笑う』というもので、バンクシーの理想って、こういうシンプルなものじゃないかなあと。

もう1本、イグジットスルーザギフトショップ というバンクシーの映画がありました。
これはバンクシーが【撮影した】映画で、バンクシーのグラフィティがどうこう、という映画ではないです。
もともとは、バンクシーを追い掛けてた主人公が、いつの間にかグラフィティアーティストになって…というドキュメンタリーなんですが。
この主人公の絵が、どうしてもいいと思えなかった。
ウォーホルの絵を、マネして描いて、水で薄めたような絵で。
それでも、大々的にとりあげられ、個展を開き、即売会では飛ぶように売れて…、と、その絵を良いと思えないわたしが間違っているようにも思えました。
ですが、たぶん、そう思うことが、えー、その、バンクシーの手の平で転がされているんだろうなあ、と。

そして今回も。
やっぱり、バンクシーの作るものは、わたしに問いかける。
「この絵を本当にいいと思う?」
「あなたの基準で、あなたの感覚で、この絵をいいと思う?」
「街の壁に描かれたラクガキを、作者のサインさえないグラフィティをいいと言える?」
と、バンクシーから問いかけられている気がする。

例えば文章にしても、アート作品にしても、作者の名前がついていなくても「あ、これ、あのひとのだ」とわかるものが好きです。
(わたしが知っている、わかっている範囲など狭いものですが)それでも、文章を読んで、言葉の選び方、並ばせ方、読者へのウィンク、ものすごく抽象的に言うとコンテクスト、そこから、「あ、この文章、あのひとが書いたんだな」とわかった時はとても嬉しい。

物語もそうですが、わたしが好きなアート作品もまた、わたしに優しくない。
「自分で考えて」と言われているような突き放され感、やっぱり、わたしは、そういうのが好きです。

わたしは、こういう記事なども書いていて、留まらないもの、変わり続けるもの、終わらないもの、が好きで。
バンクシーのグラフィティも、消される、撤去される、街のアートとして留まる保証のない刹那的なもので。
その絵も好きですが、それよりも、バンクシー本人、そして、作品からの問いかけが好きなのかも知れない。

「何がいいと思う?」
「何がいけないと思う?」
「どんなものが好き?」

多分、正解はないと思うし、もし間違えていてもバンクシーは「ダメじゃないか」と言わないと思う。

わたしにとって、バンクシーというアートテロリストは、このNotebookers.jpのコンセプトみたいに、インスタレーションより、それを作るひとの方が面白い。

この映画、最後の31日はどうなるかというと、それは見てのお楽しみにしておいて下さい。
なので、最後のバンクシーからのメッセージも白文字反転しておきます。
ネタバレOKの方は御覧になって下さい。↓このへんにあります。

世界全体が芸術そのものだとしたら、最高だと思わないか

◆おまけ:10月11日:ミートパッキング ディスクリスト

動画のタイトルで、だいたいのことを察して頂ければ…
(なんか、すごいBBCっぽい、というか、パイソンっぽいというかさー)

◆おまけ2:読んだ本
記事の中で「本では〜」とあるのは、この本から参照しました。
(映画のパンフレットはなかったのです。なので、こちらを買いました、文章も多くて読み甲斐があります)

◆おまけ3:プラトンの言葉

プラトンの言葉

私の理論は、どんな文章でも末尾に哲学者の名前を添えると、深淵な感じがするというものだ。


(だからエピメニデスは「己を疑え」なんて言ってない)

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よっぱらったチーズ ~ベイクドカマンベールカルバドス風味

Posted on 13 5月 2016 by

こんにちはkonamaです。

チーズとかサラミとか

この間から、少しづつ「食べる世界地図」という本を読んでいて、いろんなところに垣間見える変な話にニヤニヤしながら読み進めています。とりあえず、

冷蔵庫がからっぽのとき、パスタをバターとマーマイトで和えて黒胡椒をかけたものが、今でも私のお助けメニューだ…それに二日酔いのときも。

高い+脂っこい+鴨はかわいい=個人的に鴨料理は気が進まない

とか書いてある本です(グルメ本とはちょいと違う方向性?)。

まだ読み途中なのですが、最初のフランス、ノルマンディ地方のセクションに「ベイクド・カマンベール」というレシピを見つけました。

なになに、カマンベールのあたまにフォークで穴をあけて、カルバドス(リンゴのお酒)をかけて、ローズマリーと塩コショウ。そのまま8時間おいて、オーブンで20分!美味しそうではないですか。そして簡単じゃないですか。
というわけで、電車にのって少し良いチーズを買いに輸入食材系スーパーに出かけたのでした。最近マイブームのつるすヒモがついてるスペインのサラミもちょうどなくなったのでしっかり買いこみました。ちなみにマーマイトも売ってたよ。

やってきましたチーズ売り場。そんなにたくさん食べられないし、小さいやつがいいかなあと見て回ると、こんなチーズを発見。

カマンベールカルバドス

左にあるの、リンゴのマークがついてる。よく見ると、CAMAEMBERT AU CARLBADOS って書いてあるじゃないですか。裏を見るとリンゴのお酒を入れたチーズとあります。なんだ、出来合いのものがあるんじゃない。でも焼いて食べろとは書いていない…。風味をお楽しみください的な説明のみ。うーむ、しかしなんかこれをこのまんま焼くのもなんだかチガウ気がする。そこで小さいひとくちカマンベール(写真右)をかって、こっちはレシピ通りに作ってみることに。カルバドスも高くないほどほどの奴を購入。さて、どうなりますことやら。

カルバドス

しかし、このリンゴのブランデー…ちょっと臭いんですよ。好みは色々だと思うんですが、シードルの類って辛口系は意外と呑みにくい印象があります(私の好みですが、イギリスで初めて飲んだサイダー(と呼ばれるリンゴ微炭酸アルコール)はちょっとびっくりするくらい美味しくなかった。今は好きな銘柄を見つけましたけどしばらくは手をだせませんでした)。

というわけでさっそく、穴開けてマリネ。こんなに小さいので、ローズマリーはベランダの苔玉から拝借w。夕飯までしばらく放置です。

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で、一番上の写真が、カルバドス入りチーズを食べるぞというところなわけなのですが、まずは生でぱっくり。うーん、ちょっと臭い。ちょっとたくあん系。まずくはないが、なんか漬物系の匂いだよー。カマンベールなのに白カビじゃないようなちょっとしたくどさがあって、お酒飲むのにはいいかな。気を取り直して、自作の方をオーブンから取り出して実食。

自作カマンベールカルバドス

うん、こっちの方が良かったです。ちょっと癖のある香りがぷーんとするのはその通りなのですが、焼いてある分まろやかで良い感じ。
って、アルコール分の苦みがもんだいなのかも…という気がして、おもむろに出来合いの方のチーズも焼いてみた。

こちらは出来合いの方を切ったのを焼いた

味は…やっぱり臭いよ。そして味が温まった分強烈に(笑)。そんなわけで、ウィスキーをお供にチーズ、サラミ等々いただいた晩でした。
本当はこうやるというのがあるのかもしれませんが、これだけでも大冒険。とても楽しかったです。こんどは普通サイズのカマンベールで、バケットを準備して臨みたいと思います。

01b1bf6556bac92d1691ee3bdf2e31b506cb69ef87 今日の抜書き

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【レビュー】 Maped Reload Roller

Posted on 07 5月 2016 by

万年筆のインクが,ローラーボールで使えるという記事を見まして,I did some digging.

国内では,エルバンさんの商品か,カキモリさんに行く,という選択肢がどうやらあるようです.

エルバンさんはカキモリさんとは違い,カードリッジ専用.カキモリさんはコンバーター付き.

カキモリさんのやつほしい.

でも,私は残念ながらどちらのアクセスもない.

諦めるか!

ん!待てよ?カキモリさんのブログに,「ドイツ製」と書いてあるじゃないか.ドイツなんて同じヨーロッパよ!どこかに同じようなものがあるはず!

諦めない!

調べてみると,どうやらBICに似たような商品があるらしい.おフランス製やん.

コンバーターを使えないので,スポイトなんかで使用済みのカードリッジに入れる方法で使えるか.

で,買ってきました.←

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BICちゃうやんけ!そうです.BICと同じフランスメーカーのMapedさん(UK版)の商品です.

お値段13レイ.1レイ=31円として,400円ぐらいですかね(ざっくり)

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取り出したところです.400円とは思えないぐらい軽くてちゃちい.

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手順が書かれています.なんと後ろに補充用のカードリッジを保管できるとか.

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後ろに確かに入っている.

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青いインクが見えますね.

そういうわけで,かき比べ.

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下が古き好きペリカーノジュニア.上がMaped Reload Roller.

どちらも味がありますが,ちょっと太字すぎるかな?すべりは悪く無いですが,良くもない感じです.

長さはなかなかのもので,三角形になっているため,なかなか握り心地は悪く無い.ごつい印象.

でも,キャップがおしりにはいらないので,小憎いフランス製品の典型みたいなやつです,こいつは.

だから,日本で手に入らないからって,うらやましがらないでくださいね.あくまで代替案.

 

また帰ってから,色彩雫なんか入れてみようと思っています.その前にカキモリさんにやはり行くべきか…

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「事実は現実の中にある。幽霊を引っぱり出す必要はないよ」〜コナン=ドイルのコティングリー妖精事件

Posted on 02 5月 2016 by

ー。
先日、カーソン マッカラーズの『結婚式のメンバー』読みまして(村上春樹訳)。
なんていうのだろう、例えば、孤独とか空虚とか、そういうものが自分の中心にあるひとというのは、それは先天性なのかも知れない、と思いました。
育った環境ではなくて、親の影響ではなくて、えくぼがある、とか、くせ毛とか、自分ではどうにもならないところからきたものじゃないか、と。

それまでほとんど気にもとめなかったことが、彼女を傷つけるようになった。夕暮れの歩道から見える家々の明かり、横町から聞こえてくる知らない人の声。そんな明かりをじっと見つめ、声に耳を澄ませた。そして彼女の中にある何かを待ち受けた。しかし、明かりはそのうちに暗くなり、声は消えていった。彼女はなおも待ったが、そのまま何も起こらなかった。それでおしまい。自分は誰なのだろう、自分はこの世で何ものになろうとしているのだろう、なぜ自分は今ここにじっとたたずんでいるのだろう、明かりを眺めたり耳を澄ませたり、夜明けの空をじっと仰ぎ見たりしているのだろう。それもたった一人で。自分に唐突にそんなことを考えさせるものを、彼女は怖れた。彼女は怯えていた。そしてその胸の中にはわけのわからないこわばりがあった。

毎度のことながら『結婚式のメンバー』のブックレビューではないです。
『ホームズの生みの親 コナン=ドイルについて』について、です。
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ねこと一緒に空を飛ぶ。

Posted on 18 4月 2016 by

ご無沙汰しております。
ノート大好き猫大好き万年筆大好きないぶし銀でございます。
すっかり春になってしまいました。
桜の季節もおわってしまいましたか?

こちらは季節が秋から冬へと移り変わろうとしております。
まぁまだ暖かいのですが。

え?

はい、こちらは南米・アルゼンチンです。
唐突ながら移住いたしました。
地球の真裏ですので、時差も12時間、
季節も反対でございます。

なぜアルゼンチン?という疑問に関しては、
移住ブログ作りましたので、
そちらを見ていただくことにいたしまして、
猫と一緒に地球を半周してしまいました。

2016-03-19 18.41.42

乗り継ぎのドイツ・フランクフルトにて。
これだけ開けてもビビって出てきません。えらい子。

こちらについて10日で2歳になりまして。

2016-03-31 12.10.33

今は妻と遊んでます(リアルタイムで)

さて南米ということで、
みなさまどのようなイメージをお持ちかと思いますが
普通に文明国ですよ。
「南米のパリ」と言われる程の町並み。

ただし、実は外国からの輸入を制限している関係で、
モレスキンも無ければ
ロディアも無いです。
参ってしまいますね。
ロディアくらいあるだろうと思っていたのですが・・・

まぁ日本からMDノート、ノーブルノート、紳士なノートを1冊ずつ持ち込み、
ジブン手帳の「IDEA」も4冊ほど持ち込み、
トモエリバー手帳用紙も1000枚ほど持ってきておりますので
しばらくは困らないですね。

もちろんアルゼンチンでもノートを買いました。
ヨーロッパでもよくあるような、A4サイズのリングノート。

IMG_7327

これがなかなか使えるんですよ。
万年筆でもいい感じです。

ガンガン使って、早くスペイン語の単語覚えなきゃー。

ということで、国は変わりましたが
何事も無かったかのように過ごしてまいりますので、
これからもよろしくお願いいたします。

 

またふらりと書きに現れます。

 

いぶし銀。拝

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トラベラーズノートブックとトムウェイツ

Posted on 01 4月 2016 by

だ関西、も少し寒いです嬉しいですせらです。
最後のひと押しとして、ハッシュタグは #惜冬。

えー、先日、『居心地の悪い部屋』という岸本佐知子氏編訳の短篇集を読みまして。
やー、このタイトルなので、12篇、にがくて、突き放され、不安になる、そういうすばらしー短篇集でした。
特に、ジョイスキャロルオーツの『やあ!やってるかい!』は、文学作品は通り魔になり得る、ということを証明できた人類の宝物のような作品でした。

あなたといるとぼくは不安でたまらない。そう、それなんだ、あなたはぼくを不安におとしいれるんです。そのとおりだよ、食事相手はうなづいた。わたしといると最後は誰もがそうなるのさ。だけどね、そもそも文学の役割とはそこにあるのだとは思わないかい?ひとの不安をかきたてることだとは? わたしに言わせれば、ひとの意識を慰撫するような文学などは信用できない。それは僕も同感です。ですが、ぼくは自分のことでもうたっぷりと不安にかられている。あなたの不安がぼくの不安にくわわると、もうこれは苦悩にほかなりません。堕落した平和よりは苦悩の方がましだね(アントニオタブッキ『レクイエム』)

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お宝非売品3点セット

Posted on 01 4月 2016 by

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Notebookers Market管理人のたかやさんに、非売品として紹介したいお宝アイテムがあるんですがいいですかー、と問い合わせまして。
「OKでーす!」と即答頂きました。

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いつものと違うのですが、わかりますか?

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スマホのない生活って想像できるかい?

Posted on 28 3月 2016 by

先週金曜日にスマホのタッチパネルがご臨終を迎えました、なかしぃです。

なかしぃ卿は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで

というわけで昨日ショップに修理に出して1週間~10日はスマホのない生活になります。

スマホの最期を迎えたときはメールが出来なくて家の固定電話も解約して電話がないので、焦って近所の公衆電話を小銭を握り締め探し回りましたよ。家の近所で公衆電話からかけるということなんて皆無なのでどこにあるか分からないからコンビニにいったら何とかなるだろうと思いましたが、最近は公衆電話が減ってるんだそうですね。ようやく見つけたのは酒屋でした。

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そして明日の待ち合わせは時間と場所を細かく指定して約束しました。梅田の紀伊國屋書店の文具コーナーで3時半ね、みたいな感じでピンポイントで迷わなさそうで人が少なそうな場所なら確実だろうと。

そういえば昔はケータイなんてなかったのにちゃんと待ち合わせできてたんだなぁとなんだか不思議な思いでした。スマホがなくてもちゃんと生活出来てたのに今ではちょっとでもないと不安になってしまう。

とりあえずはパソコンのメールから連絡している日々ですが、メールが使えなくても手紙のやりとりでもいいじゃんって言ってくれる人もいました。デジタル機器なんかなくてもアナログなやりとりが出来たらちゃんと心が通うのではないかな。

ケータイのない世界では、好きな人に何時にこの場所に来てくれ、って言って雪が降りしきる中何時間も待ち続けて肺炎を起こしそうなときにやっと女の子が現れるといったバブル期のトレンディドラマみたいなシチュエーションや、思春期の男子が女の子の家の電話にかけてお父さんが出たらどうしようということで「部活でご一緒させていただいてる○○ですが、△△さんいらっしゃいますでしょうか?」といった慣れない敬語でシミュレーションしたりとか、風情のあるシーンがありましたが、スマホのある時代ではそういうドキドキ感なんて、は?みたいな感じですよね。

ということでスマホに依存しすぎるといざご臨終を迎えたときにパニックになるのでアドレス帳くらいはバックアップしておきたいものです。知人の皆さま、私のスマホが修理を終えて無事退院した暁には電話番号をもう一度お尋ねするかもしれませんがご容赦くださいね。

 

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誰が月の齢を予言するか 〜ムーンプランナーメソッド講座へ行ってきました。

Posted on 16 3月 2016 by

西はまだちょっと寒いです嬉しいですせらです。
行く冬を惜しみまくっています。ハッシュタグは #惜冬 で。

えー。映画の話から始めます。
『エレニの帰郷』というテオ アンゲロプロス監督の作品があります。
エレニというギリシャ人女性が、シベリアの収容所に入れられ、子供を産み、子供と引き離され、再会し、…という、二次大戦から現在までの一代記なんですが。
カメラワークが流れるようで、天使の三枚目の翼とか、ほんとーに美しい画面でして。
そして、これを見た時、すごく思ったのが『時間の流れ』でした。
イレーヌ ジャコブという女優さんが、主人公エレニが若いころから、孫ができるような年齢までひとりで演じています。
メイクや、白髪が少し目立つようにしたりして、年齢を重ねているように見せているんですが、えー、そのひとのひとつの人生なのだから、ひとりが演じるのは当然と言えば当然なのですが、まず、それがひとつめの『流れ』。
そして、作中、時間が行ったり来たりします。若い頃のエレニから、ぽん と時間が飛んで年を取ったり、また戻ったりします。でも、それが全然不自然ではなく、水が流れるような、自然な営為に見てとれました。これがふたつめ。
例えば、デジタルの時計が かしかし と音を立てて数字を切り替えるのでは【なく】、影の位置がさっきまではそこにあったのに、ずいぶん遠くに移動したとか、そういった、昔から現在まで、ひと続きの流れ、のような時間の感覚が感じられて、すごく新鮮! と思った覚えがあります。
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「サーハビーに上がるエレベーターのボタンはいくつあるか知ってますか」(ホームズ原作の「階段が何段あるか知ってるかい」的な質問として)

Posted on 06 3月 2016 by

日、ガルシア=マルケスの『族長の秋』を読みまして。

子供たちの猩紅熱(しょうこうねつ)を治すために、太陽と星の光を赤く染めさせた。

もうもう、この一文に左眼を撃ち抜かれました。わたしにどうしろというんだガルシア=マルケス。
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ハンガリー歩行

Posted on 29 2月 2016 by

「ハンガリー歩行」

14/FEB/2016 (Tue)

 飛行機に乗ると,僕はいつも悲しくなる.持っていく本も,ミュージック・プレーヤーでの選曲も,書くことも,また.でも,その悲しさが,どこから来るのか,よくは知らない.どれだけ忘れ物をしようと,悲しみだけは執拗に,僕についてくる.だから,飛行機型のクラッカーをもらっても,ちっとも嬉しくない.一つは,いかにも墜落しそうな感じだ.ろくでもないクラッカーなのだ.

墜落クラッカー

悲しみはどこからやってくるんだろう.探しながら,歩いて行く.四度目のハンガリーは,雨が降っていた.

以前よりも,浮浪者が目立つ気がする.雨に濡れながら,スーパーからとってきたのだろう,お決まりのカートを押していく.僕も彼も,傘は持っていない.そもそも傘をさすのは嫌いだから.そのような意味では,彼と僕に,平等に雨粒は落ちている.しかし,僕と彼には決定的な溝が存在するような気がしている.

また,少し歩くと,赤いバラを持って,赤いキャップをかぶった高校生ぐらいの男の子が,足早にこちらに向かってくる.そこで「あぁ,今日はバレンタインデーだったな」と思い出す.彼の歩くスピードは早く,あっという間に僕らはすれ違う.振り返ると,バラの花束と赤い帽子が,どんどんと遠ざかっていくのが見える.

彼らともう二度と会うことはない.もし僕がノートに書き留めていなければ,このことはすっかり忘れてしまっただろう.

旅先の出会いとはそういうものだ.

旅行には時間という親しさが欠落している.だから,悲しいのだ.むしろ,寂しいのだ.だから僕は,旅行者(トラベラー)ではなく,居住者(セトラー)に憧れるのかもしれない.

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また,町をよく知らないことが,僕の悲しみを大きくする.何度その場所を訪れようとも,あるいは訪れるからこそ,僕はその場所のことを何も知らないのだ,と気付かされる.すれ違う人も,通り沿いの店も,そこで働く人も,飲んでいるビールの銘柄も,開店時間も,ゴミの収集の時間も,歯医者の予約の方法も,この国の人が早起きなのかも,どの本が人気があるのかも,僕は知らない.

知らない.知らない.知らない.

そうやって,どんどん僕は無知であることを自覚する.無知は,孤立していくような感覚を生み出す.ブダペストの町中で,僕は呆然と立ち尽くす.ここはどこだろう.なぜここにいるのだろう.僕は何も知らない,という風に.

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母国を離れるということは,おそらく悲しいことなのだ.僕は母国を任意に選んだわけではない.だから,そこにはなにか諦めがある.「選んでないけれども,仕方がないじゃないか,生まれてしまったんだから」というように.その諦めは,僕の存在を肯定してくれる.母国は存在を無条件に肯定してくれる(はずだ).だから,母国を失うことは,悲しい.

だけど,人は,外に出た途端,その理由を聞きたがる.「なんだってまたハンガリーに?」「なんでまたルーマニアなんかに?」そんな感じで,理由を尋ね,理由を尋ねられる.

だけれども,仕方がないじゃないか,と叫びたくなる.特に理由なんかないのだ.来てしまったものは仕方がない.それは原理的には,母国に生まれることと同じような確率的な問題なのだ.そういう理由で,人はどこかに出かけていくのだ.そういうことがあっても,いいじゃないか.

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だから僕は,悲しくても,寂しくても,歩き続けるしか無い.何度訪れても,無知を自覚しても,理由が見当たらなくても,ただ歩き続けるしかない.旅行先でも,どこに行っても,ただただ,そこを歩き続けるしか無い.悲しみや寂しさは,どちらにせよ,後からついてくるのだ.それを忘れることは出来ない.飛行場に,要らなくなった服のようにおいてくることは出来ない.

ハンガリーを歩いていて思ったのは,そういう悟りのような諦めのような,旅愁と言い表されてきたのだろう,寂寞とした感情だった.

 

 

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どこにもない場所 ~エル・パパガヨ・リブレリ

Posted on 30 1月 2016 by

こんにちはkonamaです。

今日は物語の中にでてくる場所についてのお話です。

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時折、本を読んでいて、その物語上さほど重要でもないのに、ものすごく頭の中に残ってしまう場所というのが私にはあります。

物語の舞台、というと何か劇的なことが起きたり、例えば歴史的にその場所であることが必然出会ったり、作家のふるさとであったり、その本を読んだ人がその物語といえば…と話せば必ず出てくる地名。いうなれば巌流島や関ケ原(たとえがなんですが)。

そんなすごいところではなくて、行数としても数行でてくるかどうか、物語における重要性は様々だけれど、なぜか頭にこびりついている地名。

それは不思議な語感であったり、その時浮かんだ鮮やかな連想であったり、よくわからない思いこみだったり色々なのですが、これが結構数十年単位で覚えているのです。

今日はそんな場所をひとつ勝手にご紹介しようかと思います。そしてあってるかどうかわからないけれど、Notebookers Mapにそっとマーカーを立てようかと思うのです。

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いつものコーヒーでしょうか?

Posted on 26 1月 2016 by

イタリアで暮らすこと、かれこれ合計すると6年くらいになるのだけれども、この国はともかく「飽きた」とか「慣れた」とは全く言わせてくれない。

2016年も始まって約1か月だけど、今年はしょっぱなからやらかしてくれました。

まさかの新年のカウントダウン、国営放送が1分以上「早く」やってしまった。
テレビ見てて、いきなりカウントダウン始まっちゃって、みんなお祝いのためのシャンパン出したりしてて「早くない?スマホにまだ23時58分って出てない?」「えー、お前のスマホの時計狂ってるんじゃないのか?」なんてわちゃわちゃやってるうちに、テレビの表示が「明けましておめでとう!」なんて出ちゃったからみんなでとりあえず、ハグしたりキスしたりしておめでとう!なんて言いながら、あれ?やっぱりスマホの表示はまだ0時じゃない。

ツイッターとかで「おかしくない?」なんていうのが山ほど書かれたようで、次の日の新聞に「早まっちゃいました」って悪ぶる様子もなく書いてあって、私は思った。

やっぱりこの常に気の抜けない、何が起こるかわからない緊張感にあふれたイタリアが好きだと。

 

さて、イタリアといえばおいしいコーヒーで有名ですが、
カフェに座ってのんびりコーヒーを飲みながら読書・・・・にはまったく向いていない、というか「なんだあの人?」くらいの雰囲気になっても耐えられる心臓を持ってないと無理な雰囲気を醸し出してます。
友達や恋人と一緒だとしても、滞在時間が30分を超えるというのも稀っぽい。
コーヒーは基本「立ち飲み」。

caffe

流れはこんな感じ。
バールと呼ばれるコーヒーや軽食なんかも出すお店に入り、とりあえずレジで注文します。
(料金後払いのお店もあります)
コーヒー=小さなカップにちょこっと入ったエスプレッソで、ここ数年は1ユーロのところが多いです。
朝だったら、カプチーノもいいですね。
あと、コーヒーと同じ値段で「マッキアート」と言えば、エスプレッソにちょこっとだけ泡だったミルクを入れてくれます。
お金を払ったら、レシートを持ってバリスタのいるカウンターに行きます。
朝や昼食後なんかはカウンターは人でごったがえしていることもありますが、ひるまず近づいていき、バリスタが気づいてくれるまで、レシートをひらひらさせてみたり。
バリスタと目があったら「コーヒー1つ!」と注文します。

するとバリスタは、カウンターにコーヒーカップを乗せるためのお皿とスプーンを置いてくれます。
これで、あなたの位置が決まりました。混んでいても、おしゃべりに夢中のイタリア人もさすがに場所を空けてくれます。
30秒以内にコーヒーが置かれるので、カウンターに山ほど置いてある砂糖の小袋を自由に取ります。
ダイエット甘味料が欲しいとか、ブラウンシュガーが欲しいとか要望があればバリスタにとりあえず聞いてみると出てきます。
たまにバリスタの気分で、チョコレートをおまけにつけてくれたりなんてこともあります。
ああ、いい香りだなあ・・・
とかなんとか思いながら、くいっと飲み干します。

ここまで、混んでいても入店から退店まで3分、かかっても5分未満。

バールだと朝、コーヒーとともにブリオッシュ(と北イタリアでは呼んでいますが、南に行くとコルネットと呼ばれていたりする)という見た目はクロワッサン、でもフランスのクロワッサンほどバターっぽくないものに、ジャムやらクリームやらが入ったパンを食べることがあって、「ともかく甘いもので、ぐぐっと血糖値上げて目を覚まそう」という気分になります。

このブリオッシュを食べるのも、立ったままの人が多いですが、ちゃんとテーブルに座って食べることもできます。

ただ、ひとつ注意なのが、いわゆる観光地のバールでよくあるのだけれども
立ってコーヒー飲むのと、座って同じコーヒー飲むのの値段が倍以上違うことがあります(地元のおっちゃんがいっぱいいるようなバールでは基本的に座っても同じ料金)。
一応ちゃんとカウンター料金と、席での料金と書かれた表がレジの近くに貼られていたりするけれど、イタリア語が話せなかったら、このことを知らなかったら、歩き疲れた観光客はとりあえず座っちゃいますよね。

去年の秋に仕事でよく行く学校が移転して、前より庶民的なバールとかパン屋さんとかがある地区に通っています。
さすがに毎日はバールに顔を出さないけれども、ちょっとでも常連さんになりたいなあと思っていつも同じバールに行きます。
今年の目標は、いつもレジにいるおばあちゃんに「おはよう、いつものコーヒー?」って言われ、カウンターで馴染みのバリスタに「おはようございます。コーヒーですか?」って言ってもらえる率を高めていくこと。
実は、たまに昼ごはんを食べに行くだけのバールが別にあって、そっちは学校付属のバールなので(学食感覚なのかな)さすがに東洋人が珍しいようで、「食後にコーヒーでしたよね?」なんて言われたりするようになってきました。いいぞいいぞ。
この前は、コーヒー飲みつつノートを出してちょこっと仕事のまとめをしたりしたけれど「食べ終わったなら出ていけ」みたいな雰囲気も出されず、のんびりノートを書けたのでびびらずこれからもやろうと思います。

さて、この話に何かオチをつけようと思い考えてみたところ、私はお茶もコーヒーも大好きなのですが、年々カフェインに弱くなっていっていて、お茶やコーヒーを午後2時くらいまでしか飲めないのです。

そんなわけで、午後はハーブティー(イタリア語だとティザーネと言います)を飲んでいます。
お茶を飲む人は少ないコーヒー大国イタリアですが、ハーブティーは薬草薬局とかがあるくらい身近なものなので、そのことをまたいつか書けたら、と思います。

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大寒と一軍

Posted on 25 1月 2016 by

1月21日は大寒ですね

大寒

 

そもそも字面からして寒そう。そして北国住民からしたら、いいよもう、ってなる感じです。

日本全国津々浦々、今日は寒い一日ですね。皆様風邪などをお召しになりませんように。

そして雪国の住民様、お互い日々の雪かきをがんばりましょう。春はすぐそこです。たぶん。

 

そんな日は手帳、文房具と戯れるのが一番おだやかですね。

ということで本日は会社のデスクからこんにちは。毎日持ち歩いている一軍文房具をじゃじゃじゃじゃーんです。

 

文房具①

手帳はほぼ日オリジナル。3年目になりました。

昨年アヴェックを使ったのだけど、どうしても年末になると今年の振り返りをする機会が増え、そうなると2冊に分けるのはアレだなって。上期の分は普段持ち歩かないし。ってことで今年は通年バージョンに戻しました。

カバーは初めて購入した時のもの。中身についてはいずれまた。

 

パイロット HI-TEC-C coleto は、ほぼ全色所有。最近のお気に入りは0.4ミリの芯。

会社鞄に入れているペンケースには、1軍として写真のものたちが。

似たような色味のものばかりあるな~。

zebra KIRARICHも全色保有。一軍入りは緑、青、ピンク。黄色と紫もあるのだけど、全色持ち歩くってどうなの、ってことで今回は所持せず。

シャーペンも大好きであれこれと試してはいるのだけど、一番しっくりきたのが1345img4Faber Castell GRIP1345

このラバーグリップがイイ!

なにより細さ。最高。ある程度の重さもイイ。製図用のアイテムだけど、一応図面とか見れる仕事だしいっか、って旅先で購入。自分にお土産。

 

ほんとはネイビーがほしかったのだけど、FaberCastellといったらグリーンでしょってことでグリーン。今のところVIP待遇です(なんだそれ)

 

今週末も大荒れらしい当地。週末は少し鞄を軽くしよう1軍選挙を行うってのもアリかな。

1軍昇格グッズ、待機組についてはまた今度。

それではまた。

 

 

 

 

 

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五年目〜玉手箱に入っているもの

Posted on 24 1月 2016 by

2016年1月22日で、Notebookers.jp 5年目でした。
特に、こう、何かイベントや管理人さんからのコメントがあるワケでは【ない】ところが、Notebookers.jp 淡々としていて、いいなあ。
5年目もまた、たくさん得て、失って、孤独の輪郭を研ぎ澄ませて、それを綺麗だなあと見とれるような、そういう1年でありますように。

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世界の徴は戸棚の奥にそっとしまわれていたりするらしい

Posted on 10 1月 2016 by

小学6年生の時の担任の先生は、わたしたちが最後の生徒になる大ベテランの先生だった。大ベテランだからかそれとも元々の性格がそうなのか、とても風変わりで我が道をゆく自由な人で、先生が担任だった一年間、学年全体で決めらていた夏休みの宿題以外、わたしたちのクラスだけは日々の宿題を出されることがなかった。
先生の専門は社会科で、課外授業として近くの古墳に連れて行ってくれ、音楽の授業では教科書には載っていない各地の民謡を歌った。星が好きで夏には星の観察会をし、旅が好きで昔の教え子達と一緒に旅をしたり、旅から帰ってきた元教え子達が先生を訪れて一晩中語り合ったりしていたようだった。

わたしたちのクラスには宿題は無かったけれど、授業から遅れてしまった生徒や、授業に退屈してどうも勉強に身の入らない生徒が、自由参加で勉強を教え合う放課後の時間があった。
学校という場が性に合わず、勉強も好きではなかったわたしがその放課後の補習にちょいちょい顔を出していたのは、先生の話してくれる見知らぬ世界の色々な事柄を1つでも多く聞きたかったから。息が詰まりそうに窮屈な子どもの世界から、もっとずっと広くて大きな世界をちらと覗き見るような、素敵なちょっとしたお話を1つでも多く聞きたかったからだった。

放課後の常連にトオルという男子生徒がいた。小柄な優しい男の子でクラスの皆から好かれマスコットのように可愛がられていたのだけど、勉強が得意でなく、それから注射とチーズが大の苦手で、学校生活で必ず行われる色々と闘っては跳ね返されて泣いているような男の子だった。

ある時の放課後、トオルとわたしと、あとクラスメイトの誰か1人か2人、いつものように先生と教室に居て、補習の時間を過ごしていた。
どういう流れでそうなったのか、先生がふと席を立ち、教卓の後ろにある木の戸棚の一番高い物入れの奥をごそごそと探って丸いクッキー缶のような容れものを出してきて、勉強のために寄せ合っていた私達の机の上に置いた。
二重か三重かに包まれた紙をそうっと開くと、中から現れたのは黄色っぽい乳白色の、元は円かったと思われる塊。もう大分削られていて、円は半月のようになっていた。何?と皆で興味津々覗き込んでいると、
「本物のチーズ、食べてみるか?」と、先生が言った。

5年生から6年生になる時クラス替えがなかったので、トオルのチーズ嫌いは皆が知っている。6年生になって担任が先生に変わる前は、給食の時間が終わっても目をうるませながらチーズを前にじっと座っているトオルの姿を見るようなことが頻繁にあった。もしかしたらその時、(よくは覚えていないけど)給食のチーズの話をしていたのかもしれない。先生の言葉はトオルに向けられたもので、私達は彼の表情を見た。

「無理はしなくていい。でもいつものチーズとは違うぞ」

そう言いながら先生は、半月の丸い塊を毛玉のついたセーターの腕に抱え、ナイフをたてた。
いつもの給食のあの白くて柔らかいチーズではなくて、レストランのグラタンに乗ってくる匂いのすごいチーズでもなくて、ハイジで見たストーブの熱でとけるチーズでも、トムとジェリーの穴の開いたアパートみたいなチーズでもない。とてもとても硬そうで、頑丈なナイフでぐりっと削るようにして取る見知らぬ外国の食べ物。

「食べてみる」
「トオル、大丈夫?無理してない?」
「無理してない。食べてみたい」

“本物のチーズ” は、チーズが苦手なトオルだけじゃない、そこにいた誰もにとって生まれて初めて見、口にする食べものだった。ナイフで削りとられた薄くて硬い一片を先生からもらって、お互い他の子達の様子を伺いながらおそるおそる囓った。

「……あ、美味しい!」
「美味しいねえ」
「うわー、美味しい」
「これだったらチーズ好き!」

硬い硬いハードタイプで、旨味のぎっしり詰まったチーズだった。よく熟成したコンテの皮の近くの硬いところとか、じゃりっとした旨味の塊のあるパルミジャーノ・レッジャーノみたいな感じ。何処の国のチーズなのかたぶん先生は教えてくれたと思うけど、今も当時もまったく覚えていない。とにかく “本物のチーズ” なるものがこの世にはあって、世界の何処かでそれは作られていて、それは同じ “チーズ” という名前が付いたものであっても普段泣くほどチーズが苦手なトオルですら食べてみたい、美味しいと思うくらい魔法に満ちた素敵な食べもので、先生の戸棚の奥はその “本物のチーズ” を作る世界の何処かに繋がっている。

紙に包まれた戸棚の奥の硬いチーズと、抱えこんだチーズの塊を削り取るナイフとたくましい腕と、星を眺めながら旅の話をする年の離れた友人達。
先生のまわりのあれこれは、見たことも食べたこともないものだらけの、自分の知らない広い広いおとなの世界。想像しただけで目の前の壁が取り払われてゆくような気持ちになったし、おとなになったらそんな広い世界のひとりになりたいと心から思った。

Roquefort Papillion

 
きらきら光る小さなショーウインドウの輸入雑貨屋にあった変てこなイラストのキャンディやカエルのグミや、
アメリカから遊びにきた親戚がくれた茶色いクラフト紙の袋にざばっと入った歯が折れそうなくらいかたくて旨みの濃いビーフジャーキーや、
フランスかぶれで有名な、10代の終わりに通っていた画学校の校長先生のフレンチローストのコーヒー豆の香りと、砂糖をたっぷり入れてお汁粉のように甘くするコーヒーの飲み方。
同じ画学校のキッチンで「あなたも食べる?」と一切れもらったこうばしいフランスパンに甘くて濃いジャムをのせた一切れに、
スーパーで売ってるヨーロッパから来たカカオの香りのしっかりするチョコレートや、洞窟で作られたブルーチーズ、塩っぱくて歴史のある羊の乳のチーズ。
わたしにとって食べものは、自分のまわりの狭くて窮屈な世界から、自由で広々とした世界の存在を教えてくれる小さな目印で、地図とコンパスにもなるものなのだと思う。

すごい方向音痴だからはじめに思った目的地に着くことはなかなか無いし、旅だって実際はそんなに行けるわけでもないけれど、今暮らしてる毎日の中にもある小さな世界の覗き穴、迷子になりながら行き当たりばったりで見つけた美味しいものを、今度はわたしが誰かに教えてあげたいと思っている。

世界はずっとずっと広い。
大丈夫だよ。
 

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雪の結晶

Posted on 04 1月 2016 by

母が住む家には古いものがたくさんある。もういい加減に、古く、今は使っておらず、手入れもじゅうぶん行き届かなくなってしまったようなものは処分して、使い易くてきれいな新しいものにしようよと思うのだけど、そこに住んでいる母にとってはそれほどあっさりと変えられるものではないのか、そこに住んでいた家族(わたしも含めて)がそこに置いた時のままのように、古いものが、今もたくさんある。

*****

お正月で帰省した時に、三冊の古い古い辞典を手にとった。父と母の、若い頃から使っていた辞典。一番古いものは1960年頃に購入されている。

黒い表紙の、あちこち破れているのは、母の机上辞典。簡単な国語辞典に、英単語の綴りとカタカナでの読み方、ペン字のお手本まで付いていて、挿絵も普通の辞典よりたくさんある。わたしが子どもの頃にはまだ表紙も付録の地図も繋がっていたけれど、今は、扉が外れ、地図の頁も外れ、背表紙も外れ、バラバラになってしまわないよう背の綴じ目に端布を貼って補修してある。
ちょっとした調べものにとても便利な辞典で、母はずっと替わりの新しい辞典を探しており(だけどこんな辞典は見つからないよ!)、わたしも子どもの頃はよく拝借して使っていた。

赤い表紙は母が中学生の頃から使っていたという英単語集。最低限の情報だけの小さな英和辞典。
見返しに、アルファベットで書かれているけど意味を成してない何語だかわからない暗号のようなメモや、イニシャルの署名、鉛筆で書いたのを消しゴムできれいに消したか万年筆か何かで書いたのをインクが飛んだか、何やら筆記体の薄っすらした書き跡もある。表紙が外れっぱなしだったり先の黒い辞典よりも古いものなのにもかかわらず内側はわりあいに綺麗で、本人曰く「勉強してないのがよくわかる」辞典。

 
最後の、緑色の一冊は父の英和辞典。今も書店に行けば売ってる三省堂のコンサイスのシリーズ。母の英単語集にしても父の英和辞典にしても、英語の辞典は両親のものをあまり借りたことがなかったので、モノとしては見覚えがあるものの、じっくりと見たのは初めてだった。

A、B、C、D、E、F……頁を削ってアルファベットの切り込みインデックスを作ってある。

わたしの中で父は、好奇心は人一倍旺盛だけど疑問や知りたいことは人と会話することで得る、そしてまたそれが楽しくて仕方ないという、とても社交的で人懐っこく、軽い人。たまにじっと何かを読んでいるかと思えばカメラの雑誌で、それだって本当は、雑誌を読むよりカメラ屋さんや撮影会や写真家のトークショーみたいな場で人から直接話を聴いたり写真仲間とお喋りする方が好きそうで、ひとり勉強をしている姿は思い浮かばないタイプ。だからその辞書が父のものだと意識したことはほとんどなかったのだけど、母がいうには、父はこの英和辞典を案外よく使っていたらしい。

だけどそれより驚いたのは、見返しに書かれていた、モレスキンでいう “In case of loss, please return to:” の意味で書かれていた署名と当時の住所に勤務先だった。
父が若い頃の一時期、東京に住んでいたことは聞いたことがあったのだけど、それが東京の何処なのかとか、また勤務先も、この英和辞典にあった書き込みで初めて知ったことだった。

父の若い頃のこと、母に会う前のことは、私はもちろん母もよく知らない。何をしていたのか、何処に居たのか、どんな風に毎日を過ごしていたのか、独身時代の父を知る人から少しだけきいた話と、父自身が語るどこからどこまでが本当なのかわからない、おもしろおかしく、興味をひくように盛ったみたいな話でしか聞いたことがない。

ごんごん、ごんごん、と降り積もってゆく12月の終わりの東京の雪の夜の話。
すっかり積もった雪の中、世田谷の知人を訪ねた話。

遠いドラマか夢のようにふわふわして現実味がなく、そしてまた、語られないことは空欄のままで訊くこともなく、そういうものなのだと思っていた父の過去が、確かにそこに居たという事実になって突然現れたような、父の字で書かれた東京のアドレス。

東京の、勤務先と書かれてある会社のあたりの書店で英和辞典を買っている、写真でしか見たことのないわたしの知らない二十代の父の姿が浮かぶ。しとしとと降る冷たい雨かみぞれのような雪の中、コートを着て、一人で銀座の書店に佇む姿。
わたしのよく知るひっきりなしにお喋りをしている陽気で社交的な父ではなく、亡くなる少し前の、何かを秘めたような独りの姿、黙って何かを書いている姿と遺された父らしい饒舌なノートブックがふと浮かんで、俯いて英和辞典をひく想像の父とオーバーラップする。
 

*****

わたしが10代の終わりまで住んでいた家には、今も古いものがたくさんある。父のくにゃくにゃした独特の字で書かれたいろいろなものが、あちこちにそのまま置かれている。もうそろそろ、使う人が居らず埃をかぶったままになっているものは手離そうよと思うのだけど、今もそこにいる母にとってはそれほどさっぱりと変えられるものではないのか、そこに生きていた父がそこに置いた時のままのように、絵のように時を止めた古いものが、今もたくさんある。
 

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身軽であることについて

Posted on 03 1月 2016 by

明けましておめでとうございます。

konamaです。

本年もよろしくお付き合いくださいませ。

myAnalogCloud

http://myanalogcloud.com/ より、モレスキンがやってるその日のカバンの中身からあなたのタイプを探るというものらしい)

今日はなんとなく身軽であることについて書いてみたいと思います。というのも、今現在愛用の皮のカバンを修理に出していて、仕事およびちょっとした旅につれていくカバンを探しているので、連れて歩くものっていうことに自分が興味をもっているから。

Notebookersには旅人が多いこともあって、わりと荷物をコンパクトにまとめる、あるいはものを持たないタイプの方が多いのかなという印象です。

でも、よく考えたら膨大な量のノートに文具、カメラ(レンズも?)、音楽プレーヤー、PCやガジェット類、ナイフなんかのツール類、Notebookerの好きなものは結構かさばる。

みんなどんなことを考えて荷造りしているのだろう、とちょっと興味があります。

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ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話

Posted on 29 12月 2015 by

DSC_1723

 

祖父母が瀬戸内海のほぼ無人島状態に住んでいた。
母が子どもの頃は中学校まである島だったが、過疎化が進み、祖父母以外にはみかん畑の世話や収穫にたまに人が来るだけになってしまった。

祖父は船を一艘持っていて、私たちが遊びに行くと最寄りの小さな港まで迎えに来てくれた。

私の両親は共働きだったので、夏休みなどの長期の休みは島に預けられることが多かった。

島には水道、ガス、電気は通っていない。
水はポンプで。真水かと言われれば塩分が含まれていたようだったが、喉が渇くとポンプを押して柄杓で受けて飲んでいても問題がない程度だった。
ガスは祖父が最寄りの島からプロパンガスを買ってきていた。煮炊き用。ちなみに七輪は現役。お風呂は薪。
電気は自家発電。主に朝夕の祖父と彼の息子たち(私の叔父)との無線用。あるいは大好きな野球の試合を小さく映りの悪いテレビで見る用。島の暮らしの最後のあたりは食事をする部屋に蛍光灯がついて、夜なのに明るい中で夕ご飯を食べた記憶もある。

食べ物は半自給自足。
米や調味料は買っていたが、祖父母は畑で野菜を育てたり、釣りをしていた。私が遊びに行ったり、預けられたときにはその手伝いもしたが、どちらかというと「下手なことをしてケガをさせてはならない」という祖父母の必死の思いのせいか、あまり手伝いはしなかった。

そんな中でも「食料を得る」ためにいくつかやったことがあるので、書いてみることにする。

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​ 今日は天気が良かったのでチョコレート入りのパンを買ったよ。

Posted on 28 12月 2015 by

​ふと、交換日記みたいなのをしたくなった。
皆んなでまわすオープンなノートブックも楽しそうだけど、今はごくごくプライベートな、密かなお喋りのような、心のやわらかいところをさわるような交換日記がいい。自分のノートブックには貼りものってほとんどしないんだけど、誰かに読んでもらうためのものだったら「ねーねー、こんなの見たよ」「こんなことしたよ」みたいな気分で色んなもののカケラを貼り付けてしまう気がする。

交換日記って小学生の時に一度だけしたことがある。いつもわたしにばかり意地悪をするクラスメイトの女の子に押し切られて気がすすまないまま始めることになってしまったんだけど、ノートブックの中のその子は、いつもの感じとはまったく違ってすごく優しくて、それから少し自信なさげで、彼女から渡されたノートを開くたび「本当にあの子?」とおぼつかない気分になった。「わたしが交換日記をしてるこの相手は、もしかしてあの子とそっくりの別の子?」と。

交換日記に使うノートブックは、黒い表紙の、掌にのるサイズのあれがいい。そしたらそれをコートのポケットに入れて、指の先で表紙の硬さや伸び縮みするゴムバンドや紙の切り口の角っこの丸みをを確かめながら、一緒に色々なものを見に行こう。

高校生の頃、授業中、ルーズリーフやノートをちぎって友達に手紙を書いた。音楽の話や夜中に観たテレビ番組や読んだ本のことなんかの他愛ない話をたっぷり書いて、時々はちょっとしたもの─ビーズの蜻蛉やクリップを曲げて作った飛蝗や雑誌の切り抜き─を入れて不思議な折り方で包んで留めた。毎日胸ポケットに入ってたあの小さな内緒話の手紙みたいなの。

内緒話といっても本当に内緒の話じゃなくて、誰にでも話すようなちょっとしたことがいい。特別な話じゃないけど一緒の時間を過ごしたらきっと話すはずの、だけど一晩眠ったら忘れてしまうような毎日のささやかな事柄がいい。小さな小さな日々が積み重なって、皆の知らないもう1つの輪郭ができてゆく感じがいい。

ライブの半券や美味しいものを買ったお店のレシートや、チョコレートの包み紙や銀紙の端っこ。買った服に付いてた洒落たタグや、革の靴を包んであった綺麗な色の薄紙。セロハンテープにくっつけて貼り付けた、風に晒された砂の欠片。

休日の朝の寝ぼけまなこのお喋りや、ちょっと近くに来たからとコーヒーを一緒に飲んだりする毎日を積み重ねるような感じ。毎日の出来事の断片と走り書きの言葉と意味のわからない絵が積み重なって膨らんだノートブックを、何処かの国の、吸い込まれそうに淋しい乾いてふわふわした草原の風景の、毎日ぼんやり眺めてた先月のカレンダーに包んで渡したりしたい。


 

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旅に出て かえるみちを忘れてしまったとき

Posted on 25 12月 2015 by

リスマスの荒技的な想い出とゆーと、某川河川敷でのクリスマスファイアかなあ。
「集まるよ」と友達から連絡が入り、(たしか)金曜日の夜に某川河川敷で集合しました。
ちょっと火を焚いて(事前に消防署に連絡して許可もらい済)、下準備してきてくれた豚汁を温め、持ち寄りのケーキのお皿がないため、豚汁用のお椀に入れ、飲物は、コーヒーか、お湯割りウィスキーの二択。
仕事帰りのひとが多かったため、女性用に着替えのための小さいテントがあり(寒いからジャージその他着替え持参の指定あり)。
集まった割には、プレゼント交換や、何かゲームや催し物などは【なく】 ただ話をして、ちょっと食べて飲んで、聖歌隊出身者がいたので歌ってもらって(そして、その数人、カトリックとプロテスタントと両方いたので、賛美歌の歌詞が微妙に違っていてオモシロかったです)えー、寒風吹きすさぶ中、湧かしたお湯の湯気がやたらと暖かく見えたのを憶えています。
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Notebookers Map プロジェクト

Posted on 23 12月 2015 by

こんにちはkonamaです。

今日はちょっと大がかりなプロジェクト(その割に思いつきですが)のお知らせです。

Notebookers Map プロジェクト、始動いたしました。

NotebookersMap

Notebookers MapはNotebookersの愛する文具店、雑貨屋、書店、カフェ、バルなどをマップ上にまとめる試みです。日常・旅先でふと時間が出来たとき、あ、近くにこんなお店があるから足を延ばしてみようかなと、毎日にちょっとした特別を付け加えるための宝さがし地図をつくろうという企画。

みんなで作っていく地図ですし、完成しない地図でもあります。ちょっとしたエピソードを添えて登録されたNotebookersの愛するお店や場所をのぞいてみませんか?

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Happy Holiday! Notebookers! アドベント4週目☆☆多様性ばんざい☆サンタアシモフからの贈り物☆

Posted on 20 12月 2015 by

ニメデ、という木星の衛星があります。wikiから引用。

ガニメデ (Jupiter III Ganymede) は、木星の第3衛星。太陽系に存在する衛星の中では最も大きく、惑星である水星よりも大きい。比較的明るい衛星で、双眼鏡でも観察できる。

そして。

ガニメデは、1610年にガリレオ・ガリレイによって発見されており、そのためイオ、エウロパ、カリストとあわせてガリレオ衛星と呼ばれている。

ガリレオ先生の発見です。
そして、衛星をたくさん持ち、上記にもあるように、イオ、エウロパ、カリスト、ガニメデ、とあるこの名前なんですが。
星占いでは、木星は、ゼウス、ジュピターが司る星だそうで、そのためか、おそば近くにいる、この衛星の名前が、えー、歴代のゼウスのカノジョたちの名前だったりします。

イオ:ゼウスのカノジョのひとり。ゼウスの妻ヘラにいじめられて、エジプトまで逃げる。そして女神イシスとなる。
エウロパ:ゼウスのカノジョのひとり。ゼウスが牡牛に化けてエウロパに近づき、エウロパがその背中に乗るとギリシアその周辺を走りまくって、クレタ島へ連れていった。その走りまくったエリアをエウロパ(ヨーロッパ)と呼ぶようになったそうで。クレタ島、これで牛と縁があるのかなあ。この時、ゼウスが化けた白い牛が天にのぼり、牡牛座になったそうです。そしてエウロパは、ミノタウロスの(義理の)おばあさん。
カリスト:ゼウスのカノジョのひとり。やっぱりヘラ(アルテミス?)の怒りを買って、熊に変えられてしまう。そんでゼウスの子供を産み、すったもんだのあげく(雑な説明)、大熊、小熊として天にあげられ、おおぐま座、こぐま座となる。
ガニメデ:ゼウスに仕えていた酒杯係。水瓶座の水瓶を持っていたとも言われているそうで。トロイ王家出身の美少年。
(まったく本編とは関係ないのですが、わたしがギリシャ神話好きなので書いてみました)

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