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Note of the note ―ノートの調べp.9 向田邦子さんの文字のある暮らし

Posted on 27 9月 2018 by

はじめに

「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

第8回目は、向田邦子さんの字との関わりについて拾ってみた。

1.原稿

(A/表紙裏、裏表紙裏)

(A/p.82)台湾に発つ前日8/19に渡した原稿

「残された鉛筆はすべて4Bから5B。力を入れずに鉛筆を持ち、すごい勢いで執筆した。1時間に400字詰め原稿用紙10枚を書いたこともある。万年筆も何本か使っていたがこちらは人が使ってこなれたものを最上とし、頼み込んでもらったりした」(B/p.13)

2.手紙・一言箋

(B/p.50)

「大切な手紙はいつも鳩居堂の封筒と便箋だった」(同上)

(B/p.83)

「届け物には必ず自筆で一筆添える」(同上)

3.レシピ、メニュー

(A/p.12)

(B/p.146)

「思いつくと原稿用紙でもなんにでも、すぐに書き残した」(同上)

4.カレンダー

(A/p.82)

「出かけた時のままのカレンダ―。旅は四角で囲む」

5.万年筆

(A/pp116-117)

「先が十分にまるまった、よく滑る万年筆は作家向田邦子必携の武器なのでした。だから書きぐせの似た人で、太字の、よく使い込んだ万年筆の持ち主に出会ってしまうと、もう前後の見境もなく…せしめてしまう」(同上)

(C/pp.78-79)

「君はインク壺の中に糸ミミズを飼っているんじゃないかと言われるほどだらしなく続く字を書くせいか、万年筆も書き味の硬い細字用は全く駄目である。大きなやわらかい文字を書く人で使い込んでもうそろそろ捨てようかというほど太くなったのを持っておいでの方を見つけると、恫喝、泣き落とし、ありとあらゆる手段を使ってせしめてしまう。使わないのは色仕掛けだけである」(同上)

さいごに

5月2日の日付が入った遺言(原稿用紙4枚に書かれている)

(D)

「不正確、いい加減、辻褄が合わない。(中略)姉(邦子)の希望通りに財産を処分するにはと考え、動いているうちに、姉の考え方、生き方、家族に対する思いが込められている(ことがわかってきた)」(D/pp.8-9)

「この「遺言状もどき」も、事務的な文章の装いの裏に、姉(邦子)の肉声が騙し絵になったり、暗合になったりしながらちりばめられている」(D/p.10)

向田邦子さんは、「父の詫び状」としてまとめられる連載中に、病気の手術のため右腕が不自由となり、以来、利き腕ではない左腕で執筆を続けていたそうです。だから、ヌラヌラの万年筆は必需品だったのだと思います。もし、自分が文字を書くのに難儀をするようになったとして、果たして「苦」をおして、文字を書くことに固執するだろうか、と考えます。「もし文字が書けなくなったら」そんなことを思うとたまらない気持ちになります。今はキーボードも、音声入力も可能ですが、手で文字を書くという活動は、存在の全てを連ねる体験としてかけがえのないものだと、改めて、思いました。

「大事にしている事は、自分の言葉で書いた方がまだスッキリする(中略)書くのはたっぷりと歳月をかけ、時間というふるいにかけてから。それでもまだ残っているならば、それを大切に拾いあげて書きたい」(D/p11)

出典リスト

出典A:クロワッサン特別編集 向田邦子を旅する マガジンハウス2000年12月1日発行

出典B:和樂ムック 向田邦子 小学館 2011年8月23日初版第一刷 向田和子著

出典C:向田邦子・暮らしの愉しみ 新潮社 とんぼの本 2003年7月15日第二刷 向田邦子・和子 著

出典D:向田邦子の遺言 文芸春秋 2001年12月25日 第三刷 向田和子著

 

 

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手帳布陣/2018AW

Posted on 12 9月 2018 by

A6用紙1枚に、2018AW手帳布陣をまとめた。

  • 2018AW シーズンテーマ
  • [かるく賢く、おもしろく]

  • 今シーズンに解決したい手帳課題と対策案
  • 1.外出時に持ち歩く手帳を軽くする
    ⇒用途面:すべてを1冊に詰め込まない。手帳・ノートの分冊
    ⇒物理面:手帳カバーに挟むアイテムの見直し

    2.日々のできごとやアイデアを読み返しやすく記録する
    ⇒「スケジュール用」と「ログ用」それぞれの手帳を用意する
    ⇒連用手帳を追加する(予定)

    3.手帳をもっとおもしろく使いたい(スケジューリング9割の手帳は窮屈)
    ⇒記録道具と手法を制限しない手帳を追加する
    ⇒ウィッシュリストを書き留める手帳を追加する
    ⇒ジブン手帳Bizの各種リストを活用する

  • 今シーズンの手帳布陣
  • 1.MP18AW:ムーンプランナー2018年秋冬版 B6サイズ ※昨シーズンはPDF版使用。冊子に変える
    [用途]
    ◎ 約2週間単位のプランニング(新月〜満月/満月〜新月)
    ◎ 約半年単位のウィッシュリスト(やりたいこと、手に入れたいこと、行きたい場所、手放したいこと、やめたいこと など)
    ○ 半年以上先のざっくり作戦会議と妄想
    ○ 心身メンテナンスのざっくりログ

    [筆記具]
    ○ ジュースアップ04(グリーン、オレンジ、ブルー)
    ○ フリクションボールスリム038(グリーン、オレンジ、ブルー)

    2.JTBiz18 → JTBiz19:ジブン手帳Biz ※2018年使用中。2019年も継続
    [用途]
    ◎ スケジュール管理
    ◎ 自分への予約
    ○ 睡眠の記録(時間と質)
    ○ 仕事と勉強の実績時間ログ
    ○ ToDoリストの一時退避スペース(実行できそうな週のページに書き込み→実行する時間帯に転記)
    ○ リスト各種(0円でできるひまつぶし、ワンコインリフレッシュなど)

    [筆記具]
    ◎ ハイテックCコレト(ブルーブラック0.3、チェリーピンク0.3、クリアブルー0.3、シャープユニット0.5)

    [その他文具]
    ◎ 地球の歩き方 with モレスキンノートカバー(チョコ)
    ◎ CARDRIDGE dünn(イエロー):予備名刺入れ。ノートカバーに挟む
    ◎ ふせん各種:手帳の裏表紙に数種類貼っておく
    ○ クリックイレーザー〈フォープロ〉:カバー裏のポケットでスタンバイ
    ○ コレト替芯各色:カバー裏のポケットでスタンバイ
    ○ 物流定規:意味はないけれどノートカバーに挟む
    ○ ほぼ日のクリアファイル 坂本奈緒 オリジナル用(しろもふもふ):切手を入れてノートカバーに挟む
    ○ もしものときのぽち袋:お札を入れてノートカバーに挟む

    プフレーゲライヒトさんのアルコールランプはんこ:睡眠時間ブロック用として
    ○ バーサファイン・クレア(トワイライト)

    地球の歩き方 with モレスキンノートカバー(チョコ)使用歴2年

    3−1.HBP17:ほぼ日Planner2017 ※リンク先の手帳は2017年版
    [用途]
    ◎ 本日の記録(トピック、ニュース、ラッキーなできごと など):1日ページに残す
    ◎ 服装ログ:月間カレンダーにイラストを描く
    ◎ コラージュの遊び場
    ※ ETA19(後述)の使い方検証も兼ねて、かつて挫折した手帳を復活させた。日付曜日のズレは無視。

    [筆記具]
    ◎ ジュースアップ04(ブラック、グリーン)
    ◎ ジュースアップ03(ブラック)
    ○ 色鉛筆

    [その他文具]
    ○ メモして貼るだけでちょいと洒落た風になるふせん各種
    ○ はさみ
    ○ のり
    ○ マステ
    ○ シール

    3−2.ETA19:EDiT B6 Daily
    [用途]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善
    ※ 服装ログのみ、10/1からEDiTマンスリーページに移行する予定

    ○ 今月のレコーディングメモ(読んだ本、行って良かった場所など)
    ○ ざっくり支出予定メモ

    [筆記具]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善

    [その他文具]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善

    4.HB5-A5:ほぼ日5年手帳 A5サイズ
    [用途]
    ◎ 本日の天気
    ◎ 本日の記録(トピック、ニュース、ラッキーなできごと など)
    ○ ?年後の自分に申し送るToDoリスト
    ○ コラージュの遊び場

    [筆記具]
    未定

    [その他文具]
    未定

    ほぼ日5年手帳の実物は「ほぼ日手帳2019 LINEUP PREVIEW」でチェック済

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    Note of the note ―ノートの調べ p.7 金子みすゞさん 二冊の抜書き帖

    Posted on 02 9月 2018 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第7回目は、金子みすゞさんの、二冊の抜書き帖を紹介する。

    出典

    別冊太陽 日本のこころ122号
    生誕100年記念 金子みすゞ 幻の童謡詩人の世界へ 監修 矢崎節夫
    2003年4月25日初版第一刷

    金子みすゞさんのこと

    (母ミチが日頃からみすゞに言っていたという言葉)
    「ひとつのことを見たら、多くのことを考えなさい。雲を見るでしょう。そうしたら、白い雲、綿のような雲、ようなをとって綿雲、それにスワン雲……というふうにね」(出典書 p.104)

    (瀬戸崎尋常小学校四年生時の担任ヒデ先生の言葉)
    「ふとテル(みすゞ)のノートに目をやると、特別手を上げたりしないテルのノートに、あれも調べてある、これも書いてある、ということがあって驚かされた―」(出典書 p.106)

    (大正五年 大津高等女学院時代、学校まで40分の道のりを一人で歩いて通っていたみすゞが、いとこに語った言葉)
    「皆と行くのは楽しいけれど、たまには誰かのいやな話しを聞かなならんしな……。一人の方が安気でええ」

    三冊の童謡集

    ただ一枚のみ残ったみすゞの着物と、遺稿集となった三冊の童謡集。
    右より「美しい町」「空のかみさま」「さみしい王女」。

    博文館のポケットダイアリーの紙質見本に書き留められたもので、弟の正祐に託された。(出典書pp102-103)


    「こだまでせうか」


    「巻末手記」
    三冊の童謡集の最終巻「さみしい王女」につづられた巻末手記

    二冊の抜書帖

    これから紹介する二冊の抜書帖は、どちらも彼女の詩作制限期に編まれたものである。

    始めの「琅玕集(ろうかんしゅう)」は、雑誌への詩の投稿を差し控えていた、大正14年から翌15年にかけてまとめられた。

    次の「南京玉」は夫に全ての詩作を禁じられていた、昭和4年頃から翌5年2月まで書かれた。

    私たちも、文章や言葉の抜書は、日常的に行っているが、どのような時、どのような感情や、意図に突き動かされて、抜書をするのだろうか?

    資料を読みながら、私はずっとそのことを考えていた。

    琅玕集

    1925年版博文館ポケットダイアリー紙質見本。天地を逆にして、右開きで使用。

    大正13年。敬愛する西條八十が、渡仏により雑誌「童謡」の選者を離れている間の、大正14年から翌15年にかけて作品の投稿を控え、「赤い鳥」「コドモノクニ」「婦人倶楽部」をはじめとした二十三種もの雑誌などから気に入った詩や童謡を自ら選び出し、一冊の小曲集を作ることに没頭した―(出典書より)

    目次

    北原白秋、堀口大學、野口雨情、室生犀星、もちろん西條八十など、101人、178編を記す。(出典書より)

    冒頭

    南京玉

    13cm×8.7cmの小さな手帳。
    昭和4年頃から翌5年2月9日までの間、愛娘ふさえ(三歳)の言葉のひとつひとつを書きためた。(出典書より)

    冒頭

    言葉には全て番号が付されている。形式は、
    前書、一~二三〇、「お正月」、一~六四、「二月」、六五~八九、九十は番号のみ。一~二五、二月九日のみすゞの言葉 となっている。
    (出典書より)

    本文

    この時期、みすゞは夫に全ての詩作を禁じられていた。

    この二月、夫と離婚が成立。娘のふさこを、みすゞが引き取ることで話をまとめ、母の元へ身を寄せるが、ほどなく夫側が心変わりし、3月10日に娘を連れに行く、との手紙を受け取る。

    その、昭和5年3月10日未明。睡眠薬にて自死。(享年26)

    空白の九十

    みすゞは、娘を母の手元で育てることを強く望む遺書を残し、結果、その通りとなった。(出典書より)

    おわりに

    あたりまえのことを、いろんなふうにみてみたら、ありのままがみえてくる。そうすると、あたりまえはあたりまえじゃなくて、ありのままがあたりまえになる。あたりまえのありのまま。ありのままのあたりまえ。

    金子みすゞさんは、こんな抽象的なものは書きませんが、私は金子みすゞさんの「詩」を読んでいると、「ありのまま」を「あたりまえ」に感じてしまう人だったのだろうなと、思います。

    「いろんなふうにみる」というのは技術で、科学的方法はその一助となるものですが、「詩人」であるということには、「あたりまえ」に汚染されない強い無垢さが備わっているように感じます。

    色即是空。空即是色では、「命味」に欠けますが、この世界に命を燃やす全ての存在にたいする共鳴を歌った人。そんな感じがしています。

    抜書しておきたいノートです。

    以上

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    NOTEBOOKERS+俳句 2 ― ノートブッカーズっぽさとは?

    Posted on 19 8月 2018 by

    0.はじめに

    俳句好きで、NOTEBOOKERSなら、「俳句+文具」とか考えねばならぬと、手持ちの歳時記を読んでみたところ、NOTEBOOKERS的(以下NB的)とはほど遠いことがわかってしまったので、「じゃあどうすればいい?」を不定期で考えることにして。

    1.俳句拾い報告

    今回は『日本の詩歌 俳句集』中央公論社 1989.7.25 新訂3版 から。
    この本には明治後期から昭和中期まで、47人の俳人の4,000余句が納められていました。そのなかから、前回同様、「NB的季語、および事物」(Nb+俳句1の記事参照)を、「事物」の五十音順にまとめました。

    凡例:|事物|季語|季節|分類|俳句|作者|ページ数| です。

    (季節と、分類の前の数字は、ソート用の番号ですので、お気になさらないで)

    暗室|きりぎりす| 3秋| 6動物|暗室や心得たりときりぎりす| 夏目漱石| 13

    椅子| 月| 3秋| 2天文| 月光に一つの椅子を置きかふる| 橋本多佳子| 225

    鉛筆| 露| 3秋| 2天文| 鉛筆で指さす露の山脈を| 加藤楸邨| 323

    汽車| 夏の月| 2夏| 2天文| なほ北に行く汽車とまり夏の月| 中村汀女| 248

    毛糸| 毛糸| 4冬| 4生活| 久方の空いろの毛糸編んでをり| 久保田万太郎| 143

    珈琲| 夏の夕| 2夏| 1時候| 珈琲や夏のゆふぐれながかりき| 日野草城| 272

    書| 春さき| 1春| 1時候| 春先に指のかげ置く書をひらく| 藤後左右| 371

    書| 良夜| 3秋| 2天文| 人それぞれ書を読んでゐる良夜かな| 山口青邨| 164

    書庫| 足袋| 4冬| 4生活| 日々の足袋穢しるし書庫を守る| 竹下しづの女| 126

    焚火| 寒月| 4冬| 2天文| 寒月に焚火ひとひらづゝのぼる| 橋本多佳子| 228

    焚火| 焚火| 4冬| 4生活| 隆々と一流木の焚火かな| 秋元不死男| 286

    焚火| 焚火| 4冬| 4生活| 道暮れぬ焚火明りにあひしより| 中村汀女| 249

    旅| 花火| 2夏| 4生活| ねむりても旅の花火の胸にひらく| 大野林火| 309

    旅| 蛇苺| 2夏| 7植物| 蛇苺 遠く旅ゆく人のあり| 富沢赤黄男| 291

    旅| -| しんしんと肺碧きまで海のたび| 篠原鳳作| 350

    旅| -| 満天の星に旅ゆくマストあり| 篠原鳳作| 350

    旅人| 落葉| 3秋| 7植物| 木曽路ゆく我も旅人散る木の葉| 臼田亜浪| 51

    旅人| 落葉| 3秋| 7植物| 旅人は休まずありく落葉の香| 前田普羅| 92

    沈思| 冬木| 4冬| 7植物| 沈思より起てば冬木の怖ろしき| 石井露月| 37

    机| うそ寒| 3秋| 1時候| うそ寒の身をおしつける机かな| 渡辺水巴| 67

    机| 朝顔| 3秋| 7植物| 朝寒の顔を揃へし机かな| 夏目漱石| 13

    机| 元日| 5新年| 1時候| 元日の机によりて眠りけり| 原石鼎| 118

    手紙| -| ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる| 尾崎放哉| 106

    トランプ| 薔薇| 2夏| 7植物| トランプを投げしごと壺の薔薇くづれ| 渡辺水巴| 79

    トランプ| 狐| 4冬| 6動物| 母子のトランプ狐啼く夜なり| 橋本多佳子| 226

    夏書| 夏書| 2夏| 5行事| 今年より夏書せんとぞ思ひ立つ| 夏目漱石| 11

    波のり| 波のり| 2夏| 4生活| 波のりやかへりの波にぱつと遇ふ| 藤後左右| 370

    日記| 埋火| 4冬| 4生活| 偽書花屋日記読む火をうづめけり| 久保田万太郎| 149

    日記| 炭| 4冬| 4生活| 花屋日記伏せて炭つぐ薄日かな| 渡辺水巴| 78

    文机| 植田| 2夏| 3地理| 文机に坐れば植田淡く見ゆ| 山口青邨| 168

    史| 夜長| 3秋| 1時候| 泣き入るや史読み断ちて灯夜長| 松根東洋城| 46

    頁| 逝く年| 4冬| 1時候| 逝く年のわが読む頁限りなし| 山口青邨| 170

    ペンだこ| -| 雑布しぼるペンだこが白たたけた手だ| 尾崎放哉| 107

    本| 露| 3秋| 2天文| 本を積み庭草高く露けしや| 山口青邨| 175

    マッチ| 霧| 3秋| 2天文| 一本のマッチをすれば湖は霧| 富沢赤黄男| 290

    臨書| 年の瀬| 4冬| 1時候| 年の瀬の蠅吹き飛ばす臨書人| 小沢碧童| 64

    やはり、少ない。

    が、あまり大量でも拾うのが大変だから、まあいいか。(正岡子規さんは病をおして、10万2千余句を徹底分類したんだよ。すごいんだよ 『分類俳句全集』昭和3-4年・アルス刊)

    ほぼ日weeksMEGAの豊富なノートに。

    2.ノートブッカーズの人となり?

    俳句を拾っていると、季語も事物もノートブッカーズ的ではないけれども
    「この感じはノートブッカーズっぽいんじゃないか」という句がある。

    それらを捨てるに忍びなく、こちらにまとめてみた。

    長閑| 1春| 1時候| のどかさに寝てしまいけり草の上| 松根東洋城| 43

    春| 1春| 1時候| 手をとめて春を惜しめりタイピスト| 日野草城| 269

    余寒| 1春| 1時候| 世を恋うて人を恐るる余寒かな| 村上鬼城| 17

    花| 1春| 7植物| チチポポと鼓打たうよ花月夜| 松本たかし| 343

    清水| 2夏| 3地理| 百里来し人の如くに清水見る| 細見綾子| 358

    麻服| 2夏| 4生活| 麻の服風はまだらに吹くをおぼゆ| 篠原梵| 375

    籐寝椅子| 2夏| 4生活| 一碧の水平線へ籐寝椅子| 篠原鳳作| 350

    夏帽| 2夏| 4生活| 夏帽や職場の友は職場ぎり| 安住敦| 367

    河鹿| 2夏| 6動物| 畳に河鹿はなしほうほうと言ふて君ら| 葛谷六花| 39

    筍・空豆| 2夏 .7植物| たけのこ煮、そらまめうでて、さてそこで| 久保田万太郎| 148

    踊| 3秋| 4生活| 通り雨踊り通して晴れにけり| 松本たかし| 337

    朝顔| 3秋| 7植物| あさがほをだまつて蒔いてをりしかな| 安住敦| 366

    朝顔| 3秋| 7植物| 北斗ありし空や朝顔水色に| 渡辺水巴| 77

    霜| 4冬| 2天文| パン種の生きてふくらむ夜の霜| 加藤楸邨| 322

    埋火(うずみび)| 4冬| 4生活| 孤り棲む埋火の美のきはまれり| 竹下しづの女| 128

    日向ぼこ| 4冬| 4生活| 雑音に耳遊ばせて日向ぼこ| 竹下しづの女| 125

    雪合羽| 4冬| 4生活| 火に寄れば皆旅人や雪合羽| 細見綾子| 361

    クリスマス| 4冬| 5行事| へろへろとワンタンすするクリスマス| 秋元不死男| 283

    一日のポケットから何もかもつかみだした| 栗林一石路| 195

    食べる物はあつて酔ふ物もあつて雑草の雨| 種田山頭火| 82

    指ほそく抛物線を掴むかな| 富沢赤黄男| 292

    3.ノートブッカーズっぽさとは?

    Q:ノートブッカーズっぽさって何?
    A:実例があれば、その都度判断できるけど、「定義」からは常に逃れてしまうものだよ。

    私が感じるNBっぽさとは、たとえばこれまでに読んできた記事の記憶、一昨年のTNMで出会った方たちとの思い出、タカヤさんの印象、部活のラインナップ、タグの言葉なんかの総体としてのイメージのブレンドなんだと思うな。

    草の上で寝てしまったり、仕事の途中にすぎゆく春を感じてみたり、世界って素晴らしいけどなんとなく人見知りだったり、籐椅子に寝そべってのんびりと水平線を眺めて一日を終えたり、畳に蛙を放しておもしろがってみたり、雨の間中踊っていたり、独りでいる時間に浸ったり、クリスマスの夜に、へろへろとワンタンをすすっていたり。そんなノートブッカーに、私はなりたい。

    これは人によって違うんだと思う。

    「この句は要らない」「この句は絶対入れとかないと!」という意見は、NB記者の皆様、NB読者の方々の数だけあっていいんだと思うので、ご意見熱烈歓迎どしどしね。(なにしろ、このタイプの句を拾うには、ただひたすら「句に出会う」しかないわけですから)

    今回はこのへんで。NB歳時記にむけて、これからも俳句を拾っていきませう。

    次回は「文具俳句」を集めてみたいな。

    おまけ「象」の俳句集

    うららかや絵本の象が立ちあがる 藤井寿江子
    二月の雲象かへざる寂しさよ 橋本多佳子
    ナウマン象一頭分の花の冷 高野ムツオ
    春や佐保路普賢の象に乗る夢も 河原枇杷男
    象の爪を磨いている春の夜の嵐 斎藤冬海
    音もなく象が膝折る日永かな 角 和
    象の背にキリンの首に黄沙降る 石川天虫
    春風をあふぎ駘蕩象の耳 山口青邨
    遠足にとり囲まれて象孤独 野中亮介
    象の鼻吹きたるやうなシャボン玉 石河義介
    試験果つ象は鼻から水噴いて 田口彌生
    涅槃図や身を皺にして象泣ける 橋本 榮治
    象よりも大きく涅槃し給へり 有馬籌子
    象の背をころがる水や花祭 石田由美枝
    船にのせて象はかりけり揚雲雀 龍岡晋
    花吹雪象はいよいよ目を細め 田中敦子
    涼しさや象を見おろす天守閣 仙田洋子
    はるかなる君が背にわれ夏の象 五島エミ
    炎天の原型として象あゆむ 奥坂まや
    南風や扉よりも重く象の耳 有馬朗人
    父の日や暗くて広き象の背な 下山宏子
    ヨット行く湖底に眠るナウマン象 安井信朗
    象みずから青草かずき人を見る 西東三鬼
    象使ひ白き横眼を緑蔭に 白泉
    やや寒の象に曳かるる足鎖 秋元不死男
    象も耳立てゝ聞くかや秋の風 永井荷風
    象の頭に小石のつまる天の川 大石雄鬼
    象の餌のゆたかに積まれ敗戦忌 白岩てい子
    音楽のわかる象の尾草の花 後藤比奈夫
    芭蕉の葉象のごとくにゆらぎけり 安田蚊杖
    象が曳く鎖の音の寒さかな 柊 愁生
    サーカスの象吊る港十二月 野溝サワ子
    節分や寒気の熊と温気の象 秋元不死男
    はつふゆや象のかたちに帽子置き 上田日差子
    恋人に近づく冬の象の鼻 皆吉司
    冬を耐ゆ象は全身皺にして 多賀庫彦
    荒星や老いたる象のやうな島 夏井いつき
    象の背の上の現世や寒の雨 高野ムツオ
    伊吹嶺や風の象に冬の雲 辻 恵美子
    冬日の象べつの日向にわれらをり 桜井博道
    象の貌に涙の迹や冬旱 貞弘 衛
    象を呑む蛇の話や冬籠 高野ムツオ
    正月の空の青さに象匂ふ 光田幸代
    初春の風にひらくよ象の耳 原 和子
    初明り象あるもの眼に見えそめ 小川双々子
    ねむれずに象のしわなど考える 阿部青鞋
    受胎して象のあくびを眩しみぬ 鎌倉佐弓
    電車ゴツンとアフリカ象が滅ぶ日か 高野ムツオ
    たくさんのかなしみあつめ象歩く 森 武司
    約束の眼鏡のなかに象をみた 前田圭衛子
    灰色の象のかたちを見にゆかむ 津沢マサ子

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    Note of the note ―ノートの調べ  p.6 横尾忠則さんのデスクダイアリー とおまけ

    Posted on 05 8月 2018 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第6回目は、横尾忠則さんのデスクダイアリーを鑑賞する。

    出典

    横尾忠則 日記人生1982-1995 マドラ出版(1995.6.15 初版)

    1年間365日のそれぞれの日を、一番面白い年からピックアップして1冊に編む。(中略)日付は連続しているけれど、実際の日にちはつながっていないという、なんというか、10年間をアトランダムに飛び回っている感じのアイデアが、ぼくはすっかり気に入ってしまったのだ。(同書あとがき)

    横尾忠則さんのこと

    TADANORI YHOKOO OFFICIAL WEBSITE
    http://www.tadanoriyokoo.com/

    詳細はこちらをご覧いただくとして、私にとっての横尾さんは、三島由紀夫さん、寺山修司さん達と仲良しのグラフィックデザイナーであり、「Y字路シリーズ」の画家だ。

    今回出典元としている本は、横尾さんがつけ続けている日記を原寸コピーしたものである。365日(+α)の日記をまるごと掲載しているわけで、私は文章を全て熟読したわけではない。
    だから今回は、この日記から横尾さんの魂に触れよう、というのではなく、ただひたすら、その見た目が、圧倒的にかっこよい、日記、メモ、ノート、スクラップブックなどの手本としたいページをピックアップすることを目的としている。

    1.1995/2/26:1983/2/27

    デスクダイアリーは見開き二日。横尾さんは、文章、イラスト、スクラップでページを埋めていく。

    2.1993/4/1-1993/4/2

    旅行先では記念スタンプが必ず押され、入場券、切手なども貼りこまれる。縦書き横書きは混在し、筆文字なども自在にレイアウトされる。文章がこれらの額縁として機能し、雑多な印象はない。

    3.1990/4/9-1990/4/10

    サラリと描いたスケッチが、とてもいい味を醸し出す。洗練された線がぺージの白さを損なわない。

    4.1992/4/11-1992/4/12

    滝に関する記述が続いている。ページの半分を占める滝の絵と、文章との融合。

    横尾さんの日記には、「滝」「UFO」などの記述や「名刺」「おみくじ」「占い記事」「著名人の訃報記事」などの貼りこみが頻出する。気になっていることは、なんでも綴じておくのだ。

    気がついたことをちょっとメモしたり、スケッチブック代わりに絵を描いたり、何を描くかはそのときの気分次第だから書きたくない日は書かない。(同書あとがき)

    5.1985/7/2-1985/7/3

    大半を文章が占めた見開き。訂正や追記などを細かく見ていくと、思考を追いかけることができる。文字ばかりであるはずなのに、ページにはある種のリズムがあり、退屈を感じない。

    コラム:愛用のデスクノート

    小さな画像で恐縮だが、これは”the Y+Times”(「横尾忠則現代美術ニュース」)というパンフレットで、2016/8/6-11/27まで行われた「ヨコオマニアリスムvol.1」を紹介するものである。
    ここに、横尾さんがずっと愛用しているのは「英国レッツ社製デスクダイアリー」との記述がある。世界で初めてダイアリーの製造・販売を開始した会社との記載あり。
    株式会社平和堂 http://www.heiwado-net.co.jp/letts_hp/letts.htm

    同社の現行品で、出典書のデスクノートに最も近いのは以下の製品だと思う。(訂正ご指摘承ります)

    (同上リンクより)

    6.1990/7/12-1990/7/13

    こんな具合に、スタンプなどを押し、ホテルなどで落ち着いたところで、文章を書くのだろう。この配置、囲碁の布石を思わせる。

    7.1984/8/31-1984/9/1

    迸る見開き。旅先での記述。A4見開きとは思えないサイズ感で迫ってくる。

    8.1989/9/8-1989/9/9

    縄文。イラスト、スタンプ、入場券、切手、文章、アイデアメモなどの全部入り。それでもやはり、詰め込みすぎだとか、乱雑だという印象はない。

    おわりに

    ぼくの場合、ものを作るというのは、日記的な要素がとても強い。(中略)ぼくの絵は、まさに日記そのものといってもいいし、日記が作品だといってもいいんじゃないかと思っている。(同書あとがき)

    私は、こういうノートが大好きで、できればこういう風にノートを埋めていきたいと思っている。横尾忠則さんのデスクダイアリー。是非真似したいノートである。

    おまけ

    2018年7月のマンスリー絵日記

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    153.Define it  ―私の好きな怪談を定義する

    Posted on 15 7月 2018 by

     ノートブッカーズお題に “153.Define it(定義せよ)”が、あった。
    そこで季節がら、「私の好きな怪談」を定義してみることにした。

    はじめに

     私は怪談が好きだ。幼少期から「ムー」を購読し、「あなたの知らない世界」や「心霊写真特番」などを見聞きしては、夜な夜な後悔していた。
    そうして、多くの怪談に親しんでいるうちに、どうやら、「好みの怪談」が固まってきていた。というか「好みでないもの」が明確になってきた、というほうが正しいだろうか。
    そして今、この原稿の下書きをしながら私は、「いわゆる怪談」なんて好きではなかったのだということに気づかされた。それでは、なぜ私は「怪談」が好きだと勘違いしていたのだろうか? 私は頁を改めて、「私の好きな怪談」を定義しなおしてみた。

    Ⅰ.私好みではない怪談を定義する

    1.理由にならない理由

     「怪談」のすそ野は広い。
    『氷菓』という作品の「愚者のエンドロール」篇で「人によってミステリーの定義はずいぶん違う」という場面があった。それと同じく、人々が「怪談」と言われて思い浮かべる話は様々だろう。
    「心霊現象」「祟り」「風習」「自業自得」「民話」「妖怪」「サイコパス」「狂気」「超能力」「シンクロニシティ」「転生」「エクソシスト」などなど。これらの話は、たいてい「怖い状況の発生」と「その理由」がセットになっている。そして私好みでない怪談とは「その理由」をもつ話なのである。

     怪談の冒頭か最後かで語られる「怪異の理由(=原因)」は、実際のところ「理由」になっていないことが多い。「その部屋で自殺した人がいる」から「住んでいる人が次々に自殺する」なんて、説明になっていないことは明らかだし、現象の方も全くおもしろくない。そんな「怪談的お約束」に、私は退屈してしまうのだ。

    2.類型的な演出

     「かくれんぼ」「追跡」「人別改め」の構造をもった「怪談」は多く語り口も類型化されている。この文体ではたいてい「くりかえしの後の断定的大声」によって「吃驚させようとする」。急に大声を出されればびっくりするのは当然で、これは「怖い」というのとは違うし、むしろ「怪談」を壊していると思う。

    3.心温まる怪談

     霊現象を扱っていながら「命を救われる」とか「心が通い合う」とかいうタイプの話が、「世にも奇妙な物語」などに多い。これらは登場人物に「霊」を交えただけの「渡る世間は鬼ばかり」にすぎない。

    まとめ

     私好みでない怪談とは「怪談の話法で怪談的理由に頼った怪談らしい怪談」だった。

    Ⅱ.私好みの怪談を定義する

    1.因果因縁は不要のこと

     「因果因縁不要」この条件によって、「長編怪談」はほぼ全滅する。「長編」とはその大半が「因果因縁の説明」だからだ。だから私好みの怪談とは「新・耳袋」型となる。

    2.新・耳袋型とは

     私が考える「新・耳袋」型怪談の特徴は「不思議な現象だけを淡々と語り、言いっぱなしで終わること」である。(この精神こそ、元祖「耳嚢(根岸鎮衛さん)のモットーであった。)
    「因果因縁」で説明されてしまうところに「不思議」はなく、それらの怖さとは「理解できる怖さ」でしかない。正確に表現するなら「怪談的お約束を理解できる怖さ」ということになる。
    「新・耳袋」型の怖さとは、「目の前の現象が理解不能なために引き起こされるパニックから、思考が強制停止し、あたかも「放送を終了したテレビ画面を席捲する砂嵐」を見つめ続けている時の、自らがバグってしまった(のではないかという)怖さである。そこには、静かな恐慌と、爆発的な笑いの予感が同居する。

    3.同じ構造をもつ話の例

     都市伝説(陰謀論は除く)、「ロア」(ネットより)、「ちょっと不思議な話」(南山宏さん)、伊藤潤二さんの「阿彌殻断層(あみがらだんそう)の怪」「落下」「首吊り気球」、「百物語」(杉浦日向子さん)などが思いつく。

    まとめ

     以上から、私好みの怪談の定義は
    「私の世界認識や現状認識や知識が揺らぐほど理解不能な現象(=不思議)を表した話」ということになる。

    Ⅲ.この定義から得られる定理

    1.私好みの怪談(以下【怪談】)に「霊」は必須ではない。
    2.【怪談】は「奇妙な話」の中に含まれている。
    3.【怪談】は既存の「恐怖」では処理できない
    4.【怪談】は「オーパーツ」「世界の七不思議」「UMA」「深海生物」「絶景、奇景」を含む
    5.【怪談】は唯物的である
    6.【怪談】は実話である必要はないが、創作するのは困難である
    7.【怪談】は「霊」より「妖怪」にシフトする
    8.【怪談】はヒューモアを有する

    以上

    おまけ ノートブッカーズお題
    「文具にまつわる怪談を教えてください」

    上記の定義はあくまでも私的なものなので気にせずに、あなたの「Notebookers的怪談」を、教えてください。実体験、創作談は問いません。あなたは何を「怖い」と感じますか?

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    NOTEBOOKERS+俳句 1 ― NB的歳時記のために

    Posted on 24 6月 2018 by

    0.はじめに

    俳句好きで、NOTEBOOKERSなら、「俳句+文具」とか考えねばならぬと、手持ちの歳時記を読んでみたところ、NOTEBOOKERS的(以下NB的)とはほど遠いことがわかってしまったので、「じゃあどうすればいい?」を不定期で考えることにして。

    手持ちの歳時記。『合本 俳句歳時記 新版』 平成元年6月30日 28刷 角川書店 (意外と古い……)

    1.正岡子規俳句検索からNB的俳句を抽出する

    俳句といえば、正岡子規さんだよね。

    正岡子規の俳句検索
    『正岡子規俳句検索システムは、5つの検索方法で、正岡子規が生涯に作成した俳句の内、季語別子規俳句集(松山市立子規記念博物館 編集・発行)に掲載の俳句を検索する事が出来ます。』
    http://sikihaku.lesp.co.jp/community/search/index.php

    の「句中曖昧語検索」でNB的事物を、おもいつくままに検索し、目に付いたものを掲出する。(語句後の数字はヒット数)

    手帳 1

    萩に立て萩の句記す手帳哉

    ペン 2 インキ2

    鵞ペンさすインキの壺や秋の薔薇
    鵞ペン立てしインキの壺や秋の薔薇

    日記 16

    春雨や日記をしるす船の中
    梅雨晴や蜩鳴くと書く日記

    鉛筆 1

    小刀や鉛筆を削り梨を剥く

    (書いた)文字 1

    夕涼み仲居に文字を習はする

    言葉 7

    めでたさやよその言葉も旅の春
    初松魚べらぼうと申す言葉あり

    書 178

    ねころんで書よむ人や春の草
    眼鏡かけて書を読む夏の夜忙し

    机 28

    文机にもたれ心の夜寒哉
    夕立や机に並ぶ大盥

    写真 3

    涅槃像写真なき世こそたふとけれ
    花の歌添へし吉野の写真哉

    本 232

    読む本を其まゝ顔に昼寝哉
    洋本の間にはさむ桜かな

    墨 37(隅田川も含む)

    薄墨てかいた様なり春の月
    墨汁も筆も氷りぬ書を讀まん

    象 8

    象も來つ雀も下りつ鍬始
    毛布著た四五人連や象を見る

    最後にノーヒットをまとめて

    万年筆、ノート、日誌、帳面、地図、原稿、予定、獏、防備録、雑記、貼混ぜ、メモ。

    案外少ない。俳句と文具は相性がよくないのか?

    2.NB的季語

    手持ちの歳時記をひもといて、NB的季語を探す探すもほとんど無く…無理やりかき集めてこのくらい。(数字は手持ち歳時記の頁数)

    「夏書き」[夏](p.370)

    《げがき:夏のある期間、身を慎み写経、書写、習字などを行うこと》

    夏書の筆措けば乾きて背くなり 橋本多佳子

    「硯洗」[秋](p.587)

    《すずりあらひ:七夕の前日に常用の硯や机を洗い清めること》

    家ひそかなるや硯を洗ひをり 石田波郷
    高僧のかたみの硯洗ひけり 星野立子
    いにしへの硯洗ふや月さしぬ 加藤楸邨

    「日記買ふ」「古日記」[冬](p.817)

    実朝の歌ちらと見ゆ日記買う 山口青邨
    日記買ふ未知の月日に在るごとく 中村秀好
    書かざれどすでにわがもの新日記 山口波津女
    日記買ひ潮ながるるを見てゐたり 猿山木魂

    「日記始」「初日記」[新年](p.958)

    白く厚く未知かぎりなし初日記 能村登四郎
    新日記三百六十五日の白 堀内薫
    初日記インクの玉をおとしけり 裏野鷗城

    「読初」[新年](p.963)

    謹で君が遺稿を読みはじむ 高浜虚子
    人住まぬ辺りの地図を読初む 相生垣瓜人

    「書初」[新年](p.963)

    一字なほにじみひろごる試筆かな 皆吉爽雨
    書初といふもあはれや原稿紙 吉屋信子
    書初や旅人が詠める酒の歌 占村古魚

    「初硯」[新年](p.963)

    ましろなる筆の命毛初硯 富安風生
    墨の香の殊に匂ひて初硯 中川喜久栄

    考えてみれば、「文具の季節感」というものは固定してないものな。

    コラムその1 私的ノートの季感

    トラベラーズノートって、「夏」よね
    トラベラーズノートへリフィル夏季休暇

    で、モレスキンって、「冬」のイメージ
    モレスキンめくれば起し絵のごとし
    (でも「起し絵」は夏の季語也)

    3.NB的歳時記拾い

    こうなれば季語以外、例句に含まれるNB的事物を拾っていくしかないじゃない。わたし好みの歳時記にむかって。

    凡例:[事物/季節/句/作者名/頁数] という風になっています。

    鉛筆/春/鉛筆をくはへ磯巾着すぼむ/片山那智児/184
    鉛筆/春/鉛筆で書く音静かチューリップ/星野立子/221
    鉛筆/夏/病床に鉛筆失せぬ夏の暮/石田波郷/262
    鉛筆/秋/色鉛筆削りそろえて夜長父子/林翔/516
    鉛筆/冬/鉛筆で助炭に書きし覚え書/高浜虚子/814
    型紙/春/春燈火妻の型紙机を覆ふ/深見けんニ/93
    紙/春/昨日漉きし紙春分の日を過す/小島昌勝/50
    紙/春/花冷やまだしぼられぬ紙の嵩/大野林火/55
    紙/春/里人は紙を献じて人麻呂忌/福田蓼汀/156
    紙/夏/夏嵐机上の白紙飛び尽す/正岡子規/270
    紙/秋/秋風の和紙の軽さを身にも欲し/林翔/533
    紙/秋/熱出づる野分に飛べる紙を見て/目迫秩父/534
    原稿紙/春/熟れて落つ春日や稼ぐ原稿紙/秋元不死男/60
    珈琲/春/珈琲濃しけふ落第の少女子に/石田波郷/83
    言葉/秋/秋風や書かねば言葉消えやすし/野見山朱鳥/533
    字/冬/わが書きし字へ白息をかけておく/加藤楸邨/845
    書/春/春疾風書棚に黒き乱歩集/北光丘/65
    書/春/蛤の煮らるる音の中にて書/加藤楸邨/180
    書/夏/夏至今日と思ひつつ書を閉ぢにけり/高浜虚子/260
    書/夏/積み上げし書が目の高さ酷暑来る/松本旭/266
    書/夏/読みかけの書ばかり積んで夜の秋/石川桂郎/267
    書/夏/夕立に一顧もくれず読書かな/星野立子/274
    書/夏/青嶺眉にある日少しの書を読めり/細見綾子/280
    書/夏/書を曝し寂莫の一日終へむとす/軽部烏頭子/323
    書/夏/曝しゐる書のみなわれを養ひし/岡本欣也 323
    書/夏/四迷忌や借りて重ねし書少し/石田波郷/372
    書/秋/手にとって書かする梶の広葉かな/高浜虚子/587
    書/秋/ひぐらしやもの書きしるす膝の上/加藤楸邨/623
    硯/夏/若楓影さす硯あらひけり/水原秋桜子/440
    硯/冬/葉牡丹の座に薄明の筆硯/石原舟月/909
    墨/春/たゞ墨を擦りて香を立つ虚子忌なりき/殿村菟絲子/158
    墨/夏/濃き墨のかわきやすさよ青嵐/松本多佳子/270
    墨/秋/月の座の一人は墨をすりにけり/中村草田男/579
    旅/春/この秋は旅と思へど糸瓜蒔く/北川左人/105
    旅/春/ ヘリオトロープ船旅ははや倦む日日に/大津希水/221
    旅/夏/梅雨めくや人に真青き旅路あり/相馬遷子/272
    旅/夏/門深みかかる夜更けに旅の人/高野素十/340
    旅/夏/ねむりても旅の花火の胸ひらく/大野林火/346
    旅/夏/十二時を宵のごとくに旅の端居/山口誓子/353
    旅/夏 旅長し海酸漿の美しき/高野素十/398
    旅/夏/夜にかけて卯の花曇る旅もどり/飯田蛇笏/442
    旅/夏/旅心太藺の花にすがすがし/高野素十/481
    旅/夏/旅ひとり一つ葉ひけば根のつづき/山口草堂/497
    旅/夏/旅人に古塔かたむく夏わらび/稲垣きくの/499
    旅/秋/旅かなし銀河の裏を星流れ/野見山朱鳥/532
    旅/秋/蛇穴に入る今年もう旅はなし/大野林火/607
    旅/秋/しまひ値の鰯あをあを旅びとに/下田稔/620
    旅/秋/峡の町にカンナを見たり旅つづく/川崎展宏/667
    旅/冬/旅人と我名呼ばれむ初時雨/松尾芭蕉/738
    旅/冬/旅鞄そのまま座右に冬籠/高浜虚子/798
    帖/新年/新年の白紙綴じたる句帖かな/正岡子規/920
    手帳/秋 芦の花多忙をしるし手帳胸に/石原透/698
    日記/秋/みみづ鳴く日記はいつか懺悔録/上田五千石/633
    日記/新年/一月や去年の日記なほ机辺/高浜虚子/921
    日記/新年/日記まだ何も誌さず福寿草/遠藤梧逸/1039
    ノート/冬/沖を鷹ノート細字を以って埋む/中島斌雄/875
    鋏/秋/獺祭忌紙切る鋏街に買ふ/沢木欣一/604
    筆/春/春暁の竹筒にある筆ニ本/飯田龍太/52
    筆/春/黄梅の弾ねる風下筆洗う/管裸馬/196
    筆/夏/絵筆もて描きし如く青芒/高浜虚子/483
    文/冬/雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし/飯田龍太/743
    ペン/秋/秋蚊帳のなかや置かれし紙とペン/目迫秩父/554
    文字/秋/霧から霧妻の手紙は文字ふせて/中村草田男/537
    文字/秋/梶の葉の文字瑞々とかかれけり 橋本多佳子/587
    文字/冬/大寒のくらさのゆゑか文字細る/目迫秩父/724
    文字/新年/三日はや木に書く文字の音すなり/飯田龍太/925

    抜き出しておけばよかったNB的事物

    机、椅子、書架、本、手紙類、舟、飛行機、御朱印、空港、港、反古、象など。

    4.NB的俳句をweb検索する

    歳時記の例句を増やすには、探すしかない。

    この項では、検索のさい上位候補に紹介される
    575筆まか勢』様
    (https://fudemaka57.exblog.jp/)
    と、

    俳句検索』様
    (http://taka.no.coocan.jp/a1/cgi-bin/haikukensaku.html)
    俳句検索システム:現在、 23,632 の文書がインデックス化され、 73,645 個のキーワードが登録されています。インデックスの最終更新日: 2003-01-01

    をおもに利用させていただいています。ありがとうございます。

    万年筆(575筆まか勢様 24句)

    あたたかや万年筆の太き字も 片山由美子
    うぐひすや万年筆の尻重く 小川軽舟
    卯の花腐し父の万年筆太し 仁平勝 東京物語
    啓蟄や万年筆の贈物 川崎展宏
    笹鳴や万年筆が見つからぬ 川崎展宏
    篠の子と万年筆を並べ置く 岡田史乃
    初蝶や万年筆が雫して 寺田京子
    冬青空夜は万年筆の中 高野ムツオ
    熱帯夜万年筆のインク漏れ 柴田奈美
    父も父の万年筆もとっくになし 池田澄子
    風光る万年筆の加賀蒔絵 伊藤とう子
    文化の日万年筆は名を変へず 鈴木栄子
    万年筆の中に泉やさくらの芽 正木ゆう子
    万年筆の中の蓮池地獄かな 豊口陽子
    万年筆呼び名変らず文化の日 鈴木栄子
    茂吉忌の万年筆の太さかな 大牧 広
    雷わたる万年筆の太古の黒 守谷茂泰
    六月の万年筆のにほひかな 千葉皓史
    獺のまつり人は万年筆ならべ 鈴木榮子
    ぺりかんは万年筆や年暮るる 雨滴集 星野麥丘人
    黄濁の川鳴る胸に万年筆 橋閒石 無刻
    砂に落つ万年筆で千鳥詠む 阿波野青畝
    秋深み万年筆を落しけり 橋閒石 微光
    初句会万年筆の赤い軸 亭午 星野麥丘人

    夕薄暑万年筆のインク涸れ 窪田久美 (weblio辞書より)

    手帳(俳句検索様 17句)

    野菊一輪手帳の中に挟みけり 夏目漱石
    ちらと見し手帳のよき字毛見の老 皆吉爽雨

    ボールペン(575筆まか勢様 13句)

    はがき書く皐月の水性ボールペン 高澤良一 石鏡
    ボールペンと一杯の水三鬼の忌 原田喬
    ボールペン嫌ひを通し鴎外忌 片山由美子 水精
    ボールペン蛇の尻尾に近づきぬ 相原左義長
    ボールペン走らせすぎて枇杷灯る 井上淑子
    ボールペン売も出てをり苗木市 加倉井秋を 午後の窓
    ボールペン落として気づく冬すみれ 三田村弘子
    寒の日に透けて水性ボールペン 高澤良一 暮津
    菜種梅雨雲間におとすボールペン 平田 薫
    蚕疲れや睡魔に放るボールペン 五十嵐春男
    ボールペン始に句箋複写して 上田五千石『琥珀』補遺
    ボールペン出先で買ひて夏本番 岡本眸
    冬灯ちりばめK氏遺愛のボールペン 楠本憲吉 方壺集

    ノート(以下、俳句検索様 13句)

    若芝にノートを置けばひるがへる 加藤楸邨
    デッサンの蟻百態のノートあり 深見けん二

    地図 79句

    清水のむかたはら地図を拡げをり 高野素十
    胡桃割る閉じても地図の海青し 寺山修司

    原稿用紙 2句

    妻も使ふ原稿用紙どこも秋 加倉井秋を 『風祝』
    六月の雨の原稿用紙かな 皆吉司

    原稿紙 15句

    原稿紙ペンの遅速に遠蛙 吉屋信子
    原稿紙の枡目二百に夜の秋 河合澄子

    写真 99句

    写真見る昔ふとりしきぬかつぎ 高浜虚子
    新樹並びなさい写真撮りますよ 藤後左右

    獏 0句

    ※でも「獏の枕」は新年の季語になっているんだよ。

    象 544句 穀象を含む

    八月の窓の辺にまた象が来る 宇多喜代子
    荒星や老いたる象のやうな島 夏井いつき

    予定 8句

    夢覚めて今日の予定や花菜摘 田中 起美恵
    木の芽雨今日の予定の街に来て 稲畑汀子

    インキ 4句 インクは13句

    手さぐりてインク匂へる霜夜かな 石橋秀野
    壷白くインクは冬の灯を吸へる 富澤赤黄男

    メモ 28句

    買初のメモ靴墨と神曲と 飛旅子
    数へ日やメモ一つ消し二つ足し 大橋敦子

    コラムその2 私的万年筆の季感

    ざっとイメージでいうと
    パイロットは春、ペリカンとセーラーは夏、パーカーは秋、モンブランとラミーは冬。なんてね。
    夕焼けもミクサブルなり金のニブ

    5.NB的歳時記とは

    歳時記は出版社によって例句のとり方に大きな特徴があるから、NB歳時記を作るなら、新しい季語をバンバン加えるのはちょとアレなので、収録した例句の全てが、文具だったり、旅だったり、チーズだったり、獏だったりを読み込んでいるっていうのを目指してみたらいいんではないかと思うの。

    どっかで出してくれないかなぁ。とゴロゴロしつつ、日々、例句集めに精出して、「NOTEBOOKERS歳時記」を編纂していくってのも、よいライフワークではないかと思ったりした第一回を終了します。

     

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    Note of the note ―ノートの調べ  p.5 太宰治さんの横顔のノート

    Posted on 03 6月 2018 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第5回目は、太宰治さんのノートを鑑賞する。

    出典


    1.別冊太陽 日本のこころ159 太宰治 生誕100年記念 平凡社 2009.07.09

    2.弘前大学付属図書館貴重資料 太宰治自筆ノート(「英語」ノート、「修身」ノート)

    予習用読方帖

    1923(大正12)年。14歳のとき、青森県立中学校受験勉強の一環として、二十篇の課題綴方を書いた。(p.169)

       

    左 表紙 右 本文 (p.23)

    官立弘前高等学校1年(1927/昭和2年/18歳)の英語ノート

    英語のノート

    英語の教科書の見返し(p.37)

     

    弘前大学付属図書館貴重資料 太宰治自筆ノート 「英語」より

    表紙

    見返し

    ノートの解説は

    青森近代文学館 太宰治の旧制高校時代のノートについて 安藤宏(東京大学准教授)(以下「解説」とする)による

    「英語」のノートから解説に入ることにしよう。
    使われているのは横罫線二三行の大学ノートで、表紙左上に弘前高校の校章が刷り込まれ、裏表紙に「今泉本店(注ー弘前市内の主要な書籍店)特製」の標記がある。サイズはA4版に近い縦二一〇ミリ、横一六五ミリ。表紙に「Johnson & Goldsmith/Essays by/T.B.Macaulay/The Hirosaki High School/L.1.1/S.Tsushima」と記入されている。太宰は昭和二年の四月に文科の一年一組に入学しており、「L.1.1」とあることから、第一学年時に使用されたものであることがわかる。

    英語の授業は「発音」「綴字」「読方読解」「話方」「作文」「書取」「文法」からなっているが、このノートには文学作品の現代語訳が記されているので「読方読解」に該当するものであろう。

    下(閲覧p79)顔の下の欄外の書き込み (解説より)

    橄欖之実が/ほろほろと/月の光に 散つて行く/TaRanTuLa!/蜘蛛に咬まれた若者は/空を見つめて 舞ひ狂ふ/哀れ悲しく/舞ひ狂ふ

    当時、多くの高等学校がそうであったように、弘高でもまた、〝ノート主義〟ともいうべき風潮が支配的だったようだ。あたかも速記術を思わせるような口述筆記が授業の中心をなし、それが学生にとって大きな負担になっていたようである。(解説)

    落書きページ

    裏表紙

    「英語」のノートには、実に多くの箇所に落書きがあるが、その大半は肖像画(4~8、14、19、27~30、34、36、40、41、43~45、47、53、57、59、73、83、86、裏表紙など)と、英語・日本語による自己の署名(3、58、59、86など)である。(中略)自画像や、来るべき文壇デビューに備えてのサインの練習(?)を繰り返している様態は興味深い。

    官立弘前高等学校2年(1928/昭和3年/19歳)の修身のノート

    「修身」の科目は文理共通の三カ年に渡る必修科目。
    講義内容の大まかな構成は次のようになっている。
    吾人ノ国家観及ビ吾国体
    国家ト個人ナラビニ愛国心
    歴史上ヨリ見タル吾国ノ特性
    日本民族ノ外観
    1、日本の民族及国民(注ーここから〈第参学期〉とある)
    2、日本ノ国民国家
    3、日本社会運動ノ諸傾向ト我が氏族性(ママ)(解説)

    表紙

    表紙見返し

    「修身」もやはり「英語」同様、横罫線二三行の大学ノートで、弘高の校章が刷り込まれ、サイズも同一である。ただしこちらは「今泉本店特製」ではなく、「神書店製」の標記。表紙に「修身/宮城教授/弘高/文 二 一/津島修治」の記入がある(「二」の漢数字は白黒の画像だと「三」に見えるが、実際は「二」である)。昭和三年度、太宰の第二学年時のものと考えられよう。38頁まで使われ、あとは白紙。なお、ノートの終わりの部分に七ページに渡る落書きがあるほか、「英語」同様、表紙、裏表紙、表見返し、裏見返しにも落書きがある。(解説)

    閲覧p.71 自画像?

    閲覧p.79 津島修治サイン

    顔ばかり

    裏表紙

    二冊のノートの人物画像の合間に頻出する数多のサインは過剰な自意識の表象でもあろう。名前と共に The Hirosaki High School の署名が多く記されているが、そこからは一方で旧制高校スピリットの交錯した、屈折したプライドをうかがい知ることができる。(解説)

    太宰治愛用の万年筆

    (別冊太陽 p.41)

    エヴァーシャープの万年筆はもともと美知子夫人がアメリカ土産にもらった品であったが、いつからか太宰が使うようになった。透明な軸は途中で破損して取り替えいちいちインクをつけて書いていたが、軽く字を書く癖があった太宰は、1939(昭和14)年頃から最期まで、この万年筆1本で執筆を続けることができたという。
    (この文は、青森近代文学の名品 vol.1 太宰治 愛用の万年筆より)

    太宰治さんの万年筆は、EVERSHARPのDoricシリーズかと思われる。(キャップの金具の形状から)検索により似たものは見つかったが、型番は判明しなかった。しかし、同型の万年筆を落札なさったジョリ様のブログを見つけた。参考としてご紹介する。ジョリのブログ 2016-01-07 太宰治の万年筆

    ちなみに使用していたインクは 丸善のアテナインキ(P.149)とのこと。

    有明淑の日記

    彼女が19歳の頃、本人が太宰へ郵送した。

    太宰はこの日記を再構成して『女生徒』を書きあげ、川端康成の絶賛を受ける。1939(昭和14)年4月「文学界」。翌年12月には北村透谷文学賞副賞を受賞した。

    太宰から『女生徒』を送られた彼女は感激し、長く愛蔵したという。(p.80)

    手帳

    1947(昭和22)年12月のページ。(38歳)

    (P.115)

    この年の11月に『斜陽』のモデル太田静子との間に治子が誕生。太宰は認知。12月に『斜陽』発表。一躍流行作家となるも、精神と身体は蝕まれ続ける。3月末に、看護婦兼秘書の役割を果たす山崎富栄と出会っている。

    『M.C様へ うぬぼれないでください』

    太宰は、M.C、マイ・コメヂアン、を自称しながら、どうしても、コメヂアンになりきることが、できなかった。(坂口安吾『不良少年とキリスト』より抜粋)(p.102)

    1948(昭和23)年2月のページ(39歳)

    この年、『太宰治全集』の配本が始まる。

    『如是我聞』を連載。『人間失格』の執筆開始直前の時期。

    この4か月後に山崎富栄と入水心中。

    おわりに 横顔のノート

    弘前高等学校時代の二冊のノートのおびただしい落書きの大半が「横顔」であったことが、ひじょうに印象深い。横顔で目立つのは、「鼻」「顎」そして「眼」である。

    「鼻」「顎」は、自尊心の象徴として用いられるものであるし、「眼」は虚栄心、自惚れ、承認欲求などを表すように思う。そして、その眼が真正面からではなく、横、もしくは斜であることが、太宰治さんの性質の全てを表しているかのように思われるのだ。

    たとえば太宰治には過敏な自意識はあります。いつも他人に見られていると思っている。しかし、そこに「まなざし(サルトル)」はないと思います。日本の私小説家は自意識だらけですけれど「まなざし」はない。
    柄谷行人(『ダイアログⅤ p.331 戦後文学の「まなざし」)より

    『太宰は絵や書を一気呵成に仕上げることが多かった。とくに酒席の「席画」が好きで、酔った勢いでものの数分で描くこともしばしばだったという。(pp.58-59)』

    左頁 自画像 /1947 (昭和22)年

    右頁上 三つの貌 /1947(昭和22)年

    右頁下 風景 / 1940 (昭和15)年ごろ

    さいごに、太宰治さんといえば、月見草が有名だが、私には1940(昭和15)年に描かれた「水仙」の絵がとても印象深かった。

    以上

    おまけ 5月のマンスリー絵日記

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    『人はなぜ日記を書くか』読後雑感

    Posted on 27 5月 2018 by

    ※以下は別のブログに書いた記事を転載したものです。


    『人はなぜ日記を書くか』 大島 一雄 著
    Jパブリッシング(1998/11発売)


    はじめに

    日記という事件

    本書にこのタイトルの答えを求めてはならない。なぜなら本書では「日記」ありきの論考しか行われないからだ。そのような姿勢で「日記」を扱うのなら、「日記」を解体するところまでいかねばおもしろくないのだが、本書において「日記」は、徹頭徹尾「日記」のままだ。
    一体、この本において、いやこの本の筆者にとって、「日記」とはどのような「事件」だったのだろうか?

    ここで唐突に「事件」という言葉を用いた理由は
    「今の私の気分として日記はテクスト化すべきではない、と思うから」
    と、今の私はとりあえず、説明するだろう。
    結局、私は『人はなぜ日記を書くか』などいう問題提起には、なんの魅力も感じていなかったのだ。むしろ「人はなぜ日記以外のものを書きうるのか」のほうが、よほど今の気分なのである。

    読んだ理由

    ではなぜ、本書を手にしたのか?
    その理由は本書が網羅している日記資料の豊富さである。それが本書唯一の長所である。
    膨大な資料を読み込んでいるからこそ、筆者は、日記筆者と、その関係者の日記を、横断的に読み合わせることができた。
    ただ、その作業が糸を毛糸に拠り合わせるに留まり、編み物を編むに至らなかった点が残念なのである。

    日記から普遍へ

    そのようにして立ち上がる日記(個人)相互の関係性としての編み物こそが「小説的」に「時代」を構成するのではないか。
    そしてそのようにして立ち現れた「時代空間」は「無数の人称」によって、「普遍」となるのではないか。

    そんな酔狂な考えが、頭をよぎった。

    日記と世界

    もともと世界とはそのように編まれている。
    「日記」という「自己疎外=モダン」の産物を「時系列」で「横断的」に集成すると、関係性の全てを保持したまま「普遍=ポストモダン」が顕れる。「モダン即ポストモダン」「集団的個即一的全」
    日記は「世界を顕す特異点」というわけだ。

    穴に嵌まれ

    もちろん、あらゆる文章のなかで、「日記」だけがこうした特権を担う、というわけではない。

    全ての存在は縺れ合い、網目という「穴」を構築する。我々は世界を「綱渡り」しようとばかりするのだが、おそらくもっと、この「網目」に飛び込んでいくべきなのだ。
    「個」から「個」を渡り歩くための順路を模索するのではなく、自らの質量をもって穴に飛び込み、周辺の時空を歪ませるブラックホールとなるべきなのだ。
    この穴は、拡大すればするだけ、同じような網目が現れるフラクタルな構造を有する。
    事件の解決のためであればその緋色の一本を解きほぐすべきなのだが、「解決」などという「予定調和」は、ハナからおよびでない。
    ただ、やみくもに飛び込んで、跳ね返されたり、ぶつかったりしたいだけなのだから。

    日記の特性

    そのとき、我々が携えるべきが『日記』なのである。

    なぜならば、日記は誰が書いてもよく、誰が書いても正しく、誰が読んでも(日記そのものを)批判できないという、稀有の特性を持つからである。
    かつて、究極超人あーるは『誰も私がここにいることをとめられないのです!』と宣言した。このことをより重く考えねばならないと、私は考えている。

    日記の不完全性

    私がここにいること。私がここにいることを記憶すること。私がここにいることが及ぼした影響を記録すること。私がここにいることはあらゆるものがここにあることを証明していること。

    一切の自己検閲を排除し、あらゆる忖度を度外視して日々生産される日記が構成するのは、「遅れてきた今日のモデル」である。それこそが「普遍世界」の極めて貧しい欠片なのだ。我々は、その不完全さを嘆いたり、不平を抱いたりするべきではない。

    他人の日記を読む

    我々は、多くの日記を、横断的かつ網羅的に読むことによってのみ、世界の全体像をまさぐることができる。
    公開を気にも留めず、思いのままにSNSに垂れ流される脊髄反射こそが、現代の日記の一形態でもある。内省やら洞察なぞ、日記には求めてはいない。むしろ、そういう「作為」は邪魔である。

    日記を読む場所

    ただし、網羅的かつ横断的に読むことは、読者というメタレベルから俯瞰的に並列することとは全く違う。そのように読まれたとき、日記は単にテクストとなり「歴史=当事者性」が剥奪されてしまうだろう。それは日記性の消滅を意味する。

    日記を日記のままに取扱うことも、日記性を消滅させることも駄目だというのなら、一体、日記はどのように読まれるべきなのか?(因みに、この本では「なぜ書くか」ではなく「いかに読むか」を論じている。ならそういうタイトルにすべきである)

    日記とは生き様

    「他人の日記を読む」とは「他人を生きる」ことでなければならず、「多くの他人の日記を読む」とは「多くの他人を同時に生きるというメソッド」でなければならない。

    これは「輪廻」を体得する姿勢に酷似する。

    我をもって我を空じ、他者を我として他者を空じるとき、世界を我として世界を空じ、我を世界として我を空じるという手触りを感じられるのである。世界は「あなた」でできている。

    はじめにのまとめ

    多分、「普遍」とは、そのようにしか捻出できないものなのだ。
    すなわち日記とは、「ありうるべき世界」=「統制的理念」の破片なのである。

    人はなぜ日記を書くか?

    それは世界存在のあるべき姿を紡ぎだそうとする「我々」という存在者に共通する「根源的衝動」に他ならない。これがとりあえずの私の回答だ。

    本編

    それでは、この本を最大限有効活用して、今回のブログをとじよう。

    すなわち「参考文献リスト」である。(各見出しは、引用書の章題)

    Ⅰ 日記とは何か

    『日記の虚実』紀田順一郎(ちくま文庫)
    『蘆花日記』徳富蘆花
    『戦中日記』シモーヌ・ボーヴォワール(白水社)
    『日記論』ベアトリス・ディディエ(松籟社)
    スタンダールの日記
    @日記の自己言及性と「現在(同日)性」
    『続高見順日記』(勁草書房)
    『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房)
    アナイス・ニンが日記をアヘン吸引にたとえていた
    D.H・ローレンス、マルセル・プルーストは膨大な書簡を書いたが日記を書かなかった
    プルーストは膨大で複雑な「草稿」を残した。カフカは日記も書簡も残した
    ローレンスの「三つのチャタレー夫人」
    『カフカ全集 7 日記』フランツ・カフカ(新潮社)
    『ノートブック』ヘンリー・ジェイムズ
    樋口一葉の日記=ノート(『樋口一葉全集』筑摩書房 第三巻上下)
    『全集樋口一葉 3 日記篇』(小学館)
    『セーレン・キェルケゴールの日誌』(未来社)
    『トーマス・マンの日記 1933-1934』(紀伊國屋書店)
    『トーマス・マンの日記 1935-1936』(紀伊国屋書店)
    『トーマス・マンの日記 1940-1943』(紀伊国屋書店)
    『無知の涙』永山則夫(河出書房新社)小説「土堤」の元となった箇所が削除されている
    『人民を忘れたカナリアたち』永山則夫(辺境社/河出文庫)公開を意識していたため『無知の涙』のよさが消えている
    『草稿 1914-1916』ウィトゲンシュタイン
    『川端康成全集補巻一』著者十五歳からニ十五歳1914-24および1944-45の公表を意識しない日記草稿等
    中上健次は日記を残さなかった 「枯木灘」の著者校ゲラ
    吉本隆明『試行』巻頭の「状況への発言」
    『吉本隆明著作集15』初期ノート
    ヴォルグフガング・ケッペンの日記論
    フィリップ・ルジュンヌ『フランスの自伝ー自伝文学の主題と構造』(1971)(法政大学出版局)
    エドワード・サイデンステッカー 平安朝の女流日記
    グスタフ・ルネ・ホッケ『ヨーロッパの日記』
    diary,journal,notebook,cahiers(カイエ),carnets(手帳),journal intime《仏》(個人的日記),
    tagebch《独》

    Ⅱ 人は一日にどのくらい長い日記を書けるのか

    『モンゴメリ日記(1897-1900)・その光と影』ルーシー・モード・モンゴメリ(立風書房)
    『モンゴメリ日記(1889-1892)・プリンス・エドワード島の少女』 同上
    『マリ・バシュキルツェフの日記』上下(国民文庫刊行者)
    『アンネの日記』(文春文庫)
    『青春さまよい日記』青木正美 (東京堂出版)日記収集家
    『石川啄木全集 6 日記』(筑摩書房)
    『百鬼園日記帖』内田百聞 (福武文庫)
    『恋日記』内田百聞 (福武書店)
    『戦中派虫けら日記』山田風太郎(未知谷/ちくま文庫)
    『戦中派不戦日記』 山田風太郎(講談社文庫)
    『占領下日記』ジャン・コクトー(筑摩書房)
    『美女と野獣/る映画の日記』 ジャン・コクトー
    『マレーシュ/ある講演旅行の日記』ジャン・コクトー
    『定過去』(未邦訳)ジャン・コクトー
    ヴァージニア・ウルフの完全版日記 全五巻
    『ヴァージニア・フルフ著作集 8 ある作家の日記』(みすず書房)
    『ゴンクールの日記』(岩波書店)
    『ジュール・ルナール全集11』(臨川書店)
    『左手の日記』大屋典一 (青娥書房)
    『日本空襲記』一色次郎
    『奇妙な戦争』ジャン・ポール・サルトル (人文書院)
    『ドストエフスキー夫人 アンアの日記』 (河出書房新社)速記を反訳
    スースロワの日記(ドストエフスキーにとって重要なもう一人の女性)
    『古川ロッパ昭和日記 戦中篇』(晶文社)
    『The Complete Notebooks of Henry James』ヘンリー・ジェームズ(Oxford)

    Ⅲ 他の日記や日記作者について語ろうとする日記

    『富士日記』武田百合子(武田泰淳夫人)
    『成城だより』大岡昇平
    @日記に非公表性による、関心ある他者への気兼ねの無さ(自己検閲がゆるむ)
    『戦時の日記』ロマン・ロラン全集 26 (みすず書房)現存するだけで百七冊あるノートのうちの二十九冊分
    『トーマス・マン日記 1940-1943』(紀伊國屋書店)邦訳された氏の日記のなかで最も厚い
    『ジッドの日記 Ⅰ1889-1911』アンドレ・ジッド(小沢書店)本人による取捨選択のある日記集
    『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房) 九冊
    『ワイマル日記 上下』ハリー・ケスラー(冨山房)
    『ニ十年代』~『六十年代』の5冊 エドマンド・ウィルソン
    『神谷美恵子著作集10 日記・書簡集』(みすず書房) ウルフの訳者・研究者、精神科医
    『野上弥生子全集 第Ⅱ期 日記』(岩波書店)
    『アーネスト・サトウ公使日記 Ⅱ』(新人物往来社)
    リチャード・ゴードン・スミスの日記
    『罹災日記』永井荷風
    『断腸亭日記』永井荷風(岩波書店)
    『疎開日記』谷崎潤一郎『谷崎潤一郎全集』所収(中央公論社)
    『内面の日記』ボードレール『ボードレール全集Ⅵ』所収(筑摩書房)
    『ジュリアン・グリーン全集 日記Ⅰ、Ⅱ』(人文書院)
    『ヨーロッパの日記』グレアム・グリーン
    @ジャン=ポール・サルトルは十九世紀の日記を集中的に読んでいた。スタンダール、ゴンクール兄弟、ルナール、ダビ、そしてジッドの日記を、自分が日記を書く際に参照にした。
    『ボーヴォワールの戦中日記』(白水社)
    『カミュの手帖』アルベール・カミュ(新潮社)さまざまな作家の日記への言及。後半はみずからのjurnal
    『ドリュウ・ラ・ロシェル日記1939-1945』(メタローグ)
    『エリアーデ日記 上下』ミルチア・エリアーデ(未来社)
    『秋田雨雀日記』(未来社)

    Ⅳ 〈血〉で繋がり、〈性〉で作動し、〈夢〉として記述される日記

    『穂積歌子日記 明治一法学者の周辺』(みすず書房)
    『欧米留学日記(1912-1916) 大正一法学者の出発』穂積重遠(歌子の息子)(岩波書店)
    『二十歳の原点』高野悦子
    『自殺直前日記』山田花子(太田出版)
    『インマンの日記』コリン・ウィルソンが言及 アーサー・インマン(ハーバード大学出版局)
    『春の歩み』ジェームズ三木
    夢日記の例 東雅夫による紹介「正木ひろし、島尾敏雄、つげ義春、横尾忠則」
    『日本「日記」総覧』「歴史読本特別増刊」「事典シリーズ」(新人物往来社)
    『小林信彦60年代日記』(白夜書房)
    『アンネの日記 研究版』(文藝春秋)

    Ⅴ 自殺者はどんな言葉を日記に残すのか

    『ニ十歳の原点序章』高野悦子(新潮文庫)
    『ニ十歳の原点ノート』高野悦子(新潮文庫)
    『意思表示』岸上大作(角川文庫)
    『もう一つの意思表示』岸上大作(大和書房)
    『青春の墓標』奥浩平(文藝春秋)
    『闇の産卵/立中潤遺稿 日記・書簡』(弓立社)
    『転回点 -マン家の人々』クラウス・マン(晶文社)

    Ⅵ 人は日記を書きながら苦痛のなかで死ぬ

    『日本の名随筆別巻 28 日記』(作品社)
    『「死への準備」日記』(朝日新聞社)
    千葉敦子の日記形式の連続エッセー
    『アミエルの日記』(岩波文庫)アンリ=フレデリック・アミエル
    『麻酔剤服用日記』正岡子規
    『仰臥漫録』正岡子規(岩波書店)
    『動揺記Ⅰ』永山則夫(草頸書房)
    『回復記』永山則夫
    『死刑確定直前獄中日記』永山則夫(頸草書房)
    『永山則夫の獄中読書日記』永山則夫

    Ⅶ 日記は、どのように歴史の極限を刻みうるか

    『南京の真実』ジョン・ラーベ
    『覚え書』エマヌエル・リンゲルブルム
    『ワルシャワ・ゲットー/捕囚1940-42のノート』ジェイコブ・スローン編(みすず書房)
    『涙の杯/ワルシャワ・ゲットーの日記』A・ポロンスキー編(影書房)
    『ワルシャワ・ゲットー日記/ユダヤ人教師の記録 上下』ハイム・A・カプラン(風行社)
    『吉野作造選集14 日記ニ』(岩波書店)
    『将軍の遺言/遠藤三郎日記』宮武剛(毎日新聞社)
    『ヒロシマ日記』蜂谷道彦
    『重松日記』重松静馬(風媒社)

    Ⅷ 日記は独身者的な書きものである

    『日記と人格の概念』アラン・ジラール
    『セーレン・キェルケゴールの日誌 第一巻〈永遠のレギーネ〉』(未来社)
    @フランツ・カフカは恋人に日記をすべて渡した。

    Ⅸ 結婚のなかで日記はどのように継続されるか

     『アンナ・カレーニナ』に日記で触れた著名人の日記の例(※ここには名前のみ列挙する)
    有島武郎、森鷗外、夏目漱石、永井荷風、山田風太郎、阿部昭、野上弥生子、アンドレイ・タルコフスキー、永山則夫、ドストエフスキー

    Ⅹ 日記論・女性編としではなく

    『蜻蛉日記』藤原道綱母
    『ボーヴォワールの戦中日記』ボーヴォワール(白水社)
    『インセスト』アナイス・ニン 非削除版
    『ヘンリー&ジューン』アナイス・ニン
    『火』アナイス・ニン 非削除版
    頼静子の日記(頼三陽の母)
    頼春水の日記(静子の夫)
    『梨本宮伊都子妃の日記』
    『近代日本の日記』(講談社)
    『千葉敦子のななめ読み日記』(三笠書房)
    『日記の虚実』(ちくま文庫)

    ⅩⅠ フィクションの中に日記はどのように生かされるか

    @日記の自伝化
    『険しい道』ウェス・モンゴメリ自伝
    『東京焼儘』内田百聞
    『新方丈記』内田百聞
    『日日不穏』筒井康隆
    『イーディスの日記』パトリシア・ハイスミス
    『一九八四』ジョージ・オーウェル
    『収容所群島』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
    『イワン・デニーソビィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
    『情事の終わり』グラム・グリーン
    『鍵』谷崎潤一郎
    『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎
    『正義と微笑』太宰治
    『女生徒』太宰治
    『日記の一揆』野坂昭如
    『三島由紀夫/剣と寒紅』福島次郎
    『クローディアスの日記』志賀直哉
    『ハムレット日記』大岡昇平
    『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー
    『IT』スティーブン・キング
    『ファウスト博士』トーマス・マン

    以上(日記)

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    今、会いにいける獏

    Posted on 29 4月 2018 by

    4月27日「世界バクの日」の余韻の冷めやらぬなか、今、会いにいけるバク(マレーバク)を調べました。

    マレーバクがいる日本の動物園一覧(ネット調べ)
    ※順不同、略称あり

    2018. 4.30更新 長崎バイオパーク ジャム君
    2018. 5. 2更新 東部動物公園 オリヒメちゃん
    2018. 5. 7更新 広島市安佐動物公園 ミムさん(15)逝去
    2018. 7. 4更新 東武動物公園 トムさん(13)逝去
    2018. 9. 3更新 群馬サファリパーク ヒナタ君(♂)誕生
    2018.10. 4更新 東武動物公園 ヒコボシさん→広島市安佐動物公園へ移動

    凡例
    (●●/●●/●●)・・・生年月日
    (●●)・・・年齢
    (;―動物園)・・・生まれたところ
    (●●⇒●●)・・・移動履歴

    東武動物公園
    シンディ♀・オリヒメ♀(2016.11.8)・コト♀(2018/3/17)

    千葉市動物公園
    ユメタ♂(11)

    多摩動物公園
    ケン♂(6)・ユメ♀(14)・リザ♀・コウ♂(2016/5/7)

    横浜動物園ズーラシア
    カイム♂(16)・タケコ♀(19)

    日本平動物園
    フタバ♂(2014/1/29;アドベンチャーワールド)

    東山動物園
    ヒサ♂(2006/2/7)

    愛媛県立とべ動物園
    ダン♂(2005/9/22;多摩動物公園)・ロコ♀(2009/6/5;安佐動物公園)

    和歌山アドベンチャーワールド
    ゲン♂(日本平動物園)・ハナ♀(ズーラシア)

    群馬サファリパーク
    ヒカル♂(4;日本平動物園)・ワカバ♀(2011/6/25;アドベンチャーワールド⇒円山動物園)・ヒナタ♂(2018/08/21)

    広島市安佐動物公園
    クニオ♂(2016/9/20)・ヒコボシ♂(2012.8.2;東部動物公園)

    福岡市動物園
    ユメコ♀(1991/12/19)・ジュリ♂(1988/5/31 ※国内最高齢です!)・ジュムリ♂(1996/1/6)

    長崎バイオパーク
    イム♂(4;マレーシア)・バルタム♀(5;マレーシア)・プルサ(2016/3/14)
    ジャム♂(2017.12.2)(※4/30更新 まーてぃ様より )

     

    横浜市繁殖センター」 原則非公開
    (規定日団体ツアーおよび特別公開日あり)
    ブレンディング♂(1996生;インドネシア)・ミミ♀(1993生;インドネシア)・ラジャ♂(2006生)・ハイジ♀(2013/8/14;安佐動物公園)・アタル♂(2014/8/16;多摩動物公園)

    ということで、13園33頭となりました。

    「あの子がいない」「この子は移動したはず」「年齢が違う」など、間違いがありましたら、ご指摘をお願いいたします。

    豆知識:マレーバクの黒い柄は、お腹で繋がっているよ!

    じゃ、また。各所でのイベントのもようなども、教えていただけたらうれしいです。

    ゴールデンウィークです。近くのバクに会いに行きましょう。

    (獏園)

     

     

     

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    Note of the note ノートの調べ ―No.119 釜名見煙の純粋空想ノート

    Posted on 01 4月 2018 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    No.119として、現代芸術家 釜名見煙さん(以下敬称略)のノートを検証する。

    出典


    図版1.『空想技術体系便概』釜名見煙 ばんぐ出版(1969年復刻版)

    釜名見煙のこと

    1900年(明治33年)4月23日 愛知県土岐郡市之倉村の鉄道技師の次男として生まれる。
    早稲田大学建築科に学ぶも1923年6月中退。


    図版2.学生生活を過ごした四谷の朱雀荘

    1923年(大正12年)9月1日関東大震災に遭遇。瓦礫の山と化した帝都に、「物質存在」の醜さを感じる。
    壺井繁治の知己を得て、萩原恭次郎創刊の詩誌「赤と黒」に一時参加するも、2年を待たず「白こそが爆弾である」と宣言し決別する。図面のトレースなどで生計をたてながら、「空想技術体系全20巻」の草稿に取組む。

    1924年(大正13年)『赤と黒』6月(号外)に掲載された「空想技術体系要綱」が、改造社 山本実彦の目に止まり、現代日本文学全集の「詩・評論」の巻に収録された。円本ブームにのって、多くの印税を手にした釜名見は、三重県鳥羽市の神島に「共想舎」を開設。美術工芸に勤しむ者たちと共同で自給自足生活を行いながら、1930年「空想技術体系全20巻」を脱稿する。

    図版3.神島での住居

    図版4.神島の共同宿舎

    その後、釜名見は「媒体に囚われない相関的全感覚芸術の行使」を提唱。全国を行脚し、住民らを巻き込んでの行使を行った。受け入れられるものも、排斥されるものも、騒乱罪などで捕縛されることもあったその行使は、約5年間で、800回に及んだ。(異説あり)

    1935年 福島の霊山町を通りかかったところで喀血し、山戸田の寺で養生をする。そこで、釜名見は全身を剃毛したり、薪を粉々になるまで彫ったり、書道で紙が真っ黒似なるまで筆でこすったりという奇妙な振る舞いを繰り返し、精神衰弱と診断され入院する。


    図版5.病院の中庭にて

    最期まで付き従った能面師の土師無明は、釜名見の入院中の様子を次のように伝えた。

    「縺れ合い、絡み合う無数の”意味可能体”が表層的”意味”の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相責めぎ、相戯れる。”無名”がいままさに”有名”に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節の狭間に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ」(引用1)

    1937年8月24日死去(享年37)

    釜名見煙のノート

    「かつて、素晴らしい才能がありながら、絵の具を作る技術がなかったばかりに埋もれて行った画家が数多く存在しました。表現されたものでしか、人は価値を判断する事ができません。それは枷です。私は、あらゆる人間が持っている空想を、絵とか音楽とか彫刻とかに束縛されることなく表現する術を明らかにしたいのです。(釜名見)」

    このような原理を打ち立てた釜名見煙は、行使に際して一切の習作を残していない。自画像もサインもない芸術家、それが釜名見煙である。したがって、以下に紹介するノートは、尋常小学校~早稲田大学、そして神島における『空想技術体系』のための研究ノートに尽きている。釜名見煙の主活動である行使(釜名見ナンバーズ)については、当時の地方新聞などから探すしかない。

    白磁への情熱(尋常小学校当時の研究ノート)


    図版6.白磁に関する研究 尋常小学校6年生「夏の自由課題」

    生まれ育った土地は陶芸がさかんな地域だった。そのなかで釜名見煙はとくに「磁器」に興味をしめし、透き通るような肌合いをもつ白磁のかけらを集めていたという。

    この白への執着は「空想技術体系」収蔵の「ネイトン二世 ―純粋空想と人工純白」論に結実する。

    付録「ネイトン二世(抄)」

    混血王(またの名を皮剥ぎ王ネイトン二世の逸話)
    「旧世紀の西大陸を白の恐怖で被い尽くした一人の王がいました。『混血王。ネイトン二世』です。彼はまたの名を「皮剥ぎ王」といいました。ネイトン二世は確かに王族の血を引いていたのですが、どういうわけか、鳶色の肌で産まれてきました。その為に、後継者争いは熾烈をきわめることとなりました。幼い頃、自分の肌の色から骨肉の争いを引き起こしたのだとのトラウマは、ネイトン二世に過剰なまでの白色愛好癖を植え付けたのです。
    白色の優位性を成文化した最初の王として、現在彼の名は歴史から黙殺されています。彼は白のために紡績、鉱工業、遺伝子学、医学、なめし工芸、博物学、芸術、特に絵画などの分野を厚く保護しました。しかし、本質的には恐怖政治だったといわれています。純粋な白を作ることが王の最大の命令であり、失敗には死を与えられたのです。それぞれの分野で様々な白が発見、生成され、その純度で等級が決定しました。医学の分野ではアルビノ種の研究、肌の漂白技術などが研究されました。もちろん、当時が第一次産業革命期に重なったことは、研究者や職工にとっては、ある意味で、幸せだったといえるでしょう。そんな中で、白でなくてはならないのに、白が作り出せない一つの分野がありました。
    王は、自分の身の回りを全て白で統一していました。自分の肌を隠すために、白い肌を持つ娘の皮を剥ぎ、衣服を作らせたという伝説もあります。全国から集められたえり抜きの美女、特に肌の美しい女たちと七日七夜に及ぶ宴を催し、娘達の中で酔いつぶれた者から順番に、生きながら皮を剥ぐのです。阿鼻叫喚が宴をいよいよ盛り上げて行き、白色大理石の鉱脈を磨きぬいて作られた地下室からは、血が溢れたといわれています。最高のなめし職人が皮をなめし、染みぬき、さらに漂白を施した人皮の衣類は、王の身体にあわせたまま縫い合わされていたといいます。
    それほどまでに白に執着した王が、歯がゆくてならなかったのが、「磁器」だったのです。
    現在の白磁が、ボーンチャイナと言い習わされている事はご存知でしょう。東の果てから、シルクロードを通って塩と共に交易されはじめたのが、この冷ややかな白い肌を持った白磁器でした。王はこの技術を盗み出そうと、密偵を送りこみ、さらに軍勢をしかけようとした程でした。しかし、隣国のストラビヌが、その外交手腕によってまんまとこの技術を輸入することに成功してしまったのです。ネイトン二世は、使者を遣わしてこの技術を手に入れようと試みました。しかし、ストラビヌはチャイナとの条約によって、『門外不出』を遵守し続けたのです。大陸において薄く硬質な白い肌は一大ブームとなりました。ネイトン二世は、諦めて、ストラビヌからの輸入で、欲望を満たせたでしょうか?
    王は、白馬に乗り、白い羽飾りをつけた甲冑に身を固めて、ストラビヌへ進攻したのです。王の肌はいかなる矢をも貫けないように加工を施された乙女の皮を纏っていたのです。五千からなる白馬の進攻。それは無謀な行軍でした。ストラビヌの首都までの辺境地帯には自然の要塞、ヌトラカン砂漠が横たわっているのです。ストラビヌ軍は、砂に潜んでそれを迎え撃ちました。激しい日差しの下でも、夜間でも、『白』は砂中艦からの格好の的となりました。王は、戦に望んでなお、白を捨てられなかったのです。迷彩を施したストラビヌの兵士達は、囲いの中の白色レグホンを捻るよりも容易く、王の軍を殲滅できたでしょう。王の甲冑は砕け、人皮は日に焼かれ、防護機能が停止していました。ネイトン二世は、このヌトラカン砂漠の中ほどで、全身を陽に焼かれ、褐色の塩に被われて息絶えたといわれています。今でもその塩の柱を見ることができるそうです。」

    大学時代の雑録帳

    建築設計を学ぶかたわら、釜名見煙は「雑録帳」とよばれるスクラップブックを作成している。学び始めたドイツ語を駆使して、自由奔放なイメージをコラージュしたものだ。


    図版7.scrap 01. 永遠


    図版8.scrap 02. 凝視

    図版9.scrap 3. 女たち

    空想技術体系の研究ノート

    全20巻索引1巻からなる『空想技術体系』は、1930年に発表された。羊皮紙に手彩色図版が添付され、限定13部。セット毎にナンバリングが施されている。釜名見の行使を「釜名見ナンバーズ」と呼ぶのは、このナンバリングのなごりだ。


    図版10. art and magic

    「体系」は、「第一巻 空想技術を紹介する」から始まり、最終巻「空想技術集団宣言」に至る間に、古今の文献や、芸術界、文芸界、音楽界、思想哲学界、宗教界、そして科学技術界、医学界までを包括し、空想技術を明晰に確立させ、既にありながらそれと意識されることなく無為に浪費されている空想技術に明確な構造を与えた、非常に難解な大著である。


    図版11. 南方熊楠往復書簡まとめ

    釜名見は南方の粘菌研究について、「物から存在へと突き抜けると「物質」とは存在の属性の一つであるということがわかる」と感心していたという。

    図版12. 曼荼羅

    釜名見煙は人間の欲望、煩悩と密接に関わりながら空想の純粋さについて論じる。宗教・科学を疎外的空想技術と見做しつつ各派がどの程度純粋空想を保持しているのかを研究した後、精神異常と空想、夢と空想、先端科学と空想、天才と空想など、あらゆる二項対比を行い、そのいづれもが純粋空想を堕落に導いたのだという事を論証しようとしている。


    図版13.脳と記憶

    空想はどこから生じるのか? 釜名見煙は哲学的方面のみならず、科学的見地からの検討を最重要とした。


    図版14. 脳細胞スケッチ

    「空想とは、それ自体が非常に掴みにくいものだ。したがって、様々な述語によって規定され、撤廃され、また確定され、廃止されるといった馬鹿げたことが繰り返されている。空想、想像、妄想、虚妄、空言、嘘、夢だとか、幻想だとか、様々な述語が用いられ、そのいづれもが少しずつ重なりながらも、別々の意味を表すという複雑な状況となった。しかし、これらは皆、同一の現象なのだ。では、何故このような区別をされなくてはならなかったのか。それは、この現象が引き起こす二次的な要素、またはその現象がみられる場所、時間などによる規定の仕方に過ぎない。(釜名見)」


    図版15.重力

    釜名見煙は、純粋空想そのものを説明するのではなく、反対概念を糾弾することで純粋空想を浮き彫りにしようとする。純粋空想は言語による規定をも否定するためだ。

    釜名見煙の芸術は、常に価値観の破壊をテーゼとし、それは最新の科学的知識、先端技術によって表現されてきた。第一作とされるエンサイクロペディアの発表は、知の破壊と再生を体言したいわば脱現代宣言だった。

    おわりに

    「その後発表された釜名見ナンバーズと呼ばれている一連の作品は、全て、見るものを二分してきました。すなわち、心酔する者と、嫌悪する者とに、です。釜名見は、時として駄々っ子のように現在の風潮や、大義をひっくり返そうと試みてきましたし、そのようにして成し遂げられた作品は、無視することを許さないリアリティを獲得していました。釜名見は現代美術最後の巨匠として、時代の推進力となり、かつ、時代の破壊神として君臨し続けていました。煙の凄さは、こうした状況をすべて、処女作品の「空想技術体系」で予言していたということです。今、この著作は散逸しており、この点については釜名見神話として語られているだけです。時代に対するアンチテーゼが釜名見の製作動機だったことは、いうまでもありません。ですから、自身が時代を造り出してしまっているというジレンマを解決するためには、釜名見は、つかみ取った地位を捨て去らねばならなかったのです。釜名見にとって時代はあまりにも軽く、むなしい物に見えたことでしょう。」(『季刊 几螺果巳』1969年12月「蘇る釜名見煙」号)

    釜名見煙という芸術家は、埋もれていました。

    死後30年余りたった1964年。ハイレッド・センターの赤瀬川原平らによって、釜名見煙は、ハプニング、アクション、イベント、といった芸術行動として再評価され、「訪問詩劇」、「回覧彫刻」など、寺山修司らによる天上桟敷の活動にも多大なる影響を与えることとなります。

    しかし、彼が解放したかった「純粋空想」は未だ、いやますます物質文明に縛り付けられているように感じるのです。

    「この世界の全てが、空想を堕落させている」釜名見煙

    以上

    ※052. ノートブックに○○を貼ってみる
    ※119. さて、エイプリルフールがやってきます。今年もエイプリルフール的記事を楽しみにしています★

    使用図版及び引用出典

    図版1.斎藤清『凝視』 1962年(昭和37)に文字を合成

    図版2.朱雀荘(四谷)「写真集失われた帝都東京」 柏書房 1991.1.10. p.333

    図版3.M邸外観(原宿) 「同上」p.277

    図版4.同潤会青山アパート 「同上」p.323

    図版5.宝塚大劇場庭園 「同上」p.58

    図版6.磁器について 「私物」

    図版7.8.9. scrap「今回のために作成」

    図版10.-15. 「私物」

    引用1『井筒俊彦』河出書房新社 p.62よ「言い難く豊かな沙漠の人」日野啓三より(『文化と言語アラヤ識』「意味の深みへ」井筒俊彦著 を抜粋)

    ネイトン二世(抄)創作

    (万愚)

     

     

     

     

     

     

     

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    トラベラーズノートのある風景 2018改訂版

    Posted on 17 3月 2018 by

    ※ 本記事は個人ブログ「ノートブックがない日々なんて」2016/09/23投稿記事を転載・加筆しています。

    旅するときはいつだって、トラベラーズノートを持って行く。

    オリジナルガイドブック代わりとして、道中の暇つぶし落書き帳として、
    旅先で見つけた紙モノアイテムのスクラップブックとして……。
    トラベラーズノートは、その名の通り旅先で大活躍してくれる。

    でも、旅先でトラベラーズノートが最も活躍する場面は、風景写真を撮るときかも。

    トラベラーズノートを風景に入れ込んで写真を撮る行為は、いわゆる“自撮り”の一種といえる。
    自分がその場にいたことを、トラベラーズノートを身代わりにして証明するのだ。

    いや、そこまでの強い想い入れは、実際のところ、ない。
    ただ知らぬ間に、旅の習慣になっているだけ。

    トラベラーズノートのある風景写真撮影歴は、もう7年くらいかしら。
    飽きっぽい性格なのに続いている、数少ないトラベルライフワークになっている。

    山にも、海にも、トラベラーズノート。



    ローカル線にも、トラベラーズノート。



    駅のホームで、トラベラーズノート。



    スタンド・バイ・ミー・トラベラーズノート。



    ご当地置き物 with トラベラーズノート。

    不格好なフォルムも傷だらけの革も、味。
    トラベラーズノートがない旅なんて、やっぱりどうしても考えられない。

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    Note of the note ―ノートの調べ  p.4 書かされる「日記」に関する一考察

    Posted on 25 2月 2018 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第四回目は 非常に興味深い本を読んだので、その一部をご紹介しつつ「日記」について考察する

    出典

    『日記文化から近代日本を問う ―人々はいかに書き、書かされ、書き遺しきたか』
    田中祐介 編 笠間書院 2017.12.25

    この本は、2016年9月17-18日の学際シンポジウム「近代日本の日記文化と自己表現」(於 明治学院大学白金校舎本館10階大会議室)での成果に基づくもので、①日記の内容 ②日記帳そのもののと、その生産流通普及 ③日記を書く行為 の三点を軸に展開する。

    私がとくに気になったのは副題の『書かされ』の部分だ。私たちは一体どこまで「書く事」に自由であろうか?

    日本の日記帳の始まり

    p.19

    日本で初めて日記帳を公に出版したのは大蔵省印刷局で1880年(明治13年)の「懐中日記」と「当用日記簿」だ。これ以降、民間会社も参入するが、「官製」にはかなわず、長らくシェアを独占する。

    博文館参入

    その牙城を崩したのは、1895年博文館の「懐中日記」だった。
    博文館の資料によれば、大蔵省印刷局の日記帳は、競合がなかったがゆえ、品質の低下を招いていた。そこで高品質&多様性を重視した博文館の日記帳に人気が集まったのだという。博文館の刊行から数年で、大蔵省印刷局は日記帳の発行を止めた。

    日記市場の隆盛

    日記帳は爆発的に売れ、その刊行数も飛躍的に増加した。
    当初は「当用日記簿」をはじめとする四十種類ほどであったものが、1931年(昭和6年)には172種類、その五年後1936年(昭和11年)には20社以上から300種類を超える多様な日記帳が発売されている。

    p.20

    多様化=規範化

    日記の選択は「自分は何者なのか」を問うことである。自意識、社会属性、教育段階、社会的立場、趣味嗜好を反映する以上、多様化が求められるのは当然といえるのかもしれない。
    しかし、それぞれの属性にふさわしい日記帳を使うとは、「規範化」されるということでもある。

    国民教育装置としての日記

    p.29

    この日記の執筆者は国民学校初等科五年生の女子である。彼女はいたって真面目な児童であったことが日記からうかがえるのであるが、この日の日記で激しく叱責される。彼女は「鉄拳を下された」ような衝撃を受けて落涙し、「真に頑張ろう」と決意を新たにしたと、後に記している。

    日記には何を書くべきなのか?

    「夏休みの日記」1932年7月27日(『近代日記コレクション』)にはある日記に対する教師の寸評として

    この文日記としては相応しからず。いくら文がよく出来ていても日記には日記文が必要。此の文、他人に見せることを予想している。日記は自分が見るもの」(出典書 p.26)

    と記している。

    国語教育が成立した1900年(明治33年)は、言文一致運動、写生文の流行もあり、教材として日記帳簿が盛り込まれている。そこでは、「ありのまま」を「素直」に書き記すことを求められ、「自分しか見ないものであるのだから、一切の隠し立てをすべきではない」とされた。実際には教師に提出を義務づけられているにもかかわらずだ。そして、教師(国家)が考える「らしさ」を逸脱する記載があれば、日記指導はそのまま生活指導に直結したのである。

    「日記は、その日その日の生活表現摘要であり、備忘録であり、生活反省であり、自照文学でなければならない。教師にとっては、日記の形態による生活表現を錬成するとともに、それを通して児童の個的生活を理解し生活指導の重要な機会を把へることになる。あくまでも綴方教育は表現指導を通した生活指導に生きなければならない」
    滑川道夫『生活形象綴方教育の実践構築』弘文堂 1935  p.189(出典書 p.90)

    こうした「日記」の傾向は軍隊においてさらに顕著である。

    軍隊日記

    p.33

    この前日の日記を彼は途中で書けなくなってしまった。そこで上官は「何デモ記スンダ恐ルルナ」と書き込んでいるのである。「自己の内面の不調は軍隊生活において秘匿すべきではなく、素直に告白して上官に知らしめなければならない」

    だが翌月2月14日、彼は日記本文を書けなかった。それに対して上官は「日誌ヲ怠タル様ナ事デハ駄目ダ」と叱責する。

    日記を綴らないことがなぜ、駄目なのか? ドナルド・キーンは米軍においては敵への情報流出を危惧して、日記は禁じられていたという。
    日本においては、学生が日記を書くことを義務付けられているのと同じように、軍隊においても日記は義務であった。それは定期的に上官の「検閲」を受け、朱書きの激励や注意を、自らの糧としてありがたく吸収した。という。

    何も書かないことは逸脱であり、本心を書いてそれが軍隊精神に反していればそれもまた逸脱として矯正される。まして、「嘘」を書けばそれは逸脱を通り越して反抗とみなされたであろう。

    日記教育

    p.61

    これは、内藤半月堂(1972年(明治5年)創業)の市販の日記帳であるが、学校名が印字されている。1895年はまだ博文館も小学生用日記は刊行してない。

    p.65

    まことに小学生らしく、放課後の遊びや、厳格な父親のエピソードにあふれた日記だ。一つ一つのエピソードに教師は褒め、注意喚起し、叱咤激励するのであるが、その内容は全て「生活指導」といえるものばかりである。

    子供は褒められればうれしい。褒められるために、求められる児童像に自らを重ね合わせようとするのは自然なことであった。それは反復され「規範」は内面化されていく。教育現場では日記はそのように用いられていたのである。

    炎上する日誌

    最後にキリスト教主義の「忠愛寮」の「忠愛寮日誌」を紹介する。本来は寮生による朝の礼拝の記録だったが、そこには生徒たちの信仰に対する赤裸々な告白を真面目に記すことが求められた。

    日記は「私的・内面」記述であり、日誌は「公的・事実」記録であるとするなら、「忠愛寮日誌」は後者のはずであった。だが、この日誌の興味深い点は、みんなが書く(読む)ところに私的感想を記したところにある。そして、その記述について、欄外に、他の寮生が忌憚ない意見、感想を追記するという特異な状況となったのである。

    p.183

    執筆者の信仰に対する持論と、欄外の批判。

    p.183

    執筆態度に不真面目なところを見出し、批判が書き込まれ、激した言葉の応酬となる。

    P.186

    炎上状態。

    この日誌の最後のページ近く(1946年(昭和21年)3月18日)には、

    此の礼拝日誌も将に終わらんとしている。此の一冊は学生諸君の真心のほとばしりだ。愛惜に堪えない。と同時に自分がその中にあってゐた徒に頁を汚したのではないかとそれを恐れ愧じる。(中略)この一冊は寮と共に永く残る。寮の宝である。此の日記が使はれなくなった後も、時に取り出して振返って見たい。今朝の自分の空疎な祈り、まだまだ勉強が足りない。充実した熱い祈りを祈りたい。(p.192)

    とある。

    おわりに

    私たちは「書く」者である。だが、「書く」者として生まれついたわけではなく、自然に「書く」者になったわけでもない。私たちはなぜ、書くのか。いかにして書くのか。それは「書かされている」のではないのか。そんなことを常に自問しながら、ノートと向き合い、ペンを持ちたいと考えている。

    今回紹介したのは全560ページの内のほんの僅かな部分でしかない。「日記」に関しては、今後も機会があれば取り上げたいと思う。

     

     

     

     

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    2017年の手帳考察:アクションプランナー原点回帰

    Posted on 23 2月 2018 by

    ※ 本記事は個人ブログ「ノートブックがない日々なんて」2016/12/30投稿記事を転載・加筆しています。

    2016年も残りわずかではないか!はは、はやい……。
    気を取り直して、本日は2017年メインの手帳について記事を書く。

    2017年メインの手帳は、コレに決めた。
    アクションプランナー(イー・ウーマン)

    アクションプランナーが気に入っている理由は、
    「時間配分が見えやすい週間バーチカル」 かつ 「1週間すべて同じ大きさの時間枠」

    アクションプランナー以前に使っていた手帳はバーチカルだったものの、
    日曜日の枠だけ小さくなっていた。
    日曜日のスペースが小さい=休みの日曜日って価値が小さいんじゃないの心理が働き、
    仕事が忙しくなるほど、手帳を開く時間がすこし悲しくなる問題が発生。

    アクションプランナーは3年前から使い始めている。
    職種が変わった影響で途中何度か手帳チェンジを試みたが、
    結局のところ、アクションプランナーに戻るものだ。

    しかし、アクションプランナーに戻っても時間管理がうまく行っている気がしない……。
    様々な手帳術を自分流に取り込みたがる、ノート好きの悪い癖が出てしまうのだ。
    結果として変にオリジナリティーを出しすぎて、手帳内は混沌としていた。

    【手帳内混沌現象の一例】
    ・4色ボールペンで書き分けた結果、ページ全体がごちゃついて見づらい
    ・予定変更があったとき、変更前の記述を修正テープで消すのが面倒
    ・修正テープで消した上に極細ボールペンで書くと、テープが削れてスムーズに書けない
    ・付箋やメモなどの紙モノを貼りすぎて手帳が膨らむ&重くなる

    1冊の手帳でなんでもまかなおうとした結果、なんにもうまく使えない事態になっていた。
    アクションプランナーのフォーマットはすっかり目に馴染んできたので
    2017年も継続して使いたいのだけど……

    とまぁ、たかだかメイン手帳を決める(というか、結局継続になる)だけなのに
    甚だ面倒な考察を重ね、ある結論に至った。

    「2017年、アクションプランナー原点回帰」

    あれこれ凝った使い方が結局機能しなくなったのだから、
    ここは一旦、「自分なりの工夫(どや顔キラリ)」なるものをすべて捨てて
    アクションプランナーが推奨する使い方に忠実になってみよう、と決めたのである。

    そうと決まれば、原点を知る必要がある。
    アクションプランナーを使った時間管理術を学ぶべく、
    佐々木かをりさんの「自分を予約する “実践” 時間管理術 in表参道」に行ってきた。

    一応、アクションプランナーの使い方の基本はこれまでも守っていたつもり。
    でも佐々木さんのお話を聴くと、時間管理の考え方を修正したうえで
    手帳の使い方も変えるべき(っていうより、すぐに変えるわ!)と感じた。


    お話を聴いて再確認した時間管理の考え方&具体的な使い方は、次の3つ。
    1.手帳は人生の脚本である。自分の人生の主役は自分。
     →なので、アクションプランナーには「自分の行動」を書く。
     他の人の行動は、自分の行動に本当に関係ある場合にだけ書く。
     自分のライフログや思いつきメモは、アクションプランナー外に書く。

    2.自分の時間は自分で予約する
     →なので、希望的予定(○月頃に××に行きたい、など)もシャープペンで先に仮記入しておく。
     日程が具体的に決まっていなくても、大まかにやりたい時期を書くことで
     その実現に向けて考える機会が増える。実現に向けて細かい予定も考えられる。

    3.時間を大切に。時間は守る。
     →なので、アクションプランナーに書く文字は丁寧に。
     きれいな文字で手帳に書けば、視覚で感じる時間の流れが少しは穏やかになる。
     せめてアクションプランナーの中だけでも、時間のせわしなさから解放されたい。

    上記3点を受けて、私はアクションプランナーの使い方を一気にシンプルに戻した。
    11月28日から始まる2017年版から実践しているが、今のところ無理なく使えている。
    そりゃそうだ。ルールや手帳周りのアイテムが減った分、使い方がシンプルになったのだから。

    【時間管理術セミナーを受けて変更した、2017アクションプランナーの使い方】
    1.HI-TEC C Coleto Lumio(カスタム多色ボールペン)のリフィルを替える
    ブルーブラック0.3、グリーン0.3、チェリーピンク0.3、オレンジ0.3
     → ブルーブラック0.3、オレンジ0.3、シャープユニット0.5、消しゴムユニット
    日程が決まっていない予定や先々にやっておきたい仮の予定は、シャープペンで記入する。
    消しゴムユニットも入れているので、すぐ消して常に手帳をすっきり使える。
    確定した予定はブルーブラックで、業務時間実績はオレンジ記入。

    2.振り返り、日記的メモは“書かない”
    アクションプランナーには予定と実績のみ書く。振り返りや日記的メモは別の手帳に書く。
    これだけで手帳の文字量がググッと減り、結果としてシンプルで読みやすい手帳ページになった。

    3.文字を丁寧に書く
    急いで書いたところで、結果として差がつくのは数秒に過ぎない。
    数秒急いで雑な文字を手帳に残すくらいなら、
    丁寧な文字を書く数秒間を積み重ねて、いつ見ても読みやすい手帳に整えておきたいものだ。
    まだ急いだ文字を書いてしまうことがあるので、まだまだ丁寧さを意識して書かないとなぁ。



    2017年のメイン手帳は、原点回帰ベースで使うアクションプランナーになった。
    もしまだ手帳の使い方に悩んでいる方がいたら、
    いったん自己流を捨てて、その手帳が推奨する使い方を試してみてはどうだろう。

    余計なお飾りがなくなり、手帳と一緒に使う文具の使い方の不満も消えて、
    手帳も心もすっきりシンプルに、時間管理ができるようになる……はず。

    ※2018/02/23現在、ジブン手帳Bizに変えました。
     でも手帳との付き合い方は、アクションプランナーを使って学んだことが基礎となって活きています。

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    Note of the note ―ノートの調べ p.3 南方熊楠さんの縁起するノート

    Posted on 28 1月 2018 by

    はじめに

    南方熊楠について語ることは、つねに多くの事を語り落とすこと、に他ならない。だが、彼の「知性」は「粘度をもつ全体性」としてあり、微細なことについても、広大なことについても、その「全体」が密接な連関をもって蠢くことによって、最適解を構成する。部分=全体。いや、「部分などというものが存在しない知」こそが、彼の知性なのだ。だからこそ、私がこのように紹介する資料の一つ一つにも、南方熊楠という巨人の全貌が映し出されているはずだ。そう信じなければ、南方熊楠を語るなどという大それたことに手を付けることなど不可能だから。

    1.「ロンドン抜書帳」と熊楠愛用の机

    (下掲書 p.31)

    大英博物館にある読書室。そこは四百席を一堂におさめる大ドームだ。熊楠は、1895年4月に、この読書室での正規閲覧許可を得た。この許可は、通常のルートで得たものではなく、熊楠の博物多識を目に止めた博物館の一要人の知己を得たことによる、”特別入口”ともいえるものであった。

    熊楠は500冊の書から十数ヶ国語を駆使し、写真にあるような分厚い抜書ノート53冊をものにした。このノートには、単に抜書のみではなく、部分訳や注釈と思われる書き込みもなされており、読むそばから、自らの「知」を拡張していったことがうかがえる。(下掲書 牧田健史  p.24 を参考とした)

    出典

    『太陽』1990.11. No352

    ※南方マンダラについては、『森のバロック』中沢新一 せりか書房 より 抜粋した

    2.原稿腹構(珍事評論?)

    (同書 p.18)

    ロンドン時代に制作した新聞のための原稿用腹構か? 原稿用紙である必然性を完全に失った使い方だ。このカオスとしか見えない記法が、熊楠の「知性」をすっきりと整理し、新たな「知識(秩序)」をもたらすのであろう。原初の混沌がカオスではなくカオスモスであるならば、それは蓋をあけるまえの量子もつれ状態にも似た、全知全能の位相に近似しているのではないだろうか。

    3.菌類彩色図譜

    熊楠は顕微鏡を覗きながら画用紙に鉛筆で輪郭をとり、ていねいに彩色をほどこしていった。図譜は数千点に及ぶ。(同書 p.10)

    (同書 p.21)

    4.「十二支考」腹構

    (同書 pp.22-23)

    雑誌「太陽」に「十二支考」を書くにあたって、新聞紙の刷り出しの裏面で構想(腹構)を練った。
    錯綜する言葉の地図? いや、これこそ、熊楠という「知」にとっての明晰な航路図なのである。

    5.書簡

    熊楠は手紙好きだった。一日のほとんどをキノコや藻、粘菌などの顕微鏡での観察に費やすため、めったに外に出ることがない。それで同じ町内の人にさえ手紙を書いて持たせる。まして遠くに住む人には用件を思い出すたびに手紙を書く。朝・昼・夜と一日に同じ人に三通の手紙というのも珍しくない。いったい一生に書いた手紙は何万通になるのか…… (同書 p.26 中瀬喜陽)

    (同書 p.26)

    6.日記

    筆まめに日記をつける。その日にあったこと、読んだ本。聞いた話。つまりはライフログである。記述は簡素で、箇条書きに近い。

    (同書 p.63)

    7.南方マンダラ(この項のみ『森のバロック』より)

    明治26年10月31日夜。ロンドン滞在2年目の熊楠は、若き真言僧土宜法竜に出会う。西欧科学のシステムによる限界を看破し、別の「知」を模索していた熊楠は、彼と意気投合し、彼がパリへ発つ11/4まで、毎日論議を繰り返した。その後は長大な往復書簡(23通が現存)によるやりとりがなされ、「南方マンダラ」といわれる「存在の理」の思想が明らかになったのだった。

    「南方マンダラ」その1

    このいたずら書きのような線に意味はない。くしゃくしゃとしたいたずら書きであれば、どのようなものでも、南方マンダラのガイドとなりうる。つまり、これはマンダラそのものではなく、「諸不思議」をつなぐ「すじみち」の可能性を示したものである。

    南方マンダラ その2

    因果は絶えず、大日は常在なり。心に受けたる早晩より時を生ず。大日に取りては現在あるのみ。過去、未来一切なし。人間の見様と大きく反す。空間また然り。故に今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みはあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、諸因果結体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。

    さいごに

    繰り返し繰り返し通いたいノートである。

     

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    方眼-無地論争 再考

    Posted on 13 12月 2017 by

    なるほど確かに,人々はこの論争について「なんと不毛なことだろう」というだろう好きな方を選べばいいじゃないか,というだろう.

    しかし,”好きな方を選べばいい”というのは,問題を解決する方法としてはあまりにも醜い.ある種の”諦め”すら感じてしまう.(とかいいながら僕も多用するけれども!)

    そもそも,このことについて論じようとしている時点で,僕は方眼/無地の好きな方を選ぶことができていないわけである.つまり,”好きな方を選べばいいじゃない”という助言は,僕にとっては無効なのだ.好きだという一時の感情に身を任せることはできない.僕がそうだということは,僕に少し似ているような人は,同じように感じていることだろう.

    というわけで,方眼-無地のどちらがより優れているのか.今しばし,考えてみる必要が生じるわけである.

    ※罫線は個人的に苦手なので,ここでは省かれております.しかし,罫線一択の人にとってはそもそもこの論争自体が不問でしょう.

     

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    Note of the note ―ノートの調べ  p.2 澁澤龍彥さんの創作ノート

    Posted on 03 12月 2017 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第二回目は 澁澤龍彥さんの「創作ノート」を堪能する。

    出典

    KAWADE夢ムック「総特集 澁澤龍彦 ユートピアふたたび」2002年5月 河出書房新社 定価1143円

    澁澤龍彥さんについて

    1928年(昭和3年)5月8日 生

    昭和16年。東京都立第五中学校に入学する。「背広にネクタイというスマートな制服にあこがれて入学したのに、この年から、全国の中学校の制服はカーキ色(当時は国防色と言った!)の国民服と戦闘帽に統一され、がっかりする。四年間の中学の成績も優等で、英語は好きだったし、歴史のような暗記物は最も得意の領分だった。」八月の夏休みは父や母の郷里で「昆虫採集や標本つくりに熱中する。このころ動物図鑑が私の枕頭の書であった。」(『自作年譜』)

    昭和19年。「(前略)このころ神田や本郷の古書店街には読むべき本はなく、私はチベットや蒙古関係の本を苦心して集めていた。いまだに冒険小説や魔境小説の夢を追っていたのである。」(同前)

    昭和22年。「ジイドを読み、その汎神論ふうな快楽主義に共感。さらにコクトーを読み、その軽業師ふうの危険な生き方に強く惹かれる。倫理の問題とスタイルの問題とが、いつも頭の中で一緒になっていた。倫理はスタイルであり、スタイルは倫理であった。戦後文学は頭から馬鹿にしていて、ほとんど読まなかった。」(同前)

    昭和26年。「シュルレアリスムに熱中し、やがてサドの存在の大きさを知り、自分の進むべき方向がぼんやりと見えてきたように思う。」(同前)

    昭和28年。「三月、東大を卒業。(中略)卒業しても就職口はなく、白百合女学院の女の子の家庭教師などをやりながら、相変わらずぶらぶら遊び暮らしていた。それでもコクトーの『大胯びらき』の翻訳は、この年に終わっていたはずである。」(同前)

    昭和29年(1954年)白水社で最初の訳書『大跨びらき』(ジャン・コクトー)を上梓、初めて筆名「澁澤龍彦」を用いた。(wikipedia)

    入院生活の最中も『高丘親王航海記』を書き継ぎ脱稿、次作『玉蟲物語』を構想していたが、1987年8月に、病床で読書中に頚動脈瘤の破裂により逝去した。享年59。戒名は、文光院彩雲道龍居士。(wikipedia)

    三島は澁澤について、「珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、頽廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がゐなかつたら、日本はどんなに淋しい国になるだらう」[4]と述べている。(wikipedia )
    [4]三島由紀夫『澁澤龍彦氏のこと』(澁澤龍彦『快楽主義の哲学』 光文社カッパブックス、初版1965年)でのカバー紹介)

    図版と考察

    1.引用文献の羅列=未知の本のインデキスとしてのノート

    テーマが文献を召還し、文献がテーマを要求する。氏はその中間に立ち、采配をふるう。

    だが、これら該博な知識の全てはオブジェとして扱われ、氏のギリギリを飛び退っていく。

    2.象嵌ヲスケッチスル=アンソロジストのノート

    イマジナルに連結される次元。文献や故事が呼び合うかぼそい声を氏は聞き逃さない。

    継接ぎ世界は平滑だ。これら創作ノート上に辛うじて糊代が見受けられるのみである。

    3.ユートピア創造=幻想美を彫琢するノート

    徹底的に覚めているのか。徹底的に夢想しているのか。地理や時代は何の隔たりにもならない。

    理想郷…… だが、誰の? 歴史はけっして美しくない。世界はけっしてあからさまではない。美しくあからさまな楽園、メルヒェンの恥部に分け入るための地図。

    まとめ ―マルジナリア

    欄外の余白(マルジナリア)鏤刻の小宇宙
    強靭な思考力と該博の知識による、マルジナリア(欄外の余白に嵌め込まれた書き込み)の絢爛たる鏤刻の小宇宙・―エドガー・ポーのひそみにならい書き継がれた多彩な断章の集積が、いま異色の読書ノートとして顕現する卓抜なエッセイ集。
    著者晩年の雑文集にて、映画「E・T」への考察、作家・石川淳への言及等、多彩な「マリジナリア」が、読書録として纏められている(小学館による書籍内容説明文)

    理知美の魔崖に半ばはみ出したデッキチェアー上で、ゆうゆうとバスローブなんぞをはだけ、時折、式神を召還したり、凝った魔方陣を夢現に描いたりして、時間を空虚で押し固めたかのごときオブジェを虚空から取り出し並べて悦に入る。水平線彼方の蜃気楼のたわわなる実を、何食わぬ顔して摘んでは咽喉へ納める。最上の快楽とは固く尖ったものか? それとも柔らかく滑らかなものか?
    澁澤氏の博学はデカダンの緞帳をサラサラと流れる光の粒子のように、氏の周辺を流れて行く。

    訪れたいノートである。

    (愉悦)

    おまけ 11月のマンスリー絵日記

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    スプレッド/形式の諸問題(バレットジャーナル考)

    Posted on 29 10月 2017 by

    ※記事二本分まとめてみました

    スプレッド

    ノートという場に広げる 断片の時間

    ひとつひとつをまさぐる だけでなく
    ひとつひとつをひとつに 編み上げる
    時間を空間に移しかえて 展開させる
    最適化効率化有用化して 時間に返す

    ケルト十字 スプレッド

    人は時間に生きるに非ず 空間に在る
    ノートという広場でこそ 人は自在だ

    (読解)

     

    形式の諸問題(バレットジャーナル考)

    こだわったとたん、その形式に縛られたことになるからだ。縛られてはいけない。さまざまな形式を、例えば音符のように使いこなさなければいけない。音符のように、自在に組み合わせることが出来なければ、形式の意味はない。(後藤明生 『この人を見よ』p.184 幻戯書房 2012年8月12日 初版)

    1.PoIC(Pile of Index Card)

    GTD(Getting Things Done)という方法が日本の情報カードと出会って生まれた方式。詳しくはこちらを
     PoIC : 情報カードの積み重ね(2007年9月7日 Hawkexpress) http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/poic/0001

    もともと、GTDは、日々のタスクをいかに効率的に処理していくかを追求した方法論でした。従って「何かを蓄積していく」というタイプのものではなかったのです。
    一方、日本に根付いていた「情報カード」術は、日々の気づきを蓄積しておいて、必要に応じてそれらを取り出し、並べ替え、新たな気付きを見出そう、というものであり、効率的なタスク処理のためには、別の方式の導入が必要でした。
    タスクは、時系列順に並べられるべきであり、未処理のタスクは次々と相応の未来へ送っていかねばなりません。また同時に、締め切りを厳守しなければならないものについては、リマインダー機能が必要不可欠です。

    2.デジタルとアナログ


    PoICをEBT light for zaurus上で運用するためのスタディ(2013年8月)

    ノートとペンによる方法と、電子端末でソフトウェアによって運用する方法との、最も大きな差は、「一覧性」であり、これは「検索性」と「リマインダー機能」に現れると思います。
    GTDでは、カレンダーという(紙的)フォルダがあり、締め切りがあるタスクについてはそこで一括管理します。これは、卓上カレンダーなどへ「転記」することによって、一覧性(リマインダー機能)を補完します。
    PoICにおいては、このカレンダー機能が実装されていなかったため(原則として全てはカード作成の時系列順)、なんらかの、カレンダー的ドックを導入することになります。

    参考1 Re:PoIC~ライフハッカーのためのPoIC入門 第4回 GTDとPoIC~相補完する思考第4回(2008年3月13日 野ざらし亭)http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/re-poic/0004?page=2
    参考2 Poic マニュアル v3.5 http://pileofindexcards.org/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 より「43TABの実装について」

    これらをデジタルで行う場合には、以下のソフトが有用でした。

    PoIC+43Tab風運用→EBT light for zaurus  http://seesaawiki.jp/irrational/
    GTD(リマインダー機能)+PoIC→howm for linux  https://howm.osdn.jp/index-j.html

    しかし、現在はほとんど活用できていません。やはり、ノートとペンという方法には、汎用性と安心感があるのです。(バッテリー問題や、端末への依存度に不自由を感じてしまいます)

    3.マーク(バレット)と転記による補完

    では、アナログ派は「検索性」「一覧性」「リマインダー機能」をどのように補完すればよいでしょうか?
    参考 100円ノートの「超メモ術」 http://www.kirari.com/amz/note/

    バレットジャーナル

    最近バレットジャーナルがシェアを広げているようです。これは、タスク特化型の方式として、カード運用されていたGTDをノート上で運用する方法論の一つだと思います。

    『「ラピッドロギング」では、バレットを用いて箇条書きしていきます。箇条書きの各項目は全て、客観的な短文で描いて下さい。』
    (バレットジャーナル公式サイト「入門ガイド」日本語訳 2017年07月28日 2017年08月22日)http://bujo-seikatsu.com/2017/07/28/getting-started/

    GTDでは、気になることを書き出したら、それらひとつひとつを、実現可能な小さいタスクに分解してから「整理」する(各処理へ振り分ける)ことになっています。
    参考:はじめてのGTD 田口元 ITmedia  http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0606/27/news003.html

     


    GTDが定める厳格なフローチャートのスタディ(2013年8月)

    GTDではこれらのタスクをいくつかのフォルダに分類し、処理した後、定期的に「収集」という方法によって進捗状況を更新します。
    一方、ノート上で完結させるバレットジャーナルでは、各バレットに付加する・×(完了タスク)、・>(移動タスク)、・<追加タスク、などの記号と、これらの「見返し」による「転記」によって、この処理を実現します。
    カード式とデジタル式には不要で、ノート式の場合に必要となるのが、この「転記」作業です(「インデックスページ」の準備も、ここに含まれます)。

    これを手間ととるか、「一覧性(銘記性)」と「リマインダー機能」の強化作業ととるかで、好みが分かれるのだと思います。

    4.「タスクの書き出し」こそが最大のポイント

    GTDにおいて、もっとも重要なものは、「収集」で、今頭の中にあることを、週に一回、1時間以上かけて100個位は書き出すことが推奨されています。そのための「トリガー」も用意されており、とにかく、頭の中のもやもやを空っぽにすることが第一の目的なのです。
    タスクの効率的実行を目的とするバレットジャーナルの「基本マニュアル」では、この工程が弱い気がしました。タスクとなる以前の塊を広げる場が、用意されていないからです。

    イベントは、例えば「チャーリーの誕生日」や「リースの契約日」など、日付が重要となる項目で「○」で表します。イベントは、ラピッドロギングが可能になるように客観的&手短かに書かなくてはいけません。それがどんなに主観的・感情的で厄介なことでもです。もしそのイベントについて詳しく書きたいのなら、別ページに好きなだけ書いてください。ここではあくまでも「ラピッドロギング」方式でシンプルに書きます。(同上 バレットジャーナル公式サイト「入門ガイド」日本語訳)

    GTDでは、「収集」した項目を、「整理」する過程で、「タスクの細分化」と「タスクの性質の判断」を同時に行わなければならない点がネックとされています。

    その点、バレットジャーナルは、いきなり「整理」から始まっているように思われ、その根本となる「箇条書きすべき内容」を確定すること自体に、困難を感じるように思います。
    もちろん、バレットジャーナルでは、無数のモジュールが可能なので、GTDにおける「収集」的モジュールを、別の場に設けることで、解消できるでしょう。

    5.アイデアの収集と蒐集

    PoICは、「収集内容を情報カードとしての蓄積」します。日々の気づきも重要ですが、集中的に行いたい場合に強力な「トリガー」となるのは、ブレインストーミングの諸方法、「マインドマップ」や「マンダラート」といった、発想法などです。

    情報は蓄積され、相互に関連付けられた時に「知識」となります。

    前述したEBT lightの、「無階層の双方向リンク機能」や、howmの往復リンク+wikiタイプリンク機能は、作者さんの「知識」に関する深い洞察によって組込まれたものです。

    ブックタイプのインターフェイスでこの機能を担うのはさしずめ「索引」でしょうか。しかし、この機能をアナログノートで実装するのはひじょうに困難です。

    日付、ページ数、行番号などの記載を徹底化し、>>や、<<や、==などの記号欄をもうけ、その内容を「索引ページ」に記していく。それはまさに、「私家版ビブリオマシーン」の制作といえるでしょう。

    書いたことを覚えておけばいい、というのでは、頭を空っぽにした意味がありません。

    一覧機能やリマイド機能や索引機能。これらはみな、「検索」にかかわるテーマです。ノートの検索性の向上する形式とは何か?これは今後も課題でありつづけるのではないかと思います。

    参考 MIDORI検索ノート http://文房具大図鑑.com/note/midori-kensaku-note/

    (前略)こだわらないための形式。縛られないための形式。その矛盾こそ自由だからである。その自己矛盾こそ、そもそも形式というものだからである。(同前書 p.195)

     

    おまけ(2013年のトラベラーズノート)

    1)今回掲載した2013年のトラベラーズノートの図版では、ジェットストリーム0.7をメインに使っていた。時間がたつと、ページ全体が油紙のようになり、裏抜けは致命的となる。
    2)当時の利用状況としては、余白もおおく、横書きメインで使用していた。PoICを導入しようとしていて、タイムスタンプと、PoIcマークを義務付けていた。この後から、「リンク記号」を赤のuni signo 0.28で書き込んだりしている。
    3)ノートの読み返しは、頻繁に行っており、EBT light や、howmへの入力(転記)も積極的に行って、全文検索などによる検証を繰り返していた。

     

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    Note of the note ―ノートの調べ p.1 高山宏さんのコンポジション

    Posted on 15 10月 2017 by

    はじめに

    「Note of the note -ノートの調べ」 と題し今回から始める不定期シリーズ。
    このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

    第一回目は 高山宏さんの「コンポジション」を堪能する。

    出典について

    出典「ブック・カーニバル」
    1995年7月1日初版。自由国民社。6,800円

    コンポジション掲載ページは以下の通り ※副題は筆者
    pp.44-99 ビブリオマシーン
    pp.268-284 ダッシュアウト(さっさとメモ)
    pp.698-714 ラインの発動
    pp.1069-1092 コラージュのハンドアウト(配布教材)

    高山宏さんについて

    1947年10月生。時空を隔てた書籍の膨大な知を、全てをインデックス化する(ビブリオマシーン)ことで、一冊の書物となす博覧強記の人。
    澁澤龍彦さん(1925..5)、種村季弘さん(1933.3)、由良君美さん(1929.2)、に耽溺し、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』と『文学におけるマニエリスム』をバイブルに、マニエリスムを体現。
    東京大学教養学部助手の2年間で、同大学英語科書架にある約5万冊の閉架蔵書を検索する「カード検索システム」を作成。人名、キーワード、などで関連書籍を芋づる式に引くことを可能とし、ここに、5万冊を一冊の書物と成す。この、厚さ70センチメートルを超えるカード束を「ビブリオマシーン」と呼ぶ。

    『もはや一冊一冊の内容には興味がない。それらの相互の生成関係、エリオットが「伝統」、フライが「トポス」と呼んだものにしか関心がわかなかった』(『ブック・カーニバル』p.38)

    図版と考察

    1.『「コンポジション」と称して、喋ったり書いたりする内容を事前の10分前くらいにダッシュアウト(さっさとメモ)する。(同書 pp.268-269)

    あまりにも膨大な知識は自在に流動し、常に新たな地平を生み出す。講義や打ち合わせ、対談などのアウトプットの際も、その流動は留まることはないため、つねに制限時間との闘いとなる。そこで、事前に、本日の地平をマッピングしておくことで、脱線を制限する。それが、これらのコンポジションである。

    2.『遅刻で有名なのは、レクチャー前にこういうのをつくりだして結構夢中になるからである』(同書 pp.278-279)

    アウトプットするたびに、新たな発見がある。その発見が新たな繋がりをもたらし、地殻変動を起こす。そのとき、地を割って現れる帝国であったり、湖の底から出現する未来文明だったりの第一発見者となれるのだ。夢中にならないわけはない。知性は貪欲で留まることはない。それはつまり、「分断」に「抗うこと」なのではないか。

    3.『何かを何かにつなぐ「線」の乱舞は、相手を説得しようとしている時によく生じる』(同書 pp.1070-1071)

    点のように穿たれる「分断された知識」。だが、それらは常に別の知識とリンクすることを求めている。全体性への回帰。しかし、部分は全体の一部ではない。したがって、こうした全体性は常に「今、ここに出現する砂の書物」として、揺らいでいる。

    4.『縦軸から横軸への自由な交流』(同書 pp.1080-1081)

    時間を縦軸とするラインが、地理的、または分野的隔たりによって複数の柱を成す。それらの関係性をつなぐ横のラインが、格子状に世界を覆っていく。そして、突如として現れる斜めのラインこそ、高山氏流、脱線おしゃべりラインである。発見はつねにナナメの動き(クリナメン)によって生成される。

    まとめ

    書くほどに広がる博学のマトリクス。その場限りの気合によって現れる再現不能な砂の書。知性は観念連想によってリンクし、プレートテクトニクス理論を展開する。

    『人生でさえ、痛みでさえ、いつでもチャート化できるのだ』(同書 p.1079)

    コンポジションに共通する特性は、「スピード」である。書いているうちに頭脳のなかの観念の奔出に、手が追いつかなくなり、文章はキーワード、そしてチャートへと変化していく。今このときでなければ解読不能な思考経路。

    既成の重力を振り切るための速度を得て、知性はあらゆる制限を超えて広がっていく。そして、その軌跡を生成記録するのが、高山宏さんのコンポジションだと思う。

    書きたいノートである。(以上)

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    Notebookersどうでしょう?

    Posted on 20 8月 2017 by

    職業として日本語を教えている.そこで,新聞の”投書”を扱うことになった.出来れば,受講生で投稿して,採用され,掲載されると彼(女)らも嬉しいだろう.

    しかし,そこで必要になるのは,日々の地道な観察と,思考と,再考と,そして粘り強く投稿する繰り返しの力である.

    それをどのように”教える”のか.はたして,教えられるのか.

    Continue Reading

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    【机上で行われる行為】 #01 ボードゲーム

    Posted on 04 6月 2017 by

    最近、とある本を読んでいて面白いなぁと思ったのは、「だるまさんがころんだ」をさらに面白くしてみるという内容だった。
    まず「だるまさんがころんだ」の曖昧な部分となっているルールを指摘していた。

    【問題点】
    ①終了条件が曖昧になっているため、繰り返し行われる際に飽きてしまう点
    ②鬼にタッチをした担当者に対する「小さなごほうび」が用意されていない点
    ③大股〇歩、小股〇歩と、子が鬼の歩数を  指定するところ(つまり、子から鬼に条件を与えるためタッチすることができないことがある)

    【解決方法】
    ①全員が鬼をプレイしたら終了。もしくは特定のポイントをクリアした際に終了とする。
    ②ポイント制にする。子は鬼にタッチをした際に1ポイント、鬼は決められた歩数で子にタッチができた場合1ポイント。
    もしくは全員を捕まえることができたら数ポイントなど鬼に大量得点のルールを与えるのも面白い。
    ③鬼の歩ける特定の歩数を「大股10歩、小股20歩」と予め決めておく。

    アレックス・ランドルフの 「すべての遊びは進化の途中であり、進化の連続から新しいゲームが誕生する」 ということばで締められていた。こういうの、読んでいるだけで興奮してしまった。「だるまさんがころんだ」に類似した遊びは世界にいくつもあり、ドイツでは”Ochs Am Berg(山の牛)”、イギリスでは「Green Light Red Light(青信号赤信号)」というゲームで、どちらも親が後ろを向いている間に近づいてタッチする遊び。日本の遊びではなぜか皆が鬼になるのを嫌がる傾向があるが、ヨーロッパでは鬼に自由な特権が与えられており、どちらかというと鬼になりたがる人が多いらしい。

    僕はこのような、人が「楽しいと感じる」システムに興味があって、いつもダイスを持ち歩いている。小さなころ、親が僕をおもちゃ屋さんに連れて行って、お誕生日だから好きなの買ってあげると言ったんだけど、しばらく悩んだあげく僕は一番小さな70円のサイコロがショウウインドウに入っているのを見かけてそれを買ってもらった。人生で初めて能動的に手に入れたおもちゃである。安上がりな子供で親も安心したと思う。

     

     

    しばらくはダイスを転がしながら、1~6の目がランダムに出るのが不思議でしょうがなかった。ばあちゃん家のアパートの外階段でサイコロを転がしていると、興味を持った近所の子供が話しかけてきてルービックキューブを教えてくれたのを今突然思い出した。
    ある程度大人になった今でも、23種類の順位をダイスひとつで抽選するには?とかダイスひとつで平文で暗号と複合を成してみるとか、ダイスをn回降った時にp回だけ特定の目が出る率 (※上図:一番左側の “p” は正しくは “P” です。nCmの部分はコンビネーションの公式です。)とか、自分で問いを作ってそれを机上で解く道具として使っている。ダイスはひとつの考えごとを提供する文房具だと考えている。

    小さなころのファーストインプレッションというのは大人になっても継続するもので、ダイスひとつで退屈しない大人になったなぁと思う。楽しいと感じるシステムについて考えるのが楽しい人は、サイコロひとつ持ってても楽しいのだろうと思う。これらの楽しいと感じるシステムはどこか遠くの時代に、世界の誰かがつくったものだ。それがダイスを通じて今の僕に届いているということを想像すると割と興奮する。世界の誰かが考えたものが、道具を通じて、小さな文化となって伝わっていくというところにドラマチックさを感じる。


    最近ではすっかりスマホやコンシューマのゲーム機が有名になってしまったけれども、たまには誰かとひとつのテーブルを囲んで、アナログなゲームもお勧めする。誰かが作りあげた画期的な「楽しいと感じるシステム」がたっぷりと詰め込まれていると思う。ドイツではボードゲームの生活における比重が全く日本と違う。毎年ドイツで10月ごろ行われるボードゲームの祭典「Essen Spiel」では毎年数十万人が世界中から訪れ、40か国600ブースを超える出展、そしてイベントが行われるエッセン市ではまるごとゲームのお祭りの様相をほどこし、街のあちこちでボードゲームの世界大会が行われるといった状況で盛り上がっている。

    ボードゲームには、テーブル上に公開された情報のみで遊ぶチェスや将棋や囲碁のようなアブストラクトゲームと言われるものもあるが、不思議なことにドイツでは敬遠されるようだ。また、すごろくを代表するただのレースゲームのような、操作する情報が運のみのゲームも敬遠されるようである。
    つまり、ドイツのボードゲームは他プレイヤーとの相互に関わる要素「交渉、競り、交換、対戦」が程よくミックスされ、コンポーネント(駒やマーカーの類)が木製で立体感があり美しいものが好まれ、雰囲気満載のボードが扱われることが多い。日本では「ドイツのボードゲーム」もしくは「ドイツゲーム」と呼ばれるこのジャンルは当のドイツではSpiel(シュピール/遊び)と呼ばれる。デザイナーが重視されており、箱やすべての広告にデザイナーの名前を冠して販売されることが多い。これは日本で言うところの出版物に似ている。つまり著作者が出版社を変えて本を出したとしても本が売れる仕組みと同じだ。デザイナーの名前が看板となっている。
    ドイツのボードゲームのデザインは、ゲームのテーマから入る人と、システム構成からデザインを始める人がいるらしい。複数のアイディアを重ねていき、最終的に出来上がったものを何百回と繰り返しテストプレイを行う。ここで作品をマッシュアップしていくのである。

    「よくチェスをやるのかい?」
    彼は部屋に置かれたチェスボードに目をやり、たずねた。
    「ノー、よくってほどじゃない。たまに1人で駒を動かしながら考え事をするんですよ」
    「チェスは、2人でやるんじゃないのかい?」

    ボードゲームについて人と話していて思ったことがひとつ。
    複数の人数でプレイすることも楽しいのだけど、一人で考え事を楽しむ道具でもあると考えている。ヘッドフォンやノートブックやそしてボードゲームも、結局のところひとりで楽しむ道具のように感じている。自分の考えというものは、誰か他人に話すことでそれが楽しいことであるか判断できるんだけれど、一人で考えたことを誰かに話すための道具、そういうものも世の中には存在している。

    最近はノートに、ボードゲームの中で自分が楽しいと思ったシステムをメモしておく癖がある。また冒頭に書いたような、既存の遊びを楽しく変えるアイディアがあったら書き留めておいている。仕組みだけメモしておくと頭の中でイメージしながら何度も繰り返して遊べるからだ。
    クリエイティブな行為には2種類あって、新たなものを作り出す行為と既存のものを変化させる行為である。僕は既存のものをいろんな角度から見て視点を変えるのが好きだ。普段の生活の中で自分が楽しいと感じるシステムについて考えるのはとても楽しい。既存の何かを楽しいと感じるように変化させるのが割と好きだ。
    身近なモノをゲームにすると考えるなら、非日常的な視点で見るべきかも。例えばノートをゲームにするなら、「1冊のノートを複数人数で取り囲んで一斉に書く」もしくは「複数人数で数冊のノートを向かい合って置き、互いのノートの境界線を越えて線を引き合う」等。まず楽しむ。後でルールを付加する。

    小さい頃から紙の上でのゲームはよくやってたけど、最近ちょっと面白いものを見かけた。
    出題者から各自に配られた「キリン」や「餅つき」などの「お題」を、みんなで1つの紙の上に少し(一筆)ずつ絵で描いていくというゲーム。ただし、そのうちの1人は配られた「お題」が白紙になっていて鬼?になる。つまりひとりだけお題を知らずに描いていくことになる。お題が空白だった鬼は、他の人が描いている断片から推測し「知ったかぶり」して描く。全員が2回ずつ筆を入れたとき、鬼が今回のお題を当ててしまうと得点は鬼のものになる。 他のお題を知っている一同は、鬼にお題を悟られないようにしつつ鬼が誰かを特定できれば得点となる。「鬼には解らないだろうけれどもお題を知っている人には解るはず」と考えて線を描いていくと絵はだんだんとよくわからない方向に変化していくオモシロさがある。「これなら解るだろう」の尺度が人によってそれぞれ異なることを楽しむゲーム。これならノートブック一冊を使って、それぞれが違う色のインクのペンを使って遊べるなぁと思っていた。

    最近「Dixit」というボードゲームを買って、そのシステムに感動した。『DiXit』とは、ラテン語で「(彼が)言う」の意味で、フランスでは根拠なき主張を揶揄するときに使う言葉らしい。数十種類の不思議なカードが同梱されていて、各プレイヤーが6枚ずつの手札を持ち、1人ずつ交代で語り部をプレイする。語り部は自分の手札1枚を選び、その絵柄から連想される言葉(歌でもパントマイムでもなんでも良い)を全員に言い、他のプレイヤーは自分の手札からその言葉にもっとも似ていると思うカード1枚を選ぶ。全員がカード1枚ずつを出したら、語り部がそれをシャッフルして並べる、語り部以外のプレイヤーは「語り部の選んだカード」と思ったカードに投票し、その投票結果によってポイントを獲得できる。

    このポイントの配分方法がギネス級のアイディアなのでよく読んで理解してほしい。
    全員当たり、または全員外れの場合、語り部にはポイントは 0点。この場合は語り部以外のプレイヤーが全員2点ずつ点数が入る。では語り部の選んだカードに誰かが投票し、かつ外したプレイヤーもいる場合は、語り部に3点、当てたプレイヤーにも3点入る。
    そして、上記の点数配分に加えて、語り部以外のプレイヤーが出した「似ているカード」に誰かが投票した場合は、そのカードを出した人に1点が入る。
    上記のポイントの配分が絶妙過ぎるのでぜひイメージしてほしい。つまり、語り部はモロわかりでも的外れでもない、適度にあいまいな言葉を要求されるジレンマを楽しむことになる。

    最後にボードゲームのインスト方法について記載しておく。

    第三者とボードゲームをプレイするときに必要な行為なんだけど、初めてプレイをする人に対して、「どのような手順でゲームを行うべきか」説明を行うというのが重要な行為となっている。これは通称インストと呼ばれる。インストラクターのインストと同意。手順は以下の通り。

    【インスト手順】
    ①ゲーム背景の紹介
    ボードゲームの持つ世界観・雰囲気・テーマ・ムードについて説明し気分を盛り上げる。
    ②終了条件・勝利条件の説明
    どのようにするとゲームが終了するのか、勝つのか説明することで何のために何をするのかが明確になる。
    └ 質疑応答
    ところどころで質疑応答を挟む

    ③ボードの説明
    スタート地点・ゴール地点・駒を動かしても良い場所の説明
    ④おおまかな処理手順の説明
    どのように進行していくのか説明。
    ⑤それぞれの処理手順の説明
    一般的な処理と例外の処理を分けて説明する。
    └ 質疑応答
    ⑥最終決算もしくは得点計算の説明
    最終的に決算でポイントがどのように変動するのか説明。
    ⑦特殊ケースの説明
    一定の条件でしかできないアクションについて説明する。
    └ 質疑応答

    【追加オプション】
    ⑧適度な助言
    よくある展開、最終的に皆が達する平均的な点数について説明。
    ⑨明らかに有利・不利な点の説明
    自分の経験上と説明したうえで、有利に戦うコツについて説明。
    こうやって眺めてみると、何か別なプレゼンにも使えそうな気がする手順である。

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    横罫線の歴史を知って,横罫線嫌いを卒業しよう!(として失敗した話)

    Posted on 02 7月 2016 by

    ※はじめにお断り申し上げます※
    卒業しよう!と張り切って調べて書いてみたけど,結局,「横罫線の用途を考えると,現在においてあまり積極的に使う場面はない」という結論にたどり着きました.
    時間が大量にある人は,下を見てください.

    方眼ノートやら,無罫線のノートが流行るまで(あるいは,それに気づくまで),ほとんどの人はかの有名なキャンパスノートを使っていたことだろう.あるいは,近くのスーパーやデパート,100円均一で売られている,無名のメーカーが作ったようなB5の罫線ノートを使っていたことだろう.僕もそうだった.

    でも,僕は横罫線が嫌いだ.罫線ノートだと,全然うまく書けないんだ.読み返す気も起こらない.まだ白紙のほうが上手にいろいろかけるんだ.だから,気になってくる.そして,スタンダードな横罫線がうまく使えない自分に嫌気がさしてくる.自分がすごく矮小な存在に思えてくる.なんだお前は,横罫線ノートも使いこなせないのか,それでNotebookersを名乗っているのか,というように.

    だから,調べてみた.一体ぜんたい,なんだって罫線ノートなんてものができたんだい?

    罫線ノートは,Jessica G.さん,アメリカ・ユタ州にあるPioneed Memorial Museumのトリビアページなどによると,1770年に英国人のジョン・テットロウによって最初に印刷されたという.当時は楽譜とか,出納帳に使われてたそうな.それまでは手書きで罫線を書いていた.

    • 1770 – Ruled paper was first produced by machine by John Tetlow in England. Its first uses were for music paper an((ママ)) accounting ledgers. Before this, the rules had to be drawn out by hand.

    待て待て,そう考えると,製紙法が確立してから,手漉きの紙工場なんかが出来るのが,12世紀.1798年にロール状の大量の紙を生産する技術をフランス人ニコラ・ロイ・ローベルが発明して,それが普及するのに100年位かかるとして,600年ぐらいの間,人は,特異な人以外は無罫線に書いてたってことになる.

    すごい時代の恩恵を受けているのだ,横罫線というのは…!

    でもじゃあ,学校で使うのはなぜ?

    Russilloさんは,米国の大学で罫線(Colledge Ruled Paper)を使うのは,おさぼりな学生たちが大きな字で書いたり,間を空けすぎたりして規定文字数を書かないことを危惧して作られた,と推測している.たぶんそうでしょうね.つまり,おさぼりな学生たち対策なのだ.まぁ確かに,学生が白紙に書いたものを,読むのは結構骨が折れます.

    でもそれって,今の僕らには,あるいは個人的な日記,あるいは授業記録のノートには関係ない…んじゃないか?あるいは,パソコンを使う現代,「文字数」というような安易な基準で成績を出すことが忌避される現代教育において,横罫線の紙ってあんまり必要ないんじゃないか?

    つまり,上の話からいくと,横罫線に書くということは,「誰かに読ませるため」とか,「データを整序するため」とか,そういう場面意外で,積極的に使われる必要はないんじゃないか?そう,あなたがおさぼりな学生でなければ!

    こう考えると,「横罫線がスタンダード」というのは,全くの偏見であります,totally 時代錯誤であります.そう,私は矮小な人間なのではなかったのだ!「横罫線がスタンダードである」ということ自体が,そもそも間違っていたのだ!

    私はこれからも,横罫線嫌いでいいんだ!

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    ライフスタイルの変化とスケジュール管理の付き合い方

    Posted on 26 4月 2016 by

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    2016年の1月からモレスキンのボヤージュをスケジュール管理&雑記帖&備忘録として使っています。
    とっても自由度が高く、スクラップでページに切り貼りしても
    ハードカバー製本なのでふくらみにくいので持ち運びしやすいし
    使い勝手もサイズ感もノートの手触りもよく気に入っています。

    スケジュールの管理方法として
    エクセルでひと月のスケジュールをざっと打ち込んでプリントアウトし
    貼って剥がせるのりでページにペタッと貼り付けし
    追加は手書きで書き込み。という方法で管理しています。
    この方法だと1ヶ月の予定を大まかに把握するにはとってもよいです。
    少し前までは、自分のスケジュールは
    【ざっくり1ヶ月単位】で考えられればいいや!
    という、ざっくりした生活サイクルを送っていたのですが
    締め切りや納期、やりたいことや
    将来に向けて腰を据えて取り組まねばならないことが出てきて
    しっかりとゴールに向かってスケジューリングしていくには
    ひと月単位で考え【週単位】で取り組みを落とし込んでいく必要があり
    現在、試行錯誤&四苦八苦中です。

    グーグルカレンダーと併用運用してみているのですが
    PCやスマホでの入力がちょっとわずらわしい。
    共有できたり、スマホでさっと見られる便利さは魅力ですが
    あらためて、手書きの早さと書くことで把握・認識できることを実感しています。

    自作か…とも思いましたが
    手間・コスト・時間を考えるとムダが多く
    これは…手帳を買わねばなるまい!との結論に至り
    (単に手帳買いたい病の再発ともいえる)
    現在、色んなお店やサイトを物色中。

    次回の更新は、購入した手帳のことを書きますね。

    そのためにも手帳を選んで購入せねば~♪

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    結局モレスキンのどこがいいんだろう

    Posted on 13 4月 2016 by

     

    トラベラーズノート,MDノート,LIFEノート,ツバメノート,ロールバンノート,その他無数のノートたち.それぞれにファンが居て,それぞれがそれぞれに長所も短所も持っている.僕は勝手に「ノートフロンティア」とか言って,いろんなノートを使ってみているけれど,4年ぶりにモレスキンを使って,いろいろと思うところがあった.

    まず,日本のノートブームの火付け役はモレスキンだったんじゃないかなぁと思って,調べてみた.Google Trendによると,モレスキンが徐々に話題になったのは,2007年あたりだ.2011年にはピークになり,それから認知度が上がったのか,少しずつ検索数は下火になっている.(もちろん,【Googleで検索】という手段がメジャーになるまでの背景もあるから,もしかしたらそれ以前にも話題だったのかもしれない.)

    note hikaku

    (Google Trendに,左からMDノート,モレスキン,ツバメノート,トラベラーズノートと入れてデータを出したグラフ)

     

    また,最近は検索数が「トラベラーズノート」と逆転する現象(表の右端,緑色と赤色の交差部分)も見られている.note hikaku02

    僕はもちろん統計や比較のプロじゃないから,これらの数字が本当なのか,妥当性があるのか,説得力があるのか,そういうのはわからない.単に僕はGoogle Trendさんのいうままに,事実を述べているだけです.

    ただ,どれもまぁ僕(と,願わくば僕たち)の直感にはそぐわないだろう.やっぱりモレスキンは王様みたいな感じだし,トラベラーズノートは流星の如く現れたノート界の新星,という感じ.

    でもじゃぁ,モレスキン(以下,モレ)はどうなっていくんだろう.何が利点で,何が欠点だろう.ノートフロンティアを行く僕らは,どこを目指すべきなんだろう.

    そういうわけで,ちょっとこれを機会に(どれだ?)パーツごとに,実用的な利点だけを考えてみました.そして,「あぁやっぱりモレって上手く出来てるんだ」と再認識しました.ブランド力とかは抜きにして.

    あ,あと,僕自身がラージ/A5以上しか使わないので,そこしか考えられません.ごめんなさい.

     

    1.値段

    モレは高い.輸入品を買って安くても,2000円弱.そりゃぁ,「次はトラベラーズノート試してみようかな」ってなります.そこは議論の余地がたぶん無いハズ.それでも買う人がいるってことは,やっぱりなにかが良いことの裏返しなのかも.次.

     

    2.サイズ

    ラージでも,ちょうど片手でホールドできるサイズ.MDノートみたいに,しっかりA5だと片手ではがしっと表紙を掴めない.トラベラーズノートが良いのも,たぶんサイズ感だと推察しています.さて次.

     

    3.紙質・ページ数・方眼の色の濃さ

    抜ける.あんまり良くない.MDノートとかのほうが確かに良い.方眼の色の濃さなんかは割りと良い.MDノートは方眼の色が薄すぎるという意見もあるかも.ロディアのノートみたいに濃すぎるのも少し困るけど.

    ページ数は大切.例えば,ツバメには方眼でページ数の多いものがない.モレはページ数が多いから,一緒に居られる時間が長い.MDノートも,そういう意味では良いけど,下の作りでも述べるように,表紙が弱いから,ながければ長いほど,ちょっとくたびれてくる.残念.次.

     

    4.つくり

    モレのハードカバーはいい.しっかり書いている感じもあるし.なにより耐久性がある.表紙が折れて凹むこともない.

    汚れても,さっと拭ける.さすがにMDノートの表紙を水拭きするとぼろぼろってなって残念な感じ.たぶん.LIFEもツバメもロールバンも,その辺には弱いはず.トラベラーズノートは革製品だから,そういう意味ではモレと似ている利点を持ってる.

    ブックカバーをつければいいじゃない,という人もいるかもしれないけれど,僕は少なくとも,カバーがつくと,なんか邪魔なものが付いているように感じてしまう.そういう意味で,モレは単体で完結している.

    後ろのポケットも,ハードだからつけることのできるモレの利点の一つ.あるほうが,やっぱり便利.

    ゴムバンドもある方がいい.鞄の中で,勝手に開いて,クシャってなったりしないから.

     

    だいたいこんなもんでしょうか.

    まとめると,やっぱりモレってよく作られてるなってことに気づきました.

    モレって,つまりは,シンプルなのに機能的.単体で,ノートとして必要そうな機能をだいたい全部備えているってことなんですね.もちろん,カスタマイズ次第で,モレの単体性を,別のノートが容易に越えていくことはできるんだろうと思います.だけれども,単体では,なかなかモレは越えられないのかもしれない.だからきっと,モレは思慮深い王様みたいに見えたのかもしれない.

    たぶんこんなことを書くと,そんなこと知ってるよ,って思われるかもしれない.懐古主義者だって言われるかもしれない.多様性を受け入れなさい,と言われるかもしれない.面倒臭がらずにカスタマイズしなさい!と言われるかもしれない.それでも,久しぶりにモレスキンの表紙を撫でて,「これこれ,この感じ.」と思うことがあれば,それはたぶんどこかでモレバック(モレスキンヘのカムバック)の機会があるってわけですね?

    ちょっと高いけど,書いていくことで,単体での完成度の高さをも楽しむ,そういうノートなんですね,モレは.そのことに,改めて気付かされました.

    というわけで,4年ぶりのモレバックを楽しんでいますよ,というお話でした.ちゃんちゃん!

     

    neokix

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    僕はクロースアップマジックで嘘をつく

    Posted on 17 10月 2015 by

    秋の京都は紅葉が綺麗で観光客が沢山来てるから人込みで大変です。なので、紅葉が散ってから行った方がいいよ、とアドバイスしたら怒られました。枯れ木も山の賑わいなかしぃです。

    そんな筆者ですが先月からネタが枯れない勢いで記事を投稿してます。全Notebookersライターの中で投稿数No.1(未確認)でしかもオンリーワンなスタイルです。しかしながらネタに困ったときはモレカウのお題を利用させてもらってます。そして今回のネタはこちら!

    134. あなたのテーブル上の「文化」について紹介してください。テーブル上で行われる行為、テーブル上で行われる遊戯、テーブル上で行われるスポーツ、テーブル上のキッチンウェア

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    唐突ですがわたくし、10年前にマジシャンをやっておりました。正確にはイリュージョニストです。といっても引田さんみたいな大脱出系ではなくクロースアップマジックの方です。クロースアップマジックとはテーブル上で繰り広げられるコインやカードなどを使ったマジックで、観客と至近距離で披露するお手軽なマジックです。その中でも筆者の専門はカードマジックです。専門って偉そうに言ってますがカードしか出来ません。コインマジックは一つだけ出来ますが、握った手の甲においたコインを貫通させて拳を開けると中にコインが移動していた、というネタです。

    初めに言っておきますがネタばらしはいたしません。しませんよ、しないんだったら!

    まず、カードマジックに使われるカードって何か?クレジットカードやポケモンカードではありませんよ、そう、トランプです。トランプですよ!大事なことなので二度言いました。えっ、そんなん最初から知ってる?あぁ、そうですかそうですか。

    日本でトランプといえばほとんどの皆さんは任天堂のプラスチック製のトランプを思い浮かべると思いますが、カードマジックに使うトランプは実は紙製なんです。そして、カードは大きさで分けると2種類あり、通常のサイズはポーカーサイズ、ちょっと細身のブリッジサイズがあります。例外としてジャンボトランプがありますが、これはマギー師匠みたいに演芸場の舞台でするマジックに使います。テーブル上では使いづらいですし、手が小さいのでシャッフルができません。

    そして、世界中のマジシャンの間で愛用されているのが、USプレイングカード社の「バイシクル」と「タリホー」です。どちらを使ってもいいですが、メジャーなのはバイシクルです。USプレイングカード社にはもうひとつの名品「Bee」があり、こちらもカジノでは定番ですが縁の白枠がないのでマジックには向いていません。マジックでは裏表を混ぜたりするので白枠が必要です。白枠がなかったら混ぜたときに横から見るとばれてしまいますからね。他社のカードを使ってもいいのですが、カードを選ぶポイントとして

    1. すべり
    2. 弾力性
    3. 縁の返り

    があります。1.のすべりについては、筆者は世界中のあらゆるトランプを触った限りではUSプレイングカード社製のトランプが一番よいと思います。なんといっても滑らかでその滑らかさが長持ちします。マジシャンによっては新品の状態のすべりから数回シャッフルしたりして自分の好みの滑らかさに調整してから使う人もいます。人間の指先の感覚というのは想像以上に鋭敏でわずかな違いも分かります。このカードのすべりはカード表面にコーティング剤を塗布するのですが各社それぞれにコーティング剤や塗布方法にノウハウがあるので比べてみるのも面白いです。

    2.については軽く曲げてから元に戻る性能が優れていることが大切です。少し曲げたくらいで折り目がついたら使い物になりません。シャッフルをするときや右手から左手にカードを飛ばしてキャッチするという技に必要です。

    3.についてはカードの加工方法によって違ってきます。基本的には大きい紙に56枚(数字52枚+ジョーカー4枚)分の絵柄が印刷されており、それを裁断するのですが、裁断機で押しつけるようにカットすると片方の面が押され、もう片方の面に返りがでます。指で縁をなでると引っかかる感じがします。こういうのはマジックには向いていません。トランプ1組(1組のことをデックまたはデッキと呼びます)を半分に分けて其々の縁同士を重ねて揃えるという行為をするときにやりにくいです。特に裏表混ぜたときに困ります。こういうのを防ぐために大判の紙と同じ大きさのプレス型で抜く方法があります。これだと上下でプレスするので縁には返りが出ません。この方法で生産されたトランプはシャッフルがやりやすいです。

    ここまでトランプの特性について書いてきましたが、次はいよいよマジックについて書いていきます。

    カードマジックの内容は主に、

    • 観客に1枚カードを引いてもらって、それを当てる
    • カードの操作で特定のカードを出現させる
    • その他

    がありますが、筆者が好きなのはカード当てマジックです。筆者は仕掛けを仕込んだマジックは余り好きじゃなく、手先のテクニックだけで魅せるマジックが好きです。タネを仕掛けるのは面倒臭いというのが主な原因です。

    で、本題のマジックの内容に行く前に、シャッフルについて軽く説明します。みなさんがよくやるシャッフルはヒンズーシャッフルといいます。半分ずつ両手に持ってぱたぱたってやるのはリフルシャッフル、他にはオーバーハンドシャッフルとか、片手シャッフルなんかがあります。シャッフルが華麗だとそれだけで「おっ、こいつやるな」って思わせることができます。

    話を元に戻しますと、カード当てマジックとは観客に1枚引いてもらい、それを覚えてもらってからカードの山に戻します。そして先ほどのシャッフルをしてどこにいったのか分からなくなった状態で、そのカードを当てるという古典的なマジックです。古典的ゆえに色々なバリエーションがあり、そのストーリーや演出に演者の個性が現れます。例えば、

    • 双子刑事スペード/クラブのジャック兄弟が犯人を逮捕
    • ハンドパワーでデックのなかから当該カードが浮き上がる
    • 裏向きのカードを広げたときに当該カードだけ表になっている
    • 最初に間違ったカードを出して見せて、一瞬のうちに当該カードにする

    など沢山あります。目的は同じなのにそこまでに持っていくやりかたを楽しむのがこの手のカードマジックの醍醐味です。間違ってもネタを見破ってやるぞ!的な態度で見ないでください。マジシャン側からするとそういう客は嫌なものです。素直に驚いてほしいものです。

    このマジックは色々な手先のテクニックを組み合わせて、それを近くで見る観客に気づかれないように視線の誘導やトークでかわしつつ最後に見事にカードを当ててドヤ顔をして最後に決め台詞を言うのが楽しいです。「なかしぃのー、すーーーぱーーー、いりゅーじょん!」みたいな感じです。

    で、筆者がよくやってた手口(笑)をひとつ紹介します。カードを引いてもらって覚えてもらってからデックにもどし、適当にシャッフルをします。そしてカードを手に持ったままテーブルに置きます。そして観客に自分の手の上に手を重ねてもらって、「あなたの引いたカードはあなたの念力によって一番下に移動します。強く念じてください」とかなんとか言いながら念力を送ってもらいます。そしておもむろに一番下のカードを取り出して、「あなたの引いたカードはこれですね!」って言います。そこで提示されたカードは・・・なんと、全然違うカードでした。それじゃあダメじゃん、春風亭なかしぃです。えぇーっ、そんなオチなの?いえいえ、ここまでは想定内です。そしてこう言い放ちます「おかしいなぁ、ちゃんと念力送ってくれました?もう一度チャンスをあげます。ぎゅっと僕の手を握って集中して念力を送ってください」そうすると素直な人はぎゅっと手を握ってくれます。そして今度はちゃんと当てます。これね、女性にカードを引いてもらうのがいいんですよね。野郎に手をぎゅっと握られても余り嬉しくないですf(^_^;

    はいっ、皆さんご一緒に!なかしぃのー、すーーーぱーーー、いりゅーじょん!

     

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    非クリエイティブ系職種人間の IDEA NOTEBOOK EDiT 3週間本気使用レビュー

    Posted on 12 7月 2015 by

    銀座・伊東屋などで先行発売されている話題のノート「アイデアノート・エディット」
    先行サンプリングとして、マークスさんより提供していただきました。ありがとうございます!!

    サイトを覗くと
    「クリエイティブな思考を育てるアイデアノート」との文字。

    えっ、わたしの仕事、クリエイターではない……。
    営業ですよ、営業。
    営業は突き詰めるとクリエイティブな仕事だよなぁと実感する今日この頃ではありますが、
    このノートが指すクリエイティブとはまた違う気がするのですよ云々……。

    若干の懸念事項を抱きつつも
    仕事用ノートとして活躍していただくこと、早3週間。

    「意外にいいかも、コイツ」
    クリエイティブクリエイティブしていない私でも、
    アイデアノート・エディットは仕事用ノートとして使い勝手Goodでございました。

    てなわけで、
    アイデアノート・エディットの実力を、いざ採点!!

    【はじめに】
    ■検証した人のプロフィール

    どうもこんにちは、わたしです!
    プロフィールを、アイデアノート・エディットの1ページにまとめました。
    saori_150712-01

    黄色とオレンジのふせんは、アイデアノート・エディットに元々ついているものを使用。
    ノートのおさまり具合、ばっちりです。

    ちなみに、このプロフィールのまとめ方は、
    今年の春にスリーエムさんが主催していた
    「ミーティングソリューションワークショップ」で実施したワークをアレンジしてやってみました。
    ミーティングソリューション、個人的には面白い取り組みだと思います……って話しだすと
    今日のテーマから脱線するので、他の方の参加レポートリンクを貼っておきますね。

    ■ノートの評価方法
    「機能」「ビジュアル」「紙質」「独自性」の合計で評価。

    ☆ 機能(30点):私が使う場面に合うノートのつくりかどうか
    ☆ ビジュアル(30点):別名、私の好み
    ☆ 紙質(30点):ノートの紙質(手持ち筆記具との相性、紙の厚みや色)、フォーマット
    ☆ 独自性(10点):そのノートならではの特徴が私にとって良いか



    ではいざ、採点!
    ■アイデアノート・エディット 採点
    ☆機能:25点
    私が評価したいポイントは、次の3つ。

    1)ヨコ型ノート
    相手の話を聴きながらメモをとるのに、「ヨコ型ノート」って何とまぁ便利!
    何故だかははっきりしないのですが、一般的なタテ型ノートより
    思考が途切れることなく書き続けられる気がしました。

    ノートには、相手が話したこと以外にも、
    話を聴いて感じたことや疑問点、話の要約図も書く私。
    上司曰く「アウトプットは右脳タイプ」らしい私にとって、
    「ヨコ型ノート」は、思考の流れにぴったりのようです。

    2)ダブルリング綴じノート
    訪問記録はシステムに毎回打ち込むので、打ち込み終わったページは用なし。
    ビリリとベージまるまる外して捨てれば、ノートはどんどん軽量に。
    資料にPCにメイクポーチに、荷物の多い営業バッグにとって
    「軽量ノート」であることは、かなーり重要だったりします。

    3)B5サイズ
    打ち合わせメモ書きにちょうどよいサイズ。
    あと11インチのノートPCを持ち歩く皆様にはおすすめですこのサイズ。
    マークスさんのBag in BagTOGAKUREのMサイズに、
    PCとアイデアノート・エディットがぴったり収まるのでーすよー!
    私はMサイズのモカブラウンを愛用。ノートとTOGAKUREで色合わせするのも楽しいかも。

    マイナスポイントは、「ヨコ型ノートのヨコ開き式」。
    ページをめくる導線が、一般的なタテ型ノートと比べると大きくなってしまいます。
    まぁこれは慣れの問題だとは思うのですが、まだ違和感が残るのでマイナス点に。

    ☆ビジュアル:30点
    ビジュアルは完全に私好み!
    ビジネスノートは見た目シンプルでいいんだけれど、
    シンプルな中でちょいちょいこじゃれポイントがあるのが、嬉しいです。

    無地の表紙に「EDiT」の文字が控えめにあるだけ。
    このシンプルさが高ポイント!
    硬めにできた表紙・裏表紙のおかげで、持つと身が引き締まる……気がする。ふふ

    表紙側と裏表紙側に書かれているクリエイティブ思考を高めるコツ。
    このフォントも、わたし好きです♪
    細かすぎる好みポイントでゴメンアソバセ。

    ☆紙質:23点
    紙、うっすい!!
    アイデア創出系ノートの先輩・ニーモシネの紙質と比較すると、明らかにペラペラしてます。
    使い始めた頃は、ペラペラ紙質が苦手で苦手で。

    でも、この薄さが「外出先で使う」ノートの条件にぴったりだったのです。
    紙の薄さが、ノート全体の軽さに貢献している……!
    そう気づいたら、「薄さ」はむしろ私にとってプラスポイント☆
    用途によって、仕様がメリットにもデメリットにも変わるコトにも気づきました。

    愛用筆記具・ジェットストリーム4&1との相性は、ふつう。
    薄いといっても、裏抜けを過度に気にするほどの薄さではないので問題ありません。

    薄いブルーの7mmドット方眼は、私には特にメリットもデメリットも感じませんでした。
    ノートを見ず、相手を見ながらメモを取っているので、
    線があろうがドットがあろうが、大して影響ないってのが本音。
    それに私、やっぱり薄色罫線方眼推進派ですから。笑

    ☆独自性:7点
    ノートのリング部分にセットアップできる「ふせんボード」付き。
    ノートをみた当初は「ラッキー♪」と思ったけれども、3週間経って使ったのはほんの数枚(苦笑
    私の仕事導線に、ふせんボードはどうも馴染まなかったようです。
    ふせんボードがないノートもあるので、次に買うのはボードなしタイプにしようっと。
    ふせんが必要ない人のために、ふせんボードなしタイプもあるのはありがたいです。

    ★合計:85点
    「クリエイティブな人でないと使えない? 私にはあわないんじゃない?」
    そんな疑問を持ちつつ使い始めたアイデアノート・エディット。

    でも実際に使っていくと、
    仕事用ノートとして、思った以上に使い心地がよい。
    「持ち運びに便利な仕様」「自由に書き込みやすいフォーマット」
    この2点が、特にポイント高かったです!

    アイデアノート・エディット。
    非クリエイティブな方も、一度使ってみると意外にしっくりくるかも!?
    予想を裏切られるノートでした、いい意味で。

    あしたもお仕事、がんばです!
    saori_150712-02

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    理由 〜 Reason to Write and Draw 〜

    Posted on 25 3月 2015 by

    今回は、自分がノートを使う理由について書こうと思う。

    数年前のことだった。仕事が忙しい日が数ヶ月続くことがあり、肉体的にも精神的にもかなり参ってしまっていた時があった。そんな中、自分にとっての一時の安らぎは、この忙しさから解放された時用にと、いらなくなった書類の端に書く『To Do List』だった。

    前回の自己紹介でも触れたように、僕はGuitarを弾くのが大好きだ。当然その『To Do List』にもGuitar関連のものが大半を占めていた。時間ができたらあの曲をコピーしようだとか、Guitarを改造しようだとかあれこれと頭を巡らしたものだった。

    そんな中偶然にも『Moleskine』の存在を知った。すぐにAmazonで取り寄せ毎日手元に置くようになった。お気に入りは、ポケットサイズのスクウェアだった。書く内容も段々と増えていき、その時々の自分の感情に始まり、心に触れたものはなんでも書くようになっていった。仕事に余裕ができてからも、それは続けている。(今現在はTRAVELER’S notebookに鞍替え。しかも中身はPLUSのCa.Crea A4/3。サイズがピッタリでしかも経済的にもお得なので重宝している。)

    IMG_7942

    巷では、ノートや手帳関連の本が沢山出版されている。僕も何冊か読んでみたし、これからもまた新たなものを読むと思う。よくあるのが、書くことで自分のなりたいようになり、また目標にまっすぐに進んでいけるといった内容だ。僕もそうであって欲しいと望んでいるが、実際のところよくわからい。毎日の記録や、思いをノートに書くことの意味って一体なんなのか…

    ただよくよく考えてみると好きなものに理由なんかないし必要ないのかもしれない。どうしてGuitarが好きなのかと聞かれてもただ好きだからとしか言えない様に、自分にとってノートや手帳に書くことに理由もなく、ただ好きで楽しいからだけなのだ。いろいろ考えた挙句、こういう結論に落ち着いた。

    ノートには、その時々に自分が感じて書いたものだけが文字として残り、それ以上それ以下でもない。そういうノートを振り返って見るのが僕は好きだ。

    今回も例により、自分の動画を貼らせてもらいます。
    お時間のあるときにでもどうぞ(^^)

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    ふわり、香り、かわる

    Posted on 10 11月 2014 by

     

     

    こんばんは、sakiです。

    最近めきめき寒くなって、暖房を入れました。

    そしたらどうしても部屋が乾燥するので加湿器をつけます。

    そのときに柑橘系のエッセンシャルオイルを数滴、

    香りが蒸気とともに部屋に広がるようにしてみました。

    ふわあと広がるさわやかで優しい香り。

    癒されてるのに集中力も上がる…ふしぎ。

    香りのおかげでノートタイムは捗り、夜はぐっすりと眠ることができました。

     

    精油を買ったのは初めてで、アロマっていろんな種類があるし、

    手順とか難しい作法があるのかななんて遠回りしてましたけど

    なんとこんな手軽にたのしめるんですねー。

    他の精油も使ってみたくなっちゃいました。

    (加湿器の種類や使用法によっては、故障の原因になってしまうので

    アロマ対応の加湿器をお使いで無い方は注意してくださいね)

     

    notebookers.jp内を「香り」で検索してみたらみおさんの記事が見つかりました。

    Moleskineに香りをまとう

    私も自分の手帳へ香水を一吹きした紙を挟んでます。

    手帳を開くのが楽しくなるし、鞄の中もいい香りになったりして。

     

    アロマも香水も、かおりって自分を「切り換え」るために使うのかも。

    ベルガモットの爽やかなミストを浴びながらノートタイムしたり

     

     

     

    IMG_2102

    クラシカルな装いにはレールデュタンをハンカチに一吹き。

    IMG_2105

    花モチーフのピアスでもつける香水によって印象が変わりそう。

    白いデイジーのピアスにプチサンボンならピクニックにぴったり

    黒い宝石の様なピアスにランバンは秘密のデートに…

     

    ノート関係ないやん!って突っ込まれそうですが

    私は自分のノートにこんなことばっかり書いてますよ。

    どれとどれを組み合わせようかな。

    この服にはぜひこの鞄を。

    今日はこの靴に合うタイツを探そう。

    意外とこの組み合わせいいんじゃない?

     

    IMG_1804

    そんなことをノートの上で考えて、

    実際にやってみて、

    そして思ったことをまたノートの上で絡ませて。

    ノートは思考の海であり研究レポートであり反省会会場でもあるのです。

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    猫は、ノートブックを持たない。

    Posted on 20 10月 2014 by

    8月20日、ずっと住んでいた大阪から、高知へと移住した。
    借りた家は、庭と縁側のある築60年の平屋。すぐ裏は山、近くに川が流れ、すこし歩けばおだやかな内海(湖のよう)に出る。
    家の周りに外灯はなく、晴れた夜には星がたくさん見える。
    人の気配もほとんどない、静かな、静かな暮らしを始めた。

    9月に入ってすぐ、庭に、一匹の子ども猫がやって来た。白地に、縞のブチ模様。
    細いからだ、きびしい表情から、野良暮らしだろうことが一目でわかった。
    猫が大好きで、いつか一緒に暮したいと夢見てきた我が家みんなは色めき立った。
    煮干しを、遠くからそーっと差し出してみる。
    ほんとうに恐る恐る近づいてきて、パッとそれを奪い、離れたところで食べ始めた姿に、食べてくれたうれしさと、今までいろんなことに怯えて生きてきたんだろうな・・という哀しさ、両方の気持ちが心の中で渦巻いた。

    その日から、猫は我が家にやってくるようになった。
    最初は夕方だけだったけれど、そのうちに朝、そして昼にも顔を見せるようになった。
    月のきれいな頃に初めて会ったから、つきみ と、私が名付けた。

    あれから1か月半が過ぎた。
    つきみは生まれた時から我が家にいるかのように、すっかり甘えんぼうの猫になった。
    朝夕はかならずやってきて煮干しを食べ、日中は散歩がてら気の向いたときに姿を現し、庭で日向ぼっこをしたり、私のひざの上で昼寝をする。
    やさしい人間のいるベースキャンプを得た彼女は、ますます猫らしく、すきなときにすきなように振舞って暮らしている(ふうに見える)。

    で、観察と思考のすきなわたくし。つきみと毎日会っていて気づくことが数多ある。

    その中でも一番感動したことが、
    「猫は、必要なものをすべてを持って生きている。」ということ。

    まず猫は服がいらない。夏には夏の、冬には冬の、ふさわしい毛に生え換わる。

    暗い場所でライトがなくても平気な眼。車いらずの俊足。ひらりと昇降し、どんな場所も縦横無尽に進めるやわらかなからだ。出し入れ自由な爪。ブラシになる舌、全身を舐めて身支度が整う。包丁みたいに切れ味鋭い牙。いろんな音を集める耳。

    食べ物は、基本、素材そのままを。虫も魚も肉も、生で食べる。

    そして夜、丸まった場所が寝床になる。前足を枕に、暖かな毛を毛布に。帰る家を持たない。

    生まれた時から、死ぬ時まで、猫は自分のからだだけを携え生きている。シンプルライフの極み。

    つきみを見ていると、にんげん生活がなかなかに大変なものに思えてきた。洗濯したり、掃除したり、買い物したり、ふだんの暮らしのあたりまえは、にんげん独特のもの。学校とか、家を買うとか、流行りとか。生きることにくっついてくるいろいろの、なんとたくさんなことだろう。

    でも、ノートブックで遊ぶ愉しみは猫にはないものだ!にんげんだけの、とくべつ。面倒なことが多くても、ノートブックを携えられるにんげんがやっぱりいいな。

    わたしはにんげんで、そしてノートブックが好きでよかった。改めてそう思った。そういうおはなし。

     

     

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    ゲームブッカーズなノートブックはどのような痕跡を残すのか?

    Posted on 16 4月 2014 by

    gamebookJB

    こんにちは、Notebookers管理人 タカヤ・モレカウです。
    2008年に「blanq_text」でタカヤが書いた記事のリライトです。

    中学校のころに夢中になったゲームブックの話。
    J・H・ブレナンの「ドラゴン・ファンタジー・シリーズ(原題:『グレイル・クエスト』Grail quest)」という80年代の名作ゲームブックがある。ゲームブックというのは、「宝箱を開けるなら26へ、開けずに通り過ぎるなら52へ」というように、番号で分割された各パラグラフに飛びながら物語を進行していくというモノ。
    そもそもこの本との出会いは14歳ごろ、友達の家に遊びに行ったときに、彼の本棚に格好良くズラッと並ぶタイトルが気になったのがきっかけだったことを覚えている。数冊その友達に借りてプレイしてハマり、その想像力をぶっちぎる冒険の世界にドキドキしたものでした。

    Grail quest2

    全8巻+αを少しずつ少しずつお小遣いを貯めながらそろえたのだが、その後誰かに貸した後に、全てをなくされるという悲しい運命をたどる。そのときのあまりの悔しさを覚えており、大人になった今ついつい懐かしくなって、当時を思い出して全巻をそろえてしまった!(後述しますが、このシリーズは復刊されているものもあるんだけど、あえて当時のバージョンが欲しかったのさ)

    アーサー王のエクスカリバー伝説や円卓の騎士の時代を、相棒のエクスカリバー・ジュニア(話す剣)を携えて、全8巻にて洞窟や海や塔などの様々な舞台を冒険するストーリー。ファンタジーとしては王道なありふれた世界観なのだが、著者 J・H・ブレナンの独特なユーモアあふれる文章で味付けされて一味も二味も違う。
    この部分は、まさに「天才的なユーモア」で、あっという間に世界に引きずり込まれるといった表現がふさわしいと思う。古めかしい大きな宝箱を開いたと思ったら「チクチクする指輪」が入ってたり、ポエム好きの魔神に出会ったと思ったら魔法のアヒルをもらったり、おかしいくらい強いウサギやニンジンが襲ってきたりと、最初から最後まで、肩すかしをくらうジョークや、不可思議で魅力的な(そして理不尽な)人物や敵が現れ、主人公の受難っぷりはなかなかの読み応えがあると思う。そして文章に添えられる、フーゴ・ハル氏の鉛筆画のものすごいイラストレーションも必見。けっこうぞわぞわ来ます。

    IMG_9675

    この物語の中には、まぁ理不尽な人物や敵が大量に登場する。特に好きな人物は、「魔術師マーリン」である。
    彼が魔法をかけて、本を読んでいる現代のあなたに呼びかけて、アーサー王の時代までさかのぼって、魔術書である本書を使って引き戻すというメタフィクション的な雰囲気からストーリーが始まるのだけど、この魔術師マーリンはものすごい「変わり者のふてぶてしいおっちゃん」で、主人公を連れてきて冒険に行かせようとするわりに、冒険をする理由もあまり詳しく説明してくれない(笑。その上、旅に持っていく装備品のカタログを渡してくるのだがこれがまた不思議なものが毎回渡される。

    冒険の始まり部分。冒険に出かける君の装備を点検するマーリン。

    「まず最初に…… ん?」マーリンは急にことばを切って顔をしかめた。「剣はどうした?」
    「それが…その…家に忘れてきたんです…」きみは悪いことでもしたかのように答えた(なぜ悪いことをしたと感じたのはわからないが)。
    「間の抜けたことを。怪物に出会ったらどうするんだ?たちまち喰われちまうんだぞ。しょうがない…取ってきてやろう。…さてと、そろそろ装備を点検した方がいいな」(装備品のカタログを渡すマーリン)

    【装備品リスト】
    斧、人工アリクイ、毛布、包帯、本喰い虫、青い粉、調理器具、釣り針、オイル瓶、アイゼン、着替えの服、クリック・スティック、犬の首輪、金モール、ハープ、掛け金、革紐、ジョークブック、ナイフ、リュート、羊皮紙、インク、羽根ペン、白ぶどう酒、ノコギリ、火口箱、水袋、木琴、ハンマー

    「あのう…なかによくわからないものがあるんですが…」
    「本当か?わしには、どれもこれも冒険にふさわしい品物ばかりだがな。どれがわからない?」
    「たとえば、人工アリクイっていうのは?」
    「それはわしのちょっとした発明品でな」さも自信ありげにマーリンが言った。
    「アリを喰う一種のロボット・ネズミなんじゃよ」
    「本喰い虫というのは?」
    「文字通り、本を喰う虫じゃ。それくらいのこともわからんのか?」
    「でも…なぜそんなものを?…」マーリンはじれったそうな顔をするだけで答えない。
    「じゃ、青い粉っていうのは…?」しかたなく、たずねてみた。
    「ああ、それ?なかなか便利なものでな、何かに追われた時にその青い粉を撒いて使うんだよ。追ってくるものが何であれ、足を滑らせて首の骨を折るんじゃよ」
    「それから、クリックスティックというのは?」
    「それもわしの傑作発明品でな。そいつがあれば、コオロギと話ができるんだ。いわば、コオロギ用通訳機械じゃ」
    きみは不審に思っている品物を立て続けにきいてみた。
    「金モールとか、ジョークブックとか、木琴がなぜ必要なのですか?」
    「じゃ、ハンマーやノコギリは、なぜ必要なんだ?」逆にマーリンがきき返した。
    「たぶん、役に立つからでしょう?」
    「金モールやジョークブックや木琴にしたって、同じことじゃよ」マーリンはもっともらしい顔で答えると、
    「こういう冒険ではどんなものが役に立つかわかりゃしない。だが持っていくかどうかはおまえが決めることじゃ」

    「どうやらきれいなブーツを持ってこなかったようじゃな?かわいそうに、お前が履いているブーツは磨かないとならんな。ひどいものだ。だが、ま、かまわんだろう。彼も頭が混乱しているから、そこまで気付くまい」
    「彼、というと?」マーリンのやり口を知っているきみは少し身構えてきいた。
    「王に決まってるだろうが!世の中が手に負えなくなる前に、わしらは彼に会わなければならんのだよ。」
    「王に会うんですか?そういう服装じゃないですよ?——- 」他人の話などめったに聴かないマーリンだ。君の話などうわのそらだ。彼の目はどんよりと曇り、両手を振って何やらつぶやいている。古代ウェールズ語、偉大なる英国の魔術師の謎に満ちたことばだ。

    王の謁見終了後
    「ほれ出発じゃ。」
    「え?ちょっと待ってください。魔界の門なんてどうやって行ったらよいかもわからないんですが?!」
    「やりかたさえわかってしまえば、簡単なものよ。おまえがどこにいようとも、一番不気味そうな方角へ進め。足を止めたときも、また一番不気味そうな方角へ進め。もっとも不気味そうな方角へ進むんじゃ。魔界とは不気味なところだからそれでたどり着くようになっておる……」(グレイル・クエスト「魔界の地下迷宮」より)

    魔術師マーリンは終始こんな感じ。しかし女性にもてるなかなかニクイ老人なのである。毎回、魔術師マーリンはその隠れ家を変えるんだけど、これがまた不思議な場所に住んでいる。丸太の城→ 水晶の宮殿→樫の木の中→井戸の中→サイコロ型の隠れ家→樽の中→ロック鳥の卵の中→行方不明。毎度のことながら、まったく話を聞かないのがわかってくると、だんだんマーリンと話すのが楽しくなってくる。こんなマーリンを終始相手にしているのだから、主人公の振り回されっぷりも、ものすごいことになっています。 

    当時、この本を読んでいて思ったのが、わりと古代ウェールズとかスコットランドの文化についてさらっと書かれているのでためになるなぁと思っていた。ハギス (Haggis) とは、羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理なんだけど、ハギスはこの物語の中では一筋縄では行かない敵のキャラクターとして登場する。そして、「ハギス牧場」なるものも登場します。WEBも無いような中学生の頃、この得体の知れないハギスを一生懸命図書館で調べた記憶がある。

    スコットランドで古来より存在が信じられている伝説の生物。ハイランド地方の山中に密かに生息し、満月の夜に心の清らかな者だけが目撃できるとされ、くちばしを持ち全身が毛で覆われて丸っこいカモノハシのような姿であったり、長い3本足ですばやく動き回ったりなどさまざまな姿が言い伝えられている。この料理は見た目があまり良くないことから、「伝説の動物の肉」を使っているのだという冗談の種にもされる。毎年末には「ハギスハント (Haggis Hunt)」という捜索イベントが開催されている。(@ wiki)

    だが、このグレイル・クエストの中での表現はこうだ。

    囲いの中から漂ってくる臭いと神経を逆なでする、身の毛もよだつあの独特の鳴き声。他でもない、ここは内臓風の化け物ハギスの飼養場だ。
    「だけど、生きてるハギスなんてみたことないぜ?」E・J(主人公が持つ、おしゃべりする剣)が言った。
    「見たくもないよ」きみは落ち着いて言った。「ドラゴンとイタチを別としたら、ハギスほど気味の悪いいきものはないね。気味が悪いだけじゃなくて、凶暴なんだ。見ろよ」と指さしながら、「あいつらを飼っている柵の丸太の太さ。それに丸太を縛っているロープだって普通の二倍はあるぜ。だいたい柵の高さも並じゃない。ハギスは自分の背丈の七倍の高さでも飛び越えるっていうからな。それに見ろよ、柵の上に埋め込んだガラスの破片を。周りにも深い壕が掘ってあるだろ?万が一あの化け物が一匹でも逃げたら溺れさせるためなんだ」—— (グレイル・クエスト「ゾンビ塔の秘宝」より)

    もはや完全にハギスは凶暴なモンスターで描かれている。イラストレーションも「内臓っぷり」がものすごい感じです(笑。このアイルランドのこの作家が、ニヤニヤとしながら書いている姿が想像ができてしまうところにとても愛着が沸く。

    IMG_9661

    さて、ゲームブックの中の「冒険」をノートブック上で想像したり、考え事をすると、それはなかなかカオスのような痕跡を残すことになる。自分にとってノートブックは考え事の痕跡の集合みたいなものなんだけど、本に夢中になってからページをぱらりとめくってみると、もう暗号のようになっていて、一見何が書かれているのかさっぱりわからないのがポイント。
    ここに載せたノート写真は全て、ゲームブック上の考え事を記載しているページなんだけど、「地下迷宮」の状況や「セクションの数字」を書き綴った ページや、魔人から手渡された「暗号」を数学的に式を作って考えているページや、文章だけではピンとこなかった部分をWEBで調査して簡単な挿絵を入れておいたりと、次々と埋めつくされていく。

    IMG_9643

    巨大なモンスターのお腹の中から「真鍮製の頭」が出てきたり、「数字の割り振られた鍵」など、手にいれるものは不可思議なものが多いので、ノートブックを使って持ち物リストのチェックもなかなか楽しい。

    中学生の頃に熱心に読んでいた本を再度読みなおすと、王妃グィネヴィアとランスロットの不倫関係や、円卓の騎士たちや、ギリシャ神話に登場するイアーソンの「黄金の羊」などにまつわる物語等、大人になってからわかるジョーク等も隠されていることに気付く。なかなかに奥が深い。

    ちなみにこの記事を読んでゲームブックに興味を持った方は朗報、当時のグレイル・クエストは絶版で入手困難だが、復刊されたバージョンは2014年4月現在、amazonで購入することが可能だ。暗黒城の魔術師」→「ドラゴンの洞窟」→「魔界の地下迷宮」→「7つの奇怪群島」→「魔獣王国の秘剣」の第5巻までは復刊されている(ちなみに同作家の別刊「ドラキュラ城の血闘」も復刊済)。残り、「宇宙幻獣の呪い」と「幻城の怪迷路」と「ゾンビ塔の秘宝」の復刊を楽しみに待っている。

    読み始めたなら、魔術師マーリンが読み手に呼びかける呼び声で、最初の2ページで一気に引きずり込まれるので注意願います。そういえば、どこかのWEBで読んだけど、「ゲームブック」というジャンルの読み物だけが「中の登場する人物が、読み手であるあなたに、ずっと呼びかけることができる唯一の物語」であるとのこと。これはなかなか目からウロコな考え方だった。ミヒャエル・エンデの「ネバー・エンディング・ストーリー」も読み手であるあなたに話しかけた物語だったけど、ゲームブックなるものは、ずーっと最初から最後まで、中に描かれた魅力的な人物が、あなたに話しかけてくることができる。そういう「物語」だ。そういう文学に出会ったことがあるかい?

    P.S ちなみに大好きなモンスターはグレイルクエスト3巻目「魔界の地下迷宮」に登場する不気味な姿の「ボタボタ」です。このモンスターが6歩歩くとそれはもう大変なことになります。どれくらい大変なのかは、本を読んでチェックしてみてください。

    Grail quest1

     

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