Archive | Think

New! STAMP HERE

Posted on 29 3月 2017 by

今日のできごとメモ的に使っているサブ手帳を久々に開いたら真っ白すぎて唖然。
わたし手帳冬眠してたのかなと思った。

けれども、なによ。手帳冬眠って。
安易に文房具と単語をくっつけて新しい単語をつくるのも、考えものですね。

3月28日が新月だったのをいいことに、
その日のページにでかでかと「RESET」と書いておいた。

最近ちいさく嬉しかったこと。
ポストカードのスタンプ欄に手持ちの切手がキレイにはまった。
イーゼルボードに描かれた絵のように、切手が佇んでくれた。

ポストカードの中には、「STAMP HERE」スペースも凝っているものがある。
せっかくデザインされた「STAMP HERE」を隠したくなくて、
あえて白いスペースに切手を貼ることも。。。

このポストカードは、月光荘さんでもう4、5年くらい前に買っていたものだったかと。
切手を囲める余裕がある「STAMP HERE」欄は、私が集めているポストカードの中ではこれだけ。

凝った形状の記念切手もあるから、オールマイティーな「STAMP HERE」欄をつくるのは難しいかも。
それでも、こういう遊び心がある「STAMP HERE」欄入りポストカードに、また出会いたいものだと思う。

Comments (0)

Tags: , ,

物語の香り〜香り編◎『ハンニバル』〜「花屋はみんな泥棒さ」〜

Posted on 20 3月 2017 by

彼岸ですねー。徐々にあたたかくなってきております。
皆様のおすまいのおところはいかがでしょうか。
『貴婦人と一角獣』3枚目、この五感はどれでしょー。
これはわかりやすい?

貴婦人と一角獣

貴婦人と一角獣。この五感は?

====================
以上、前振りおわり。
物語の香り◎香り◎ハンニバル編(もう少し、タイトルをどうにかできないものか…)です。
前回は、物語の香り◎香料編でした。
香料編と香り編に分けよう、と考えていたんですが、香り編が以外と多く、そして書きたい物語が多いため、えー、香り編#01 トマスハリスの『ハンニバル』より、記憶と香りについて、ちょこっと書いてみようと思います。

ところで。
マルセル プルーストが書いた『失われた時を求めて』という物語があります。
この物語、主人公がマドレーヌを紅茶にひたして食べたその瞬間、子供の頃を思い出す…という冒頭がとても有名で、このように香りや味により、当時の記憶や感情を思い出す、感覚の再現を誘発することをプルースト効果というのだそうです。

このプルースト効果がとてもたくさん見られるのが、今回の香り編『ハンニバル』かなあ。
前回の香料編でも、ちょこっと書きました。
原作:トマス ハリス
アンソニーホプキンス主演で、映画にもなっています。最近はドラマにも。

ハンニバルレクター。
医学博士、そしてシリアルキラーというにはあまりにも言葉が軽い、『前例がないため名づけようがない』社会病質者です。

レクター博士、
一作目『レッドドラゴン』で逮捕され、
二作目『羊たちの沈黙』で精神病院に隔離されているのですが、世間を騒がす連続殺人事件を誰よりもよく知っていて、その事件を追うFBIの訓練生クラリス スターリングとの駆け引きと解決が描かれ、
そして、
三作目『ハンニバル』では、7年だか8年の沈黙を破って復活…と

この三作目です。
二作目『羊たちの沈黙』で訓練生だったスターリングは、現役捜査官として(セクハラ、パワハラに悩まされつつ)活躍しています。
そんで、博士はイタリアのフィレンツェへ逃亡し、正体を隠し、フェル博士と偽名を使い、とある書庫の司書として文学、芸術を満喫する生活を送っている。
スターリングが関わった、とある事件をきっかけに、怪物が復活するーーー
と、そういうようなあらすじなんですが。

『ハンニバル』文庫本で上下巻です。
これに、香り、匂いの記述がとてもたくさん出てきます。
芳香も悪臭も。
何て言うんだろう、状況の説明、補足、強調、とでも言うのか。
例えば、飛行機のエコノミー席での息苦しさ、食肉用家畜の養殖場、フィレンツェの香料専門店などなど。

前著『羊たちの沈黙』でも、レクター博士がスターリングと初めて会った時、スターリングのつけているスキンクリームの銘柄を当てたとか、そういうエピソードがあったはず…(今、『羊たちの沈黙』見つからないので確認できませんです)。

その物語の中で、印象的な香り、記憶、事件の補足的、また強調として使われている香りを紹介しようか、と。
今、これ入力していて、企画として成立するのかわたし! とちょっと不安ですが、やー、『好きなものを語るとき、それは誰かを救う』から、たぶんダイジョウブ(とじぶんに言い聞かせる)。

#01 クラリス スターリング
第一部のオープニングから。
麻薬組織のボスの逮捕に向かう途中、スターリングはバンの中で、ある匂いから、父親のことを思い出します。
以下、引用。

男たちのひしめく、この不快な臭いのする監視用ヴァンに乗っていると、身を刺されるような孤独感に包まれる。鼻をつくのは安物のアフターシェイヴの匂いーー”チャップス”、”ブルート”、”オールド・スパイス”。それに汗と革の匂いだ。ふっと不安が忍び寄ってきて、それは舌の下に含んだ一セント銅貨の味がした。
(脳裡にあるイメージが割り込んでくる。タバコと洗浄力の強い石鹸の香りをいつも発散していた父。キッチンに立って、先端が四角く割れたポケットナイフでオレンジの皮をむき、それを自分に分けてくれた父。彼が夜間パトロールに出かけたとき、しだいに遠ざかっていったピックアップトラックのテイルライト。そのパトロールで、父は落命したのだ(略))

警官だったお父さんがパトロール中に撃たれて亡くなったというのは、前作でも触れられていて(というか、スターリングの中で父親はとても大きな存在で、レクター博士にこのトラウマを弄ばれるワケです)、それがオープニングで取り上げられています。
あまり心地よくないにおいの中にいて、そこから(なぜかぜんぜん違う)父親の香り、父親の存在を思い出すーー

この麻薬組織への急襲は、スターリングにとってあまり気乗りのしない任務なので、そのやりきれなさから想起したのか、お父さんダイスキー!と懐かしむのではなくて、どちらかというと、残された哀しみ、孤独を噛み締めるような、そんな『プルースト効果』です。
引用で(略)としている後は、スターリングは、お父さんのダンス用の衣服を思い出していて、そこからの連想で彼女が現在使っているクローゼット、その中身、あまり着る機会がないパーティドレスなどを考えています。
父親と同じ(ような)仕事についた自分、そしてふたりして同じように、クローゼットにしまわれている、とっておきの衣装。
(そういう『とっておき』の衣装を着る機会があまりない、という華やかなことが少ない境遇、状況が、よりくっきりと際立つような)(切ないなあ)
香りひとつで、これだけの記憶の広がり、深くまで降りていける、そう表現できるってすごいなあトマスハリス。

この引用で、わたし、舌の下に含んだ一セント銅貨の味 ていうのがすごくリアルに感じられるのですが。
なんていうか、耳で感じる香り、口から耳へ伝わってくるような感覚(か、香りって耳から入ってこない? こないですか??)があり、感覚の共有とでもいうのかなあ、読み直していて、この一節がとても印象的でした。

#02 パッツィ警部
リナルド パッツィ、フィレンツェ警察の主任捜査官です。
レクター博士の正体に気付き、博士を(逮捕じゃなくて)(賞金欲しさに)売ろうとする人物で、えー、そういう人物です。
視覚による記憶が並外れていて、その能力を全面に押し出して仕事をしているワケです。
以下、引用。

尋問の名手パッツィは、聴覚と嗅覚に訴えながら自問していった。
(あのポスターを目にしたとき、耳には何が聞こえたっけ?……一階のキッチンでカタカタ鳴っていた鍋の音だ。では、踊り場にあがってポスターの前に立ったとき、何が聞こえた? テレビの音だ。居間のテレビ。『リ・イントッカービリ(アンタッチャブル)』でエリオット・ネスを演じていたロバート・スタックの声。料理の匂いはしたか? ああ、料理の匂いが伝わってきた。他に何かの匂いをかいだか? ポスターは目に入ったのだがーーいや、目にしたものの匂いはしなかった。他に何か匂いをかいだか? あのアルファロメオの匂いなら、はっきり覚えているのだが。車内はとても暑かった。あの熱いオイルの匂いはまだ鼻にこびりついているようだ。あれだけオイルが熱くなっていたのは……ラコルドだ。そう、ラコルド・アウトストラーダを飛ばしていたからだが、あのときはどこに向かっていたんだったかな? サン・カッシアーノ。うん、たしか犬の吠える声も聞いたな。サン・カッシアーノで。思い出したぞ、あの家の主を。あいつは強盗とレイプを重ねたやつで、名前はたしかジロラモなんとか、といった)。
記憶の断片が一つにまとまる瞬間、そう、神経の末梢が痙攣しながら連結し、灼熱のヒューズを通して一つの着想が浮かびあがる瞬間、人は何よりも鮮烈な喜悦にひたるものだ。パッツィにとって、それは生涯で最良の瞬間だった。

これはパッツィがレクター博士と会う前、別の連続殺人犯を追っていた時のエピソードでして。
最初はおぼろげな視覚的なイメージを、聴覚と嗅覚の記憶を探りながら、徐々に鮮明にしていく、犯人にたどりつく、その過程です。
スターリングの感傷的な記憶の再現とは違って、パッツィは、理論的、具体的に、そして『仕事に活かす』という前向きな方向で五感を駆使しています。
(五感の記憶を丹念にたどり直す、こういうメソッドが何かあるんでしょうか。)
(スターリングの香りの記憶の再現は、無意識、何となく、でしょう。そんでパッツィの方は、能力、スキルというカンジで)

記憶というとわたしは『頭で覚えていること』しか思いつかなかったんですが、このように

「あの時、聞こえたこと」
「あの時、見たもの」
「あの時、あたりに漂っていた香り」

五感で覚えていることというのは、より体感として刻み込まれた、というか、(アタマで覚えている)言語化された記憶よりも、丸ごとそのままの、直接的なものだろうなあ。

#03 ハンニバル レクター
以下、引用。

 まだ早い時期に、ハンニバル・レクター博士は騒々しい街路からこの世で最も香ぐわしい場所の一つ、ファルマチーア・ディ・サンタ・マリーア・ノヴェッラに入った。ここは七百年余の昔、ドメニコ会の修道僧たちによって創られた薬舗である。奥の内扉まで伸びている廊下で博士は立ち止まり、両目を閉じて顔を仰向けると、名高い石鹸やローションやクリームの芳香、作業室に並ぶ各種の原料の香りを心ゆくまで吸い込んだ。(略)
このフィレンツェで暮らしはじめて以来、身嗜みに気を配るフェル博士がこの店で購った賞品の総額は、それでも十万リラを超えないだろう。だが、それらの香料や香油はよくよく厳選され、しかも並はずれた感性によって組み合わされていた。その感性は、鼻によって生きている香りの商人たちの胸に驚きと敬意を植えつけずにはおかなかったのだ。

レクター博士、フィレンツェでの暮らしをエンジョイしております。
某書庫の司書(候補)になり、その書庫に住み、古い文献を管理し、こうして香り、香料も潤沢に使っている。
(比較として、羊たちの沈黙時代、精神病院にいた時の悪臭についても、何度か書かれています)
映画では、FBIを挑発するように手紙を送ったんですが、その便箋に、ハンドクリームの香りを染み込ませていまして。
竜涎香とテネシーラベンダーと、あと羊毛をブレンドした香り。
おそらく、原作のこの辺りの『香り』の記述から創られた、映画オリジナルのエピソードです。
このあたり、行間から、花びらやハーヴのひらひらが浮かびあがるようなイメージで読みました。
前述のパッツィ警部の負っている闇、そして博士のエンジョイフィレンツェライフの明るさ、そのコントラスト、なのかなーと思いました。

さらに引用。

 自分の鼻の形を変えるに際し、レクター博士が外面的なコラーゲン注射のみに留めて、いかなる鼻整形手術も行わなかったのは、まさしくこの喜びを保ちたいためだった。彼にとって、周囲の空気は各種の色彩と同等の、明瞭で鮮やかな香りで彩られている。彼はあたかも絵の具の上に絵の具を重ね塗りするように、それらの香りを重ねてかぐことができる。ここには牢獄を思わせるものは何ひとつない。ここでは空気は音楽なのだ。
まずは本物の龍涎香、海狸香、それに麝香鹿(ジャコウジカ)のエッセンスから成る基音がゆきわたっており、(略)白檀、肉桂、ミモザ等の香りが渾然となった調べがのびやかに響きわたっている。
 自分は両手や両腕、両の頬で、周囲に満ちている香りをかぐことができるという幻想に、レクター博士はときに浸ることがある。そう、自分は顔と心で香りをかげるのだという幻想に。

(ここも読んでいて、本当にガーリーなキラキラした空気が漂い、花やハーヴがひらひらしているような、そんな印象でした)(や、博士、シリアルキラーなんですが)
ここでは空気は音楽なのだ。
短い文章なのですが、本当に豊かな空間なのだろうなあと想像できます。
これもひとつの共感覚なんでしょうか。
音も空気の振動なので、香りと近いものなのかなあ。
そしてその香りを、肌と心で知覚する、という幻想を楽しむ。
例えば、手で、甘い香りだと感じるのは、どういう感覚なのだろうなあ。
温かさ? 色? 柔らかさ?
複数の香料の響き合いというのは、五感、どこで感知するんでしょうか。
オモシロいなあ。

ちょっと考えてみました。指先で感じる香り。
メンソール系:冷たい
ばらなどのフローラル:流れるようなほの暖かさ
ラベンダー:ちょっと固い
ムスク:ふよふよして厚みがある
柑橘系:薄めで固い
白檀:すごく固い

あれだな、例えばインク沼のひとなら、人の目で見た香り、色をノートブックに書いてみてもいいかも知れない。
メンソールはどんな色だろう。原料の色じゃなくて。香りの色。
音であれば、どんな音だろう。高い音、低い音、楽器であれば、どの楽器で奏でられた音だろう。
言葉なら、どんな言葉になるのかなあ。香りの印象ではなくて。

というわけで。
物語の香り◎香り◎ハンニバル(下巻)編に続きます。
よろしくお願いしますです……

■おまけ
チーズやトリュフがふんだんに並ぶ ”ヴェラ・ダルー1926” は、神の足のような匂いがする、とフィレンツェっ子は言う。
(『ハンニバル』上巻より)

■おまけ2
人の目が聞いたこともなく、人の耳が見たこともなく、人の手が味わうこともできず、人の舌が想像することもできず、人の心が話すこともできない、そんな夢を俺は見たんだ。
(『真夏の夜の夢』沙翁)

Comments (0)

書くことは居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だと思う

Posted on 17 3月 2017 by

僕にとって書くことは、居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だと思う。

さて今日は10代の頃について書いてみようかなと思う。高校生の頃、いつも教室の隅っこで寝てるタイプだった。修学旅行にも行かなかった。高校には友人が極度にいなかったのだけど、じつは家に帰ると、幼馴染の友人たちを含め、様々な人種の人々が昼も夜も常にいる感じだった。高校三年生の頃に僕は、幼馴染の友人と二人でアパートを借りて生活を始めたので、様々な人種のたまり場になっていったことが理由。これが僕の人生に大きな影響をおよぼした事象のひとつだ。この当時のことが影響していて、僕は他人が好きなことをして好きなように過ごしているのを見るのを好きだ。

おそらく人生でいちばん人と会い、いろんな考え方に触れた時期のような気がする。
1DKアパート暮らし。和室を僕の幼馴染が使い、となりのダイニングスペースを僕が使った。ものすごくお金がなかったので、カーペット代わりに部屋中に段ボールを敷き詰めて暮らし、好きな場所にアクリル絵の具で絵を描いていた。拾ってきた家具を使うという感じで少しずつ快適にしていったわけなんだけど、僕が拾ってきたボロボロの工事現場用の三脚を、これ一生使うから拾ってきた、いやいや使わないので今すぐ捨ててきてと友人とモメたのをなぜかよく覚えている。その三脚はその後洗濯物を干すのに愛用。干すたびに洗濯物がサビだらけになった。

狭い部屋なので、遊びに来た友人たちと身を寄せ合って、灯油切れのストーブを横目に、机の下に頭を突っ込んでひとつの布団の中で一緒に寝た。バイト先でもらってきた大量のお惣菜をメインの食事に充てた。毎日から揚げとマヨネーズを和えたマカロニサラダが蔓延する食事。それに見かねた料理の得意な友人たちが、食事を用意してくれた。覚えているのは、最近亡くなった友人が当時作ってくれた「ネギ鍋」。固い半煮えのネギしか入っていなかったので美味しくなかったことだ。洗濯機もなかったので風呂場でかき混ぜるように足で洗濯をした。家具も無い部屋の中で、僕は段ボールの上にあぐらをかいて、傍らに本を積み、時折、積み上げた本の上に椅子代わりに座り、ギターを弾きながら無口に生きていたわけだ。この環境を珍しがって、一緒に住む友人のそのまた友人や、僕の幼馴染たちの友人やそのまた友人、様々な人種が入れ代わり立ち代わり訪れた。もちろん破壊的な女の子たちもいて、その部屋で初めて出会ったときに、僕のちんちんを丁寧に触ってくる女の子もいた。僕は触らせるがままにしていた。どんなことが起きても動じてはいけないのだと考えていた。当時僕はウォーホルの本を頻繁に読んでいたので、そこには頻繁に70年代の不健康そうな物語が載っていて、例えば高層ビルの一室でのパーティの際に目の前で飛び降り自殺をしようとしていた人がいても、「あ、あの人飛び降りるよ」とつぶやくのだが誰も止めないというようなシーンがあって、その日初めて出会う女の子に、たとえ丁寧にチンチンを触られていても動じてはいけないのだと考えていたのである。

暇さえあれば僕は寝っ転がりながら、ノートに落書きやら文章を書き連ねていた。無印のノートかコクヨのノートにMONOの水性ボールペンで書いていたのだけど、この前実家に帰った時に見つけて読み返してみたら、当時出会った人々から夜な夜な聴いた話を書き留めたり、もらった手紙やらを挟んでいたり、紙切れを貼り付けていたり、サンマの塩焼きを熱心にスケッチしていた。当時考えたことは、数十年の経過ののち、汗のようにじわりと体から染み出る感じがする。残された僕のノートの中には、「好きなものを好きだと言い続けることは誰かを救う」と書いてあった。僕にとって書くことは、居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だ。

このノートを読み返していると、随分と反抗的なことばかり書かれていた。自分を押しつぶそうとする世界に対して。押し返す力として。そういうノートが必要な時がある。今でも僕は、自分の周囲にゴムのようなものが貼られていてぎゅうぎゅうと押し込まれているような感じがする時がある。何か心理学的に言うと子宮なのかもしれない。押し返す力としてノートを使う。

 

Comments (0)

男女を超えていけ!

Posted on 05 3月 2017 by

あまり信条なことを,しかもNotebookers.jpのようなほんわかメディア(と個人的には呼んでおります)で書くことははばかられるのですが,どうしても言いたくなったことがあったので,共有してもいいですか.あんまり文房具とは関係ないあたりも申し訳ないです.

先日,近くの非常にガーリーなお店が改装セールをやっておりまして,つい引き寄せられてぶらっと立ち寄りました.

そのガーリーなお店というのは,文房具などが非常に充実していたり,小物や雑貨,布製品などが充実していたりしまして,たとえば友人や母への誕生日プレゼントなどを所望するには最適なお店なのであります.

 

そこで,冬の終わりということもあり,ワゴンセールが催されておりました.なるほど,指先を覆っていないタイプの手袋が二百円なり.色も好みであります.暖かそうであります.

 

しかし,すべてが女性用.

もちろん,ウール素材のものなんかは伸びますし,フリーサイズのものであれば,さして手は小さくないので使用できます.

また,わたくしは末端冷え性であります.タイピングをするときなど,手袋は必須.それがないと寒くてお仕事などやってられません.

さて,どうするか.買うか,買わないか.パッケージは見るからに,女性的なタッチで描かれております.爪とか塗ってあるし.

でもまぁえいや!と思って買いました.

ガーリーなお店のお姉さんには「ご自宅用ですか?」と一言.それって言い換えれば,「あなた自分で使いますか?」という意味ということ?

確かにご自宅用なので「はい」と答えて入手.恥ずかしいという気持ちよりは,なんか腑に落ちない.

なぜ女性ものが男性ものを買うのはそれほどハードルが高くないのに,逆はこんなにもハードルが高いと感じるのでしょう?

単に私だけ?んなことないよね.でも少女漫画とか女性用雑誌なんかも面白いと思っている男性諸君は多いはずであります.

 

手袋を作る人たちよ!

さぁ,ジェンダーフリーにしませんか.

そして客層2倍を,目指そうではありませんか!

 

でもまぁ,こうやって男女を超えていくこと.それもまた,よりよい未来と,それよりもまず手のぬくもりへの第一歩なのだと確信する経験でありました.

Comments (0)

Tags:

愛惜のEDiT MONTHLY 2016

Posted on 08 2月 2017 by

の記事も並行して書いているんですが。

貴婦人と一角獣

赤が多用されて、青はあんまり使われていなーい。


これはタペストリ『貴婦人と一角獣』のうち1枚なんですが。
このタペストリは6枚ありまして、味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚、もうひとつ『我がただ一つの望み』がテーマになっています。
このタペストリはそのうちのどれでしょー。

Continue Reading

Comments (3)

Tags:

大きな本棚の悲しみ

Posted on 06 2月 2017 by

こんなことを言うと反感を買いそうだけれど,そして,ミニマリストな人々には当然かもしれないけれど,さらに読書記録を付けている人にはバカにされそうだけれど,

僕は楽しみのための本を買うのをやめようと思っている

具体的には,小説を買うのをやめようと思っている.

なぜか.

それは,もう,本棚がいっぱいだからだ.

そして,いっぱいの本棚は,悲しいからだ.

 

僕の家には,高さ2m,横幅1mの大きな本棚がある.下段には,写真集がある.さほど多くはない.中段には仕事関係·お勉強関係の研究書が並んでいる.これらは,シリアスに絶版のものもあるので,捨てられない.

だけれども,よく見ると,上段には小説も交じっている.趣味で集めた本もある.銀色夏生さんの詩集は2000年代までならほとんどある.桐野夏生も昔は好きだった.モームも,ヘミングウェイも,漱石も,サガンもある.でも,どれもほとんど読んでいない.

作家で集めたはいいが,読まれない本ほど,悲しいものはない.必要はないけれど,欠けるのが嫌だから,そこにあるだけだ.僕の見栄のために.

そして,模様替えの時,必死で動かすその本棚の重みは,なお悲しい.

 

だから,今はまっているジェフリー・ディーヴァーは,すべて図書館で借りることにしている.僕は作家で読む人だから,Wikipediaで作家を検索して,作品リストを印刷する.

ノートに貼り付ける.

読んだものには〇を付ける.簡易本棚の完成だ.

 

写真内表の出典:Wikipedia (項目:ジェフリー・ディーヴァー) https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェフリー・ディーヴァー

今のところ,集めるという欲も,それから読んだという達成感も,満たされている.読み返したくなることはない(だからといって,面白くないわけではないのだけれど).

結局,モームも,ヘミングウェイも,漱石も,サガンも,僕の見栄のために本棚に存在する必要はない.それはすこし,残念な感じがするし.

 

というわけで僕は,これから本を買うことがめっきりなくなるだろう.

いつか,ほとんどの本たちをブック何某にでも持っていくだろう.そして,悲しくなるぐらいのわずかな対価を受け取るのだろう.

あるいは,そのまま古紙回収にでも出すのだろう.誰かの手にまた触れられるなら,いっそのこと燃やしてしまう方がいい,という悲しい気持ちから.

そして思うのだろう.

おや?もしかしたら,空っぽの本棚も悲しいのでは?

自己を正当化.

そして,これらもまた悲しい.

 

答えは出ない.

 

本棚を買う前に戻って,その時の自分に「大きな本棚は悲しみを生む」と伝えることができたら,僕はどんな顔をするだろう.

驚くだろうか.怒るだろうか.あるいは,納得してくれるだろうか.

 

 

Comments (2)

Tags: , ,

『編みジッパーケース』の記事が好き過ぎるという記事〜6年目

Posted on 22 1月 2017 by

ー。
2016年は、あまり本が読めなかったんですが。その中から何冊か挙げるとこんなカンジでしょうか。
ひとことずつくらい。
Continue Reading

Comments (0)

Tags: , ,

薬膳セミナー◎テーマは春のデトックス〜2月26日開催します。

Posted on 14 1月 2017 by

えば、この季節、出かける前は。
寒いなあ、と、コート来てストールぐるぐる巻いて、手袋をしてマスクをして、戸締まりをして自転車に乗る。
そんで向かい風に顔を上げて自転車をこいでいると、ああ、冬だなあ、いいなあと、毎年思います。
ハッシュタグは #好冬 で。

====
以上、前振りとして。
2月26日(日)薬膳セミナーを開催します。
(セミナーの講師はわたしじゃなくて、ちささん @amane008 漢方カウンセラー&薬膳アドバイザーのかたです)。
13時開催で、約1時間半、場所は大阪市内のレンタルスペースを予定しています。
(会費はだいたい500〜700円くらい? 参加人数により変わります)

薬膳セミナー

和ハーブですね。

テーマは『春のデトックス』だそうです。
暖かかったり寒かったりする気候の季節、春。
この季節をいかに快適に過ごすか、をお話して頂きます。

薬膳セミナー

春は五行では『肝』にあたり、この肝の気が上へ上へと上がる季節だそうです。
それが過剰になると情緒不安定になったり、頭痛などの原因にもなり、その辺りの
◎春がデトックスに向いている理由
◎「気」が上がって頭痛やめまい、情緒不安定が起こる原因
この対処法、そして、冬の間に溜め込んだ不要なものを排出するおすすめの春野菜の薬膳レシピ、代謝のよい身体の作り方など、そういうお話を伺います。
あと、26日は新月で、新月のおすすめの食材のお話などもあるようです。
(新月向けの食材てあるんだー、へー)

(まず間違いなく)わたしがここで書いていること以上のすばらしい講義をして頂けるので、皆様、安心してご参加下さい。

ツイプラはこちら>>春の薬膳セミナー
(ツイプラのアカウントは @se_labyrinth となっていますが、わたしの企画用アカウントです)
お問い合わせは、この記事のコメント、またはわたしのツイッターまでドウゾお気軽にー。

薬膳セミナー

これは八角でしょうか。おいしそー。

薬膳セミナー

□おまけ

薬膳セミナーめも

ヴォヤジュールとミニトラベラーズダイアリー

Comments (0)

Tags: ,

2016年◎アドベント4週目〜ただ愛と光をその境とするところ

Posted on 23 12月 2016 by

帳総選挙の結果が発表されました!

1位がなんと、TONE REVERSAL DIARY でした!
すごく嬉しいです。わたしは、黒一色ノートブックとか、黒一色メモ帳が好きでいくつか持っていて、使っているんですが。
神戸の総選挙の時に、スタッフさんに説明を伺って、あー、そうなんだーと思いました。
こちらの記事でも(冒頭でちょこっとだけですが)書いていますが、もともとは視力の弱い方向けの手帖だそうで、そのために黒一色、大きめのサイズ、月日と曜日だけのシンプルなつくりになっている、ということで。
そして、関東の開催時にテレビの取材があったそうで(TONE REVERSALの取材で)(「手帳総選挙のためじゃなかったんですよ」とのことでした)、もっと「こんな手帳があるよ」と広まって、本当に必要なひとに届いたらいいな、それでこの手帳を使うひとがもっと増えたらいいな、と思いました。
すごく嬉しいです。(株)アーチャレジー様、おめでとうございますー♪

===========
前振りは前振りとして。
えー、アドベント4週目です。
前々回の記事はコチラ>>受胎告知編
前回の記事はコチラ(2週目と3週目は同じ記事だから2記事でいいのです)>>羊飼いと博士の礼拝
4週目は『キリストの生誕』です。
馬小屋で生まれたキリストを、羊飼い、博士たち、天使たちが囲み、礼拝している、と、そういう場面です。

えー。4週目の記事を書こうと思って、下調べをしていて気付いたんですが。
『羊飼いたちへのお告げ』と『東方の三博士(がベツレヘムを目指す)』絵はともかくとして。
『羊飼いたちの礼拝』『博士たちの礼拝』では、もうキリストが生まれているんですね。
生まれているけれど、それでも4週目『キリストの生誕』(なんだかこの企画、雲行きが怪しい)
そして、聖書の言葉も、羊飼いたちは羊飼いたちでキリストを拝み(ルカによる福音書)、博士たちは博士たちで贈り物をして礼拝している(こちらはマタイによる福音書)。
羊飼いたち、博士たち、天使たちが一緒になってキリストを拝んでいる、という表記はない、っぽいです。

どうやって収拾を付けようかと思ったんですが、だからこそ自由に『わたしの好きな』アドベント4週目の絵『キリスト生誕』を紹介したいなあ、と。

『幼子イエスの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト

『幼子イエスの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト 1620年


左のふたりは天使だそうです。
マリアの顔を照らす光の感じがとても好きです。
(たぶん)キリストの生誕の絵としては、とてもシンプルで、背景、馬小屋という表現もなく、人物も、マリア、ヨセフ、ふたりの天使、と少ないですが、キリストを光源として、その光がマリアと天使たちの顔を照らし、その表情がとてもやわらかくていいなあ。

同じくファン ホルストのもう一枚。

『羊飼いの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト

『羊飼いの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト 1622年


こちらも背景がなく、羊飼いたちがキリストを拝んでいる、その光に対して眩しそうにしている、(1622年でもそうだろうけど)キリストが生まれたこの時代は、夜は、ほんとうにこのくらい暗かったのだろうなと思う。その暗さに対して、キリストが光を放つ。それは、絵画としての光源であり、また、世界を照らす光、という意味でもあるだろうなあ。
(タイトルが “Adoration of the Shepherds” なので、ひ、羊飼いの礼拝…)

『キリストの降誕』コレッジョ 1522年 祭壇画

『キリストの降誕』コレッジョ 1522年 祭壇画


羊飼い、天使たち、女性(出産を手伝った女性?)、マリアとヨセフ、そしてキリストが描かれています。
この絵もキリストが光源になっています。と、いうより、この絵が後世の画家たちに影響を与え、キリストを光源とする絵が描かれた、とされているようです。
マリアから右半分ほどが、ほぼ暗闇で何も描かれていないのに対し、マリアの腕の中にいるキリストから光が放たれていて、そのほの明るさがとてもいいなあ。
(わ、わたしは背景が暗い絵が好きなのか…)(や、闇が深ければ、光もまた際立つ、ということで…)

(日本の話ですが)平安時代の夜は、本当に「何も見えない」くらいの暗さで、だからこそ夜は恐ろしいものだった、というような話を、以前、読んだことがあるのですが。
こういう絵を見ていると、光は本当に恩寵なのだなと思います。

そして。
「先生、お願いします!」的にカラヴァッジョから。

カラヴァッジョ『キリスト降誕』1609年

カラヴァッジョ『キリスト降誕』1609年


この闇の深さ、黒の密度の高さ、いいなあ!
そしてキリストも光を放っていますが、額に少し光があるくらいで、マリアを照らすには届かないような光で。
なんていうのだろう、黒で塗りつぶされてはいるけれど、その空間にあるもの、ないものまで想像してしまう、そういう絵です。
光と影のコントラストを強調する美術の手法があるんですが、それよりも『もっと強調した手法(雑な説明)』なんだそうです。
(どうだろう、(上記にも書きましたが)光と闇を強調云々というより、当時の暗さ、灯りのなさ、は、このくらいが普通だったんじゃないかと)
そして、マリアの表情がなぜか雲っている(てか、このマリア、やたらコケットだな)。

コレッジョとカラヴァッジョを並べてみると、こういうカンジに。
聖母の表情が対照的。

コレッジョとカラヴァッジョ

いかがでしょう。

カラヴァッジョ『羊飼いの礼拝』1609年

カラヴァッジョ『羊飼いの礼拝』1609年


(もともとシチリアの教会にあったのですが、なんと1969年に盗まれてしまったそうです)
こちらは『キリスト降誕』よりは(やや)明るい。

マリアが憂い顔をしている。(え、こういう絵描いて大丈夫だったのかカラヴァッジョ)
(大丈夫じゃなかったから、依頼主から引き取り拒否とかトラブルがあったそうです)
カラヴァッジョには、キリストが生まれた時、マリアは手放しで喜べなかった、という思いがあったんだろうなあ。その思いはどこから来たんだろう、とか。
絵は(というか、絵でも音楽でも表現するものは何でも)、その描くひとを描く、のだと、以前、横浜トリエンナーレでものすごく感じました。
モチーフは何を選ぶのか、何を選ばないのか。
色は、塗り方は。
何を細かく描き込んで、何を省略するのか、
例えば、白い絵の具だけをキャンバスに塗った絵であったとしても、画家Aと画家Bでは、まったく違うものであり。
それで言うなら、カラヴァッジョは、救い主が生まれた喜ばしい夜の絵で、憂い顔の聖母を描くことを選んだ。
わたしは、より『そういう絵』に惹かれるなあ。

=======

えー。
せっかくのクリスマスなのだから、最後は、せ、正統派の一枚で。

ギルランダイオ『キリスト降誕』1485年

ギルランダイオ『キリスト降誕』1485年


キリストの生誕を祝い、たくさんのひとが集まる絵です。
マリアがとても初々しい。透明感のある美しい聖母として描かれています。
(というか、やっぱりこういう明るい絵は、…キリストが光源にならないのだな。そうか。当たり前だけど)
(コレッジョやカラヴァッジョの絵の方がホッとしませんか)(同意を求めるな)
え、えーと、ロバと牡牛は、キリストが生まれた時、礼拝にやってきたという伝説があって、降誕画にはお約束のモチーフなんだそうです。

右手後ろに子羊を抱いている人物がいます。子羊は、やはり、キリストの未来、受難を予告する象徴なのだそうです。
なんというか。こう、キリストの生誕を待ち望む4週間、その週ごとに割り当てられた物語があり、美術として表現され。
救い主の誕生を祝うと同時に、キリストの受難、十字架にかけられ処刑される運命を、くっきりきっぱり描き込む。
(そういうことを描いていないカラヴァッジョの絵はなんと優しいのか)
(そして、なんでわたしは、そーゆー小昏いことばっかし注目するのか)
(ですが、キリストは、小昏いことばかり注目するような者を救うためにお生まれになったのだと信じて)
皆様、ドウゾ良いクリスマスをお過ごし下さい。

■■■おまけ

「ただ愛と光をその境とするところ」   ダンテ

□□□おまけ2@変化球。



Comments (0)

Tags: , ,

(獏)⇒象獏⇒(象)獏

Posted on 18 12月 2016 by

獏とは一つの獏であり 無数の獏は同じ獏である 全ての獏はみな違い 獏の眠りには夢が無い
象が見る獏は夢であり 象とはこの世の獏である 夢に住む獏つくる象 獏はただただ獏である



象は瞑想に生きる/象は労働する/象は運ぶ
獏は夢を生きる/獏は労働しない/獏は眠る

象は獏の内にあると知り
獏は象に支持されている

獏は象に獏から取り出されて獏となった
象は自分の内にある獏の伝道者となった



象が大きく重たいのは「苦」を一身に背負い運ぶため
象の「苦」は大きいが獏と一緒だから受け止められる


獏無く現無く
象無く夢無し


獏は直接 現 に働きかける術を持たないから象に感謝して託す
象は直接 夢 に働きかける術を持たないから獏に感謝して依る



獏とは現実という逆光が映し出す影 ホログラムみたいなものです
光の束であり 重力の歪みであり 量子的状態の収縮であるところの
影を放つ光 重さをもった時間 そう すなわち象のことなのです


象と獏とは 同じ存在の 別の相である (Q.E.D)

Comments (0)

Tags: ,

2016年◎アドベント2&3週目〜「いと高きところでは、神に栄光があるように。 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

Posted on 15 12月 2016 by

んな、クリスマスだから『スモーク』、見よう。
これはオーギーがポールにアルバムを見せるシーン。

デジタルリマスターで見れるから。全国順次公開あるから。みんな、見に行こう。
公式サイト

========
なんて言えばいいんだろう、前振り詐欺? そういうわけで前振りは前振りとして(でも、みんな、スモーク見てね!いい映画だから!)
2016年アドベント企画2週目&3週目です。
(以前もアドベント記事で2週目と3週目をひとつに記事にしたような気が…。)

前回の記事はコチラ>>1週目『受胎告知』
アドベント2週目です。
えー、2週目は『羊飼いへのお告げ』です。
荒野で、羊たちの番をしている羊飼いのもとへ、天使が救い主の誕生を知らせにきます。
その知らせを聞いた羊飼いたちは…
聖書から引用。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿をしながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使は言った。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたががに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのをみるであろう。それがあなたがたに与えられるしるしである。」するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現われ、御使と一緒になって神をさんびして言った。
「いと高きところでは、神に栄光があるように。
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と互いに語り合った。
(ルカによる福音書2章8-15)

前回の、美術 DE『受胎告知』って我ながら「イイ! 読みたい(主にわたしが)!!」と思ってノリノリで本を読み返して、書いたんですが、えー、『羊飼いへのお告げ』がびっくりするほど、なんていうんだろう、わたしが読める(専門書とか、そういう本ではない)範囲の本には、えー、少ない、取り上げられていなかったりしました。
(あまりの少なさに「資料がないです」と素直に認めて、そんで「そういうわけだから、東方の三賢人の絵です」て、さらっと流そうかなと思ったりもしたんですが)
その少ない中で見つけたのがコレです。

『三博士の礼拝』ピエトロ ディ ジョヴァンニ

『三博士の礼拝』ピエトロ ディ ジョヴァンニ(通称:ロレンツォ モナコ)祭壇画 1420年頃

三賢人の絵っぽく見えますが。違うのです。ちゃんと羊飼いへのお告げのシーンも描かれている。ココ。

『三博士の礼拝』with羊飼いのお告げ ピエトロ ディ ジョヴァンニ

『三博士の礼拝』with羊飼いのお告げ ピエトロ ディ ジョヴァンニ


拡大して見るとわかるんですが、上部の三つの半円、その真ん中の金色の花のようなのが天使で、その下に羊飼いたちが描かれています。
「1枚でアドベント2週間分の絵です!」て、これを隅から隅までクローズアップして記事書こうかなと思いました。
そのくらい資料がなく、どうしようかと。

などと思ってたんですが、ありました。

ファン デル フースの羊飼いの礼拝(1475年)祭壇画

ファン デル フースの羊飼いの礼拝(1475年)祭壇画

絵の右にいる三人の男が羊飼いだそうです。
(もっと真ん中に描いてあげればいいのに、など思いました)
この絵では、羊飼は幼子キリストへ贈り物を持ってきていません。聖書にもその記述がないのですが、15世紀の終わり頃から、羊飼いの杖、笛、足をしばった羊などを贈る絵が描かれるようになるそうです。
(そして、wikiを見ようと思って、この画家の名前を検索したのですが、ひっかからず。えー、ファン デル フースで検索したところ、『フーゴー・ファン・デル・グース』でひっかかりました。Gをガ行で読むか、ハ行で読むか、オランダ語かドイツ語か、そこいらへんでそういうのがあったな、と)
小さい天使がいっぱいいて、なんだか、こう、『そういう生き物』のような。

どの本にも書かれているのですが。
キリスト教では、キリストは「良き羊飼い」に例えられ、信徒は導かれる群れだと考えるそうです。
羊飼いたちに御使が知らせたのは、その象徴なのだそうです。

すごくいいなあ、と思ったのが。

ティントレット 羊飼いの礼拝(1579-1581年)

ティントレット 羊飼いの礼拝(1579-1581年)


上下に分割されている構図で、たぶん、とても珍しいのでは、と思います。
(珍しい云々はともかくとして、この全体的に茶色っぽい色使い、すごくいいなあ)

上段に描かれたのがヨセフ、マリア、幼な子キリストの聖家族で、下段が羊飼いです。
上段、マリアがベールを持ち上げて、出産を手伝ったふたりの女性、サロメとゼベルに生まれたばかりのキリストを見せている、というシーンだそうです。
下段、羊飼いが贈り物を捧げている、そして、奥にクジャク、飼い葉桶のところにはニワトリが描かれているんですが。
クジャクは永遠の象徴、そんで、ニワトリは、将来、起こるはずの事件をあらわしているのだそうです。
後年、キリストの弟子ペテロが、キリストを知らないと言う時、ニワトリが鳴くという予言があり、それを指しているそうです。へー。

ちょっと(かなり?)変わりダネの1枚。

ウィリアム ブレイク『羊飼いに現れる天使』

ウィリアム ブレイク『羊飼いに現れる天使』


ブレイクは「私はこの世が想像と幻像の世界であることを知っています。私は私が描くすべてのものをこの世に見るのです」と手紙に書いていたそうです。なので、きっとこの天使たちも見たのだろうなあ、と、わたしとしては不思議と納得する絵であります。

======================
そして3週目『東方の三賢人』
これも聖書から引用〜。

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った。「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。ヘロデはこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らは問いただした。彼らは王に言った。「それはユダヤのベツレヘムです(略)
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現われた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った。「言って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に数んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物を捧げた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
(マタイによる福音書2章7-12)

なんだろう、この、羊飼いのお告げと、東方の三賢人の資料の量の差というのは。
というくらい、博士の資料というか、書かれたものは多かったです。
この聖書の引用の冒頭の『星の現われたとき』、という箇所ですが。
博士たち、賢人、と書かれることが多いですが、占星術師であり、祭司でもあったそうです。
当時の占星術師は、最先端の科学者でもあり、天文学、気象観測を人々の生活に役立てていたらしい。

有名なところでは、古代ペルシャ語で博士たちは『マギ』と呼ばれていて、それが転じて、杖を一振りしたら何でもできる “magic” になったとか。

そして。
わたし、今回、この記事を書くにあたって初めて知ったんですが。
聖書の引用を読み直すと博士の人数って書いてないんですね。贈り物が三つなので、おそらく三人だろう、という、そういうことらしいです。知らなかったー!!

美術としてはーー
正統派から。

アルブレヒト デューラー『東方三博士の礼拝』1504年

アルブレヒト デューラー『東方三博士の礼拝』1504年


(この絵に限らないですが)三賢人は、『東方の』『東の国の』と、かなり『東』を強調されているのですが。
絵画では、この三人は、それぞれヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸からひとりずつ、そして、青年、壮年、老人ひとりずつ、として描かれています。
1)最年長? カスパール インドの貴族
2)壮年? バルタザール エジプトの王子様
3)青年? メルキオール ギリシャの学者
だそうですが、メルキオールが最年長だとか、バルタザールが最年少だとか、わたしが読んだ本でも、その辺りはバラバラでした。やー、すばらしい多様性多様性。

この絵では、キリストにひざまづいているのが、最年長のカスパール、その後ろに黒人のバルタザールと最年少のメルキオールが控えている、ということらしい。

そんで博士たちの贈り物ですが。
1)黄金:神の栄光を表す
2)乳香:神性の証
香料のひとつで、いけにえの動物の頭に振りかけたりして、宗教行事に使うそうです(そして頭痛にも効く)。
3)没薬:受難の予告
カンラン科の木から取れる油で、聖油として使われます。遺体の防腐剤としても有名で、エジプトのミイラにも使われています。(てか、ミイラという言葉はもともとは、ポルトガル語で『没薬』の意味らしい)(なんだこの言葉のメビウスの輪は)
麻痺させる作用があるため、死刑囚などに、ワインに没薬を混ぜて飲ませていたそうです。
この没薬の意味『受難の予告』ですが。
上記、ティントレットの羊飼いの礼拝の絵も、ニワトリが描かれ、キリストの受難、つまり磔刑になることを表しています。誕生の時から、受難が決まっていて、絵に描かれ、見たひとがそうだとわかる、というのは、それが神の子の使命だったとしても、切ないなあと思います。

あと、東方の三賢人をモチーフにした絵は、博士たちが東方出身なので、衣装がそちら方面の民族衣装、そしてラクダや豹などを連れていたりして、なんとも異国情緒にあふれているようです。
次の一枚はそういう絵。

『三博士の礼拝』ジェンテーレ ダ ファブリアーノ 1423年 祭壇画

『三博士の礼拝』ジェンテーレ ダ ファブリアーノ 1423年 祭壇画


豪華絢爛物語絵巻! な一枚です。
上部、半円の中に博士たちのエピソードが描かれています。
左から、丘の上に立つ三人の博士が星を見ているシーン、真ん中がエルサレムのヘロデ王の宮殿に向かうところ、右はベツレヘムへ到着の場面だそうです。
博士たちの豪華な衣装、背景に描かれた猿や豹? 虎? や、鳥など、端から順に眺めていきたい、そういう絵であります。

◆◆◆おまけ、というか。
三博士の聖書の引用の冒頭なんですが。
ヘロデ王は「ユダヤ人の王」であるキリストが生まれたことを知ります。
王は自分なのだから、他に王が生まれることなど許さない、と、排除するつもり満々で、博士たちに御子を見つけたら教えてほしいと言います。
博士たちは幼な子キリストに会い、ヘロデ王に報告しようとしますが、夢で「戻るな」とお告げをうけたので、そのまま祖国へ帰ってしまいます。
ヘロデ王は、自分を裏切って博士たちが帰ったことを知り、えー、ベツレヘムと、その付近の土地の二歳以下の男の子を殺すように命じるのですが。

一方で。
キリストのお父さん、ヨセフは、夢に天使が現れ、家族を連れてエジプトへ逃げるよう告げられます。
そのシーンかもしれない、というのがコレ。夜の暗さと灯りのコントラストの画家、ラ・トゥールの一枚。

ラトゥール『ヨセフの夢』

天使の顔にあたる光のカンジが、本当にすばらしい。


(なんで「そのシーンかもしれない」のかというと、ヨセフは3回、夢で天使にお告げを聞いていて、ラ・トゥールはこの絵の説明を残していないので、「かもしれない」のです)

次回、いよいよクリスマス、4週目、『キリストの誕生』です。


おまけ2

リーガルパッドとモレスキン

下書きはリーガルパッドとモレスキン




参考
『わたしの好きなクリスマスの絵』フェデリコ・ゼーリ 柱本元彦訳(平凡社)
『名画と聖書』船本弘毅監修(成美堂出版)
『名画と読むイエス・キリストの物語』中野京子(大和書房)

Comments (0)

Tags: , ,

2016年◎アドベント1週目〜聖母マリア、あなたは神のあこがれをいれる美しい器でした〜『受胎告知』を見てみよう

Posted on 30 11月 2016 by

母マリア、あなたは神のあこがれをいれる美しい器でした(リルケの言葉)

えー、12月もそろそろ、というころ。Notebookersの皆様におかれては、三冊目の手帳はどれにしよう、とか、もうそろそろ2018年の手帳を見込んでいる、とか、そういう日々をお過ごしでしょうか。
わたしは、手帳総選挙にて、ポスタルコの手帳と運命の出会いを果たし、2018年の手帳はコレだ、と、そういうアレです。
今回すごく、あー、手帳選挙参加して良かったーと思ったのは、トーンリバーサルの手帳のお話を伺えたことでした。本来、視力の弱い方のために作られたそうで、だから、文字を大きく書けるようにあのサイズなのだなー、とすごく納得しました。関東の手帳選挙開催時にテレビの取材が(トーンリバーサルのために)きたそうで、これでもっと広がって、視力の弱い方も、手帳を使う楽しみ、便利さ、などを一緒に「わーい」とやっていけたらいいなあと思いました。
あと、タワレコ手帳やバンギャル手帳など、手帳世界は広い。
そして、トラベラーズミーティングの記事、読んで下さってありがとうございます。
Continue Reading

Comments (2)

Tags: , , ,

『モレスキンのある素敵な毎日』出版記念イベントと横浜の象

Posted on 22 11月 2016 by

イッターのわたしのプロフィールは、イエーツの『赤毛のハンラハン』という物語の冒頭から引いてきた文章でして。
イエーツは、同じ作品をタイトルだけ変えて翻訳されていることが多く、未邦訳のこれが翻訳された時は本当に嬉しかったです。

今年も。
またイエーツの新刊が出まして(新刊というと最近っぽいですが、書かれたのが1888年なのでよゆーで1世紀前なんですが)。なんかもう、本当にありがとうございます平凡社様あと2年後もまた次のを待っております。
こんな素晴らしい文章なのです。

通りを歩きながら、なつかしい場所や光景のあれこれに心を奪われた。わら葺き屋根が今にもつぶれそうな田舎家の並ぶ通り。屋根をスレートで葺いた商店街。スグリを売る女たち。川に架かる橋。昔の持ち主の亡霊がウサギの姿であらわれるのを庭師が見たと伝えられる、高い塀で囲まれた庭園。日暮れどきに首のない兵士と出会うのが怖いので、子供は決して寄りつかない街角。荒れ果てた粉屋。川沿いにある草ぼうぼうの荷揚げ場。シャーマンはケルトの心酔をこめて、それらすべてを見つめた。その心酔は太古以来、ケルトの放浪者たちが哀れを誘う歌に託して世界の隅々まで運び続けてきたものだ。
『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』W・B・イェイツ 栩木伸明 編訳

===
そして、やっぱり『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』のレビューではないです。

10月16日 ルミネ横浜で開催された中牟田洋子さんの『モレスキンのある素敵な毎日』出版記念のトークショー&サイン会へ行ってきました。
掲載されている三人の方のトークを聞くことができました。
『モレスキンのある素敵な毎日』の著者であり、モレスキナリーの管理人さんであるYOKO(@YOKOnotes)さん
ラーメンを始めとしておいしいものの絵をたくさん描かれているイラストレーターのまお(@mao_hagi)さん、
旅イラストを手掛け、旅ノートコレクション展の主催をされている同じくイラストレーターのChai(@chaimemo)さん
三人が、それぞれのモレスキンの使い方を話して下さり、実際にノートブックも見ることができる、というそういうイベントでした。

ルミネ横浜の有隣堂という本屋さんでの開催でした。
わたしは、関西在住なのですが。
そこで、偶然、元神戸在住の友達に会いました。まっっっっっったく普通の様子で

「やあやあ、お久しぶり」

てな再会となりまして。
あまりにナチュラルな再会だったので、「待ち合わせしたっけ?」「え、ココ神戸? 神戸!? わたし、新幹線に二時間乗って来たけど神戸!?」と自分がいる場所がちょっと信頼できなかったとか、あるんですが。
友達は

「(このイベントで)一割くらいは会えるかもしれないと思っていた」

と言ってまして。何の総量に対する一割だろう。
と、そういう予期せぬ再会などもありつつ。
嬉しかったです。いいなあ、こういう再会も合わせてノートブックのイベントのダイゴ味かと。

そしてトークイベント始まりました。
一人目は、まおさんでした。
テーマは『一冊のノートブックで人生が変わる』でした。

キーワードは三つ。
1)向き合う
2)表現する
3)共有する

『モレスキンのある素敵な毎日』にも書かれてていますが。
1)向き合う
まおさんは、使いはじめた頃は、モレスキンに感じたこと、考えたことなどを書いていたそうです。
読み返すと「自分はこんなことを考えていたのだ」と、改めてノートブックが自分を映す鏡のように思える、と放されていました。この頃は、えんぴつで書いていたそうです。

2)表現する
(これも『モレスキンのある素敵な毎日』にも書かれていますが)
イギリスのイラストレーター、ケイト サットン氏のモレスキンの絵を見たのをきっかけに、モレスキンに絵を描き始めたのだそうです。
(わたしは、まおさんというとすぐに『イラスト』が浮かんでくるので、もう最初からモレスキンスケッチブックなどに絵を描いていたと(勝手に)思っていました)
ケイト サットン氏、どんなイラストを描くのかと思って、検索してみました。

公式サイトはコチラ>>http://www.katesutton.co.uk
チーズサンドを食べるユニコーン、いいなあ♪

3)共有
「他のユーザーさんは、モレスキンをどんなふうに使っているのか」と、SNSで探してみたところ、交流するようになり、イベントに参加するうちに、地元静岡でも開催するようになったそうです。
(わたしもまおさんのイベントに行ってきました!楽しかったー!モノ作りの醍醐味満喫!!)

まおさんから、モレスキンの良さポイント3点として
1)シンプル
2)丈夫
3)バリエーション

言い切ってあますところがない、ポイント3点だなあ。

YOKOさんからまおさんへ質問。
Q.愛用のペンケースは? おすすめペンなどは?
A.いつもはネオクリッツ。モレスキンと相性がいいのは、ふでペン。硬くて、イラストも文字もOK。

chaiさんからまおさんへ質問。
Q.日記で使っているモレスキンは、どんな場所で描いていますか。
A.自分の部屋や、持ち歩いて隙間時間に。

二人目はYOKOさんでした。
テーマは『3つのライティングタイプ』

TypeA 知的生産をめざすアクティブ系
一番書き留めたいものは『ひらめき』『インスピレーション』
ひらめいた時に、すぐに書き留めたいので、モレスキンとペンをいつも持っていたいタイプ。
モレスキンに装着するツールベルトや、主婦のユーザーさんがお持ちのヴォランXSなどのスライドがあり。
そして、万年筆で ぱぱっ と書く、Notebookers.JP管理人氏のモレスキンのスライドもあり。

TypeB カフェ、音楽、読書が好きな文化系
一番書き留めたいことは記憶、日記など、人生の記録を残したいタイプ。
このTypeBの代表としてYOKOさんが話されたのは、なんと清少納言でした。
『枕草子』は、歴史的にももっとも古い日記とされている、ということで。
清少納言、約10世紀前の方ですが、時代を越えての Notebookers 仲間のおひとりです。

TypeC TypeA と TypeB 半分くらいずつ両方あり
例えば、美術館で見た作品をその場でメモして、後でさらに調査を進めてノートブックに書く、というようなタイプ。

その例として、YOKOさんのアートモレスキンのスライドがありました。
その場で見た作品の印象的なポイントをメモしたり、美術館に来ていたひとの記録などで。

わたし参加して良かった!来て良かった!と思ったのがこのスライドです。

YOKOさんのアートモレスキン

YOKOさんのアートモレスキン

美術展のカタログに載らない、そういう一景、空気も残したいと、そういう話題もありました。

まおさんからYOKOさんへ質問
Q.YOKOさんはどのタイプですか?
A.最初はBさんでしたが、今はCさん。
『モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方』を書いている時、共著者の堀さんが、ノートブックにたくさん書くことで、アイディア、ひらめきを蓄えることができるということを話していたそうで、そこからCタイプに変わった、と話されていました。

三人目、Chaiさんでした。
テーマは『旅の記録』

モレスキンのシティノートブックの京都版や、ジャパニーズアルバムに絵を描かれていました。

すごくいいなあ、面白いなあと思ったのが いろは や アルファベット順に旅を記録していく手法で。
例えば、京都の旅モレスキンなら

い:イノダコーヒー
ろ:路地
は…

イギリス旅モレスキンなら
A…
B:BRITISH MUSEUM
(このページも面白かったのです。スフィンクスのあご飾りの部分『だけ』が展示されていたんだそうです。
エジプトのスフィンクスです。あのあごの辺りにあった飾りを、エゲレス様は持ち帰ったようです。「もう、戻ることはないんだろうなー、と思っ…」というChaiさんのつぶやきが印象的でした)

旅モレスキン スフィンクスの顎飾り

これはわたしの聞き取りメモで、実物はこれの五億倍くらい丁寧に描かれています。

I:iPhone
iPhoneの充電器が旅先で壊れたんだそうです。
こういうトラブルでさえ、イラストとして残すことができて、ホントにいいなあ。
(あと、対策も教えて頂きました)

P:ペットボトル
なんと、『水』の飲み比べをしたのだそうです。
そのペットボトルのカバー(というか、パッケージ)を描かれていました。
(1枚描いて、あ、しまった 描かなきゃ良かった と思ったそうです。そのくらい細かい!)

いろは順なら48、アルファベットなら26、これを集めるには、旅の間、アンテナを拡げる、小さなもの、足元や目立たないところにあるものに、丁寧に目を向けているんだろうなあ。

あと、旅ノートブック作成TIPSも話して下さいました。
例えば…

・写真を撮って失敗したら、失敗した背景を切り抜いて貼る。

・写真を色見本のように並べてみる。
撮った写真の中でも、特に色あざやかなものを四角く切って、パレットみたいに並べていました。
この、写真を切って一部分だけ貼る、というアイディア、いいなあ。真似させて頂こう。

旅ノート 色の見本帳

これもわたしの聞き書きメモ。

・足元を写真に撮ってみる。
これもすごくいいなあと思いました。自撮はちょっと恥ずかしいですが、足元なら、特徴的なマンホールだとか、土の上、葉っぱや花なども写ったりして、その土地ならではの、いい記録になるなあ。
Chaiさんは、ジャパニーズアルバムに足元写真を貼って、その裏のページに場所やコメントなどを書いていました。

お客さんからの三人への質問
Q.ノートブックを書いていて、失敗してしまったらどうしますか。
A.(この質問の回答がまたすばらしかったです。三人とも違うの)
まおさん:上から貼る。
Chaiさん:切る(というか、モレスキンの閉じられているページのカタマリごと、ごそっ と取り外す)
YOKOさん:えんぴつ、シャープペンシルで書いているので消せる。でも気にせずに書く。

わたしは、YOKOさんの3タイプでいうと、9.8割Aさん 0.2割Bさん のCさんタイプでして。
思いついたことを書き留めるのが間に合わないなら、多少間違えても、とにかく最後まで走り書きをして、あとからわかるように書き直す、…かなあ。

===

その後、サインタイムや、活版印刷での文字入れなどの時間がありまして。
その時に、YOKOさんにご挨拶をして、ちょっと話をしていて、すごく印象的だったのが『モレスキンを書いていて失敗した時』の話題でした。
YOKOさんの座右の銘が “ trial and error ” 『試行錯誤』なんだそうです。
具体的な「こんなことがあった」という話ではなかったのですが、失敗する、間違うことにすごく肯定的、というか、それでもまた「やってみる」という、とても前向きな「失敗」「間違えること」なような印象を受けました。

そして、わたしがこの日、モレスキンに入れてもらった文字が(奇しくも)コレでした。

活版印刷文字入れモレスキン

「前より上手に失敗すればいい」

これはアイルランドの作家、サミュエル ベケットの作品『いざ最悪の方へ』の

Ever tried. Ever failed. No matter.
Try Again. Fail again. Fail better.

こういう言葉です。
以前、モレスキナリーでも、この言葉が取り上げられていました。

上手く言えないですが。
こうしてモレスキンの本を書かれた方が、ノートブックを書く時、ページを作っていく時に「失敗すること」に対して肯定的でいることって、すごくいいなあと思いました。
なので、モレスキンは、ちょっとトクベツなノートブックだから失敗したらやだなあ、と使いあぐねている方、この記事を読んで、ハードルが少しでも低くなったらいいなあ。

===

この日は日帰りの予定だったので、ひとりでドトールなどでご飯を食べて、ちょっとだけ歩いて帰ろう、と思っていたのですが、元神戸在住の友達のおかげで、横浜散歩を楽しむことができました。ありがとう元神戸在住の友達!

えー、わたしは、桜木町の日本丸を「ロイヤルヴィクトリー号」と勝手に名付けていて、元神戸在住の友達も(何ていう名前だったか、大きな別の船を)「ノアの箱舟」と名付けていまして。

「どこか行きたいところは…」
と聞かれて
「ロイヤルヴィクトリーって遠い?」
「ノアの箱舟は遠い?」
という、どこの話をしているんだ、という、そういうやりとりをしながら、桜木町あたりから、レンガ倉庫、大さん橋経由、山下公園まで、港散歩を満喫しました。
お昼はミラノサンドだと思っていたのに、すごく横浜っぽい洋食を頂き。満喫。

横浜と神戸は似ているという話もして、横浜には、やっぱり振り向いて山がないなあ、とか、どこを切り取っても絵になる街だねー、とか。

しばらく歩いていると元神戸在住の友達が
「もうちょっと歩いたら、象がいます。Notebookersの象みたいなのが」
と言いました。

えー。
象 て。

1)生きている象(ミニ動物園っぽいところの象とか)
2)像、a statue
3)他、何か象徴的な、比喩的な言い回しとしての象

楽しい。

正解はコレでした。

正解はコレでした。

山下公園から、シーバスに乗って横浜駅まで帰りました。
夜! 夜の船!! 船!! まさか乗れるなんて思ってなかったからホントに嬉しかったです!ありがとう元神戸在住の友達!

この日は満月で、あんまり見事にまんまるなので何かオブジェかと思ったくらいで。

この日は満月で、あんまり見事にまんまるなので何かオブジェかと思ったくらいで。

とても良い一日でした。
横浜でも読書会したいなあ。とか、関西でもモレスキンのミーティングとか、何かイベントとかできないかなあ、とか。
こういうイベントに出て、ひとと話すと、本当にしたいことが広がるし、具体的に計画が立ち上がる(ような気がする)。

イベント参加の記事は、本当にいつも同じになってしまいますが。
皆様に。
ありがとうございます。

■おまけ

旅ノートコレクション展

旅ノートコレクション展スライド(クリモレが下の方にあります)

□おまけ2

シーバスの切符とかポストカードとからーめんシールとか(わたしはコーンのラーメンがいいです)

シーバスの切符とかポストカードとからーめんシールとか(わたしはコーンのラーメンがいいです)

□じまん
サイン頂きました

Comments (0)

2016 – トウキョウ、昼

Posted on 20 11月 2016 by

お昼の中華料理店。この店に来たのは2回目。20年くらい前のロック少年みたいな、真っ赤なTシャツを着た日本語のおぼつかない青年が1人で店番をしてる。

昼の賑やかなテレビ番組がかかっていて、店内はわりと広いし清潔だけど、薄暗くて殺風景で寂れた雰囲気。料理は結構美味しいし暖房もしっかり効いてて暖かいけれど、寂れてる。客は時々静かに出たり入ったりして常に2〜3人。テレビショッピングのガサガサした甲高い声と、1人じゃない客達の小さなお喋りと、カチカチサラサラと茶碗や皿に箸の当たる音が聞こえる。

テーブルに置かれてる水差しから水をコップに注ぐ。新鮮な水。
広さと薄暗さと静けさと手書きの張り紙と物静かで微笑みをうかべた金髪のロック青年と清潔さが混在しながら密度が低くて、ちょっと何か、異世界に来たみたいな不思議な雰囲気。

ここから厨房が見える。水色のタイルと、ステンレスの調理台。酒とか何か調味料が並んでいるけれど、人の気配はない。脂ぎってはないし、埃をかぶってる感じもない。こざっぱりした普通の、ちょっと休憩中みたいなレストランの厨房。だけど今はランチタイムの営業中で、なのに調理人の気配がなくて、時々、ここから見えない奥の方から、ジージー、カシャカシャとか、飛行機のサイン音みたいなポーンとか、レストランとは場違いな小さな機械音だけが聞こえてくる。

注文を取ったあと、青年は黙ってカウンターの向こうのデシャップらしき場所に引っ込む。厨房に声をかける様子はない。しばらく経つとインターフォン越しのようなザラザラした音の「……△※◆?!」と何語かわからない女性の怒鳴り声が聞こえてきて、青年が料理を持って出てくる。ちゃんと温かくて出来たて。美味しい。

1人の客が食事を終える。デシャップに入って姿の見えなかった青年が、するっと出てきてレジに向かう。支払いを済ませた客が出てゆき、青年は見えない場所に戻る。

しばらく時間が経つ。

姿の見えなかった青年が、するっと出てきて店の入口に向かう。と、新しい客が入る。青年は周囲のテーブルをゆらゆらと拭きながら、客の注文が決まるのを待つ。

客が声をかける必要はない。必要な時に、必要な場所で、顔を上げるとそこに青年が立って待っている。

薄暗くて殺風景な店と、このとてもタイミングがよく気の利いた物静かな青年のことを考える。何となく、昔の村上龍の小説を思い出す。外に出たら昼間の東京の古いビジネス街で、今時は珍しい色ガラスの嵌った喫茶店や中華料理店がたくさんあって、時々街宣車が通って、きっと、ちょっと夢の中のような、夢から覚めたばかりのような、現実の時間と空間から切り離されてしまったような気分がするんだろう。

それから厨房の奥の機械のことを考える。店全体が実は大きな機械で、いま自分は機械の腑の中で食事をしてるのかもしれない。青年が注文を聞いてるように見えるのはそう見えてるだけで、客の小さな囁き声も、テーブルの上のメニューを辿る視線も、実は全てモニターされていて、客が頭の中で考えてる注文を先取りされているのかもしれない。宇宙ステーションでひとり暮らしながら仕事をする古いビデオゲームと、また別の物語の「お前、そりゃタリスマンってやつさ」という台詞を何故か思い出す。

先ほど入った客の注文を聞いた青年が、テーブルの横を通ってゆく。
デシャップに向かって歩きながら俯く金髪の覗き込む手もとを見ると、町の中華料理店には似合わないクリーム色のPOS端末があった。

Comments (2)

手帳の準備でもしようかなっと

Posted on 16 11月 2016 by

img_6446

お久しぶりです

日々黙々と生きていました(嘘です)

それなりに日々を暮し、それなりに生息していました

今年はなかなかイベント盛りだくさんな一年で、まだ終わっていないものの実は何かまだあるんじゃないかとドキドキしている今日この頃です

皆様ご機嫌いかがでしょうか

 

さて今年も漏れなく購入の「ほぼ日手帳」

来年の手帳は、予約開始初日にポチったこちらこちら

名前で気になって見てみたらどストライク

こんなのほしかった!マジでマジで!と感嘆しつつ悩んだのが皮のカバー 

しかし抽選てな。。。と断念

今年まで使っていた手帳カバーは2年選手なので、今月末でお役御免

いつか開くであろうその日まで、手帳ブースでお待ちいただくのです

 

 

ちなみに手帳ケースにはこちらのロゴシールを貼っています

これ2015年度版なんだね。。。ずっと気づかなかった。。。

このロゴシールが変わることがあったら、またこれに貼っていこうかなと

 

主に仕事のこと、家族のこと

色分けしたりマスキングテープでデコってみたり

その日の気分では何も書かないし、書いてもお昼のメニュー位だったり

 

でも手帳生活をしてからわかったことが一つ

手帳ってイイ

書くって忘れないからイイ

こないだも大事な用事をザーッと手帳に書いて、それを家に持ち帰って

それからあれこれと算段したもの(当たり前)

 

何が言いたいかというと、wifiがないと生活できないほどネット依存だけど

todoはアナログだということ

電話にリマインダとかあるけれど、いまいち使いこなせず

 

来年も大したことを書くわけでも、素敵なスケッチが残るわけでもないけれど

日々のログとして一言残しておこう

ちなみに皆さんは、過去の手帳を見ることってありますか?それはいつ?

私はなんとなく、紅白を見ながらひとりでぼんやり見てます

 

よかったら教えてくださいね

 

 

 

 

 

 

Comments (0)

頭の中から出てくる不思議なうずまき

Posted on 15 11月 2016 by

0106744352d7a417c3c617e908ce8c58d4918e3368

お久しぶりのkonamaです。

最近お仕事の大半がデスクワークと会議にシフトしてきて、自分の性分的にちょっとストレスを感じる毎日(自分で手を動かす方が好きなので)。そのせいか、会議中に手元で謎の渦巻きが発生していることが多く(これは別に聞いていないわけではない)、色々なパターンがモレスキンに増えてきたので、ここでお披露目しようかと思う(久々の記事があまりにくだらなくて申し訳ない)。すてきなモレスキンをどうやって使おう、悩んじゃう~という方には、あんまりおすすめできない使用法ですが、まあ描いちゃうんだからしょうがないよね。

以前書いたゼンタングルの記事の頃よりさらにオブセッシブな感じで、病っぽいと周囲で評判ですw。

基本、持ち歩いている万年筆を、インクが乾かないようにちょっと使ってあげる、というのが目的の1つではあるのですが、意外といろんなペンを使うよりは1,2本のペンのニブのしなりとか、癖とかを感じるような線をぐるぐる描いている内に謎図形が広がり、隣のヒトに笑われるという構図のようです。だから特殊なペン先(フォルカンとかオブリークとかカリグラフィーとか)の登場回数が多い気もしますが、描いてる時はなーんにも考えておらず、目の前にある紙の余白を埋めている感じです。昔は配られた資料の端っこにツタを生やしたりしてたのですが(そしてあとで資料を見せてといわれて青くなる)、最近はペーパーレスで、資料もPDFで配布されて、ipadで見てたりするので、自然雑記帳であるところのモレスキンに集まってくるわけです。モレカウのモレスキンポケットみたいにアートっぽくなくて申し訳ない。

01505dd12fdcfdc254c615a30ffc6e4ceb348d9841 014439028da49b6437702fe94b4043f554107a3a53 01ec4e63b5d89e60d7f5270b28a71ac627d43d82f1 012e7e10f244e1d3124a90940a9faba895ea9f0ac9

端っこが切れてるのは、もちろん会議のメモが入ってるからですよ!

Comments (0)

Tags: , ,

「そのノートブックは世界中でたった一冊なんです」〜あなたのトラベラーズノートを見せてくださいの会をしました報告編

Posted on 15 10月 2016 by

10月10日(月)、えー、こちらでも告知したコレです。開催しました。そのご報告をちょろりと。

◎当日まで
ツイプラを立てて、ここで告知してから、皆様には本当にたくさんRTなどして頂きました。
おひとりおひとりにお礼申し上げます。ありがとうございました。
Notebookers.jpの、何て言うんだろう、文具スキーさんへ及ぶ、地面の下の水脈の広さのようなものがものすごく感じられました。
Continue Reading

Comments (4)

Tags: , ,

「手帳スケッチをはじめよ!「ハヤテノトーク in静岡」の旅

Posted on 11 10月 2016 by

先日、10/8に静岡の青島文具店さんにて、「手帳スケッチをはじめよ!「ハヤテノトーク in静岡」が開催されました。

のんびり旅で、静岡まで行ってきました。

前日まで、乗り換えでのんびり旅で時間を全て調べてたのに、当日朝に体調不良…( ゚д゚)

全身が動かなくて、意識朦朧として起きれず。

これやばい!!と思い回復を待ってました。

そして、起きれたのでそそくさと準備して静岡へGO!

新幹線で行けばいいものの、体調回復の為に寝たいので、やはり乗り換えを選択。

約3時間かけて行きました。

そしたら、少し回復したらくお腹減って…ε-(´∀`; )

軽くご飯食べて、目的地の青島文房展店へ!
あれ??静岡駅バスのロータリーから向こうにはどうやっていけばいいの??

横断歩道ないんですけど! ( ̄◇ ̄;)

この時、すでに集合時間まで15分前…

地図が見れない私にはもう遅刻の瀬戸際。

キョロキョロしてたら、地下からの出口的ものを発見して、地下から行ってGoogleさんを頼りに早歩きしました。

手間まで来て、何故に最後の所で違う所を指示してくれたのよ。

曲がってまっすぐって道ないゎヽ(;▽;)ノ

ここ何処???!!ラーメン屋さん沢山あるのですけど、戻ってなんとか目的に着きました。

静岡で迷子になる所でした。
まおさんと、ハヤテさんは、何年振りでしょうか。

お懐かしゅございました。
先ずは参加者の、自己紹介からはじまり。

そして、ハヤテさんのモレスキンの話。

今までの記録のやり方、数年前と違うやり方をしてみたり等とお話を聞きながら、モレスキンの作品を色々と見てました。
イラストが描けなくても、文字だけや枠だけを使って重ねたりする事だけでも、1つの作品になってしまう。

見方や考え方を少し変えてみる等と、作品を長年作りづつけた事から導き出されたお話を聞くことができました。
私は、前に名古屋でイベントをハヤテさんが開いた時に聞いたことがあるので、今回は新たな発見や
「こんな事も出来るかも??」

という発想が生まれました。

そして、私なりのハヤテノトークを聞いて、講座のまとめをしてみました。

写真は講座内容だけです。

主な内容だけとなってます。
楽しい静岡でした。

そして、モレスキンの楽しさを再確認出来る講座でした。

こんな機会を作ってくれたハヤテさんとまおさんには感謝しきれないです。
また、数年後とかに受けてみたいです。

レポート終わり。

Comments (0)

セノーテと溶ける水

Posted on 10 10月 2016 by

「孤独」ということについてしばらく前からよく考えている。人によって色々な捉え方があって、「孤独」「独り」という言葉を見かけると、その人にとっての孤独ってどういうものなんだろうと考えてみたりしている。

「無性に一人になりたくなることがある」
「一人の時間がないとだめ」
昔から、人がそう云うのをよく聞いたり見たりした。友人や恋人がそう言ったこともあった。(だから、そう思っておいてね)という。そのたびにいつも、それはどういうことなんだろう?と考えた。
わたしはいままでそう思ったことが無い。それよりも逆に、静かな一人の場所で、「誰かと一緒にいたい」と思うことの方が多い。

*****

メキシコにはセノーテという大きな天然の井戸があるらしい。石灰岩の土地が陥没して、透明な水が溜まり、底には鍾乳洞がある。陥没した穴だから縁は真っ直ぐに切り立っていて、縁から覗くと深い深い、深すぎて見えない水底まで、冷たい水の中を真っ逆さまに落ちてゆくのじゃないかと思う。

*****

子どもの頃、一人でお風呂に入るのが怖くて、いつも、小さな玩具を一緒に持って入っていた。お風呂に入る前に今日のお風呂の世界を決め、それに合わせて玩具を選ぶ。綺麗なビー玉や、ビクター犬の小さな陶器の置物、レゴのブロックやお菓子のおまけ。それらは一つ一つがキャラクターを持った小さな生きたもので、わたしのお風呂の世界に住む登場人物で、冒険をしたり、キャンプをしたり、時には喧嘩をしたり、友情を育んだり、こっそり恋愛をしたりした。

お風呂の世界の一番のお気に入りは、縁の切り立った大きな深い湖。湖の中には大きな動く島があって、時々ざぶりと波をたてながら形を変える。

小さな玩具の一つが、皆が集まっている角っこのキャンプを離れて、湖の縁から水の中を覗きに出かけた。ふと魔が差して、この深い湖に落ちてみようと思う。覗いたまま頭から逆さまに落ちて、どこまで落ちてゆくのだろうかと、水底まで。
……水底に当たるコトンという小さな音。仲間たちはその小さな気配に気付き、訝しむけれど、特別に気にすることもなくすぐに自分たちの仕事に戻ってゆく。
動く島が動いて、水中のエレベーターのように小さな玩具の生きものを水面まで運び、そっと、湖の縁にのせる。助け出された玩具からしたたる水滴が、1つ、2つ、生命をもつ。3つ、4つ、合わさって大きくなってまた別の生命になる。5つ、更に大きくなって、体の重さに耐えられなくなって縁を滑り落ち、大きな湖の大きな水の生命とひとつになる。

初めてセノーテの写真を見た時に、わたしのお風呂の「大きな深い湖」はセノーテだったのか、と、思った。

ヒトの身体はいくつもの山や丘や谷や窪みをもったまた別の小さな世界で、大きな深い湖から生まれた水滴の生命は、世界の果てを見るために旅をする。危険な旅。油断してるとすぐにまるい頂から滑り落ちて、大きな深い水に飲み込まれてしまう。
急いで掌にすくいあげた水の中に、さっきの小さな生命は含まれているのかしらと訝しみながら、今だけ陸続きの、もう一つの世界の窪みに注いでみる。世界が笑う。水はやっぱりすぐに滑り落ちて、セノーテの大きな深い水の中に溶け込んでしまう。

*****

「孤独」ってなんだろうと考えると、いつもこのセノーテと、どこからかきて流れ落ち溶け合う水滴のことが思い浮かぶ。「孤独」という言葉や、「ひとり」という状態が、どういう意味で発せられているのかはやっぱりよく分からない。たぶんそれぞれに違う、”これ”と一様に定められるものではないのだろうと思っている。

 人間が世界に放たれた感じと私はいったが、「世界に放たれた」とはいいかえると世界に自由につながることでもある。つまり世界につながろうという衝動を起こす源が「孤独」なのであり、人間は世界なしではついに悶死してしまうにちがいない。

(略)

つまり籠の中から外へ翔び立った瞬間に人は自分の孤独な存在に気づくと思う。胃袋が餌に飢えるように心も飢えるのに気づくのである。心の飢えは他人を求め他人を食うことでしか癒されないが、私たちはそれを「愛」と呼んでいるのだ。

長沢 節 (1981) 大人の女が美しい 草思社

 

Comments (4)

リエントリーショック

Posted on 09 10月 2016 by

eos-50d_img_6598_2016_04_30-02

写真はロンドンバスから撮ったものです

 

最近になっていくつかの生活上の変化があり,色々と考えることも,混乱することも多くて,ノートにも何も書かない日が続いていた.その間,いろいろな人に会って,東京にも(ローラーボールを買いに念願のカキモリさんにも!)行って,京都で彫金教室にも参加して(これについてはまた別記事を書きたい),ちょっとずつ回復して来たように思う.しかし,ノートの減りは進まない(と言うのは面白い表現ですね).

興味のある人がいるかわからないけれど,ちょっと詳細を話そう.

・2年間の契約が終わって,ルーマニアから大阪へ帰ってきた.2年ぶりの日本で,地に足が着いた感じが最初の2週間ぐらいはしなかった.大阪というのは人が多いところで,そして(今晩は涼しいけれども)日中蒸し暑い.ちょっと夏バテみたいになる.あんぱんが美味しい.

・実家に帰ってきて,家に誰かがいる生活が始まる.テレビが点いていたら,ついつい見てしまったりで,自らを見直したり,ノートに触れ合う時間が劇的に減った.ゲーム(古き良きPS3)もしたりしている.

・実家の部屋の壁がボロボロだったので,自ら漆喰を塗ることにした.それが思いの外,時間がかかった.出来上がりはまあまあです.加えて,今まで溜め込んできたガラクタやら紙やらが2年間の(海外)生活上全く必要のないものだということがわかったので,すべて捨てた.ものすごいモノたちを溜め込んでいた.今は,身軽になった.

そんなこんなで,帰国から1ヶ月が過ぎようとしている.正直に言えば,私はカルチャーショックの真っ只中なのだ.

さて,いわゆる「カルチャーショック」には実はいろいろ段階があるらしいのだが,帰国後の「リエントリーショック」というのがあると言われている.自国に帰国した人が,しばらく経って思う自国へのカルチャーショック,内実はいろいろあるが,批判的な嫌悪感のようなもの,を感じるようにもなってきた.代表的なものは,

・なんで,日本は,こんなに,選択肢が,多いのか!?

特別ルーマニアで物質的な不便をした,ということはないけれど(みなさんの想像以上に都会です),確かに選択は少なかった.選択が少ないことは,魂の消耗みたいなのが抑えられると思う.つまり,決断力みたいなものを,いろんなところで使わなくて済む.その代わり,その力を自らとの向き合いに回せる.

だけれども,帰ってきてから,A社とB社とC社からまず選び,DとEとFとGとHとIとJとKとLとMとNの中から,OとPとQとRの色の中から,Xを選ぶ,という感じで,もう選択が山ほどあって,それをどこで買うのか,セールはあるのか,どこが安いのか,ポイントは貯めるのか,使うのか,袋はいるのかいらないのか,もう選択の連続である.私の住んでいたところでは,AとB社の,CとDの中の,EとFの色ぐらいはあったかもしれないけれど,それではあまり魂はすり減らないのだ.なんなら,「○○1択でしょ」という場面も多かった.ああ,それは幸せなのだ,ある意味では.

むむ,ないものねだりかもしれない.

そこにさらに,私のミニマリストWannabe感と,元来の物欲が対抗し,拮抗し,対決する.安いからついつい,という思いと,いやいや,必要ないでしょ,という気持ちと,[もったいないなぁ]という日本的感性が,魂をズタズタボロボロにする.そこに選択の波が押し寄せる.そう,疲れているのだ.

そろそろテレビを消して,パソコンも消して,ノートとの向き合いが必要だ.前に移植の紹介をしたモレスキンラージも,そろそろ無くなろうというところなので,是非そのことも話したい.その前に,ちょっと皆さんにも,シェアしておきたかった.まあなんていうの,近況報告的な形で.

Comments (4)

再び、ブログはじめました。【ノートブックがない日々なんて】

Posted on 09 10月 2016 by

2016年9月23日、ブログ始めました。
(Notebookers.jpでの告知を今の今までなぜ忘れてたんだ……汗)

ノートブックがない日々なんて
http://saorinote.com/

saori_161009-01

Notebookers.jpで記事を執筆して4年半が経ったところで、「ノートブックについて書くのが好きだなぁ」と心底思うようになりました。ココでノートブックについて書き続けるのも悪くないけれど、書きたいことを追究するにはそろそろ個人の場所をつくろうかなと考えて、決めました。

むかし、個人でブログ「文房具女子の彩り日和」を運営していました。その当時書いていたことと今書くことは変わってくると思います。変わってないほうがおかしいか。

文房具も好きだけれど、その中でもノートブックは断然好き。1冊だけでなく、トラベラーズノートもモレスキンもEDiTもあれもそれもこれも好き。ノートブックそのものだけでなく、そこに書いていることも好き。今はうまく言い表せないのですが、ノートブックを起点にして物事がよりおもしろくなるような記事を書いていきたいと思っております。おやつ時間のお供にちょうどよい塩梅で、みなさまにも楽しんでいただければ。

月1コラム「ノートブックがない旅なんて」は、タイトルをどうしましょうかねぇ。気に入っているけれど、ブログ名と被り気味なので変えようと思っています。

新しいブログ「ノートブックがない日々なんて」、どうぞよろしくお願いします。
Notebookers.jpでも、引き続きよろしくお願いします。

Comments (0)

Tags:

ワイルドキリエの原点・ほぼ無人島(今は完全無人島)に行ってきた

Posted on 04 10月 2016 by

p7312280

 

ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話をしたことがある。

大きくなったキリエは今夏、叔父の計画した「祖父の生誕100周年記念」イベントにより、すごく久しぶりに祖父母の島に訪れることができた。

 

Continue Reading

Comments (2)

ぼくのかんがえるさいきょうののおとぶっかーず

Posted on 01 10月 2016 by

おっす、オラなかしぃ(^-^)/ おめぇすっげー強えーな。オラもっと弱い奴と戦いてぇ…

ということで最近今まで使ってたノートパソコンがご臨終になって新しく買い替えたなかしぃです。買ったのはもちろん薄くて軽くて安いASUSのE200Hです。誰です?薄っぺらくて言うことが軽々しくて安っぽいって仰るのは。大体当たってます、ぺら部ですから。というわけで早速新しい相棒を使って記事をアップしますよ~。

今回のテーマは、原点に戻ってNotebookersとは何なんだろうと思って徒然に思いついたことを書いてみます。最近モレスキナリーの本を買ってみたはいいものの全然読んでなくて、オラもモレスキナリーに何度か登場したことあるのになぁ、掲載されてないよなぁ(”^ω^)・・・と寂しく思ったものです(ちなみに、前の代理店がやってたモレスキンのオフィシャルサイトにはモレスキンアーティストとして掲載されてましたよ、プチ自慢ですが)img_20140831_143523

で、ぼくのかんがえるNotebookersの定義とは、

紙とペンさえあれば孤独をも楽しめる人

です。ブランクのノートには何を書いたっていいんです。でも、自由に書いていいよ、って言われて何を書いたらいいか分からないこともあります。でも、Notebookersの皆様なら何かしらノートを使って楽しむことができると信じています。

巷には文具好きや手帳ファンは多いと思いますが、それらとNotebookersの違いといえば、手帳なら人間生きてたら何かしら予定があるしやるべきタスクがあるのでそれを書き込むだけでも手帳を使っている実感はあると思います。しかし、ノートの場合は自分で主体的に何を書くかを決めなければなりません。例えば思いついたアイディアや気になった言葉を書き留めたり、魅かれたものをスケッチしたり、定点観測の記録を書き溜めたり、読書や映画などの履歴をつづったり、ときにはクリエイティブなことを求められたりします。また、旅のスケジュールやイベントのプランニングをノートを使って立案するのもワクワクすることじゃないでしょうか。

一人で過ごす時間を持て余してしまうときに、冒頭の「紙とペンさえあれば~」ということを思い出してみてください。特にクリエイティブなことを書かなくても孤独を楽しむ方法を知っていればちょっとした待ち時間やカフェでのひと時などに暇をつぶすことができます。一例をあげると、

  • 何かのマイベストテンを書き出す
  • 行ってみたい場所をリストアップする
  • 街行く人の服装で気になったものを書き留める/スケッチする
  • 自分の好きなスポーツのドリームチームのメンバー選考をしてみる
  • マインドマップを描いてみる
  • 目の前にあるものを手当たり次第にスケッチしてみる
  • 自分の家の周りのおすすめスポットを紹介した記事を書いてみる
  • 目の前にいる人の服装から職業や生い立ちを想像して書いてみる
  • 無人島に一つだけ持っていけるとしたら、という問いに答えてみて、その理由を書き出す
  • 身近な人のいいところを書き出してみる

などなど、考え出したら無限大に書くことが出てきます。どうでもいいことなんですけど真剣に取り組んでみたら結構のめりこみますよ。スマホを触っているのもいいんですけど、ノートに何かを書くことで脳トレにもなりますよ。

そうした孤独を愛せるNotebookersさんにお会いしてそれぞれの楽しみ方を共有できる機会があれば、1+1=2以上の効果が期待できると思います。沢山の孤独が集まれば面白いことができるかもしれません。

Viva!孤独

 

 

Comments (1)

Tags: , ,

「もっとゆっくり見なくちゃわからんよ」〜『モレスキンのある素敵な毎日』を読みました。

Posted on 28 9月 2016 by

彼岸も済んだのだから、もう少し涼しくなって欲しいなあと思うのですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

えー。
アメリカの作家 ポール オースターの『オーギー・レンのクリスマスストーリー』という短篇があります。
煙草屋のオヤジ、オーギー・レンは、毎朝決まった時間に、自分の店を撮影しています。
その撮り貯めた写真を、知り合った作家ポール ベンジャミンに見せるシーンがあり。
ポールは「同じものがたくさんあるなあ」と思いながら、どんどんアルバムのページをめくるのですが、それをオーギーが嗜めてーー
以下、引用。

「それじゃ速すぎる。もっとゆっくり見なくちゃわからんよ」
たしかにそのとおりだ。じっくり時間をかけて見るのでなければ、何も見えてはこない。私はもう一冊のアルバムを手に取り、もっと丹念に進むよう自分に言い聞かせた。細部にもっと注意を払い、気候の変化にも留意し、季節が移るにつれて光の角度が変わっていく様子にも気をつけた。するとじきに、車の流れの微妙な違いがわかるようになり、一日一日のリズムのようなもの(略)も予測できるようになった。(略)勤め先へ向かう通行人たち。毎朝同じ人が同じ場所を通って、オーギーのカメラの視野のなかで、それぞれの人生の一瞬を生きている。

□■□■□■□■□■□■

Continue Reading

Comments (0)

「エクストリーム・モレスキニング」 人間はどこまでノートを書けるのか?

Posted on 27 9月 2016 by

img_0687

こんにちは、モレカウです。
基本的にアウトドアというものはヒマである。そもそも野外で過ごすということは、焚火か料理でもしていない限り、特にすることがないのである。最近のアウトドア系の雑誌ではアクティビティだなんだと煽るのだが、することがないので、しょうがないので暇をつぶすことを探すというのが正しいアウトドアの過ごし方だと思う。

ヒマだと、何かクリエイティブなことでもしてみようという気分になるから不思議だ。ということで、ロープでブランコを作って乗っていてブラブラと揺れながら退屈していた。そういえば2011年の横浜トリエンナーレの副題が「世界はどこまで知ることができるか?」だったなぁと思い出していた。ことばの限界が世界の限界だよ、と言ったのはウィトゲンシュタインだったかな。では「モレスキンを書ける限界」というのはあるのか試してみた。エクストリーム・スポーツ的モレスキニングというジャンルはなかなか新しいのではないだろうか?

img_0967

【リバース・モレスキニング Reverse Moleskining】 難易度:★★★★☆
最初から難易度4の大技である。ただの逆立ちではなく、ペンを持たなければならないので片手で立つ必要がある。下半身のブレが文字のブレにつながるので注意だ。頭に血が上るので落ち着いて字が書けないデメリット有。撮影のために10回程度逆立ちをしていたら、ポケットに入っていた小銭を紛失した。損失:220円。

img_0993

【ゼロ・グラヴィティ・ランディング Zero gravity Landing  (無重力着地)】 難易度:★★☆☆☆
倒れる俺。

img_1016

【クールガイ・トゥ・チャレンジ・メニー・タイムズ・モレスキニング “Cool guy to challenge many times Moleskining” (何度でも立ち向かうカッコいい俺)】  難易度:★★★★☆

このとき周辺で俺を見つめる子連れの主婦が数人いたが足早に立ち去っていった。

img_1061

【ツリー・クライミング・デスクリプション “Tree climbing description” 】 難易度:★★★☆☆
あっ!しまった!モレスキンが枝に引っかかってしまった!という感じで、モレスキンが樹木などの高い場所に引っかかってしまった場合に有効だ。樹に引っかかったモレスキンは孤独に見えた。記述のことをデスクリプションっていうんだぜ。
ちなみに、樹にモレスキンが引っかかってしまったときに、ゴムバンドでページを押さえていると見開きで固定されるので比較的書きやすい。

img_1083

ヤシの実をとる職人が、足に輪っかになったロープをひっかけて高い場所まで登ってしまうという技があるのだが、そんなに高い場所にあったら怖いので2mくらいの場所で実践した。

img_1116

このとき気が付いたのだが、松ヤニでモレスキンと手がベタベタになった。野外で手が松ヤニでベタベタになるとそれはもうとても厄介なのである。なぜかいうと松ヤニは水に溶けないので、アルコール系で落とす必要がある。アルコール系のウェットティッシュがあればいいのだがそんなもの持っていないので家に帰るまで手とモレスキンが、もうベタベタだった。
ちなみに以前僕が考えた「責め苦」で「手にたくさんのチョコレートを持たせて砂漠を歩かせる」というのがある。暑さでチョコレートが溶け出し、手がベタベタになるのである。長時間手がチョコレートでベタベタの状態で歩き続けなければならないことがどれだけ人にダメージを負わせるかというのはあなたは知らない。他にもあれだ、霧吹きで水をかけたあとに細かく切った数ミリの髪の毛をパラパラとまぶすという責め苦も思いついているのだがここでは割愛させていただく。

img_1182

【スラックライン・モレスキニング(Slackline Moleskining)】 難易度:★☆☆☆☆
細いロープや柵などの上でバランスをとりながら書くモレスキニング。バランスを崩し、踏み外したとき、それは死を意味する。本来のスラックラインはクライマーの中で登山の合間の遊びとして生まれたらしい。ダウン系、フリップ系、バウンス系と様々なトリックがある。バランス感覚や集中力が必要となるモレスキニングである。公園のブランコの周辺の柵で練習ができるので試してほしい。関係ないけど、ブランコの周辺の柵っていまだに必要性がよくわからない。無いとクレームが多いのかい?

img_1060

本日の実験結果。

使用したペンはLAMYのScribble 。ペンの名前にふさわしい使い方をしたのではないかと思う。この記事をここまで書いておきながら、なんてつまらない記事を書いたんだろうとけっこう後悔しているが、そのまま掲載してしまおうと思う。本当はファイト1発モレスキニング(崖などの高い場所で片手でハンギングしながら、もう片方の手でモレスキニングを行う)というのも思いついていたんだがそれは次回に行う。
人間はあらゆる状況でもノートを書くことができる。

How many miles to Notebookers.jp?
世界の果ては遠い。

Comments (0)

意味のある偶然?

Posted on 25 9月 2016 by

実は私、予知能力があるんです!

…なんて言えたらカッコイイんですが
残念ながら凡人の私にはそんな特別な能力は備わってないようで。

でも昔からごくたまーに既視感というのかデジャヴュというのか
「あー、ずっと前に夢でみたな」という状況に出くわすことがありまして。

夢で見るのは
友達との何気ない会話だったり
ただ道を歩いている風景だったり

時間にすると数秒間

日常風景すぎて朝起きた時には覚えてないですし

実際にその状況にならないと気づかない

夢でみた数秒間が過ぎたあと
今の状況、デジャヴュだったなと思うだけ

なにか起こるわけでもないので気にせず生きてきたのに。

なのにまたデジャヴュが起こりまして。

あ、このシーン夢でみたなと思っていたところ
一緒にいた人から「あ!これデジャヴュ!」と言われたのです。

初対面の人とフラッと入ったお店で
そんなこと起こる?!?!

まず私の周りに「デジャヴュ!」と声に出して言う人がいなかったので
そこに驚き。

初めて会う人と同じ状況でデジャヴュしていたことが一番の驚き。

調べてみたら
シンクロニシティという体験に近いような。

“意味のある偶然の一致”

私が
その場所に行くことも
その人に会うことも
そのお店に入ることも

意味のある偶然…?

うーん…?

人と一致することなんて今までなかったのに

今までは私が言わなかっただけで
言っていたら「私も!」ってなっていたのかな?

image

無事にインクも手に入れ、お気に入り万年筆が復活したので
これで夢日記でもつけようかな

Comments (0)

【ノートブックがない旅なんてVol.54】脳内の風通しをよくする数独とフリクション

Posted on 20 9月 2016 by

2016年も残り100日あまり。
気が早いとは分かっているが、2016年マイブーム大賞はもう決まっている。

数独。
SUDOKU。
今更なぜと思われようと、「数独」なのである。

珍しく買った雑誌の読者プレゼントクイズに載っていた数独を、これまた珍しく解いてみたのが、運の尽きだった。ご親切に解法のヒントが書いてあったとはいえ、思いのほかあっさりと解けてしまった。

「もっと解きたい」魔の誘惑がやってきた。
抗うこともなく、誘惑に負けた。
数独問題を初めてクリアしてすぐさま、問題集を買ってしまった。

手持ちのプレスマンとクリックイレーザーとともに、初級から上級まで全132問。
2ヶ月後、全問クリアした。さすがに途中で飽きるだろうと思いながら始めたのに、全問クリアした。

saori_160920-01



再び、誘惑に負けた。
さらに数独問題集を買った。
初級編をすっとばして、中級編と上級編やってやろうじゃないの!!

saori_160920-02

レベルアップした問題に立ち向かう筆記具として、シャープペンと消しゴムはもう役不足になっていた。新たな筆記具は、フリクションボールスリム038 スカイブルーにした。3年振りにフリクションを手にした理由が数独になるとは、どの私が予想していたことだろう。

私の場合、中級以上になるとマス目に入れる数字を一発で決められない。マス目に数字を仮置きして解き進めるので、「書いては消し、消しては書く」ことを繰り返してしまう。シャープペンと消しゴムを持ち替える時間も、消しカスを払う時間も、惜しい。フリクションに替えれば、数独をはやく解くためには無駄になる時間を減らせる。今更なに言ってるのかと思われようと、フリクションのありがたさをしみじみ感じるのであった。

予想外なくらいに数独にのめりこんでいるのは、数字がカチッとはまる瞬間がものすごく爽快だからだと思う。
中級以上になると、解き始めて3分くらいで解く手が止まってしまう。そこからマス目全体を見渡したり、消去法で数字を絞り込んだりするうちに、あるマスの数字が決まる。1箇所の数字が決まると、次から次へと他のマス目に入る数字が決まることがある。一気に数字が決まると、マス目に数字を書き込む手がリズミカルに動きだし、集中力がもう1段階あがって無心状態になるのだ。

脳内の風通しが、すうっとよくなる。この感覚を一度味わったら、もう数独はやめられない。騙されたと思って、この秋から数独はじめてみては?筆記具はフリクションスリム038推奨。

————————————————————————————————————
【ノートブックがない旅なんて】は毎月20日に更新。
いま使っているフリクションのインクがなくなるまでは、数独にのめり込むはず。
————————————————————————————————————

Comments (0)

Tags: , ,

「そのノートブックは世界中でたった一冊なんです」〜あなたのトラベラーズノートを見せてくださいの会をします【締め切りました】

Posted on 18 9月 2016 by

月13日に、若松英輔氏と吉村萬壱氏のトークイベントに行ってきました。
二冊同時に刊行された『生きていくうえで、かけがえのないこと』
(同じタイトルで、同じ二十五のモチーフを取り上げたエッセイ集です。
二人で! 同じタイトルとモチーフで!! 別々の本!! ナニそのせら得!!)
ひとつかふたつ、モチーフを選んでレビュー書こうと思います。

おふたりのトークも本当に面白かったです。
書くということ。何をどう書くか、ではなくて、書くとは何か、を考えてみる。などなど。
あと、すごく印象に残ったのが

『コトバが飢饉になった時に備えて、困らない程度のコトバは、自分で紡いでおく。自分に必要なコトバは、自分で書かなければらない』

蓄えておく、のではなく『自分で紡ぐ、書く』んだそうです。
Notebookersとしては、なんとも励まされる、力強い言葉だなあ。
Continue Reading

Comments (1)

1日1ページの呪縛から逃れるための自由への疾走

Posted on 12 9月 2016 by

9月に入ってもまだまだ残暑が厳しい今日この頃ですが、みなさん、アイス食べてますか?アイスは食べても食べられるな!アイス大好きNotebookersのなかしぃさんですよ。知ってました?カマンベールチーズにはカビが生えてるんですって、奥様。

というわけで、9月になれば来年の手帳が並びはじめる季節です。「手帳をとっかえひっかえする女は男もとっかえひっかえする」という名言もあるように、いろんな手帳がリニューアルされたり新しいのが登場したりで目移りしそうですよね。そういう筆者は仕事用の手帳はあいも変わらずほぼ日オリジナルの中身だけ買ってカバーは2013年に買ったブロックチェックを使い続けています。お気に入りのカバーを何年も使い続けていると愛着が湧いてきますし、もう相棒って感じです。img_20140402_170216

で、デキるビジネスマン、なかしぃ卿の毎日はやることがいっぱいなのでウィークリーの手帳ではなく1日1ページの手帳が使いやすいのです。そう、今回は仕事もプライベートも充実させる1日1ページ手帳の使い方講座!!ではありません。

仕事の手帳とは別にわたくし、以前は1日1ページ絵日記を付けておりました。しかも1年と10ヶ月も欠かさずに。だーがしかしだがしかし、ある理由で突然止めてしまったのでした。その当時描いていた手帳はタワレコ手帳で、紙がトモエリバーでほぼ日以外唯一の1日1ページ仕様で、しかもほぼ日よりも安かったのです。もしほぼ日手帳を使ってたら今頃公式ガイドブックで紹介されてたかもしれないです。そう思うと惜しいことをしたなと痛感するわけですが、後の祭りです。

で、当時はこんな感じで描いてましたよ。

img_20150223_0002

これは広島に旅行に行ったときのページですが、毎日こんなスペシャルな体験なんて出来ないわけで、働いている平日に何を描くかで継続できるかどうかの分かれ道です。

筆者が何にも特別なことがない平日に描いてたのは、その日ニュースになったことや突然思い出した昔流行ったアニメやドラマ、音楽などや興味を持ったことなどでした。それでも毎日続けるのは難しく、何にもネタがないときはwikipediaのおまかせ表示をクリックして興味を持ったものを描いたりしてました。

例えばこんな感じ

img_20140706_083135img_20140621_083644img_20140404_233233

こんな感じで最初の1年目は12月31日に最後のページを描き終えたときには達成感がありました。そして次の年も頑張ろう!と思ってたんですけど10月から段々しんどくなってきたんですよね。描くネタがない。ないわけではないが自分の好奇心のアンテナの感度が鈍くなったのか、1日1ページをノルマとしてしまって苦痛に感じて手帳の前で何を描こうか迷う日々が続いたんですよね。そして段々白紙のページが増えてくるとリカバーしようという気力がなくなっていきました。1日くらい描かなくたって次の日に2日分描けてた頃はまだましやったんですけど、絵日記のみならず絵を描くことから遠ざかってしまい、結局今年はぜんぜん描いてないです。一部のフォロワーさんからはカルト的な人気があったんですけどねぇ・・・(自分で言うか?これぞまさに自画自賛!)

で、最近シーラカンスに興味を持って久々にボールペン画を描いてみたら、絵って楽しいんやっていう気持ちが蘇ってきてもう一度描いてみようかなという気が起こりました。でも、もう一度1日1ページを描くだけの気力がもてるか、またプレッシャーに負けてしまうのではないか、そうなったら元も子もないのである賭けに出ました。描くにあたって重視したのが慣れ親しんだトモエリバーであること、毎日ではなく1週間1ページならゆるく続けられるのではないか、ということでほぼ日weeksに白羽の矢が立ちました。毎日描くだけのネタがなくても、1週間に2~3個くらい描ければということと、ページが大きすぎないということが続けられそうだなという気がして先週ロフトでほぼ日weeks買ってきました。

img_20160909_223752

来年まで待つとやらなくなる可能性が高いので、後半のフリーのページを使って慣らし運転をしていき、12月からはスケジュールのページに本格始動しようかなと計画中です。インスタグラムにあげるかNotebookersにアップするかどうなるか分かりませんが、期待せずに待っててください。

 

Comments (0)

テープのりと私の体

Posted on 11 9月 2016 by

A:もし君が,どこか文房具の手に入りにくい土地に,一時的に行くとして,何を持っていくのがいいと思う?

B:うーん,そうだなぁ.現地で手に入りにくいものだよなぁ.

A:そうだよねぇ.じゃぁ,それをどうやって知ればいいのかなぁ?

B:その国の人に聞いてみるのがいいかもしれないね.あるいは,行ったことがある人とか?

A:それもいいよねぇ.

B:あるいは,その国のネット通販上で売られているものを見たらいいんじゃないかな.それ以外のものは,基本買えないって考えるのは?

A:最近はそういうことも出来るようになったね!でも…

B:でも?

A:第一は,何が必要なのかを見極めること.そして,できるだけそれを少なくすること.そうすれば,持っていくものもわかるから.

B:必要なものの選定.ものと向き合うこと.

A:そのとおり!それが出来ないと,どういうことになるかわかる?

B:大切なものと,その一時の間,お別れしてしまうことになるね.

A:それはとても悲しいことだよ.特に,自分が使い慣れたものの場合はね.

B:そういうものってあった?

A:テープのりだね.

B:テープのり!盲点だったね.

A:持ってきたんだけど,途中でなくなっちゃったんだ.

B:探した?

A:もちろん.でも,残念ながらあまりメジャーではないみたいだね.

B:なるほどね.もし,行く前に気づいていたら,たくさん持って行っただろうね.

A:そうだね.特別重いものでもないし,それになにより,僕はスティックのりでさえも好きじゃないんだよ.

B:テープのりの好きなところは?

A:まず,手がベタベタにならないことだね.穏やかな技術っていうのかな?

B:自分の手に寄り添って,邪魔にならない,貼ることに集中して,邪魔されない,そういうこと?

A:そうだね.貼るっていう行為にはいろいろな方法があるけど,だいたいの道具が接着性のために,そこに目が行きがちというか,邪魔されちゃうんだよね.

B:確かにテープのりはそうじゃないよね.

A:そう.あたかも自分の手がノリを貼ってるみたいな感じがするじゃない?自分の体の延長線上の道具って言ってもいいかもね.でも,普段は道具として意識化しないから,逆に遠隔地に行くときなんかは忘れちゃうのかもね.

B:そうかも.じゃあ,1:まずは気持ちよく使えるものを探す,2:普段から振り返って必要な物を精査しておく,3:リスト化しておく,みたいにすれば,ものも多くならずに済むのかな.

A:そう言えるかもね.リスト化の手間によって,持ち物を減らすことも出来るだろうしね.写真をとっておく,ってのもいいかもね.あるいは,リスト化しないと忘れちゃう時点で,ものが多すぎるのかもしれないよ.

Comments (0)

Photos from our Flickr stream

See all photos

2017年3月
« 2月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

アーカイブ