Archive | Think

毛糸のジッパーケース、スタンダードエディション(パステル)販売日時と価格変更のお知らせ

Posted on 07 2月 2019 by


先日、こちらで製作中と言っていましたトラベラーズノート用の毛糸のジッパーケースができあがりました。販売準備も整いましたのでお知らせです。

販売日時は、2019年2月13日 水曜日 21時からの予定です。

上記日時に、Notebookers Marketに専用ページが出現しますので、ご興味ある方は、どうぞよろしくお願いいたします。

毛糸の色は、上の画像の右上から時計回りにベージュ、グレー、ネイビーです。過去に二度販売したことがあるこの3色は、トラベラーズノートの革カバーに標準的に合うなーと思っているので、「スタンダードエディション」と名付けました。

今回のジッパーの色は、グレーの毛糸にはレモンイエローを、ネイビーの毛糸にはスカイブルーを、ベージュの毛糸にはマスカットグリーンを合わせ、北欧調の内布との調和を楽しんでいただけると思います。

また、前回記事で述べましたように、ジッパーの隠れたところに芯材を縫い付け、片手での開閉がしやすいように改良しております。よって、価格についても次の通り見直しさせていただきましたのでお知らせいたします。

レギュラーサイズ 変更前4200円 → 変更後4800円(いずれも送料込み)

パスポートサイズ 変更前3100円 → 変更後3700円(いずれも送料込み)

なお、スタンダードエディションは、これからも作り続けていきたいシリーズですが、これまで通り、ジッパーや内布は変えていく予定ですので、同じ組み合わせのものは他にない、一点ものとなります。気に入っていただけましたら、その時にお買い求めくださることをおすすめいたします。

トラベラーズノートカバーにセットしたイメージも撮ってみましたので、チラ見せします。下の画像は、グレーのレギュラーとパスポートです。どちらも革カバーはブラックです。

開いて左側の編み地には、ピンバッヂやピアスなど刺してお気にいりを保管できます。
画像のようにメモを刺してもおもしろいです。ご使用者の方から教えていただきました。

では、毛糸のジッパーケース、スタンダードエディション(パステル)の発表をお待ちくださると幸いです。

Comments (0)

毛糸のジッパーケース(トラベラーズノート用)を製作中であることと改良点と。

Posted on 28 1月 2019 by

次回販売予定の毛糸のジッパーケース(トラベラーズノート用)の一部

鋭意製作中

現在、次回販売予定の毛糸のジッパーケース(トラベラーズノート用)を製作中です。ですが、その手をちょっと休めまして、宣伝を兼ねて改良点についてお知らせしておきたいなと書いています。

今回の毛糸の色は、数年前、最初に出品したものと同じで、グレー、ベージュ、ネイビーの3色です。(以前はネイビーでなく紺色って呼んでました。ネイビーという呼び方を思いつかなかったからです。他の2つがカタカナなのだからネイビーじゃんね)

そしてジッパーの色を、北欧調の内布に合わせてパステルカラーにしてみました。グレーの毛糸にはレモンイエローのジッパーを、ベージュの毛糸にはマスカットグリーンのものを、ネイビーにはスカイブルーを合わせています。枯葉の地面に明るく息づく草花のような凜とした雰囲気が気に入っています。

2月上旬に販売開始予定です。詳細が決まり次第、またこちらでお知らせいたしますので、お待ちくださると嬉しいです。

改良点(ジッパーに芯材)

今回から、ジッパーの両サイドに、上の画像のように、芯材を縫い付けました。なぜかと言いますと、これまでに毛糸のジッパーケースをお使いの方々にアンケートをとらせていただいた結果、「ジッパーケース本体が柔らかいため、ジッパーを片手で開閉し難い」、というようなご意見をいただいたため(詳細は前回記事『「毛糸のジッパーケース」アンケートへのご回答をいただいて』)、なんとか改良できないか考え検証した結果、これが今できる最良かなと思い、施しております。

検証した内容

「バッグ・帽子用ポリ芯<0.5mm・白>」というものを約5mm幅に細くカットし使用しています。

芯材あり(左)と芯材なし(右)を洗濯バサミではさんで立ててみました。これくらいちょっとしっかりしてくれます。

さらに使い心地を検証するため、自分用にツインジッパーケースを作ってみました。

自分用に作ったツインジッパーケース(バスポートサイズ)

グレーの編み地に、ちょっとわかりにくいですが、画面左がピンク色、右が白のジッパーを付けています。

トラベラーズノートのカバーにセットし、左手でノートを掴み、それぞれ開けて下にあるスライダーを、右手で上にスライドし、閉めてみます。

芯材なしなので、グニャッと本体ごと上がってきてしまい、閉め辛いです。

芯ありのほうは、ジッパーがまっすぐであろうとしてくれてるのが分かりますでしょうか。スッと難なくスライダーが上がってくれました。

検証結果より

以上のことから、見た目も変わらず、重さもほぼ変わらず、片手で開閉しやすくなったと判断し、この「ジッパーに芯材縫付方」を採用した次第です。今後の私の毛糸のジッパーケース(「の」多い)にはこの作り方でいこうと、まあ今のところそう思っております。

これを使われた方には、また使い心地をお聞かせ願えればなあ、と思いながら一針一針、鋭意製作中です。

以上、次回の毛糸のジッパーケース(トラベラーズノート用)の宣伝と改良点でした。

Comments (0)

嘘つき

Posted on 27 1月 2019 by

嘘を書こう 分厚いモレスキンに
嘘を書こう 四角い紳士なノート
嘘を書こう 嘘が教えてくれる物
嘘を書こう 婚姻届の立会人欄に
嘘を書こう システム手帳聖書判
嘘を書こう 測量野帳のレベル罫
嘘を書こう リツイートの言葉で
嘘を書こう 鳩居堂の便箋一杯に
嘘を書こう 資金調達PRとして
嘘を書こう 美術館の絵葉書裏に
嘘を書こう 自伝エッセーの中に
嘘を書こう リフィルの見返しに
嘘を書こう ノートブッカーズに
嘘を書こう 確定申告の記載欄に
嘘を書こう 仲直りの手紙の全文
嘘を書こう 思いつく限りの嘘を
嘘を書こう 企業の内部告発文章
嘘を書こう ヌラリフィル滲ませ
嘘を書こう 十年日記帳を埋めて
嘘を書こう 美しいガラスペンで
嘘を書こう 目撃証言覚書として
嘘を書こう ペリカンM800で
嘘を書こう マークシート試験に
嘘を書こう クーピーのお尻側で
嘘を書こう 読書感想文の丸ごと
嘘を書こう スケッチブック一杯
嘘を書こう 七夕の短冊の全てに
嘘を書こう 離婚届の理由記載の
嘘を書こう 毎朝の抜書帳として
嘘を書こう 嘘専用ノート以外に
嘘を書こう 興信所の調査報告書
嘘を書こう ムーンプランナーに
嘘を書こう 国勢調査アンケート
嘘を書こう ほぼ日MEGAのメモ
嘘を書こう 取調べの供述調書に
嘘を書こう 薄墨のご芳名記載時
嘘を書こう 日めくり付箋に短く
嘘を書こう 消費者金融の借用書
嘘を書こう サンタさんへの手紙
嘘を書こう 実録怪談へ投稿作品
嘘を書こう 別の名前で書く手帳
嘘を書こう 初診の際の問診票へ
嘘を書こう ツバメノート立太罫
嘘を書こう 遺産配分の遺言書に
嘘を書こう 古典インクを用いて
嘘を書こう 出生届けの名前欄に
嘘を書こう 通信簿の行動記録へ
嘘を書こう 分数テストの答案に
嘘を書こう 無印良品メモパッド
嘘を書こう 老老介護の家族の話
嘘を書こう 毎朝書いてる夢日記
嘘を書こう 本当に少し混ぜた嘘
嘘を書こう 嘘を書いた事は事実

(虚実)

Comments (0)

欠片製造者&おまけ

Posted on 21 12月 2018 by

眉を動かすだけで世界は砕ける
探求は砕く方向にしか進まない
収集した破片を不器用に固める
自分がいない世界を知るために

砕ける以前の世界なんて無いし
そこが完全世界だなんて幻想だ
対称性の破れ、余りものの破片
この世はもともと砕かれている

砕かれたものを知るために砕く
砕いたことを恐れて繋ぎ合わす
そうやってマレーバクは生まれ
大脳辺縁系は爆発的に進化した

見失われた欠片を補う想像力は
砕かれる以前の世界を捏造した
砕けた欠片の砕かれた世界の中
ないものを信じる力に囚われた

絶対に舐めて溶かすな噛み砕け
前歯で割って奥歯ですり潰して
浜の砂より片栗粉より石灰より
微細な粉塵にして吹き飛ばして

さざれ石の磐となりて苔の生す
そんな輪廻を乗り越えるために
渦撒く思念までも吹き散らして
全ての全てが一にまとまるまで

(贈与)

おまけ

文具俳句(コンパス・消しゴム・筆箱・絵具)

コンパスの一肢がおどり冬雲刺す             小暮洗葦
コンパスが描きちらしたる曼珠沙華            三嶋隆英
燈台をコンパスとして海涼し               下村梅子

消しゴムを借りしかの人かの時間             上野草魚子
消しゴムは投げ捨ててゆく初潮の日            畑井貴晶
消しゴムの消屑をわが掃納め               鷹羽狩行
山笑う消しゴムでその山を消す              清水冬視
真四角な消しゴムをのせ受験票              森田公司
ささくれ立つ消しゴムの夜で死にゆく鳥          赤尾兜子
紙に掬ふ消しゴムの屑啄木忌               奥谷亞津子
春愁や消しゴムの屑手にあつめ              足立 とみ
消しゴムがもう少し痩せた頃に夏             櫂未知子
消しゴムを買いためている桜桃忌             たまきまき
私を消す消しゴムがない晩秋               栗林千津
消しゴムや麓の川を川蒸気                攝津幸彦
消しゴムと鉛筆の机蓬餅                 瀧井孝作

筆箱の中の宇宙の鬼やんま                正岡 豊
げんげ道筆箱が鳴るランドセル              吉原文音

色のない絵の具で熊手塗りにけり             猪原丸申
そり返る絵の具のチューブ夏旺ん             平吹史子
白き皿に絵の具を溶けば春浅し              夏目漱石
かはせみや絵の具を流すおのが影             馬光
絵の具箱明日は林間学校へ                西村和子
落ち葉道描くとき絵の具ねむらせる            栗林千津
初冬や石油で洗ふ絵の具筆                栗林千津
蓮池の水もて絵の具溶きにけり              辻桃子
菊さけり蝶来て遊べ絵の具皿               服部嵐雪
新緑やこつてリ絵の具つけて描く             高田風人子
幾春の絵の具や兀し涅槃像                松岡青蘿

Comments (0)

「毛糸のジッパーケース」アンケートへのご回答をいただいて

Posted on 16 12月 2018 by

今年の秋にお願いしていました前回記事、【「毛糸のジッパーケース」アンケートのお願い】につきまして、貴重なご回答を多数いただきましたので紹介させていただきます。
ご協力くださった皆さま、本当にありがとうございました。
読んでくださった方もありがとうございます。

全てのご回答を紹介すると長文になってしまうので、要点をまとめて発表できたらと思っていたのですが、多数のご回答の要点をまとめるなんて難しいことを私ができるはずなどなく、うんうん考えている間に数ヶ月が過ぎてしまいました。アンケートなんてお手数がかかることをお願いしておいて、本当に申し訳ございません。

よって、全てのご回答を順に並べ、その下に私の見解をちょこっと書いていく、という形にしました。ちょっと長いですが、様々なご意見ご感想を楽しんでいただけたらと思います。

読まれる際は、次のポイントに注目して読まれるとより楽しいと思います。
・毛糸のジッパーケースをどのようにご使用されているか
・毛糸のジッパーケースの改善して欲しいところ
・毛糸のジッパーケースについてご提案くださること
・アンケートのご回答を受けて私が考えること
・トラベラーズノートご使用の素敵画像を観賞しよう(全体に散りばめました)

では、どうぞ。

aisennさんpic.

Continue Reading

Comments (0)

Tags: , ,

生き残ろうぜ!映画に学ぼ☆アクションサスペンス編

Posted on 30 11月 2018 by

日、ポールオースターの『インヴィジブル』を読みまして。
オースター読むのって年単位ぶりくらいかもしれない。
このタイトル、『不可視』見えないもの、見ることができないもの、の通り、ものすごく物語じたいがつかめず、頼りなく、寄る辺なく。ひとつの出来事は、あるひとにとっては「あったこと」で、また別のひとにとっては「なかったこと」
そこで、オースターのいつものフレーズ「ヴァージョンAとヴァージョンB、どちらもが本当の物語なのだ」と。
良かったです。はー、次は何を読もう。
Continue Reading

Comments (0)

世界の果て(の淵)に、小さな船で訪れようとする話

Posted on 18 11月 2018 by

目次:
1. 世界の果て
2. 世界の果てからの通信手段
3. 世界の果てへの移動手段
3-1. 小さな船の免許
3-2. 筆記試験の講習
3-3. 操船実技の講習
おまけ1: 海で使う文具の話
おまけ2: 地文航法・天文航法という本の話
おまけ3: 六分儀を手に入れる

1.世界の果て
Notebookersには「世界の果て」というタグが存在する。タグを辿ると各々の「世界の果て」が記されている。ある人は文字通り、自身からはるか遠方の「世界の果て」を記し、ある人はノートブックの中にある「世界の果て」を記している。世界の果てについて「ペンギン・ハイウェイ」という小説に出てくる主人公の父親は、

「世界の果ては折りたたまれて 、世界の内側にもぐりこんでいる 」

と表現している。
私はこの一文が好きだ。仮に内側にもぐりこんだ点がそれぞれのノートブックにあるとすれば、その内側に沈み込んだ点からこちら側を眺める時、私たちがいる今、この場所が、同時に世界の果てになるのだろう。そのような視点から部屋を見渡すと、それとなく、ここも世界の果てに見えてくる。

一方で、私にとっての「世界の果て」という言葉は、物理的に隔絶された、誰の助けを受けることもできない、文字通り一人ぽっちでたどり着く場所という印象で「では、そこにたどり着くにはどうしたらよいのだろう」としばらく考えていた。そして、いくつかの現実的な問題と照らし併せ、私にとって一人で到達可能な「世界の果て(の淵)」は、

「海上」

ではないだろうかという仮説に達し、小さな船(小型船舶)の免許を取得しようと決心した。こうして文字として記すと全く馬鹿げているのだけれど、私にとっての世界の果て(の淵)にたどり着く合理的な手段であるように、その時点では思えた。

Continue Reading

Comments (0)

Tags:

手帳のパズル。粘土のノート。

Posted on 09 11月 2018 by

捨ててもいいタスクなんてない
忘れてしまえる思いなんてない
サインをもらえばタスクは完了
カタチにできれば思い出になる
次々とタスクは投げかけられて
どんどんと思いは募っていって
限られた居場所を圧迫していく
片付けはあまり得意じゃなくて
捨ててしまうのも好きじゃない
角と角をそろえて隙間を埋めて
試行錯誤をして思いをカタチに
手帳のパズル。粘土のノート。
限られた居場所に二種類の時空
タスクをはめこむ緻密なパズル
思う存分に思いをこねる粘土板
首に鈴をつけて放牧するタスク
地層の深部から声を上げる思い
きちんとできるものならば簡単
四角いものならぴったりはまる
きちんとしてないものには驚嘆
丸ごと抱えて徹底的に交わって
今までの今のそしてこれからの
全てがこの手帳とノートにある

(双系)

おまけ 10月のマンスリー絵日記

 

 

Comments (0)

Tags: , , ,

Note of the note p.9 正岡子規「仰臥漫録」―ライフログの壮絶

Posted on 27 10月 2018 by

はじめに

Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。
第9回目は、正岡子規さんのライフログ、『仰臥漫録』に向き合ってみる。

出典

図版00
仰臥漫録 岩波文庫

『仰臥漫録』の状況

まず、このライフログがどのような状況下で綴られたのかを、同書巻末の阿部昭さんの解説から引用する。

『仰臥漫録』の筆を起した明治三十四年(1901年)、子規は三十五歳、すでにその肺は左右ともに大半空洞となっていて、医師の目にも生存自体が奇蹟とされていたという。翌三十五年、病勢はいよいよ募り、春以降は麻痺剤を用い、九月初旬足の甲に水腫を見、同月十九日未明遂に絶命する。「仰臥」とは、俯すことが出来ぬので文字通り仰むけのまま、半紙を綴じたものに毛筆で記したのである。(p.191)

私がこれを、ライフログと呼ぶのは、動かせぬ体と激痛の最中、病床六尺を一歩も出ることなく、ある種の貪欲さをもってこれを書き継ぐ「文章人」の気魄に飲み込まれぬためである。
写生俳句、写生文を提唱し、文明開化後のあらゆる「文」の改革を自らの使命とした正岡子規さんが、自らをも、写生し尽くそうとする態度を、憐憫や英雄視などで歪めぬためである。
それにはただ、向き合うしかない。その命までをも写生する唯一無二なるライフログとして。

健啖と後悔と

淡々と献立を記すというのは、円谷幸吉さんの遺書にとどめを刺すが、『仰臥漫録』においても、日々の克明なる献立の記述と、食いすぎた後の煩悶。また食えなかった時の苛立ちが腹に染みる。

図版25(下記引用とは別頁)

朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干し(砂糖つけ)
昼 粥四椀、鰹のさしみ一人前、南瓜一皿、佃煮
夕 奈良茶飯四椀、なまり節(煮て少し生にても)、茄子一皿
この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかへす
二時過牛乳一合ココア交て
煎餅菓子パンなど十個ばかり
昼飯後梨二つ
夕飯後梨一つ
服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カフセル)
水薬 健胃剤
今日夕方大食のためにや例の左下腹痛くてたまらず、暫くにして屁出で筋ゆるむ (pp.11-12)

何たる食欲。門下生夏目漱石さんも、ジャムなど食べ過ぎて胃をいぢめいたが、子規さんにも驚かされる。そしてこの健啖ぶりは、衰えることがない。
食らうのは体である。病とは体の病である。「私」とは徹頭徹尾「体」であった。そんな体に囚われながら、子規さんは「六尺では広すぎる(『病床六尺』より)」と言い、句作を続ける。

病床の景色

とにかく、動くことができない。仰向けに寝ているだけ。聞こえるもの、来客、家族との会話、お土産もの、そして庭から映る様々のこと。

図版31

病床所見
臥して見る秋海棠の木末かな
秋海棠朝顔の花は飽き易き
秋海棠に向ける病の寝床かな(p.30)

動けないから、句が読めない、などとはいわない。しかも写生俳句である。
以前私は『異邦人』の主人公ムルソーが、第二章において牢獄にとらわれている間にすっかり凡人となり下がることが残念で、「彼は写生俳句を作るべきであった」と思った。それはブーメランのように、自分に跳ね返ってくる。

図版87
病室前の糸瓜棚 臥して見る所(p.87)

図版34

此蛙の置物は前日安民のくれたるものにて安民自ら鋳たる也
無花果に手足生えたと御覧(ごろう)ぜよ
蛙鳴蝉噪彼も一時と蚯蚓鳴く (p.34)

俳句の俳諧性。これは世の中に滑稽さを感ずることだと思う。端的にいえば、己を去って、面白がる姿勢だ。ここに「皮肉や、冷笑」などは一欠けらもない。それは俳句を、いや文を、そして自らを濁らせるものだ。
お土産の蛙を手にとり、ためつすがめつするところは、夏目漱石さんの『門』で、宗助が起き上がり小法師で遊んでいる場面を髣髴させる。

則天去私から則私則天。そして則私去私へ

図版99

前日来痛かりし腸骨下の痛みいよいよ烈しく堪られず、この日繃帯とりかへのとき号泣多時、いふ腐敗したる部分の皮がガーゼに附着したるなりと
背の下の穴も痛みあり 体をどちらへ向けても痛くてたまらず
この日風雨 夕顔一、干瓢二落つ(pp.98-99)

この状態で、なお風物を気に留め、描きうる胆力に言葉もない。だが、こうして文や、俳句にしようとするとき、現実の惨状は、対象となり句材となる。そのとき、「私」は「天」の方へ少し離れる。このわずかの距離に文人は最大の愉悦を覚える。

図版107

(前略)さあ静かになった この家には余人一人となったのである。余は左向きに寝たまま前の硯箱を見ると四、五本の禿筆一本の験温器の外に二寸ばかりの鈍い小刀と二寸ばかりの千枚通しの錐とはしかも筆の上にあらはれている さなくとも時々起らうとする自殺熱はむらむらと起こって来た(後略)(p.105)

この時は、恐ろしさ(死ぬことよりも苦しむこと。死損なうこと、刃物そのものの)に煩悶し、しゃくりあげて泣き出していると、母が帰宅して、実行にいたらない。そして、小刀と千枚通しの絵を描き残すのである。

作品と私生活とに距離のない時代だった。私小説とは、作家の生活そのものとして発表された。そんな中で、「写生文」は、「心境描写」を徹底的に排除することにより、私と作家との間に空隙を確保した。その空隙に「天(普遍)」が入る余地をもたらした。

「日記」ではない。「写生日記」である。ライフーログとは、まさに事実をそのまま記録する姿勢である。記録者であることはつまり、自らを自らという観測器の技師の地位におくことに他ならない。

われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候 家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候はば柩の動きもとれまじく候
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候
戒名といふもの用ゐ候事無用に候 かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり 戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候 戒名などはなくもがなと存候
自然石の石碑はいやな事に候
柩の前にて通夜すること無用に候 通夜するとも代りあひて可致候
柩の前にて空涙は無用に候 談笑平生の如くあるべく候(pp.113-114)

「私」と「天」との間には、不透明で重たい「体」が存在する。「体」を離れて「私」はなく、「体」に囚われていては「天」には至らない。「私」は「体」に癒着し「体」を抜け出ようとする抵抗の中にのみ「天」を感じることができる。写生論が唯物主義であるのは決して、「体」を無視することができないからである。ライフログとは、「体」の記録でなければならない。

さいごに

『病床六尺』の最後の回の載った翌九月十八日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句を書付けた。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」。痰を切り、ひと息いれて、「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」。また一休みして、「をとゝいのへちまの水もとらざりき」。そこで、筆を投げた。穂先がシーツをわずかに汚した。そしてその日のうちに昏睡におちいった子規は、越えて十九日の午前一時に、息を引き取る。三十六歳。いまふうに数えて、三十五歳になる直前であった。
(『病床六尺』解説 上田三四二 p.193 岩波文庫)

図版7
明治三十四年九月二日 雨 蒸暑し

銘記すべきノートである。

Comments (0)

読書感想文は苦手だ

Posted on 07 10月 2018 by

お久しぶりのkonamaです。

今日は読書ノートのお話をちょびっと。

本を読むってことは昔から大好きなことですが、「読書感想文」というのはあまりいい思い出がありません。

実をいえば小さい頃は可愛げのないガキだったので、いかにもな感想文を書いて先生に褒められる、みたいなことをしていました(今考えるに大した文章でもないくせにね)。だから「苦手」という意識はなかったのですが、なんとなく好きじゃないなあと。なにせ普段読んでる本ではなくて、感想文用に本を探して、ある意味解剖するようにその本を読んで書いているのですから、私にとって「読書感想文」は「読書」から完全に切り離されたものだったのです。感想文の素になる読書だって、楽しいは楽しいのですが、「この本ホント良かった是非読んで~、おススメのポイントはね…」というような勢いがあるようなものじゃない。毎年書かされた感想文はキライだったし、本を読む習慣を…っていう意味だったらむしろ嫌だよねえこれは…と思うのデス。ちなみにプロの方のかく書評や本にちなんだエッセイは大好きで、自分でもブログで本の紹介をしていたくらいですから、嫌なのは本にちなんだ文を書くという部分ではないはずなのです。ではなんでこんなに嫌なんでしょう。

【私の中にあるなにやら青臭いもの】

上の写真はニコルソン・ベイカーの新作の「U&I」の中の一節なのですが、左側の部分とその続きを読んだときに、ちょっとあーそういうことなのかもと思ったのです。

それにいずれにせよ、その時々に読む本は、多種多様な理由を混ぜ合わせて得られた結果で選びたかったし、追悼記事を書くためにあらましを知らねばならないという程度のことで選ぶのはいやだった。つまり、ぼくがバーセルミを再読したいのは、ほんとうにバーセルミを再読したいときだけであり、彼の死によって突然迫られたときではないのだ。

結局のところ、本を読むっていうのはこう、自然の発露みたいな感じで身のうちからぽろっと出てきたようなものであってほしい、というような(これだけでもないのでうまく言えませんけど)よくわからない憧憬というか、不可侵性というか、そんな青臭いものが自分の中にあるのかもなと。

そんなわけで自分と読書傾向が明らかに違う方らの、絶対面白いから読んで、みたいなものは申し訳ないけどなかなか読まない(自分はお節介することがあるくせにね)。自分の中の読みたいが来ないと、後回し。家族は私が本が好きだというのは知っているけれど、めったにプレゼントしてくれたことはありません(感想を聞かれてもいつも生返事なので諦めたのだと思う)。

読書感想文も「感想文」のために読む、あるいは読み返すということになるから、なんかその辺がちょっと嫌なのかもしれません。

【ためになる読書】

この青臭いものの延長線上にあるのだと思うのだけど、「ためになる読書」というのにも少々抵抗があります。読書で何かを身につけるってことに重きをおいていないというか、本を読んでそれが楽しいで、その後中身をすっかり忘れたってそれでいいじゃないと思っている節があります。それはもちろん仕事上、自分が今読みたいというわけではない本を読むことなど年中あるわけですが、その読書も「何かを得なければ」という思想があんまりない。だから昨今巷でよくみかける「そんな読み方では頭になにも残らない」とか「ノートに書きながら読むことで身につける読書」とかいう本の広告や煽り文句には、そんなの楽しくないのに…と思ってしまうのです。もちろん、読書ノートを付けてらっしゃる方、感想をブログに載せている方、楽しみに読ませていただいて、それが「あ、この本読みたい」につながることも多いので、それに対しては感謝こそあれ、嫌な気持ちは全くありません。

じゃあ、本を読んでいて何か書きたいと思ったことはないのか…といわれると。あ、なんてキラキラとした言葉なんだろうとか、むふふこの表現はちょっとイカン、あ~いかにも彼がいいそうなセリフとかそう思ったその瞬間を書き留めたいなあと思うことがあります。上の写真はキラキラ言葉系ですかね。そんなわけで、無理に感想を書いたりせずにグッときた文章を抜書きするという習慣ができました。前にもこの話やこのノートは登場しているかと思いますが、万年筆(とインク)をなるべく使いたいという自分の事情もかさなって、モレスキンダイアリーのXS(残念ながらここ数年発売されておりませんが)に短い文章を抜書きしています。抜き書きが多い本は、読書ノートをつかっています。みずず書房のフェアでいただいたみすずノート(下の写真)。

こちらには、本の情報と抜書き長めのものをまとめています。このノートの好きなところは、装幀について書く欄があるところ。感想とかはかかずに、ページ数と気に入った文章だけ。おそらく、その時(その年齢)の感想が書かれているのは、後で読み返してとても面白いだろうとは思うのです。ただ、「感想文」と考えただけでイヤーな感じがある私には「抜書き」ぐらいの方が抵抗なく気楽にできるなと書き留めています。

【読まない理由・読めない理由】

青臭いものを吐き出したついでにもう一つ。これもどこかで書いたかもしれないのですが、読んでる本の分野についてとやかく言われるのは苦手。「ためになる読書」と同じにおいがするからではないかと思うのだけれど、ある作家の文章が苦手というと「それは理解が足りないから(というか頭が悪いから)」、いわゆる名作でない娯楽大作を大好きだというと「そんなくだらないものは読まない」なんておっしゃる方がたまにいらっしゃるのですが、何を読んだっていいじゃないですか。本を読むことって本当に個人的な体験だと思う(その人の人生によって出てくることも、感じることも違うでしょう?)。だからこそ、他の人が語る好きな本の話って、たとえその本を読んであんまりなーと思った本でも面白かったりする。

そう考えると、え、じゃあ「読書感想文」でもいいじゃないと思うかもしれないけど、この「この本ホント良かった是非読んで~、おススメのポイントはね…」の部分を学校で先生に一方的に文書で報告したいか?といわれると、いやいやそうじゃないんだよ。同じ理由で、ビブリオバトル系もそんなには好きじゃないんだ。

こういう、なんかよくわからない本にまつわる奇妙なねじれた想いも(これは根拠がないのだけれど)「読書感想文の呪い」の一つなんじゃないかなあと思ったりするわけです。

Comments (0)

Tags: , ,

「この女は多くを愛したから、その多くの罪はゆるされているのである」〜マグダラのマリア 十作品

Posted on 30 9月 2018 by

月に東京へ行ってきました。
旅のテーマは、美術館の常設展に行く、企画展へ行く、本屋さんで泊まる、ひとに会う、などなどあったんですが。
美術館の企画展も見てきました。
こちらです>> 国立新美術館『ビュールレ展』
リンク先にある少女の肖像『可愛いイレーヌ』が、チラシなどのメインに使われていて、えー、キャッチコピーが「最強の美少女(美少女にセンターとルビがふっている)』でした。
センターという言葉に賛否あったようですが、わたしはそれより「最強」の方が気になっていました。

最強の美少女。

なんだろう、イレーヌ、彼女は銀行家のお嬢さんだそうで、なので誘拐などの対策として、幼い頃から格闘技を仕込まれ、この絵が描かれた八歳の頃には、もういっぱしの格闘家として(以下略)。
Continue Reading

Comments (0)

Perspective 後編

Posted on 27 9月 2018 by

◀︎ Perspective 前編(サンライズ出雲〜三原港)

6. 因島

3年前、その時もちょっとした思いつきで、短い船旅をした。三原から隣市の尾道まで、海路でいったん海に出て、船を乗り継いで行った。(『断片』)
その時にも経由した因島。いんのしまと読む。以前は因島市だったのだけど、いつのまにか尾道市になっていた。元は独立した市だったくらいだから、「島」ときいてなんとなくイメージする島よりはずいぶん大きい。船着場はいくつもあるし(いくつあるんだろう?わたしが知ってるだけで4つはある)、山もある。ついでにいうと村上水軍の拠点でもあって、城跡も多くある。

3年前のルートは、1本目の船で三原港から因島の重井(西)港へ、そこから歩いて同じく因島の重井東港、重井東港から2本目の船で尾道港に向かうというもの。同じ「重井」の西港から東港なんだから隣にあるんだろうと思ったらとんでもない……はじめのうちは民家の意匠を見て「おー、すぐ近くなのに本州側とは違う。これは因島村上氏の海賊風なんだろうか」とかなんとか考えながら写真も撮ったりして楽しくてくてく歩いてたんだけど、てくてくてくてく歩いても次の港らしきものは見えないしそれどころか道なりに進むだけで丘を越えるような地形になってくるし、てくてくてくてく歩きながら大層心細くなってきて真夏の道路は容赦無く熱いし、てくてくてくてくてくてくてくてく歩き続けて30分、半べそでたどりついた港では港湾ビルも切符売り場も見あたらず桟橋がぴよっと出てて、……って、あ、話が逸れた。とにかく、安易に「島」というイメージで想像してるとひどい目にあうような大きさの島なのだ。

そして今回。
三原港を出た船はまず因島に向かう。因島では寄港地が3つあり、島の北側にある重井港→中ほどにある因島モール→南側の土生港と、同じ島の3つの船着場を海路で渡ってゆく。
(本当は因島までの途中で佐木島に寄り、因島の後で生名島に行く航路なのだけど、わたしが乗った便は佐木島に寄らず、生名島の前で下船したのでそのへんはまぁその)

防風ガラスにあたる波飛沫と白い航跡を眺めざぶざぶと揺れながら、3年前と同じルートの同じ景色というのもあってか、いつのまにかぼうっと考えごとをしていた。重井港から因島モールまではこの船で10分強、因島モールから土生港が5分弱。因島モールというのは最近新設された桟橋のようだけど、モールというからにはモールなんだろう。きっと大きなショッピングセンターがあって、あのピーピー鳴るカードを渡されるフードコートなんかもあって、、、あ、もしかして、島の人たちはバスの代わりに船に乗って買い物に行ったりすることもあるんだろうか?船にちょうどいい時間帯だったら「今日は船で帰ろー」とか……

……と、つらつら考えてるうち船は因島の北側、1つめの重井港を過ぎていた。このあたりまで船で来たのは、記憶に残ってるなかでは初めて。見憶えのない景色に焦点が戻る。

重井港から先は、(三原港から重井港までの間もそれは瀬戸内海らしい景色ではあるのだけど、それをずっと上回るほどに)信じられないほど美しく可憐な瀬戸内海の景観が続いていた。ふくふくと起伏のある小さく立体的な秘密基地みたいな島々が、空から落ちてきたみたいに艶やかで平たんな碧い海に溢れている。どうやったら行けるだろう?と想像して楽しくなるような、島側からだと隠れて見つからなそうな小さな砂浜や入り江もあるし、今は夏の緑一色だけど、季節になれば蜜柑や八朔やレモンの橙色や黄色の果物のなる木があちこちに見られるはず。
もしかしてこれは絶景というのじゃないだろうか。絶景というとなんとなく、字面からして何処か遠くの険しい地形をあらわす言葉のような気がしてたけど、こういう「信じられないくらいかわいい」も絶景に含まれるんじゃないかと、この景色を見て思う。とてもきれいな玩具のような、空想の世界をそのまま地形に写したような、現実感のない景色だった。

船は土生港に着く。次にのる今治行きの船までは1時間と少し。陽は強いけど日陰にいれば涼しい風が吹いて心地よいので、港でのんびりすることにした。

普段は縁のない港の切符売り場を興味津々で眺める。美術館のチケット売り場のような仕切りガラスのある窓口、ガラス越しでやりとりをするための穴の開いた窓口が並ぶ。以前は係の人が居たのだろうけど、いまは誰もいない。ガラスには何年前から貼ってあるのかわからないような灼けたテープのついた張り紙やポスターがみっしりと貼ってあって、その隙間から、奥にぼんやり見える暗い無人の事務所を覗いてみたりする。

切符売り場の其処此処に貼られた張り紙を見ているうちに、「……は、道路を出て左200m先のコンビニで…」という一文を見つけ、散歩がてらコンビニまで行ってみることにした。
コンビニはどの町に行っても同じコンビニなんだけど、何となく、少し、その土地独特の雰囲気がある。何がそうなのかと言われてもうまく答えられないけれど。いつも行ってるコンビニのいつも買ってるソフトクリームを、いつもの町から500マイル離れた島のいつもと少し違うコンビニで買い、眩しく澄んだ陽射しの町をを少し歩き、うす暗い港湾ビルに戻る。シャッターの下りた売店の前の風除けのガラスで囲われた待合室の出口に座って、海の風に吹かれながら、ソフトクリームをかじりながら、次の船に乗るためにそろそろとやってくる島の人たちの会話を聞くともなしに聞いている。島には住んだことがないけど同じ瀬戸内海地方だし、同じ言葉だし、たぶん他の旅人よりはずっと景色や音や空気の匂いを自分の内にあるものと同じに自然に受けとっているだろうとは思うのだけど、それでも、何処か知らない異国にいるような気分になる。

「海難、密航、密輸、不審船
(海の事件・事故)
直ちに通報118番」

海では110番じゃなくて118番、なんていう今までの人生では想像したこともなかった常識をその辺にかけてある看板で知るのも、また異国めいた体験か。

次の船が来るまであと10分。着いた時には桟橋からまっすぐ入ったので見ていなかった建物の南側を覗くと、小さなお社があった。海はきらきらして明るくとても良い天気なので、出港の前に挨拶をしてゆくことにする。

7. 芸予諸島

瀬戸内海には全体で3千もの島があるらしい。3千もの、と書いたけどそんなに大きな数、実は自分でもぴんときていない。とにかく、中国地方と近畿と四国と九州で囲まれた小さな海に、たくさんの島がある。ただ、とはいっても、ヒトのスケールからすれば瀬戸内海も広い。島の多い海域と、島は少なめで開けた海域がある。今回の船旅は、芸予諸島という数百の島が密集した、瀬戸内海屈指の多島美といわれるところを通っている。

芸予諸島のほぼ真ん中の本州側、竹原の祖父母の家から車で帰る時に、「本線がいい?呉線がいい?」ときかれたら必ず「呉線!」と答えていた。本線というのは、昔は山陽道・西国街道といわれた大阪から門司を結ぶ国道2号線のこと。呉線というのは、電車の呉線と並んで走る国道185号線のことで、瀬戸内海を臨む海沿いの道だ。

呉線から見える瀬戸内海。なめらかできらきらしていて、グリーンがかったたぷたぷした海の上に、大きいの、小さいの、たくさんの島が浮かぶ。その間をフェリーや小さなボートが行き交い、遠くにはタンカーが見える。よく晴れた日には「四国」といわれるうす青く長い陸影も見えるらしいけど、子供の頃の自分の目には、遠くの空と海の境にある青い影が、大きな島なのか四国なのかの区別はつかなかった。海沿いを走る車窓の下はすぐに海で、満潮で海が満ちている時にはスナメリクジラが泳いでるのが見えるんじゃないかと目を凝らした(けど、それらしい白い影が見つかったことはない)。漁港ではない港町(漁港のにおいがしない)、海沿いの小さな町には見合わないほど大きな造船会社のビルの間を抜け、赤と白のゴライアスクレーンを過ぎると、小さな砂浜のあるお気に入りの無人島が見える。
遅くなって夜になった時には、島々の灯りと船の灯りがゆらゆらして、時々、灯台の回る光がちか、ちかと、光の棒を空(くう)に投げる。左手にはカーブを描いて今から帰ろうしている街の光が連なり、右手は海と島の世界のあかりが灯る。

「船で四国に行く」というのは、その、近くて遠い島々の世界を、眺めるのでなく入ってゆくこと。島の世界は思っていたよりずっと”島の世界”で、土生港で感じた異国めいた気分は、気のせいではなくて本当に異国なのだろうと気付く。

四国行の2本目の航路は、因島の土生港を出て、生名島、弓削島、佐島、岩城島、伯方島、大島、そして最終港の今治まで、幾つもの島に寄りながら行く。港を出た船は、すい、と進んで次の港、すい、と止まってまた次の港へと、町中の電車がとまるくらいのリズムで軽やかに進んでゆく。
「はい今日はぁ」着いた港からゆるく挨拶をして乗ってくる次の島の人達が、前の島から乗っている人達と合流して楽しそうにお喋りをしている。ここに住む人たちは、隣島が隣町くらいの感覚/間隔で暮らしているのかなと思う。町工場のようにあちこちにあるドック。あちこちに泊まっている船。海は水路のようで、海の水路をゆく船は、電車やバスのような気軽な乗りもののように見える。

穏やかなこの海域、きっと歴史にも残ってないような昔から人が住んでいて、しまなみ海道や瀬戸大橋はもちろん、乗合の定期渡船もなかったずっとずっと昔には、泳いで渡ったり個人の持つ小さな手漕ぎ舟で渡ったり送っていったりが普通に行われていたんだろうなと、またぼんやり想像する。この海域を制していた水軍の武士たち、海を自由に行き来した逞しい人と、もし浅瀬なら歩いて渡れるほど近くにある島にすら渡る術がなくて溜息をつく人も居たかもしれないと、退屈そうな細い指と紅い木の花を想像する。

8. 今治港は想像していたよりもずっとモダンな港で、振り返って見上げた建物は船のような形をしていた

朝になって計画を立て、時間もあまりなく出てきたので、今治港に着いたものの電車の駅が分からず一瞬途方にくれた。すぐに気を取り直してスマホの地図で調べてみるが、JR今治駅……、駅と港はすぐ近くだろうと思ったら意外と遠い。
それでも、タクシーに乗るほどの距離ではなさそうだし、迷うほど複雑な道路でもなさそうだし、からっとしてそれほど暑くもなさそうなので、歩いて今治駅に向かうことにした。

ずっと続いていた暑さに比べればずいぶん涼しい日とはいえ、9月になったばかりの真夏のような日差しの下、外を歩く人はほとんどいなかった。港の建物の日陰を選って歩いていたら、地元の人らしい、子供のような瞳をしたおばあさんにじっと見つめられ、すれ違う。「こんにちは」と会釈すると、にっこりと破顔する。

20分ちょっとかかって今治駅に着く。駅にいたバリィさんに挨拶して、まっすぐみどりの窓口へ。
「松山まで一番早く着く列車(の切符)をください」
特急しおかぜで松山に向かう。

9. 松山は想像していたよりもずっと都会で、街には路面電車が走っていた

目的地の道後温泉は、道後温泉行き電車の終着駅なので特に迷う心配もない。Suicaは使えないので小銭の両替に少し戸惑ったけど、目の前の両替機で両替をする人がいて、安心してそれに続く。発車。キーキー、ガタガタ、チンチン、キーキー、プシューーーーーー、ガタガタ、キーキー……と、古い車両のようでわりとやかましい路面電車だった。特にカーブの時のがんばってる感がすごい。
路面電車の走る道路は、ちょっと不思議な感じに見える。道路の上に張ってある電車の電線がうすくかかった蜘蛛の巣か屋根のようで、街全体が、電線の糸でできたアーケードのような気がしてくる。その下を、キーキー騒がしい音をたてながら電車が走る。まるで街自体が何か大きな生きものの巣のように感じる。

10. 道後温泉

道後温泉には、「道後温泉本館」という大きな木造の建物がある。ここが道後温泉の中の「道後温泉」の本体。白鷺が見つけた温泉なのだそうで、その伝説にちなみ、建物の天辺に白鷺の像が居た。

道後温泉本館は、宿ではなくてお風呂のみのいわゆる外湯という共同浴場で、お風呂は「神の湯」と「霊(たま)の湯」、2種類の浴室がある。大広間と個室の休憩室もあり、
神の湯に入れて大広間での休憩(お茶とお煎餅付き!)とか、
霊の湯と神の湯に入れて個室での休憩(お茶と坊っちゃん団子付き!!)とか、
1時間程度の休憩の付いた入浴コースを選べる、スパ施設の日本伝統版みたいな温泉施設だ。

2つの船で瀬戸内海を渡り、さらに2つの電車を乗り継いで、遥々、お風呂に入りにやって来た。ホテルにチェックインし、早速……まずは腹ごしらえをしてから ── (* ¯ ω¯)<鯛めしうま!── 道後温泉本館に向かう。ホテルで外湯用の湯かごを貸してくれるとのことだったのだけど、戻るのも面倒だし、そのまま偵察がてら玉の湯+大広間のコースで入ってみることにした。

外の札場で入浴券を買って、白鷺のシンボルが掘られた石灯籠の間の大きな玄関から建物の中に入る。改札で入浴券を見せると、廊下を進んで突き当たり、階段をのぼって二階の大広間の休憩室に上がるよう言われる。広間の休憩室を覗くと案内の人がすぐに来て、席に通してもらえる。席には浴衣が用意してあって、説明を一通りきいてから、浴衣を持って階下のお風呂へ。

「温泉」といえば「温泉」で、温泉といえば温泉らしいある一定のイメージがある。だけど、道後温泉本館・神の湯の浴室は、温泉というよりは銭湯に近い印象のお風呂だった。優雅にお湯に…みたいなしっとりゆったりな感じはなく、ザッパーンと体を洗ってザブーンとお湯につかってパーッと上がるみたいな、何となくそういう豪快な生活感がある。松山・道後温泉といえば「坊ちゃん」だけど、あの坊ちゃんのリズムで温泉に浸かると、正しく道後温泉になる気がする。銭湯というには重厚で古めかしく、芸術的とも思うんだけど、温泉というよりは風呂とか共同浴場という飾りっ気のない言葉で表現する方が何となくしっくりくる。国も時代も違うし行ったこともないけど、何故だかローマの共同浴場が思い浮かんだ。

この日は平日。近隣随一の温泉とはいっても長期休暇シーズンでもない平日は空いていて、お風呂上がりの休憩でお茶をいただいてる間に他のお客さんはお風呂に入りにいったりで、ほとんど居なくなってしまった。
窓はすべて開け放されて、簾と縁側の手摺の間から明るく青い夜の空が見える。畳の上にごろんと横になって夜風を感じながらうとうとすればずいぶん気持ちいいだろうなあとは思ったのだけど、誰もいないとはいえ一応広間だし、せめてもの気分でお湯で温まってほかほかした裸足の足を縁側に投げ出した。柱にもたれて夜空を眺めながら、甘いお煎餅を食べ、温かいお茶を飲む。

11. 帰路

本当は、道後2日目の午前中はもういちど道後温泉本館に行って、今度は個室で思う存分ごろごろしようと思っていた。が、少し疲れが出てお風呂に入るにはしんどいような気分だったので、個室はまたいつか行くときの楽しみにして、そのまま帰ることにした。後悔しない程度に少しだけ仕残しがあるのも、未来の楽しみでいいんじゃないかなと。

午後も早めに着いた松山空港ではずっと地形と飛行機を見ていた。
滑走路の見える展望デッキから、滑走路を超えて遠くを眺める。左の方は地続きのようで、ずっと先まで半島のように伸びた陸があり、消えてゆく先の正面はよく見えない。右の方は海らしい。島のような三角の山と、タンカーのような大きな船が見える。
自分はいま何を見ているんだろうと思い、スマホの地図と滑走路の方向を合わせてみる。
方向からすると、見えない正面にあるのは遥か遠く九州の大分。だったら、左に見えている陸は佐田岬なんじゃないかなとか、それより手前にある何処かなのかしらとか、ただただそんなことを考えながら、何時間も過ごした。

🚢おふねで瀬戸内海を渡る参考
土生商船(三原-鷺-重井-因島モール-土生) http://habushosen.com/timetable/timetable02
芸予汽船(土生-生名-弓削-佐島-岩城-木浦-友浦-今治) http://www.ehimekisen.server-shared.com/geiyo1.html

Comments (0)

Perspective 前編

Posted on 24 9月 2018 by

1. どこへ行こう

今年は5月頃からずっと夏のように暑かった。カレンダー上の夏に入ったあたりからは35℃オーバーもあたりまえで、ちょっとでも涼しい、涼しいイメージのところへ行きたかった。
それから、数年前の同じ頃、おんせん県の大分で入った温泉、一日中汗をだらだらかきながら歩きまわって夕方たっぷりのお湯にさぶんと入ったこと、夜風に吹かれながら身体を温めた夏の露天温泉の心地よさを思い出して、どうしても温泉に行きたかった。

だから、初めに計画を立てていたのは富山の宇奈月温泉。
帰省の寄り道旅なので、実家のある山陽地方から東京までの間でなんとなく ”涼しい” イメージの土地を求めて、地図を眺めながら線路をたどり、たどりながら景色を想像し、♨️マークを探して、宇奈月温泉に決めた。

広島から富山まではとても遠い。新幹線やら特急やら地方鉄道やら何やら、長距離列車を何本も乗り継ぐ。朝8時に出ても着くのは夕方の手前。旅に出てもそもそもがあまり観光をしない方なので、行った先のことはほとんど下調べもしないんだけど、“ボンヤリしてると日中に着かない” ともなれば、最低限、移動の時刻表は作っておかないとならない。時刻表の数字だけを見ていてもピンとこないので、少しでも土地鑑を得るために地図を描いて、そこにルートや時間を書き込んだ。

2. サンライズ出雲

「温かいコーヒーが飲みたい」と思ったのは出発時刻の15分前。サンライズ瀬戸/出雲号が出発する東京駅9番ホームは新幹線乗換口のすぐそばにあって、その乗換口のすぐそばにはコーヒースタンドがある。何度か使ったことのある店だし10分もあれば行って帰れる自信はあったのだけど、途中で迷子になって出発時刻までに帰ってこれない自信もあったので、あらかじめ買っていた冷たい水のボトルと冷たいお弁当をベッドサイドの小さなテーブルに並べておとなしく出発を待った。次に乗るときには必ず、熱いお湯の入った魔法瓶とコーヒーとカップめんを持ち込もうと考えていて、ふと、子供の頃の家族旅行を思い出す。──車に毛布と魔法瓶とインスタント味噌汁を積んで何故だかいつも夜に出発していた。夜まで待てずに眠ってしまったのにいつのまにか車で出発していて、目が覚めて動く車の窓から見上げた天の川── を思い出した。ああいう旅をまたいつかすることができるのだろうか、できるといいなと思いながら。

22:00。寝台特急のサンライズ号は、まだスーツを着た人々で賑やかな東京駅をそろりと出発する。車内改札が終わるまでは油断せず、きちんと服を着て、ベッドに腰掛けて、粛々とお弁当を食べる。食事も終わり、改札も終われば、あとはのんびり。室内灯を消してシェードを全開にする。

23:23の熱海あたりからは駅にも町の景色にも人影はほとんどなくなって、空っぽの明るいプラットホームや、室内灯を消した暗いビロードの座席にホームの明かりが落ちる無人の列車が見えるようになる。夢のような景色が次々と車窓に現われる。灯りのついた外廊下の大きな団地、誰もいない、と思ったら、舞台のようにたったひとり明るい外廊下を歩く人が浮かび上がる。景色の切れ間からちらちらと見え隠れし始める真っ黒な海。大きな弧を描く、小さな灯りの粒をその弧に載せた相模湾。枝を拡げた樹木のような白い木の柱が並ぶ、月明かりの夜の木陰のような美しい沼津駅を過ぎ、信号だけがひっそり動いている無人の交差点を過ぎる。青い灯と赤い灯、何となく、シグナルとシグナレスを思い出す。見上げると曇り空の一点に薄明るい透けたようなところがあって、じっと見ていると雲が開いて月が顔を出した。

目が覚めたのは赤穂のあたりで、田んぼと、瀬戸内地方らしい小さな丸こい山と、その裾に纏いつく朝霧の景色だった。サンライズを下車する岡山までは約1時間。身支度を整え、寝台の上で脚を伸ばしてしばらくぼんやりする。

3. 山陽本線

距離的にみれば岡山はほとんど地元といっていい土地なんだけど、県が違ってるのもあって地理も路線もそんなによくは知らない。次に乗る予定の三原行きと同じ方向の電車が来て、乗ろうとしたんだけど何となく様子がおかしいのでよくよく確認してみたら伯備線だった。あやうく山陰に行ってしまうところ。

朝の山陽本線。日曜日なので普段の通勤通学の人もいなくてそれなりにのんびり。海が見える側の、進行方向の西に向かって左側の席に座ったけど、こちら側でもどちら側でも海はほとんど見えない。
東尾道を過ぎて少し行ったあたり、しまなみ海道の大きな橋の下で向島造船を過ぎる。それから、たぶん他所の地方の人からすると川のように見える尾道水道。いわゆる”尾道”の景色の一端。
尾道を過ぎたら糸崎の手前あたり、一瞬、視界が開けて瀬戸内海がふわっと見える。
おうちまであと少し。

4. そうだ、おふねにのろう

帰省3日目。台風で交通の状況が難しい。
列車を乗り継ぎ何時間もかけて旅行するのは、交通機関の遅延が発生しないのが前提だ。残念だけど富山は見送ろう、今回は無理をせずそのまま東京に帰った方がいいかも…と思いかけて、もう寝ようかという夜も遅くになって四国のことを思いついたのは、その前の日にちらっと松山空港の話をしたからなんだと思う。
うちのあたりからすると四国は一番近い旅先で、家族旅行で行ったり、小学生の時の修学旅行先だったりとなかなか馴染みのある土地ではあるのだけど、そういえばおとなになってからは行ったことがなかったような気がするし、子供のときに行ってふわふわきらきらとした印象だけが残っている夜の道後温泉にも、もう一度行ってみたいと思っていた。

とりあえずざっとルートを考えて、スマホで松山空港から東京へ帰るLCCの便があることを確認。何にしても次の日は朝早く起きる予定だったので、あとの続きは朝起きてからにして眠った。

5. 瀬戸内海を渡る

朝起きてすぐに船のルートを調べる。昔、港で見かけたような気がしていた四国のどこかの港への航路(※電車と同じように定期航路も船に行き先が書いてある。フェリーなんかだとデカデカと書いてあるので、ふだん船を使ってなくても港の近くを通ってればだいたい何処行きがあるのかは把握する)は無くなっていたので、2本の航路を乗り継ぎしなければならないみたい。

船会社のサイトから乗る時間帯の時刻表をざっと書き写したノートをスマホで撮影して、朝ごはんを食べて、三原港へ。
台風一過。すっかり晴れて、涼しい風が吹いて、とても心地よい朝。

しまなみ海道ができてから、車の人達は橋を渡って四国に渡るようになったのだと思う。いつのまにかカーフェリーの航路は減って、人を乗せる小さな高速艇がメインになったように感じる。
三原港から乗った船は最大とう載100人弱のボートで、後ろの方はオープンスペースになっていた。自分一人だったらなんとなく不安で室内に入ったかもしれないんだけど、先に乗船した年配の女性が一人、後部オープンスペースのベンチに座ったので、心強くなってわたしもその反対側に座った。平日の午前中の船は空いていて、この後ろのスペースはその人とわたしの二人きり。とても贅沢。

港を出港した船は、ぐんぐんスピードを上げて沖に向かう。台風が抜けた翌日のせいか、それともいつもこのくらいなのかは知らないけれど、小さい船は波をうけて、ざぶんざぶん揺れたかと思うと波飛沫がばさっと降りかかってきた。
(こんなにいい天気だというのに乗ってきた人たち皆んな室内に入っていったのはこのせいか!)
ちょっとしたスプラッシュ系ローラーコースター。一瞬、先の女性と目が合い、笑いながら、バックパックを抱えて防風ガラスがあって飛沫がかからない席にあわてて移動する。何かひとこと言葉を交わしたのだけど、何と話したか覚えていない。ひどく揺れる船のベンチと、船のエンジン音と、波飛沫が船に当たるバサバサいう音と、扉の向こうに見える操舵室と、左舷の女性と、右舷のわたしと、瀬戸内の青い空と、流れてゆく島の景色。

▶︎ Perspective 後編(因島〜松山空港) に続きます

Comments (0)

「毛糸のジッパーケース」アンケートのお願い

Posted on 22 9月 2018 by

来年の手帳や文具が店頭に並びはじめ、ノートブックの秋、手帳の秋となりましたね。

さて、2016年3月よりトラベラーズノート用の「毛糸のジッパーケース」をこちらで販売してきましたが、ここで一度、お買い上げくださった方々を中心にアンケートを実施したく、告知させていただきます。
ご購入者の方々には、すでにメールにてアンケートを送信いたしました。
それぞれの宛先は、お買い上げの際にご入力いただいたメールアドレスです。
もし、該当の方で届いていない方がいらっしゃいましたら、私までご連絡ください。
(迷惑メールフォルダに入ってしまっている場合があるようです)

また、まだ「毛糸のジッパーケース」をご購入いただいていない方でも、
もしお聞かせ願えるのならば、下の質問事項をコピー&ペーストし(答えたいものだけでもOKです)、プロフィールに載せているアドレス宛てに送信いただけると幸いです。
『「毛糸のジッパーケース」、ここがこうだったら購入検討するのになー』等、匿名で構いませんのでお聞かせ願えませんか。
その通りに作るかは(技術的な面で)お答え(またはお応え)できかねますことご了承くださいね。

ご返送いただいたご回答は、真摯に拝読し、こちらでまとめ記事として公表したいと考えています。
それによって「毛糸のジッパーケース」のなにかが変わるかもしれません。
ご意見により改善していけたら、と思っております。
ぜひ自由で率直なご意見をお聞かせ願いたいです。

先ほども述べました通り、アンケートはこちらでまとめ記事として公表する予定ですので、回答期限を設けさせていただきます。

ご協力いただける方は、2018年10月8日(月・体育の日)までにご返送くださいますようお願いいたします。

下記よりメール本文です。
(未購入でご協力いただける方は、その旨をご入力の上、持っていたらこうだろうというようなことで構いません。なんか、わかるように書いていただけたら結構です。)

Continue Reading

Comments (0)

手帳布陣/2018AW

Posted on 12 9月 2018 by

A6用紙1枚に、2018AW手帳布陣をまとめた。

  • 2018AW シーズンテーマ
  • [かるく賢く、おもしろく]

  • 今シーズンに解決したい手帳課題と対策案
  • 1.外出時に持ち歩く手帳を軽くする
    ⇒用途面:すべてを1冊に詰め込まない。手帳・ノートの分冊
    ⇒物理面:手帳カバーに挟むアイテムの見直し

    2.日々のできごとやアイデアを読み返しやすく記録する
    ⇒「スケジュール用」と「ログ用」それぞれの手帳を用意する
    ⇒連用手帳を追加する(予定)

    3.手帳をもっとおもしろく使いたい(スケジューリング9割の手帳は窮屈)
    ⇒記録道具と手法を制限しない手帳を追加する
    ⇒ウィッシュリストを書き留める手帳を追加する
    ⇒ジブン手帳Bizの各種リストを活用する

  • 今シーズンの手帳布陣
  • 1.MP18AW:ムーンプランナー2018年秋冬版 B6サイズ ※昨シーズンはPDF版使用。冊子に変える
    [用途]
    ◎ 約2週間単位のプランニング(新月〜満月/満月〜新月)
    ◎ 約半年単位のウィッシュリスト(やりたいこと、手に入れたいこと、行きたい場所、手放したいこと、やめたいこと など)
    ○ 半年以上先のざっくり作戦会議と妄想
    ○ 心身メンテナンスのざっくりログ

    [筆記具]
    ○ ジュースアップ04(グリーン、オレンジ、ブルー)
    ○ フリクションボールスリム038(グリーン、オレンジ、ブルー)

    2.JTBiz18 → JTBiz19:ジブン手帳Biz ※2018年使用中。2019年も継続
    [用途]
    ◎ スケジュール管理
    ◎ 自分への予約
    ○ 睡眠の記録(時間と質)
    ○ 仕事と勉強の実績時間ログ
    ○ ToDoリストの一時退避スペース(実行できそうな週のページに書き込み→実行する時間帯に転記)
    ○ リスト各種(0円でできるひまつぶし、ワンコインリフレッシュなど)

    [筆記具]
    ◎ ハイテックCコレト(ブルーブラック0.3、チェリーピンク0.3、クリアブルー0.3、シャープユニット0.5)

    [その他文具]
    ◎ 地球の歩き方 with モレスキンノートカバー(チョコ)
    ◎ CARDRIDGE dünn(イエロー):予備名刺入れ。ノートカバーに挟む
    ◎ ふせん各種:手帳の裏表紙に数種類貼っておく
    ○ クリックイレーザー〈フォープロ〉:カバー裏のポケットでスタンバイ
    ○ コレト替芯各色:カバー裏のポケットでスタンバイ
    ○ 物流定規:意味はないけれどノートカバーに挟む
    ○ ほぼ日のクリアファイル 坂本奈緒 オリジナル用(しろもふもふ):切手を入れてノートカバーに挟む
    ○ もしものときのぽち袋:お札を入れてノートカバーに挟む

    プフレーゲライヒトさんのアルコールランプはんこ:睡眠時間ブロック用として
    ○ バーサファイン・クレア(トワイライト)

    地球の歩き方 with モレスキンノートカバー(チョコ)使用歴2年

    3−1.HBP17:ほぼ日Planner2017 ※リンク先の手帳は2017年版
    [用途]
    ◎ 本日の記録(トピック、ニュース、ラッキーなできごと など):1日ページに残す
    ◎ 服装ログ:月間カレンダーにイラストを描く
    ◎ コラージュの遊び場
    ※ ETA19(後述)の使い方検証も兼ねて、かつて挫折した手帳を復活させた。日付曜日のズレは無視。

    [筆記具]
    ◎ ジュースアップ04(ブラック、グリーン)
    ◎ ジュースアップ03(ブラック)
    ○ 色鉛筆

    [その他文具]
    ○ メモして貼るだけでちょいと洒落た風になるふせん各種
    ○ はさみ
    ○ のり
    ○ マステ
    ○ シール

    3−2.ETA19:EDiT B6 Daily
    [用途]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善
    ※ 服装ログのみ、10/1からEDiTマンスリーページに移行する予定

    ○ 今月のレコーディングメモ(読んだ本、行って良かった場所など)
    ○ ざっくり支出予定メモ

    [筆記具]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善

    [その他文具]
    ※ ほぼ日Planner2017の継続・改善

    4.HB5-A5:ほぼ日5年手帳 A5サイズ
    [用途]
    ◎ 本日の天気
    ◎ 本日の記録(トピック、ニュース、ラッキーなできごと など)
    ○ ?年後の自分に申し送るToDoリスト
    ○ コラージュの遊び場

    [筆記具]
    未定

    [その他文具]
    未定

    ほぼ日5年手帳の実物は「ほぼ日手帳2019 LINEUP PREVIEW」でチェック済

    Comments (0)

    Tags: ,

    ?>! ―『ユーケルの書』から

    Posted on 12 8月 2018 by

    書物は書物を越えて生き残る。(p.27 「白い空間6」)

    人間は「問」だ 「問」=「?」ならば 手にした答えが「!」であらわされる。

    その場合

    疑問符と感嘆符。両者は{両替、翻訳、入替}不可能だ。断じて!

    お前にとって語は一つの顔だ。
    お前は私の顔を描いた。
    私は自分の気になったところで、読み取られる。―レヴ・スミアス(p.71「書く習慣」)

    「?」は∞の(細かな細かな)!を発生させるが、!をいくら集めても?は構築できない

    「?」はつねに一つの(巨大な)「?」であり、「?」は「?」に重なることでしか×××。

    疑うこと。それはたぶん限界を廃棄することと、骰子のまわりを回ることである。(p.109「第三部 サラの日記」)

    万人のためのひとつの同じ反射板(p.125「サラの日記 Ⅲ」

    われわれは不可能なものを通して結ばれている。-レヴ・カナリ(p.83「第二部 巻頭句」)

    「?」は影だ。そして「!」とはその影に支えられた世界だ。

    色とは影の叫びである -レヴ・ノエビ(p.163「ヴェールと処女6」)

    ※「ユーケルの書」
    エドモンド・ジャペス著 鈴木創士訳。書肆風の薔薇〈選書 言語の政治⑦〉 1991.6.20
    「問の書」シリーズ全七部作のうちの第二部にあたる。

    「?」は「!」を求めるが「!」は自己差異化するばかりだ。

    海は宇宙にぎざぎざをつける ―レヴ・アムロン(P.45「善の分け前 2」)

    それは、深みへ向かっているように見せかける巨大迷路だ。「!」とはマスクメロンの亀裂に似ている。それは決して「?」の果肉を味わうことはできない。香りだけ、ただ香りだけだ。

    人は水底でもがいたりしない。もがくのは水面でだ。(p.106「第三部 サラの日記」)

    本に満たされている孤独の豊饒さ。「!」を探すのではなく「?」に遊ぶこと。

    沈黙の響き。最初の谺。 -レヴ・ライエ(p.66「第二部 巻頭句」)

    私はこの本を読むことが出来て、幸せだった。なによりもよかったことは、この本が「架空」と「贋者」に分断され続けている点だ。(cf.訳者あとがき)

    さいごに、もっとも重要な文を引用して記事を終える

    私が書くのは、私が言うことができるかもしれぬことの果てに赴こうと努めるたびに、今度こそそこに到達できるだろうと信じるからだ。―ユーケルの手帖(p.83「学者達と客たちのあいだで交わされた対話」)

    (引用)

    Comments (0)

    アブストラクトゲームという孤独 〜 HIVEの棋譜を記す

    Posted on 26 7月 2018 by

    アブストラクトゲームというものがある。
    一般的にそれは、ゲームの中にテーマと言うものが無く(抽象的)、ゲームにおける情報が全て開示されており、まったく運要素がないゲーム全般を示す。アブストラクトゲームは、相手のミスでもない限りすべて実力で決着がつき、圧倒的に強い相手とゲームをした人は大体において、ゲーム嫌いになるシロモノである。

    文学の中に現れるゲームというと大半において、このアブストラクトゲームであり、登場人物たちはあれやこれやと頭を悩ましており、興味を持つことが多い。
    デュシャンは「美は、カルダーのモビールのような意味で一つのメカニックといえる。チェスのゲームには運動の領域で美が存在する。美を作り出しているのは、頭の中で作られている身振りの想像力なのさ」と言っている 。
    僕はだいたいのアナログゲームが好きなのだけど、目の前にそのゲームがない状態で、頭の中で想像するその仕草や動作、数手先に完結する二度と現れないそのパターンの美しさに興味がある。

    マルケスの「百年の孤独」の中では、チェッカーを行うシーンが出て来る。マルケスの表現では、チェッカーを「基本的な原則について一致を見ている二人の人間の間で争う遊び」と定義していた。

    シャーロック・ホームズのワンシーンでひとりの男がチェスをするシーンがある。
    「よくチェスをやるのかい?」彼は部屋に置かれたチェスボードに目をやり、たずねた。「ノー、よくってほどじゃない。たまに1人で駒を動かしながら考え事をするんですよ」「チェスは2人でやるんじゃないのかい?」

    最近ひとりでできるアブストラクトゲームを探していて、面白いゲームに出会った。「Hive」というイギリスのアブストラクトゲームである(二人用です)。駒のデザインの美しさに魅せられ、ふと買ってみたところこれがまぁおもしろい。そこで複数人にゲームのルールを教えて、何人かと対戦してみたところ、皆が一様に言う事はただひとつ。「全く面白くない」である。

    これはもう割り切って、ひとり用のゲームだと考えて至るところでプレイしている。僕にとってノートブックを書くことは遊びなのだけれども、それに似ている。

    【Hive】デザイナー: John Yianni

    Hiveとは昆虫の群れや巣を表すことば。ボードゲームであるけれども、ボードは存在せず、机そのものがボードとなる。昆虫の六角形コマが数種類あって、交互に配置や移動を行い、最終的に相手の「女王バチ」のコマを取り囲むと勝ち。

    【勝利条件】
    「女王バチ」の周囲をすべて取り囲むと勝ち
    自分のコマだけではなく相手のコマが含まれていても良い

    【基本的な流れ】
    コマを配置するか、移動するかの2択
    最初は何もない状態からスタートする

    【配置ルール】
    1手目のみ相手のコマに接触して置くことができる
    2手目以降は、自分の色のコマだけに接触する場所に置くことができる
    相手のコマに一辺でも触れている場所には置くことができない
    女王バチのコマは4手目までに置かなければならない

    【移動ルール】
    女王バチ配置後からコマの移動ができる

    [ワン・ハイブルール]
    全体のひとカタマリを(HIVE/ハイブ)と呼び、カタマリを分断する動き方はできない

    基本的にコマはスライドして移動する
    スライドできない場所には移動できない
    ただし、バッタやクワガタのみ、狭くすぼまった場所への移動が可能

    【各コマの動き方】
    女王バチ:1スペースずつ移動できる
    アリ:どこまでも進むことができる
    クモ:きっちり3マス進むことができる(3マス以下の移動はできない)
    バッタ:コマを飛び越えて進むことができる
    クワガタ:1スペースずつ進む。コマの上に乗る(降りる)ことができる

    【オープニング】
    白が先手、黒が後手。
    先手1手目は、好きなコマをひとつ、配置する。後手1手目は互いに接触した状態で置く。
    2手目以降は自分のコマだけに接触している場所に配置する。
    相手のコマに一辺でも触れている場所には配置ができない。
    4手目までに必ず女王バチを置かなければならない。
    女王バチ配置後から既に置かれているコマを移動することができるようになる。

    さてここからが本題。

    チェスや将棋のようにボードが存在しないと言う事は、座標が存在せず「Rh6 Kg7」もしくは「▲7六歩」のように縦軸と横軸の座標を記すことができないということである。そこで一週間ほど、この六角形のコマの配置方法(棋譜)をノートブックにどのように記載するかずっと考え続けていた。

    僕の友人からまずもらったアドバイスがこちら。

    しばらくこの「Honeycomb Addressing」の方法で考えていたんだけど、第1手目を「0・0」の座標として設定して、その後配置した駒をアドレスで記載していくと、フィールドが確定していないため、座標が増幅し、ものすごく複雑な記載となることがわかった。例えば、コマを配置した後に第1手目「0・0」からどれくらい離れた座標に配置したのか、第1手目からの位置関係についてしばらく考えなければならない。

    次に考えたのは、最初からフィールドを確定した状態でマスを記載し、そこに配置したコマを記入していく「マッピング」の方法である。

    実はこれにも欠点があることが分かった。

    ゲームの仕様上、フィールドが拡大していくため最初から用意したマスの中に記載することがだんだんと難しくなることが判明した。それともうひとつ、コマの配置には適しているのだが、コマの移動を記載するときに、ひとつのマスから別のマスに移動した時の前後関係がわかりづらいという難点があった。

    そこで発明したのが、「辺記載法」と「横書き法」である。
    ※正確にいうと「横書き法」はSCYTHE 大鎌戦役というストラテジーゲームがあるのだけど、それをヒントにしている。

    図1

    【辺記載法について】
    自分から見て六角形コマの上辺を1と定義し、時計回りに2・3・4・5・6と番号を割り当てる(図1参照)。配置したコマが接触した「もともと置いてあったコマ」の辺を記載するという方法である。では複数のコマに接触した場合、複数の辺を記載しなければならないのだけど、1辺だけを記載するだけで解決する方法があった。それが「横書き法」である。

    【横書き法について】
    六角形コマをびっしりと埋めた場合、左から右へ順序よく並ぶのだけど、左上のコマを優先として右下のコマを下位とするという解決方法。文章を記述するときに左上から真横に書いていき、右下まで文章埋めていく横書きの行為になぞらえて横書き法とする。
    例えば、図1でQW(5)のコマを配置した場合、横書き法で優先して接触しているのはSW(1)のコマの4辺目に接触しているので、「QW4SW」とSWの4辺目のみ記載することで配置場所を特定することができた。

    【複数同色のコマの判定】
    では次に複数同色のコマが既に配置している場合、どのコマの何辺目に配置したかを特定するために、横書き法で「①・②・③」と、第何番目のコマであるかを記載することにした。例えば、既に白のバッタが2個置かれて置かれていて、バッタに接触して配置する場合、どちらの白バッタコマに接触しているのかを横書き法で第何番目かを示す。

    例:

    ③AB->2①BW 横書き法第3番目のアリ(黒)を第1番目カブトムシ(白)の2辺目に移動した。
    GW5②AW バッタ(白)を横書き法第2番目のアリ(白)の5辺目に配置した。

     

    【記述方法について】
    あと、配置した場合は、「AW3SW」といったように「配置するコマの名称」+「接触したコマの辺」のみで記載。
    移動した場合は「AB→4②AW」といったように、「動かすコマの名称」→「移動後に接触したコマの辺」として記載することにした。「#」はチェックメイトを示す。

    [コマの名称の記述方法]
    QW:女王バチ(白) /QB:女王バチ(黒)
    AW:アリ(白) /AB:アリ(黒)
    BW:クワガタ(白) /BB:クワガタ(黒)
    GW:バッタ(白) /GB:バッタ(黒)
    SW:クモ(白) /SB:クモ(黒)

    以上の試行を重ねて、このHIVEというゲームの完成した棋譜がこちら。

    1. SW
    2. SB1SW
    3. AW3SW
    4. AB2SB
    5. QW4SW
    6. GB6AB
    7. BW5SW
    8. QB5GB
    9. AW->6QB
    10. AB->6GB
    11. BW->4QB
    12. GB->4QW
    13. AW3SW
    14. AB->4②AW
    15. QW->6GB
    16. AB4AB
    17. GW4BW
    18. ②AB->5QW
    19. GW->2①AW
    20. AB4①AB
    21. AW2②AW
    22. ②AB->6QW
    23. ②AW->4①AW
    24. BB5②AB
    25. BW2GW
    26. ③AB->2①BW
    27. GW5②AW
    28. SB->3③AW
    29. ②GW->4①BW
    30. GB4GB
    31. GW6①AW
    32. ①AB->6③GW
    33. SW2①BW
    34. ①AB->2①SW
    35. ③GW->4②GW #

    あまり面白くない棋譜ですが、興味がありましたら再現してみてください。以下画像が投了図。

     

    Comments (0)

    Tags: ,

    ノートの日記

    Posted on 17 6月 2018 by

    ノートが日記を書けたなら
    ノートは日記になにを書く
    
    ノートを開いたときのこと
    ノートはけっして忘れない
    
    ノートは主人をえらべない
    どう汚されても抵抗しない
    
    ノートが日記を書いたなら
    多くの不満で埋まるだろう
    
    
    
    私はあなたを受け容れたい
    けれどもあなたは躊躇った
    
    あなたは自分を誤魔化した
    あなたはみんなを誤解した
    
    あなたは途中であきらめた
    あなたはそのまま放置した
    
    あなたは私を破って捨てた
    あなたは私に遠慮しすぎる
    
    
    
    ノートは主人の似姿になる
    時には主人の本性をも示す
    
    ノートが日記を書けたなら
    それは誰に似ているだろう
    
                                  (主人)
    

    Comments (0)

    Tags: ,

    ワクワクはどこから来るのか?

    Posted on 13 5月 2018 by

    こんばんは。れでぃけっと と申します。
    滅多に書かない2016年度ライターです(すみません)

    以前こんな記事を書きましたが・・・

    手帳社中presents手帳年初め~手帳かるたと新春の手帳と出会う3時間~に行ってきました


    この時ゲットしたCITTA手帳を2018年に本格導入しました。
    というのも昨年7月に手帳ライフコーディネーターさんの講座を受講しまして、課題に
    「ワクワクリスト108個を3日以内に提出」というのがあり、講座では10個も厳しかった
    ダメダメな受講者が締め切りギリギリに提出。
    CITTA手帳の基本である「自分を愛すること」「自分を大事にすること」の大切さを教わり
    この手帳は自分に合っていると感じました。

    最近は自分で決めた時間内(だいたい1時間)にワクワクリストを書くことにしています。
    自宅より外のほうが集中してできるみたいなので、スタバとかに行っています。

    ワクワクリストって何を書けばいいんだろう?と思いますよね?
    とにかく思いついたものを書いてます。

    オレンジ色で書いて、青で理由(何故そうしたいのか)を記入。
    もう欲まみれですよ。何かを買うとかそんなのばっかりです。
    「こんなこと書いていいのか?」と制限をかけずに思いついたことを書くのがいいらしいです。


    ほんの一部です。字が汚くてすみません。

    本当はここからウィークリーに落とし込んで行くんですが、私は書いたら忘れてることが多いです。
    でも後で読み返すと叶っていることがあります。知らず知らずのうちに行動に向けて動いているんですね。
    ワクワクすることって待ってるだけではやって来ない。
    じゃあどこから来るのだろう。結局は自分の気持ちからなんじゃないのかなと思うこの頃です。
    講座で書けなかったのはそれだけいろいろなことに疲れていて、ワクワクを感じることができなかったのかなって。

    少しずつでいいからやりたい事を叶えていきたい。
    それがほんの些細な事・すぐにできない事だとしても。


    今年の手帳は白。手帳ライフコーディネーターさんから買って、後日青木千草さんにサインしていただきました。
    青木千草さんのセミナーをいつか受けてみたいです。
    お値段も競争率も高いけど・・・

    Comments (0)

    Tags: , ,

    Notebookers的 Fail better 〜ビーントゥバーを作ってみました

    Posted on 15 4月 2018 by

    月のアタマに、お休みをとって遊んできました。
    美術館に行き、スカイデッキで空を眺め、ひとに会い、オモシロい宿にも泊り、やっぱり本を読み。
    次に記事書きます。
    ヒルズスカイデッキ
    Continue Reading

    Comments (0)

    Tags:

    「私のレシピノート」からの変革(ノートブックからカードに変換する形式へ)

    Posted on 07 4月 2018 by


    私のレシピノートブックのまとめかた」から早6年。
    吊るすレシピノートブック「トラお」」からは1年と半年。
    最近の私のレシピのまとめかたをまとめようと思います。

    トラベラーズノート(レギュラーサイズ)の方眼ノートブックにまとめていたのは6年前の上記リンク先の通りです。
    検索しやすいようにと索引を作ったりしておりました。続きませんでした。
    レシピ自体は活用してましたが、そもそもノートブック一冊分の量だったので、索引から検索するなんてことがなかったのです。
    そこからパスポートサイズのノートブックに気軽にメモして、台所に吊るして使ってたのが1年半前のトラお。
    そのメモを、今後カードにしてボックスに保存したいなーなんて言ってました。
    ボックスは、konamaさんの過去記事「Notebookersのはずなのに、最近ノートでなくなっちゃったレシピブックの話」に出てくる赤い缶のレシピボックス、これが理想でした。
    そうです、その理想のボックスをとうとう手に入れたのです。
    上の写真左に写っているフランス語のカトラリー柄の紙製ボックス。BOX&NEEDLEのワークショップに参加して、自分で作りました。
    ワークショップ参加のお話は後日、別の記事にするとして、今回は、
    レシピをメモ → カードにしてボックスに保存 → カテゴリ分けまでを、最近どうしてるかをまとめます。

    Continue Reading

    Comments (0)

    Tags: , ,

    四月の気層の光の底を〜 京都で買ったボールペンの話

    Posted on 01 4月 2018 by

    とは、その人生で、鍋を何度買うのだろう。
    なんだっけ、遊牧民は燃料になるものが少ないため、お鍋は浅め、ヨーロッパなどでは、森があるので薪、燃料調達がカンタンなので、お鍋は深め(というか、オーブンやストーブで潤沢に火を起こして調理できる)と聞いたことがあって、なるほどなあ、と。

    前振り終わり。
    先日、京都のお寺の市に行ってきました。
    お寺の境内が解放されて、古本や食べ物、手作り雑貨などが販売されていました。
    ちょっと古本を買って、コーヒーを飲みつつふらふらと回っていたら、骨董屋さん?古道具屋さん?がお店を出されていました。
    京都でもかなり古いお店だそうで、えー、食器、壺、あと筆や硯なども置いてありました。
    写真は撮れなかったんですが、古い硯などはデザインもオモシロく、あと、筆や墨はやっぱり風格があるなあ、と思いながら見ていると、お店のご主人が文房具が好きなら、いいものがあると勧めてくれまして。
    買いました。こちらのペンです。
    Continue Reading

    Comments (0)

    Tags: ,

    人間には行方不明の時間が必要です〜サインペンを捨てる時

    Posted on 18 3月 2018 by

    えば、本を読んでいて、その本に挟んでいる新刊紹介のリーフレットとか、その本のあとがきや解説に書かれている別の本とか。あと、映画館などで(ミニシアターなどは特に)次の上映の予告などを見ると(本も同じなんですが)あー、次はこれを見よう(読もう)と思うことを、わたしは『新刊リーフレットアリジゴク』『ミニシアターアリジゴク』と呼んでいるんですが、いかがでしょうか。
    Continue Reading

    Comments (0)

    トラベラーズノートのある風景 2018改訂版

    Posted on 17 3月 2018 by

    ※ 本記事は個人ブログ「ノートブックがない日々なんて」2016/09/23投稿記事を転載・加筆しています。

    旅するときはいつだって、トラベラーズノートを持って行く。

    オリジナルガイドブック代わりとして、道中の暇つぶし落書き帳として、
    旅先で見つけた紙モノアイテムのスクラップブックとして……。
    トラベラーズノートは、その名の通り旅先で大活躍してくれる。

    でも、旅先でトラベラーズノートが最も活躍する場面は、風景写真を撮るときかも。

    トラベラーズノートを風景に入れ込んで写真を撮る行為は、いわゆる“自撮り”の一種といえる。
    自分がその場にいたことを、トラベラーズノートを身代わりにして証明するのだ。

    いや、そこまでの強い想い入れは、実際のところ、ない。
    ただ知らぬ間に、旅の習慣になっているだけ。

    トラベラーズノートのある風景写真撮影歴は、もう7年くらいかしら。
    飽きっぽい性格なのに続いている、数少ないトラベルライフワークになっている。

    山にも、海にも、トラベラーズノート。



    ローカル線にも、トラベラーズノート。



    駅のホームで、トラベラーズノート。



    スタンド・バイ・ミー・トラベラーズノート。



    ご当地置き物 with トラベラーズノート。

    不格好なフォルムも傷だらけの革も、味。
    トラベラーズノートがない旅なんて、やっぱりどうしても考えられない。

    Comments (0)

    旧市街に流れ着くタイル「アズレージョ」から学ぶボードゲーム的思考

    Posted on 09 3月 2018 by

    遊びの仕組みにものすごく興味がある。

    遊びの中で、数学的なルールがあったりすると頭の中で延々と計算を繰り返し、なぜこれを楽しいと感じるんだろう?ということを考えていることが多い。

    ドイツのボードゲームの本を読んでいて、有名なゲームデザイナーの方のインタビューが掲載されていた。あなたにとってボードゲームの魅力は何でしょうか?という質問に対して、その人は即座に「それは簡単だよ、ボードゲームには人々の営みが表現されていて、遊ぶ人は何かを探して発見して学ぶことができる。それが魅力だよ」と答えていたのが印象に残った。「何かを発見し学ぶことができる」というのは、文学や映画とも共通している項目だと思った。
    そういえば、その昔アンディ・ウォーホルのインタビューで、彼の映画について尋ねた内容が掲載されていて似たようなことが書いてあった。「僕の初期の映画は、人がどう振る舞い、他人に対してどう反応するのかを示してくれる。観客がこれは応用できるものだと思えば、それは立派なお手本の役目を果たしたことになる。どこかの誰かの役立つものなわけだし、今までひそかに抱いていたそれらの疑問を解決してくれる」エンパイアー・ステート・ビルを延々と撮影した映画をどのように応用するかは置いておいて、人々の営みや喜怒哀楽をただ写した実験的な映像からは何かを発見し学べると思う。

    ノートブックを使って、自分が楽しいと感じることは何だろう?なぜこれは面白いんだろう?と考えている時間は楽しい。その遊びが、人間の営みである限り、僕らは学ぶことができるし発見できるわけだ。

    ボードゲームでは様々な世界観を楽しむことができる。それは世界の果ての異国の街であったり、象の背中のような架空の世界であったり、物理法則の少し違う隣の宇宙だったりする。だいたいどの箱を開いても12匹の伝説の猿がきっちりと姿勢良く収まって飛び出すのをじっと待っているような濃厚な物語がコンパクトな箱にぎゅっと詰まっている。年間で毎年1000タイトル以上のアナログゲームがリリースされるにも関わらず、憧れの監督が作り上げた新作の映画の封切りと同時に映画館に一斉に押し寄せるように楽しまれている。


    「ラバト、カサブランカを通り過ぎてエッサウィラまで来た。
    旧市街の北のビーチにはタイルの破片がたくさん流れ着く」

    最近インスタで世界中を旅していた女の子の写真を眺めていたんだけど、この投稿が深く心に残っていて、心の片隅に海岸に流れ着く色とりどりのタイルのことをずっと考えていた。旧市街という響きにとてもエキゾチックなものを感じる。常に異国のことを妄想するという病「Exophrenia」を患っているので、モロッコ北部の港の市場に集まってくるペリカンの鳴き声まで想像してしまう。深い青の夜空に月を背にして、恋人を抱擁しユリとケシの花束の上空を飛ぶシャガールの絵も確か旧市街の物語だったなと思い出す。旅の中では、僕らは多くを学び発見することができる。旅の中では常に細部を観察しているし、少しでもその場の空気を吸い込もうとして、毛穴のひとつひとつを開いて味わっている。

    モロッコ北側の海岸に流れ着くタイルのことを考えていたところ、先日こんなゲームがリリースされた。ドイツのミヒャエル・キースリング氏のデザインで「アズール(AZUL)」というゲーム。
    ストーリーはこうだ。「アズレージョとは、ムーア人によってもたらされた美しい装飾タイルです(元々は、白と青の陶製のタイル)。ポルトガル国王マヌエルⅠ世は、スペイン南部のアルハンブラ宮殿を訪れた際に、このムーアの装飾タイルの衝撃的な美しさに魅了されました。アルハンブラの美しい内装に心を打たれた王は、すぐにポルトガルの自らの宮殿の壁を、同様のタイルで装飾するよう命じました。「アズール」は、プレイヤーがタイル・アーティストとなり、エヴォラ宮殿の壁を装飾するゲームです」

    ポルトガル国王マヌエルⅠ世は実在の人物で、場所はポルトガル・アレンテージョ地方(Alentejo)の中心都市であるエヴォラ(Evora)の城のこと。このアズレージョの歴史も古く、5世紀にわたって作られている。スペインを経由してムーア人からポルトガルにもたらされ、ムーア人らはペルシャ人から工芸を習得したため、アラビアの影響を受けた装飾となっている。主にデザインは、幾何学的に組み合わせた曲線や、花のモチーフを使用する。王に命じられ城の装飾を行うということは、失敗するとそれは死を意味するということだ (すみません、最近ゲーム・オブ・スローンズに影響されています。デナーリス・ターガリエンのファンです)。

    先日眺めていたそのInstagramのタイルのこともあって、さっそく買ってみたところ、ものすごく面白いゲームだった。

    ゲームの流れはこうだ。大まかな流れのみ。

    ①タイルの購入
    円形のお皿がタイルを作っている工房を表しており、そこに4つずつタイルが乗っている。そこからプレイヤーは「1色だけ」タイルを取ることができる。余ったタイルは円形のお皿が並んだ中央の場に押し出す

    つまり丸いお皿の上からはタイルが無くなり、丸いお皿の並んだ中央部分にタイルが集結していくことになる。中央部分からも1色ずつタイルを取ることができる。最初に中央部分からタイルを取った場合はスタートプレイヤーを示すタイルも一緒に取る。タイルが無くなるまで交互に1色ずつ取っていく

    ②タイルの一時的な配置
    個人ボード左側部分(階段状になっている列)に取ったタイルを一時的に配置する。1列ごとに1色のみ右詰めで配置することができる。あふれてしまったタイルは個人ボード下部の床ライン(-1,-1,-2,-2,-2,-3,-3)と記載されている場所に左詰めで配置する。

    ③壁の装飾
    ②の一次的な配置で個人ボード左側の階段状の各列を満タンにすることができた場合、そのタイルを1枚だけ個人ボード右側の壁面に配置することができる。配置した際にポイントが計上される(個人ボード上部の黒いキューブが移動する)。配置後は個人ボード左側の階段状の各列はリセットされる。床ライン(-1,-1,-2,-2,-2,-3,-3と記載されている場所)に並んでいるタイル1枚ごとにポイントを減算する。

    以上繰り返し。スタートプレイヤーのタイルを持っている人から同様にタイルを取得していく。誰かが宮殿の壁(個人ボード右側)で横一列のタイルをそろえたラウンドで終了。最終得点を計上して一番勝利点が高い人が勝ち。

     

    ボードゲームのルールというのは割と単純だ。上記ルールを何度読んでも面白さが伝わってこないと思うのだけど、このゲームは信じられないほど深い。僕はこういった単純なルールの中で神がかり的なアイディアを見つけるとものすごく快感を感じる。
    例えば上記①の手順の中で、「余ったタイルは円形のお皿が並んだ中央の場に押し出す」というのがものすごいアイディアだと思う。中央部分からもタイルを取れるという手順がひとつ追加されることによって、タイルの取り方のバリエーションが増えており、簡単な数学的な計算でゲームの流れが読みづらくなっている。ミヒャエル・キースリング氏のインタビューにも掲載されていたけれど、このアイディアは本人曰く「天が北ドイツの空から送ってくれたかのように決定的なアイデアが降りてきた」という。この言葉のおかげで、中央部分から1色タイルを取るたびに、何か云いようのない快楽を感じるわけ(変態)。

    常に遊びのことを考えているものだから、最近頻繁に遊びのことを頼まれるようになってきた。ホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」にも記載があったけれど、 遊びの歴史は古くて、「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。
    クリエイティブな行為というのは2種類ある。素敵なデザインの椅子や安らぎの空間スペースを生み出す芸術的な「創作」の行為。もう1つは自分の痛みや他人とのズレに生まれる葛藤を見つめて、それをポジティブなものに変えて行こうとする「変化」の行為。それよりも先立つものが「遊び」なわけさ。

    遊ぶことで、昨日までこの世に無かったものが新しく出来上がるなんてすばらしいと思う。
    ヘイ、Notebookers!いつか一緒に遊べる日を楽しみにしているよ。

    ※ちなみに現在この「アズール」ですが品薄でなかなか手に入りません。日本での定価は6000円くらいなのでご注意願います。

    Comments (0)

    中井精也流「おもひでかめらの撮り方セミナー」

    Posted on 09 3月 2018 by

    ※ 本記事は個人ブログ「ノートブックがない日々なんて」2016/10/10投稿記事を転載・加筆しています。

    中井精也流・デジタルピンホール「おもひでかめらの撮り方セミナー」に行ってきた。
    ※イベント詳細はこちら

    鉄道写真家の中井精也さんが最近ハマッているという、
    デジタルカメラを使ったピンホール写真「おもひでかめら」の撮り方を学ぶ。

    いやぁ……中井さん、講義が漫談みたいに面白い。
    撮影ポイント講義も、参加者が撮影した写真に対するイジリ(という名の講評)も、
    とにもかくにもよく笑った。

    講評会で出てきた写真は、まさに十人十色だった。
    中井さんが撮る「おもひでかめら」とは違う雰囲気の写真が、次々と映し出される。

    デジカメで撮ったのに写真から懐かしさがにじみ出るし、
    ピンホール写真なのに癖のある色合いも出せる。
    1枚の写真をとるために参加者が施す “ひと工夫” に驚くばかり。

    特に、ホワイトバランスの使い方は大いに勉強になる。
    カメラ基礎知識をろくに勉強せず、構図やアートモード頼りで撮影していたことを大いに反省した。

    「おもひでかめら」ならではの懐かしさを醸し出す撮影地と被写体を選ぶことも、大事。
    平成の大都会東京にも、昭和の風景はまだ残っている。
    よく見つけ出すよなぁ。撮影地と被写体選びにもセンスが必要だ。

    さて、私の写真はというと。
    「あの世感キタ」 「手前の人たちに冷たい視線www」 と講評された。
    観た人の心に、世にも奇妙なミュージックを流してしまったよ……申し訳ない。



    中井さんの「おもひでかめら」のように、
    ふんわり・あたたかい・浪漫漂う写真を撮りたかった。。。

    というか、そういう写真が撮れるものだと思っていたのに、
    冷め切っていて空虚感漂う写真が撮れてしまうなんて、これはこれで驚いた。

    カメラって、本当に奥が深い。
    初のデジタルピンホールカメラ撮影記録として、当日に撮った写真を載せておく。



    本日発見した写真公式
    [くもり空 × 都会 × デジタルピンホールカメラ = 冷めたあの世感]

    次のデジタルピンホールカメラスナップは、“おもひでかめら” になりますように。
    この世の写真が、撮れますように。

    Comments (0)

    Tags: , ,

    北落の明星光彩を動かし 南征の猛将は雷雲に如(に)たり〜みずがめ座とうお座

    Posted on 05 3月 2018 by

    日、2017年に見に行った美術展の記事を書いたのですが。
    ノートを見返していると、映画「謎の天才画家 ヒエロニムスボス」のページで、ああ、こういうのもあったなあと思い出しました。
    『快楽の園』から、ひとの姿を消すと── と、コンピュータで処理した画像を見たのですが。
    残された背景から、次の世代のクリエイターが新しい作品を作る、その土台となるというようなことを言っていて。
    その、植物とか動物とか道具だけが残された、ひとの姿がない『快楽の園』
    そこからまた『何かを作る』
    二度目の天地創造だなあと思いました。
    Continue Reading

    Comments (0)

    「私たちの心が感じることは、私たちの力がおよぶことではありません」〜美術展行ってきました 2017年ざっくりまとめ

    Posted on 02 3月 2018 by

    ートを書いていて、厚くなり、重くなるのはフツーなんですが。
    どうだろう、買った時点で、もう「重い」文具ってなんだろう。
    より「軽く」より「軽量に」というのは、セールスポイントのひとつですが。
    逆、まだ書いていない、使ってない時点で「これは重い」というような文具。墨?紙?
    Continue Reading

    Comments (0)

    旅先のToday’s TRAVELER’S Notebook/2017春の陣

    Posted on 02 3月 2018 by

    ※ 本記事は個人ブログ「ノートブックがない日々なんて」2017/03/31投稿記事を転載・加筆しています。

    旅先で自撮りはしない派。
    自撮りではなく、マイトラ撮りをする。

    マイトラ = マイ・トラベラーズノート。
    2009年から愛用しているトラベラーズノートは、旅先ではいわば自分の分身。

    今年もちょっくら、(仕事も兼ねて)旅をしていた。
    高速バスで奈良6:30着。はやっ。

    まだ本気観光モードになる時間でもないので、鹿と戯れていた@飛火野
    といっても、飛火野で活動してた鹿は1,2頭だけ。街にはわんさかいたのに。。。



    さて、マイトラ撮り。
    この風景の枠内に、トラベラーズノートを置いてみるだけの簡単な撮影。

    地面の色がパックリ分かれていて、ごちゃついてしまった。
    場所を移動しよう。

    地面問題は解決できた。
    けれども、トラベラーズノートと鹿の距離がなぁ……もっと近づきたい!

    鹿に近づいて、トラベラーズノートを置く。
    構図どうしよう。鹿、いい場所に来ないかな。

    きたきた、鹿。
    一歩…………、二歩……、三歩…、四歩、五歩六歩以下略

    みるみるうちに、近づく鹿。
    こちらが求めていないレベルのスピードで迫り来る……。
    (もう来なくて、いいんだよ。いいんだってば)

    これ、2秒後危険な予感しかない。
    トラベラーズノート、ピーーーンチ!!!

    おそらく、貴方の予想通りである。

    鹿、トラベラーズノートを噛んだ。
    噛んだトラベラーズノート、ぶんぶん振り回してた。

    ……ごめん、鹿。
    それ、食べられないんだよ。

    トラベラーズノートを取り戻すのに必死で、その瞬間の写真は1枚もない。
    動物を入れたToday’s TRAVELER’S notebook写真撮影修行は、まだまだ続く。

    Comments (0)

    ちらえろす

    Posted on 27 2月 2018 by

     

    えろすを感じる部分、って人によって違うと思う。
    ブルーやグリーンのライトより、ピンクやレッドのライトのようがえろてぃっくかもしれないし、むちむちした肉感的とかぬらぬらした唇とか。 Continue Reading

    Comments (0)

    Photos from our Flickr stream

    See all photos

    2019年2月
    « 1月    
     123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728  

    アーカイブ