Archive | 9月, 2004

カッコよい弁当とは?

Posted on 10 9月 2004 by

さて、連日の更新でちょっとずつファンも出てきたタカヤのブログですが(ウソ)皆さんいかがお過ごしでしょうか?寂しいのでコメント書いてくれるとやりがいが出ます。
最近ちょっとお気に入りの言葉で、「毎日やることは質素でも構わない」という言葉を聞いた。たとえばこれはぶっちゃけ弁当の話をしていたんだけど、弁当って毎日作るものだし、もともとは日々の食費を多少は削るために作られるものなので、どちらかというと質素な方が弁当としてカッコいいということ。
言い換えれば、「毎日表現をするのであればそれはミニマルで構わない(なんか煙草のコピーライトみたい)」というハードボイルドな真理が導ける。必要最小限に目的が達成されていればそれはシンプルでいいのだ。
さて、弁当なんだが僕は高校生時代親につくってもらった弁当で一番ショックだったのは、リンゴとゴハンの盛り合わせ弁当だ。弁当箱を開けると四つ切のリンゴとしょうゆさしと白飯。以上。
今大人になった僕は上記のことを踏まえ、総合的にかつ全ての知性を総動員して考えるのだが、「ほほうミニマルだね」なんてやっぱり言えない。ごめんよ母さん。
多分、母さんの弁当はミニマルではなく何かが足りなかったのかも知れない。
P.S
最近ちらっと見た雑誌に書いていた言葉。
「ずっと待ってるからね、と言われたならずっと待たされることになる」
深いなぁ。

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マグロと感覚ホムンクルス

Posted on 09 9月 2004 by

「マグロを押してしまうこと」
これは僕がスーパーにてぼんやりと過ごすときに必ずといっていいほど、僕を誘惑させる行為だ。指で押され、致命的に引っ込んだマグロの表面を見ながら、雨上がりの泥炭をくすぐるようなこの感覚を味わうのはまさにエロチックでもある。女性の肌の弾力を確かめるようなその禁断の行為に背徳の匂いがする。少なからずとも皆スーパーではその誘惑にかられていると思う。他にもボンレスハムやら、和牛ステーキなども誘惑が多い。
このことは何か重要な関わりがあると思われるので考えてみた。
皆さんは「感覚ホムンクルス」といったものをご存知だろうか?本来ホムンクルスとは古来より体の中に住む小人の意味があった。これは何かというと、人間の感覚を全て感覚の強さに比例してイメージ化し人間の形にすると、「手」と「口」と「目」が体全体のパーツにくらべ非常に大きい人間となってしまうのだ。
人間が強く感じたいと思うとき僕らがメインで使うパーツは主に「手」と「口」とのこと。お気づきの方はわかるかもしれないが、これが頻著に現れるのは「SEX」である。相手を強く感じたいと思ったらチューして手でモミモミしたいのは誰もがそうなのさ。実をいうと「手」や「口」に比べれば「目」は感覚の中では弱い方なのだ。
さて話を元に戻すと僕はスーパーでマグロを見るともう押さずにはいられない。ホタテが口を開けていても、その白くなまめかしい姿をさらけ出していたら、チョコンと押してやってヒュっと引っ込む姿を見ているだけで、もうエクスタシー。
たとえばうちのベーシストことアラキにもそれは頻著に現れる傾向なのだが、好奇心を持ったものは必ず触って確認してしまうという傾向がある。
実証として、まったくその辺にあるような植木鉢の植物を「これみんなで触ってたらアラキも触るかなぁ」と憶測し、皆で触っていたところ、後から遅れてやってきたアラキはわしづかみにして大爆笑となった記憶はまだ新しいところである。
いってしまえば、相手(マグロ)を理解するために僕やらアラキは感覚を発端として行動するタイプなのだ。
「これはなんだ?」→つかむ
「おおやわらかそうだ」→もむ
「いいケツだ」→やっぱりもむ
日本人は下手な方かもしれないが、スキンシップといったいい言葉がある。落ち込んでいる人の肩に手を置く。横断歩道でおばあさんの手を引いてあげる。よいこのあたまをなでてやる。恋人をハグする。マグロを押す。
僕は僕なりに自分を取り囲む世界を触覚を使って確かめているらしい。
だけどさ、押されたマグロって買う気にならんよね。

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番長とパサラパンツをイメージする

Posted on 09 9月 2004 by

たとえば「番長」がいるとする。
「番長」のイメージというのはどこからやってくるんだろう。脳内で僕らは「番長」について考える。
■ボロボロの学帽、学ラン(ブレザー不可)
■葉っぱなどをくわえている(植物名は不明)
■ゲタ(ハナオは黒)
■サンドバック型カバン、もしくは柔道着
■頬に傷(頬骨のあたりから口元に5~7cm程度が望ましい)
■松の木の下で女の人を足蹴にする(カンイチオミヤより抜粋)
こういったイメージだ。では僕らはこういったイメージを経験によって記録していてそこからイメージを引っ張ってくる。
では、「パサラパンツ」についてイメージをしなさいと言われるとなかなか難しい。
■なんだか履くとサッパリしそうだ。
■軽く清潔感がある。
■料理をおいしくしそうだ(なんとなくタイ料理)。
■青空をバックにはためいていそうだ(洗剤のCM参照)。
■自転車や市場やフルーツが多そうだ(東南アジア等の田舎町をイメージ)
■厨房からなにかおいしそうな匂いが漂う店内で、バスケットに入って140円くらいしそうだ。
といった感じだろうか(ググっても出てこないよ)。
こういった知らないものに対しては、あくまでも僕らは経験の中から推測する。
では「自分」をイメージしなさいって言われたらどうだろう。鏡に映っている範囲でしか僕は自分の姿を見たことがない。イメージっていうのは経験から推測した範囲でしか知りえないのだ。
自分が一番長く付き合っているんだから一番知っているのかもしれない。と同時に僕は自分自身を間接的にしか見たことがない。
江戸川乱歩の「二癈人」といった短編では、夢遊病といった自分自身の知りえない部分が行った殺人を描くのだが、最終的にはそれは自分自身でも確認がとれない部分で行われる事象のため、実に興味深い終わり方をする。
自分自身のことなんて自分で知っていることなんてほんのチョッピリだ。知らないことの方がきっと多い。
実はハゲてたらどうしよう。

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