Archive | 5月 1st, 2012

フラミンゴに捧ぐ

Posted on 01 5月 2012 by

あれから19年・・・
5月1日、今日は僕にとって忘れられない日、とむとむです。

今回は、こめさんの「少年よ、ノートを抱け」に触発されてのエントリーです。

高校2年生~3年生。
あんまりさえない僕の人生の中でも、ここ1~2年を除いては
飛び切り輝いていた時期かもしれません。

ここでふと気づいたのですが、「僕が充実していたな」と感じている時には
必ずノートブックの存在がありました。

17冊の大学ノート。

ここに記された日々の想いは17歳~18歳の僕の全てを語っていると言ってもいいでしょう。
ありていに言えば、青春そのもの。

名前もついています。
1992年、壬申の年からの記録ということで「壬申録」
担任(国語の先生)の文章指導の一環で始まった、ノーブックでの言葉のキャッチボール。
クラスの39名分を赤ペンで添削。朝に提出したノートは必ずお昼休みに戻ってきました。

先生のコメントは厳しくも温かい言葉が綴られていました。

「厳しさなくして執念なし、執念なくして行動なし、行動なくして成果なし」とか…
ダイエットに取り組んでいた時は何度この言葉に助けられただろう。

本当は全てを紹介したいくらい、胸アツな言葉の数々があります。
勇気づけられたのはいい思い出です。

文章を褒めるときは徹底して褒める。
でっかい◎と「良く出来た文章だ、満塁ホームラン!」
他にも、ヒット!ライトへとか、二塁打、三塁打など、
野球部の部長をつとめた先生らしい言葉での評価も。

一日を締めくくるホームルームでは、
良かった文章はみんなの前で先生に読まれるという
恥ずかしくも、なんだか誇らしい気分になれるそんな時間も待っていました。

特に良く書けた文章は、先生の勧めで新聞の読書欄への投稿も。
(僕は残念ながら、投稿するもボツばっかりでしたが)
昨年、ついに教え子たちの新聞掲載数が1500回に到達したとのことです。

まさに恩師。

僕のノートブッカーの原点が先生とこの「壬申録」にあったといっても過言ではありません。

中身は日記の文章だけでなく、テスト勉強のための英単語や漢字の練習なども。
新聞記事や、雑誌の切り抜き、学級新聞などが貼ってあって、
今、モレスキンやトラベラーズノートでやっていることとほとんど変わっていないのにびっくり。

しかも、半年に一回。ノートの計量の時間がありました。

クラス全員が各々のノートを持ち寄り、その重さと、積み上げた高さを計量していたのです。
最後の記録には 505.5cm、151.5kg とありました。

実は毎回、ノートブックタワーを懐かしい思いで積み上げています。

そして今、開いているのは19年前の5月2日の日記。

***********************************

「えっ!?」私は自分の耳を疑わずにいられなかった。
「世界GP250ccクラスに参戦中の若井伸之選手が予選中に転倒、
収容先の病院で死亡しました」
この訃報を、何気なく聞いていたラジオニュースで耳にしてしまったからだ。

一日中暗い気持ちになってしまった。
私の好きなライダーの一人が他界してしまったのだ。
いまだに信じられない。

大きな身体で125ccのマシンをアグレッシブに操る彼がとても好きだった。
戦闘的な低いライディングフォームで、コーナーを駆け抜ける彼は輝いていた。
世界GP125ccクラスで表彰台にも立ち、
代理で出た250ccクラスでは初めてのマシンで7位入賞と大器の片鱗を見せつけ、
モータースポーツ誌を騒がせたことは、ついこの前の事だった。

そんな彼が、実力を認められ125ccクラスから250ccクラスへ
ステップアップした矢先のこの悲劇である。
本当に惜しい人を亡くしてしまった。

先ほどNHKのスポーツニュースで、ピットロードに倒れ痙攣を起こしている
若井選手の映像を見てしまった。人の死と言うものが、誰であろうと突然降りかかる、
無情なものだという事を実感させられた。

若井伸之。世界GP500㏄チャンプが夢だった彼は、
スペイン へレスにて、25年と言う短い生涯の幕を閉じた。
私は彼の死を忘れない。

***********************************

ノートブックへの記録は宝箱やアルバムのように大切なものを心に留めてくれる・・・

彼が亡くなった翌日のスペインGP決勝。
これはまさに若井選手の追悼レースとなりました。

一時は出走を取りやめるかもしれないと言われたほど、
日本人選手たちは悲しみに打ちひしがれていたと言います。

しかし、ここから奇跡とも言えるドラマが待っていました。

友人としてまたライバルとして世界GPを戦っていた
125ccの坂田和人選手、250ccの原田哲也選手、
2名の日本人選手が鬼神のごとき走りを見せ、1位を獲得。
両選手とも号泣していた姿はいまだに忘れることが出来ません。

レースを終えピットロードに戻ってきた125ccクラス5位入賞の上田昇選手が、
バイクに乗ったままスピードを緩め、彼の激突したコンクリートウォールに
トンっと拳をタッチしてガレージに引き上げる姿も・・・

もう色々思い出しては、泪でディスプレイがかすんでしまっています・・・

youtubeに当時のレースの様子がUPされていました↓
250cc原田選手優勝
http://www.youtube.com/watch?v=0sDMq8NdFuc&feature=related

1215cc坂田選手優勝
http://www.youtube.com/watch?v=WVHNrt4UF3s&feature=related

 

毎年、この日になるとどこかで若井選手の事を思う僕がいます。

長い手足をコンパクトな125ccのマシンに収めるために折りたたむ姿から
彼についたあだ名はフラミンゴ。

スペインのへレスサーキットには彼を偲んで建てられたフラミンゴ像が
この19年間、以下の碑文とともにサーキットを見守り続けています。

「魂と肉体の翼いまだ衰えぬまま この地に止まりて挑むは 汝ら志ひとしき同胞 飽かず疾駆する勇姿なり」

2ストロークエンジン特有の乾いたエキゾーストノートを響かせながら、
今日も彼は僕のかけがえのない想い出とともに、ノートブックの中で走り続けています。

 

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少年よ、ノートを抱け

Posted on 01 5月 2012 by

そして、日記をかいてごらん!

…と言いたくなったので、書きます。

発掘されたノートたち

何冊かの日記を、部屋の片付けで発掘しました。どうやら初めて独白(毒吐く?)型の日記を書いたのは、中学3年の秋頃のようです。当時始めた理由は「前 自分が何を思っていたかを書くためと、できるだけていねいに字が書ければいいな、と思った」からだそうです。ちなみに、このことを記した字は結構雑…おねーさんは、残念でならないよっ!!
ただ、自分が何を思っていたかを書く…については、だんだん要領をつかんでいくものなんだろうな、ということが日記を読んでいてわかりました。今更です。変わり方として、それは、だれか身近なお友達に近況をお話する→心のありようを文字でスケッチする……みたいな風かもしれません。多分、自分はここに至るまでに、かなりの文字数と時間を要したんだろうなあと、読み返していて思います。

抽象的に書いていてもピンと来ないので、文字数は少なくとも、その頃の気持ちがありありと思い出せた文章を載せてみます。(自分の記憶のカギを開けるような感じです。)

(入院日記より)

今日は来客予定なし。
こういう所でだれも来ないと
いらんことや細かいことでうじうじなやんだりする。

今日はクッキーの箱の中のおいしくないクッキーの日なのかな。

うれしい気持ちは持続しない、とか、
人とのつながりを信じられない性だ、とか
そんな小難しいことを考えるのはもう止めだ。
ナンセンス。
ただ単に 今日はそんな日なのである。

空は限りなく青くて、
東京タワーは相変わらず333mで
もらったお花はかわいくて、
私はただ そんな気分。
それだけ。
(以下略)

その頃読んでいた本のフレーズが散見されますが…(汗)あったこと、というより、思っていたことから、そのときの状況を思い出すことができました。空気感、みたいな。過去が、重みのある実体として感じられます。

自分の心のありようを良くも悪くも書き記す。
そもそも悪いってことはないんだよって。誰かに何かを、思ったままに伝える練習として。それがかなわなくても、自分の想いをなるべく正確に描く練習として。

それで、日記を書いてごらん!と。

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