Archive | 4月, 2017

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New! ゼロ距離の隔たり

Posted on 23 4月 2017 by

離れたい 離れたくない
放したくない 放したい
塗れたい 紛れたくない
守りたい 守りきれない

分かりたい 分かりたくない
捕まえたい 捕まりたくない
失いたくない 奪いたくない
含まれたい 含まれたくない

一緒にいたい 一緒になりたい



抱きしめたい 一つになりたい

飛び込んでも 殴り込んでも
取り込んでも 雪崩込んでも
閉じ込んでも 流し込んでも
溶け込んでも 成す術もなく

そこで私は常に異邦人となる
ゼロ距離の隔たりは潰えない
展開すれば無限の面積をもつ
極小の多面体を内包する存在

                  (背理)

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祖父が亡くなってから

Posted on 22 4月 2017 by

祖父が亡くなってから,一か月がたつ.

ふと思い起こして,その日のノートを見てみる.そこには,某教育テレビでやっていたフィッシュボーン図*1の使い方が書いてある.さらにもう一ページさかのぼると,某ドトールコーヒーの紙製のカップホルダーがちぎって貼ってある.きっと書体が気に入ったのだろうう.書き込みはない.

ノートをさかのぼってみていくのは,思考の糸を引き寄せるようで面白い.どこかの本に,人は1日に6万個ぐらいのことを考えていると書いてあった.ノートに書き留めてあるのは,せいぜい良くても1個か,多くても3個ぐらい.私の思考はどこかに消えてしまったのだ.

祖父との思い出をなんとか手繰り寄せようと,いろいろと思い返してみるが,あまり思いつかない.車で1時間ぐらいのところに住んでいたので(のに),しょっちゅう会いに行こうという感じではなかった.だから,祖父が死んで,悲しいというよりは,ぽっかりと何かが無くなった感じがした.まだそこにいるような感じがして,でも同時に,僕は彼の骨を骨壺に収めたから,彼はもうそこにはいない.その二面性をとらえきれない.

無くなった,亡くなった.おそらく,死は悲しくない.空白や,空虚なのだ.

そこを埋めようと,冗談を言って何とか笑ったり,あるいはノートに何かを書きつけたりするんだろう.その日,葬儀場で座った叔母が座り心地のいいといった椅子のスケッチ(にしてはひどい出来だ)を描いて,そのあとにお弁当についていた「この商品は本日16時までにお召し上がりください.」というシールをノートに貼り直している.おそらく何かのリマインダーとして,とっておきたかったんだろう.

そして,その横のページには,こうある.

”生きていること,死んでいく人々とその悲しみについて考える.つながりが少ないということは,その悲しみ一つ一つが大きいということ.あるいは悲しみを感じる=人として大きくなる,その機会を失っているのか.”

祖父の死は,いろんなこれからのことを考えさせる.飼っている猫たちも死ぬだろうし,両親も死ぬだろうし,数少ない友人もみな,死んでいくだろう.(僕が先に死んでしまわなければ.)

そういうことを考えると,僕は少し憂鬱になる.そして,それあらがうことの無力さについて,考える.

 

*1 フィッシュボーン図(特性要因図)は,結果に対する原因を特定するために使われる思考ツール.某教育テレビでは,それを論拠を書き出すものとして用いていました.

10 分で理解できる特性要因図|書き方から原因を特定する方法まで : https://navi.dropbox.jp/fishbone-diagram

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酒は人間を映し出す鏡である(アルカイオス)〜真夜中のNotebookers的トライアンドエラー〜

Posted on 19 4月 2017 by

年の前半中には、一度、読書会、したいなあと思っています。
あと、トラベラーズノートブックミーティング。
また開催する際は、こちらでも告知いたします。
皆様、よしなに。

==以上、前振り終わり==
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とりま

Posted on 16 4月 2017 by

とめどなくとどめない世界を
とどめないままとどめるため
とりあえずはとどめておいて
とりとめもなくとりまとめる

言葉を重ねて
記号を連ねて
図版を入れて
数式も駆使し



まどろこしいほど慎重に
キュビズムのように
デイヴィッド・ホックニーのように
現場を再構成する



空間を重ねる
時間を重ねる
因果を重ねる
相関を重ねる

まとめたはずがまとまらず
とどめたものがとどまらず
あつめたものが消え失せて
まとめぬものがあらわれる

                          (生体)

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注釈

Posted on 09 4月 2017 by

「今」といってもそれは「永遠」ということです

「昔」といってもそれは「現在」ということです

「私」といってもそれは「状況」ということです

「器」といってもそれは「中味」ということです

「命」といってもそれは「身体」ということです

「脳」といってもそれは「臓物」ということです

「罪」といってもそれは「法律」ということです

「国」といってもそれは「戦争」ということです

「魂」といってもそれは「教育」ということです

「愛」といってもそれは「慈悲」ということです

「絶対」といってもそれは「相対」ということです

「仲間」といってもそれは「許諾」ということです

「経済」といってもそれは「収奪」ということです

「自由」といってもそれは「拘束」ということです

「知性」といってもそれは「契約」ということです

「欲望」といってもそれは「存在」ということです

「写生」といってもそれは「抽象」ということです

「存在」といってもそれは「渦巻」ということです

「自我」といってもそれは「境界」ということです

「言葉」といってもそれは「比喩」ということです

「情報」といってもそれは「生身」ということです

「集団」といってもそれは「一匹」ということです

「感情」といってもそれは「反応」ということです

「意思」といってもそれは「後付」ということです

「違う」といってもそれは「違う」ということです

「理解」といってもそれは「誤解」ということです

「誤解」といってもそれは「理解」ということです

「理解」といってもそれは「隔離」ということです

「隔離」といってもそれは「感化」ということです

「交流」といってもそれは「破壊」ということです

「破壊」といってもそれは「創造」ということです

 

 

(無終)

 

 

 

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変わったこと変わらなかったこと

Posted on 05 4月 2017 by

こんな久しぶりになるつもりはなかったのですが、気づいたらすごく久しぶりでした。
こめです、こんばんは。

ノートがエイジングしていい感じになるように、自分もいい感じになれたら良いのですが、なかなか上手く行きません。ノートに対するスタンスは頑固で、役に立つ、よりも、どうするとより面白いか…のままであることは変わらないし、投稿したい内容も今だって流行に敏感であることより、ささやかだけど何かを支えていく人を応援できるようなことを書きたいと思っている。無遠慮に弱いもの、小さい声を踏み潰しながらのし上がっていく人を横目で見つつ、羨ましいとも思ってしまうかもしれないけれど、そっちへ染まるための鈍感力もないし、同時に染まらない頑固さはある。
あと、机上のどんなに素晴らしい理論より、実際見て感じたことを優先する。

空白期間にあった話をします。

海外に行きました。
ツアーじゃない海外は初めてでしたが、自分の足で行動するというのはスリリングであるとともにその国を少しでも深く知るいいきっかけになりました。電車の乗り方一つ、こんなに日本と違うのかという実感。例えばシンガポールの地下鉄では、デポジットのカードでICタッチすることにより改札するし、ドイツでは改札口というものがなかったりして(日付が打たれた切符がない場合、結構な額の罰金があるらしい)。
行かないと分からなかったこともたくさんあります。どんなご飯が美味しいかとか、街の雰囲気とか、今問題になっていることとか、ドイツで食べたスパゲッティがアルデンテでなかったことは意外でした。

今まで想像していなかった範囲で色んな人にお会いしました。
海外に行ったから、というのもあるのですが、ちょっとしたきっかけで人って繋がるんだなあ、と面白く過ごしました。
中には、初めは無礼だなあーって思った方もいると思います。今でも、あんなやついなければいいのにって思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、自分が好きに思っていいように、相手にどう思われようと仕方のないことです。自分も思いたいように思っています。どんな汚い手で工作したところで、それを変えることはできないと思います、何せ頑固なので。
本当にびっくりするような面白い出会いがあるのと同時に、本当にびっくりするような汚い手段で人を蔑ろにする輩もいるんだなあ、と感心しました。そういうことの対処方法など、詳しい方にお話しおうかがいしたいです。

地元に詳しくなりました。
今なら様々な惹句で、地元への観光をアピールできそうな気がします。よかったら、遊びに来て下さい。

トラベラーズノートを使うようになりました。
旅行のためにとても便利だということ、今更気づきました。
今まで全てをモレスキンで済ませようとしていましたが、トラベラーズノートに旅程を貼ったり、様々なチケットを収納したり、果てはパスポートを入れて持ち歩いたり…個人的には、思ったことを記録するという使い方より、旅行に必要な情報やチケット類を収納する、という使い方が馴染みました。そういう使い方してる方いますかね。色々教えていただきたいです。

マックを新しくしました。
ちょっとしたアクシデントはありましたが、今は順調に使っております。
薄くなったので、持ち歩きにとても便利。テザリングがこんなにも便利なのか、ということも今更ですが。

想像できる大抵のことは起こり得る。
おそらく無縁だろうと思っていることの中で、どうして無縁だと言い切れるのか。
どんな条件が揃ったところで、それは可能性が低いということにすぎないです。
なので、今できることを精一杯やりきるというのが最良だと思います。

こんな風に、自分の中の常識はたくさん変化があったけれど、大事にしたいことは変わらないものなのかなあ、という感じです。

ささやかだけど何かを支えるって、労力が並大抵ではないし、地味すぎて蔑ろにされがちで声も小さいだろうけど、それならば別の方法で、踏み潰されない存在感を出していける方法を模索してみたいです。

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Notebookers Mapも1年以上たちました

Posted on 02 4月 2017 by

こんにちは、お久しぶりのkonamaです。

気がついてみればもう桜の季節。年末年始は何かと忙しかったわけですが、年度末のデスクワークが一段落して出張シーズン。

普段行かない場所に行く…お、これはNotebookers Mapの出番ではないですか。

もともとNotebookersのお気に入りの場所をプロットする企画、文房具屋さんのマップというわけでもなく、カフェマップでもない。みんなの気になる色々が作っていくマップ、だいぶ育ってました(もしご存じなかった方は是非この機会にご参加ください)。

今回の旅の目的地は浜松。さて…

あ、なんかありますよ。ちょっと離れたところに1つピンがたってる。

中田島砂丘。浜松に砂丘があるなんて知らなかったよ。これは行かなくちゃ!
嬉しくなって職場の同僚に砂丘があるらしいんだよと言ったら、「でっかい砂浜なんじゃないの」と気のないお返事。
あー、こういうワクワクがわからないなんてモッタイナイ。

浜松駅前のバスターミナルから15分ほどバスに揺られてやってきました砂丘。ラクダはいないよw

じゃーん。ついたよー。

あれ?工事中…っていうかやっぱりでっかい砂浜なの?
とか考えつつも、砂の上をザクザク歩いて丘の方へ。

あー、ちゃんと砂丘でした。風紋も見えるし、太平洋の波も寄せて、なかなか雄大な眺め。(一応クリックすると大きな画像)

しかし、すごい風で顔に砂がバシバシ飛んできてイタイ。
滞在時間1時間弱でしたけど、全身じゃりじゃりでお風呂に直行デス。(怖くてカメラのレンズ取り替えられなかったw)

きっとNotebookers Mapがなかったら行ってなかったところで、なかなか楽しい得難い体験でした。
どなたか存じませんが、ここにピンを立てておいてくださったNotebookers, どうもありがとう。

さて、浜松に来たからには、私もひとつくらいピンを増やしたい。
ちょうど、オリジナルの万年筆で有名なBUNGU BOXさんに初めてうかがったので、そこにピンを立てました。小さな万年筆やさんですが、オリジナルインクがたくさんありますし、試し書きもゆっくりさせてもらえます。最近は表参道にも支店があるので、行かれたかたも多いかもしれませんね。

もちろん浜松に行ったからにはウナギさんたち(うな重&うなぎパイ)はちゃんといただいてきましたよ。

 

 

 

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濁り

Posted on 02 4月 2017 by

透明→不透明 のまえに
非有→透明 という段階
があるというのは間違い
非有→不透明 だと思う



不透明なのは この世界
世界は当然透明じゃない
不透明なのは この身体
身体はとことん  不透明

透明の塊と不透明の塊を
ほどよいカオスで配合し
見えたり見えなかったり
見せたり見せなかったり

そういうところが面白い
透明だったらつまらない
時に薄くて時には濃くて
その匙加減がいいところ



願望の濃度は人それぞれ
欲望の強度は人それぞれ
善悪の境界は人それぞれ
幸福の基準は人それぞれ

透明な魂と不透明な魂を
ほどよいカオスで配合し
解りあえたりなかったり
悲喜こもごもを謳歌する

                                                  (○●)

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April 2017 Calendar

Posted on 01 4月 2017 by

★2017年04月のカレンダー

ポケット用
http://notebookers.jp/calendar/calendar2017_04.pdf

ラージ用
http://notebookers.jp/calendar/calendar2017_04_L.pdf

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そう、モレスキンならね。

Posted on 01 4月 2017 by

自分はモレスキンに書き込みもしないのに大量に買ってきて、色々と表紙やら何やらで遊ぶことが多い。

いや実際はちゃんと書き込んでいることもあるし書き込んでいないこともあるのだけれど。自分の保有するモレスキンの紹介がてら、そして誰かがモレスキンをちょっと自分らしくカスタマイズなりなんなりするときの参考になればと、某企業の紹介風に写真を載せていきたいと思う。


モレスキン。世界一有名なノートブック。

そのカスタマイズ方法は数多くある。

bandeの一枚ずつめくれるマスキングテープ使用。ゴムバンドの下は宇宙柄のマスキングテープ。

各地で桜の開花宣言がなされる中、持ち歩くノートに桜を散らしてみたり、

リポーターラージに宇宙柄のマスキングテープを貼り付け、惑星のシールや星のシールを配置した。近くにおいてあるのは地球儀の3Dパズル。

机の上に宇宙を作り出すことだってできる。そう、モレスキンならね。

六甲おろしの蒔絵シール。蒔絵シールとモレスキンの相性はいいと思っているので、今後も色々と試してみたい。

六甲おろしを口ずさみたいときも、問題ない。これなら甲子園でも気後れすることはない。

旅行の予定だって大丈夫。軽さしかないノートとは一線を画している、伝説のノート。

モレスキンルールドのラージは表紙の面積も勿論ラージなのでステッカーも貼り放題。

表紙に行ったことのないホテルのステッカーも貼り付けられる。

ライフログも旅日記も全て記憶できる。仕事も遊びも、それ以外も全部。

渡り歩いた国の旅日記的なものはまとめて一冊に記録するようにしている。

無限の可能性が、このノートには揃っている。貴方の人生の記録は、貴方らしいやり方で。

卒業論文執筆の前段階、先行研究に関するメモ。

何でもできるノート。だから貴方だって、何でも。


基本貼るだけ。貼るものの材質を変えたり、貼り方を変えたり、時には前面を覆ってみたり。内部もマスキングテープやら何やらを貼ったりしているが、切るのはまだそこまで冒険できないので未経験。

お高いノートではあるが、一度気に入ったステッカーやマスキングテープを貼ってみると「お高さ」が崩れていく。そしてあれやこれやのアレンジを試したいがために購入していく。そんな魔力に満ち溢れている。

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春のモレスキンは大きなサイズで

Posted on 01 4月 2017 by

、押井守監督の『イノセンス』見ているんですが。
この現実の脆さ、自分が『そこにいること』のあやうさ、いいなあ。
孤独に歩め
悪を成さず
求めるところは少なく
林の中の象のように

〜〜〜
前振り終わり。
えー、今までモレスキン ヴォヤジュールをずっと使っていたんですが。
先日、使い終わりまして。
新しいモレスキンを使っております。
仕様は、わたしはプレーンが好きなので、ずっと無地を使っているんですが。
サイズはちょっと大きいものを試してみました。
先日、新しく発売された『ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージ』です。

説明としてはこうなっています。

商品説明
エクストララージよりも大きなノートを、という声に応えて、さらに大きなモレスキンを。
広げると、たっぷり90センチもあり、雨の日には傘代わりにも使えるサイズです。
無地。定番のレイアウトは自由な発想で、仕事にもプライベートにも。
ソフトカバーは机上での使用もスムーズ。
中性紙、糸綴じ製本、ゴムバンド、しおり、丸みを帯びた角、拡張ポケットなどの機能はハードカバーと変わらず健在です。

仕様
【品番】NB01AP
【サイズ】45×59cm
【ページ数】192
【紙材質】FSC認証中性紙
【レイアウト】無地

こんな感じです。

モレスキンスーパー大きい

黒、そんでソフトカバーです。

どのくらい大きいかというと、トラベラーズノートブック パスポートサイズと比較してみます。

TNPと比較

このくらいです。

実際に書いてみたところ。

大モレスキン 開いてみた

大きさとしてはこのくらい。

マスキングテープを貼ってみました。

大モレスキン マステ貼った

雑、とか、そういうことは言わない。

ポストカードを置いてみると、このくらいです。

大モレスキン ポストカード比較

やー、やっぱり大きいなあ(棒読み)。

えー。
先日、ツイッターで、ポール オーターの新刊の情報が回ってきまして。

オースター、とても好きです。。

TNPとオースター

がんばって読みました。

この本とモレスキン ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージを比較してみましょう。

TNPとオースター

浮いてる、とか言わない。

Notebookers.jp のステッカーで見てみましょう。

TNPとステッカー

チャームがついてる、とか言わない。

TNPとステッカー

やー、本当にね、持ち歩くのが大変なんですよ。大きいバッグが別に必要で。

やはり、モレスキンなのでベルトに挟みたいですよね。

お菓子とモレスキン

あのお菓子を挟んでみた。

ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージ オンラインショップページ>>

■おまけ

そのウソホント

トラベラーズ レギュラーサイズと並べてみました。さて、ホントの大きさは?

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No.138 & No.119

Posted on 01 4月 2017 by

以前、盆と正月に『昼行燈』という同人誌を発行していた。その通し企画として「Inter_view 5 minutes」というコーナーがあり、寄稿者の持ち回りで、インタビュー記事を掲載していた。

大学2年の梅雨の頃、寄稿者の一人が急きょ帰郷することとなり、同人活動の継続が難しくなるとの封書が届いた。「インタビュー記事の担当だったが、時間がとれそうになくもうしわけありません」と書いてあった。私は「また時間がとれたら、寄稿してください。ずっとやってますから」と返信をし、以下のインタビュー記事を用意した。
入稿日の前日、遠方の消印のついた封筒が届いた。棚田の保存活動を行うNPO代表の方へのインタビュー原稿だった。以下はその時私が用意しボツにした原稿である。


No.119 パントマイマー 寺崎丸疎氏

Before Minutes
饒舌な無言、沈黙の共鳴。寺崎氏の表現の場に立ち会った私たちは、交流というものに対していかに臆病で、ぎこちない回り道をしてきたのかに気づかされます。自分の事が相手に伝わらない、もどかしい思いの理由を、知ることになるのです。119回目のI5Mはパントマイマ−寺崎丸疎氏をお招きしています。

FIRST MINUTE
P:パントマイムの神様といわれている、マルセル・マルソー氏の下で厳しい鍛練をなさったとうかがっております。そんなに短期間で舞台に抜擢されたのですね。
それなのに、といいますか、寺崎さんのマイムには、マルソー氏のものと違った、饒舌さを感じるのです。
そうですね、例えば、マルソー氏は魂の解放、根源的な衝動、人であることの「悲しみの喜び」、といった非常に静謐で内面へと向かうマイムを完成させたのだと思うのです…… それ以降、パントマイムは、内面奥深くへ沈降していくマルソー氏の系統と、もう一つは、もっと素朴な、「階段があるように見える」とか「本当に傘が飛びそうだ」とか「あんなに走っているのに一歩も動いていないなんて……」という驚きを与えてくれる、いわば技術の披露に終始するものとに別れたような気がするのです。
パントマイムの公演を見るという姿勢を、私たちは、マルセル・マルソー氏の公演鑑賞から学んだような気がします。そして、その姿勢で寺崎さんの公演を見にいった時の心地よい裏切られ方といいましょうか、そんな所にまず衝撃を受けるのです。

SECOND MINUTE
P:いえ、本当に私は特別パントマイムについて勉強したわけでもありませんし、あらゆる公演にかかさず足をはこんでいるわけでもありません。まして、自分でパントマイムの稽古に通っているわけでもなくて、その私がこんな風に強引にまとめてしまうのも僣越だとは思ったのですけど……
今までに私がお話をうかがってきた皆様も、啓蒙でも迎合でも無いやり方で理解を生み出す方法について、苦心なさっていらっしゃる方が多かったように思いますし、それは必要な事だと思います。受け手は受け手の立場に甘んじていてはいけないわけです。理解というのは、相互間で作りだすものだと、思いますから。
はい。世阿弥です。しかし、その姿勢こそが「迎合」に陥る危険とうらはらなのですね。商業主義の現代にあっては特に。だからこそ、表現者の皆様にはそこから超越した何かを求めてしまうのかもしれません。
マイノリティーを指向するのは、暗にマジョリティーが行ってきた「媚」を排除したいという意識なのかもしれないですね。寺崎さんの表現がマイノリティーだということではないのですけど。
はい。そうですね。マイノリティーはマジョリティーがなければ存在できない…… でも、なんだか「感受性」という言葉は使いたくありません。私はなんだかその言葉は誤魔化しているような気がしてならないんです。

THIRD MINUTE
P:素人なりの理解の浅さや狭さも、もしかしたら何かを映し出す基点になるのかもしれないと、これは編集の意見です。私自身は、いろいろな方にお会いして、未知のことや、価値観の転換の衝撃を受ける快感だけで、続けているんです。
確かに、私もこの場では、送り手に立つことになるんです。とても難しいです。
いえ。難しいです。
実際、寺崎さんはその向こう側へ既に到達していらっしゃるのではないですか?
やはり言葉の問題を……
マイムは声を発しない表現で、その中で伝えたいものを限定していくとどうしても感情ということになるのでしょうね。感情は万人に共通のコードだということでしょうか? しかし、それは寺崎さんの求めるものではない……

FORTH MINUTE
P:では、音の無い表現で伝えられるものとは一体なんだとお考えですか?
ふふ。そうです。この質問は自家撞着していますものね。
私は本当はこの質問を最後にしようと思っていましたけれど、お会いした時からもう、この質問が無効だということは分かりました。それは、お会いしたからこそ、そうと分かったんだと思います。
私がこうしてお話を伺っていて不思議なのは、何故伝わってくるのか? 交流が成立するのか? という事なんです。

今回のインタビュー記事には、寺崎さんの言葉は一言も掲載されないでしょう。

読者の皆様に説明しておきますと、もう四分が経過しているのですが、寺崎さんは全く言葉を発しておられないのです。にもかかわらず、コミュニケーションは成立しているのです。
寺崎さんはゆったりとソファーに腰をおろされています。その身体の一つ一つの本当に繊細な部分の動きや角度、それは決して大げさなものではないのです。ボディランゲージとも違います。テレパシーというのがあるなら、そんな感じなのかもしれません。

LAST MINUTE
P:私は全く苦労することなく、寺崎氏の意思や感情を読み取ることが出来ているし、寺崎氏の公演にいかれた方に後から感想を聞くと、発せられなかったはずのセリフが、記憶の中では付け加えられているのです。あたかも、洋画を字幕で見た記憶の中では、セリフが日本語に入れ代わっているのと同じように。
ふと、目の前の寺崎さんの姿が朧になってくるんです。それは、言葉が映像を結ぶ、または強化するという従来の方法で寺崎さんを脳に留めることが出来ないからなのかもしれません。
ええ。分析は言葉の罠、でしたね。
しかし、言葉にどっぷりと使っている私たちには、意識的な苦行となるのでしょうね。
違うものがあるのだということを、理屈で無く知らしめてくれる寺崎さんの存在は、世界に大きな波紋を広げて居ると思います。
今の世界では、そういう立場にならざるを得ないのではないでしょうか?
天才。
私はこの名前の余分な点をみんな洗い流した上で、寺崎さんをそう呼びたいと思います。私はこちらがわの人間なんです(笑)
本日は貴重な経験をいたしました。また、お会いできますか? 楽しみにしております。

AFTER MINUTES
「言葉でなければ何だ? という質問そのものが、言葉を前提しています。感情も表情も、根源的と思われる食欲や性欲ですら、すでに言葉によって作られたものになっているのです。私は何によって、何を伝えられるのでしょう。私は家族を持ちません。故郷もありません。漂泊の中でただ、他人と自分との間での繋がりだけが、全てでした。そして知りました。大切なのは繋がりであると。自分とか他人とかいう区切りですら体系の一つだったのです。あるのは繋がりだけです。そして繋がったあちら側とこちら側という位置関係として自己があるのです。
私は何を伝えられるのか? 何をもって伝えられるのか? それを問い、それを考える事は、問題を変質させてしまいます。言葉は避けられない、と仰います。しかし、私は言葉無しでやっています。世界中を放浪しながら既存のマナーやコードに縛られることなく、それでも生きつづける事ができました。
師のマイムはしゃべれない者の嘆きでした。私はそのことに気づいて師の下を離れたのです。私は言葉から自由になり、そして『今』になりました」

現実なのです。寺崎さんの公演を見ていない人、そして寺崎さんと対面したことのない人には信じられないかもしれません。ですが、私は寺崎さんから、言葉を媒介せず上記のようなメッセージを受けとりました。
家に戻ってテープを起こしながら、再度驚いたのは、私は寺崎さんからのメッセージを受け取っている間は黙って耳を傾けていたと思っていたのにも係わらず、テープでは、私は途切れることなく喋りつづけていたのです。記事上の段落分けは、便宜上のことにすぎないのです。私は五分間、今までに感じたことのないテンポと、どこか遠いところから戻ってくるかのような声質で、とつとつと語り、息を継ぎ、笑っているのです。
私の耳にははっきりと寺崎さんの声が残っているような気がしているのです。言葉も思い出せます。しかし、それは誰の声だったのでしょうか。この記事だけでは皆様には届かないでしょう。とても歯がゆい……

次回は フォーラム2000Another Way to TOMMOROWの会場から、子比可学園主宰  索果幹夫さんです。


以上だ。
その後『昼行灯』は5年間継続した。その後、寄稿者の皆様とは音信不通である。

※
 No.119. さて、エイプリルフールがやってきます。今年もエイプリルフール的記事を楽しみにしています★
 No.138. インタビューしてみよう。その人が何者か書いてみよう

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