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New! 舌貧乏はうまいコーヒーとまずいコーヒーをどう見極めるか

Posted on 14 10月 2018 by

ちょっと愚痴っぽくなってしまうのだけれど,ちょっと思い至ったことがあるので,聞いてほしい.

 

残念ながら僕は舌貧乏だ.たいてい作るものはまずいし,カップラーメンでもお店のラーメンでもどちらでも同じような味に感じてしまう.

冷凍うどんと釜揚げうどんの違いも多分わからないんじゃないかと思う.

それぐらい舌貧乏なのだ.本当です.(ただし,コカ・コーラとペプシの違いはなぜだか分かる.こちらも本当.)

 

Anyway,コーヒーの味の微細な違いなんて,絶対にわからない.僕の中では,

苦いー酸っぱい(ロースト/産地)

熱いー冷たい(温度)

ぐらいの違いしかない.好きなのは,熱くてやや苦いコーヒーである.なんとなく淹れたてがよい気がするけど,それは古いコーヒーが体によろしくないのであるとどこか拾い読みしたからであって,味に関しては単に冷めるからなんじゃないか思っている.

 

となると,飲み比べ(カッピング,というそうです)だとかに行く気はない.いろんな産地の豆を買ってみたりするけれども,結局ローストが強いものに行きついてしまうし,そうなればもう苦い以外の何物でもなく,単に苦ければいいんじゃないか,という話になってくる.

 

とはいっても,サイゼリアさんや各種コンビニのコーヒーがとんでもない代物だということぐらいはわかるんだけれども.

 

さて,ここまではコーヒーの味自体の話である.

 

しかし,カフェおよび喫茶店等,外で飲む場合は多少事情が異なる.

そもそも,僕の中で,カフェおよび喫茶店を別の呼称で呼ぶべきだという強迫観念みたいなものがある.一つは「コーヒー屋的コーヒー屋」であり,一つは「なんでも屋的コーヒー屋」である.

コーヒー屋では,コーヒーを売る.コーヒーがメインであり,モーニングとか,パンケーキとか,そういうものはサブである.お供である.

なんでも屋では,コーヒーはあくまでも包み紙,包装紙であって,メインではない.喫茶店だとか,カフェだとか,聞こえのよい言葉でくるんでいるだけで,本質は「なんでも屋」,である.

パンケーキだの,アフタヌーンティーだの,ランチメニューだの,そういうのが稼ぎ頭なのであり,コーヒーではない.

 

だいたい,コーヒー屋のマスターは,内気そうな実直な人か,人生経験を積んだおじいさん的な人が多い.一方,なんでも屋のマスターは,ともかく薄ら笑いを浮かべていたり,コーヒーだけ注文するとちょっと表情が曇ったりする.

それに,見た目に騙される人がいてもよくない.たとえば,サイフォンがあるからといって,そこがコーヒー屋的コーヒー屋かどうかは,また別の話である.サイフォンなんて買おうと思えばどちらも買えるわけなので.むしろ,そのサイフォンを導入することでなにをしたいのか,が見えなければいけない.サイフォンが店先にどうどうと並んでいるようなところは,ちょっと信用できないですね.

 

無論,ここまで来ればわかるように,コーヒー屋のコーヒーは理由なくうまい.酸っぱくてもうまいのである.

一方,なんでも屋のコーヒーは大体が薄暗い味がする.後ろめたい味といってもいいかもしれない.あるいは資本主義におぼれた味かもしれない.ともかく,何かが足りない.

 

まあつまり,舌貧乏は舌貧乏なりに,味以外の何かを求めて外のコーヒーを飲むのだな,と感じていたわけです.

 

でもしかし,これはコーヒーを飲む頻度の5パーセントにしか過ぎない.

残りの95パーセントは,コーヒー屋的コーヒー屋で買った豆を,フレンチプレスなんかにぶち込んで飲んでいるだけです.

なんでって?だって舌貧乏ですもの.おほほ.

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読書感想文は苦手だ

Posted on 07 10月 2018 by

お久しぶりのkonamaです。

今日は読書ノートのお話をちょびっと。

本を読むってことは昔から大好きなことですが、「読書感想文」というのはあまりいい思い出がありません。

実をいえば小さい頃は可愛げのないガキだったので、いかにもな感想文を書いて先生に褒められる、みたいなことをしていました(今考えるに大した文章でもないくせにね)。だから「苦手」という意識はなかったのですが、なんとなく好きじゃないなあと。なにせ普段読んでる本ではなくて、感想文用に本を探して、ある意味解剖するようにその本を読んで書いているのですから、私にとって「読書感想文」は「読書」から完全に切り離されたものだったのです。感想文の素になる読書だって、楽しいは楽しいのですが、「この本ホント良かった是非読んで~、おススメのポイントはね…」というような勢いがあるようなものじゃない。毎年書かされた感想文はキライだったし、本を読む習慣を…っていう意味だったらむしろ嫌だよねえこれは…と思うのデス。ちなみにプロの方のかく書評や本にちなんだエッセイは大好きで、自分でもブログで本の紹介をしていたくらいですから、嫌なのは本にちなんだ文を書くという部分ではないはずなのです。ではなんでこんなに嫌なんでしょう。

【私の中にあるなにやら青臭いもの】

上の写真はニコルソン・ベイカーの新作の「U&I」の中の一節なのですが、左側の部分とその続きを読んだときに、ちょっとあーそういうことなのかもと思ったのです。

それにいずれにせよ、その時々に読む本は、多種多様な理由を混ぜ合わせて得られた結果で選びたかったし、追悼記事を書くためにあらましを知らねばならないという程度のことで選ぶのはいやだった。つまり、ぼくがバーセルミを再読したいのは、ほんとうにバーセルミを再読したいときだけであり、彼の死によって突然迫られたときではないのだ。

結局のところ、本を読むっていうのはこう、自然の発露みたいな感じで身のうちからぽろっと出てきたようなものであってほしい、というような(これだけでもないのでうまく言えませんけど)よくわからない憧憬というか、不可侵性というか、そんな青臭いものが自分の中にあるのかもなと。

そんなわけで自分と読書傾向が明らかに違う方らの、絶対面白いから読んで、みたいなものは申し訳ないけどなかなか読まない(自分はお節介することがあるくせにね)。自分の中の読みたいが来ないと、後回し。家族は私が本が好きだというのは知っているけれど、めったにプレゼントしてくれたことはありません(感想を聞かれてもいつも生返事なので諦めたのだと思う)。

読書感想文も「感想文」のために読む、あるいは読み返すということになるから、なんかその辺がちょっと嫌なのかもしれません。

【ためになる読書】

この青臭いものの延長線上にあるのだと思うのだけど、「ためになる読書」というのにも少々抵抗があります。読書で何かを身につけるってことに重きをおいていないというか、本を読んでそれが楽しいで、その後中身をすっかり忘れたってそれでいいじゃないと思っている節があります。それはもちろん仕事上、自分が今読みたいというわけではない本を読むことなど年中あるわけですが、その読書も「何かを得なければ」という思想があんまりない。だから昨今巷でよくみかける「そんな読み方では頭になにも残らない」とか「ノートに書きながら読むことで身につける読書」とかいう本の広告や煽り文句には、そんなの楽しくないのに…と思ってしまうのです。もちろん、読書ノートを付けてらっしゃる方、感想をブログに載せている方、楽しみに読ませていただいて、それが「あ、この本読みたい」につながることも多いので、それに対しては感謝こそあれ、嫌な気持ちは全くありません。

じゃあ、本を読んでいて何か書きたいと思ったことはないのか…といわれると。あ、なんてキラキラとした言葉なんだろうとか、むふふこの表現はちょっとイカン、あ~いかにも彼がいいそうなセリフとかそう思ったその瞬間を書き留めたいなあと思うことがあります。上の写真はキラキラ言葉系ですかね。そんなわけで、無理に感想を書いたりせずにグッときた文章を抜書きするという習慣ができました。前にもこの話やこのノートは登場しているかと思いますが、万年筆(とインク)をなるべく使いたいという自分の事情もかさなって、モレスキンダイアリーのXS(残念ながらここ数年発売されておりませんが)に短い文章を抜書きしています。抜き書きが多い本は、読書ノートをつかっています。みずず書房のフェアでいただいたみすずノート(下の写真)。

こちらには、本の情報と抜書き長めのものをまとめています。このノートの好きなところは、装幀について書く欄があるところ。感想とかはかかずに、ページ数と気に入った文章だけ。おそらく、その時(その年齢)の感想が書かれているのは、後で読み返してとても面白いだろうとは思うのです。ただ、「感想文」と考えただけでイヤーな感じがある私には「抜書き」ぐらいの方が抵抗なく気楽にできるなと書き留めています。

【読まない理由・読めない理由】

青臭いものを吐き出したついでにもう一つ。これもどこかで書いたかもしれないのですが、読んでる本の分野についてとやかく言われるのは苦手。「ためになる読書」と同じにおいがするからではないかと思うのだけれど、ある作家の文章が苦手というと「それは理解が足りないから(というか頭が悪いから)」、いわゆる名作でない娯楽大作を大好きだというと「そんなくだらないものは読まない」なんておっしゃる方がたまにいらっしゃるのですが、何を読んだっていいじゃないですか。本を読むことって本当に個人的な体験だと思う(その人の人生によって出てくることも、感じることも違うでしょう?)。だからこそ、他の人が語る好きな本の話って、たとえその本を読んであんまりなーと思った本でも面白かったりする。

そう考えると、え、じゃあ「読書感想文」でもいいじゃないと思うかもしれないけど、この「この本ホント良かった是非読んで~、おススメのポイントはね…」の部分を学校で先生に一方的に文書で報告したいか?といわれると、いやいやそうじゃないんだよ。同じ理由で、ビブリオバトル系もそんなには好きじゃないんだ。

こういう、なんかよくわからない本にまつわる奇妙なねじれた想いも(これは根拠がないのだけれど)「読書感想文の呪い」の一つなんじゃないかなあと思ったりするわけです。

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the note of jam organ とおまけ

Posted on 07 10月 2018 by

無罫を好む五線譜さえも不要
音と音符の声と言葉の不適切
声から始まることだけが真実
頭から声を取戻すための叛乱

肺の小腸の心臓の腎臓の声や
副鼻腔の十二指腸の横隔膜の
肝臓のランゲルハンス島の声
手から声を取戻すための叛乱

第六感とはオルガンを聴く力
五臓六腑をノートにぶちまけ
フリーインプロビゼーション
頭はオルガンの共鳴箱である

(零度)

おまけ 9月のマンスリー絵日記

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October 2018 Calendar

Posted on 03 10月 2018 by

 

★2018年10月のカレンダーです

ポケット用
http://notebookers.jp/calendar/calendar2018_10.pdf

ラージ用
http://notebookers.jp/calendar/calendar2018_10_L

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