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どんな字を書いてみたい? garyou

Posted on 07 2月 2013 by

こどものころ、筒井康隆の書く字にあこがれていました。

『大いなる助走』の表紙に自筆原稿が用いられていて、一時、これをお手本にまねして書いていました。
残念ながら、自分の手からは美を生みだすことはかなわず、そのうちあきらめてしまいました。
縦に字を書くときに、罫線の左側ギリギリに書き、右のはらいを長めに書いてしまうという変な癖だけが残りました。

日曜日に、東京国立博物館の平成館に「書聖 王羲之」展を見に行ってきました。

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書に疎いもので、王羲之については世界史で学んだていどの知識しかありません。
この機会に見てみよう。
そう思って上野に向かいました。

王羲之の書は、もしかすると世界で一番真似されている字かもしれません。
でも、正直云うと、「蘭亭序」のよさが自分にはわかっていませんでした。

今回、ずらりとならんだ「蘭亭序」の模写(臨書したもの)を見比べて、圧倒されるとともに、どれひとつとしておなじものがない事実にいまさらながらに気がつきました。
書き出しの「永和九年歳在癸丑」の「永」の字からして、まったくちがいます。「癸丑」の部分はすこし小さく、とくに「丑」の字は線が太くてときにつぶれるのではないかと思うような書き方が多いのですが、これも人によってまちまちで、比較的すっきり書いている人もいれば、ほかの字とあまりかわらないような大きさで書いている人もいます。

こうなってくると、是が非でも王羲之の真筆を見てみたくなるのが人情というものですが。
現存していないのがつくづく惜しまれます。

また、この展覧会に行って、「「蘭亭序」は酔っぱらった状態で書いたからああいう感じなのかもしれないなあ」と思いました。自分は酔った状態でノートを開くことはほとんどありません。今度は酩酊状態のときになにか書きつけてみたいと思います。

もうひとつ、この展覧会で思ったことは、「書って自由だなあ」ということです。
王羲之の書の拓本のあとに紙をつぎたすなどして、後世の人が思い思いのことを書き連ねているのです。「これはすばらしい」とかあれこれ書いて落款までして、さまざまな人の手に寄るそうした文章が延々つながっていたりします。
書をたしまなれる方にはあたりまえのことなのかもしれません。しかし、最高傑作といわれるような書のあとに、自分でまた文章を書いてしまう、というところに自由な空気を感じました。
中にはおなじ人が何年かのちに書き足したものもあり、「過去の自分はまったく勉強不足だった」というようなことが書いてあったりするのだそうです。
これまで書籍に線を引いたり字を書き込んだりして汚すのを厭うてきましたが、それもわるいことじゃないんですね。これもそのうちやってみようと思っています。

この展覧会で、手ぬぐいを買いました。

蘭亭序手ぬぐひとぺんてるのきらり

東京国立博物館の所蔵する蘭亭序 許彦先本をもとにした手ぬぐいです。
博物館では筆もたくさん売られていました。
書道はたしなみませんので、それは見るだけで過ごしましたが、たまたま帰りに地元の文房具店に立ち寄ったところ、ぺんてるからあたらしい筆ペンが出ていて、思わず買ってしまいました。

このたびはじめて書の展覧会に行きました。
思った以上に堪能し、博物館を出てくるころにはすっかり気分が昂揚していました。
時間が足りなくてじっくり見られなかった作品もあるので、会期中にもう一度行けたらと思っています。

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Profile: An experienced novice knitter, crocheter, tatter and spinner. Love Kabuki and tenugui, a kind of long hanky.

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