世界の果てでも、多分わたしはお茶をしながら本を読んでノートブックを書いている4

Posted on 12 3月 2013 by

近、読む本読む本ほとんどが、非常に好みのものに当たっております。こういうイイ流れって嬉しい。

えー。
『幻影の書』(ポール・オースター 新潮社)を読みまして。その感想です。(ネタバレは白文字反転しております)

話としてはーーー
その男は死んでいたはずだった──。何十年も前、忽然と映画界から姿を消した監督にして俳優のへクター・マン。その妻からの手紙に「私」はとまどう。自身の妻子を飛行機事故で喪い、絶望の淵にあった「私」を救った無声映画こそが彼の作品だったのだから……。へクターは果たして生きているのか。そして、彼が消し去ろうとしている作品とは。(amazonの内容紹介より)

私(語り手):デイヴィッド・ジンマー
その男:ヘクター・マン(無声映画時代の喜劇俳優)
ヘクターの妻:フリーダ
ヘクターのスタッフ:アルマ ということで…

オースターのシンプルクールな文章で、無声映画のスラップスティックな所作、表情を説明されると(そして、それが数ページにも渡ると)なんだかもう、ものすごくちぐはぐなカンジ、そして気恥ずかしいです。こそばゆい。
ヘクター・マンもハンサムで、その彼も劇中で、大真面目な顔で喜劇を演じるーーー
この時点でも軽く現実と創作がリンクしているぽくなってるんですが。コレが。
全体的にびっくりするくらいメタストーリィ(メタフィクション?)になっています。

語り手であるデイヴィッド・ジンマーは「自分のことを話す習慣はないんです。そういうのはどうも落ち着かなくて」と言っていて、自分のことを説明する部分はあることはあるんですが、少ないです。
なので、作中は、自分のことを語るひとが少なく、登場人物は軒並み『自分ではない誰かのこと』を語っています。
各々のエピソードの引きが強過ぎるので、「これはジンマーの物語」「これはヘクターの物語」と、意識していないと、多分、カンタンにこの作品の中で迷子になるかと。

ジンマーが調べたヘクター・マンの半生、ヘクター主演の映画のあらすじ、アルマが語った折り返し地点からのヘクターの半生、ヘクターが撮った映画の内容…と、どんどん、物語の中の物語、物語の中の映画、と、マトリョーシカ的に何重にも深く潜るような構造になっていきます。

説明するのはとても難しいので、この作品、内容よりは、すごく印象的だったエピソードについて…

えー。
オースターが(よっぽど好きなのか)作中で繰り返し使っているモチーフがあります。
前の記事で書いたVr.AとVr.B、も、そうなのですが、もうひとつ。
映画『SMOKE』でも使われていました。
1942年、ドイツ軍に包囲されているレニングラード。作家バフティンは死を覚悟する。で、煙草を吸おうとしたところ、巻くための紙がない。そこで、バフティンは十年かけて書いた原稿を使って煙草を巻き、その一服を楽しんだ…

そして、この『幻影の書』にも、ほぼ同じ(ちょっと違いますが)モチーフとして書かれています。
こちらでは、ある作家が芸術の女神(の化身)の力を借りて、全霊を込めて作品を書くのですが、その芸術の女神(の化身)が(一応、人間でもあるので)寒さに死にそうになり、その完成した原稿を燃やして暖をとらせるーーーというエピソード。

実はこのエピソード、この『幻影の書』を締めるモチーフでもあり、ココでもまたマトリョーシカ構造になっています。

それで、ずっと考えていたこととちょうど重なったので、ノートブックにじっくりみっしり書いてみました。
この『幻影の書』では、ヘクター・マンが作った映画は『世界に公開せずに』『燃やすこと』『残さないこと』で完成されます。とある事故で、生きる気力をなくしたヘクターとフリーダとの約束なんですが。

オースターが書いた『幻影の書』の世界では、何かモノを作る、それだけでいい、それを芸術の女神(とか、自分が納得できる思想や信念)に捧げれば、消えてしまったとしても『作る』『生む』ことが大事なのであって、評価は二の次三の次、なんだろうなー、と。
他者に見せることのない映画、読ませることがない小説、世界に発表されない論文。
作り手が、命を削って作品に取り組み、完成させる。世界に公表しないまま、その完成品を燃やす、消滅
させる。

(このへん、アウトサイダーアーティストと呼ばれる表現者たちがぴったりハマります。たまーに、現実世界に置き去りにされた表現者がいます。現実世界に押しつぶされそうな彼らは『自分が生きている実感を持てる世界を作る』んだそうです。それが絵画だったり、小説だったり、音楽だったり。そして、その創作はあくまで『世界を押し返す』ためなので、公開することも評価されることもそれは二の次の話で、『ただ作らずにはいられないから作る』)

コチラの記事でも書きましたが。
オースターという作家さんは、コンピュータを使っていません。
小説は、ノートブックに下書きして、タイプライターで清書して完成、という手順だそうです。
なので、その打ち出した一枚一枚の価値の意識は、(多分)コンピュータを使っている人間とは、かなりズレが生じているんじゃないかと。
文書作成ソフトを使ったドキュメントであれば、何十枚でも同じ原稿を印字できますが、オースターがタイプライターで打ち出した原稿は本当に一枚きりで、その完成原稿をいきなりコピーを取らない限り、その一枚の価値って、どんなにものすごいものかと。
(これって、ノートブックもそうかと。書いたものを読み返すひとも、読み返さないひとも。本当に思うんですが、お手元のノートブック、そこに書かれているページは、世界に二枚とないのです)

その価値のあるものを火にくべる。
煙草を吸うために、恋人に暖をとらせるために、女神に捧げる
ために。

この時代に、自分が作った芸術作品を『芸術の女神』や『思想・信念』に捧げる、というのも、イマイチ実感が沸きませんが、コレが。実に見事に締められています。

(ヘクター・マンが潜伏している間に知り合った女性の証言に基づいて)
「いままでずっと忘れられなかったと言ったわ。五十四年間、毎日考えなかったことはないって」
「作り話だろう」
「作り話なんかしたって仕方ないでしょ。(略)でも本当だったのよ。昔のことも、すべて本当にヘクターの言ったとおりだった。今度こそ、絶対嘘だと思っても、調べてみるとやっぱり事実なのよ。だからこそこれは、ありえない物語なのよ。何もかも真実だからこそ」

ありえない物語、だからこそ真実。





おまけ1:

幻影の書メモ

このくらいマトリョーシカ構造

おまけ2:ブルックリン・フォリーズ2位!嬉しい♪

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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