ポエトリーカフェに行ってきました

Posted on 25 2月 2014 by

2月11日 Pippoのポエトリーカフェ入門編 inなら に行ってきました。
せらです毎日寒いので絶好調です。
Notebookers.jp ライターのひとり、がに @G_0 さんが、何度かツイッターでつぶやいていて、面白そうだなーと思っていたら、2月に関西で開催するよ!と教えて頂きまして。

ポエトリーカフェ。
近代詩伝道師のPippo @pippoem2 さんが主催されている詩の朗読と勉強会です。
今回は、関西 奈良開催ということで、神戸の詩人杉山平一氏と西尾勝彦氏のおふたりの詩がテーマでした。

奈良での開催なんですが、カフェへ行くまでに(当然のように)(迷子とか、道わからない的な意味で)せら、ぴーんち! が4回ほどあったのですが、集合時間の1時間くらい前に到着、事前にゆったりお茶ができるくらいの余裕がありまして、やー、幸先が良いわー! と。

最初にまず、自己紹介をしまして。
この時「好きな詩人について、一言」と言われまして。
え、誰にしよう。た、田村隆一氏? でも、このひとは詩集というより、エッセイとか翻訳の方を読んでるなあ、とか、谷川俊太郎氏? あ、このひとならそれなりに詩集読んでる? と考えていたところ。
参加者さんのおひとりが、映画の中でイエーツの詩を読むシーンのことを話されまして。
せっかく、朗読の会だし、そういう話にしよう、と。
フランス映画などで、作中、詩を朗読するシーンがあり、その発音の響き、韻がものすごく耳に心地良くて、本当に詩というのは言葉で綴られる音楽なのだなあ、と思う、と、そんな感じで。

■杉山平一氏について
杉山平一氏 1914-2012 福島県会津若松市生まれ そこから神戸へ。
『西の杉山平一』を呼ばれる関西を代表する詩人だそうです。
ですが、活動としては、最初は映画評などを書いていて、そちらの方が先に雑誌に掲載されていたようです。
大学入学をきっかけに文学にふれて、同人誌を刊行し、創作を続け、早い段階で、三好達治や立原道造、堀辰雄に認められたのですが、詩作と、お父さんの会社を手伝う二足のわらじ状態だったようです。

1942年 光沢秀子さんと結婚。この前年に戦争が始まっていて、結婚式の披露宴で、日本最初の空襲警報発令。
1943年 第一詩集『夜学生』刊行。
1945年 お父さんの工場が空襲で全焼、福井に工場を移し、再建。(1950年 ジェーン台風でこの工場も倒壊)

年表(と詩のレジメ)を頂いたのですが、『お父さんの工場を手伝う』『金策に走る』などの記述が多く、詩人としての活動よりも大変だったようで、その時の経験が詩に反映されていて、ひとと世界を見つめる視線がとても優しく、あたたかい作風なんだそうです。

1977年 詩集『ぜぴゅろす』刊行。
1987年 詩集『木の間がくれ』刊行。
1997年 『杉山平一全詩集』(上下)刊行。
2011年 最後の詩集『希望』刊行。現代詩詩人賞受賞。
2012年 肺炎のため死去。97歳。

始める前に、参加者さん全員が、番号と詩がひとつ書かれているくじをひきまして。
Pippoさんが説明しながら、あいだあいだで、その詩を朗読する、という流れなんですが、あらためて、「朗読っていいなあ」と思いました。
声に出されてこそ、詩ってホントに命が吹き込まれるのかも知れない、という、そのくらいに感じました。
その中から、いくつか紹介を。

最初に詠まれた詩 『橋の上』(『夜学生』収録)

橋の上

橋の上にたつて
深い深い谷川を見おろす
何かおとしてみたくなる
小石を蹴るとスーツと
小さくなつて行って
小さな波紋をゑがいて
ゴボンと音がきこえてくる
繋がつた!
そんな気持ちでホツとする
人間は孤独だから

目を閉じて、レジメの文字を追わずに、ただ朗読を聞いていたのですが。
誰かが橋の上にいる一景だったのが、「繋がった!」、そして、最後に「孤独だから」と締められて、この最後の一文でものすごくどきっとしました。
目から入る情報を制限すると、なんて言うのだろう、アタマじゃなくて身体とか五感とか、そういうものから入る情報って、より力を感じるような気が。

この『ゴボン!』という音は、現代のFacebookでの『イイね!』に近いんだろうなあ、とか、そういう風にさびしいと思うこと、ソレに対して反応が欲しいと思うことは、この時代も、今も変わっていないんだなあ、とか、そういった意見も。

この杉山氏、『最後の一行が余計だ』とさんざん言われている作風だそうで、他に詠まれた詩も「最後の一文の意味がわからない」「余計だ」とかあったんですが、…ワタシは逆に、その最後の一文で撃ち抜かれる、そういう印象でした。
(とか書いた割には、次の詩は、とてもわかりやすいのですが)

『戦争の後(うしろ)の隅に』(これも『夜学生』収録)

戦争の後(うしろ)の隅に

工場の耳を聾(ろう)するひびきのなかを
旋盤(せんばん)にかがみこんでゐる少女
夜業の灯に映えて
髪の生え際に汗が光つている
どんな髪かざりよりも美しく似合つて
身なりに誇るべき何はなくとも
戦争の後の隅にあるこの美しさを
僕は見おとすまい と思ふ
(略)

学徒動員などで工場で働いている女の子を描いた詩なんですが、多分、こういった情景は日本中で見られたんじゃないかなと思います。
その目立たない、ありふれたシーンを拾い、光を当てて詩にするひとだったそうです。
(戦争中というと、暗いイメージしかないのですが、後に杉山氏は、この時代を振り返り、「それでも楽しいこともあったよ」と書かれていたそうで、それがすごく印象に残っています。)

レジメには、この詩の隣に、茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』が書かれています。
『わたしが一番きれいだったとき』から始まり、戦中の街、ひと、国が書かれている詩です。
どちらが正しいとか間違い、ではなく、どちらも同じく、当時の日本を見つめて、そこで捉えたものを詩にしたんだなあ、と。

(『わたしが一番きれいだったとき』は、Pippoさんが朗読されたんですが、これもまた目を閉じて聞いていたんですが、句読点、空白のマスのメリハリがものすごくくっきり聞こえました。)

『単純についてーー父に』(『木の間がくれ』収録)

単純についてーー父に

青い切手が
手紙をとおく運ぶように
小さな切符が
私をはるかに運んで行きます

切符には
あなたの言葉が
刻印されています

シンプル イズ ベスト
単純は 最善だ と

たとえ 乗り継ぎ
乗り換えがあったとしても
この切符を握り締めて
私は行き 行き
どこまでも行くでしょう

前述の通り、杉山氏は、お父さんの工場を手伝い、運営し、人生の大半をその再建に走り回ったのですが、それでもお父さんがとても好きで、尊敬していたそうです。
この詩は、そのお父さんに対して書かれた詩で、『単純は 最善だ』というお父さんの教え、これが杉山氏の創作に繋がり、その詩は、とてもわかりやすく平易な言葉が使われています。

もうひとつ。
これはレジメの中で、コレが一番いいなあ、好きだなあと思った詩です。

『ポケット』(『希望』収録)

ポケット

町のなかにポケット
たくさんある

建物の黒い影
横町の路地裏

そこへ手を突込むと
手にふれてくる

なつかしいもの
忘れていたもの

■西尾勝彦氏について
1972年 京都市中京区生 奈良在住
ブログ 粥彦
(なんで『粥彦』?というと、そのエピソードがまた面白いのです)
詩と写真の展示 『耳の人』ー西尾勝彦 展ー

作家や歌人、俳人、たくさんいるなかで、詩人が一番面白い、その詩人に憧れて詩を書き始めた、とおっしゃっていました。

1972年 小学校入学 一年生で習う漢字の「花」や「山」などの形に、なぜか感動する。

こ、このエピソードが、すごく面白く、ツボに入りました。
「わかるー!」というのではないのですが、西尾氏がそれぞれの文字の形に感動したことに感動しました。

2007年 美術作家 永井宏さんの通信ワークショップに参加し、詩を書き始める。
2010年 詩集『フタを開ける』(書肆山田)、『朝のはじまり』(ブックロア)刊行。
2011年 フリーペーパー『粥彦』の発行開始(現在11号)
2012年 詩集『言の森』(ブックロア)刊行。旅人と詩人の雑誌『八月の水』編集開始(現在2号)
2014年 詩集『耳の人』(ブックロア)刊行。

こちらも、Pippoさんと西尾氏が説明しながら、そのあいだあいだで、参加者さんが詩を朗読、という流れでした。
最初の朗読は『生まれて初めて』でした。

生まれて初めて

四月
堤防へ上ると
黄色のおだやかな氾濫
河川敷に降りると
菜の花が
咲いている
揺れている
生きている
近づくと
温かい薫りにほどかれる
ゆっくり
川沿いを
歩いていると
眠たくなった
こんなことは
生まれて初めて

これもまた、目を閉じて、文字を追わずに聞いていたんですが、ゆっくりとその情景、世界が開かれていくように感じました。
あと、『薫りにほどかれる』という表現がすごいねという参加者さんの発言があって、なんていうんだろう、ホントにこういうのが『詩』なんだなあ、と。

地べた

奈良は
まだ
地べたが多い
手つかずの自然が
そのままに
ある
地面の表情が
じかに見てとれる
人と同じで
くるくると
顔色を変える
(略)
空は
いつも
よそよそしげに
遠ざかっていく
地べたは
なぜか親しく
重い
(略)
ぼくは
そのまま
今日を
地べたに
ゆだねることにした

独り占め

(前略)
どこで見つけたんや と訊くと
自慢げに
庭の
とあるクローバー群生地に
案内してくれた
私も四ツ葉を探したが
一つも見つからない
残念だったので
幸せを独り占めしたら あかんで と言うと
息子は
うん と返事をした

朗読を聞いて、すごく土に近いひとだなーと思いました。
今、ワタシは、それこそ公園くらいしか土の上を歩く機会はないですが、『地べた』の詩にあるように、『まだ地べたが多い』奈良で、日常的に土の上を歩いているその実感がすごく感じられました。
生命と地面が一体化するような、自・他との境界がゆるくなるような、そういう印象でした。

もうひとつ。サインして頂いた、その詩を。

そぼく

いつからか
素朴に
暮らしていきたいと
思うようになりました

飾らず
あるがままを
大切にしたいと
思うようになりました

そうすると

雲を眺めるようになりました
猫がなつくようになりました
静けさをこのむようになりました
鳥の声は森に響くことを知りました
けもの道がわかるようになりました
野草の名前を覚えるようになりました
朝の光は祝福であることを知りました
人から道を尋ねられるようになりました
遅さの価値を知る人たちに出会いました
(略)

ポエカフェ西尾さんサイン

西尾さんの一言。


ポエトリーカフェのサイトに、この詩が書かれていて、『朝の光は祝福であることを知りました』 この一行がすごく印象に残り、えー、ノートブックに一言書いて頂く時、この話をしたところ、この一行を書いて下さいました。
(そして、22日にも関東で 西尾勝彦篇《奈良スペシャル!》としてポエトリーカフェが開催されたんですが、その時、「西尾氏は『現代日本版のソロー』」というツイートが流れてきて、なるほどー!とすごく納得しました)

Pippoさんにも一言書いて頂きました。

ポエカフェぴっぽさんサイン

Pippoさんの一言。

心『で』とか、心『に』祈ったんじゃなくて、心『が』祈ったんだなあ、とか、15歩後ろなら、この人には触れられないけど、全身を見ることができる距離だよね、とか、帰りの電車でずっと考えていました。

■ポエトリーカフェに参加してみて
最初にも書きましたが、朗読っていいなあと思いました。
関西と関東の言葉のイントネーションの違いを楽しむ、とか、別のイベントで読んでもらって涙が出た詩の話や、西尾氏も「口に出して、何度も読んで、自分でいいなと思って、それ(詩)を書く」とおっしゃっていまして。
読む、黙読するのもいいですが、声に出す、ひとに読んでもらってそれを聞くことは、ただ『本を読む』以上の何かすごいことじゃないかな、と改めて思いました。

前述した杉山氏の『戦争の後(うしろ)の隅に』ですが。
『せんそうのあとのすみに』と詠まれて、実際に内容を見てみると、「あ、これ『うしろ』かな」となりまして。
そういった、黙読の時には気づかないこと、流してしまいそうなこと、が、音読することで明確になる、その違いがくっきり浮き上がるんじゃないかなあ、と。

そして、主催の Pippo さん。
前日に、がにさんから「ぴっぽさんは近現代詩愛に溢れた素敵な方で〜」と教えて頂いたんですが、本当に、詩と詩を書く人がお好きな方なんだなあ、と。
(このサイトのライターさんにもたくさんいるのですが)「これだ」という自分の好きなことがあって、それを話すひとって、やっぱりいいなあ。
言葉をとても大切にしているというのがすごくわかる、というか、詩の朗読もそうだったんですが、普通に話されていることも句読点のメリハリがくっきりして聞こえました。

ゲストの西尾氏。
他の作家さんの講演会などにも行ったことはあるのですが、壇上と客席という距離感、今回のポエトリーカフェでの隣の隣というくらいの席にいるという距離感、それが一番違うなあ。
この詩を書いたひとが、そこにいるんだー! 座っているんだー! と。
書かれた詩、そのままの、物静かな印象の方でした。
「詩を書いていて面白いのは、こういう会に出席してひとと知り合うこと」とおっしゃっていました。

カフェ ファンチャーナさん
スタッフさんが途中から参加されて、朗読がものすごくお上手だったとか、たまごサンドがおいしかったー! とか、ホントに良いお店でした。

ワタシは一部のみ参加で、二部は失礼したのですが、その間のちょっとした時間に、お話できたのがすごく楽しかったです。
アイルランドの小説が好きなんですーとか、ワタシの本棚、ケルトの民話ケルト妖精譚ケルト幻想譚とかばっかりですーとか、ポエトリーカフェは、がにさんが教えて下さって、がにさん、あの、男性で、昭和初期のイラストとか文化とか、中原淳一がお好きな方で… とか。じ、次回はぜひフル参加したいなあ! と。

バッグ。

話のタネ:札幌芸術の森美術館で買ったバッグ

さいごに。
ああ、これ Notebookers だなあ と思った西尾氏の詩があるので、それを紹介します。
お互いのノートブックに一言、書き合ったことがある方なら、多分、すごくわかるんじゃないかと。

言の葉

大切な人が
言葉を拾っている姿を見かけたら
声をかけないでください
その人が
ペンを持ったまま
動かなくても
だいじょうぶ
その人が
黙り込んで
うつむいていても
だいじょうぶ
その人は
静かに
言葉を
集めています
その人は
素朴で
まっすぐな
言の葉を
探しています
(略)

ポエトリーカフェ主催の Pippo @pippoem2 さん
ゲストの西尾さん
カフェ ファンチャーナさん
教えて頂いた がに @G_0 さん
本当にありがとうございました♪

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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