横浜トリエンナーレに行ってきました〜No Showを踏まえて〜

Posted on 11 10月 2014 by

トリエンナーレ2014に行ってきました。

ツイッターで回ってきたRTで、トリエンナーレ2014、テーマが『華氏451度』だと知りまして。
これは行かなきゃー、ということで見に行きました。

ヨコハマトリエンナーレ2014 看板

右、鏡文字。


トリエンナーレ、展示会タイトルが上の画像の鏡文字部分、

華氏451度の芸術:
世界の中心には
忘却の海がある

です。

『華氏451度の芸術』の意味、
ブラッドベリの『華氏451度』作中の『世界の中心には 忘却の海がある』このフレーズの教訓、などは、公式サイトのコンセプトを読んで頂くとして。

見てきました。
ものすっっっごく良かったです。
その『良かった内容』のNotebookers的レポートです。

見に行かれる方は、ガイドブックを購入されることをオススメします。
ある方が、より深く理解できます。
ワタシは、このガイドブックにその場でメモを取りながら回りました。
(基本的に美術館や博物館に行くと、パンフレットやガイドブックに直接書き込みます)
ペンや万年筆は禁止なので、スタッフさんに言えば、あの、クリップみたいなえんぴつの芯がついたペンを貸してもらえます。

◎序章
作品展示室は、章立てになっていました。
横浜美術館、入ってすぐのホールにメイン展示があり。
マイケルランディ作『アートビン』が。
高さ3〜4メートルほどありそうな、大きなガラスの箱で、蓋がない。
そこには半分くらい、作品にならなかった作品、もしくはもう展示が終わった作品などが入っていました。
要は、Art bin 芸術のゴミ箱、のようです。
炊き出しの看板(なぜ炊き出しの…? と思ったんですが、TAKIDASHIカフェというプログラムがあったようです)や、仏像のような人形のようなもの、飾られた自転車、その他、が無造作に入っていました。

ガイドさんの説明があり、聞くともなく聞いていたのですが。

「もう必要のないゴミ、これから忘れられるものであるゴミ、そのゴミが入った箱がメイン展示です」
「良い作品を作るまでに、これだけの失敗がある」
「失敗しよう、そしてまた作ろう」

だ、そうです。

そのガイドさんの言葉で、すごく印象に残っているのが
「現代美術は、見たひとが感じることが大切なので、どんどん深読みしてみて下さい」
でした。

そのゴミ箱の後ろには階段と足場があり、そこからオブジェを放り込むパフォーマンスもあるそうで。
なんだか、切なくて離れがたく、しばらくそのガラスの箱の廻りをウロウロしていました。
作るひとの「これは失敗作だ」と断じる潔さ、それさえも作品にしてしまうこと、少しは愛惜があるのかなあ、とか。それを惜しいと思っても、ワタシにはどうしようもないこと、などなど考えていました。

◎第一話 沈黙とささやきに耳を傾ける
沈黙とささやき?と思ったのですが。
この部屋楽しかったですー!

【ジョンケージ】
ご存知の方も多いのでは。かの名作『4分33秒』という曲を作った音楽家です。
その楽譜10枚が展示されていました。
「うわああああーーー、コレがオリジナルなんだー…!」と、沈黙ってそういう意味なんだ、と、この展示で、すとん、と身の内に落ちてきました。

【スタンリーブラウン】
この展示も興味深かったです。
ブラウン氏が、ある場所への道をひとに尋ねるのですが、言葉だけで説明してくれたら白紙のままで、紙に書きながら説明してくれたらその紙に ”this way brouwn” というスタンプを押す、その紙を展示していまして。
(ワタシは、ひとと話をする際に、何かとメモをする、というか、ラクガキをしつつ、説明しつつ話すのが好きなので、この展示、発想はすっごく面白かったです♪)

【ジョシュスミス&アグネスマーティン】
ふたりの合作、とか、並べての展示、ではないのですが。
ワタシ的には、このふたりの作品、好対照でした。
ジョシュスミスの作品『無題』は、白いキャンバスに白絵の具で、もうめちゃくちゃに描きなぐっていまして。
(近くに寄って見ると、ものすごく筆跡が攻撃的でした)
白地に白絵の具だからできるんだろうなー、と。

対して。
アグネスマーティン作『無題#10』は、濃い灰色の地に薄い灰色(逆だったかなあ、水色?)の細い線を描いていまして。
近くで見ると、ものすっごく丁寧に塗ってあるのがわかりました。
ほとんどムラがなく、繊細、という言葉が浮かび、塗っているその作家さんの息づかいまで感じられるような、そんな画面でした。

JスミスとAマーティン解説

メモ#01

【カルメロ ベルメホ】
名前がカワイイです(スペインの方だそうです)。
えー、白絵の具を固めてキャンバスを作っていました。
作品のサイズもカワイイ、そして名前もカワイイ、スペルが ”Karmelo BERMEJO” だそうで、JO で『ホ』と読むのがスペイン、ラテン系だなあ、とか。

多分この時点だったと思うのですが、
『今日、この部屋に入ったひとのなかで、多分わたしが一番楽しんでいる、うん』
とガイドブックに走り書きしていました。ほんとうに楽しんでました。はい。

【ブリンキーパレルモ】
この部屋のベスト作品が、これまたタイトル『無題』のこのひとの作品でした。
絵の具で描いた絵ではなくて、布を使って作品にしていまして。
上半分ほどに濃い色の布、その下はやや淡い色、下から五分の一くらいはまた濃い色の布、と三色の布が張られていました。
ワタシはコレが、空と水平線と波打ち際に見えまして。
少し離れたところで、しばらく見ていました。
(なんだか、こう、座り込んでずっと見ていたいなあと思ったのですが、さすがに座り込むことはできず)
近くで見ると、布の端の変色具合などがスバラシかったです。
ずっと見ていたい、というのはコレが一番かなあ。

ベルメホとパレルモ解説

メモ#02

【マルセルブロータース】
えー、ガイドブックには『楽しい!』と走り書してました。
作品名『猫へのインタビュー』
そのものずばり、愛猫にインタビューをしてそれを録音したものです。
「これは○○ですか?」
「にゃーにゃにゃー」
というのがエンエン続く。楽しい。誰かやってみませんかー!『万年筆との対話』とか『インクとの対話』とかー!

【村上友晴】
このひとの作品も、ジョシュスミスと好対照でした。
こちらは黒絵の具を、キャンバスに塗り込んで塗り込んで、その絵の具の厚みは、もう絵ではなくて『作品』とだけ呼べるようなものでした。
それを見て、絵って「何かを描いている」ことだけが表現じゃないんだと思いました。
ジョシュスミスの荒々しい筆跡も、アグネスマーティンの優しげな筆の運びも、この村上友晴の塗り重ねた絵の具とその年月も、等しく絵であり表現であり。
現代美術のハードルがまたひとつ、低くなった? 飛び越しやすくなった?と思えました。

【イザ ゲンツケン】
リアルオースターマジックのような、どこまでゲンジツなのか、と思った作品でした。
横長の、ダイヤルやスイッチなどはついていないラジオのような本体に、二本のアンテナが立っているそれだけのビジュアルなのですが。
タイトルが『世界受信機』

あちこちから発信される声なき声を受信し、拾い集める《世界受信機》

なのだそうです。このコンセプトを読んで、ゲンツケンてやさしいひとなのだろうなーと思った瞬間、隣のブースからアメージンググレースが聞こえてきました。
なんだこの出来過ぎのシチュエーションは。

【木村浩】

「あっ そうか。」
「このことについては、黙っていることにした。」
「はい、わかりました。」
「心の中で、そっと舌を出した。」

という四つのフレーズが、それぞれ一枚の絵になっている(言葉だけど絵なんですって)作品。
やっぱり近くに寄ると、筆の跡がくっきりと見えて。
ガイドブックには「白地にグレー 筆の跡ってどうしてこう胸に迫るんだろう」と走り書きしてました。

【フェリックス ゴンザレス=トレス】
かなり大きめの(80cm×60cmくらい?)の黒い縁に赤地の紙と、薄い水色の縁に水色の地の紙が積まれていまして。
他のお客さん、ふつーに手に取ってそのまま次の作品を見に行っていて、「え?」と思い、ガイドブックを見て、更にガイドさんに確認したところ。

持って帰ってもいいんだそうです。

その紙がお客さんの手に渡り、共有されることで初めて作品として成立するんだとか。
展示品の一部を持って帰る!! 作品を持って帰るなんて初めて!!
次、いつ、こういう展示と出会えるだろう。
一枚ずつ頂いてきたんですが、すごくドキドキしました。

ゴンザレス=トレス解説

メモ#03

◎第二話 漂流する教室にであう
えー。ガイドブックには大きく『ムリ。』『つぶされる』と走り書きしていまして。
壁一面に書かれた『言葉』『文字』への思いに、ワタシみたいなヤワなのは、逃げ出すしかありませんでした。
えー、再チャレンジします。もう一回見に行きたい。本当に入口だけしか見ていないので、せめて一巡するくらいは見たいです。 

◎第三話 華氏451度はいかに芸術にあらわれたか
入口に書いてあった文章から、以下引用

小説『華氏451度』のテーマを受け継ぐかのような、
数々の現代的な表現がある。それを「華氏451度の芸術」と呼ぼう。
隠されていること/裏工作。語りたくても語ることが
許されない状況/検閲。正義と信じていたことが、
そうではなかったという事態/マインドコントロール。消滅/死。

【タリン サイモン】
作品というか、社会活動、というか、一大プロジェクトのような。
『死亡宣告された生者、他、全18章の物語」
生きているのに、政治的なことや、環境として物理的に、など、死人とされたひとたち、家族、共同体などのポートレイトと名前、そのエピソードが展示されていたんですが。
コレも、詳細は公式サイト

そのポートレイトに、ときどき、空白があります。
単に写真がない、ご家族が公開を拒否したなどなどの理由で、空白になっているんだそうです。
なんというか。
名前があり、顔が見える他の『死亡宣告された生者』、彼らに連なる家族、共同体のひとり、よりも、強烈なそれはブランクでした。
その作品の中にあっては、空白、不在だけど、確かに『いる』『いた』ひとりなのだ、と。
(この空白のポートレイトの前で、指先までドキドキしてきて動けなくなり、この後にお会いする方に助けを求めようか、どうしよう、と本気で思いました)

【ドラ ガルシア】
小説『華氏451度』のペーパーバックの複製がたくさんワゴンに積まれている作品なのですが、コレが。
文字がぜんぶ鏡文字になっていて、読めないのです。
最初、わー、と思って手に取ってみて、固まってしまいました。

本は、文字が読めないとどうにもならないものなのですが、『華氏451度』原書、そしてブラッドベリの他作品原書もワタシの英語力では、(詩的過ぎて?)ヒジョーに読みにくいです。
つまり、フツーの文字で書かれたペーパーバックがあっても、まず表面をさらりと流すくらいしかわからない。
その理解度であれば、フツーの文字のペーパーバックと、鏡文字であるこの本とどう違うのだろう。

本としての物体のありよう、本を読むこと、読んだこと、覚えていることと忘れること、マイクロチップなどに納めた知識は、という、ブラッドベリの考え、が、一瞬で身体の中をスキャンされたみたいになって、なんだか、この作品は、胸が痛むイタズラのような気がしました。

【奈良原一高】
写真作品もたくさんあったのですが、その中でも、これはもう本当に撃ち抜かれました。
他のことを考えられなくなるくらいに、見ていました。
写真シリーズ『王国』から、女子刑務所を写した『壁の中』と、トラピスト男子修道院をテーマにした『沈黙の園』が何枚かずつ展示されていまして。

女子刑務所と男子修道院、似ているような、対極にあるようなふたつ。
必要最小限、削ぎ落とされ、社会から切り離された生活を撮影していました。

タイトルは覚えていないのですが『壁の中』から。
木製のドアを撮っている一枚。
ドアに小窓があって、そこから手が(手、というか指が)出ている。
もう、ものすごく考えてしまいまして。
撮っていることを知っていて、手を出しているのか。
知らないなら、そうしていることは、どんな意味があるのか。
なにか求めるもの(こと)があるのか。

これを見ている間、呼吸していたかなあワタシ。

もう一枚『沈黙の園』から。
畑?か野原に座りこんでいる修道士の後姿でした。
左側に、あれなんていうんだろう、藁とかそういうのを突く(大きいフォークみたいな)農具、が立っていて。
その空気、空のカンジとか、孤独とか、そういうのもさらりと飛び越したような、信仰から生まれる何か、なのかなあ。

◎第四話 たった独りで世界と格闘する重労働
もうこの時点でかなり、精魂搾り取られているようでしたが、そんな状態で目が覚めました。
トリエンナーレを開催してくれて、参加者としてこの人を呼んでくれてありがとう、そう思いました。
あんまり、こう、作品を撮影しなかったのですが、これだけは躊躇なく撮りました。
一点の迷いもなく、撮りました。

【サイモン スターリング】
WBイエーツが書いた新作能『鷹の井戸』の衣装が再現されていました。
イエーツです。
ココでイエーツの名前を見ることができるとは、考えてもいませんでした。
目が覚めました。
アイルランドの幻想と、日本のお能は、何か通じるものがあるようで、ひょんなことからお能を知ったイエーツは、ケルトの神話を下敷きにしてこの『鷹の井戸』を書き上げました。
初演は1916年、この時のモノクロ写真を元に、同じ色調で再現しているそうです。

じいさまと、永遠の命を求めたケルトの英雄クーフリンと、井戸守りの女、三人の衣装で。
じいさまは、黒地に白のチェックのような、ギリシャのノースリーブのローヴっぽい衣装、クーフリンはTシャツに直接肩当てをつけたような衣装で、女性は(実は)鷹(鷹の精?)なので、鷹のマスク、袖が翼で、身頃とスカート部分が鷹の羽毛っぽいデザインです。
ようこそ、というキモチで見ていました。
20世紀初頭、日本のお能が、はるか西のアイルランドで新しい作品として書かれ、上演され、その写真だけを頼りに衣装を再現し、それがまた日本へ来てくれたこと、ようこそ、そしておかえりなさい、というキモチでした。

そして。
場所を変えまして。
もうひとつの展示場、新港ピア(新港ふ頭展示施設)。

◎第11話 忘却の海に漂う
以下、この部屋のコンセプトを引用

記憶や情報がおよびもつかない深くて広い海。
忘却の海を経て、私たちはどこへ行くのだろう。

横浜トリエンナーレ2014 施設内の作品は、撮影OKのものがいくつもありました。
SNSや写真共有サイトにアップする際のガイドラインについても書かれていました。
それでも。
この記事内には、最初の看板しか写真をあげていません。
ただずっと、文章での説明と、考えたことを書いています。
そこでこの記事のタイトル、『〜』以下、No Show を踏まえて、です。

【メルヴィン モティ】
インスタレーション、というのか、ショートフィルムなんですが。
ワタシ、ブース内で『まさかの爆泣き』でした。
ある一点に気づいた時、そしてラスト、もう喉から出るヘンな声をひたすらかみ殺していました。

そのショートフィルムは、1942年のロシア、エルミタージュ美術館が舞台で、登場人物は美術館職員の青年クプチェフスキーと、館内の作品を安全な場所へ運んだ兵士たちでして。
職員の青年は、そのお礼にと、兵士たちに、空っぽになった美術館のツアーをするのです。

ショートフィルムの画面としては、美術館(らしき)一室の窓から光が差し込んでくる、その一点だけ。
時間が経つにつれて、光が弱くなり、陰っていきます。ホントにそれだけ。ひとは映りません。
クプチェフスキーの語りだけで、進行して行きます。

メルヴィン モティが調べたところによると、ロシアの当時の話はあやふやなものが多く、検証は難しかったようですが、これは実話で、サンクトペテルブルクでは良く知られた話だったそうです。

「すっかり絵はなくなっていますが、大丈夫、しっかり解説するから」

と、始まります。
フラアンジェリコの聖母の絵、三枚の美女の絵、聖母の昇天、レンブラントの老婆と老人の二枚の絵を順番に、丁寧に説明、解説していきまして。

「絵はなくても、部屋には息吹が残っているでしょう」
「老人の絵です。ひげを生やしている。ひょっとしたらあなたのおじいさんに似ているかも知れません」

クプチェフスキーは、心臓が悪かったため、兵役を免れ、エルミタージュの科学部に所属、ガイドとしても働いていたそうです。
館内の美術品に精通していて、気さくにひとびとに接し、とても人気のあったガイドだったとか。
なので、絵があろうとなかろうと、それについて話をすることくらいは、フツーにできたワケです。

そのエルミタージュ美術館に爆撃があり、また施設が壊れたりして、美術品が傷つかないように、シベリアからきた兵士たちが手を貸してくれて、安全な場所へ移動させ、また家具を運んで手入れをしたんだそうで。
いちども美術館に来たことのない兵士もいて、クプチェフスキーは、彼らにからっぽの美術館を案内し、部屋の歴史などを話して聞かせたんだそうです。

レンブラントの解説、「あなたのおじいさんに似ているかも…」の辺りで、気がつきました。

兵士たちが見たエルミタージュには絵がなかった。
そして今、ワタシの前にも絵はない。
『絵の不在』と、クプチェフスキーの解説によって、兵士たちの状況の、追体験ができている。

この時点で、(おそらく)目と同じ幅の涙が だばー っと出てきまして。
絵画という美術館でメインになるものが不在である中の、クプチェフスキーの記憶、話して聞かせる言葉、これもまた『451度の芸術』なんだと。
このエピソード、ブラッドベリが知ったら(知っていたかも知れませんが)喜ぶだろうなあ。

レンブラントの解説のあと、部屋の歴史や、どんなことをする部屋だったのか、という説明があり、それにつれて、画面の窓からの光も弱くなり、時間が経ったなあとわかります。
そのクプチェフスキーのツアーも終わりになり、最後の挨拶があるのですが。
これでもう、ワタシ、美術館で初の爆泣きでした。

「今日の解説で、この美術館を気に入って下されば幸いです。ですが、必ず本物を見に来てください」

これはあくまで、モティの作ったフィルムなので、クプチェフスキーが本当にこう言ったかわかりません。
ですが、これはブラッドベリからの、そしてトリエンナーレからの言葉のようにも思えました。

記憶や情報がおよびもつかない深くて広い海。
忘却の海を経て、私たちはどこへ行くのだろう。

モティ解説

いわゆる『闇筆』で書きました。





No Show を踏まえて、クプチェフスキーに倣って、作品の画像がまったくない美術展レビューでしたが。
気に入って下さいますように。
トリエンナーレ、見に行きたいと、ひとりでも思ってもらえますように。

■おまけ

スタンプラリーの賞品

スタンプラリーの賞品♪ ステッカーもらいましたー♪

■おまけ2
『闇筆』とは。>>闇筆のススメ(書き方篇)

Name:
Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

Photos from our Flickr stream

See all photos

2017年11月
« 10月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

アーカイブ