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痩せたリングノート lemonade_air

Posted on 07 8月 2015 by

先日実家に一人帰省し、紙媒体の記録という記録を粗方処分した。学生時代のノート、知人と交換した手紙、それから賞状やスクラップしていた写真等を丁寧にシュレッタに通すと黄色い40Lの有料ゴミ袋が一杯になった。残った僕の記録は、折りたたみコンテナ一つ分の写真ネガ(写真部だったのだ)と数冊の稀覯本だけになった。

本棚にあった数十冊のそれほど高価ではない写真集は知人に譲り、後は古本屋に持ち込んだ。大した金額にはならなかった。ガラクタは全て粗大ごみの日に処分できるように手配し両親に任せた。丁寧に転売すれば結構な金額だったと思う。一泊二日帰省の大半をこうした作業に費やした。「まるで終活のようだ」と知人に指摘された。きっとそうなのだと思う。

深夜、@Blanqと会う。随分前に約束していた雑誌のバックナンバーと、これもまた随分前に渡すはずだったどこかの土産を渡し、市内を一時間ほどドライブした。彼が車に乗り込むと、相変わらず少し焚き火の匂いがして安心する。狩人だ。

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ドライブの途中、掘削中のトンネルを見つける。蛍光灯に照らされたその光景が畠山直哉のUndergroundのようだった。きっと僕の知らないところで、誰かが今もトンネルを掘っているのだと思うと少し不思議な気分になる。僕も誰かに必要とされるトンネルを掘っているのだろうかと帰り道で考える。

彼を家まで送ると、特に理由もなく少し遠回りして家まで帰る。途中郊外にあるセイコーマートの駐車場に車を止め、昼間処分した手紙を思い出す。6月中旬だというのに、外気は湿っていて少し肌寒い。

まだ学生の頃、僕には少し年下の好きな人がいて、その子と始終手紙のやり取りをした。インターネットが未だ普及する前、学生がPHSを持ちだした少し後の頃、BI(Before Internet)最後の世代だ。LINEもない、SMSも会社間での相互運用が始まっていない頃の話。

当時僕は好きなノートブックのメーカーが幾つかあり、新学期になると市内にあるソニープラザ(現PLAZA)に足を運び、板書用にと数冊買い求めた。meadのリングノートが特に好みで、少し広めのピンクと水色の罫線や、特有の匂いが10代の文具心をくすぐった。そのノートの頁を破り、好きだった人に手紙を書いた。何冊ものノートが春のキタキツネのように痩せるくらい沢山。

彼女は今年春、一人目を出産し立派に母親をしている。時々思い出したように彼女からSMSが届く。何でもない数行が丁度こんな感じに。

「◯◯はいつも何かに一生懸命だよね。」

そう、彼女はいつも僕を苗字で呼んだ。下の名前よりも呼びやすいらしい。

「別に一生懸命なわけじゃないよ、生きるために仕方なくやってる。」

と僕も返す。とりとめのない会話。
僕も結婚し、それなりの生活を仕方なく東京で送っている。幸せかと聞かれれば概ね幸せだろう。けれども時々思い出したように彼女かSMSが届くと、当時の彼女から、そして自分自身から手紙を受け取るような気分になる。当時の僕らから、あのmeadを破ったノートに青いボールペンで「こう」書き記された手紙を渡されている気分になる。

「34の僕はどうだい?」と。

僕はどう返信出来るだろうか。まだ答えは出ていない。

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Profile: No, I am sheep driver.

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