アドベント第二週☆☆Date with a Notebookers Christmas book(半分Vr.)(WEB版)クリスマスの思い出

Posted on 07 12月 2015 by

で読んだのか、忘れたのですが、モノを考える時『枕の上、馬上、お手洗いの中』というような言葉があり(たぶん)。
枕の上というのは、いわゆるベッドの中。寝る前とか、起きてから、すぐにベッドから出ないで、うだうだしている時間のことだと思われます。お手洗いの中、は、言わずもがな。
そんで馬上、馬に乗ってゆられている時。これは、たぶん、今で言うと『歩いている時』ではないかなあ。
この、歩いている時の、考えが浮かぶ、思いつく、その力は、どこから来るのだろうなあと思います。
(そして今回も、この前フリは記事にまったく関係がない)

◎ ● ◎ ● ◎

アドベント企画第二週目です(今回も1日遅れました)。
Date with a Notebookers Christmas book(半分Vr.)です。
コレは何かというと。
Notebookers.jp では、今年の春頃から、ショッピングコーナーが開設されました。
ライターさんたちの手作りの蔵書票やzine、ポストカードや、チャームなどを販売しています。
わたしも出品させてもらっていまして、えー、わたしは中古本を、『タイトルは伏せて』『少々の引用で紹介して』『オマケとして、本を読む前に読んで欲しい手紙と、本を読み終わってから読んで欲しい手紙』をつけて販売しています。Blind date with a Notebookers book です。

前回に続き、このWEB版、本、作品を紹介しつつ、引用しつつ、本を読む前に読んで欲しい手紙部分を記事にしようと思います。
二週目は、王道ぶっちぎりクリスマスストーリー、カポーティの『クリスマスの思い出』です。

クリスマスの思い出

絶版? まだある?

話としては…
舞台は、1930年代、アメリカの、どの辺りだろう、カポーティの幼年時代がモデルなので南部なのかなあ、どこでもいいのかもしれない、その11月の終わりの頃、大きなお屋敷?農場?で親戚たちと暮らしている語り手、七歳の男の子バディーと、その従姉で親友、六十歳のスックがクリスマスの準備をします。
ほんっとーにそれだけの物語なのですが…

お持ちの方は、ぜひお手元に開きながら、以下、お読み頂ければと思います。

P.6 夏物みたいなキャラコの服の上に…
キャラコ、インド産のコットンの布だそうです。インドのカリカット港から多く輸出されたのでこの名前に。
これは、スックの服装の説明なのですが、えー、11月も終わりの頃に、夏物のような服を着ているという、あまりいい生活、いい待遇ではないということが、(あとからもそういう記述が出てきますが)じんわりとわかってきます。

P.7 フルーツケーキの季節が来たよ!
スポンジケーキにフルーツやホイップがいっぱいのったケーキでは【なくて】、ドライフルーツを入れたパウンドケーキのようです。これも後から材料調達のシーンが出てきます。

P.7 彼女は僕のことをバディーと呼ぶ。
名前というよりは、相方、相棒の意味のバディーかなあ。

P.8 ビロードの薔薇のコサージュがついたつばの広い麦藁帽だ。
麦藁帽というと、これもやっぱり夏の帽子だよなー。
11月も終わりなら、毛糸の帽子とかかぶるよなー、と思ったり。
やっぱり、いい待遇じゃないような(というか、服装じゃなくても、あとあと、そういう記述が出てくる)

この辺りから、フルーツケーキを作りはじめます。
まずは材料の調達から。

P.11 ピーカンの果樹園まで…
ピーカンナッツ、ペカンナッツとも。果樹園て書かれてますが、果物じゃなくて、木の実。
そして、木の実摘み、という、優雅なモノではないようです。
えー、彼らふたりは、風で落とされて、地面に残っているナッツを集めるんですが、その果樹園の持ち主は、彼らとはあんまり関係がなさそうな、えー、そういうカンジでの、ナッツ集めです。
集めたナッツを割って、実を取り出しながら、つまみ食いは厳禁、「一度食べはじめたら我慢がきかなくなるからね」と。ホントにゆったりしたいい時間が流れている、そういうシーンです。

P.15 サクランボとシトロンとジンジャーとバニラと…
そして買出しの計画です。
シトロン、柑橘系果物、シトラス系とかいう、アレです。
すっぱい。クエン酸の大元になる果実だそうです。

P.22

映画を見ることの他に、彼女がこれまでに経験していないことはいろいろある。レストランで食事をしたこともなければ、家から五マイル以上離れたこともない。電報を打ったこともなければ受け取ったこともないし、漫画新聞と聖書以外のものを読んだことがないし、化粧品をつけたこともないし、呪いの言葉を口にしたこともないし、誰かが痛い目にあえばいいと声に出したこともないし、故意に嘘をついたこともないし、腹を減らせた犬をそのままうっちゃっておいたこともなかった。次に彼女がこれまでやったこと、あるいは今やっていることをいくつかあげる。この橡で人目に触れた中ではいちばん大きなガラガラ蛇を鋤で突いて殺したし(全部で十六匹のガラガラ蛇を彼女は殺した)、嗅ぎ煙草をやっているし(こっそり隠れて)、ハチドリを手なずけようとして(やってごらん、むずかしいものだから)指に乗るところまでいっているし、怖くて怖くて七月でも背筋の凍りついてしまうようなオバケの話をするし(僕らはふたりとも幽霊の存在を信じている)、ひとりごとを言うし、雨の中を散歩するし、町で一番綺麗な椿を栽培しているし、昔のインディアンの薬の配合法を全部知っている。魔法のいぼ取り薬だって作れるのだ。

わたしは(たぶんですが)、このNotebookers.jpで、一、二を争うものは多いのですが(迷子になる、とか、文具に関係ない記事を書いてるとか)、そのひとつに箇条書きの多さというのもあると思われます。
こういうふうに、例を出されて並べられるの大好き。雨の中を散歩する、いいなあ。

P.26 僕らのフルーツケーキの材料の中ではウィスキーがいちばん高価であり、しかも手に入れるのがむずかしい。ウィスキーの売買は州法で禁止されているのだ。
この作品自体は1956年に書かれていますが、舞台は1930年代でして、この頃はいわゆる禁酒法時代なようです。
お酒を飲むことも販売することも禁止されていて(もちろん、違法に作って売っていたワケですが)、このため、この頃アメリカでカクテルが流行り出していたのに、仕事をなくしたバーテンさんたちが軒並みヨーロッパへ渡り、ヨーロッパでカクテルが流行して展開していったとか、バーでの小咄、ジョークなどが披露される場をなくしたため、そういった雑誌が流行したとか、お酒を飲むことを禁止された割にはオモシロい時代であります。

P.33
ふたりは、ネイティヴアメリカンのハハ・ジョーンズさんが経営しているカフェへ、ウィスキーを買いにいきます。そんで…

「ねえハハさん、もしよかったらおたくの上等なウィスキーを1クォート頂きたいんですが」(略)
「おたくら、いったいどっちが酒飲みなんかね?」
「フルーツケーキを作るんですよ、ハハさん。料理に使うんです」
その答えは彼をがっかりさせる。彼は眉をひそめる。「立派なウィスキーをそんなことに使っちゃもったいねえな」(略)
「二ドルだよ」
僕らは五セント玉と十セント玉と一セント玉で代金を払う。彼は手の中に硬貨を入れて、まるで一握りのサイコロを振るようにじゃらじゃら音を立てているが、突然優しい顔になる。「なあ、お前さんがた」と彼はもちかけるように僕らに言う。そしてその金を僕らのビーズの財布の中にばらばら戻す。「金はいらんから、かわりにフルーツケーキをひとつ届けてくれや」

訳者村上春樹が、訳者あとがきで、この物語の一番の特徴は悪意の不在だと書いています。
理解のない親戚たちは出てくるのですが、主人公ふたりに関わる登場人物は、基本として、主人公ふたりの写し鏡のようでして。
このハハ・ジョーンズという人物、えー、密造酒を作っていて、(カフェと書かれていますが)殺人事件が起こるようなバーの経営者なのですが、クリスマスという季節もあるのか、こういった、優しい、思いやりのある面も見せてくれるのです。
二ドル分の小銭を手のひらでじゃらじゃらいわせて、財布に戻す、ハハジョーンズさんの台詞もモノローグもありませんが、それが自然と浮かぶような、ホントに大好きなシーンです。

P.34

それらのケーキはいったい誰のために焼かれたのだろう?
友人たちのためだ。でも近所に住む友人たちのためだけではない。割合としてはむしろ、おそらくたった一度しか会ったことのない、あるいはただの一度も会ったことのない人に送られるものの方が多い。(略)例えばローズヴェルト大統領、たとえば牧師のルーシー夫妻。(略)あるいはカリフォルニアに住むウィストンという若夫婦。ある日の午後に彼らの車が僕らの家の前でたまたま故障したのが縁で、一時間ばかりうちのポーチで僕らと楽しくお喋りしたのだ。こういうとなんだか、僕らにとってのいちばんの友達はまったくの赤の他人だったり、あるいはほんのちょっとした縁しかない人たちだったり…

遠くにいる見知らぬ隣人たち。
こういう感覚、とてもいいなあ、好きだなあと思います。

あと、村上訳だなあ。ローズヴェルト、ルーズベルト大統領です。
“Franklin Delano Roosevelt”

そしてケーキが出来上がり、見知らぬ隣人たちに送られます。
そんで一年かかって貯めたお金もなくなり、もちろんケーキも残っていません。
『僕』はがっかりするのですが、スックは、残ったウィスキーでお祝いをしようと言い、飲んでいい気分になって歌い出して…
このあと、すごくいいシーンがあるのですが、それは実物を読んで、これもまた味わってみてください。

そしてクリスマス当日。

P.65 まずは豪勢な朝御飯。思いつくかぎりのものはみんな揃っている。ホットケーキ、リスのフライから、とうもろこしのグリッツ…
クリスマスの朝御飯です。ホットケーキはともかく。
リスのフライ。リス、漢字にすると栗鼠、英語なら(発音が難しい) ”squirrel”
割と食用にされているようです。『栗鼠のシチュー』も読んだ覚えがあるようなないような。
グリッツはお粥のようなもので、主食のひとつ。

もちろん、ふたりもプレゼントを贈り合います。
その贈り物で、ふたりは静かな、満ち足りた時間を過ごし、そしてスックが言います。

「これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ、神様は前々から私たちの前にそのお姿を現わしていらっしゃったんだということを。物事のあるがままの姿」ーー彼女の手はぐるりと輪を描く。雲や凧や草や、骨を埋めた地面を前足で掻いているクィーニーなんかを残らず指し示すかのようにーー

この作品の紹介や、村上春樹氏の訳者あとがき『『クリスマスの思い出』のためのノートより』にも何度も出て来る言葉のひとつとして『イノセンス』があります。

それでも、ここに描かれているのは完璧なイノセンスの姿である。そのイノセンスは無垢な少年としてのバディー、世間から外れてしまった童女のような六十歳のスック、そして犬のクィーニーという三者によって形成されたサークルの中にひっそりと維持されている。彼ら三人(二人と一匹)は誰もが弱者であり、貧しく、孤立している。しかし彼らには世界の美しさや、人の抱く自然な情愛や、生の本来の輝きを理解することができる。そしてそのような美しさや暖かさや輝きが頂点に達して、何の曇りもなく結晶するのが、このクリスマスの季節なのだ。
そのような種類のイノセンスは多かれ少なかれ誰の少年期、少女期にもあるものだろうと思う。
(略)彼らは自分たちだけの小さな別のミクロコスモスを作り上げて、そこで生きていこうとする。(略)
しかし、多くの人々は、成長するにしたがって、大人としての能力を身につけるにしたがって、そのような記憶を少しずつなくしていく。
しかしカポーティは成長したあとでも決してその思いを忘れなかった。忘れ去るにはそれはあまりにも鮮烈な体験であったし、そういう意味ではカポーティは成長をしなかったのだ。

この最後の、カポーティは成長をしなかった が、もうずっと忘れられない一文でして。
この一文と呼応するようなスックの台詞があり、カポーティも同じような思いをしたのかなあとずっと思っています。

カポーティには。
フィリップ シーモア ホフマン主演で『冷血』が完成するまでの経過を描いた、カポーティの自伝的映画がありまして。
ニューヨークの文壇で作家たちに囲まれての皮肉な物言いと、死刑囚に対する優しさと思いやりと律儀さが、ものすごく対照的に、かつ、自然に、ふたつながらに在りました。
この映画を見た時、後者、死刑囚に対する優しさ、は、成長しなかった部分のカポーティなのだなと、ほんっとーに自然に思い浮かびました。

そのイノセンスという言葉から連想されて引き寄せられる、静かで、冷たくて、透き通る冬の光に照らされたような、本当にクリスマスを喜びながら待つ物語だなあ。
暦に頼ったアドベント、ロウソクを一本ずつ灯す、のではなく、その季節の空気を肌で感じることから始まり、ふたり(と一匹で)作り上げていく、クリスマスの四つの精神、親切、許し、恵み、喜びの物語かと。

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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