旅に出て かえるみちを忘れてしまったとき

Posted on 25 12月 2015 by

リスマスの荒技的な想い出とゆーと、某川河川敷でのクリスマスファイアかなあ。
「集まるよ」と友達から連絡が入り、(たしか)金曜日の夜に某川河川敷で集合しました。
ちょっと火を焚いて(事前に消防署に連絡して許可もらい済)、下準備してきてくれた豚汁を温め、持ち寄りのケーキのお皿がないため、豚汁用のお椀に入れ、飲物は、コーヒーか、お湯割りウィスキーの二択。
仕事帰りのひとが多かったため、女性用に着替えのための小さいテントがあり(寒いからジャージその他着替え持参の指定あり)。
集まった割には、プレゼント交換や、何かゲームや催し物などは【なく】 ただ話をして、ちょっと食べて飲んで、聖歌隊出身者がいたので歌ってもらって(そして、その数人、カトリックとプロテスタントと両方いたので、賛美歌の歌詞が微妙に違っていてオモシロかったです)えー、寒風吹きすさぶ中、湧かしたお湯の湯気がやたらと暖かく見えたのを憶えています。

◎ ◆ ◎

ごくごくごくたまーにツイートすることがあって、それと重複してたりしますが。
2と3/4回ほど、よその国を月単位でうろうろしました。そのうち1回は帰る日が(だいたい)決まっていたので放浪という言葉を使うには、ちょっと申し訳ない。
ノートブックにも多少は記録しています。その記録から少し書きます。

■ □ ■

その放浪モドキ、そのうちの1回は、何かから試されているような経緯から出かけることになった。
出発の希望時期を上司に伝えたら、「その時期は新しい企画があるから、もう少し伸ばして欲しい」と言われて、その時は見送った。
そうしたら、出発を希望してた日の5日後、グラウンドゼロが起こった。
「あー、行かなくて良かったー」と思うよりも、より一層「行きたい」と思ったことを憶えている。
そういうことが起こるかもしれない時代になったのなら、行きたいところには行っておかないと、と考えた。
その8か月後、出発した。

■ □ ■

この旅を手配してくれた旅行社の担当の方が、出発前に言ってくれた。
「行った先の国で、できるだけ、その土地の言葉を話して下さい。そこの食事をして下さい。できれば友達を作ってきて下さい。そうしたら、その国はあなたとは無関係でなくなる」
あー、このひと、星の王子様を読んでいるひとなんだ、と思った。

☆ ☆

旅ノート

旅ノート


一番下のノートブックはベトナムで買ったもの。もう一冊買って、しめて15,000ドン(約130円)。
もともと持って行ったのは小さいメモ帳だったので、何かと書いていたらすぐに紙面がなくなった。
フォーマットが普通の罫線ではないのが面白い。

以下、ここへ行って、次はあそこへ、と厳密に順番立てていないし、あんまり時系列順でもない。

☆ ☆

上の画像、ノートブックを買ったのはベトナムのネットカフェのようなお店だった。このお店で、なぜか果物をごちそうになり。
ベトナムの印象として、ノートブックには「光がきれいだった」と書いてある。
今でもベトナムで憶えているのは、バスから見た朝の時間、とある家の前でおばさんが屈んで、何か、洗っているのか、水仕事をしていて、そこに光がさしていて、その光がとてもきれいだったこと。
(そして、市場で、おじさんに「この季節(6月くらい)にベトナムに来るお前はばかだ」と言われたことも。本当に暑かった)

食事はびっくりするくらい、日本のものに近かった。かつおだしで煮たような野菜とお肉の煮物とか。
あと、フォー(?)ベトナムの麺のお店、ソースやお醤油の入れ物(わかるかな、ああいう入れ物)に、レモン汁が入っていて、ふつーに置かれていた。
行く前にさんざん脅かされた『生水厳禁』、着くなり早々に禁を破り、いきなりかき氷を食べた。
つぶあんと、こしあんと、数種の豆、タピオカ、赤いびよんびよんのゼリーみたいなもの、ココナッツ、フルーツ各種が盛り込まれた豪華かき氷。暑い季節だったので、ほぼ汗になって流れた。

☆☆

シンガポール、バスを待ってた時だったか、バンドのご一行様と一緒になって。
わたしが日本の大阪から来たというと、リーダーとおぼしきおじさんが「わたし、昔、大阪の某市の某々町に住んでたんだよ」と言った。
その某々町は、その時、わたしが住んでた町のすぐ隣の住所だった。こういうことも起こる。

☆ ☆

エジプトの港のあたりを歩いていたら、船で作業しているおじさん数人に投げキスをされた。
たぶん、こういうのは慣れていないとサマにならない。そしておじさんたちは、とてもサマになっていた。

ここで沙漠で晩ごはんを食べに行った。
この記事にコーヒーの淹れ方を書いた
沙漠と赤っぽい土が剥き出しになった山がずうっと続く。
緑がない。映画でしか見たことがないような風景。

食事。
わたしは、よその国に行くと、とにかく何でも食べる。上記に書いた通り、ベトナムでも「あまり口にしないように」と言われていた水、それから作られた氷、かき氷も食べた(運が良かったのか、何でもなかった)。
そして、たいてい何を食べてもおいしい。
この時の食事で憶えているのがにんじんのグラッセ。
赤くてきれいな色で、見た目は完璧にグラッセだったが、食べるととんでもなく辛かった。
唐辛子やそういう辛さではなく、塩でもなく、なんの辛さなのか未だにわからない。

メシメシ(てな発音だったと思う)という薄いオレンジ色の果物も憶えている。
見た目が枇杷そっくりで、甘くて、よっぽど気に入ってたのか、ノートブックにはイラストまで書いて残している。
民俗舞踊も見た。
スーフィダンスやベリーダンスなど。あと、水瓶を逆さにして底を叩いてリズムを紡ぐ演奏などもあった。
その踊り、公演を夢中で見ていたら、いつの間にか踊り子のおねーさんと馬(のかぶり物のひと)が客席を回っていて写真を撮ったりしていたらしい。
その馬役のひとが、たぶん、キスのつもりだったんだろう、その馬のかぶり物の鼻のあたりを、夢中になって踊りを見ていたわたしの頬にくっつけた。
その瞬間、わたしはものすごく驚き、固まった。
そんなに驚くとは、おねーさんも馬役のひとも思ってなかったんだろう、ものすごく謝ってくれた(と思う。たぶん)。アラブ語?エジプト語だったのでわからない。
そして、そんなに星がある空を見たことがなかった。金星と木星がはっきり見えた。

☆☆

アドリア海。
船に乗った。
夕日が落ちた後に、ガスか霧が出て、来た跡も行く先も見えなくなった。
空と海の境目もわからなかった。
灰色の水面に、オレンジ色の残照がかすれるくらいに映っていて、違う次元に行くというなら「そうかー」と納得するくらい幻想的な空間だった。

クロアチア、ドヴロブニクの旧市街。
聖ブラホ教会。
日曜日だったのか、礼拝をしていて、ちょっとだけ、と入った。
言葉を失うほど美しい聖壇だった。
神父さんがふたりくらい出て来られて、アメージンググレースの合唱になった。
この瞬間、例えば雷に撃たれて死ねたらどんなに幸せだろうと思った。
聖ブラホ、左手にドヴロブニクのミニチュアを持ち、右手を掲げている。
左手は街を守り、右手は誰もドヴロブニクを打たないように、との意味。

ここでも迷子になった。
どこかわからない裏道に入ってしまって、階段があったからそこを登った。
そこにも教会があったので入ってみた。
入ったら、聖堂全体、四面とも聖壇で、ここでも言葉をなくした。
ひともほとんどいなくて、ずっと立ったまま、ただ聖壇を見ていた。
今でも、あの聖壇の細工は憶えている。思い出せる。
帰る際に、寄付の箱に何がしかのお金を入れた。
クロアチアを出てから、聖イグナチウス教会という名前だと知った。

海の幸の昼食。
ノートブックに書いているメニューとして
・海の幸盛り合わせ
・ムール貝のトマトソース煮
・魚のソテーとサラダ
・デザート(プディングの生クリーム添え)

ノートブックに書いてある謎食物。

クロアチアの謎食物


なんだろう、いわゆる食用菊とかパセリのような飾りものだったのか。
食堂を出る直前に、ウェイターさんがわたしに向かって手招きするので、二、三歩、そっちに行った。
すると調理人さんが奥から出てきて、わたしに手を振った。何のことかわからなかったけど、わたしも手を振り返した。
たぶんだけど、食事、ほぼ完食したからかなあと思う。
サラダ(と上記の謎食物)以外は、ほぼ全部食べた。
サラダの野菜がとにかく、キュウリ、トマトなど、ひとつひとつが巨大で、かつ大きな一切れで。
キャベツなどは、ひとつ分の四つ割りがごろん、と。

旧市街、門の所で(ロマ?)のじい様がハモニカを吹いていた。
あんまりいい楽器じゃないのか、音が掠れている、というか、軋むような音で、それでも素通りできず、隣に座ってしばらく聞いていた。
なんでわたし、ここをあと数時間で立つんだろう、と思った。

☆ ☆

スペイン バスク。
世界の庭公園で迷子になった。
ベンチで新聞を読んでたおにいさんに道を教えてもらった。
英語ぜんっぜん通じなかったけど、地図を見せて、なんとか身振りで教えてもらえた。
そして、なぜかバスク語での「おはよう」「ありがとう」の発音練習も。
ありがとう、バスク語で「エスケリカスコ」と言う。
ここの公園で、桑の実を食べた。
そこいらじゅうに実っているので、ちぎって、食べる。
黒いのがよく熟していて、明るい赤っぽいのはまだ酸っぱい。

おじさんたちが軒並み、ハンチング帽をかぶり、ネクタイにセーターといういでたちで、とにかくカッコイイ。
そしてバスクの記憶と言えば、何をおいても「食事がおいしかった」ということ。

某バルでの昼食。
○オープンサンドというよりカナッペ?(ひとくちサイズのパンの上に具が)
・たまねぎとツナ
・なんだかよくわからない白いふよふよしたもの(チーズ?)
・生ハム

○サンドイッチ
トマト、レタス、たまご、ハム。
シンプルだけど、素材ひとつひとつが美味しかった。と書いている。

○シャンパン

さらに別の某バルで軽食(要は「もっと食べたい」という、そのー)。
○(こちらでも)カナッペ
・えびと野菜
・クリームコロッケのようなもの
・具だくさんのオムレツ
○絞り立て、ちょっとつぶつぶが残っているフレッシュオレンジジュース
○デザートはカスタードのお菓子 シナモン風味

ノートブックの見出しを『グルメ DE バスク』としているくらい、食をエンジョイしてた。

人類史上初の空爆が行なわれたゲルニカは、このバスクにある。
(ピカソの『ゲルニカ』はマドリードにある)

☆ ☆

イギリス。
なんかチョコレートとウォーカーズのショートブレッドばっかり食べてた。
ミュージカル”Kiss me Kate”を見た。

一輪の花束

印象的。

ドラッグストアで、絆創膏を見た。濃いチョコレート色から、淡いピンクっぽい色まで。
シンガポールでも見たけど、こちらの方が色の展開は多かったような気がする。ビバ多様性。

☆ ☆

カナダ バンクーバー。
ノートブックのページが途中で足りなくなって、二冊ほど現地調達した。
行き当たりばったりで、ふと見かけたドラッグストアに入ったら、それこそ『SMOKE』のオーギーレンの煙草屋のようで、カギのついたキャビネットに葉巻やライターが陳列されていて、ものごく大きなナイフも飾られていた。
「お店、間違えた? ノートブックとか置いてなさそう?」と思ったら、マークトウェイン似のご主人が出てきた。
ノートブックとボールペン、ありますか、と聞いたところ、足元の方の引き出しから出してくれた。
何種類かあって選べる、というのではなく、渡されたもの一択だった。
他には?と聞かれたので、チョコレートと言ったら、ちょっと嬉しそうにチョコレートのコーナーを見せてくれた。ハーシーの板チョコを買った。
またこのお店で買おうと思ったら、見つけることができなかった。

もう一件、憶えているお店がある。
これは宿の近くにあった。
中国系のじい様がやっている店で、ここもいわゆる何でも屋で、お菓子からパンからペーパーバックから、ちょっとした衣料まで、何でもあった。
通ううちに、声を掛けてくれるようになって、可愛がってもらった。
出国する直前に挨拶に行って、一緒に写真を撮ってもらった。

バンクーバーは、とにかく、水がおいしいところで、カフェでもレストランでも、水は無料。
街にふつーに水が飲める水道があって、足元には犬用に蛇口まで用意されている。
港にあるベンチが好きで、そこでしょっちゅうノートブックを書いていた。

ここでも、ちょっとした植え込み、というか、茂みがあると、だいたいブラックベリーがなっていた。
これまたちぎって食べる。
これも黒いのが熟していて、ちょっとつまむとぽろりと落ちる。
緑っぽいのはまだすっぱい。さわっても、固くて採れない。

☆ ☆

タンザニア。
バスで移動中、うたた寝をしていたら起こされて、キリマンジャロだと教えてもらった。
外を見ると、山が連なっていて、どれも同じような高さなので、どれがーーと思った瞬間、目が覚めるくらいの神々しい山があった。高さも、他の山とは桁違いだった。そしてなぜか女性的な印象だった。

ここで見たキリスト教の縦に深い洗礼槽が、リビアで見たローマ式の洗礼槽とそっくりだった。

星も見た。
南十字星はたぶん、あれだ、と、思い込むことにした。

ダルエスサラームの食事。
なんでも記録してたら思い出すものだなあ。
(パパイアみたいな)ポポというフルーツがおいしかった、と書いている。
あと、朝食にフライドバナナ、焼いたバナナが出てきた。
食べるとジャガイモのような味。
たまごは白。ゆでたまごなら、どこを食べても真っ白。
スクランブルエッグなら淡雪のようだった。
山間部での主食はウガリ。

あと、山間部での宿泊。
ここで、わたしは『電気が通っていない』ことを事前に教えてもらってたんだけど、わかっていなかった。
ランプが灯されたあの瞬間を今でも憶えている。

ザンジバル 別名『香料の島』
ここでは、どんな料理にもたっぷり香辛料が使われる。
焼き魚、野菜サラダ、煮物、オレンジジュースにも香料が入っていた。
レモングラスティが絶品。
ザンジバルの女性が着ているタンガという民俗衣装と同じくらい、食べるものも色あざやかだった。
食事が一品出てくるのに40分ほどかかる。4品出てきたら160分、19時からの食事でも、デザートが出るのは10時前後。

パジェの海辺は2キロとか3キロとかの単位で引き潮になる。
丸みのある水平線、視界の3/4くらいが海で、扇の要に立っているような気がした。
波打ち際を歩いてたら、地元の海藻取りの女の子ふたりに「迷子か」と心配された。

ホテルで荷物を運んでもらったポーターさんが「水はいらないか」というので買ってきてもらうことにした。
たしか2シリングだったと思う(200円ちょっとくらい)。
行ってもらっている間、そーだ、チップを、と思い、小銭はドルしかなかったので1ドル渡すことにした。
ポーターさんが戻ってきて、水のペットボトル(それも500mlじゃなくて、どかんと1リットル。いわゆるファミリーサイズ)を受け取り、チップを渡した。
するとポーターさんはビミョウな表情になって「まだここにいるか」と聞いた。
夜に出かけると答えたら「待っていろ」と言われて、ポーターさんは部屋から出ていった。
アメリカのお金、失礼だった? とか、それともチップそのものが失礼? とか、イロイロ考えてぐるぐるしていたら、ポーターさんが戻ってきて「お釣りだ」と、なにがしかの小銭を返してくれた。

あとで地元に詳しいひとに聞いたところ、そのポーターは、チップ込みの料金を最初に受け取ったんだろう、そして、それとは別にチップだと1ドル渡されたので、最初に受け取った金額と実際の水の金額との差額を返してくれたんだろう、とのこと。
アラブ系のひとから、お釣りを受け取るというのは貴重な体験だ、と聞いた。

マコンデという黒檀でつくったキリスト像や聖母像も見た。
中国のキリストは幻獣に乗って仙境を行くという。この国のキリストや聖母マリアの肌は黒光りしていた。
フクウェ ザウォセの音楽を聴いたのもここだった。

ザンジバルでも船に乗った。
桟橋で船を待っている間、なんだか2、30人のひとたちが歌いながら踊りながらやってきた。
年齢もまちまち、上は70代くらいのじい様から、下は6、7歳くらいの子供たちがいた。
ドレミじゃない音階で、歌って、足を踏み鳴らし、手を叩いてリズムをとって、踊っていて、船が来るまで、ちょっとしたお祭りのようだった。

昔ほどの評判はない笛やタンバリンを打ち鳴らして舞い戻り、エルサルンの薬師の神はんが盛りはったという、どことのう胡散くさい痩せ薬のありがたい効能をわめき立てるジプシーたち

初めてこのあたりの文章を読んだ時、とても懐かしいように思ったのは、これの記憶かな、と思う。
国はぜんぜん違うけど。
地面から沸き立つ、音が力、エネルギーとなってうねり上がってくる、ザンジバルの音楽のイメージ。

写真はあまり撮らない。自分が見たサイズ、角度、色がそのまま残せないからだ。
(ちゃんとしたカメラを使って、きちんと勉強すれば、それに近いものは残せるだろうけど)
時間がもったいない。実物がそこにあるのだから、わたしの目で見ていたい。
だから、わたしのノートブックには写真はあまり貼っていない。その分、文章で書いている。
例えば、どこかに一緒に出かけたひとがいて、そのひとが写真を撮っているとする。
たぶん、わたしが見て、憶えているものと、そのひとが撮った写真とは、色とか角度とか、微妙に違うはず。
そのわたしの勝手な記憶の方がわたしには貴重だ。
わたしの記憶が、写真と少々違うからといって、それが間違いとは限らない。

☆ ☆

宿。
夜、枕に頭を落とすその瞬間がいつもとても好きだ。

歩く。
歩いて街やそこのひとを見て、自分が、その街に対して明らかに異分子であったりすると、本当に嬉しくなる。
旅で一番楽しいのはこれかも知れない。

タンザニアにバガモヨという港町があって、ここからザンジバルへ行く。
バガモヨ、スワヒリ語で「わたしの心をここに残します」という意味だそうで、ザンジバルから戻った時に、港で道を聞いたおじさんに教えてもらった。
「あなたの心も、ここに残る」
と言ってくれた。

☆ ☆

自分を見つけには行かない。

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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