Categorized | Life, Recommend, 世界の果て

Tags |

ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話 Kyrie

Posted on 29 12月 2015 by

DSC_1723

 

祖父母が瀬戸内海のほぼ無人島状態に住んでいた。
母が子どもの頃は中学校まである島だったが、過疎化が進み、祖父母以外にはみかん畑の世話や収穫にたまに人が来るだけになってしまった。

祖父は船を一艘持っていて、私たちが遊びに行くと最寄りの小さな港まで迎えに来てくれた。

私の両親は共働きだったので、夏休みなどの長期の休みは島に預けられることが多かった。

島には水道、ガス、電気は通っていない。
水はポンプで。真水かと言われれば塩分が含まれていたようだったが、喉が渇くとポンプを押して柄杓で受けて飲んでいても問題がない程度だった。
ガスは祖父が最寄りの島からプロパンガスを買ってきていた。煮炊き用。ちなみに七輪は現役。お風呂は薪。
電気は自家発電。主に朝夕の祖父と彼の息子たち(私の叔父)との無線用。あるいは大好きな野球の試合を小さく映りの悪いテレビで見る用。島の暮らしの最後のあたりは食事をする部屋に蛍光灯がついて、夜なのに明るい中で夕ご飯を食べた記憶もある。

食べ物は半自給自足。
米や調味料は買っていたが、祖父母は畑で野菜を育てたり、釣りをしていた。私が遊びに行ったり、預けられたときにはその手伝いもしたが、どちらかというと「下手なことをしてケガをさせてはならない」という祖父母の必死の思いのせいか、あまり手伝いはしなかった。

そんな中でも「食料を得る」ためにいくつかやったことがあるので、書いてみることにする。

■キイチゴ、ワラビ

葉っぱが大きなカエデに似ているので「カエデイチゴ」と呼ばれる、オレンジがかった黄色のベリーがキイチゴ。
なんて書くとすごく洒落ているようだが、味は素朴で、ジャムには向かない感じ。
キイチゴがなるのは「麦秋の頃」と教えてもらい、私は「麦秋」ということばとその季節を覚えた。
キイチゴは祖母の家のすぐのやぶの中に生えているので、カヤで手を切らないように気をつけながら、もいでは口に入れもいでは口に入れしてた。

ワラビはテントウムシと一緒に採っていた。
アクを抜いて炊いたり、祖母の春のちらし寿司に入っていることもあった。

■エビ

エビ、と言いながら、このエビにはハサミがある。オスのハサミのほうが大きい。天ぷらにするとうまいのだが、ハサミが固いためオスは敬遠されがち。
潮が引いた後、裸足で海に降りる。
エビの巣らしい穴を見つけると、穴のちょっと奥から足で踏む。要するにエビの巣を奥から潰して、逃げ出てきたところを捕まえる寸法だ。
この獲り方のせいか、エビを獲ることを「エビ踏み」と言っていた。

■アサリ

潮干狩りと同じ要領で、ひたすら潮の引いた改定を掘る。
このアサリの入った祖母の春のちらし寿司は美味しい。

■魚

瀬戸内では竿やリールを使わず、釣り糸に錘と針をつけただけの釣り方がある。「しゃくり」と呼んでいた。私は竿釣りをしたことがなく、このしゃくりのみ経験がある。
木枠の糸巻きにまかれてある道具を手渡される。針にゴカイをつける。たまにホンムシ。ゴカイよりホンムシのほうが大きくて美味しそうなのでホンムシがあると「釣れる!」と興奮する。ゴカイを針につけるとき、ゴカイに黒い牙があるのを知った。小さい頃の記憶だけど、あるよね?
エサをつけ終わると船べりから錘と針を海に投げる。遠くに投げすぎてもよろしくない。それからすぐに糸巻きから糸を出す。錘に引かれて針はみるみるうちに海底に沈む。ちゃんと底に着くまで糸を出す。糸が動かなくなったら、少し糸をたぐる。そのままにしておくといわゆる「地球を釣る」事態になるからだ。そうなると厄介で、糸が切れると針と錘を失うことになる。痛手だ。また、藻がたくさんあるところは「もば(おそらく藻場と書くのだろう。きちんと教わったことがない)魚もたくさんいるが、今度は藻を釣り上げる率も上がる。私のような不慣れなちびっ子には難しい場所だ。
魚がかかるまで暇だ。人差し指に糸がくるようにしっかりと釣り糸を持っている。両手を使わなくてはならないときは誰かに預けることもあったが、あまり近くで釣ると針が当たって危ないので小さい船だが、ぴったりとくっつかないように座っていた。そのため、裸足の親指に一時的に糸をまきつけ作業をする。なんて書くとカッコいいが、そういうときには大体、祖母が持ってきてくれたお菓子が回ってきて食べるときが多かった。
魚がかかると指先に釣り糸からのビビビビとなんとも言えない振動が伝わってくる。
そうなると一度大きく糸を引く。針を魚に確実にひっかけるためだ。そして手早く糸を手繰り寄せる。これも木枠の上でなくちょっと離れたところの渦を巻くように手繰り寄せる。これをうまくしないと糸がもつれて、祖父の雷が落ちる。祖父や祖母が網を持って海面を見つめる。私も逸る心と一体となったように巻き取る手を早める。
水底から白い腹を見せて魚が上がってくる。活きがいいと針が外れることがあるので、ある程度になったら網ですくってくれる。魚を上げる場所も木枠や渦巻くように手繰り寄せた糸の上ではなく、そこから離れたところにする。そう、糸が絡まるから。
魚から針を外し、船のいけすに入れる。誇らしい気分になる。そしてゴカイをつけるところからまたやる。
誰かが釣ると悔しくなる。
釣り上げた魚が猛毒を持つオコゼのときは船が大騒動だ。水面近くまだ手繰り寄せた魚がオコゼだとわかるや否や、糸は祖父に渡す。祖父は注意深く船に上げるととにかく木で叩き殺す。そして海に放り投げる。残酷かもしれないが、刺されると手だてがない。島には祖父母しかいないのだ。病院も薬局もないのだ。
私がよく釣っていたのはギザミとドウマル。ギザミは標準的な名前だとベラというらしい。なんだかしっくりこない。オスが青(といっても緑)でメスが赤。赤ギザミのほうが美味しい。ドウマルはハゼの仲間らしい。ほかにもタイやキスを釣ったこともある。

■カキ

冬休みに預けられた頃は、私も小学生高学年になっていたと思う。
冬の島は夏より危険がいっぱいだし、外に出て遊ぶのも難しいので小さい時には無理だったのかもしれない。
広島ではカキの養殖が盛んだが、島の岩には小さなカキがたくさんついていた。それをカキ打ちの道具(金づちのように木の柄に鉄の部品がついている。先がとがっていた)で貝柱を狙って穴を開け、殻の上蓋(?)を開いて中の身を取り出す。
私がやると身が崩れていることが多かったが、祖母はうまかった。
大きさは大人の親指くらい。小さいが味が濃い。酢牡蠣といって、よく洗った生ガキをお酢の割合が多い酢醤油に浸したものが美味い。柚子の皮で香りをつけると最高!子どものくせにこんなものやヌタ(生の魚の切り身を味噌、酢、刻んだシソで和えたもの)が好きだったため、「将来、この子は呑兵衛になる」とよく心配された。ちなみに呑兵衛の血は引いてるものの、アルコール分解の酵素の所持量が少ないせいか、弱い。

■セミ(おまけ)

さすがに食べないけど、夏の狩りと言えばセミじゃろう!
ほぼ無人島で人気がないため、セミは人が近づいても逃げないので、弟と二人で手づかみでセミを採っていた。30分もすると虫かごいっぱいのセミがつかまり「佃煮にできるほどおるじゃん」と母に言われていた。それだけのセミがいるとジャンジャンシャンシャンうるさい。大概、釣果を大人に見せると逃がすことになる。
セミの抜け殻もたくさん採れた。
セミのメインはアブラ。ニィニィも多数。クマは滅多に。そしてどうやっても手づかみでは採れなかったのはツックン(ツクツクホウシ)。

 

魚についての記述が長いのだけど、やっぱり一番強烈に覚えているせいだろう。
釣りから帰り、いけすからそのとき調理する魚を祖父が網ですくう。
そしていつも家の入口の定位置で水を張ったボウルと魚の入った網と砥石と包丁を持ってくる。
祖父は包丁を研ぎ、そして魚をさばいていく。私はそれを面白く見ていた。
さっきまで泳いでいた魚がみるみるうちに鱗をとられ、皮をはがされ、三枚に下ろされ刺身になったり、ヌタになったり、煮つけ用になったりする。
活きのいい魚が暴れると祖父は包丁を逆さに持ち替え、背のところで首のところをがつんと叩き、静かにさせてしごを続行していた(注・しごをする。広島弁。この場合、下処理をする意)。
この一連のことが魚の生命を奪って食料にしていたことに気づいたのは、私が随分大きくなってからだ。
そのことに気がついたあとも、私は祖父のしごをしている姿は残酷だとは思わない。そして、私もかつて父が釣ってきた魚のしごをするときに暴れるものは同じようにおとなしくさせる。ちなみに祖父の娘である母も同じことをする。
遊びで釣っているわけではない。今更海に帰しても、ほとんどが弱っていて死んでしまう。それならばさっさとしごをしたほうがいい。

この体験はとても貴重で、「生命あるものを殺して食べている」ということを感じにくい私の生活の中でとても活き活きと記憶され、たまにその意味を考える。

 

私が結構いろんなところで、「あ、それ大丈夫!」と思えるのは、こういう体験をしているからかもしれない、とたまに思う。
もう、しようと思っても、こんな無人島のようなところで夏休みを過ごすなんて滅多にできるものでもない。
細かく思い出すと、まだいろいろ出てくるので、いつかまたどこかに書いてみよう。

最初にブログに島のことをちらりと書いた。
それは今年、祖父の生誕100年を記念して、息子である叔父の一人が祖父について調べてまとめる作業をしているのを見て、触発されたのかもしれない。
ついでに、言っちゃうと先日見つかった私のフリーペーパーの中に小冊子も一緒に入っていて、それにもここに書いたような「島のできごと」を書き綴っているページがある。
なんだか懐かしくなったのと、狩人でもあるモレカウに私の狩りのお話を聞いてほしかったのかもしれない。

 

写真は瀬戸内海の様子。
今は誰も船を持っていないので島に行けない。
祖父母が年を取り、島での生活が難しく本州に引き上げてから、その島は本当の無人島になった。

 

Name:
Profile: 広島生まれ広島育ち リュックを背負って、カメラとノートブックを持ってどこかに行くのが好き 2006年にスペイン巡礼に行きました Twitter → @sala_ky blog → Kyri*ate

Photos from our Flickr stream

See all photos

2017年3月
« 2月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

アーカイブ