読む側から「かきね」を越える

Posted on 20 3月 2016 by

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※写真は特に投稿とは関係ありませんYO!

人の日記を見ることができる職業があります…と言ったら,びっくりされますか?

外国語学習の方法っていろいろあるのですが,どれかが普遍的に一番いいっていうのは難しくて,結局自らが好きな方法で続けていくのがいいようです.その中でも,英語学習で「ジャーナル」をつけることは,いろいろな効果があると言われています.日々アウトプットして下手になるわけがありませんものね.海外のESL(English as a Second Language/第二言語としての英語)の学校なんかだと,ジャーナルを書かされることがあります.(ご興味があればこちらをご参照.)

私は日本語を外国人に教える仕事をしているのですが,困るのは「ジャーナルを書いたので,チェックしてください」と言われること

もちろん,「日記」ではなく,「ジャーナル」と呼ばれている限りは,非パーソナルなものを想像してしまうのですが,その中にはわりかしパーソナルなものも混じっていまして.それをチェックするというのは,なかなか複雑な気持ちになるのです.

だって,人の日記って見られないものですよね.普通.

チェックするというのは,もちろん文法などを訂正する,という意味で,内容を訂正する,というわけではありません.それでも,いいのかな?大丈夫かな?なんだろうこの背徳感.そういうことを思いながら,チェックしていくことになります.それは,私を,個人的な,極めてパーソナルな生活を覗き見しているような気持ちにさせます.コメントをするのにも躊躇してしまう.

でも同時に,すごく親しい気持ちにもなってくる.好きなこととか,困ったこととか,そういうこともわかってくる.なんだかそういう複雑な気持ちで,チェックしていくことになるわけです.

学習者とはできるだけフランクに,垣根なく接したい.だから,読み手の私は「かきね」を越えてジャーナルをチェックしなければならない.しかし,そこにはやはりまだ「かきね」があるのです.そして,その「かきね」を越えるのは難しい.頭のなかの何処かで,警鐘が鳴っているのです.

「ガンガンガン!あなたは!今!他の人の日記を読んでるのよ!」

というように.

 

学習の証であるA7サイズのノートブックを手に取りながらじっと見つめても,答えは出そうにありません.それは,つねに私のスタンスを揺さぶり続けています.

 

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Profile: 大阪在住. 日本語を教えたり,ノートをつかってみたり,ミニマリストくずれだったりのひとです. ノートブックは一度に一冊をモットーにしています.ノート流民です. 日記代わりにエッセイを書いたり,AutoHotkeyというスクリプト言語で書いたりしています. Twitter: @neo_kix ブログ: neokix's archive

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