天使が見てくれる絵〜5月22日 講演会『内村鑑三と『代表的日本人』に行ってきました

Posted on 02 8月 2016 by

日、ドナル ライアン著 岩城義人訳『軋る心』を読みまして。
やー、良かった…! ほんっとーに良かった!
アイルランドの、ちょっと田舎の方で二十一人の登場人物が独白を連ねる、それだけの物語なんですが。
いやー、もう、ほんっっっとーに素晴らしい!
じ、事件は(一応は)起こるのですが、その事件そのものよりも、人物たちの視線、そのすれ違い、同じものを見ているはずなのに、全く違うものとして捉えている、素晴らしい!
主人公ボビーが「自分は自分をこういう人間だと思っている」視線、そして他の登場人物たち、ボビーの友人、同僚、妻、父親は「ボビーはこういうヤツだ」と思っている視線、そのわずかな(そして、大きな)すれ違いとひずみが(主人公に限らず、二十一人の登場人物ほとんど、その視線のすれ違いが描かれています)、丁寧に積み上げられていまして。やー、アレだ、ケルトの渦巻きだ、と思いました。お互いを取り込んで、巻き込んで増殖して、それでもミにはならず、ただ負の部分だけがふくれあがり、それでも美しい、そういうケルトの渦巻き。

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えー、もちろん『軋る心』のブックレビューではなく。
かなり以前になりますが、5月22日、大阪 難波ジュンク堂書店での若松英輔氏の講演会『内村鑑三と『代表的日本人』』に行ってきました。

以前書いた記事『玉手箱に〜』で『生きる哲学』を取り上げまして。この著者のかたです。
大阪で講演するんだ! と参加申し込みしました。
それだけ意気込んで行ったのに、なんでこんな遅く、8月にもなって記事にするんだという話なんですが、えー、5月と6月は、ほぼ毎日、テキスト(岩波ブックレットNo.845 内村鑑三をよむ)と、この講演会のレジメと講演会でメモをとったノートブックを持ち歩き、まとめて、下書きして、足して削って、それでも、わたしが「これでいい」「これでNotebookers.jpにアップできる」と思えなかったからです。
面白くなかったとか、わかりにくかったからでは【もちろん】なく、講演で『わかったこと』『記事にしたいこと』が、本当にたくさんあって、さながら飽和状態で、もれなく伝えたい! 書きたい! これをまとめることができず。
(計らずも、これは若松氏が日頃から言われている、書かれていることでして。「言葉にならない、なんて、書いてみないとわからない。書いて書いて、それでも書けないことがあるとわかる」)

(上記の通り「それでも書けないことがある」とわかりまして)その中でも、書きたいと思うこと、これは記事にしたいと思ったことを2つ3くらい、紹介しようと。

内村鑑三、wikiではこういうひとです。
(テキストはこちら>> 岩波ブックレットNo.845 内村鑑三をよむ)
非常に才能のあるひとで、宗教者、作家、実業家でもあったのですが、『哀しみの人』『哀しみの中にかけがえのないものを持つ人』だったそうです。

◎自由と独立
独りで立つことをずっと主張していた人だったとか。これがものすごく印象に残りました。
万人がこっちを向いても『独りで立つ』『独りでもする』『何かをするなら独りでする』ひとだったそうです。

みんなで一緒に力を合わせなければ、できないこともある。そして『独りでなければ、できないこともある』
講演の最初に、内村鑑三のお弟子さんたち、のちに影響を受けた作家さんたちの話がありまして。
それだけたくさんのひとに囲まれていながら、それでも『独りでする』ひとだったんだなあ、と。

◎小さな声、弱い者、虐げられたひとの声を拾い上げる
ちょっと長くなりますが。引用します。(これは『後世への最大遺物』だったはず…)

私は高知から来た一人の下女を持っています。非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろの世話をいたします。ある時はほとんど私の母のように世話をしてくれます。その女が手紙を書くので側で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。(中略)ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がソックリそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れる。しかしながら私はいつでもそれを見て喜びます。その女は信者でも何でもない。毎月三日月様になりますと私のところへ参って「ドウゾ旦那さまお銭を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します。それから七夕様がきますといつでも私のために団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見まする。それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。

文中に『信者でも何でもない』とあります。
そのお手伝いさんが三日月様や七夕様に祈る、それをやめるように言う、とか、キリスト教を教えるのではなく、お手伝いさんが内村のためにすることを喜び、また彼女の書く手紙こそ『本当の文学』だと言う。
わたしには、この短い文章が短編小説のように見えました。
なんていうのだろう、偉人、巨人である内村鑑三の、とても優しい部分が見えたような。

文章(文学でも)を書くのなら自分のことを書く、それが一番読みたいものだ、ということも話されていました。

このあたりで、何かこう、自分の中の大きな重いものが、間違えた位置にセットされていたのを、ぐぐぐっ と、新しい位置にゆっくりとセットし直されたような感覚がしていました。
この感覚、以前にもあったなあ、覚えてるなあと思っていたんですが、思い出した、初めて、池田晶子さんの本を読んだ時だった、『ソクラテスよ…』を読んだ時、同じように感じた、体内の石臼が動くような感覚…!

◎何を書くのか
これは、若松氏を通じて内村鑑三から語りかけてもらったことなのか、それとも、内村鑑三のエッセンスを若松氏から教えて頂いたのか、えー、どちらであっても Notebookers 、書くことが好きなひとの内側に響く言葉だと思います。

私は名論卓説を聴きたいのではない。私の欲するところと社会の欲するところは、女よりは女のいうようなことを聴きたい、男よりは男のいうようなことを聴きたい、青年よりは青年の思っているとおりのことを聴きたい、老人よりは老人の思っていることを聴きたい。それが文学です。それゆえにただわれわれの心のままを表白してごらんなさい。ソウしてゆけばいくら文法は間違っておっても、世の中の人が読んでくれる。それがわれわれの遺物です。もし何もすることができなければ、われわれの思うままを書けばよろしいのです。

(これも『後世への最大遺物』のはず…。『女よりは〜』というのは『女性からは女性の言うことを聴きたい』ということかと思います)
遺物、とあるのは、世に残すもの。内村は『天地が失せても、なくならないものを残せることこそ成功だ』と言っていたそうです。そしてたぶん『心のままを表白』というのが難しいのだろうなあ。

そして、ここで忘れられない、焼きつけられるような言葉を聞きました。
『天地が失せても、なくならないものがある、それを残すことができる』
だから、

『ノートブックは消えても、ノートブックに書かれた言葉は消えない』のだそうです。

わたしはたぶん、この言葉に出会うために、この講演会に行ったのだろうなあ。
(これだけ、たくさん書いて、それでも、一番書きたかったのは、この一行だ)

ウィリアム ブレイクは「自分の絵は、天使が見てくれればいい」と言ったそうです。
キャンバスが燃えたり壊れたりしても、描いた絵は残るなら、それを知っているなら
「天使が見てくれる」
この言葉、出て来るだろうなあ。

天使に守られる死せるキリスト

『天使に守られる死せるキリスト』ウィリアム ブレイク

■おまけ■■■

下書きノート

このくらい、書いて、足して削って、書き足して。とやってました。

Name:
Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

  • piecesmaker1

    >「言葉にならない、なんて、書いてみないとわからない。書いて書いて、それでも書けないことがあるとわかる」
     この言葉を、肝に銘じたいと思います。 そして、その「書けないこと」に、何とかして触れていきたいと思いました。
     せら様の、ノートの、端正さに、見とれました。

    • せら

      piecesmaker1さん コメントありがとうございます。
      書いても書いても、なかなか掴みきれないもの、ことがあり、
      それが悔しくもあり、また憧れでもあり。
      この記事の、何か、少しでも、piecesmaker1さんの心に残ればいいなあ。
      (トラベラーズ、わたしは横において縦に開く、横長@殴り書き派です)

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