Categorized | Book, Think

Tags |

大きな本棚の悲しみ

Posted on 06 2月 2017 by

こんなことを言うと反感を買いそうだけれど,そして,ミニマリストな人々には当然かもしれないけれど,さらに読書記録を付けている人にはバカにされそうだけれど,

僕は楽しみのための本を買うのをやめようと思っている

具体的には,小説を買うのをやめようと思っている.

なぜか.

それは,もう,本棚がいっぱいだからだ.

そして,いっぱいの本棚は,悲しいからだ.

 

僕の家には,高さ2m,横幅1mの大きな本棚がある.下段には,写真集がある.さほど多くはない.中段には仕事関係·お勉強関係の研究書が並んでいる.これらは,シリアスに絶版のものもあるので,捨てられない.

だけれども,よく見ると,上段には小説も交じっている.趣味で集めた本もある.銀色夏生さんの詩集は2000年代までならほとんどある.桐野夏生も昔は好きだった.モームも,ヘミングウェイも,漱石も,サガンもある.でも,どれもほとんど読んでいない.

作家で集めたはいいが,読まれない本ほど,悲しいものはない.必要はないけれど,欠けるのが嫌だから,そこにあるだけだ.僕の見栄のために.

そして,模様替えの時,必死で動かすその本棚の重みは,なお悲しい.

 

だから,今はまっているジェフリー・ディーヴァーは,すべて図書館で借りることにしている.僕は作家で読む人だから,Wikipediaで作家を検索して,作品リストを印刷する.

ノートに貼り付ける.

読んだものには〇を付ける.簡易本棚の完成だ.

 

写真内表の出典:Wikipedia (項目:ジェフリー・ディーヴァー) https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェフリー・ディーヴァー

今のところ,集めるという欲も,それから読んだという達成感も,満たされている.読み返したくなることはない(だからといって,面白くないわけではないのだけれど).

結局,モームも,ヘミングウェイも,漱石も,サガンも,僕の見栄のために本棚に存在する必要はない.それはすこし,残念な感じがするし.

 

というわけで僕は,これから本を買うことがめっきりなくなるだろう.

いつか,ほとんどの本たちをブック何某にでも持っていくだろう.そして,悲しくなるぐらいのわずかな対価を受け取るのだろう.

あるいは,そのまま古紙回収にでも出すのだろう.誰かの手にまた触れられるなら,いっそのこと燃やしてしまう方がいい,という悲しい気持ちから.

そして思うのだろう.

おや?もしかしたら,空っぽの本棚も悲しいのでは?

自己を正当化.

そして,これらもまた悲しい.

 

答えは出ない.

 

本棚を買う前に戻って,その時の自分に「大きな本棚は悲しみを生む」と伝えることができたら,僕はどんな顔をするだろう.

驚くだろうか.怒るだろうか.あるいは,納得してくれるだろうか.

 

 

Name:
Profile: 大阪在住.日本語を教えたり,ノート,ボールペンをつかってみたり,ミニマリストwannabeだったりのひとです.ノートブックは一度に一冊をモットーにしています.最近はエッセイに凝っています. Twitter: @neo_kix ブログ: ペーパークリップはどこへ消えた?

  • piecesmaker1

    かつて「いっぱい」の本棚を壁面として暮らしておりました。所有する喜びは、それらの背表紙を眺めるだけで満たされて、読み返すか否かについてはあまり気にしておりませんでしたが、或日、自分の死後、これらの本の処分をする人のことを思い、「再読可能性の有無」で本を整理しました。neokixさんの記事を読んで、ガラガラの本棚を前に私は自分が失ったものについて考えています。「失ったという事実もまた、一冊の書物である」とは、少々感傷的にすぎるでしょうか…

    • neokix

      「再読可能性」という判断基準,とても素敵です.そうですね,もしかしたら失うことで,ほかの何かを得ているのかもしれません···あるいは,本当は”失ってすらいない”のかもしれません.少し本棚と相談が必要です.過去の自分とも向き合わなければなりません.

Photos from our Flickr stream

See all photos

2017年6月
« 5月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

アーカイブ