物語の香り〜香り編◎『ハンニバル』〜「花屋はみんな泥棒さ」〜

Posted on 20 3月 2017 by

彼岸ですねー。徐々にあたたかくなってきております。
皆様のおすまいのおところはいかがでしょうか。
『貴婦人と一角獣』3枚目、この五感はどれでしょー。
これはわかりやすい?

貴婦人と一角獣

貴婦人と一角獣。この五感は?

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以上、前振りおわり。
物語の香り◎香り◎ハンニバル編(もう少し、タイトルをどうにかできないものか…)です。
前回は、物語の香り◎香料編でした。
香料編と香り編に分けよう、と考えていたんですが、香り編が以外と多く、そして書きたい物語が多いため、えー、香り編#01 トマスハリスの『ハンニバル』より、記憶と香りについて、ちょこっと書いてみようと思います。

ところで。
マルセル プルーストが書いた『失われた時を求めて』という物語があります。
この物語、主人公がマドレーヌを紅茶にひたして食べたその瞬間、子供の頃を思い出す…という冒頭がとても有名で、このように香りや味により、当時の記憶や感情を思い出す、感覚の再現を誘発することをプルースト効果というのだそうです。

このプルースト効果がとてもたくさん見られるのが、今回の香り編『ハンニバル』かなあ。
前回の香料編でも、ちょこっと書きました。
原作:トマス ハリス
アンソニーホプキンス主演で、映画にもなっています。最近はドラマにも。

ハンニバルレクター。
医学博士、そしてシリアルキラーというにはあまりにも言葉が軽い、『前例がないため名づけようがない』社会病質者です。

レクター博士、
一作目『レッドドラゴン』で逮捕され、
二作目『羊たちの沈黙』で精神病院に隔離されているのですが、世間を騒がす連続殺人事件を誰よりもよく知っていて、その事件を追うFBIの訓練生クラリス スターリングとの駆け引きと解決が描かれ、
そして、
三作目『ハンニバル』では、7年だか8年の沈黙を破って復活…と

この三作目です。
二作目『羊たちの沈黙』で訓練生だったスターリングは、現役捜査官として(セクハラ、パワハラに悩まされつつ)活躍しています。
そんで、博士はイタリアのフィレンツェへ逃亡し、正体を隠し、フェル博士と偽名を使い、とある書庫の司書として文学、芸術を満喫する生活を送っている。
スターリングが関わった、とある事件をきっかけに、怪物が復活するーーー
と、そういうようなあらすじなんですが。

『ハンニバル』文庫本で上下巻です。
これに、香り、匂いの記述がとてもたくさん出てきます。
芳香も悪臭も。
何て言うんだろう、状況の説明、補足、強調、とでも言うのか。
例えば、飛行機のエコノミー席での息苦しさ、食肉用家畜の養殖場、フィレンツェの香料専門店などなど。

前著『羊たちの沈黙』でも、レクター博士がスターリングと初めて会った時、スターリングのつけているスキンクリームの銘柄を当てたとか、そういうエピソードがあったはず…(今、『羊たちの沈黙』見つからないので確認できませんです)。

その物語の中で、印象的な香り、記憶、事件の補足的、また強調として使われている香りを紹介しようか、と。
今、これ入力していて、企画として成立するのかわたし! とちょっと不安ですが、やー、『好きなものを語るとき、それは誰かを救う』から、たぶんダイジョウブ(とじぶんに言い聞かせる)。

#01 クラリス スターリング
第一部のオープニングから。
麻薬組織のボスの逮捕に向かう途中、スターリングはバンの中で、ある匂いから、父親のことを思い出します。
以下、引用。

男たちのひしめく、この不快な臭いのする監視用ヴァンに乗っていると、身を刺されるような孤独感に包まれる。鼻をつくのは安物のアフターシェイヴの匂いーー”チャップス”、”ブルート”、”オールド・スパイス”。それに汗と革の匂いだ。ふっと不安が忍び寄ってきて、それは舌の下に含んだ一セント銅貨の味がした。
(脳裡にあるイメージが割り込んでくる。タバコと洗浄力の強い石鹸の香りをいつも発散していた父。キッチンに立って、先端が四角く割れたポケットナイフでオレンジの皮をむき、それを自分に分けてくれた父。彼が夜間パトロールに出かけたとき、しだいに遠ざかっていったピックアップトラックのテイルライト。そのパトロールで、父は落命したのだ(略))

警官だったお父さんがパトロール中に撃たれて亡くなったというのは、前作でも触れられていて(というか、スターリングの中で父親はとても大きな存在で、レクター博士にこのトラウマを弄ばれるワケです)、それがオープニングで取り上げられています。
あまり心地よくないにおいの中にいて、そこから(なぜかぜんぜん違う)父親の香り、父親の存在を思い出すーー

この麻薬組織への急襲は、スターリングにとってあまり気乗りのしない任務なので、そのやりきれなさから想起したのか、お父さんダイスキー!と懐かしむのではなくて、どちらかというと、残された哀しみ、孤独を噛み締めるような、そんな『プルースト効果』です。
引用で(略)としている後は、スターリングは、お父さんのダンス用の衣服を思い出していて、そこからの連想で彼女が現在使っているクローゼット、その中身、あまり着る機会がないパーティドレスなどを考えています。
父親と同じ(ような)仕事についた自分、そしてふたりして同じように、クローゼットにしまわれている、とっておきの衣装。
(そういう『とっておき』の衣装を着る機会があまりない、という華やかなことが少ない境遇、状況が、よりくっきりと際立つような)(切ないなあ)
香りひとつで、これだけの記憶の広がり、深くまで降りていける、そう表現できるってすごいなあトマスハリス。

この引用で、わたし、舌の下に含んだ一セント銅貨の味 ていうのがすごくリアルに感じられるのですが。
なんていうか、耳で感じる香り、口から耳へ伝わってくるような感覚(か、香りって耳から入ってこない? こないですか??)があり、感覚の共有とでもいうのかなあ、読み直していて、この一節がとても印象的でした。

#02 パッツィ警部
リナルド パッツィ、フィレンツェ警察の主任捜査官です。
レクター博士の正体に気付き、博士を(逮捕じゃなくて)(賞金欲しさに)売ろうとする人物で、えー、そういう人物です。
視覚による記憶が並外れていて、その能力を全面に押し出して仕事をしているワケです。
以下、引用。

尋問の名手パッツィは、聴覚と嗅覚に訴えながら自問していった。
(あのポスターを目にしたとき、耳には何が聞こえたっけ?……一階のキッチンでカタカタ鳴っていた鍋の音だ。では、踊り場にあがってポスターの前に立ったとき、何が聞こえた? テレビの音だ。居間のテレビ。『リ・イントッカービリ(アンタッチャブル)』でエリオット・ネスを演じていたロバート・スタックの声。料理の匂いはしたか? ああ、料理の匂いが伝わってきた。他に何かの匂いをかいだか? ポスターは目に入ったのだがーーいや、目にしたものの匂いはしなかった。他に何か匂いをかいだか? あのアルファロメオの匂いなら、はっきり覚えているのだが。車内はとても暑かった。あの熱いオイルの匂いはまだ鼻にこびりついているようだ。あれだけオイルが熱くなっていたのは……ラコルドだ。そう、ラコルド・アウトストラーダを飛ばしていたからだが、あのときはどこに向かっていたんだったかな? サン・カッシアーノ。うん、たしか犬の吠える声も聞いたな。サン・カッシアーノで。思い出したぞ、あの家の主を。あいつは強盗とレイプを重ねたやつで、名前はたしかジロラモなんとか、といった)。
記憶の断片が一つにまとまる瞬間、そう、神経の末梢が痙攣しながら連結し、灼熱のヒューズを通して一つの着想が浮かびあがる瞬間、人は何よりも鮮烈な喜悦にひたるものだ。パッツィにとって、それは生涯で最良の瞬間だった。

これはパッツィがレクター博士と会う前、別の連続殺人犯を追っていた時のエピソードでして。
最初はおぼろげな視覚的なイメージを、聴覚と嗅覚の記憶を探りながら、徐々に鮮明にしていく、犯人にたどりつく、その過程です。
スターリングの感傷的な記憶の再現とは違って、パッツィは、理論的、具体的に、そして『仕事に活かす』という前向きな方向で五感を駆使しています。
(五感の記憶を丹念にたどり直す、こういうメソッドが何かあるんでしょうか。)
(スターリングの香りの記憶の再現は、無意識、何となく、でしょう。そんでパッツィの方は、能力、スキルというカンジで)

記憶というとわたしは『頭で覚えていること』しか思いつかなかったんですが、このように

「あの時、聞こえたこと」
「あの時、見たもの」
「あの時、あたりに漂っていた香り」

五感で覚えていることというのは、より体感として刻み込まれた、というか、(アタマで覚えている)言語化された記憶よりも、丸ごとそのままの、直接的なものだろうなあ。

#03 ハンニバル レクター
以下、引用。

 まだ早い時期に、ハンニバル・レクター博士は騒々しい街路からこの世で最も香ぐわしい場所の一つ、ファルマチーア・ディ・サンタ・マリーア・ノヴェッラに入った。ここは七百年余の昔、ドメニコ会の修道僧たちによって創られた薬舗である。奥の内扉まで伸びている廊下で博士は立ち止まり、両目を閉じて顔を仰向けると、名高い石鹸やローションやクリームの芳香、作業室に並ぶ各種の原料の香りを心ゆくまで吸い込んだ。(略)
このフィレンツェで暮らしはじめて以来、身嗜みに気を配るフェル博士がこの店で購った賞品の総額は、それでも十万リラを超えないだろう。だが、それらの香料や香油はよくよく厳選され、しかも並はずれた感性によって組み合わされていた。その感性は、鼻によって生きている香りの商人たちの胸に驚きと敬意を植えつけずにはおかなかったのだ。

レクター博士、フィレンツェでの暮らしをエンジョイしております。
某書庫の司書(候補)になり、その書庫に住み、古い文献を管理し、こうして香り、香料も潤沢に使っている。
(比較として、羊たちの沈黙時代、精神病院にいた時の悪臭についても、何度か書かれています)
映画では、FBIを挑発するように手紙を送ったんですが、その便箋に、ハンドクリームの香りを染み込ませていまして。
竜涎香とテネシーラベンダーと、あと羊毛をブレンドした香り。
おそらく、原作のこの辺りの『香り』の記述から創られた、映画オリジナルのエピソードです。
このあたり、行間から、花びらやハーヴのひらひらが浮かびあがるようなイメージで読みました。
前述のパッツィ警部の負っている闇、そして博士のエンジョイフィレンツェライフの明るさ、そのコントラスト、なのかなーと思いました。

さらに引用。

 自分の鼻の形を変えるに際し、レクター博士が外面的なコラーゲン注射のみに留めて、いかなる鼻整形手術も行わなかったのは、まさしくこの喜びを保ちたいためだった。彼にとって、周囲の空気は各種の色彩と同等の、明瞭で鮮やかな香りで彩られている。彼はあたかも絵の具の上に絵の具を重ね塗りするように、それらの香りを重ねてかぐことができる。ここには牢獄を思わせるものは何ひとつない。ここでは空気は音楽なのだ。
まずは本物の龍涎香、海狸香、それに麝香鹿(ジャコウジカ)のエッセンスから成る基音がゆきわたっており、(略)白檀、肉桂、ミモザ等の香りが渾然となった調べがのびやかに響きわたっている。
 自分は両手や両腕、両の頬で、周囲に満ちている香りをかぐことができるという幻想に、レクター博士はときに浸ることがある。そう、自分は顔と心で香りをかげるのだという幻想に。

(ここも読んでいて、本当にガーリーなキラキラした空気が漂い、花やハーヴがひらひらしているような、そんな印象でした)(や、博士、シリアルキラーなんですが)
ここでは空気は音楽なのだ。
短い文章なのですが、本当に豊かな空間なのだろうなあと想像できます。
これもひとつの共感覚なんでしょうか。
音も空気の振動なので、香りと近いものなのかなあ。
そしてその香りを、肌と心で知覚する、という幻想を楽しむ。
例えば、手で、甘い香りだと感じるのは、どういう感覚なのだろうなあ。
温かさ? 色? 柔らかさ?
複数の香料の響き合いというのは、五感、どこで感知するんでしょうか。
オモシロいなあ。

ちょっと考えてみました。指先で感じる香り。
メンソール系:冷たい
ばらなどのフローラル:流れるようなほの暖かさ
ラベンダー:ちょっと固い
ムスク:ふよふよして厚みがある
柑橘系:薄めで固い
白檀:すごく固い

あれだな、例えばインク沼のひとなら、人の目で見た香り、色をノートブックに書いてみてもいいかも知れない。
メンソールはどんな色だろう。原料の色じゃなくて。香りの色。
音であれば、どんな音だろう。高い音、低い音、楽器であれば、どの楽器で奏でられた音だろう。
言葉なら、どんな言葉になるのかなあ。香りの印象ではなくて。

というわけで。
物語の香り◎香り◎ハンニバル(下巻)編に続きます。
よろしくお願いしますです……

■おまけ
チーズやトリュフがふんだんに並ぶ ”ヴェラ・ダルー1926” は、神の足のような匂いがする、とフィレンツェっ子は言う。
(『ハンニバル』上巻より)

■おまけ2
人の目が聞いたこともなく、人の耳が見たこともなく、人の手が味わうこともできず、人の舌が想像することもできず、人の心が話すこともできない、そんな夢を俺は見たんだ。
(『真夏の夜の夢』沙翁)

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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