原民喜童話集刊行記念イベント&『還元不能のノートブック』

Posted on 11 12月 2017 by

11月25日(土)京都の恵文社さん開催の原民喜童話集刊行記念イベントに行ってきました。
コチラです>> 『原民喜童話集』(イニュニック/未明編集室)刊行記念イベント<向こう側へのまなざし>吉村萬壱 × 外間隆史
原民喜童話集刊行記念イベント

恵文社コテージ

童話集刊行記念イベント看板

原民喜、1905-1951 広島出身の詩人、作家です。8月6日は爆心地からほど近い自宅で被爆したそうです。
不安文学、原爆文学と呼ばれる作品を残しています。
ウィキペディアではコチラ

イベントのサブタイトルが<向こう側へのまなざし>となっています。
わたしは、原民喜、「原民喜全詩集」と「夏の花 心願の国」の二作しか読んでいなくて、難しいかなあ、と思いつつ、参加したんですが。良かった…! すごく良かったです。
なんというか。
わたしには、原民喜、ずっと神に捧げられた子、イサクのようなイメージがありました。
二冊の本を読んだこと、そして聖イサクのイメージだけを持った状態で、おふたりの話を聞きました。

<向こう側>
吉村氏と外間氏、おふたりのお話なんですが、まず「原民喜について(言葉で)語るのはあんまり…」「絵(で表現する)の方がいい?」と始まりました。
(わたしも、この記事をまとめるの、すっごく難しかったです)
そして「原民喜は、生きながら向こう側にいたのではないか」と続きました。
<向こう側>です。
ウィキペディアには、あまり記述がありませんが、原民喜は、<この世ならざるもの>を見て、それを文章として残しています。
その幻視が、原爆が落ちることで実現してしまった。その広島の街の様子が『夏の花』で書かれています。

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタパノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ
パット剝ギトッテシマッタ アトノセカイ

とあります。
(あえて片仮名で書いたと、この文章の前に記述があります)
ここに書かれている

パット剝ギトッテシマッタ アトノセカイ

この『剥ぎ取られた世界』について繰り返し話されていました。

吉村氏が、
天地不仁(てんちふじん)
以万物為芻狗(ばんぶつをもってすうくとなす)

と荘子(老子?)から引用していました。

天地、つまり自然は、愛なんて持っていない
天地、つまり自然は、すべてのものを芻狗(祭りに使う藁の犬だそうです。祭りが終わったら捨てられる、その程度のもの)として扱っている。
でもひとは、愛とか友情とか希望とか、そういったものがあると信じたい。
民喜は、まさしく荘子が言っている世界、自然は人を愛してなんかいない、愛とか希望とか意味を剥ぎとった世界を見ていたのだそうです。

「天地は人間なんて愛していない」ということを吉村氏は荘子から引用されましたが。
わたしはリルケの『ドゥイノの悲歌』を思い出していました。
(原民喜、生前、リルケがとても好きだったそうで、作中にもその記述がいくつかありました)
『ドゥイノの悲歌』冒頭です。

ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使がはるかの高みからそれを聞こうぞ

自分(ひと)がどんなに泣き叫んでも(神様の使いである)天使たちは聞かない、気にも留めない。
(リルケは天使をキリスト教的な存在だとは思っていなくて、どっちかというとイスラム教の天使っぽく捉えていたそうです)

ひとが求めるもの、愛やら希望やら、正義やら道理、意味付け、そういったものを取り払った世界を民喜は見ていた、と、この話から、えー、吉村氏がとても興味深い話をされました。
吉村氏は、世界にある意味のないもの、意味付けができないことを『還元不能』と呼んでいて、その出来事をまとめた専用のノートブック『還元不能のノート』を作っているそうです。

ひとつ、こういう還元不能があった、とエピソードを話して頂きました。
男の子が二人乗りをしている自転車が向こうからやってきて。
後ろに乗っている男の子は裸足だったそうです。
裸足の親指が自転車の後輪の、あれなんていうんだろう、ワイヤー? にひっかかって ぷるぷる と音がしていて、すれ違いざまに「あーー」という声が聞こえた、と。
これは楽しい声なのか、痛い声なのか。
彼は誰時、雀色時のような神隠しなどが起きやすいと言われる時間帯は、世界に裂け目が入る、向こう側との垣根が低くなり、こういう還元不能の出来事が起こりやすくなるとか、そういう話でした。

(イイ!! すごい!! わたしも『還元不能ノートブック』作る!! と、これを聞いた時、ひとりものすごく(内側で)盛り上がりました)

このイベントの後で、改めて「夏の花 心願の国」読み返しました。
民喜が見ていたもの、<向こう側>にいたことを踏まえて「夏の花 心願の国」を読み直して、そのあとで、童話集を読もう、と思いました。
なんていうのだろう、まったく別の作品のような気がしました。わたしが前に読んだ(はずの)「夏の花 心願の国」ってなんだったのだろう、と。

そしてやっぱり、吉村氏が「愛とか希望とか、そういうものを取り払った剥き出しの世界が美しくないわけがない」と言っていたこと、この言葉がずっと思い出していました。たぶん、わたしの背中に貼りついているんじゃないかと。

原民喜童話集

『毬』って何だろう、と思ったんですが、童話集を読んで「ああ、そうかー」とわかりました。

この後、童話集を読んで別巻の『毬』を読みました。
12月4日でした。
リアルタイムで最初の『還元不能』
エピグラフ

還元不能#01

還元不能#01

童話集「気絶人形」

童話集「気絶人形」より

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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