「この女は多くを愛したから、その多くの罪はゆるされているのである」〜マグダラのマリア 十作品

Posted on 30 9月 2018 by

月に東京へ行ってきました。
旅のテーマは、美術館の常設展に行く、企画展へ行く、本屋さんで泊まる、ひとに会う、などなどあったんですが。
美術館の企画展も見てきました。
こちらです>> 国立新美術館『ビュールレ展』
リンク先にある少女の肖像『可愛いイレーヌ』が、チラシなどのメインに使われていて、えー、キャッチコピーが「最強の美少女(美少女にセンターとルビがふっている)』でした。
センターという言葉に賛否あったようですが、わたしはそれより「最強」の方が気になっていました。

最強の美少女。

なんだろう、イレーヌ、彼女は銀行家のお嬢さんだそうで、なので誘拐などの対策として、幼い頃から格闘技を仕込まれ、この絵が描かれた八歳の頃には、もういっぱしの格闘家として(以下略)。

前振り終わり。
や、そのビュールレ展で、とても印象的な一枚を見ました。
こちらです。

セザンヌの『聖アントニウスの誘惑』

セザンヌ『聖アントニウスの誘惑』


ものすごく盛り盛りと荒っぽい厚塗りで、色の密度が濃い。
中央で坐っている後姿の女性の頭と髪が、リンゴと蛇みたいに見えました。

以前に、このサイトで書いた記事ですが。こちら。
このブリューゲル父が描いた『聖アントニウスの誘惑』がコレです。

ブリューゲル父『聖アントニウスの誘惑』

セザンヌの絵と同じモチーフなんですよコレ。


同じ聖アントニウスを描いていて、こんなに違うものなのか…と、ブリューゲル父版の絵を思い出して、ふと考えました。
美術館、どこでもいいから(できたら関西で)、世界中から「聖アントニウスの誘惑」の絵、集めてくれないかなー。
この記事で見に行ったフランドル関係の展示2つ、フランドルのアイドルですか、というくらい、たくさん、聖アントニウスは描かれていました。きっと世界中で描かれているんじゃないの、いっぱいあるよねー、とか、ぼんやり思っていました。
そして翌日、国立西洋美術館の常設展で、また別の画家の『聖アントニウスの誘惑』を見ました。
その時に思いつきました。
あ、わたしがNotebookers.jpで、同じモチーフで描かれた、色んな画家の作品を集めればいいんだ。
そうか(なければ、自分で作る、自分で企画するという、ひじょーにNotebookers的な発想)。

というわけで。
各時代の画家、彫刻家が丹精した『マグダラのマリア』について書こうと思います。
(なんで『聖アントニウスの誘惑』じゃないんだということですが、自分で記事を書くなら綺麗なおねえさんの絵がいい)

『マグダラのマリア』ご存知でしょうか。
聖書に出て来る人物で、西洋美術で、よくモチーフとされる女性です。
絵画では、だいたい、金髪で、緑と朱色の服を着ていて、あと、香油の壺を持っている女性として描かれていれば、マグダラのマリアです。あと、どくろ、頭蓋骨を持っている場合もあります。
『罪の女』だったと言われ、娼婦だったとも、またお金持ちのお嬢さんで身を持ち崩し、キリストに会って改心したとも言われています。が。
聖書の外典に彼女の記載があるそうなのですが、聖典の聖書(変な言葉だ…)では、ほとんどそのバックボーンに触れられていません。

聖書の引用から三箇所。

そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。
また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。
(ルカによる福音書8章1-3)

あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。
イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。
あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。
それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。
(ルカによる福音書7章36-50)

さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
(マルコによる福音書16章1-7)

ルカによる福音書7章からの引用、この箇所の「罪の女」固有名詞はありませんが、彼女がマグダラのマリアとされているようです。このエピソードにより、香油の壺がマグダラのマリアの持ち物となります。
そしてキリストの磔刑、そして降ろされて葬られた後、復活の時にも立ち会います。
どくろが持ち物、というのは何かと言うと。
キリストが十字架につけられた丘の名前がゴルゴダ、といいます。
これがしゃれこうべ、どくろを意味します。そのキリストの磔刑の場にいたことから(他にも立ち会ったひと、いっぱいいるけど)、マグダラのマリアの持ち物として、しゃれこうべ、どくろが描かれるようになったそうです。
マグダラのマリア、場面としては、改心したところ、キリストが十字架にかけられた時、十字架からキリストが降ろされた時、その復活の時、あと、隠遁して洞窟で苦行をしながらの生活、などがよく描かれています。
では、順番に…

#01 クリヴェッリ『マグダラのマリア』
1474?-1486?年制作 アムステルダム国立美術館所蔵
クリヴェッリ『マグダラのマリア』
一番好きなマグダラのマリアです。
緑と朱色のローヴ、香油の壺、そして金髪、ほぼ揃っております。
そして! わたしの好きポイント、このクールビューティ! 「なによ」と言わんばかりのこの固く澄ました表情がすごく好きです。
え、改悛してる? ホントに? まだしてない時代の絵じゃないの? 的なこの目つき!
衣装が、キリストが生きていた時代の衣装ではないそうですが、それも合わせていいなあ。

#02 カラヴァッジオ『法悦のマグダラのマリア』
1606-1606年制作 個人所蔵
カラヴァッジオ『法悦のマグダラのマリア』
先年、東京でカラヴァッジョ展があって、その時、公開されたという一枚。
いいなあ、見たかった。
なんとも、捉え方の難しい絵で。
金髪ではなく、朱色のローヴは着ているけど、緑のローヴはない。香油壺もない。
組んだ手の下の腹部は、妊娠しているようにも見える。でも『マグダラのマリア』
そんで、この表情とポーズ。
タイトルが『法悦のマグダラのマリア』となっています。
法悦というのは、宗教的喜びだそうで、例えば、キリストの言葉を知り、喜びに満ちあふれるとか、そういうことらしいのですが、この絵のマリアは、喜んでいるようには見えないなあ。
よく見ると、彼女は涙を一筋流しています。感情をすべて振り切ったところで、流した涙なのか。
または、自分の罪を知ってしまった改悛の涙なのか。
イタリア語のタイトルは “Maddalena in estasi”
エクスタシー ecstasy ですね。
意味は、
歓喜, 有頂天; 無我夢中; 狂気
(宗教的)法悦; 〘心〙恍惚(状態), エクスタシー.

ここの意味にはないですが、わたしは《忘我》という言葉を思い出しました。
なにもかも振り切れた、そんな様子に見えます。どうかなあ。
そしてやっぱりカラヴァッジョなので、この背景の黒! その闇の深さ、黒の密度の高さ。
フレームアウトしたところから光が差して、マリアの肌を照らす、この病的な白さ、いいなあ!

#03 ウェイデン『十字架降架』ウェイデン『十字架降架』
1435年頃制作 プラド美術館
これはキリストが十字架に架けられ、その死後、降ろされた図です。
一番右の女性がマグダラのマリアです。
色がかなり褪せていますが緑と朱色の服を着ています。香油の壺は奥にいる男性が持っています。
この絵を初めて見た時、ここにいる数人で、ひょっとしてキリストをちゃんと見ているひとって、彼女だけかも知れないと思いました。
キリストの身体を支えているふたりの男の視線は、キリスト本人から微妙に外れている気がする。
なんていうか、マグダラのマリアは、キリストの足、その傷を凝視しているように見えます。
自分の罪を知り、許されたことを知り、その赦しと救いの象徴が、キリストの足の傷だと、この絵のなかで、一番、彼女がわかっているんじゃないかな、と。
だからこそ、傷から目をそらさずにいるのでは、と思ったりします。

#04 ドナテルロ『悔悟するマグダラのマリア』
1453-1455年頃制作 サンタマリアデルフィオーレ大聖堂 ドゥオーモ付属美術館

ドナテルロ『悔悟するマグダラのマリア』

木製だそうです。


カラヴァッジョも、お約束をお約束と思っていない絵を描いていますが。
ドナテルロは「持ち物で誰であるかを示すなんて、子供の学芸会みたいだ」と言っていたそうです。
なので、このマグダラのマリアは香油壺を持っていません。
さらに、他の絵のように若く美しいマリアではありません。身を覆っているのも、緑と朱色のドレスではなく、自分の髪だそうです。
マグダラのマリアは、キリスト昇天後、南仏の洞窟で隠者になって苦行を続け、生涯を閉じたとされています。
その隠遁生活のマリアで、かつ、年を取り、祈ろうとして、力がなく手が完全に合っていない、それでも信仰を保ち、平穏を求める、そういった精神性、宗教的感情を重視し、表現した姿なんだそうです。
(このドナテルロの「俺が表現したい方法で作るんだよ!」という姿勢、すごくいいな)

#06 グレゴール エアハールト『マグダラのマリア』
1510年制作 ルーブル美術館所蔵
グレゴール エアハールト『マグダラのマリア』
もともとは、この像は、天使が周りを取り囲み、教会の天上から吊り下げられていたそうです。
(隠遁生活のマグダラのマリアは、天使の合唱を聴くために、毎日、天使が彼女を天へ連れて行ったというエピソードがありまして、その場面を表現したようです)
全体図としては。
グレゴール エアハールト『マグダラのマリア』
こちらもドナテルロと同じく、隠遁生活のマリア像ですが、こちらは若く美しく、かつ、かつ… とてもセクシー、官能的です。何人かの天使に囲まれていれば、裸を髪で隠していることも、さほど気にならないとは思われますが、マグダラのマリア、ひとりだけだったら、やっぱり、えー、裸、というのが、ことさらに目立ってしまうなあ…
ドナテルロの像とは対照的に、おだやかで落ち着いた表情であります。

#07 カラヴァッジョ『懺悔するマグダラのマリア』
1594-1595年頃 ドリア・パンフィリ美術館所蔵

カラヴァッジョ『懺悔するマグダラのマリア』

カラヴァッジョ2枚目


(てか、法悦の〜方も、何枚も描いていて、それがまた残っているそうです。なにそのせら得)
法悦の〜より先に描かれたものです。
やっぱり、キリストが生きていた時代の【じゃない】衣装です。
スカートの柄が香油壺で、左にあるガラスの壺にも香油が入っています。
装飾品が罪の女、娼婦であったことを示しているそうです。
香油壺のお約束は守っていますが、やっぱり緑と朱の衣装ではないし、金髪でもありません。
それでも、この愁いと苦悩の表情、自分の罪を知り、許されることを知り、悔いてうずくまっている《マグダラのマリア》の、その瞬間を捉えたような、非常に「そこにいる」感が感じられます。
右上に光が差して少しだけ明るくなっています。というか、法悦の〜に比べると、かなり明るい絵です。
このカラヴァッジョという画家は、北イタリアに生まれ、南へと旅、そして逃亡しながら(決闘や殺人やら、事件を起こしまくっていたお尋ね者でもあったのです)絵を描いたという、ちょっと(かなり)変わり種の画家なんですが。
この絵は、まだ修行を始めた頃、ローマ滞在中に描かれています。
そんで、法悦の〜の方は、かなり南、ナポリのあたり? で描かれました。
南へ行くほど、明るい光が差す地域へ行けば行くほど、その絵の闇、黒さが深くなるという、そういう画家なんだそうです。

#08 ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア』
1635-1638年頃 カウンティー美術館
ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア』
ラ・トゥール、『夜の画家』と呼ばれているんだそうです。
この絵も、夜、マグダラのマリアが(ロウソク?)灯りの火を前にして、物思いにふける、瞑想をしている図です。
このマグダラのマリアも、金髪ではなく、朱色のスカートですが、緑のローヴではなく、お約束の香油の壺もありませんが、膝に頭蓋骨を乗せています。
タイトルは『悔悛する〜』となっています。ですが、カラヴァッジョの絵のように苦しむでもなく、また、エアハールトの像のように穏やかで微笑んでいるでもなく。
ただ、静かに炎を見つめている。ラ・トゥールの改悛は、そういう、受け入れた静かな改悛なのでしょう。
あと、ホントにラ・トゥールの絵って、見るといつも思うんですが、闇の中、光源があって、その小さい光に照らされる部分と、照らされない部分、そのコントラストがすごいなあと。

#09 ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア(ふたつの炎の前のマグダラのマリア)』
制作年不明 メトロポリタン美術館

ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア』

ラ・トゥール2枚目


この絵も08とほぼ同じ、マグダラのマリアが、鏡に映ったふたつの灯りの前で物思いにふける、祈る図です。
そしてやっぱり、膝に頭蓋骨を置いている。
暗闇、そこにある小さい光、瞑想、罪と許し、祈り。余人の入る隙のない、純粋に、神と自分との対話。
ひとつのちいさい世界のように思えます。
いいなあ。

#10 ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア(鏡のマグダラのマリア)』
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ラ・トゥール『悔悛するマグダラのマリア(鏡のマグダラのマリア)』

ラ・トゥール3枚目


ラ・トゥールは、同じテーマで何枚も描く画家だったそうです。
そのお気に入りのモチーフのひとつが、この《マグダラのマリア》だそうで。
(同じテーマで描いても、同じにはならないんだよそうなんだよ)(そうなんだよ)
印刷して「写真です」と言って見せたら、そうかなあと思う、そのくらい写実的。
やはり灯りの前に坐り、頭蓋骨があり、静かに、物思いをしている。そういう図。
08 09に比べると、格段に光の当たる箇所が少なくなっています。
明暗の緩急、というか、コントラストの鮮やかさは、三枚のうち一番かも。
ラトゥールの絵、三枚とも共通しているんですが、顔立ち、そして表情が見えない、見えにくい。
09なんて、ほとんど顔を背けています。
そんで、この10は、上半身前面【だけ】しか見えない。
あとは闇にまぎれている。
闇の中で、ちいさな光に照らされて、ほんの少ししか、そのひとは見えないけれど、そこにいる。
わたしには、ラ・トゥールの絵は、そんな印象です。

と、10作品、マグダラのマリアという同じモチーフで、年代、国、表現方法など、ぜんぜん違うものをあげてみました。
作り手の「自分は! ここを! 強調したい!! 主張したいんだ!!」という思いを、改めて、ちょろりとしっぽの先くらいだけ、つかめたような気がします。
(記事を書いていて、改めて「やー、やっぱりわかんないわ」となったカラヴァッジョ1枚目の絵もありますが)
この10点、その描かれたモチーフ、聖人そのものよりも、より画家そのひとがどういうひとだったのかを語っている。と、わたしは思うのですが、ただ、こういう作品を見て、いつも並行して考えることがあります。
これらは『今』美術館に収められている(or 個人所蔵)だけで、もともとは教会にあり、誰かが祈っていたその対象だった、ということです。
この絵はこういう手法で描かれている、描かれた年代の傾向は、この画家の得意な表現は、などという後世(つまり、現在21世紀)の後づけとは全く関係なく、例えば、国の平安、平和、誰かの幸福、赦しや救い、病気や怪我が癒されることなどを望んで、祈る、長い間、その祈りの声を聞いてきたものであり。
例えば、カラヴァッジョ1枚目のマグダラのマリアの絵は、彼が逃亡中も手元に置いていて、死後に遺品として発見されたものです。あとで売ろうと考えていた、とか、誰かお偉いさんに渡して、罪を軽減してもらう、とか、思惑はいろいろあったかも知れませんが。
それでも「許された罪の女」の絵を、生涯手放さなかったというのは、何か、こう、想像してしまう、想像したくなるなあ。

「聖人そのものより、画家の方が云々」というのは、はずれまくっている見方なのだろうなあと思いますが。
やっぱりわたしは、作り手の、その絵筆の跡、指紋の跡 のようなもの、が好きだなあ。

■おまけ1

■おまけ2

ピエール シュプレイラス『シモンの家の宴』

左ピエール シュプレイラス『シモンの家の宴』

左端にいるキリストの足元にうずくまり、髪で足をぬぐっているのがマグダラのマリアです。

■おまけ3

ラ・トゥール『書物のあるマグダラのマリア』

ラ・トゥール『書物のあるマグダラのマリア』

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