今日の世界の果て Vol.1
連日、Notebookersにアップされる投稿をみて、刺激を受けている。
自分も定期的に何かを投稿していこうと思ってる。
ようやくそんな時間が取れるようになってきた。
今までは、自分の考え事はTwitterを通じてアップしていたのだけど
せっかくこのサイトができたのだから、Notebookersの管理人が
どんな考え事をしているのかということもポストしていきたいなと思っている。
どちらかというと酒を飲みながら直感で打ち込むことが多いと思う。
今も正直、お酒を片手にまったく推敲せず、打ち込んでポンと「公開」のボタンを押す。
なので、そこに表れるのはごつごつとしたブロックのようなかたちで、時に整形されていない。
整形されていない単なる立方体のような文のかたちである。
ブリッカーの正八面体のように自在に動く、そんな多様なかたちである。
どこに行っても、自分が何者であるか語るのが好きで、
最近、どんな相手と話していても「Notebookersの管理人であること」を話している。
少し前では、モレカウであることを話していたのだけど、
今自分は何者であるか?と訊かれるとNotebookersの管理人であることを話しているのである。
Notebookersについて説明をしなければならない時、ことばの選択が難しい。
「ノートブックの愛用者のサイトです」と答えること。
…OK、模範解答。なんら間違っていない。
だけれども、いつもここに違和感を感じる。そもそも管理人は、ノートブックに興味をもっていないのである。
いつも、ここで「消費」に対抗することばを選ぶかどうか考えることがある。
特にむずかしい話をしたいわけではないのだけど、
例えば「消費に対抗するイメージを作れるかどうか?」ということをぼんやりと最近考えている。
「それは役に立つの?」
「その意味は?」
「分類するとどれ?」
「消費」っていう感じは、いつも同じ雰囲気を漂わせている。
いつも正論と共に、目の前にどっしりと座っていて、いろんなふうに形を変えて同じことを訊いてくる。
「それは役に立つの?」
「その意味は?」
「分類するとどれ?」
例えば、バケツに砂を盛って、ひっくり返して
「はい、プリンだよ☆」と、誰かの目の前に出してみる。
目の前に出したものに対して、 同じ質問を投げかけてみると、なんだかよくわかる。
「バケツの砂です」と答えているようななんとなく違和感を感じるのである。
即興で生み出したもの。日々の生活の中で生まれてきたもの。
ノートブックの中の1ページに生まれたドキュメント。即興で紡がれていくドキュメント。
誰もが持っているごま粒ほどの想像力で、誰もが、バケツで作ったプリンを咀嚼してごくんと飲む込む時が来る。
「ヘイ、あなたは消費に対抗するものを作れますか?」
いつも早朝に何もない雪原を歩く。
深夜に真っ黒の闇に手をさしこんでかき混ぜながらドライブする。
明らかに自分が、静かに集中しながら見つめているものがあって、ただそれを信じてる。
午前3時の玩具、すなわちノートブックを携えて日々の旅をするわけである。