生活の傍らのボードゲーム
生活の傍らにボードゲームがあるというのは良いなと思う。
玄関やテーブルの上にチェスのボードを置いておいて、気が向いたら一手進めるという感じ。そして次の一手のことを考えながら、カレーを作ったり、出かけてしまう。そして人に会って話をしながら、ぼんやりとそのことについて考える。
ボードゲームの盤上のできごとは、日常的なものごとから少し切り離された場所にあると思う。それは、テーブルの上に乗った小さなボードの上での出来事であって、生活の中での円環とはまったく別な場所にあるものだと知っているからだと思う。生活の傍らのボードゲームの考え事は、僕らを日常から切り離し、生活にちいさな穴を穿つ。カレーを別な味に変えていく。出かけた先の日常的な光景が奇妙に感じる。出会った人々との会話に魅力的なズレを生じさせる。
好きなアートのインスタレーションで、会場の向かい側のビルのいくつかの窓際に、「白いカップの上にオレンジをただ乗せたもの」をランダムにいくつか置いておくというものがある。向かいのビルの古びた窓枠に置かれた、白いカップに乗ったオレンジ。あなたが窓から眺めた時に感じる、日常の中のかすかな違和感がそのまま作品となっている。
生活の傍らのボードゲームとは、この「窓辺の白いカップに乗ったオレンジのようなもの」で、日常の中での非日常だ。生活の中では、いろいろと自分をとらえるような出来事が多い。しごとのこと、ゆうじんのこと、こいびとのこと、しゅみのこと。ひとつの円環のなかに閉じ込められると、ものの見方はちいさく狭くなる。目の前のできごとの傍らに、まったく別な「生活から切り離された非日常的なかんがえごと」を置く。ボードゲームをひとりで右手と左手が対戦したときと同じように、相反する考え事をひとつの場所におく。
そういうときにボードゲームのような非日常的な考え事は、隅っこになぜかこじんまりと収まる。2手〜3手先で決まったものごとが起きるというボードゲーム上の予感は、日常的な考え事の隅っこに小さく収まる。収納をうまく終えた時に、目の前の人の笑い声が聴こえてくる。相手が何を話しているか、そこから考える。
生活の傍らのボードゲームは、日常的な円環にちいさな穴を穿つ。夜空の月を出口として見ると、暗く紺色に染まった空の向こう側に空洞を感じるのと同じ。生活からすこしだけ切り離された考え事を、あたまの隅っこに置くと、円はとぎれ、その穴から「遠く」をみる。
目の前のできごとから、すこしだけ間をおいてものごとを感じたりしてみよう。そのために、非日常的なものごとを頭のすみっこに置いてみよう。それは例えば、お祭りの会場で、夜店が並び人通りの多い風景を、ちょっとだけ小高くなった場所に登って、優しく見下ろす感じに似ている。暗闇に浮かび上がるライトアップされた様々な夜店を、遠くに、ざわめく喧噪を感じながら、静かに集中して見つめてみよう。