
昼間は食べるために文章を書き、夜は自分のために文章を整理する生活を最近は送っている。来春に向け小さな同人誌を作り始めたのだ。週に1〜2度、出来上がった”Nightly build”をUSBメディアへ転送し、コンビニまで足を運びそれをプリントする。先ほどまでディスプレイに表示されていた文字が紙となって現れると、それだけで何かを成し遂げたような多幸感がある。
Posted on 17 11月 2020 by lemonade_air
昼間は食べるために文章を書き、夜は自分のために文章を整理する生活を最近は送っている。来春に向け小さな同人誌を作り始めたのだ。週に1〜2度、出来上がった”Nightly build”をUSBメディアへ転送し、コンビニまで足を運びそれをプリントする。先ほどまでディスプレイに表示されていた文字が紙となって現れると、それだけで何かを成し遂げたような多幸感がある。
Posted on 24 4月 2020 by lemonade_air
世界がこんな形で閉じられる少し前、貨物船に乗船しブリスベンから横浜へと渡った。船内で交わされる殆どの情報は電子化されていたけれど、日誌だけは航海士によって手書きで記されていた。
Posted on 17 6月 2019 by lemonade_air
校区の外れにある実家と小学校の間には一本の川が横切っていてた。両親は幼い私を心配し通学以外での川越えを禁じていた。当時、私の友人の多くは川向こうに住んでいた。川を越えられない私は帰宅後多くの時間を一人で過ごすこととなった。この状態は単純に放課後の生活だけではなく、学校生活でも私を過酷な状況に置いた。
「今日ゲームやるから遊びに来いよ」
「いや、川を越えて遊びに行けないんだ」
「なんだよ、意味わかんないよ」
変化は小さな気付きからだった。あるとき私は両親から川とは反対方向への移動を禁じられていないことに気づいたのだ。両親も私が校区の外へと移動を拡大することは想定していなかったのだろう。彼らの定めたルールの欠陥をついた私の最初の抵抗だった。私たちは時として自分の置かれた環境から移動を迫られることがある。旅がもし、自分の置かれている世界から一歩踏み出し新しい世界に接点を持つことであれば、この行動は間違いなく私の最初の旅だった。幼い私は自転車のペダルを踏み「外」の世界へと渡ったのだ。
私は公園で見かけた同年代に、まるで最初からいたような顔で話しかけ、多くは知らぬ奴と拒絶され、時々仲間に入れてもらえるところで遊んだ。やがて顔見知りとなり、何人かはこの歳になるまで時々連絡をとり合えるような友人となった。最近帰省した際に当時の知人と会う機会があった。
「お前はさ、ある日気づくといたんだよ。んで、気づくといなくなってる。」
「放浪者かよ。」
「違うんだよ。うまく言えないんだけどさ。」
友人には二人の子供がいて、四角いファミリーカーと四角い家(北海道の家は大抵四角いのだ)のローンを抱えながら生きている。私は相変わらず、これといって何も持たず生きている。
東京に帰る飛行機の中で私は会話を思い出す。両親の決めたルールも。もし私が川越えを許されていたら、どんな人生を歩んでいたのだろう。また、
「ひょっとすると私は、まだ一番最初の旅を終えていないのではなかろうか」
とも。Dash 8のプロペラが回転を始めていた。千歳から函館を経由して羽田に帰る遠回りの特典航空券だった。時々するこの意味のない遠回りも、超えることを禁じられた「川」を本能的に避けるための、私の妙な癖なのかもしれない。(975文字)
Switch Publishingが発行しているMONKEYという文芸誌に「一番最初の旅」について、多様な人に1000文字で綴ってもらうという企画があった。面白そうだったので、僕にとっての「一番最初の旅」について書いてみた。
Posted on 04 1月 2019 by lemonade_air
横浜にある日本郵船歴史博物館を訪れた際、海図の廃材を利用したメッセージカードが販売されているのを見つける。地図好きの私にとっては最高のメッセージカードだったので、早速購入する。帰宅後にニヤニヤと眺めていると「これでカルタ遊びをすると面白いのでは」ということを思いつく。ルールは簡単だ。カードに印刷されている地図の断片から場所を特定する。ただし、検索をせずに、だ。
まず、遊びが出来そうなもの、そうではないもののグループに分けてみる。
写真説明にもあるように、海岸線がはっきりと印刷されているものはこの遊びに適している。反対に、海上の海底深度だけ記されたものや、陸上の断片、それから、海図の説明が記されているものはこの遊びに適さない。今回購入した10枚入りのカードは、4枚が遊びに使えそうだ。
早速遊んでみる。陸上や海上にプリントされた地名や川の名前から場所を推測し、丁寧に海岸線を追っていく。あった。この地図の場合には、陸上に印刷された津駅が決め手となった。
二枚目、大島という島が印刷されている。大島という地名は厄介で、全国にかなりの数が存在する。ここでは印刷された港の名前、「唐津港」がポイントとなりそうだ。発見、佐賀県唐津市の海岸だった。
写真に写っているiPadの地図は海図だけれども、海図である必要は全くない。Google Maps.appでも、iOSであれば標準の地図.appでも構わない。自分が答え合わせが出来れば良いのだ。海図廃材のメッセージカードやメモブックで「海図カルタ遊び」を楽しんでみるのは如何だろう。
Posted on 30 9月 2018 by lemonade_air
A3の方眼紙
ここ最近、使い道のない資格試験の勉強をしている。勉強中、いくつかのノートブックを使ってみたのだけれど、どれもしっくりこない。結局、学生の頃から続けているA3用紙に書出すという方法に戻ってくる。私の場合、A3用紙(大きな紙)であれば特にこだわりはない。ただ、近所の文具店にあったオストリッチダイヤの方眼紙がとても良かったので、文具好きの皆様ご紹介したい。この方眼紙は厚手で、安価なものにありがちな「消しゴムで擦ると方眼が薄くなる」ということがなく、とても良かった。
LEDのデスクライト
デスクライトは文具だろうか。私にとっては文具かもしれない。以前は、山田照明のZ-107というデスクライトを使い続けていた。今は廃番になってしまった灰色のモデルが本当に好きで、何度か修理に出してまで使っていた。後継のZ-108というモデルもあるのだけれど、優美な曲線を持つZ-107のランプシェードの方が私は美しいと感じている。
Z-108のランプシェードデザインはオリジナルシェード(復刻のZ-00参照)から曲線を排したとも解釈できなくもなく、寧ろZ-107の方が本流から逸れるとも解釈が可能だけれど、そんなことは割とどうでもよく、私はこのZ-107のランプシェードラインが大好きだ。そんな大好きなZ-107は、このアパートに越してから、しばらく机に向かうことがなかったので(そもそも向かう机がなかったのだ)、今は手元からは離れている。
折りたたみの机を用意して以来、白熱球のデクスライトを再び用意しようと心に決めていたのに、目の衰えには勝てずに最近LEDデスクライトを購入した。硬質なLEDの光は毛嫌いしていたよりもずっと生活に溶け込んでいる。悪くない。
それから、これは多分気のせいだろうけれど、白熱球の柔らかい光より学習効率が上がっている気がする。作業環境の光については多くの研究がされていて、より色温度の高い照明(白熱灯色ではなく蛍光灯色)の方が、生産性が高いという研究結果もあるようなので、私の体験は単純な勘違いとも言い切れないのかもしれない。何れにせよ、文具を囲む照明を変えることによって、普段書き記しているノートブックに変化が生まれるのであれば、それは面白い体験になるのではないだろうか。
Posted on 15 7月 2018 by lemonade_air
“伊東にゆくならハトヤ“というCMが関東圏では定番らしい。北海道の”定山渓ビューホテル サンバカーニバル“みたいなものだと信じている。今日は伊東屋で万年筆を購入した話を書こうと思う。
文具店で万年筆を買い求める経験はこれが最初で、特に詳しくもないので、知ったかぶりをせずにお店に行き色々聞きながら購入した。インクの詰め方や、メンテナンスの仕方を丁寧に教えてもらえた。
購入したモデルはパイロットというメーカのカスタム74というもの。最初の一本には悪くない選択とのこと。
インクは今のところ標準のインクカートリッジを使っている。
今朝は意味もなくノートパッドに文字を書いたりしてニヤニヤしている。
Posted on 19 5月 2018 by lemonade_air
“The boarding will be start at 11:45 on 4th floor, she said.”
“boarding”という単語がとっさに口から出て「この単語は元々は空港ではなく、旅客港で使われていたんだよな。今まさに語源通りに使っているのか。」などと少し感動しながら、私は目の前の男性と、困って慌てている券売担当の女性の会話に割って入った。男性はこちらを振り向きに”Thank you”と軽い会釈をした。僕も適当に”No hey problema.”と返す。徳島のフェリーターミナルで交わした彼との最初の言葉だった。
彼と出会う前日、私は帰宅途中に神田にあるお好み焼カープで同僚と一緒に食事をし、そのまま駅中の神田鐵道倶楽部で飲みながら店内のディスプレイをぼんやりと眺めていた。ふと、自分が十分に疲弊し限界に近づいていることに気づいた。それは、何かのきっかけて音を立てて切れてしまうような切迫したものだった。私は会計を済ませた後、東京駅で閉店間近のみどりの窓口に滑り込み、寝台特急のチケットを買い求め、同僚に「良い週末を」と交わし寝台列車へ乗車した。この場所から少しでも早く離れる必要があると感じたのだ。翌朝に高松に到着すると、駅構内にあった連絡線うどんでうどんを食べ、そのまま特急で徳島まで向かい、寄り道をせずに市内フェリーターミナルに移動した。時間軸を正確に記すとこうなる。
Leg 1: 東京: (金) 2200 🚆 高松: (土) 0727 寝台特急 サンライズ瀬戸
Leg 2: 高松: (土) 0823 🚆 徳島: (土) 0936 特急 うずしお5号
Leg 3: 徳島: (土) 1200 🚢 東京: (日) 0730 オーシャン東九フェリー びざん
今回は「少し遠回りした週末の帰宅」の際、フェリーで出会った彼について書こうと思う。
私がこのフェリーに乗船するのは今回が二回目で、以前は東京から北九州の逆航路だった。この会社のフェリーは新造から間も無く、綺麗で、そして船内で販売される酒類がコンビニと殆ど変わらない価格だった。つまり、乗船中は天候に関わらず酔いどれていられるのだ。今回も船が岸壁を離れる前から船内の自販機でビールを何缶か買い、関空から飛び立ったであろう幾機もの旅客機が曳く雲を眺めながら、甲板でそれを煽った。
船内は大型連休後の週末らしく閑散としていて、彼を見つけるのは難しいことではなかった。もっとも、甲板でビールを飲み続けていた僕に彼から声をかけてきた。彼の喋る英語はとても紳士的な英語で、時々イタリア語の響きに近い訛りが出るのが年齢も相まって可愛らしかった。彼は世界に点在するいくつかの巡礼路を歩いている最中だった。今回の来日は四国の巡礼路が目的で、三月から歩き始め今日徳島にたどり着いたとのことだった。確かに、彼は十分に日焼けをし、笠を被り白い巡礼服を纏っていた。
彼とは乗船後の東京での乗継路線や、船内の自販機の利用方法などの話はしたけれど、不思議とそれ以上の話をしなかった。彼は基本的に私に個人的な質問をしなかった。私も彼に多くを投げかけなかった。甲板で沈む夕日を眺めたり、それから約束をしたわけでもないのに、早朝から朝日を見るために甲板に上がろうとしているところを偶然に出会い、各々に房総半島を上る朝日を眺めた。
彼は満ち足りているようにみえた。彼の動作一つ一つが、私が殆ど失ってしまった何かを感じさせた。lonly planetを開き何かを調べ、ノートブックに文字を記し、そしてゆっくりと外の風景を眺める。彼は、彼の人生を完全に楽しんでいた。私はどうであろうか。私は、過剰なコミュニケーションに疲弊していた。昼夜を問わず通知が届き、携帯の微かな振動音で目が覚める。そんな生活に心底嫌気がさしていた。
りんかい線の大井町で彼と別れ、私は帰宅した。カレンダーには翌週の予定がいくつか届いていた。私は日曜の昼間、ごく当然のことのようにいくつかのSNSアカウントを閉じ、携帯電話の連絡先を整理した。それから、冷蔵庫に冷やしてあったビールをグラスに注ぎ飲むと、少し幸せな気持ちになれた。簡単な答えにたどり着くまで、帰宅以上に遠回りをしてしていたようだった。
Posted on 25 1月 2018 by lemonade_air
私にとっての一番大きな文具、折りたたみ式の簡素な机が年末に届いた。背面に貼付されていた巨大な「安全に関する注意事項」を丁寧に剥がし、部屋の中央に机を設置すると、ようやくこの部屋が自分の居場所のように感じられた。
以前の机を処分してからの半年、私は「この部屋に居場所を持たない流浪者」であった。アパートの小さなキッチンで立ったまま食事を摂り、床にタオルケットを敷き丸くなって本を読んだ。過去どのような所有物を処分した時よりも生活の質が下がった。陽の光が差し込む明るい独房に収監されていた気分だった。
私は再び多くの時間を以前と同じように机に向かい過ごすようになった。本を読み、食事をとり、キーボードを叩き、書き物をした。部屋が手狭に感じられるときは、折りたたんで押入れに仕舞った。こうして新しい文具「机」は生活に馴染んだ。
Posted on 18 12月 2016 by lemonade_air
最近はぺんてるサインペンと黄色いノートパッドを使っている。今使っているOffice Depotのノートパッドは10冊で1,000円くらい。書いては切り取り、必要なものはジップロックLに折らずに入れて仕事机に放り込んでいる。ペンを走らす際にする音も気に入っている。
Posted on 03 12月 2016 by lemonade_air
少し遠回りすること
空港の待合室で搭乗を待っていると「本日はご搭乗いただきまして誠にありがとうございます。搭乗に際し優先搭乗のお知らせとなります。〜プラチナメンバー、ゴールドメンバー、および〜アライアンスエリートクラスのお客様〜」というような告知と共に、仕立の良いスーツを纏い搭乗ゲートに向かう乗客のを目にすることになる。
私は年に数度、実家に帰省する際に格安航空会社を利用する程度で、優先搭乗とは無縁の生活をしている。今回は私のように年に数度の飛行機利用しかなく上級会員とは無縁、ただ普段は飛行機に乗らずに航空会社のポイントを細々と貯め、時々「目的地まで少し遠回りする方法」について、旅好きの皆様に共有したいと思う。残念ながら今回も文具の話題ではない。また、皆様の中にはリモワのジュラルミンケースに上級会員タグを付け、空港を颯爽と歩く人たちも少なからずいるであろう。残念ながら今回の記事はそのようなジェットセッターも対象としていない。
ポイントの仕組み
最初は仕組みの紹介になるので、興味のない人は読み飛ばしてもらっても構わない。ここで伝えたいのは「私の場合、ポイントで一年に一回国内往復券が手に入る」という点だけだ。またクレジットカードの紹介がしたいわけではないので、リンクも貼らない。興味のある人は自身で調べてみることをお勧めする。私の場合、少し年会費はするけれど、
United MileagePlusセゾンカード AMEX (1,500円/年) に、
マイルアップメンバーズ (5,000円/年) というオプションをつけ利用している。
この組合せで利用すると、1,000円で15ポイントが貯まることになる。(このポイントのことを航空会社は「マイル」と呼んでいる。以下、マイルと表記したい。) 私は普段このカードで各種公共料金、携帯料金、通勤定期、それから日用品雑貨購入やコンビニでの簡単な支払にも利用しているので、月の支払いは5〜6万円位になる。これで月平均で700〜800マイル貯まる。更新月に500マイル貰えるので、年間にすると大凡10,000マイル貯まり、ANAの国内線往復と交換することができる。(UnitedはANAと提携しているため貯めたマイルとANAで利用することが出来るのだ。)
ここで「何故、United航空のマイルを貯め、そのマイルをANAの航空券と交換するような面倒なことをしているのか。」という点が気になるであろう。私がUnited航空でマイルを貯める理由は二つある。一つは飛行機に乗らずともマイルが貯まりやすい点、もう一つは今回の主題である「少し遠回りすること」その頭のおかしい素晴らしい航路設定にある。
頭のおかしい 素晴らしい航路設定
例えば札幌から東京に帰る際、国内航空会社ではあまりお目にかかることのない頭のおかしい素晴らしい航路を紹介してくれる。以下の航路は、ここ数年で利用した実際の航路である。
札幌 (CTS) > 稚内 (WKJ) > 羽田 (HND)
札幌 (CTS) > 大阪 (ITM) バスで移動 神戸 (NMB) > 羽田 (HND)
札幌 (CTS) > 沖縄 (OKA) 一泊 > 羽田 (HND)
(それぞれ5000マイル利用)
小さな島国に住む我々には意味がわからない航路である。何故、札幌から東京へ帰るために沖縄を経由するのだろうか。私にもわからない。星条旗靡く国の人々は時々このような「合理性に従順に従う」理論を展開する。そう「空席が目立つ路線を乗り継いでもらえれば、客は目的地に到着するし、我々は潤うじゃないか、これはウィンウィンだろうHAHAHA!」というような理論だ。こういう理論の大概はうんざりするものだけれども、このケースに限っては歓迎している。遠回り大歓迎である。私はこれらの航路を利用し、稚内経由の際は宗谷岬までレンタカーを飛ばし観光し、大阪では知人と待ち合わせ神戸駅のガード下で飲んだくれ、沖縄は公設市場でソーキそばを食べ、翌日の便で帰って来た。
札幌 (CTS) > 稚内 (WKJ) > 羽田 (HND) の場合、
左: 札幌から稚内まではプロペラ機だった。
右: 宗谷岬ウィンドファーム内、レンタカーで入ることが出来る。遠くには宗谷岬が見える。
右: 稚内空港で見つけたサハリンビール。地元の業者がロシアから輸入しているとのこと。
左: 夕方の便で稚内から東京に戻る。空の色がくすんで見える。
想定されるシナリオ 〜広島在住の場合〜
例えば広島に住んでいるとしよう。一月中旬に東京に遊びに行く予定がある。ただ、北海道にいる知人ともデートもしたい。悩ましいところである。そんな時、この航空会社は素晴らしい航路を紹介してくれたりする。
NH4815: Hiroshima (HIJ) 8:50 – Sapporo (CTS) 10:40
11時間5分 乗り継ぎ
NH 998: Sapporo (NH988) 21:45 – Haneda (HND) 23:25
これで5,000マイルである。この11時間は勿論空港から外出しても構わない。半日あれば、札幌駅地下で寿司を食べ、イサム・ノグチ設計のモエレ沼公園を見て、東京に向かう飛行機に乗る前に余市とサッポロクラシックを飲む時間は十分にある。味噌ラーメンを追加してもいい。羽田に着いた後は、羽田に隣接するカプセルホテルにでも泊まれば良い。
これはどうだろうか。
NH1861: Hiroshima (HIJ) 11:45 – Okinawa (OKA) 13:40
7時間10分 乗り継ぎ
NH478: Okinawa (OKA) 20:50 – Tokyo (HND) 23:00
残念、知人は丁度その日予定がある。仕方ないので昼過ぎに沖縄に向かい、国際通りを観光、公設市場でソーキそばを食べ、泡盛とオリオンビールを飲んだ後に東京に向かう。これでも5,000マイルである。こうした良質なチケットを探すポイントは、提示された航路を所要時間の長い順に並べ替えることだ。予期しない素晴らしいチケットに巡り会えるだろう。航空会社にある特典航空券のページを眺めながら、次はどんな素晴らしい航路に乗ろうかと考えるのは楽しい。もちろん貴方がごく一般的な傾向性のある性癖の持ち主であれば、最短距離、つまり広島から東京への直行便の紹介もある。ただその場合は格安航空会社を利用しても良いのではと思う。マイルを使ったこの遊び醍醐味は意味のない遠回りにある。
少し遠回りすること
普段の生活で冒険をすることは少しハードルが高い。年齢を重ねるごとに片道切符で旅をすることも難しくなる。帰りの電車に揺られ旅の思い出よりも浸るよりも、翌早朝の会議が気になる人もいるだろう。誰もがすぐに焚き火を出来るわけではない。ただどうであろう。本来の予定にマイルの「少し遠回り」を入れ旅すると、思いがけない体験が出来るかもしれない。
* 記事中の金額、マイル交換レートはすべて現時点での値となります。これらの金額、マイル交換レートは予告なく変更される可能性があります。
Posted on 05 7月 2016 by lemonade_air
-岩これ- を始める
岩波文庫を購入してから到着までの間、過去に出版され現在は品切れになっているものを整理してみようと軽い気持ちで「岩波文庫これくしょん -岩これ-」を始めたのだけれど、これが沼であった。一世紀近い歴史を持つ文庫が沼ではない筈がない。
念のため。岩波文庫には基本的にはすべて「著者番号」と呼ばれる一意の番号が振られ、カバーの背表紙下側の色によって分類分けがされている。ちょうど図書館の日本十進分類法(NDC)のような分類を一つの文庫が持っている。これって結構すごいことだ。例えば夏目漱石であれば、
緑 (日本の近現代文学) 11番 として 緑11 というコードが与えられている。
私が今回棚買いした本をコードで表記するならば青の900番台(自然科学)となる。
細かなルールはWikipediaにある分類の説明が素晴らしい。
岩波文庫の歴史は古く最初の発行は1927年である。1927年といえばリンドバーグが大西洋を無着陸横断した年だ。その1927年から2016年までの間、岩波文庫の著者番号は何度か大きな変更が加えられ、再販、再番号割り当て、例外処理など、長期間運用されたデータベースにありがちな混沌をすべて兼ね揃えることとなる。加えて私が今回集めようとしているジャンルは自然科学の分野である。文学の性向が強い岩波文庫で何故自然科学を収集することはマイノリティである他ない。情報が少なく、品切れの本は稀少性が高い。収集前から沼の香りが漂う。
欠落した情報
手始めに岩波ブックサーチャーと呼ばれる本家のデータベースを利用し、検索条件に「岩波文庫」「自然科学 [青]」だけを選択し検索する。このブックサーチャーの素晴らしい点は現在販売されていない[品切書目]も同時に表示してくれることだ。Spreadsheetに吐き出して整理してみる。すると幾つかの情報の欠落に気づく。まず、検索結果として表示されている発行日フィールドに値が無いものが2冊ある。
青902-1: 科学と仮説 1938年2月 発行
青912-3: ビーグル号航海記 全三冊 下 1961年2月 発行
戦前に発行されている「科学と仮説」は情報がはっきりしない可能性はもちろんわかる。けれども「ビーグル号航海記 全三冊 下」は戦後になってからだ。色々と調べているうちに岩波書店が岩波文庫の目録として「解説総目録」という本を3巻セットで発行していることを発見する。品切れのためAmazonで古本を注文し、これらの本を検索してみる。発見。
科学と仮説 1938年2月25日 発行
ビーグル号航海記 全三冊 下 1961年2月25日 発行
共に2月25日であった。興味深い一致だ。次に著者番号順で並べてみると著者番号「青911」「青921」「青932」が欠番していることを見つける。ブックサーチャー側の単なる情報欠落かもしれないので、購入した解説総目録の自然科学を総当たりで調べて見る。「青932」は発見。
青932-1: 雑種植物の研究 メンデル/岩槻 邦男,須原 凖平 訳 1999年01月18日 発行
生物の授業でも習ったメンデルの「優性の法則」について書かれている本だと思われる。Amazonで検索すると書籍自体は15年くらい前に再販されている。単純に岩波側のデータベースから欠落しているようだ 現時点(2016-07-05)では正しく表示されました。解決。問題は「青911」と「青921」である。これは解説総目録にもなかった。これに関しては現在私は「再番号割り当て」などで欠番しているケースを検討している。例えば解説総目録上は自然科学分野として分類されている、
青614-1: 科学論文集 パスカル/松浪 信三郎 訳 1953年12月05日 発行
という本は青614-1という番号が割り当てられている。現在の分類でいけば青600番台は哲学だ。こうした例から、元々は青900番台(自然科学)に当時は整理されていたものの、何かの理由で別分類に移行された著者ではないかと推測している。目録を総当たりで探すことも検討したのだけれど、この場合範囲が広くなり現在のところ保留中だ。
青921-0 (追記: 2016-07-26)
適当に書いたエントリだったのだけれど、予想に反し投稿を頂いた。
“「大学図書館なら、岩波文庫は出版時に購入してそう」と思ったので、大学図書館の本を探すことができるCiNii Booksで…青911はわからなかったのですが、青921はファーブル昆虫記 きんいろおさむし その他 じゃないでしょうか。第20分冊とあるので、ファーブル昆虫記だけで20冊はあったようです。…すごい。” – chidorix
早速CiNii Booksで検索を実施する。発見。
きんいろおさむし その他
岩波文庫, 青-88, 630-631, 青(33)-921-0, 第20分冊, 岩波書店, 1962.3
確かに921-0と番号が振られている。そういえばファーブル昆虫記はこの番号の近くではなかったかとSpreadsheetを見直す。あった。現在は青919-1~920-0までの10巻セットに再配置されている。ここで一本の線に繋がる。ファーブルの昆虫記が元々20巻セットであったならば、著者番号921-0はぴたりと一致する。
919-1~920-0 (1~10巻)
920-1~921-0 (11~20巻)
かつてファーブル昆虫記は上記3つの著者番号を跨ぐ20巻セットであった。
これが再編集を経て現在の、
919-1~920-0 (1~10巻)
に再配置され、結果的に921番が欠番となった。
通常著者番号は1から始まるので、921-1しか可能性を考えずに探していたけれど、実際は前の番号から続く大作であった。見つからない筈だ。当初推測していた「著者番号整理説」ではなかったけれど、とても嬉しい。ありがとう、chidorixさん。一つは解決しそうだ。残るは青911。
ルーサーバーバンク
Spreadsheetを整理しているうちにもう一つ気になる点を見つける。現在品切れになっている「植物の育成」という本が、岩波の自然科学では異例の長編8巻組なのである。一つのシリーズとしてはファーブルの次に多い。私は恥ずかしながらルーサーバーバンク(Luther Burbank)という人物を知らなかった。教科書にも載っていた記憶が無い。私より256倍くらい勉強の出来たであろう同年代の知人数人に尋ねるも、やはり知らないという。俄然興味が湧く。
「日本ではあまり有名ではなく、米国では有名な生物学の人間なのかもしれない」とも考え、高校までを米国で教育を受けた同僚に聞いてみる。
知らない。英語のWikipediaを読むと、むしろアイルランドの方が有名なのかもしれない。去年泊めてもらった同僚に聞いてみる。
luther burbank is famous for helping with Irish famin
というWikipediaをコピーペーストしたような回答が返ってくる。アイルランドでは有名なんだろう、ルーサーバーバンク。Wikipedia以外に何か情報が無いかなと色々探すけれど、残念ながら日本語はどれも疑似科学に近い内容なのでここには記さない。Wikipediaの英語版が今の所一番素晴らしい。日本語情報が少ないだけに再販されないかなと少し期待する。
ルーサーバーバンク、彼はボタニスト(植物学者)だけれど、最近で一番有名なボタニストはおそらく映画オデッセイ(原題:The Martian)に出てくる彼だろう。映画が人気の頃にこんなこともあったのだから、同じタイミングで再販していればボタニスト繋がりで盛り上がったかもしれない。芋と本。檸檬と本を置いた何処かの書店もあったのだから悪くないプロモーションだと思う。
少し長いけれど、本が届くまで楽しんだ-岩これ-の報告でした。
Posted on 02 7月 2016 by lemonade_air
酒を飲んだ後に書店に行くのが好きだ。飲み会の帰り道に深夜営業の書店に立ち寄り、好きな本を購入することが出来るのは都市生活における贅沢の一つだと思っている。郊外の場合は書店まで自動車の移動が必要で、飲んだ後気軽に出向くことができない。私が都市に住み続ける少ない理由の一つだ。
最近、雑誌を読みながら家で酒を飲んでいる際に「自分の普段読まない本もまとめて買っておけば、自宅にいながらにして書店に来た気分が味わえるんじゃないだろうか」という馬鹿なことを思いつき、岩波書店のお客様相談室にメールをしてみた。
「こんにちは。「岩波文庫」で現在販売されている(目録にある)自然科学のジャンルを全て購入したいのですが、直接岩波書店様から購入することは可能ですか? 全45冊、34,420円と計算しているのですが、カードでも振込みでも構いません。」
数日後、お客様相談室から返信があった。
「文庫の自然科学書のご注文ありがとうございます。早速小社の在庫と引き合わせて計算をいたしました。現在該当する文庫は仰せの通り45冊です。また、その本体価格合計は、35,780円となっております。何分、大きな荷物の出庫となりますので、倉庫への出庫指示はご入金確認後に可能なシステムです。先に請求書・振込用紙をお送りさせていただきますので、ご入金をどうぞよろしくお願い申し上げます。」
値は張るが買えない金額ではない。請求書と振込書を送ってもらい購入手続きを進める。届いた請求書には、岩波文庫を模したミニノートが同封されていた。また驚いたことに、担当してくださった方からの手紙もあった。嬉しい。
あまりこうした購入をする人はいないようで、発送時点の連絡で担当の方から、
「岩波文庫の自然科学系ラインナップ全部というご注文は大変に珍しくて、非常にうれしく手続きをさせていただきました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」
という返信を頂いた。私の身近にも自然科学系の本をまとめ買いする人はいない。
その本が先ほど届く。壮観である。
届いた本から帯を外し(本の帯があまり好きではなく、購入するとすぐに捨ててしまう)、短冊状の売り上げカードを引き抜くと結構な枚数となる。これだけでも普通ではない感じがして良い。
どこかのミュージシャンがCDを棚買いする話を聞いたことがあるけれど、本を棚買いっていうのも趣がある。帯を並べてみると「ビジネスリーダーが勧める岩波文庫」が多かった。本の種類に偏りがあるためだろうか、それとも文庫の読者層に訴えかけやすいコピーなのだろうか、何れにしても興味深い。
私は2015年春の帯紙がとても気に入った。薄手の紙で触り心地が良い。他のツルツルした帯よりずっと好感が持てる。
以前、雑誌「図書」にあった誰かのコラムで「昔は岩波文庫をポケットに忍ばせておくとモテた(かなり誤解のある解釈)」という記述を見たことがある。では仮に棚買いするとどのような結果が生まれるであろうか。自明である。女子が「だいしゅきー」と寄ってくるに違いない。その下心が購入へのモチベーションを支えてくれたことを加筆せねばならないだろう。あとはモテるだけだ。
Posted on 24 1月 2016 by lemonade_air
どのくらい好きかというと、自分で飛ばせるように練習しちゃうくらいだ。私の練習している機体は滑空機(かっくうき)と呼ばれるタイプの飛行機で、日本の法律では立派な航空機として扱われる。だから滑空機の免許(技能証明)を持っている人はパイロット(操縦士)と名乗ることが出来る。男子なら一度は憧れる?(私は憧れた)パイロットだ。
この滑空機と呼ばれる航空機、実はエンジンが付いていない。そのため他の航空機とは異なり自らの力で飛び上がることができない。地上に設置したウィンチと呼ばれる大きなエンジンを使い「凧(たこ)」の原理で引き上げてもらうか、もしくはエンジンの付いた別の航空機に牽引してもらい飛び上がることとなる。ある程度の高さまで登ると(大体スカイツリーの第二展望台くらいの高さだ)、牽引してもらっていたケーブルを切り離し、風の力を利用して降りてくる。上手な人になると何時間も飛び続けることができる。動力のついた航空機を操縦する人は時々「クレイジーな乗り物だ」と言うけれど、私はこのクレイジーな乗り物が好きだ。
この滑空機、自動車や船舶と同様に練習をする必要がある。一般には50-100回程度教官と一緒に飛び、ようやく単独で空に出ることとなる。私は始めてもう2年になるけれど、仕事が忙しく飛行回数が足りず残念ながらまだ単独での飛行経験はない。それでも自分で握る操縦桿で空に登っていく感覚は形容しがたい。いつも少し鼻の奥がツンとしてしまう。流線型に形成された、コックピットと外界を遮る強化プラスチック越しに見る世界は、いつも、等しく素晴らしい。
こうした体験の記録は「飛行日誌(ログブック)」とよばれるノートブックに記すこととなる。これは免許(技能証明)を申請する際の資料となるので、航空法とよばれる法律にも記すことが求められている。だから私がもし「一番大切なノートブック」を見せてくれと言われたら、迷わずこのノートブックを見せることになる。ここに並ぶスケッチや素晴らしい文章を添えたノートブックとは異なるものだけれども、飛行記録の横に教官のサインが入り、公的に空を飛んでいることを示す確かな証明になる、私はこのノートブックを誇らしく感じている。
Posted on 23 11月 2015 by lemonade_air
延々と地平線まで続く車列を見ながら、諦めたように運転手が交通情報に周波数を合わせる。逃げ場の無い片道4車線の幹線道路、101号線、救いようのない情報を手に入れたところで何か変わる筈も無く、ただ情報を消費するためだけにそのラジオを確認する。
ここから見える地平線の少し先辺り、数マイル先で、誰かがバイクから降りトレーラに身を投げたそうだ。トレーラはそのまま横転、数台を巻き込みながら炎上、ウィンドシールド越しはるか遠くに見える黒煙となっているようだった。遠くに報道する回転翼の機影が見える。サンフランシスコに似合わない救いようのない曇天。少し寒い。
車内に漂う陰惨とした空気に耐え切れず私は窓を開ける。途端、長期間放置した熱帯魚の水槽をひっくり返したような匂いが鼻を突く。水捌けの悪い土の匂いだ。少し先に目をやると沿線のガスステーション横、平屋建ての店舗であったろう建物が見える。薄汚れたガラスには”FOR LESALE”と小さな張り張り紙。奥には給水塔が見え、そこには耐性のインクジェットプリントされた大型の消費者金融広告が貼られている。その下、近所の協会の看板だろうか、
“He Died for YOU!”
素晴らしき国にいることを実感する。私は小型のノートブックにこう書き記し、ポケットに押し込み、閑散とした車内を横目にシートに身体を埋めた。
…とか何とか。こんなことをメモしながら、時々コンパクトカメラ(広角で比較的明るい単焦点)で車窓を撮影し旅しているイメージが、ここに投稿されているのNotebookersの皆様にはあります。勝手な妄想なんですけれども。ノートブックに日常と非日常を行き来し記録し続ける。そんなイメージです。
残念ながら私の私生活は、大型のバックパックを背負っていたり、RIMOWAのジュラルミンケースにセキュリティシールがベタベタと貼られた感じのを転がしていたり、焚き火のいぶした匂いのする感じとか、浅煎りのコーヒーの匂いを漂わせているとか、そのような生活からは程遠く、しかも人様に見せられるノートと言うよりは、ごく個人的なメモの範囲を越えておらず、このような言訳をせねば公開できないノートであります。例えば「もし」私が序文のバスに乗っていたとして、取ることが可能なノートはこんな感じです。
ファミコンのフリーウェーみたいだ。
Jac In the box シボレーシボレー
トヨタカムリ カムリマス!! ←大切 逆走
石狩みたいだ。
全く意味がわかりません。カムリマス。その時少し面白かったでしょうか? 今見ても全然おもしろくありません。ちょっと声に出してコント55号の「飛びます、飛びます」のように言ってみしたが、全くおもしろくありません。しかも”Jac in the box”って”Jack”のスペルミスです。
また絵の才能があるわけでもなく、ボールベアリングの内軸を四角で書いてしまう程度にセンスがありません。それでもnotebookers.jpに投稿を始めた経緯は、
「何だか楽しそうだな、おい」
というシンプルな理由からです。別に誰かにノートを見せるために綺麗に装飾したり、写真を丁寧に並べたりすることはしていませんが、きっと私のようなしょうもない事をノートを書きためている人もいるだろうと少しだけ期待しつつ投稿しています。自信のない初めて投稿される方は「ああ、あのカムリマスのノートよりはマシだから投稿してみようかな」という心理的な敷居を下げるネタとして使って頂ければ幸いです。
@lemonade_air #カムリマス
Posted on 23 11月 2015 by lemonade_air
*この文章は@blanqのお題Tw、
“Notebookersの「野郎」たちへ、10代の女の子向けの記事を書いてみよう。
キャッチーでポップな感じで。”
が元になり整理された文章になるはずでした。
三十代も半ばに足を突っ込み(突っ込んだ足は当然臭い)、十代の若人に伝えられるような、何か深みのある人生を送ってきたかというと、別にそのようなことは全然ない。酒を飲み、助平なことを考え、文字通り毎日会社に通っている。仮に何か気の迷いで十代に伝えたい事が出来ても、多分私の書き記す言葉は「オッサン臭いヒゲメガネが時代遅れなことを言っている」程度に映るんだろうと思う。まぁそれでもいい。今回はノートも文具もあまり関係なく、十代に媚も売らずに、今回は二月中旬にアイルランドに行ってきた旅行メモを少し整理しようと思う。
一月下旬のある日、欧州の同業務に従事している同僚から社内メッセンジャでこう話しかけられた。
「お前なんか面白いから遊びに来いよ。家に泊めてやるよ!」
年末年始の忙しい業務も終り、少しまとまった休みが取れるような予感があり(後にこの予感が全く期待はずれだったと痛感することになるのだけれども)、おまけにランチビアの後だったので「少し考えさせてくれ」と答え、少し考え、帰りの半蔵門線車内でiPhoneから航空券を購入した。大人になって良かったなと思うことは、こうした無理が出来るようになったことだ。後日、上司に一週間ほど休みますと申請を出し、国際免許証を運転免許センターで発行してもらい、同僚に持っていく日本食の土産を買った。
左: 国際運転免許証ではなく、正確には国外運転免許証らしい。だったら何故表紙も国外運転免許証にしないのか、今ひとつ腑に落ちない。
右: パスポート以外普段の出勤の装備とあまり変わらない。
準備が整う。
DAY1 (2015-03-13)
移動日: Narita(JP) – Amsterdam(NL) – Cork(IE)
左: 国内で747に乗ることは無くなったけれど、海外では未だ健在だ。この機体が長距離燃料を積み、重々しく空を上がっていく姿が好きだ。
右: エールフランスとの提携のせいか、エコノミーでもワインが美味しかった。
khabarovsk上空。左: 画面上部が南、氷結したAmurが見える。
右: 文字盤がキラキラと反射する感じが綺麗だった。
左: Amsterdamで四時間ほどの乗り換え待ち。その間VPNで仕事をする。
右: Cork(Ireland)入国。
同僚とも合流し一日目を終了。他に記すことはない。
DAY2 (2015-03-14)
午前中はレンタカーを借りに行く。レンタカーは総額10,000円程。その後、市内を少し散策し昼食に郷土料理を食べる。部屋に戻り、仕事の続きをして眠る。
左: Cork市内にあるCork English Market(観光市場)
右: Marketの二階にある食堂で地ビールを飲む。
左: 羊の内臓を煮込んだもの。
右: 羊肉のスープ。
どちらも北海道育ちの私にとっては違和感のない美味しいものだった。大抵の旅行者は癖があり残してしまうらしいので「羊だけど大丈夫?」と聞かれた。大丈夫。緯度が近いと食べるものも似るのかもしれない。食堂っぽいところはこの旅でここだけ。後はスーパーマーケットで食材を買って食べた。
左: 現地Prepaid SIMを購入。4G(LTE) Unlimitedで2,500円ちょっと。
右: 冬のIrelandにしては珍しく朝は晴れていた。
DAY3 (2015-03-15) Killarney (Ireland) Day Trip
終日ドライブ。
左: HartzでCセグメントの車借りたらピッカピカの6MT Renault Méganeが来る。気持ちが高揚する。久しぶりのMTで最初何度もエンストする。ロータリーでもエンストしてクラクションを鳴らされる。凹む。欧州車らしく少し引っ張って繋げると調子が良いことに気付く。
右: 紙の地図が好きで、レンタカーにナビは付けなかった。
左: 国立公園内(Ladies View Industries)の駐車場。
右: N71号線 Kerry周辺の風景。Google Streetviewでも楽しむことが出来る。
凡そ250km程度の道程。昼前に出発して夕方日の暮れる前に帰ってこられる距離だった。運転で疲れていたので早めに眠る。
Killarney (Ireland) Day Trip
DAY4 (2015-03-16)
01:30時に起床し、06:00時くらいまで仕事をする(日本時間の月曜10:30から15:00)。午前中は仕事場に顔を出し少して挨拶と仕事をする。社食で地元料理のBlack Puddingを食べる。社内は残念ながら撮影が一切許されていないのでここには記せない。ホテルに戻り夕方まで眠り、知り合った同じチームのメンバとPubに行く。
左: 宿泊先を同僚宅からホテルに変える。部屋からの風景。
右: 近くのバスターミナル。都市間高速バスの電光掲示板。
左: Franciscan Well Breweryという地元のBrewery。Pubも併設していて同僚とそこで飲む。
右: 幸運にも旅行がIreland最大の祭りSt Patricks Dayと重なった。外の電光掲示板には”St Patrick’s Day Parade – Starts on Pamela Bridge at 1pm on Tuesday”と記されている。
左: 路地裏。街灯が整備され身の危険を感じることはなかった。
右: 先日DoodleにもなっていたGeorge Booleが暮らしていた家を見つける。メンテナンスがされておらず廃墟に近い形で放置されていたのが残念。
DAY5 (2015-03-17) St Patrick’s Day
03:30時頃に起床し、04:00時から07:00時まで仕事をする。午前中はレンタカーを返却しに空港まで行き、帰りに近くのスーパーで少し食べ物を買う。午後は市内のお祭りのパレードを少しだけ眺め、昨日行ったPubにもう一度足を運び、IPAと薪釜のピザを頬張る。
左: 道路をゲートで仕切りパレードが行われていた。
右: パレードの特に大きな山車。こうした山車がいくつも連なる。
左: 昨日のPubにもう一度足を運ぶ。IPA(ビールの種類)、英国パイントで提供される。
右: 野外に石窯があり焼きたてのピザを提供してくれる。
左: 帰り道、Graffitiを見つける。
右: スーパーにも寄る。バターが一個200円以下、安い。凍らせて日本に持ち帰った。
DAY6-7 (2015-03-18 to 19)
移動日: Cork(IE) – Amsterdam(NL) – Narita(JP)
左: 霧深い朝。前日車を返すか迷っていたので正解だった。自分で運転していたら空港まで辿りつけなかった可能性がある。空港までの途中、ボンネットの先数メートルが見えない濃霧もあった。
右: 空港に着き出国手続きを終えると、朝5:30にも関わらずBarが開いていた。
左: 日本ではあまり見ない距離で旅客機が並んで飛行している。
右: Amsterdamの売店にあったSushi。NigiriだけにGrab and Fly。コンビニ寿司を二晩冷凍庫で寝かせて解凍したみたいな見事な味だった。
左: Amsterdamの無料ラウンジ。旅行中の仕事に疲れてもう諦めた図。どこでも仕事が出来るというのは、どこにいても仕事を与えられるというジレンマ。囚人の鎖自慢をしても仕方ないのだけれども。
右: 成田着。結局Wi-Fiのない飛行機の中がこの旅で一番長時間まとまって睡眠がとれた。Amsterdamで座席に身体を埋め目を瞑ると、もう極東上空だった。
今回の主な出費
klm.com Narita-Amsterdam-Cork 100,000円 (往復航空券、空港使用税、燃料サーチャージ含)
hotels.com Jurys Inn Cork 30,000円 (3泊、食事無)
hertz.com Car Rental 10,000円 (燃料は別に5,000円程度)
ショッピングも、観光バスに乗るのも、美味しい高級レストランで食事をするのも楽しいけれども、地元を車で走り、有名でもないよくわからないものを見たり、適当なPubで昼から飲んでその日は寝てしまったり、空港でわかりきっているのに寿司パックを買ったりする方が、私にとっては心地よいなと感じる。ちょうど今回のような少し慌しい旅のように。この感覚は何か思いついたことをノートに書き記していく感じに近い。
残念ながら圧倒的に私のノートは汚いし、文章を整理するときはiPhoneのメモ帳を使うのであまり手書きをすることがない。だからお題にかこつけて旅行した際のメモを貼ってみた。誰かの何でもない旅のメモを私もここで読んでみたい。そこに文具が絡まなくなって別にいい。(多分@blanqもそんなことは気にしない。)
Posted on 07 8月 2015 by lemonade_air
先日実家に一人帰省し、紙媒体の記録という記録を粗方処分した。学生時代のノート、知人と交換した手紙、それから賞状やスクラップしていた写真等を丁寧にシュレッタに通すと黄色い40Lの有料ゴミ袋が一杯になった。残った僕の記録は、折りたたみコンテナ一つ分の写真ネガ(写真部だったのだ)と数冊の稀覯本だけになった。
本棚にあった数十冊のそれほど高価ではない写真集は知人に譲り、後は古本屋に持ち込んだ。大した金額にはならなかった。ガラクタは全て粗大ごみの日に処分できるように手配し両親に任せた。丁寧に転売すれば結構な金額だったと思う。一泊二日帰省の大半をこうした作業に費やした。「まるで終活のようだ」と知人に指摘された。きっとそうなのだと思う。
深夜、@Blanqと会う。随分前に約束していた雑誌のバックナンバーと、これもまた随分前に渡すはずだったどこかの土産を渡し、市内を一時間ほどドライブした。彼が車に乗り込むと、相変わらず少し焚き火の匂いがして安心する。狩人だ。
ドライブの途中、掘削中のトンネルを見つける。蛍光灯に照らされたその光景が畠山直哉のUndergroundのようだった。きっと僕の知らないところで、誰かが今もトンネルを掘っているのだと思うと少し不思議な気分になる。僕も誰かに必要とされるトンネルを掘っているのだろうかと帰り道で考える。
彼を家まで送ると、特に理由もなく少し遠回りして家まで帰る。途中郊外にあるセイコーマートの駐車場に車を止め、昼間処分した手紙を思い出す。6月中旬だというのに、外気は湿っていて少し肌寒い。
まだ学生の頃、僕には少し年下の好きな人がいて、その子と始終手紙のやり取りをした。インターネットが未だ普及する前、学生がPHSを持ちだした少し後の頃、BI(Before Internet)最後の世代だ。LINEもない、SMSも会社間での相互運用が始まっていない頃の話。
当時僕は好きなノートブックのメーカーが幾つかあり、新学期になると市内にあるソニープラザ(現PLAZA)に足を運び、板書用にと数冊買い求めた。meadのリングノートが特に好みで、少し広めのピンクと水色の罫線や、特有の匂いが10代の文具心をくすぐった。そのノートの頁を破り、好きだった人に手紙を書いた。何冊ものノートが春のキタキツネのように痩せるくらい沢山。
彼女は今年春、一人目を出産し立派に母親をしている。時々思い出したように彼女からSMSが届く。何でもない数行が丁度こんな感じに。
「◯◯はいつも何かに一生懸命だよね。」
そう、彼女はいつも僕を苗字で呼んだ。下の名前よりも呼びやすいらしい。
「別に一生懸命なわけじゃないよ、生きるために仕方なくやってる。」
と僕も返す。とりとめのない会話。
僕も結婚し、それなりの生活を仕方なく東京で送っている。幸せかと聞かれれば概ね幸せだろう。けれども時々思い出したように彼女かSMSが届くと、当時の彼女から、そして自分自身から手紙を受け取るような気分になる。当時の僕らから、あのmeadを破ったノートに青いボールペンで「こう」書き記された手紙を渡されている気分になる。
「34の僕はどうだい?」と。
僕はどう返信出来るだろうか。まだ答えは出ていない。