愛惜のEDiT MONTHLY 2016の記事冒頭で、貴婦人と一角獣のタペストリ、6枚あるうちの一枚をあげて、この絵のテーマは、味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚、もうひとつ『我がただ一つの望み』のうちのどれでしょーと書きました。
正解は『味覚』でしたー。
『嗅覚』はコチラ>>

貴婦人と一角獣 嗅覚
前振り終わり。
『物語の中の香り』についてです。
書こう、と考えてから、かなり時間がかかりました。
「どこから始めよう」と思いまして。
嗅覚というのは、なんていうんだろう、人間の感覚の最も原始的な官能、というか、人間に限らず、動植物も香り、嗅覚は生存、種の存続に密接に関係している、など、もう範囲が広過ぎてどこから説明しようかと。
ツイッターで「広過ぎてどうしよう」などとつぶやいていたら、Notebookers.jpライターのおひとり、こなまさんが
「いい匂い編とくさい編と変わり種編にわけて連載とかどーでしょ。」
と言って下さり。
この一言がどういうわけか
「あ、そーか、香料編と香り編に分ければいいんだ」
と ぱっ と眼の前が開けました。
こなまさん、ありがとうございます。
そういうわけで『物語の中の香り〜香料編』です。
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せっかく調べたので、香りの歴史をちょこっとだけご紹介。
どの本を読んでも約4000年前くらいの古代インドから始まったと書かれていました。
古代からインドはハーヴ、スパイスに恵まれていた土地で、
1)葉っぱや木切れを火にくべた。
2)なんだか良い香りがする。
3)特別な植物だ、神様に捧げよう。
こういう流れだそうです。
インドには、ガンダルバという香りを食べる神様もいるそうです。
この火にくべる というのがポイントだそうで、香りは英語で ”perfume” ですが、
Per through(通す)+ fume(煙)から出来た言葉だとか。
この良いにおいのする植物や木切れは、インドからエジプトへ渡り、ミイラ作りなどにも使われました。
ツタンカーメンのお墓から出土した陶器製の壺には、乳香や没薬が入っていて、3000年前のその香料はまだ香りが残っていたというエピソードもあります。すごいなあ、3000年前の香り。
ハーヴやスパイスは神様に捧げる他にも、食料の香り付けや保存、また薬としても使われていてました。
ムスクや竜涎香など動物性の香料も化粧や催淫剤として用いられたようです。
この香り文化が西へ移動し、液体となりました。香水としてフランスで頂点を究めます。
東へ移動した香り文化は、固形化し、日本で香道という芸道となりました。
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確か、陳舜臣氏の本だったと思うのですが。
中国史上最高の美女 西施の身体からとても良い香りがしていて、湯浴みしたあとのお湯に香りが移るほどで、召使いの女たちが西施にあやかろうと、そのお湯を持って帰っていた、と史書に記述があるそうです。
中国史に美女はたくさんいて、顔立ちや立ち居振る舞いの美しさは書き残すことができるけれど、それでも香りは伝えることができない、というようなことが書かれていて、ああ、香りってそういうものなのだなあ、としみじみした覚えがあります。
同じく、歴史上の美女のひとりクレオパトラもまた香料好きだったそうで。
『キフイ』という調合された香料が記録に残っているそうです。
菖蒲根、シトロネラ、乳香、肉桂、薄荷、昼顔などを乾燥させて粉にしたものに、白心、ヘンナ、カヤツリグサ、合歓の花などのワイン侵出したものを加え、さらに松脂、蜂蜜を加え、最後に没薬を加えて精製したものだそうです。フクザツな香りだったそうですが、これはどうなのかな、再現できるのかな。
当時、最も貴重な香料だったそうです。
アラビアで蒸留法が発明されるまでは、身につける香料は、油やワインにハーヴを漬けて香りを移していたとか。
シェイクスピアの『マクベス』で、マクベス夫人の
「この小さな手、アラビア中の香料をふりかけてもいい匂いにはならない」
という台詞があるのですが、さすがに香料の豊かな国、発展、展開していた国、アラビアであります。
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とんちで有名な一休禅師も香りについての言葉を残しています。
一休宗純「香十徳」
稲坂良弘氏現代訳
(一)感覚を研ぎ澄ます
(二)心身を清浄にする
(三)汚れなどを除く
(四)眠気を覚ます
(五)孤独を癒す
(六)多忙時に心を和ます
(七)多くても飽きない
(八)少なくても足りる
(九)長く保存できる
(十)常用しても無害
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物語の中の香料 #01 没薬
香料はインドから始まったと書きましたが、没薬の物語はギリシャ神話からです。
キプロス王キニュラスの王女ミュルラは、美しい髪を自慢にしていて、ある日うっかり「わたしの髪は、美の女神アフロディテの髪より美しいわー」とか言ってしまいます。
ギリシャ神話では、「わたしの◯◯は、(神様)の◯◯より素晴らしい」と発言した人間は、すごく運が良ければ何かに変身させられ(死なずに済むということ)、すごく運が悪ければ一族郎党皆殺しの目に合います。
アフロディテはもちろんこれを聞いていて激怒し、息子のエロスに、ミュルラに報われない恋をさせるように命じます。
こういうワケでミュルラが恋をさせられた相手は、父王キニュラスでした。
ミュルラは、思いを遂げるために未亡人だと偽って王の元へ通います。
何だっけ、「神殿で何かの誓いを立てたところ、王の元へ十二夜通うようにとの神託を頂いた」とかそういう嘘をついてのことだったような…
そして十二夜目、「顔は見ない」と言う約束を破り、王は灯りをかざしてしまいます。
女が誰なのかわかった王は激怒して、ミュルラを殺そうとしますが、ミュルラは逃げ出して没薬の木に変身した… と。
この記事 2016年◎アドベント2&3週目〜「いと高きところでは、神に栄光があるように。 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」 にも書きましたが、没薬はエジプトのミイラ作りにも使われ、この名前ミルラ、ミュルラがミイラの語源だとも言われています。
わたしは、長い間、この話を誤解していまして。ミュルラは没薬ではなくて乳香の木になるんだと思っていました。ミュルラは木に変身した時点でみごもっていて、(木の姿のまま)ギリシャ美少年の代名詞アドニスを生むのですが、この時に与えたお乳が乳香だとか何だとか、そういうのを読んだ記憶がうっすらあるんですが、また何か勘違いかなあ…(乳香を赤ちゃんに与えていいのか、とそういう疑問も…)
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物語の中の香料 #02 クローブ
イライザおばさんは、クローブ(チョウジのつぼみをかんそうさせた香辛料)がいっぱいにさしてある大きな赤いリンゴを、母さんにもってきました。なんていい匂い!
クローブがたくさんさしこんであるとくさらないし、いつまでもあまいんです。
『大きな森の小さな家』LIワイルダー 足沢良子訳
アメリカ、西部開拓時代の1870年代の物語です。
アメリカではドラマにもなって、日本でも放映されていました。
(わたしはドクターベイカーとオルデン牧師コンビ、そして「彼こそ古き良き時代の商人!」のオルソンのおじさんが好きでした)
そのドラマの原作です。全七巻のうち一作目がこの『大きな森の小さな家』です。
ウィスコンシン州の森での1年を描いているのですが、これが本当に『開拓』と言う言葉が浮かぶ自給自足の生活で。
家は丸木小屋、食べるものは父さんが狩ってくる動物など、畑では小麦も作っています。
バターやチーズももちろん手作りで、まだ子供の主人公ローラの視線でその過程が書かれています。
父さんが狩ってきた動物、飼っている豚などは解体して保存が効くように加工されるんですが。
『ハムにする』と書かれています。くんせい、かなあとも思います。
そこで『ヒッコリーの木でいぶして〜〜」と、よくこの名前が出てきます。
これも、香りを感じることはできないけれど、それでも憧れの香りのひとつだなあ。
クローブの刺されたリンゴというのは、クリスマスのプレゼントです。
ローラの母さんがもらったプレゼントで、これもまた保存が効くように工夫されています。
おそらく、今、わたしが考えるよりずっと、食べ物の保存、保管、というのは重要だったんだろうなあ、と。
クローブ、引用で『チョウジのつぼみをかんそうさせた〜』とあります。
チョウジノキの花の蕾を乾燥させたもので、チョウジ、丁字と書きます。
現物を見るとわかるんですが、ほんとうに『丁』という文字に似たカタチをしています。
料理の香り付け、殺菌、防腐作用、そして虫除け、おまけに虫歯の鎮痛作用まで、オールラウンドお役立ちスパイスです。
(たしか、仏教で、写経をする際に丁字を口に含み、心身を清浄に保つようにした、と何かで読んだ覚えがあります。そういう使われ方もしていたようです。)
基本的にハーヴ、香草は温帯産で、スパイス、香辛料は熱帯産だそうで、クローブもインドネシア原産です。
アメリカの中西部で、そういう香辛料はとても貴重だったのだろうなあ、だからこそクリスマスプレゼントという特別な日の贈り物になるんだ。
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物語の中の香料 #03 龍涎香
トマスハリスのレクター博士シリーズ二作目、あ、三作目かな『ハンニバル』原作の方。
映画やドラマにもなっています。
医学博士、そしてシリアルキラーというにはあまりにも言葉が軽い、『前例がないため名づけようがない』社会病質者の殺人者です。
レクター博士、
一作目『レッドドラゴン』で逮捕され、
二作目『羊たちの沈黙』で精神病院に隔離されているのですが、世間を騒がす連続殺人事件を誰よりもよく知っていて、その事件を追うFBIの訓練生クラリス スターリングとの駆け引きと解決が描かれ、
そして、
三作目『ハンニバル』では、7年だか8年の沈黙を破って復活…と
この三作目『ハンニバル』でレクター博士は、イタリアのフィレンツェに潜伏しつつ、そこでの生活を謳歌しています。
そこからかつての戦友であり敵でもあるスターリングに、励ましの(ちょっかいの)手紙を出すのですが。
その時に「いかにも」なハンドクリームの香りを残した便箋を送り、それが手がかりになる、という流れで。
そのハンドクリームの香りの原料が、龍涎香とテネシーラベンダーと、そして『羊毛』でした。
龍涎香は、ほぼ世界的に流通されていないものなので、扱っているお店は少なく、割とすぐにレクター博士がどこにいるか突きとめられるのですが。
突きとめられたからと言って、博士が逮捕されるとか、どうにかなるというわけでは【ま っ た く な い】、そういう物語です。
わたし、原作のこの部分を探してほぼ丸二冊読み直したんですが、その記述はありませんでした。
なので、これは映画のオリジナルかと思います。
(わたし、この『本を読んでいて、思い出して「あー、あそこ、読み返そうっと」と思って読み直して、探しても探しても見つからない』現象があり過ぎて、このために費やした時間を全部合わせたら、今住んでいるところから徒歩で静岡くらいまで行けるんじゃないかと思ったり)
すみません、せっかくなので(そして悔しいので)香りのひとつとして、ここで紹介します。
龍涎香、マッコウクジラの分泌物で、何だっけ、食べたイカやタコの骨などの固い部分が消化されずに結石したものだそうです。これが排泄されて、海に浮かんでいる、もしくは浜に流れついたものを【偶然】手に入れるしか、入手方法がないらしい。
コーヒーに入れて飲んだ、媚薬として使われた、などのエピソードもあるようです。
あと、本のページについた龍涎香の香りが四十年経っても残っていた、との話もあり、永く続く香りでもあります。
えー、源氏物語で、学生の時、古典の授業で読んだ覚えはないでしょうか。
若紫の段より
「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。
この伏籠というのが、その文字の通り、籠を伏せたもので、本来はスズメを捕まえておくものではなく、この籠のなかに香炉を入れ、香を焚き、籠の上に衣を置いて香りを染み込ませる、そういうものなんですが。
これとまったく同じものが、アラビアにもあり、龍涎香を衣類に薫き染めていたそうです。
(こういうのすごく好き。国と国はものすごく離れているのに、ほぼ同じカタチの道具が、同じ目的に使われてるのって、片方の国で発祥して、片方の国に長い旅を経て伝わったとか、同時発生的に起こったとか、経路を想像するの、すごく好きだなあ。)
あと、龍涎香を最初に使いはじめたのがこのアラビアで、アンバーグリスのアンバーは、アラビア語の『アンブラ(火にくべるもの)』に由来するそうです。
(『ハンニバル』には、香りについて(というか、嗅覚について)ものすごく、えー、たくさん記述があるので、香り編でちょこっと触れたいと思います)(せっかくだから)(せっかく、丸二冊読み直したから!))
■おまけ
ディアドラが十四歳になった年の贈り物は、両手で暖めると花のような香りを放つ琥珀の首飾りだった。
『炎の戦士クーフリン』ディアドラとウシュナの息子たち から
■おまけ2
次回、物語の中の香りパート2 香りそのもの編(もっといいタイトルはないのか)です。
わたしが選ぶ物語の中の香りなので、アレです。よろしくなにとぞ。
参考にした本
『マクベス シェイクスピア全集3』ちくま文庫 松岡和子訳
『炎の戦士クーフリン/黄金の騎士フィン・マックール』Rサトクリフ 灰島かり 金原瑞人 久慈美貴訳
『香りの博物誌』東洋経済新報社 諸江辰男
『香りを楽しむ』一条真也 現代書林
『ハンニバル』Tハリス 高見浩訳 新潮文庫
『大きな森の小さな家』RIワイルダー 足沢良子訳 そうえん社
あとギリシャ神話とか、いろいろ…