Archive | 世界の果て

モレスキンカイエに文字入れ

Posted on 14 11月 2017 by

 

旅にはノートだよね。
旅先で友達2人に会うことになり、打ち合わせ段階で、モレスキンのカイエジャーナルを1人1冊ずつ持つことになった。

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11月の星座〜さそりの火とオリオン〜笑う英雄と笑わない英雄

Posted on 11 11月 2017 by

12星座(ムダに注釈の多い)紹介、11月のさそり座です。前の記事で、10月てんびん座、11月いて座、と11月の星座、さそり座をとばしてしまったため、前後しての紹介です。
4月5月の牡羊座と牡牛座6月のふたご座7月のかに座8月の獅子座9月の乙女座10月と11月のてんびん座&いて座 があります。よろしくドウゾー)
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10月と11月の星座〜てんびん座といて座

Posted on 07 11月 2017 by

浜トリエンナーレに行ってきました。
10月29日でした。台風直撃の日です。はー。
それでちょっと考えたのですが。
もし、何か気が乗らないイベント(法事だとかそういうの)があれば、わたしを呼んで下さい。
すごく高い確率で台風になる(んじゃないかと)。
(半日から一日ずれるかも知れない)(ピンポイントは無理かもしれない)。

前振り終わり。
12星座紹介、先月10月のてんびん座と、今月11月、いて座の紹介です。
4月5月の牡羊座と牡牛座6月のふたご座7月のかに座8月の獅子座9月の乙女座があります。よろしくドウゾー)
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9月の星座〜コレーの略奪

Posted on 10 9月 2017 by

画『パターソン』見てきました。
ジャームッシュカントクの新作(というか、もう次の作品の予告をしてたので、準新作くらい?)
バスドライバーのパターソンが、毎日をルーチンワーク的に過ごす中で、ノートブックを開き、心に浮かぶ詩を書き留める、という水が流れるような物語でした。詩とノートブックと犬とチェスとマッチ箱。
「詩の翻訳は、レインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」
堪能しました。第69回カンヌ国際映画祭 パルム・ドッグ(ドールじゃなくて、dog)賞受賞。 
パターソン公式サイト

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映画に学ぼう番外編:〜暑い時こそ怖い話を

Posted on 26 8月 2017 by

西ではまだ暑い日が続いていますが、もう8月も終わろうとしています。
皆様、2018年の手帳会議など、進捗具合はいかがでしょうか。

でも暑いです。暑いときには、やはり、怖い話、怪談、そして!
ホラー映画などを見て涼しくなりたいですよね!
そこで。
ホラー映画苦手なひとにこそ読んでほしい、文字ばっかりだから怖くないシリーズ第、えー、何弾だっけ、
背筋が ぞくぞくっ とした映画を二本レビューしたいと思います。
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8月の星座〜獅子座とヘラクレス

Posted on 15 8月 2017 by

、『カドモスとハルモニアの結婚』を読んでいるのですが。
えー、ギリシャ神話です。作者 ロベルト カラッソ。
すごい。面白い。

話変わりまして。アイルランドのウィリアムトレヴァーという作家がいます。
トレヴァーが書いた話ではなく、彼自身が体験したエピソードで、すごくいいなあ、と思ったものがありました。
トレヴァーの知り合いの郵便配達人が話好きで、よく話をしてくれる、例えば、以前に聞いたのと同じ話であっても、どこかが違う。
細部が微妙に違ったり、エンディングが違ったりする。その話をトレヴァーは喜んで聞いていた、という、そういうエピソードでした。
なにが嵌まるのかわかりませんが、わたしも、こういう「同じだけど、どこかが違う」話がとても好きで、いいなあ、そういうのを聞いてみたい、読んでみたいと思っていました。
それを丸ごと後押ししているのがこの『カドモスとハルモニアの結婚』でした。

ギリシア人は同じ物語が様々に組み合わせられて語られるのを、当たり前のようにいつも耳にしていた。しかも正しい説を知るために参照すべき究極の威光はなかった。ホメロスは、思い浮かぶ究極の名ではある。だが、ホメロスが数ある物語のすべてを語っていたわけではない。それゆえ、神話は多くの面に分かれた扇を広げてみせる。ここでは、異説こそ起源である。(略)そのように枝分かれした物語のひとつひとつに、ほかの物語が反映され、同じ布地の裾のように、すべての物語がわたしたちをかすめてゆく。
(解説より)

異説こそ起源である。
どんなに矛盾があろうと、時間的にねじれていたとしても、それはオリジナル。いいなあ、何とも力強い後押し。
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ミュシャ展見てきました。〜神々はもはや無く、キリストは未だ到来せず、人間がひとりで立っていたまたとない時間

Posted on 10 8月 2017 by

月、三分の一が終わりました。
どこの国だったか、「行く夏を惜しむ」という言葉があるそうです。
夏を惜しみますか。それとも、秋を待ちこがれますか。
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瓢箪から独楽

Posted on 23 7月 2017 by

 表は裏でできている
 裏は表を知っている
 表は裏を畏れている
 裏は表を包んでいる

 裏は色々削られて
 瓢箪型に括れたら
 表舞台へ躍り出て
 独楽の大量生産だ



 瓢箪から独楽は不思議じゃない
 瓢箪ができたのが不思議なんだ



 裏を捻って表と見做す
 捻れの力で独楽が回る
 捻れは回転回転は螺旋
 独り楽しく生きる子ら

 ノートの表に書いた事
 裏はノートに書けぬ事
 表はノートに書ける事
 失くした裏を感じ取れ

                        (大欲)

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パーフェクトなDINERに行くということ

Posted on 20 7月 2017 by

行きたい,やりたいと夢見ていても,それを【思っているだけ】ではダメだ,具体的なしかし地道な目標をもって行動するべきだ,というようなことを森博嗣先生は新書『夢の叶え方を知っていますか?』(朝日新書)で述べている.

しかし,僕には,行きたいけれどしかしそれを【夢と呼ぶには,はばかられる行きたい場所】というのがある.

それは,アメリカのダイナーだ

「ダイナー」といっても,地名ではない.DINER,つまりまあ,日本で言う食堂です.

Photo by jesse williams on Unsplash

 

僕の中でのDINER(もちろん24時間営業)では,ちょっと太ったラテン系のおばさんが,ウェイトレスとして店を切り盛りしている.

そして,たいていの客を「ハニー」と呼んで,なんだか親しげなのだ.折を見て,コーヒーのお替りはどう?といって,煮えた熱いコーヒーを運んでくる.

大体,非番か夜勤明けの警官が一人,そこにはいて,周りを監視しながら,おすすめのハンバーガーみたいなものを食べている.チップスは大盛りだ.

パイもいくつかの種類があって,でもミスタードーナッツのように多すぎることはない.多くても4種類.

ガラス製のボウルをさかさまにしたようなショーケースに,ドーナッツ,パイなどの作り置きが入っている.どれもハイカロリーで砂糖がたくさんかかっていて,おいしい.

外観は70-80年代のギラギラした感じ.ネオンもついているが,修理するお金の余裕はない.外装はいろんなところに錆が浮いている.どこもなかなか厳しいのだ.

先月も一人,あまり働かない若いウェイトレスを首にした.

 

場所はどこでもいい.街中のDINERもいいし,周りに何もないようなところにポツンとあるDINERも魅力的だ.(どちらかといえば後者がいい.)

でも,そのDINERは上で述べたような完璧なDINERでなければならない.パイは9種類もあってはいけないし,ふとっちょのラテン系のウェイトレスが僕に注文を取る際には,僕がいかにアジア人であっても「ご注文はなににする,ハニー」と聞いてくれないといけない.ウエイトレスが白人のぴちぴちのお姉さんはいけない(もちろん白人のぴちぴちの女の子は好きだけれど).

まあ,そういう意味では僕はすごくレイシストなのだ.

 

いったい何で行きたいのかって?それはいい質問だ.僕もよく考えるけれど,一つはアメリカ·テレビシリーズの見すぎかもしれない.

僕は割と刑事系のドラマに詳しいと自分では思っているけれど,そういうドラマの中では,幾度となくDINERが出ている.Motelもよく出るが,DINERのほうが魅力的に思える.(食べ物もあるし.)

そこに現れるDINERは,みなよく似ている.その寄せ集めが,僕の完璧なダイナーなのだ.

 

そういうわけで,僕はDINERにあこがれている.行きたい,とも思っている.

タイムズスクエアにも,自由の女神にも,エンパイアステートビルにも,グランドキャニオンにも,ホワイトハウスにも(ホワイトハウス!)特に興味がない.

DINERだけに行く,という旅.

少し抵抗を覚える.

 

「やあ,君はどこから来たんだい.」

「日本です.」

「へぇ.仕事かなにかかい?」

「いえ,アメリカのDINERにどうしても来たくて.ずっとそうだったんです.」

「変だな,日本にこういう場所はないのかい?」

「少なくとも,僕の家の周りにはないみたいで.」

「へえ.じゃああんたはDINERで飯を食うためだけにわざわざアメリカに来たってのかい?リッチなんだな.」

「そういうわけじゃないんです.でも,ちょっとクレイジーですよね.」

「ちょっとどころか,だいぶクレイジーだぜ.

なんて隣に座った人に話しかけられることがあるだろうか.

 

僕は行きたいと【思っている】.行こうと思えばきっといける.でも,それだけでは旅に見合わないのではないか,とついつい思ってしまっている.

いつか行ければいいな,みたいに.ふらっと,何かのついでに行ければそれがいい.

これは僕の夢といえるだろうか.僕はそのために,どんなことができるんだろう?

 

そして,なによりも,もし仮にDINERに行ったら,僕はそのあと,いったいどうすればいいんだろう?

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モレスキン18か月ウィークリーをどうやって使っていますか 〜空白の6か月の行方

Posted on 09 7月 2017 by

り返りと共に。ノートブックの一部。

ノート見開き

こ、この罫線、そして横開きに使っているノートブックは…!

以上、前振り終わり。
7月になりまして。
えー、そろそろ、2018年の手帳をお考えの方もいらっしゃるとか、いないとか、メーカーさんも2018年の手帳デザインを新しくするとか、しなかったりするとか、あるかも知れません。

わたしは、手帳はモレスキンを使っているんですが。
この手帳が18か月という、ちょっと変則的なつくりになっていまして。
7月というのは、その18か月モレスキンの使用開始時期でもあります。
わたしが、今、使っているのは、2016年の7月から2017年12月までの星の王子様デザインのウィークリーレフトなんですが。

モレスキン18か月ウィークリー正面

こんなの。表紙がかなり汚れている。

このモレスキン18か月手帳を愛用している、長年使っているユーザーのかたに聞いてみたいことがあります。
例えば、コレ、2016年の7月から2017年12月まで手帳を使っているとして、次も18か月手帳を使うとすると、2018年1月から6月までは、どうされていますか。

モレスキン18か月ウィークリー小口

こんなカンジで。ふせん貼り過ぎとメモ挟み過ぎ。

わたしは、この18か月手帳は3冊目なんですが。
最初の一冊、使い終わって、次の7月まで、何とかなるかな、と、その18か月手帳にウィークリーのふせんを貼って使っていました。
ですが、フリーページがまったくないため、だんだん不便になってきて、じゃー、もう別のを使おう、と、トラベラーズノートブックパスポートサイズのフリーウィークリーを使って、半年を過ごしました。
次の2冊目は、使い終わって、7月になったらまた18か月手帳を買うのだから、と、つなぎのつもりで、文具セールでムーミンデザインのウィークリーレフトを買いました。
たしか、ハードカバーでカバーなしの一体型で、六曜がなくて、メモページが多かったから選んだように思います。
最初は、おー、イイ感じだ、と使っていたのですが。

1)手に取る
2)ベルトを外、……外さない ページを開く
3)読む
4)書く
5)閉じる
6)ベルトをかけ、……かけない

こうしてベルトをかけようとして、外そうとして、何度も手が空を切りました。
自分でもびっくりするくらい、何度も何度も何度もやってしまいました。
そして、ムーミン手帳は1か月ほどで挫折して、ラクガキ手帳になりました。
いい、モレスキンにする、と12か月ウィークリーレフトを買い直し、そちらを使いました。
(12か月モレスキンは、7月以降、ひとこと日記になりました)
この時に切り替えた18か月ウィークリーレフトが、今、使っている星の王子様モレスキンです。

そんで。
18か月モレスキンを長く愛用されているかたは、どういう風に切り替えていらっしゃるんでしょうか。
例えば、いろいろとノートブッカーズに聞いてみたりしたところ、こうじゃない? という意見を伺いました。

1)空白の1〜6月は、12か月モレスキンを使う。残り半年分は、何か別の用途に使う。
2)毎年、18か月手帳が出れば買う。そんで重複する7月〜12月までは、二冊を並行して使って、徐々に移行する。
3)12月で終わっても、引き続き、ふせんや、テンプレートを使って、なんとか半年もたせる。
4)カイエなどを使って、オリジナルで作る。
5)割り切って、フリーダイアリーなどを使って、次の7月までもたせる。
6)割り切って、次の半年だけはデジタルで管理する。

などなど……

図解

こ、これでわかりますか…

わたしは、次の空白の1月〜7月は、12か月ウィークリーレフトを使おうと思っているんですが。
こんな使い方してるよー、と、アイディアがあれば、教えてください。
コメントを頂けると嬉しいです。よろしくお願いしますー。

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かに座と天の川の物語〜7月の星空

Posted on 06 7月 2017 by

日、ガイリッチーの『キングアーサー』を見てきました。
こういう映画です。はー、至福。

本予告(なんだそれは)だそうです。はー、堪能。

==以上、前振り終わり==
7月です。
(ムダに注釈の多い)12星座のギリシャ神話紹介、7月はかに座です。
(前々回、おひつじ座&おうし座で、前回はふたご座で記事を書きました。よろしければドウゾー)
夏7月じゃなくて、春に見える星座だそうです。

蟹座

いかにして蟹が(シャレではない)星座になったのか。


かに座、どういう物語を経て星座として天にあげられたかというとーー

まず、ヘラクレス(※1)の話から始めます。
ヘラクレス、イメージとしては、力持ちの代名詞、英雄、豪傑というあたりでしょうか。
彼は、英雄、豪傑のイメージの割には、ギリシャ神話では、ちょっと(かなり)苦労人で、えー、無茶な命令をシュクシュクと聞き入れて、大変な冒険をこなしている、そういうキャラクターです。

まず、ギリシャの大神ゼウスが、ティリュンス王の妃アルクメネを見初めます。そんで、口説くのですが、アルクメネは「自分は(ティリュンス王)アムピトリュオンを愛しているから」と拒みます。
それならば、と、えー、ゼウスはアムピトリュオンに姿を変えて思いを遂げました。
月満ちてアルクメネに子供が生まれます。
ゼウスは、うっかりゼウスの妻ヘラの前で「今日、生まれる子がペルセウス一族(※2)の支配者になるんだー、でへへ」と言ってしまいます(※3)。
ヘラは「また浮気してー!! きー!!」となり、お産の神と謀って、アルクメネの子より先に、同じペルセウス一族のエウリステウスを生まれさせます。
ギリシャ神話では、例え一番エラい神様でも、一回言ったことは撤回できないため、エウリステウスがペルセウス一族の王になる運命を与えられました。
翌日、アルクメネが男の子を出産、次の日に双子のもうひとりの男の子を産みます。
先に生まれた子がアルケイデス(ヘラクレスの幼名)、次の日に生まれたふたごの片われがイピクレスと名づけられました。(※4)
アルケイデス(ヘラクレス)は、赤ん坊の頃から英雄としての片鱗を見せていたようで。
どうしてもアルケイデスを排除したいヘラが、揺りかごに毒蛇を送り込みますが、赤ちゃんアルケイデスは、素手で絞め殺したというエピソードもあります。

さらに、懲りない大神ゼウスは、我が子に不死性を与えようと、眠っているヘラのお乳をアルケイデスに飲ませます。
吸う力があまりにも強かったため、お乳があふれ出て、それが天の川になったと言われているそうです。

また、別の話では。
ヘラの嫉妬を恐れたアルクメネが赤ちゃんアルケイデスを野に捨てたそうです。
そこへ戦いと芸術の女神アテナとゼウスの妻ヘラが通りかかり。
アテナがヘラに、赤ん坊にお乳をあげては……と提案します。
そんで、ヘラが赤ん坊にお乳を飲ませたところ、これまた力強く吸い、ヘラは驚いて赤ん坊を投げ捨てます。
それでも赤ん坊は、何滴かは女神のお乳を吸ったため、不死性を得た、というヴァージョンもあるようです。

このように、アルケイデス(ヘラクレス)は赤ん坊の頃から、嫉妬深い女神ヘラの怒りを買い、憎まれていました(※6)。

成長したアルケイデスは、テバイ王クレオンを助けたことで、その娘メガラと結婚します。
3人の子供にめぐまれ、幸せに暮らしていたんですが、またヘラの怒りが復活し、アルケイデスは狂気にとらわれて、子供たちを火に投げ込んで殺してしまいます。
正気にもどったアルケイデスは、アポロンの神殿へ行き、これからどう生きればいいのかを問います。すると、えー、生まれる時に因縁を作ってしまった(作られてしまった)ペルセウス一族の支配者エウリステウス(※7)からの10の命令をやりとげるように、そしてまた、アルケイデスという名を改め、ヘラクレス(ヘラの栄光)と名乗るようにとの、神託が下されたのです。
ヘラクレス12(※8)の冒険の始まりです。

ヘラクレスの二つめの冒険が「レルネの野のヒドラ退治」です。
レルネの野のアミューモの泉に住む九つ頭のヒドラ(※9)を退治するようにエウリステウスに命じられます。
このヒドラは、口から毒を吐き出し、頭を切り落としても、すぐに生えてくる上に、真ん中のメインのアタマは、黄金でできた永久に死なないという厄介な怪物で。
ヘラクレスは、甥っ子のイオラオスを伴い、レルネの野にやってきます。
そんでヒドラのアタマを棍棒で打ち砕くのですが、次々と復活し、勝負がつきません。
ヘラクレスはヒドラのアタマを切り落とし、イオラオスにたいまつを持たせ切り口を火で焼かせます。
最後のメインのアタマは焼かれても死なないため、穴を掘って埋め、大きな石で封じました。

この戦いの最中に、ヒドラの友達である(※10)大蟹が参戦し、ヘラクレスのかかとを挟もうとします。
ヘラクレスは「この忙しい時にーーー!」的に、蟹を踏みつぶします。
(主にヘラが)この蟹のヒドラへの友情を愛でて、大蟹は天に上げられ星座となったそうです。
また、ヘラが大蟹に、ヒドラへ加勢するように命じたという説もあるようです。(※11)

このヘラクレス、来月8月の獅子座にも出てきます。
よろしくドウゾー。

===
そして、せっかく七夕なので、そちらの星の話も書こうと思います。
天の川、というと。
『銀河鉄道の夜』の冒頭で、賢治センセイがすばらしい説明をされています。
以下、引用。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
(略)
「ですからもしもこの天あまの川がわがほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒つぶにもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。(略)」

この冒頭で言われている「ぼんやりした白いもの」、日本では天を流れる川、と名づけられていますが、えー、他の国ではどうかというと。

フィンランドの星の伝説が面白いので紹介します。

フィンランドに、ズラミスとサラミという夫婦がいました。
仲のよい夫婦で、何をするのも一緒でしたが、人生をまっとうして天に還るときも一緒というわけにはいきませんでした。
ふたりは、人生を終えるとそれぞれに天にのぼり、別々の星になりました。
それでもふたりは、なんとかもう一度会いたいと、そればかり願っていました。
そこで、ふたりの間に光の橋をかけることができれば、そこを渡ってあうことができる、と考えました。
ふたりは、天に漂う白いもやを集め、橋を造りました。
そのもやは、はかなく、頼りなく、橋を造るにはまったく少ない量しか集めることはできません。
しかし、ふたりはもう一度会うことを願って、光のもやを集め続けました。

あっという間に千年もの年月が過ぎました。
ふたりが集めた光のもやは、みごとに美しい光の橋となり、天上界の端と端を繋ぎました。
ズラミスとサラミは、光の橋の両側に立ち、一歩一歩ふみしめながら歩き出します。
こうして、ふたりは、永い年月の末、シリウスの輝くところで、再び会うことができました。
ふたりは、星になってからも変わらずに添い遂げ、天上界で幸せに暮らしていると伝えられています。
ヨーロッパでは、天の川を天の道、橋などに見立てることが多かったようです。

光の白いもやを『手で集めて』橋を造る、という発想がすごいなあ。
手で触れられるものなんだー。
===
あと、中国では、えー、天の川の源泉を探る話が残っているようです。
漢の武帝の時代。
武帝が「天の川の源を探るように」と、武将である張騫(ちょうけん)に命じました。
「それでは」と、張騫は準備をして、長江からいかだに乗り込み、出発します。
すると、意識が遠のいて、ふと気がつくと、川の岸に機を織っている女性が見え、もう片方の岸には、牛の世話をしている青年が見えました。
張騫は「わたしは、武帝の命令で天の川の源を探しに来ました。ここは一体どこなのですか」と声をかけました。
すると女性は「こここそが天の川の源です。わたしたちは織女と牽牛なのです」と答えました。
張騫は大喜びで、川を下り、武帝の元へと戻り、報告しました。
すると、武帝は「七月七日の夜、天の川の織女と牽牛の間に、見慣れない星があったのだが、あの星はそなただったのだな」と、張騫に、天の川のあたりに新しい星が見えていたことを話しました。
新しい星、彗星などを中国では『客星』というそうです。

天の川の源流を探るのに、長江から出発という発想がすばらしー。

===
他にも。
天の川の名前色々。
アイヌ語 ペッノカ(川の姿)
北欧 魂の道 冬の道など
古代エジプト 天のナイル
古代バビロニア 天のユフラテス などなど…

天の川そひねの床のとばりごしに星のわかれをすかし見るかな 与謝野晶子

===
わたしは、学生の頃、よくプラネタリウムに行っていたんですが。
上映が始まる時の挨拶がとても好きでした。
「ここの星は電気で投影しているだけだから、瞬きません。今夜はぜひ、空を見上げて、実際に星がきらきらしているのを見てみてください」
というようなカンジでした。
皆様もぜひ、(見られるのなら)夏の夜空を見上げてみて下さい。

===以下、注釈==今回は少ないかもー。
※1:かに座の話なのに、なんでヘラクレスから!?と思われるかも知れませんが、ドウゾ今回もおつきあいください。ちなみにヘラクレス、英語ではハーキュリーズといいます。パシフィックリムの登場人物のひとりがこの名前だそうです。短縮形:ハーク。そんで知らなかったんですが、Aクリスティが書いた探偵の一人、ポアロのファーストネーム、エルキュール、これがヘラクレスのフランス語読みなんだそうで。へー。
※2:すごっっっい名門の一族。
※3:ヘラがゼウスに誓わせた、という説もあり。
※4:アルケイデスがゼウスの子、イピクレスがアムピトリュオンの子、だそうです。
ふたご座のふたごは、もっとフクザツな四つ子だったし、↑このくらいだったら、もう驚かないよね。
※5:天の川は英語でミルキーウェイといい、それはこのヘラと赤ちゃんアルケイデスの話から。
※6:がんばれ。
※7:エウリステウスとか、アルケイデスとか、名前が覚えにくい場合は、もう ぱっ と見て、エウリステウスとあれば えりえり とか、アルケイデスとあれば あるけー とか、適宜読みやすいように読んで頂ければと思います。ですが、アルケイデス記述はここで最後になります。
※8:10なの12なのどっちなの、と思われるでしょうが、これはわたしの間違い入力ではないのです。エウリステウスが言いがかりをつけて、2つの冒険をノーカウントとしたので2つの冒険がさらに上乗せされます。ヘラクレス、苦労してるよね。
※9:日本神話でも八岐大蛇(やまたのおろち)て、あるじゃーないですか。これ、ずっと思ってたんですが、蛇状の生き物で、首がふたつ以上あったら、どういう風に配置されてるのかなあ、と。
(三つだったらキングギドラ状?)

それで考えてみたんですが、この九つアタマヒドラの場合。

ヒドラ考察1

熊手ではないです。

では、立体的にしてみました。

ヒドラ考察2

さらにわからない物体に。


※10:(本では友達って書いていました…… わたしも、どう表現すればいいのかわかりません……)。
※11:これでなぜ、ヘラクレスの半生を説明したか、おわかり頂けたでしょうか……

■おまけ
あ、前振りですが。もちろん、あの『アーサー王』です。その映画化です。
キャメロット城も出るし、円卓もあるし、エクスカリバーもアーサーが抜くし、騎士たちもいるし、湖のレディも出るし、マーリンは代理が出演してますし。『あの』アーサー王のガイリッチー版です。

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6月の星座〜ふたご座の物語〜

Posted on 08 6月 2017 by

賀敦子さんの『ユルスナールの靴』を読み終わりまして。
例えば、エッセイでも物語でも何でもそうだと思うのですが。
書かれた(残された)ものは、そのひとの、本当にほんの一部、氷山の一角どころか、表層、くらいのものなのだろうなあ。
言葉とは、コトバにならなかったもののかけら、と若松英輔氏が言っていたのですが。
本当にコレだなあ、と思います。

私たちは、とシモーヌはつづけた。砂漠の人たちをいうときに、このことばをよく使う。
北アフリカのベルベル族とかトゥアレグみたいに、決まった場所で暮らさないで、オアシスからオアシスへ旅をつづける人たち。なあんだ。私は気がぬけた。やっぱり、そうなんだ。それじゃあ、ヴァガボンドと同じでしょ。ううん。シモーヌはゆずらなかった。ヴァガボンドには、ほんとうはひとつ処にとどまっているはずの人間がふらふら居場所を変える、といった、どこか否定的な語感がある。それにくらべると、ギリシアに語源のあるノマッドは、もともと牧羊者をさすことばだから、もっと高貴なんだ。ノマッドには、血の騒ぎというか、種族の掟みたいなものの支えがあるけれど、ヴァガボンドっていう言葉は、もっとロマン主義っていうのかな。

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春の薬膳セミナー報告レポート&薬膳セミナ−2〜梅雨の養生開催します。

Posted on 05 6月 2017 by

去る2月26日『薬膳セミナー』を開催しまして。
(や、わたしがしたのは場所の予約くらいなんですが)
こちらでも告知させて頂きました。
講師は、養生薬膳アドバイザーのちささん(@amane008)でした。
まだ寒い時期でしたので、漢方を用いた冷え対策、これからの季節に向けての過ごし方などを伺いました。
そのレポートをちょろりと。
(ちょっと季節がはずれてしまいましたが、来年の春、何かの参考になれば…)
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牡羊座と牡牛座〜4月と5月の星座の話

Posted on 07 5月 2017 by

、二冊の本を並行して読んでいます。
その一冊が『ユルスナールの靴』須賀敦子著 です。
この文章を書くひとが、生きていた時、世界はどう見えたんだろうと思います。
こんなふうに、ひとの心の傷や綾を感じられるひとが、現実世界をどう生きていたんだろう、とか。

 ストロンボリが、エオリア諸島のひとつで、エオリアというその名が、故郷に帰れなくて放浪をつづけるオデュッセウスに風の革袋をくれた王の名、アイオロスのイタリアなまりだということを私が知ったのは、二十年もあとのことだ。

===
以上、前振り終わり。
以前、ちょっと友達と星座の話をしていて、それがオモシロかったので書いてみます。
◯月生まれだと◯○座〜という、十二星座の話です。

星座占いなどで、最初に書かれているのが牡羊座です。
この牡羊座、そして、牡牛座のエピソードはご存知でしょうか。
ギリシャ神話では、黄金の毛皮を持つ羊、ゼウスが化けた白い牡牛となっています。
その物語を紹介しようと思います。
(そして、今回、注釈をつけています。本文と合わせてドウゾー)(たのしかったわー!)
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酒は人間を映し出す鏡である(アルカイオス)〜真夜中のNotebookers的トライアンドエラー〜

Posted on 19 4月 2017 by

年の前半中には、一度、読書会、したいなあと思っています。
あと、トラベラーズノートブックミーティング。
また開催する際は、こちらでも告知いたします。
皆様、よしなに。

==以上、前振り終わり==
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Notebookers Mapも1年以上たちました

Posted on 02 4月 2017 by

こんにちは、お久しぶりのkonamaです。

気がついてみればもう桜の季節。年末年始は何かと忙しかったわけですが、年度末のデスクワークが一段落して出張シーズン。

普段行かない場所に行く…お、これはNotebookers Mapの出番ではないですか。

もともとNotebookersのお気に入りの場所をプロットする企画、文房具屋さんのマップというわけでもなく、カフェマップでもない。みんなの気になる色々が作っていくマップ、だいぶ育ってました(もしご存じなかった方は是非この機会にご参加ください)。

今回の旅の目的地は浜松。さて…

あ、なんかありますよ。ちょっと離れたところに1つピンがたってる。

中田島砂丘。浜松に砂丘があるなんて知らなかったよ。これは行かなくちゃ!
嬉しくなって職場の同僚に砂丘があるらしいんだよと言ったら、「でっかい砂浜なんじゃないの」と気のないお返事。
あー、こういうワクワクがわからないなんてモッタイナイ。

浜松駅前のバスターミナルから15分ほどバスに揺られてやってきました砂丘。ラクダはいないよw

じゃーん。ついたよー。

あれ?工事中…っていうかやっぱりでっかい砂浜なの?
とか考えつつも、砂の上をザクザク歩いて丘の方へ。

あー、ちゃんと砂丘でした。風紋も見えるし、太平洋の波も寄せて、なかなか雄大な眺め。(一応クリックすると大きな画像)

しかし、すごい風で顔に砂がバシバシ飛んできてイタイ。
滞在時間1時間弱でしたけど、全身じゃりじゃりでお風呂に直行デス。(怖くてカメラのレンズ取り替えられなかったw)

きっとNotebookers Mapがなかったら行ってなかったところで、なかなか楽しい得難い体験でした。
どなたか存じませんが、ここにピンを立てておいてくださったNotebookers, どうもありがとう。

さて、浜松に来たからには、私もひとつくらいピンを増やしたい。
ちょうど、オリジナルの万年筆で有名なBUNGU BOXさんに初めてうかがったので、そこにピンを立てました。小さな万年筆やさんですが、オリジナルインクがたくさんありますし、試し書きもゆっくりさせてもらえます。最近は表参道にも支店があるので、行かれたかたも多いかもしれませんね。

もちろん浜松に行ったからにはウナギさんたち(うな重&うなぎパイ)はちゃんといただいてきましたよ。

 

 

 

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春のモレスキンは大きなサイズで

Posted on 01 4月 2017 by

、押井守監督の『イノセンス』見ているんですが。
この現実の脆さ、自分が『そこにいること』のあやうさ、いいなあ。
孤独に歩め
悪を成さず
求めるところは少なく
林の中の象のように

〜〜〜
前振り終わり。
えー、今までモレスキン ヴォヤジュールをずっと使っていたんですが。
先日、使い終わりまして。
新しいモレスキンを使っております。
仕様は、わたしはプレーンが好きなので、ずっと無地を使っているんですが。
サイズはちょっと大きいものを試してみました。
先日、新しく発売された『ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージ』です。

説明としてはこうなっています。

商品説明
エクストララージよりも大きなノートを、という声に応えて、さらに大きなモレスキンを。
広げると、たっぷり90センチもあり、雨の日には傘代わりにも使えるサイズです。
無地。定番のレイアウトは自由な発想で、仕事にもプライベートにも。
ソフトカバーは机上での使用もスムーズ。
中性紙、糸綴じ製本、ゴムバンド、しおり、丸みを帯びた角、拡張ポケットなどの機能はハードカバーと変わらず健在です。

仕様
【品番】NB01AP
【サイズ】45×59cm
【ページ数】192
【紙材質】FSC認証中性紙
【レイアウト】無地

こんな感じです。

モレスキンスーパー大きい

黒、そんでソフトカバーです。

どのくらい大きいかというと、トラベラーズノートブック パスポートサイズと比較してみます。

TNPと比較

このくらいです。

実際に書いてみたところ。

大モレスキン 開いてみた

大きさとしてはこのくらい。

マスキングテープを貼ってみました。

大モレスキン マステ貼った

雑、とか、そういうことは言わない。

ポストカードを置いてみると、このくらいです。

大モレスキン ポストカード比較

やー、やっぱり大きいなあ(棒読み)。

えー。
先日、ツイッターで、ポール オーターの新刊の情報が回ってきまして。

オースター、とても好きです。。

TNPとオースター

がんばって読みました。

この本とモレスキン ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージを比較してみましょう。

TNPとオースター

浮いてる、とか言わない。

Notebookers.jp のステッカーで見てみましょう。

TNPとステッカー

チャームがついてる、とか言わない。

TNPとステッカー

やー、本当にね、持ち歩くのが大変なんですよ。大きいバッグが別に必要で。

やはり、モレスキンなのでベルトに挟みたいですよね。

お菓子とモレスキン

あのお菓子を挟んでみた。

ウルトラスペシャルエクストラエクストラエクストララージ オンラインショップページ>>

■おまけ

そのウソホント

トラベラーズ レギュラーサイズと並べてみました。さて、ホントの大きさは?

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物語の香り〜香り編◎『ハンニバル』〜「花屋はみんな泥棒さ」〜

Posted on 20 3月 2017 by

彼岸ですねー。徐々にあたたかくなってきております。
皆様のおすまいのおところはいかがでしょうか。
『貴婦人と一角獣』3枚目、この五感はどれでしょー。
これはわかりやすい?

貴婦人と一角獣

貴婦人と一角獣。この五感は?

====================
以上、前振りおわり。
物語の香り◎香り◎ハンニバル編(もう少し、タイトルをどうにかできないものか…)です。
前回は、物語の香り◎香料編でした。
香料編と香り編に分けよう、と考えていたんですが、香り編が以外と多く、そして書きたい物語が多いため、えー、香り編#01 トマスハリスの『ハンニバル』より、記憶と香りについて、ちょこっと書いてみようと思います。

ところで。
マルセル プルーストが書いた『失われた時を求めて』という物語があります。
この物語、主人公がマドレーヌを紅茶にひたして食べたその瞬間、子供の頃を思い出す…という冒頭がとても有名で、このように香りや味により、当時の記憶や感情を思い出す、感覚の再現を誘発することをプルースト効果というのだそうです。

このプルースト効果がとてもたくさん見られるのが、今回の香り編『ハンニバル』かなあ。
前回の香料編でも、ちょこっと書きました。
原作:トマス ハリス
アンソニーホプキンス主演で、映画にもなっています。最近はドラマにも。

ハンニバルレクター。
医学博士、そしてシリアルキラーというにはあまりにも言葉が軽い、『前例がないため名づけようがない』社会病質者です。

レクター博士、
一作目『レッドドラゴン』で逮捕され、
二作目『羊たちの沈黙』で精神病院に隔離されているのですが、世間を騒がす連続殺人事件を誰よりもよく知っていて、その事件を追うFBIの訓練生クラリス スターリングとの駆け引きと解決が描かれ、
そして、
三作目『ハンニバル』では、7年だか8年の沈黙を破って復活…と

この三作目です。
二作目『羊たちの沈黙』で訓練生だったスターリングは、現役捜査官として(セクハラ、パワハラに悩まされつつ)活躍しています。
そんで、博士はイタリアのフィレンツェへ逃亡し、正体を隠し、フェル博士と偽名を使い、とある書庫の司書として文学、芸術を満喫する生活を送っている。
スターリングが関わった、とある事件をきっかけに、怪物が復活するーーー
と、そういうようなあらすじなんですが。

『ハンニバル』文庫本で上下巻です。
これに、香り、匂いの記述がとてもたくさん出てきます。
芳香も悪臭も。
何て言うんだろう、状況の説明、補足、強調、とでも言うのか。
例えば、飛行機のエコノミー席での息苦しさ、食肉用家畜の養殖場、フィレンツェの香料専門店などなど。

前著『羊たちの沈黙』でも、レクター博士がスターリングと初めて会った時、スターリングのつけているスキンクリームの銘柄を当てたとか、そういうエピソードがあったはず…(今、『羊たちの沈黙』見つからないので確認できませんです)。

その物語の中で、印象的な香り、記憶、事件の補足的、また強調として使われている香りを紹介しようか、と。
今、これ入力していて、企画として成立するのかわたし! とちょっと不安ですが、やー、『好きなものを語るとき、それは誰かを救う』から、たぶんダイジョウブ(とじぶんに言い聞かせる)。

#01 クラリス スターリング
第一部のオープニングから。
麻薬組織のボスの逮捕に向かう途中、スターリングはバンの中で、ある匂いから、父親のことを思い出します。
以下、引用。

男たちのひしめく、この不快な臭いのする監視用ヴァンに乗っていると、身を刺されるような孤独感に包まれる。鼻をつくのは安物のアフターシェイヴの匂いーー”チャップス”、”ブルート”、”オールド・スパイス”。それに汗と革の匂いだ。ふっと不安が忍び寄ってきて、それは舌の下に含んだ一セント銅貨の味がした。
(脳裡にあるイメージが割り込んでくる。タバコと洗浄力の強い石鹸の香りをいつも発散していた父。キッチンに立って、先端が四角く割れたポケットナイフでオレンジの皮をむき、それを自分に分けてくれた父。彼が夜間パトロールに出かけたとき、しだいに遠ざかっていったピックアップトラックのテイルライト。そのパトロールで、父は落命したのだ(略))

警官だったお父さんがパトロール中に撃たれて亡くなったというのは、前作でも触れられていて(というか、スターリングの中で父親はとても大きな存在で、レクター博士にこのトラウマを弄ばれるワケです)、それがオープニングで取り上げられています。
あまり心地よくないにおいの中にいて、そこから(なぜかぜんぜん違う)父親の香り、父親の存在を思い出すーー

この麻薬組織への急襲は、スターリングにとってあまり気乗りのしない任務なので、そのやりきれなさから想起したのか、お父さんダイスキー!と懐かしむのではなくて、どちらかというと、残された哀しみ、孤独を噛み締めるような、そんな『プルースト効果』です。
引用で(略)としている後は、スターリングは、お父さんのダンス用の衣服を思い出していて、そこからの連想で彼女が現在使っているクローゼット、その中身、あまり着る機会がないパーティドレスなどを考えています。
父親と同じ(ような)仕事についた自分、そしてふたりして同じように、クローゼットにしまわれている、とっておきの衣装。
(そういう『とっておき』の衣装を着る機会があまりない、という華やかなことが少ない境遇、状況が、よりくっきりと際立つような)(切ないなあ)
香りひとつで、これだけの記憶の広がり、深くまで降りていける、そう表現できるってすごいなあトマスハリス。

この引用で、わたし、舌の下に含んだ一セント銅貨の味 ていうのがすごくリアルに感じられるのですが。
なんていうか、耳で感じる香り、口から耳へ伝わってくるような感覚(か、香りって耳から入ってこない? こないですか??)があり、感覚の共有とでもいうのかなあ、読み直していて、この一節がとても印象的でした。

#02 パッツィ警部
リナルド パッツィ、フィレンツェ警察の主任捜査官です。
レクター博士の正体に気付き、博士を(逮捕じゃなくて)(賞金欲しさに)売ろうとする人物で、えー、そういう人物です。
視覚による記憶が並外れていて、その能力を全面に押し出して仕事をしているワケです。
以下、引用。

尋問の名手パッツィは、聴覚と嗅覚に訴えながら自問していった。
(あのポスターを目にしたとき、耳には何が聞こえたっけ?……一階のキッチンでカタカタ鳴っていた鍋の音だ。では、踊り場にあがってポスターの前に立ったとき、何が聞こえた? テレビの音だ。居間のテレビ。『リ・イントッカービリ(アンタッチャブル)』でエリオット・ネスを演じていたロバート・スタックの声。料理の匂いはしたか? ああ、料理の匂いが伝わってきた。他に何かの匂いをかいだか? ポスターは目に入ったのだがーーいや、目にしたものの匂いはしなかった。他に何か匂いをかいだか? あのアルファロメオの匂いなら、はっきり覚えているのだが。車内はとても暑かった。あの熱いオイルの匂いはまだ鼻にこびりついているようだ。あれだけオイルが熱くなっていたのは……ラコルドだ。そう、ラコルド・アウトストラーダを飛ばしていたからだが、あのときはどこに向かっていたんだったかな? サン・カッシアーノ。うん、たしか犬の吠える声も聞いたな。サン・カッシアーノで。思い出したぞ、あの家の主を。あいつは強盗とレイプを重ねたやつで、名前はたしかジロラモなんとか、といった)。
記憶の断片が一つにまとまる瞬間、そう、神経の末梢が痙攣しながら連結し、灼熱のヒューズを通して一つの着想が浮かびあがる瞬間、人は何よりも鮮烈な喜悦にひたるものだ。パッツィにとって、それは生涯で最良の瞬間だった。

これはパッツィがレクター博士と会う前、別の連続殺人犯を追っていた時のエピソードでして。
最初はおぼろげな視覚的なイメージを、聴覚と嗅覚の記憶を探りながら、徐々に鮮明にしていく、犯人にたどりつく、その過程です。
スターリングの感傷的な記憶の再現とは違って、パッツィは、理論的、具体的に、そして『仕事に活かす』という前向きな方向で五感を駆使しています。
(五感の記憶を丹念にたどり直す、こういうメソッドが何かあるんでしょうか。)
(スターリングの香りの記憶の再現は、無意識、何となく、でしょう。そんでパッツィの方は、能力、スキルというカンジで)

記憶というとわたしは『頭で覚えていること』しか思いつかなかったんですが、このように

「あの時、聞こえたこと」
「あの時、見たもの」
「あの時、あたりに漂っていた香り」

五感で覚えていることというのは、より体感として刻み込まれた、というか、(アタマで覚えている)言語化された記憶よりも、丸ごとそのままの、直接的なものだろうなあ。

#03 ハンニバル レクター
以下、引用。

 まだ早い時期に、ハンニバル・レクター博士は騒々しい街路からこの世で最も香ぐわしい場所の一つ、ファルマチーア・ディ・サンタ・マリーア・ノヴェッラに入った。ここは七百年余の昔、ドメニコ会の修道僧たちによって創られた薬舗である。奥の内扉まで伸びている廊下で博士は立ち止まり、両目を閉じて顔を仰向けると、名高い石鹸やローションやクリームの芳香、作業室に並ぶ各種の原料の香りを心ゆくまで吸い込んだ。(略)
このフィレンツェで暮らしはじめて以来、身嗜みに気を配るフェル博士がこの店で購った賞品の総額は、それでも十万リラを超えないだろう。だが、それらの香料や香油はよくよく厳選され、しかも並はずれた感性によって組み合わされていた。その感性は、鼻によって生きている香りの商人たちの胸に驚きと敬意を植えつけずにはおかなかったのだ。

レクター博士、フィレンツェでの暮らしをエンジョイしております。
某書庫の司書(候補)になり、その書庫に住み、古い文献を管理し、こうして香り、香料も潤沢に使っている。
(比較として、羊たちの沈黙時代、精神病院にいた時の悪臭についても、何度か書かれています)
映画では、FBIを挑発するように手紙を送ったんですが、その便箋に、ハンドクリームの香りを染み込ませていまして。
竜涎香とテネシーラベンダーと、あと羊毛をブレンドした香り。
おそらく、原作のこの辺りの『香り』の記述から創られた、映画オリジナルのエピソードです。
このあたり、行間から、花びらやハーヴのひらひらが浮かびあがるようなイメージで読みました。
前述のパッツィ警部の負っている闇、そして博士のエンジョイフィレンツェライフの明るさ、そのコントラスト、なのかなーと思いました。

さらに引用。

 自分の鼻の形を変えるに際し、レクター博士が外面的なコラーゲン注射のみに留めて、いかなる鼻整形手術も行わなかったのは、まさしくこの喜びを保ちたいためだった。彼にとって、周囲の空気は各種の色彩と同等の、明瞭で鮮やかな香りで彩られている。彼はあたかも絵の具の上に絵の具を重ね塗りするように、それらの香りを重ねてかぐことができる。ここには牢獄を思わせるものは何ひとつない。ここでは空気は音楽なのだ。
まずは本物の龍涎香、海狸香、それに麝香鹿(ジャコウジカ)のエッセンスから成る基音がゆきわたっており、(略)白檀、肉桂、ミモザ等の香りが渾然となった調べがのびやかに響きわたっている。
 自分は両手や両腕、両の頬で、周囲に満ちている香りをかぐことができるという幻想に、レクター博士はときに浸ることがある。そう、自分は顔と心で香りをかげるのだという幻想に。

(ここも読んでいて、本当にガーリーなキラキラした空気が漂い、花やハーヴがひらひらしているような、そんな印象でした)(や、博士、シリアルキラーなんですが)
ここでは空気は音楽なのだ。
短い文章なのですが、本当に豊かな空間なのだろうなあと想像できます。
これもひとつの共感覚なんでしょうか。
音も空気の振動なので、香りと近いものなのかなあ。
そしてその香りを、肌と心で知覚する、という幻想を楽しむ。
例えば、手で、甘い香りだと感じるのは、どういう感覚なのだろうなあ。
温かさ? 色? 柔らかさ?
複数の香料の響き合いというのは、五感、どこで感知するんでしょうか。
オモシロいなあ。

ちょっと考えてみました。指先で感じる香り。
メンソール系:冷たい
ばらなどのフローラル:流れるようなほの暖かさ
ラベンダー:ちょっと固い
ムスク:ふよふよして厚みがある
柑橘系:薄めで固い
白檀:すごく固い

あれだな、例えばインク沼のひとなら、人の目で見た香り、色をノートブックに書いてみてもいいかも知れない。
メンソールはどんな色だろう。原料の色じゃなくて。香りの色。
音であれば、どんな音だろう。高い音、低い音、楽器であれば、どの楽器で奏でられた音だろう。
言葉なら、どんな言葉になるのかなあ。香りの印象ではなくて。

というわけで。
物語の香り◎香り◎ハンニバル(下巻)編に続きます。
よろしくお願いしますです……

■おまけ
チーズやトリュフがふんだんに並ぶ ”ヴェラ・ダルー1926” は、神の足のような匂いがする、とフィレンツェっ子は言う。
(『ハンニバル』上巻より)

■おまけ2
人の目が聞いたこともなく、人の耳が見たこともなく、人の手が味わうこともできず、人の舌が想像することもできず、人の心が話すこともできない、そんな夢を俺は見たんだ。
(『真夏の夜の夢』沙翁)

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書くことは居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だと思う

Posted on 17 3月 2017 by

僕にとって書くことは、居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だと思う。

さて今日は10代の頃について書いてみようかなと思う。高校生の頃、いつも教室の隅っこで寝てるタイプだった。修学旅行にも行かなかった。高校には友人が極度にいなかったのだけど、じつは家に帰ると、幼馴染の友人たちを含め、様々な人種の人々が昼も夜も常にいる感じだった。高校三年生の頃に僕は、幼馴染の友人と二人でアパートを借りて生活を始めたので、様々な人種のたまり場になっていったことが理由。これが僕の人生に大きな影響をおよぼした事象のひとつだ。この当時のことが影響していて、僕は他人が好きなことをして好きなように過ごしているのを見るのを好きだ。

おそらく人生でいちばん人と会い、いろんな考え方に触れた時期のような気がする。
1DKアパート暮らし。和室を僕の幼馴染が使い、となりのダイニングスペースを僕が使った。ものすごくお金がなかったので、カーペット代わりに部屋中に段ボールを敷き詰めて暮らし、好きな場所にアクリル絵の具で絵を描いていた。拾ってきた家具を使うという感じで少しずつ快適にしていったわけなんだけど、僕が拾ってきたボロボロの工事現場用の三脚を、これ一生使うから拾ってきた、いやいや使わないので今すぐ捨ててきてと友人とモメたのをなぜかよく覚えている。その三脚はその後洗濯物を干すのに愛用。干すたびに洗濯物がサビだらけになった。

狭い部屋なので、遊びに来た友人たちと身を寄せ合って、灯油切れのストーブを横目に、机の下に頭を突っ込んでひとつの布団の中で一緒に寝た。バイト先でもらってきた大量のお惣菜をメインの食事に充てた。毎日から揚げとマヨネーズを和えたマカロニサラダが蔓延する食事。それに見かねた料理の得意な友人たちが、食事を用意してくれた。覚えているのは、最近亡くなった友人が当時作ってくれた「ネギ鍋」。固い半煮えのネギしか入っていなかったので美味しくなかったことだ。洗濯機もなかったので風呂場でかき混ぜるように足で洗濯をした。家具も無い部屋の中で、僕は段ボールの上にあぐらをかいて、傍らに本を積み、時折、積み上げた本の上に椅子代わりに座り、ギターを弾きながら無口に生きていたわけだ。この環境を珍しがって、一緒に住む友人のそのまた友人や、僕の幼馴染たちの友人やそのまた友人、様々な人種が入れ代わり立ち代わり訪れた。もちろん破壊的な女の子たちもいて、その部屋で初めて出会ったときに、僕のちんちんを丁寧に触ってくる女の子もいた。僕は触らせるがままにしていた。どんなことが起きても動じてはいけないのだと考えていた。当時僕はウォーホルの本を頻繁に読んでいたので、そこには頻繁に70年代の不健康そうな物語が載っていて、例えば高層ビルの一室でのパーティの際に目の前で飛び降り自殺をしようとしていた人がいても、「あ、あの人飛び降りるよ」とつぶやくのだが誰も止めないというようなシーンがあって、その日初めて出会う女の子に、たとえ丁寧にチンチンを触られていても動じてはいけないのだと考えていたのである。

暇さえあれば僕は寝っ転がりながら、ノートに落書きやら文章を書き連ねていた。無印のノートかコクヨのノートにMONOの水性ボールペンで書いていたのだけど、この前実家に帰った時に見つけて読み返してみたら、当時出会った人々から夜な夜な聴いた話を書き留めたり、もらった手紙やらを挟んでいたり、紙切れを貼り付けていたり、サンマの塩焼きを熱心にスケッチしていた。当時考えたことは、数十年の経過ののち、汗のようにじわりと体から染み出る感じがする。残された僕のノートの中には、「好きなものを好きだと言い続けることは誰かを救う」と書いてあった。僕にとって書くことは、居心地の悪い世界に対するちょっとした反抗だ。

このノートを読み返していると、随分と反抗的なことばかり書かれていた。自分を押しつぶそうとする世界に対して。押し返す力として。そういうノートが必要な時がある。今でも僕は、自分の周囲にゴムのようなものが貼られていてぎゅうぎゅうと押し込まれているような感じがする時がある。何か心理学的に言うと子宮なのかもしれない。押し返す力としてノートを使う。

 

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愛惜のEDiT MONTHLY 2016

Posted on 08 2月 2017 by

の記事も並行して書いているんですが。

貴婦人と一角獣

赤が多用されて、青はあんまり使われていなーい。


これはタペストリ『貴婦人と一角獣』のうち1枚なんですが。
このタペストリは6枚ありまして、味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚、もうひとつ『我がただ一つの望み』がテーマになっています。
このタペストリはそのうちのどれでしょー。

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『編みジッパーケース』の記事が好き過ぎるという記事〜6年目

Posted on 22 1月 2017 by

ー。
2016年は、あまり本が読めなかったんですが。その中から何冊か挙げるとこんなカンジでしょうか。
ひとことずつくらい。
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薬膳セミナー◎テーマは春のデトックス〜2月26日開催します。

Posted on 14 1月 2017 by

えば、この季節、出かける前は。
寒いなあ、と、コート来てストールぐるぐる巻いて、手袋をしてマスクをして、戸締まりをして自転車に乗る。
そんで向かい風に顔を上げて自転車をこいでいると、ああ、冬だなあ、いいなあと、毎年思います。
ハッシュタグは #好冬 で。

====
以上、前振りとして。
2月26日(日)薬膳セミナーを開催します。
(セミナーの講師はわたしじゃなくて、ちささん @amane008 漢方カウンセラー&薬膳アドバイザーのかたです)。
13時開催で、約1時間半、場所は大阪市内のレンタルスペースを予定しています。
(会費はだいたい500〜700円くらい? 参加人数により変わります)

薬膳セミナー

和ハーブですね。

テーマは『春のデトックス』だそうです。
暖かかったり寒かったりする気候の季節、春。
この季節をいかに快適に過ごすか、をお話して頂きます。

薬膳セミナー

春は五行では『肝』にあたり、この肝の気が上へ上へと上がる季節だそうです。
それが過剰になると情緒不安定になったり、頭痛などの原因にもなり、その辺りの
◎春がデトックスに向いている理由
◎「気」が上がって頭痛やめまい、情緒不安定が起こる原因
この対処法、そして、冬の間に溜め込んだ不要なものを排出するおすすめの春野菜の薬膳レシピ、代謝のよい身体の作り方など、そういうお話を伺います。
あと、26日は新月で、新月のおすすめの食材のお話などもあるようです。
(新月向けの食材てあるんだー、へー)

(まず間違いなく)わたしがここで書いていること以上のすばらしい講義をして頂けるので、皆様、安心してご参加下さい。

ツイプラはこちら>>春の薬膳セミナー
(ツイプラのアカウントは @se_labyrinth となっていますが、わたしの企画用アカウントです)
お問い合わせは、この記事のコメント、またはわたしのツイッターまでドウゾお気軽にー。

薬膳セミナー

これは八角でしょうか。おいしそー。

薬膳セミナー

□おまけ

薬膳セミナーめも

ヴォヤジュールとミニトラベラーズダイアリー

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2016年◎アドベント4週目〜ただ愛と光をその境とするところ

Posted on 23 12月 2016 by

帳総選挙の結果が発表されました!

1位がなんと、TONE REVERSAL DIARY でした!
すごく嬉しいです。わたしは、黒一色ノートブックとか、黒一色メモ帳が好きでいくつか持っていて、使っているんですが。
神戸の総選挙の時に、スタッフさんに説明を伺って、あー、そうなんだーと思いました。
こちらの記事でも(冒頭でちょこっとだけですが)書いていますが、もともとは視力の弱い方向けの手帖だそうで、そのために黒一色、大きめのサイズ、月日と曜日だけのシンプルなつくりになっている、ということで。
そして、関東の開催時にテレビの取材があったそうで(TONE REVERSALの取材で)(「手帳総選挙のためじゃなかったんですよ」とのことでした)、もっと「こんな手帳があるよ」と広まって、本当に必要なひとに届いたらいいな、それでこの手帳を使うひとがもっと増えたらいいな、と思いました。
すごく嬉しいです。(株)アーチャレジー様、おめでとうございますー♪

===========
前振りは前振りとして。
えー、アドベント4週目です。
前々回の記事はコチラ>>受胎告知編
前回の記事はコチラ(2週目と3週目は同じ記事だから2記事でいいのです)>>羊飼いと博士の礼拝
4週目は『キリストの生誕』です。
馬小屋で生まれたキリストを、羊飼い、博士たち、天使たちが囲み、礼拝している、と、そういう場面です。

えー。4週目の記事を書こうと思って、下調べをしていて気付いたんですが。
『羊飼いたちへのお告げ』と『東方の三博士(がベツレヘムを目指す)』絵はともかくとして。
『羊飼いたちの礼拝』『博士たちの礼拝』では、もうキリストが生まれているんですね。
生まれているけれど、それでも4週目『キリストの生誕』(なんだかこの企画、雲行きが怪しい)
そして、聖書の言葉も、羊飼いたちは羊飼いたちでキリストを拝み(ルカによる福音書)、博士たちは博士たちで贈り物をして礼拝している(こちらはマタイによる福音書)。
羊飼いたち、博士たち、天使たちが一緒になってキリストを拝んでいる、という表記はない、っぽいです。

どうやって収拾を付けようかと思ったんですが、だからこそ自由に『わたしの好きな』アドベント4週目の絵『キリスト生誕』を紹介したいなあ、と。

『幼子イエスの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト

『幼子イエスの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト 1620年


左のふたりは天使だそうです。
マリアの顔を照らす光の感じがとても好きです。
(たぶん)キリストの生誕の絵としては、とてもシンプルで、背景、馬小屋という表現もなく、人物も、マリア、ヨセフ、ふたりの天使、と少ないですが、キリストを光源として、その光がマリアと天使たちの顔を照らし、その表情がとてもやわらかくていいなあ。

同じくファン ホルストのもう一枚。

『羊飼いの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト

『羊飼いの礼拝』ヘラルト ファン ホントホルスト 1622年


こちらも背景がなく、羊飼いたちがキリストを拝んでいる、その光に対して眩しそうにしている、(1622年でもそうだろうけど)キリストが生まれたこの時代は、夜は、ほんとうにこのくらい暗かったのだろうなと思う。その暗さに対して、キリストが光を放つ。それは、絵画としての光源であり、また、世界を照らす光、という意味でもあるだろうなあ。
(タイトルが “Adoration of the Shepherds” なので、ひ、羊飼いの礼拝…)

『キリストの降誕』コレッジョ 1522年 祭壇画

『キリストの降誕』コレッジョ 1522年 祭壇画


羊飼い、天使たち、女性(出産を手伝った女性?)、マリアとヨセフ、そしてキリストが描かれています。
この絵もキリストが光源になっています。と、いうより、この絵が後世の画家たちに影響を与え、キリストを光源とする絵が描かれた、とされているようです。
マリアから右半分ほどが、ほぼ暗闇で何も描かれていないのに対し、マリアの腕の中にいるキリストから光が放たれていて、そのほの明るさがとてもいいなあ。
(わ、わたしは背景が暗い絵が好きなのか…)(や、闇が深ければ、光もまた際立つ、ということで…)

(日本の話ですが)平安時代の夜は、本当に「何も見えない」くらいの暗さで、だからこそ夜は恐ろしいものだった、というような話を、以前、読んだことがあるのですが。
こういう絵を見ていると、光は本当に恩寵なのだなと思います。

そして。
「先生、お願いします!」的にカラヴァッジョから。

カラヴァッジョ『キリスト降誕』1609年

カラヴァッジョ『キリスト降誕』1609年


この闇の深さ、黒の密度の高さ、いいなあ!
そしてキリストも光を放っていますが、額に少し光があるくらいで、マリアを照らすには届かないような光で。
なんていうのだろう、黒で塗りつぶされてはいるけれど、その空間にあるもの、ないものまで想像してしまう、そういう絵です。
光と影のコントラストを強調する美術の手法があるんですが、それよりも『もっと強調した手法(雑な説明)』なんだそうです。
(どうだろう、(上記にも書きましたが)光と闇を強調云々というより、当時の暗さ、灯りのなさ、は、このくらいが普通だったんじゃないかと)
そして、マリアの表情がなぜか雲っている(てか、このマリア、やたらコケットだな)。

コレッジョとカラヴァッジョを並べてみると、こういうカンジに。
聖母の表情が対照的。

コレッジョとカラヴァッジョ

いかがでしょう。

カラヴァッジョ『羊飼いの礼拝』1609年

カラヴァッジョ『羊飼いの礼拝』1609年


(もともとシチリアの教会にあったのですが、なんと1969年に盗まれてしまったそうです)
こちらは『キリスト降誕』よりは(やや)明るい。

マリアが憂い顔をしている。(え、こういう絵描いて大丈夫だったのかカラヴァッジョ)
(大丈夫じゃなかったから、依頼主から引き取り拒否とかトラブルがあったそうです)
カラヴァッジョには、キリストが生まれた時、マリアは手放しで喜べなかった、という思いがあったんだろうなあ。その思いはどこから来たんだろう、とか。
絵は(というか、絵でも音楽でも表現するものは何でも)、その描くひとを描く、のだと、以前、横浜トリエンナーレでものすごく感じました。
モチーフは何を選ぶのか、何を選ばないのか。
色は、塗り方は。
何を細かく描き込んで、何を省略するのか、
例えば、白い絵の具だけをキャンバスに塗った絵であったとしても、画家Aと画家Bでは、まったく違うものであり。
それで言うなら、カラヴァッジョは、救い主が生まれた喜ばしい夜の絵で、憂い顔の聖母を描くことを選んだ。
わたしは、より『そういう絵』に惹かれるなあ。

=======

えー。
せっかくのクリスマスなのだから、最後は、せ、正統派の一枚で。

ギルランダイオ『キリスト降誕』1485年

ギルランダイオ『キリスト降誕』1485年


キリストの生誕を祝い、たくさんのひとが集まる絵です。
マリアがとても初々しい。透明感のある美しい聖母として描かれています。
(というか、やっぱりこういう明るい絵は、…キリストが光源にならないのだな。そうか。当たり前だけど)
(コレッジョやカラヴァッジョの絵の方がホッとしませんか)(同意を求めるな)
え、えーと、ロバと牡牛は、キリストが生まれた時、礼拝にやってきたという伝説があって、降誕画にはお約束のモチーフなんだそうです。

右手後ろに子羊を抱いている人物がいます。子羊は、やはり、キリストの未来、受難を予告する象徴なのだそうです。
なんというか。こう、キリストの生誕を待ち望む4週間、その週ごとに割り当てられた物語があり、美術として表現され。
救い主の誕生を祝うと同時に、キリストの受難、十字架にかけられ処刑される運命を、くっきりきっぱり描き込む。
(そういうことを描いていないカラヴァッジョの絵はなんと優しいのか)
(そして、なんでわたしは、そーゆー小昏いことばっかし注目するのか)
(ですが、キリストは、小昏いことばかり注目するような者を救うためにお生まれになったのだと信じて)
皆様、ドウゾ良いクリスマスをお過ごし下さい。

■■■おまけ

「ただ愛と光をその境とするところ」   ダンテ

□□□おまけ2@変化球。



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2016年◎アドベント2&3週目〜「いと高きところでは、神に栄光があるように。 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

Posted on 15 12月 2016 by

んな、クリスマスだから『スモーク』、見よう。
これはオーギーがポールにアルバムを見せるシーン。

デジタルリマスターで見れるから。全国順次公開あるから。みんな、見に行こう。
公式サイト

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なんて言えばいいんだろう、前振り詐欺? そういうわけで前振りは前振りとして(でも、みんな、スモーク見てね!いい映画だから!)
2016年アドベント企画2週目&3週目です。
(以前もアドベント記事で2週目と3週目をひとつに記事にしたような気が…。)

前回の記事はコチラ>>1週目『受胎告知』
アドベント2週目です。
えー、2週目は『羊飼いへのお告げ』です。
荒野で、羊たちの番をしている羊飼いのもとへ、天使が救い主の誕生を知らせにきます。
その知らせを聞いた羊飼いたちは…
聖書から引用。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿をしながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使は言った。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたががに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのをみるであろう。それがあなたがたに与えられるしるしである。」するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現われ、御使と一緒になって神をさんびして言った。
「いと高きところでは、神に栄光があるように。
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と互いに語り合った。
(ルカによる福音書2章8-15)

前回の、美術 DE『受胎告知』って我ながら「イイ! 読みたい(主にわたしが)!!」と思ってノリノリで本を読み返して、書いたんですが、えー、『羊飼いへのお告げ』がびっくりするほど、なんていうんだろう、わたしが読める(専門書とか、そういう本ではない)範囲の本には、えー、少ない、取り上げられていなかったりしました。
(あまりの少なさに「資料がないです」と素直に認めて、そんで「そういうわけだから、東方の三賢人の絵です」て、さらっと流そうかなと思ったりもしたんですが)
その少ない中で見つけたのがコレです。

『三博士の礼拝』ピエトロ ディ ジョヴァンニ

『三博士の礼拝』ピエトロ ディ ジョヴァンニ(通称:ロレンツォ モナコ)祭壇画 1420年頃

三賢人の絵っぽく見えますが。違うのです。ちゃんと羊飼いへのお告げのシーンも描かれている。ココ。

『三博士の礼拝』with羊飼いのお告げ ピエトロ ディ ジョヴァンニ

『三博士の礼拝』with羊飼いのお告げ ピエトロ ディ ジョヴァンニ


拡大して見るとわかるんですが、上部の三つの半円、その真ん中の金色の花のようなのが天使で、その下に羊飼いたちが描かれています。
「1枚でアドベント2週間分の絵です!」て、これを隅から隅までクローズアップして記事書こうかなと思いました。
そのくらい資料がなく、どうしようかと。

などと思ってたんですが、ありました。

ファン デル フースの羊飼いの礼拝(1475年)祭壇画

ファン デル フースの羊飼いの礼拝(1475年)祭壇画

絵の右にいる三人の男が羊飼いだそうです。
(もっと真ん中に描いてあげればいいのに、など思いました)
この絵では、羊飼は幼子キリストへ贈り物を持ってきていません。聖書にもその記述がないのですが、15世紀の終わり頃から、羊飼いの杖、笛、足をしばった羊などを贈る絵が描かれるようになるそうです。
(そして、wikiを見ようと思って、この画家の名前を検索したのですが、ひっかからず。えー、ファン デル フースで検索したところ、『フーゴー・ファン・デル・グース』でひっかかりました。Gをガ行で読むか、ハ行で読むか、オランダ語かドイツ語か、そこいらへんでそういうのがあったな、と)
小さい天使がいっぱいいて、なんだか、こう、『そういう生き物』のような。

どの本にも書かれているのですが。
キリスト教では、キリストは「良き羊飼い」に例えられ、信徒は導かれる群れだと考えるそうです。
羊飼いたちに御使が知らせたのは、その象徴なのだそうです。

すごくいいなあ、と思ったのが。

ティントレット 羊飼いの礼拝(1579-1581年)

ティントレット 羊飼いの礼拝(1579-1581年)


上下に分割されている構図で、たぶん、とても珍しいのでは、と思います。
(珍しい云々はともかくとして、この全体的に茶色っぽい色使い、すごくいいなあ)

上段に描かれたのがヨセフ、マリア、幼な子キリストの聖家族で、下段が羊飼いです。
上段、マリアがベールを持ち上げて、出産を手伝ったふたりの女性、サロメとゼベルに生まれたばかりのキリストを見せている、というシーンだそうです。
下段、羊飼いが贈り物を捧げている、そして、奥にクジャク、飼い葉桶のところにはニワトリが描かれているんですが。
クジャクは永遠の象徴、そんで、ニワトリは、将来、起こるはずの事件をあらわしているのだそうです。
後年、キリストの弟子ペテロが、キリストを知らないと言う時、ニワトリが鳴くという予言があり、それを指しているそうです。へー。

ちょっと(かなり?)変わりダネの1枚。

ウィリアム ブレイク『羊飼いに現れる天使』

ウィリアム ブレイク『羊飼いに現れる天使』


ブレイクは「私はこの世が想像と幻像の世界であることを知っています。私は私が描くすべてのものをこの世に見るのです」と手紙に書いていたそうです。なので、きっとこの天使たちも見たのだろうなあ、と、わたしとしては不思議と納得する絵であります。

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そして3週目『東方の三賢人』
これも聖書から引用〜。

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った。「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。ヘロデはこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らは問いただした。彼らは王に言った。「それはユダヤのベツレヘムです(略)
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現われた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った。「言って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に数んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物を捧げた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
(マタイによる福音書2章7-12)

なんだろう、この、羊飼いのお告げと、東方の三賢人の資料の量の差というのは。
というくらい、博士の資料というか、書かれたものは多かったです。
この聖書の引用の冒頭の『星の現われたとき』、という箇所ですが。
博士たち、賢人、と書かれることが多いですが、占星術師であり、祭司でもあったそうです。
当時の占星術師は、最先端の科学者でもあり、天文学、気象観測を人々の生活に役立てていたらしい。

有名なところでは、古代ペルシャ語で博士たちは『マギ』と呼ばれていて、それが転じて、杖を一振りしたら何でもできる “magic” になったとか。

そして。
わたし、今回、この記事を書くにあたって初めて知ったんですが。
聖書の引用を読み直すと博士の人数って書いてないんですね。贈り物が三つなので、おそらく三人だろう、という、そういうことらしいです。知らなかったー!!

美術としてはーー
正統派から。

アルブレヒト デューラー『東方三博士の礼拝』1504年

アルブレヒト デューラー『東方三博士の礼拝』1504年


(この絵に限らないですが)三賢人は、『東方の』『東の国の』と、かなり『東』を強調されているのですが。
絵画では、この三人は、それぞれヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸からひとりずつ、そして、青年、壮年、老人ひとりずつ、として描かれています。
1)最年長? カスパール インドの貴族
2)壮年? バルタザール エジプトの王子様
3)青年? メルキオール ギリシャの学者
だそうですが、メルキオールが最年長だとか、バルタザールが最年少だとか、わたしが読んだ本でも、その辺りはバラバラでした。やー、すばらしい多様性多様性。

この絵では、キリストにひざまづいているのが、最年長のカスパール、その後ろに黒人のバルタザールと最年少のメルキオールが控えている、ということらしい。

そんで博士たちの贈り物ですが。
1)黄金:神の栄光を表す
2)乳香:神性の証
香料のひとつで、いけにえの動物の頭に振りかけたりして、宗教行事に使うそうです(そして頭痛にも効く)。
3)没薬:受難の予告
カンラン科の木から取れる油で、聖油として使われます。遺体の防腐剤としても有名で、エジプトのミイラにも使われています。(てか、ミイラという言葉はもともとは、ポルトガル語で『没薬』の意味らしい)(なんだこの言葉のメビウスの輪は)
麻痺させる作用があるため、死刑囚などに、ワインに没薬を混ぜて飲ませていたそうです。
この没薬の意味『受難の予告』ですが。
上記、ティントレットの羊飼いの礼拝の絵も、ニワトリが描かれ、キリストの受難、つまり磔刑になることを表しています。誕生の時から、受難が決まっていて、絵に描かれ、見たひとがそうだとわかる、というのは、それが神の子の使命だったとしても、切ないなあと思います。

あと、東方の三賢人をモチーフにした絵は、博士たちが東方出身なので、衣装がそちら方面の民族衣装、そしてラクダや豹などを連れていたりして、なんとも異国情緒にあふれているようです。
次の一枚はそういう絵。

『三博士の礼拝』ジェンテーレ ダ ファブリアーノ 1423年 祭壇画

『三博士の礼拝』ジェンテーレ ダ ファブリアーノ 1423年 祭壇画


豪華絢爛物語絵巻! な一枚です。
上部、半円の中に博士たちのエピソードが描かれています。
左から、丘の上に立つ三人の博士が星を見ているシーン、真ん中がエルサレムのヘロデ王の宮殿に向かうところ、右はベツレヘムへ到着の場面だそうです。
博士たちの豪華な衣装、背景に描かれた猿や豹? 虎? や、鳥など、端から順に眺めていきたい、そういう絵であります。

◆◆◆おまけ、というか。
三博士の聖書の引用の冒頭なんですが。
ヘロデ王は「ユダヤ人の王」であるキリストが生まれたことを知ります。
王は自分なのだから、他に王が生まれることなど許さない、と、排除するつもり満々で、博士たちに御子を見つけたら教えてほしいと言います。
博士たちは幼な子キリストに会い、ヘロデ王に報告しようとしますが、夢で「戻るな」とお告げをうけたので、そのまま祖国へ帰ってしまいます。
ヘロデ王は、自分を裏切って博士たちが帰ったことを知り、えー、ベツレヘムと、その付近の土地の二歳以下の男の子を殺すように命じるのですが。

一方で。
キリストのお父さん、ヨセフは、夢に天使が現れ、家族を連れてエジプトへ逃げるよう告げられます。
そのシーンかもしれない、というのがコレ。夜の暗さと灯りのコントラストの画家、ラ・トゥールの一枚。

ラトゥール『ヨセフの夢』

天使の顔にあたる光のカンジが、本当にすばらしい。


(なんで「そのシーンかもしれない」のかというと、ヨセフは3回、夢で天使にお告げを聞いていて、ラ・トゥールはこの絵の説明を残していないので、「かもしれない」のです)

次回、いよいよクリスマス、4週目、『キリストの誕生』です。


おまけ2

リーガルパッドとモレスキン

下書きはリーガルパッドとモレスキン




参考
『わたしの好きなクリスマスの絵』フェデリコ・ゼーリ 柱本元彦訳(平凡社)
『名画と聖書』船本弘毅監修(成美堂出版)
『名画と読むイエス・キリストの物語』中野京子(大和書房)

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2016年◎アドベント1週目〜聖母マリア、あなたは神のあこがれをいれる美しい器でした〜『受胎告知』を見てみよう

Posted on 30 11月 2016 by

母マリア、あなたは神のあこがれをいれる美しい器でした(リルケの言葉)

えー、12月もそろそろ、というころ。Notebookersの皆様におかれては、三冊目の手帳はどれにしよう、とか、もうそろそろ2018年の手帳を見込んでいる、とか、そういう日々をお過ごしでしょうか。
わたしは、手帳総選挙にて、ポスタルコの手帳と運命の出会いを果たし、2018年の手帳はコレだ、と、そういうアレです。
今回すごく、あー、手帳選挙参加して良かったーと思ったのは、トーンリバーサルの手帳のお話を伺えたことでした。本来、視力の弱い方のために作られたそうで、だから、文字を大きく書けるようにあのサイズなのだなー、とすごく納得しました。関東の手帳選挙開催時にテレビの取材が(トーンリバーサルのために)きたそうで、これでもっと広がって、視力の弱い方も、手帳を使う楽しみ、便利さ、などを一緒に「わーい」とやっていけたらいいなあと思いました。
あと、タワレコ手帳やバンギャル手帳など、手帳世界は広い。
そして、トラベラーズミーティングの記事、読んで下さってありがとうございます。
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『モレスキンのある素敵な毎日』出版記念イベントと横浜の象

Posted on 22 11月 2016 by

イッターのわたしのプロフィールは、イエーツの『赤毛のハンラハン』という物語の冒頭から引いてきた文章でして。
イエーツは、同じ作品をタイトルだけ変えて翻訳されていることが多く、未邦訳のこれが翻訳された時は本当に嬉しかったです。

今年も。
またイエーツの新刊が出まして(新刊というと最近っぽいですが、書かれたのが1888年なのでよゆーで1世紀前なんですが)。なんかもう、本当にありがとうございます平凡社様あと2年後もまた次のを待っております。
こんな素晴らしい文章なのです。

通りを歩きながら、なつかしい場所や光景のあれこれに心を奪われた。わら葺き屋根が今にもつぶれそうな田舎家の並ぶ通り。屋根をスレートで葺いた商店街。スグリを売る女たち。川に架かる橋。昔の持ち主の亡霊がウサギの姿であらわれるのを庭師が見たと伝えられる、高い塀で囲まれた庭園。日暮れどきに首のない兵士と出会うのが怖いので、子供は決して寄りつかない街角。荒れ果てた粉屋。川沿いにある草ぼうぼうの荷揚げ場。シャーマンはケルトの心酔をこめて、それらすべてを見つめた。その心酔は太古以来、ケルトの放浪者たちが哀れを誘う歌に託して世界の隅々まで運び続けてきたものだ。
『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』W・B・イェイツ 栩木伸明 編訳

===
そして、やっぱり『ジョン・シャーマンとサーカスの動物たち』のレビューではないです。

10月16日 ルミネ横浜で開催された中牟田洋子さんの『モレスキンのある素敵な毎日』出版記念のトークショー&サイン会へ行ってきました。
掲載されている三人の方のトークを聞くことができました。
『モレスキンのある素敵な毎日』の著者であり、モレスキナリーの管理人さんであるYOKO(@YOKOnotes)さん
ラーメンを始めとしておいしいものの絵をたくさん描かれているイラストレーターのまお(@mao_hagi)さん、
旅イラストを手掛け、旅ノートコレクション展の主催をされている同じくイラストレーターのChai(@chaimemo)さん
三人が、それぞれのモレスキンの使い方を話して下さり、実際にノートブックも見ることができる、というそういうイベントでした。

ルミネ横浜の有隣堂という本屋さんでの開催でした。
わたしは、関西在住なのですが。
そこで、偶然、元神戸在住の友達に会いました。まっっっっっったく普通の様子で

「やあやあ、お久しぶり」

てな再会となりまして。
あまりにナチュラルな再会だったので、「待ち合わせしたっけ?」「え、ココ神戸? 神戸!? わたし、新幹線に二時間乗って来たけど神戸!?」と自分がいる場所がちょっと信頼できなかったとか、あるんですが。
友達は

「(このイベントで)一割くらいは会えるかもしれないと思っていた」

と言ってまして。何の総量に対する一割だろう。
と、そういう予期せぬ再会などもありつつ。
嬉しかったです。いいなあ、こういう再会も合わせてノートブックのイベントのダイゴ味かと。

そしてトークイベント始まりました。
一人目は、まおさんでした。
テーマは『一冊のノートブックで人生が変わる』でした。

キーワードは三つ。
1)向き合う
2)表現する
3)共有する

『モレスキンのある素敵な毎日』にも書かれてていますが。
1)向き合う
まおさんは、使いはじめた頃は、モレスキンに感じたこと、考えたことなどを書いていたそうです。
読み返すと「自分はこんなことを考えていたのだ」と、改めてノートブックが自分を映す鏡のように思える、と放されていました。この頃は、えんぴつで書いていたそうです。

2)表現する
(これも『モレスキンのある素敵な毎日』にも書かれていますが)
イギリスのイラストレーター、ケイト サットン氏のモレスキンの絵を見たのをきっかけに、モレスキンに絵を描き始めたのだそうです。
(わたしは、まおさんというとすぐに『イラスト』が浮かんでくるので、もう最初からモレスキンスケッチブックなどに絵を描いていたと(勝手に)思っていました)
ケイト サットン氏、どんなイラストを描くのかと思って、検索してみました。

公式サイトはコチラ>>http://www.katesutton.co.uk
チーズサンドを食べるユニコーン、いいなあ♪

3)共有
「他のユーザーさんは、モレスキンをどんなふうに使っているのか」と、SNSで探してみたところ、交流するようになり、イベントに参加するうちに、地元静岡でも開催するようになったそうです。
(わたしもまおさんのイベントに行ってきました!楽しかったー!モノ作りの醍醐味満喫!!)

まおさんから、モレスキンの良さポイント3点として
1)シンプル
2)丈夫
3)バリエーション

言い切ってあますところがない、ポイント3点だなあ。

YOKOさんからまおさんへ質問。
Q.愛用のペンケースは? おすすめペンなどは?
A.いつもはネオクリッツ。モレスキンと相性がいいのは、ふでペン。硬くて、イラストも文字もOK。

chaiさんからまおさんへ質問。
Q.日記で使っているモレスキンは、どんな場所で描いていますか。
A.自分の部屋や、持ち歩いて隙間時間に。

二人目はYOKOさんでした。
テーマは『3つのライティングタイプ』

TypeA 知的生産をめざすアクティブ系
一番書き留めたいものは『ひらめき』『インスピレーション』
ひらめいた時に、すぐに書き留めたいので、モレスキンとペンをいつも持っていたいタイプ。
モレスキンに装着するツールベルトや、主婦のユーザーさんがお持ちのヴォランXSなどのスライドがあり。
そして、万年筆で ぱぱっ と書く、Notebookers.JP管理人氏のモレスキンのスライドもあり。

TypeB カフェ、音楽、読書が好きな文化系
一番書き留めたいことは記憶、日記など、人生の記録を残したいタイプ。
このTypeBの代表としてYOKOさんが話されたのは、なんと清少納言でした。
『枕草子』は、歴史的にももっとも古い日記とされている、ということで。
清少納言、約10世紀前の方ですが、時代を越えての Notebookers 仲間のおひとりです。

TypeC TypeA と TypeB 半分くらいずつ両方あり
例えば、美術館で見た作品をその場でメモして、後でさらに調査を進めてノートブックに書く、というようなタイプ。

その例として、YOKOさんのアートモレスキンのスライドがありました。
その場で見た作品の印象的なポイントをメモしたり、美術館に来ていたひとの記録などで。

わたし参加して良かった!来て良かった!と思ったのがこのスライドです。

YOKOさんのアートモレスキン

YOKOさんのアートモレスキン

美術展のカタログに載らない、そういう一景、空気も残したいと、そういう話題もありました。

まおさんからYOKOさんへ質問
Q.YOKOさんはどのタイプですか?
A.最初はBさんでしたが、今はCさん。
『モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方』を書いている時、共著者の堀さんが、ノートブックにたくさん書くことで、アイディア、ひらめきを蓄えることができるということを話していたそうで、そこからCタイプに変わった、と話されていました。

三人目、Chaiさんでした。
テーマは『旅の記録』

モレスキンのシティノートブックの京都版や、ジャパニーズアルバムに絵を描かれていました。

すごくいいなあ、面白いなあと思ったのが いろは や アルファベット順に旅を記録していく手法で。
例えば、京都の旅モレスキンなら

い:イノダコーヒー
ろ:路地
は…

イギリス旅モレスキンなら
A…
B:BRITISH MUSEUM
(このページも面白かったのです。スフィンクスのあご飾りの部分『だけ』が展示されていたんだそうです。
エジプトのスフィンクスです。あのあごの辺りにあった飾りを、エゲレス様は持ち帰ったようです。「もう、戻ることはないんだろうなー、と思っ…」というChaiさんのつぶやきが印象的でした)

旅モレスキン スフィンクスの顎飾り

これはわたしの聞き取りメモで、実物はこれの五億倍くらい丁寧に描かれています。

I:iPhone
iPhoneの充電器が旅先で壊れたんだそうです。
こういうトラブルでさえ、イラストとして残すことができて、ホントにいいなあ。
(あと、対策も教えて頂きました)

P:ペットボトル
なんと、『水』の飲み比べをしたのだそうです。
そのペットボトルのカバー(というか、パッケージ)を描かれていました。
(1枚描いて、あ、しまった 描かなきゃ良かった と思ったそうです。そのくらい細かい!)

いろは順なら48、アルファベットなら26、これを集めるには、旅の間、アンテナを拡げる、小さなもの、足元や目立たないところにあるものに、丁寧に目を向けているんだろうなあ。

あと、旅ノートブック作成TIPSも話して下さいました。
例えば…

・写真を撮って失敗したら、失敗した背景を切り抜いて貼る。

・写真を色見本のように並べてみる。
撮った写真の中でも、特に色あざやかなものを四角く切って、パレットみたいに並べていました。
この、写真を切って一部分だけ貼る、というアイディア、いいなあ。真似させて頂こう。

旅ノート 色の見本帳

これもわたしの聞き書きメモ。

・足元を写真に撮ってみる。
これもすごくいいなあと思いました。自撮はちょっと恥ずかしいですが、足元なら、特徴的なマンホールだとか、土の上、葉っぱや花なども写ったりして、その土地ならではの、いい記録になるなあ。
Chaiさんは、ジャパニーズアルバムに足元写真を貼って、その裏のページに場所やコメントなどを書いていました。

お客さんからの三人への質問
Q.ノートブックを書いていて、失敗してしまったらどうしますか。
A.(この質問の回答がまたすばらしかったです。三人とも違うの)
まおさん:上から貼る。
Chaiさん:切る(というか、モレスキンの閉じられているページのカタマリごと、ごそっ と取り外す)
YOKOさん:えんぴつ、シャープペンシルで書いているので消せる。でも気にせずに書く。

わたしは、YOKOさんの3タイプでいうと、9.8割Aさん 0.2割Bさん のCさんタイプでして。
思いついたことを書き留めるのが間に合わないなら、多少間違えても、とにかく最後まで走り書きをして、あとからわかるように書き直す、…かなあ。

===

その後、サインタイムや、活版印刷での文字入れなどの時間がありまして。
その時に、YOKOさんにご挨拶をして、ちょっと話をしていて、すごく印象的だったのが『モレスキンを書いていて失敗した時』の話題でした。
YOKOさんの座右の銘が “ trial and error ” 『試行錯誤』なんだそうです。
具体的な「こんなことがあった」という話ではなかったのですが、失敗する、間違うことにすごく肯定的、というか、それでもまた「やってみる」という、とても前向きな「失敗」「間違えること」なような印象を受けました。

そして、わたしがこの日、モレスキンに入れてもらった文字が(奇しくも)コレでした。

活版印刷文字入れモレスキン

「前より上手に失敗すればいい」

これはアイルランドの作家、サミュエル ベケットの作品『いざ最悪の方へ』の

Ever tried. Ever failed. No matter.
Try Again. Fail again. Fail better.

こういう言葉です。
以前、モレスキナリーでも、この言葉が取り上げられていました。

上手く言えないですが。
こうしてモレスキンの本を書かれた方が、ノートブックを書く時、ページを作っていく時に「失敗すること」に対して肯定的でいることって、すごくいいなあと思いました。
なので、モレスキンは、ちょっとトクベツなノートブックだから失敗したらやだなあ、と使いあぐねている方、この記事を読んで、ハードルが少しでも低くなったらいいなあ。

===

この日は日帰りの予定だったので、ひとりでドトールなどでご飯を食べて、ちょっとだけ歩いて帰ろう、と思っていたのですが、元神戸在住の友達のおかげで、横浜散歩を楽しむことができました。ありがとう元神戸在住の友達!

えー、わたしは、桜木町の日本丸を「ロイヤルヴィクトリー号」と勝手に名付けていて、元神戸在住の友達も(何ていう名前だったか、大きな別の船を)「ノアの箱舟」と名付けていまして。

「どこか行きたいところは…」
と聞かれて
「ロイヤルヴィクトリーって遠い?」
「ノアの箱舟は遠い?」
という、どこの話をしているんだ、という、そういうやりとりをしながら、桜木町あたりから、レンガ倉庫、大さん橋経由、山下公園まで、港散歩を満喫しました。
お昼はミラノサンドだと思っていたのに、すごく横浜っぽい洋食を頂き。満喫。

横浜と神戸は似ているという話もして、横浜には、やっぱり振り向いて山がないなあ、とか、どこを切り取っても絵になる街だねー、とか。

しばらく歩いていると元神戸在住の友達が
「もうちょっと歩いたら、象がいます。Notebookersの象みたいなのが」
と言いました。

えー。
象 て。

1)生きている象(ミニ動物園っぽいところの象とか)
2)像、a statue
3)他、何か象徴的な、比喩的な言い回しとしての象

楽しい。

正解はコレでした。

正解はコレでした。

山下公園から、シーバスに乗って横浜駅まで帰りました。
夜! 夜の船!! 船!! まさか乗れるなんて思ってなかったからホントに嬉しかったです!ありがとう元神戸在住の友達!

この日は満月で、あんまり見事にまんまるなので何かオブジェかと思ったくらいで。

この日は満月で、あんまり見事にまんまるなので何かオブジェかと思ったくらいで。

とても良い一日でした。
横浜でも読書会したいなあ。とか、関西でもモレスキンのミーティングとか、何かイベントとかできないかなあ、とか。
こういうイベントに出て、ひとと話すと、本当にしたいことが広がるし、具体的に計画が立ち上がる(ような気がする)。

イベント参加の記事は、本当にいつも同じになってしまいますが。
皆様に。
ありがとうございます。

■おまけ

旅ノートコレクション展

旅ノートコレクション展スライド(クリモレが下の方にあります)

□おまけ2

シーバスの切符とかポストカードとからーめんシールとか(わたしはコーンのラーメンがいいです)

シーバスの切符とかポストカードとからーめんシールとか(わたしはコーンのラーメンがいいです)

□じまん
サイン頂きました

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2016 – トウキョウ、昼

Posted on 20 11月 2016 by

お昼の中華料理店。この店に来たのは2回目。20年くらい前のロック少年みたいな、真っ赤なTシャツを着た日本語のおぼつかない青年が1人で店番をしてる。

昼の賑やかなテレビ番組がかかっていて、店内はわりと広いし清潔だけど、薄暗くて殺風景で寂れた雰囲気。料理は結構美味しいし暖房もしっかり効いてて暖かいけれど、寂れてる。客は時々静かに出たり入ったりして常に2〜3人。テレビショッピングのガサガサした甲高い声と、1人じゃない客達の小さなお喋りと、カチカチサラサラと茶碗や皿に箸の当たる音が聞こえる。

テーブルに置かれてる水差しから水をコップに注ぐ。新鮮な水。
広さと薄暗さと静けさと手書きの張り紙と物静かで微笑みをうかべた金髪のロック青年と清潔さが混在しながら密度が低くて、ちょっと何か、異世界に来たみたいな不思議な雰囲気。

ここから厨房が見える。水色のタイルと、ステンレスの調理台。酒とか何か調味料が並んでいるけれど、人の気配はない。脂ぎってはないし、埃をかぶってる感じもない。こざっぱりした普通の、ちょっと休憩中みたいなレストランの厨房。だけど今はランチタイムの営業中で、なのに調理人の気配がなくて、時々、ここから見えない奥の方から、ジージー、カシャカシャとか、飛行機のサイン音みたいなポーンとか、レストランとは場違いな小さな機械音だけが聞こえてくる。

注文を取ったあと、青年は黙ってカウンターの向こうのデシャップらしき場所に引っ込む。厨房に声をかける様子はない。しばらく経つとインターフォン越しのようなザラザラした音の「……△※◆?!」と何語かわからない女性の怒鳴り声が聞こえてきて、青年が料理を持って出てくる。ちゃんと温かくて出来たて。美味しい。

1人の客が食事を終える。デシャップに入って姿の見えなかった青年が、するっと出てきてレジに向かう。支払いを済ませた客が出てゆき、青年は見えない場所に戻る。

しばらく時間が経つ。

姿の見えなかった青年が、するっと出てきて店の入口に向かう。と、新しい客が入る。青年は周囲のテーブルをゆらゆらと拭きながら、客の注文が決まるのを待つ。

客が声をかける必要はない。必要な時に、必要な場所で、顔を上げるとそこに青年が立って待っている。

薄暗くて殺風景な店と、このとてもタイミングがよく気の利いた物静かな青年のことを考える。何となく、昔の村上龍の小説を思い出す。外に出たら昼間の東京の古いビジネス街で、今時は珍しい色ガラスの嵌った喫茶店や中華料理店がたくさんあって、時々街宣車が通って、きっと、ちょっと夢の中のような、夢から覚めたばかりのような、現実の時間と空間から切り離されてしまったような気分がするんだろう。

それから厨房の奥の機械のことを考える。店全体が実は大きな機械で、いま自分は機械の腑の中で食事をしてるのかもしれない。青年が注文を聞いてるように見えるのはそう見えてるだけで、客の小さな囁き声も、テーブルの上のメニューを辿る視線も、実は全てモニターされていて、客が頭の中で考えてる注文を先取りされているのかもしれない。宇宙ステーションでひとり暮らしながら仕事をする古いビデオゲームと、また別の物語の「お前、そりゃタリスマンってやつさ」という台詞を何故か思い出す。

先ほど入った客の注文を聞いた青年が、テーブルの横を通ってゆく。
デシャップに向かって歩きながら俯く金髪の覗き込む手もとを見ると、町の中華料理店には似合わないクリーム色のPOS端末があった。

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手帳の準備でもしようかなっと

Posted on 16 11月 2016 by

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お久しぶりです

日々黙々と生きていました(嘘です)

それなりに日々を暮し、それなりに生息していました

今年はなかなかイベント盛りだくさんな一年で、まだ終わっていないものの実は何かまだあるんじゃないかとドキドキしている今日この頃です

皆様ご機嫌いかがでしょうか

 

さて今年も漏れなく購入の「ほぼ日手帳」

来年の手帳は、予約開始初日にポチったこちらこちら

名前で気になって見てみたらどストライク

こんなのほしかった!マジでマジで!と感嘆しつつ悩んだのが皮のカバー 

しかし抽選てな。。。と断念

今年まで使っていた手帳カバーは2年選手なので、今月末でお役御免

いつか開くであろうその日まで、手帳ブースでお待ちいただくのです

 

 

ちなみに手帳ケースにはこちらのロゴシールを貼っています

これ2015年度版なんだね。。。ずっと気づかなかった。。。

このロゴシールが変わることがあったら、またこれに貼っていこうかなと

 

主に仕事のこと、家族のこと

色分けしたりマスキングテープでデコってみたり

その日の気分では何も書かないし、書いてもお昼のメニュー位だったり

 

でも手帳生活をしてからわかったことが一つ

手帳ってイイ

書くって忘れないからイイ

こないだも大事な用事をザーッと手帳に書いて、それを家に持ち帰って

それからあれこれと算段したもの(当たり前)

 

何が言いたいかというと、wifiがないと生活できないほどネット依存だけど

todoはアナログだということ

電話にリマインダとかあるけれど、いまいち使いこなせず

 

来年も大したことを書くわけでも、素敵なスケッチが残るわけでもないけれど

日々のログとして一言残しておこう

ちなみに皆さんは、過去の手帳を見ることってありますか?それはいつ?

私はなんとなく、紅白を見ながらひとりでぼんやり見てます

 

よかったら教えてくださいね

 

 

 

 

 

 

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セノーテと溶ける水

Posted on 10 10月 2016 by

「孤独」ということについてしばらく前からよく考えている。人によって色々な捉え方があって、「孤独」「独り」という言葉を見かけると、その人にとっての孤独ってどういうものなんだろうと考えてみたりしている。

「無性に一人になりたくなることがある」
「一人の時間がないとだめ」
昔から、人がそう云うのをよく聞いたり見たりした。友人や恋人がそう言ったこともあった。(だから、そう思っておいてね)という。そのたびにいつも、それはどういうことなんだろう?と考えた。
わたしはいままでそう思ったことが無い。それよりも逆に、静かな一人の場所で、「誰かと一緒にいたい」と思うことの方が多い。

*****

メキシコにはセノーテという大きな天然の井戸があるらしい。石灰岩の土地が陥没して、透明な水が溜まり、底には鍾乳洞がある。陥没した穴だから縁は真っ直ぐに切り立っていて、縁から覗くと深い深い、深すぎて見えない水底まで、冷たい水の中を真っ逆さまに落ちてゆくのじゃないかと思う。

*****

子どもの頃、一人でお風呂に入るのが怖くて、いつも、小さな玩具を一緒に持って入っていた。お風呂に入る前に今日のお風呂の世界を決め、それに合わせて玩具を選ぶ。綺麗なビー玉や、ビクター犬の小さな陶器の置物、レゴのブロックやお菓子のおまけ。それらは一つ一つがキャラクターを持った小さな生きたもので、わたしのお風呂の世界に住む登場人物で、冒険をしたり、キャンプをしたり、時には喧嘩をしたり、友情を育んだり、こっそり恋愛をしたりした。

お風呂の世界の一番のお気に入りは、縁の切り立った大きな深い湖。湖の中には大きな動く島があって、時々ざぶりと波をたてながら形を変える。

小さな玩具の一つが、皆が集まっている角っこのキャンプを離れて、湖の縁から水の中を覗きに出かけた。ふと魔が差して、この深い湖に落ちてみようと思う。覗いたまま頭から逆さまに落ちて、どこまで落ちてゆくのだろうかと、水底まで。
……水底に当たるコトンという小さな音。仲間たちはその小さな気配に気付き、訝しむけれど、特別に気にすることもなくすぐに自分たちの仕事に戻ってゆく。
動く島が動いて、水中のエレベーターのように小さな玩具の生きものを水面まで運び、そっと、湖の縁にのせる。助け出された玩具からしたたる水滴が、1つ、2つ、生命をもつ。3つ、4つ、合わさって大きくなってまた別の生命になる。5つ、更に大きくなって、体の重さに耐えられなくなって縁を滑り落ち、大きな湖の大きな水の生命とひとつになる。

初めてセノーテの写真を見た時に、わたしのお風呂の「大きな深い湖」はセノーテだったのか、と、思った。

ヒトの身体はいくつもの山や丘や谷や窪みをもったまた別の小さな世界で、大きな深い湖から生まれた水滴の生命は、世界の果てを見るために旅をする。危険な旅。油断してるとすぐにまるい頂から滑り落ちて、大きな深い水に飲み込まれてしまう。
急いで掌にすくいあげた水の中に、さっきの小さな生命は含まれているのかしらと訝しみながら、今だけ陸続きの、もう一つの世界の窪みに注いでみる。世界が笑う。水はやっぱりすぐに滑り落ちて、セノーテの大きな深い水の中に溶け込んでしまう。

*****

「孤独」ってなんだろうと考えると、いつもこのセノーテと、どこからかきて流れ落ち溶け合う水滴のことが思い浮かぶ。「孤独」という言葉や、「ひとり」という状態が、どういう意味で発せられているのかはやっぱりよく分からない。たぶんそれぞれに違う、”これ”と一様に定められるものではないのだろうと思っている。

 人間が世界に放たれた感じと私はいったが、「世界に放たれた」とはいいかえると世界に自由につながることでもある。つまり世界につながろうという衝動を起こす源が「孤独」なのであり、人間は世界なしではついに悶死してしまうにちがいない。

(略)

つまり籠の中から外へ翔び立った瞬間に人は自分の孤独な存在に気づくと思う。胃袋が餌に飢えるように心も飢えるのに気づくのである。心の飢えは他人を求め他人を食うことでしか癒されないが、私たちはそれを「愛」と呼んでいるのだ。

長沢 節 (1981) 大人の女が美しい 草思社

 

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ワイルドキリエの原点・ほぼ無人島(今は完全無人島)に行ってきた

Posted on 04 10月 2016 by

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ほぼ無人島でのちっちゃい私の狩りの話をしたことがある。

大きくなったキリエは今夏、叔父の計画した「祖父の生誕100周年記念」イベントにより、すごく久しぶりに祖父母の島に訪れることができた。

 

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