Archive | Nature

Tags: , ,

World Tapir Day 27.4.2021

Posted on 27 4月 2021 by

はじめに

今年もやってまいりました。「世界バクの日」
獏部としては、以前投稿した「今、会いに行けるバク」を更新したり、twitter上でバクを愛でたりする活動が主になっていて、動物園に会いに行くこともあまりできていないので、今年は、「マレーバクは私たちを救います」という文を、さまざまな言語で投稿することにしました。(以下の内容は、グーグル翻訳とwikipediaによるものです)

「マレーバクは私たちを救います」

4.27.2021 World Tapir Day! 

日本語:主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語。事実上、日本国内において唯一の公用語。1億3000万人。
マレーバクは私たちを救います。

英語:主として西ヨーロッパ、北ヨーロッパ、東南アジア、北アメリカ、オセアニア、西インド諸島の一部など
Malayan tapir saves us.

アイスランド語:使用範囲はアイスランドのみ。約30万人。
Malaískur tapir bjargar okkur.

アイルランド語:アイルランド共和国の第一公用語であり、2007年以降欧州連合の公用語の一つ。35万5千人。(うちアイルランドに26万人)
Sábhálann tapir Malayan sinn.

アゼルバイジャン語:アゼルバイジャンの公用語。イラン北西部にも多くの話者がいる。ジョージアやアルメニア、イラク北部、トルコ、ロシア連邦内のダゲスタン共和国などにも話者が分布している。2500~3500万人
Malayan tapir bizi xilas edir.

アフリカーンス語:クワズール・ナタール州以外の南アフリカ共和国全土に広く普及。ヨーロッパ系言語の中で最も新しい言語。第一言語:600万人・第二言語:1000万人
Maleise tapir red ons.

アムハラ語:エチオピアの事実上の公用語。アラビア語に次いで話者人口が多い。表記はゲエズ文字(アムハラ文字)2100万人。
ማላዊ ታፔር ያድነናል።

アラビア語:主に西アジアや北アフリカのアラブ世界で話されている。世界で3番目に多くの国と地域で使用されている言語(アフリカ北部の領域を中心に27か国で公用語)2億3500万人。
التابير الملايو ينقذنا.

アルバニア語:アルバニア語は約600万人によって話されており、そのうち350万人がアルバニア国内で、それ以外では主にコソボ、マケドニア共和国、モンテネグロ、セルビア、ギリシャ北西部で話されている。また南イタリアとシチリア島においては約25万人によって話されている。
Tapiri malajas na shpëton.

アルメニア語:カフカス(コーカサス)地方の一国アルメニアの公用語。700万人。
Մալայական տապիրը մեզ փրկում է:

イタリア語:おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。
Il tapiro malese ci salva.

イディッシュ語:世界中で400万人のアシュケナージ系ユダヤ人によって使用されている。
מאַלייַיש טאַפּיר סאַוועס אונדז.

イボ語:ナイジェリア連邦共和国南東部のイボ人を中心に約1800万人が使っている。声調言語であり、ラテン文字表記を用いる。
Malayan tapir na-azọpụta anyị.

インドネシア語:東南アジア。母語話者2,300万人、総話者数1億6,500万人
Tapir Melayu menyelamatkan kita.

ウィグル語:新疆ウイグル自治区、中央アジア。1000万人
مالاي تاپېر بىزنى قۇتۇلدۇرىدۇ.

ウェールズ語:ウェールズでは母語として話され、イングランド、ア・ウラドヴァ(アルゼンチン、チュブ州にあるウェールズ人入植地)の一部の人々によって話されている。ウェールズ政府は、2050年までにウェールズ語話者を100万人にする計画を持っている。
Mae tapir Malayan yn ein hachub.

ウクライナ語:キリル文字を使用する言語。ウクライナ国外においても、諸外国に住むウクライナ人によって使用されている。本国での話者人口は3680万人。本国以外に、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ポーランド、カナダやアメリカ合衆国などの南北アメリカ、オーストラリアなどにも話者がおり、それらを合計すれば約4500万人になる。スラヴ語派においてはロシア語、ポーランド語に次いで第3位の話者人口。
Нас рятує малайський тапір.

ウズベク語:ウズベキスタンの公用語。ウズベキスタンでは1992年以降は公式にはラテン文字で表記されるようになったが、それ以前はキリル文字で表記されていた。1850万人。
Malayan tapir bizni qutqaradi.

ウルドゥ語:北インドを中心に、世界で20番目に多い6100万人の話者人口を持ち、パキスタンの国語になっている(公用語は英語)。
ملایان ٹپیر نے ہمیں بچایا۔

エストニア語:話者は約110万人で、エストニアの主要言語であり、また公用語となっている。
Malaisia ​​tapiir päästab meid.

エスペラント語:ルドヴィコ・ザメンホフとその弟子(協力者)が考案・整備した人工言語。母語話者200 – 2,000人。第二言語話者100万人 – 200万人
Malaja tapiro savas nin.

オランダ語:オランダおよびベルギー北部を中心に2300万人以上が使っている言語。南米のスリナム共和国の公用語でもある。
Maleise tapir redt ons.

オリヤ語:インドの公用語の一つで、東インドのオリッサ州の公用語。3200万人。
ମାଲାୟାନ ଟାପିର ଆମକୁ ବଞ୍ଚାଇଥାଏ |

カザフ語:主に中央アジアで使用される言語の1つであり、カザフスタンの国家語に制定されている。800万人。
Малайя тапирі бізді құтқарады.

カタルーニャ語:スペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の言語。カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる。アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語(カタルーニャ、バレンシア、バレアレス諸島各自治州)となっている。母語:約322万人~410万人。第二言語:510万人。
El tapir malai ens salva.

ガリシア語:スペイン北西部ガリシア州でガリシア人を中心に使われている。179万人。
A anta malaia sálvanos.

カンナダ語:南インド4州の一つ、カルナータカ州の公用語。独自の文字、カンナダ文字が使われる。約3770万人。
ಮಲಯನ್ ಟ್ಯಾಪಿರ್ ನಮ್ಮನ್ನು ಉಳಿಸುತ್ತಾನೆ.

キニヤルアンダ語:主にルワンダで話され、同国の公用語の一つとなっている。ウガンダ南部やコンゴ民主共和国東部でも話される。700万人。
Maleziya tapir iradukiza.

ギリシア語:東地中海諸地域における共通言語の一つ。1200万人。
Το Malayir tapir μας σώζει

キルギス語:キルギス共和国(以下キルギス)の国語。300万人~500万人。
Малая тапир бизди куткарат.

グジャラート語:インド西部のグジャラート州の公用語。4600万人。
મલયાન તાપીર અમને બચાવે છે.

クメール語:カンボジアでは、全人口の約9割を占めるクメール人(約1400万人)が用い、カンボジアの国語および公用語となっている。さらに、隣国タイ、ベトナム、ラオスのカンボジアとの国境に近い地域にも母語とする人々(約200万人)が住む。また、アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリアなどの第三国に、(約23万人)の話者が定住している。1600万人。
ម៉ាឡេនថេរៀជួយយើង។

クルド語:トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンなどのクルド人の間で話されている言語。1600万人~2600万人。
Tapîrê Malayî me xilas dike.

クロアチア語:クロアチアおよびボスニア・ヘルツェゴビナの公用語。500万人。
Spašava nas malezijski tapir.

コーサ語:南アフリカ共和国の公用語の1つ。約790万人。南アフリカではズールー語に次ぎ2番目に多く用いられる土着言語。
I-tapir yaseMalay iyasisindisa.

コルシカ語:フランスのコルシカ島(コルス島)およびこの島の出身者が多く居住するパリやマルセイユの集住地区で使われる。10~40万人。
Tapir malese ci salva.

サモア語:サモア独立国とアメリカ領サモアの公用語。37万人。
Malayan tapir sefe tatou.

ジャワ語:インドネシア・ジャワ島の中央部から東で話されている言語。ジャワ島以外にも、スマトラ島ランプン州 (Lampung)、マレーシア、ニューカレドニア、南米のスリナム共和国などにジャワ語圏がある。7500万人。
Tapir malaya ngirit kita.

ジョージア語:南コーカサスにあるジョージア(グルジア)の公用語。410万人。
მალაური ტაპირი გვიხსნის.

ショナ語:ジンバブエやザンビア南部に住むショナ人の母語。北ンデベレ語や英語と同様に主要な言語。1074万人。
Malayan tapir inotiponesa.

シンド語:パキスタンのシンド州の公用語。2136万人。
ملئي ٽوپي اسان کي بچائي ٿو.

シンハラ語:スリランカで話されているシンハラ人の言葉。1500万人。シンハラ語とタミル語はスリランカの公用語。
මලයාන් තාපිර් අපව බේරා ගනී.

スウェーデン語:主にスウェーデンで使用される。930万人。
Malaysisk tapir räddar oss.

ズールー語:南アフリカ共和国のズールー族の95%、約900万人によって話される言語。
I-Malayan tapir iyasisindisa.

スコットランドゲール語:スコットランドで話されるインド・ヨーロッパ語族のケルト系言語である。58000人。
Bidh tapir Malayan gar sàbhaladh.

スペイン語:スペイン語は、アメリカ州のうちイスパノアメリカ、スペイン、その他の旧スペイン植民地などの地域における主要言語で、スペイン語を第一言語とするものが約4億8023万人さらに第二言語として日常使用しているものを含め約5億7700万人の話者がいると推定されている。
El tapir malayo nos salva.

スロバキア語:スロバキア共和国の公用語。520万人。
Zachraňuje nás malajský tapír.

スロベニア語:話者人口は約220万人で、主にスロベニア国内に居住する。
Malajski tapir nas reši.

スワヒリ語:ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダでは公用語。500万人(第一言語)3000万~5000万人(第二言語)
Tapir ya Malayan inatuokoa.

スンダ語:インドネシアのジャワ島の西部で話されている言語。3000万人。
Malayan tapir nyalametkeun urang.

セブアノ語:[1]フィリピンのセブ州、ボホール州、ネグロス・オリエンタル州、レイテ州西部、さらにミンダナオ島西北部などで広く話されており、他にもごくわずかにサマール島に話者が存在する。第一言語話者1800万人・第二言語話者: 1000万人(推定)。
Malayan tapir ang nagluwas sa amon.

セルビア語:表記にはキリル文字とラテン文字の両方が用いられる。話者は主にバルカン半島に分布し、セルビア人を中心にセルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアおよび他の国で話される。1100万人。
Спасава нас малајски тапир.

ソト語:。南アフリカ共和国・レソト両国の公用語。500万人以上。
Tlapi ea Malayan ea re pholosa.

ソマリ語:アフリカ東部の「アフリカの角」、すなわちソマリア、ソマリランド、エチオピアのソマリ州、ジブチ、ケニア北東部で話される。1500万人~2100万人。
Malayan tapir ayaa na badbaadiya.

タイ語:タイ王国の公用語。2600万人。
สมเสร็จมลายูช่วยเรา

タガログ語:フィリピンのうち首都マニラを含むルソン島南部を中心に用いられている言語で、英語とともにフィリピンの公用語。2200万(第一言語)5000万(第二言語)
Inililigtas tayo ng Malayan tapir.

タジク語:主にタジキスタン共和国とウズベキスタンのタジク人が母語としている言語で、タジキスタン共和国の公用語。850万人。
Тапири Малайзӣ моро наҷот медиҳад.

タタール語:ロシア連邦に属するタタールスタン共和国の公用語。ウクライナやトルコ、中国など広い範囲に話者が分布している。800万人。
Малай тапиры безне коткара.

タミル語:南インドのタミル人の言語。インドではタミル・ナードゥ州の公用語、また、スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つ。7400万人。
மலையன் தபீர் நம்மைக் காப்பாற்றுகிறார்.

チェコ語:チェコ共和国のチェコ人と、周辺国やアメリカ合衆国、カナダ等にコミュニティを作るチェコ系住民に話されている言語。1200万人。
Zachraňuje nás malajský tapír.

チェワ語:マラウイの国語(公用語は英語)で、マラウイ中南部を中心に、モザンビーク(テテ州など)やザンビア(東部州やルサカを中心に)で話されている。930万人。
Malayir tapir amatipulumutsa.

テルグ語:インド南東部のアーンドラ・プラデーシュ州およびテランガーナ州の公用語。7000万人。
మలయన్ టాపిర్ మమ్మల్ని రక్షిస్తాడు.

デンマーク語:、デンマーク本土などで話される言語で、デンマーク民族の母語。550万人。
Malaysisk tapir redder os.

ドイツ語:ドイツ、スイス、オーストリアとその他38カ国。1億3000万人。
Malaiischer Tapir rettet uns.

トルクメン語:トルクメニスタン、イラン北東部、アフガニスタン北西部などの地域で話されている。トルクメニスタンの公用語。756万人。
Malaýzi tapir bizi halas edýär.

トルコ語:トルコ共和国の公用語。北キプロス・トルコ共和国の公用語。このほか、ブルガリア、ギリシャ、マケドニア共和国やコソボにも母語話者がいる。ドイツ・オーストリア・スイス・リヒテンシュタインなど西ヨーロッパ東部〜中央ヨーロッパのトルコ系移民社会でも話されている。母語話者は7570万人、母語話者と第二言語話者の総計は8800万人。
Malaya tapiri bizi kurtarır.

ネパール語:ネパール、ブータン、インドのシッキム州やミャンマーの一部で話される。1600万人。
मलायान तपिरले हामीलाई बचाउँछ।

ノルウェー語:ノルウェーで話される。460万人。
Malayisk tapir redder oss.

ハイチ語:ハイチで話される。また、移民や難民などで西インド諸島の特にバハマ、キューバ、ドミニカ共和国の他にカナダ、アメリカ合衆国、フランスなどでも話される。1000万人。
Tapir Malayan sove nou.

ハウサ語:主にナイジェリア北部からニジェール南部にかけて用いられる。2400万人(第一言語)1500万人(第二言語)
Malayan tafir cece mu.

パシュト語:アフガニスタン、またパキスタンの西部に住むアフガン人(パシュトゥーン人)の話す言語。4000万人~5000万人。パシュート文字を用いる。
مالیان ټایر موږ وژغوره.

バスク語:スペインとフランスにまたがるバスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。66万5800人。
Tapira malaysiarrak salbatzen gaitu.

ハワイ語:英語とともにハワイ州の公用語。1000人~2000人。
Mālama ʻo Malayan tapir iā mākou.

ハンガリー語:主にハンガリーで話されている言語。1450万人。
A maláj tapír megment minket.

パンジャブ語:パンジャーブ語の話者の多くはパキスタン東部のパンジャーブ州に住んでおり、パキスタンで最も多い人口の39%(2017年)の母語であるにもかかわらず、パキスタンでは公用語にはされていない。また在外インド人の主要な言語のひとつでもあり、カナダでは43万人、イギリスでは27万人。ほかにオーストラリア・アメリカ合衆国のカリフォルニア州などにも分布。1億2200万人。
ਮਲਾਯਾਨ ਤਪਿਰ ਸਾਨੂੰ ਬਚਾਉਂਦੀ ਹੈ.

ヒンディー語:インドの主に中部や北部で話されている。4億9000万人。
मलयन तपीर हमें बचाता है।

フィンランド語:フィンランドで用いられる。600万人。
Malaijilainen tapiiri säästää meitä.

フランス語:世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語。
Le tapir malais nous sauve.

フリジア語:オランダのフリースラント州周辺およびドイツの北海沿岸にまたがるフリースラントで用いられる言語。40万人。
Maleiske tapir rêdt ús.

ブルガリア語:ブルガリアの公用語。ルーマニア、セルビア、トルコ、ギリシャ、ハンガリー、モルドバ、ウクライナ、ロシア、アメリカ、イスラエル、カナダなどで話されている。1200万人。
Малайският тапир ни спасява.

ベトナム語:ベトナム社会主義共和国の総人口のおよそ 87% を占めるキン族の母語であり、ベトナムの公用語。中華民国(台湾)、アメリカ合衆国、オーストラリア、カナダ、フランスなどに居住しているベトナム系移民によっても話される。7000万人。
Heo vòi Malayan cứu chúng ta.

ヘブライ語:イスラエル。一度日常語として使われなくなった古代語が復活し、再び実際に話されるようになったのは、歴史上このヘブライ語だけ。900万人。
הטפיר המלאי מציל אותנו.

ベラルーシ語:ベラルーシ共和国の公用語。700万人~800万人。
Ратуе нас малайскі тапір.

ペルシャ語:おもにイラン・タジキスタン・アフガニスタン及びウズベキスタン・ロシア・コーカサス地方・バーレーン・イラクの一部でも話される。母語話者は4600万人を超えるとされている。イラン、タジキスタンでは唯一の公用語とされ、アフガニスタンではパシュトー語とともに公用語とされている。ペルシア語は複数中心地言語のひとつであり、イラン、アフガニスタン、タジキスタンでそれぞれ標準語が別個に定められている。 7000万人。
تاپیر مالایایی ما را نجات می دهد.

ベンガル語:ベンガル人の言語。主にバングラデシュおよびインドの西ベンガル州とその周辺で話されている。バングラデシュの国語。インドでも西ベンガル州とトリプラ州の公用語。2億6000万人。
মালায়ান তপীর আমাদের বাঁচায়।

ポーランド語:ポーランドの公用語。5000万人。
Ratuje nas tapir malajski.

ボスニア語:ボスニア・ヘルツェゴビナをはじめとする、旧ユーゴスラビア諸地域において、特にセルビア・クロアチア諸語を話すイスラム教徒の多くは自身をボシュニャク人と規定し、その母語をボスニア語と考えている。250万人。
Spašava nas malajski tapir.

ポルトガル語:主にポルトガル及びブラジルとその他の9の国と地域で公用語として使われている言語。2億5000万人。
A anta malaia nos salva.

マオリ語:ニュージーランドの先住民族マオリの言語。14万9000人。
Na te Tapir Malayan tatou e whakaora.

マケドニア語:北マケドニアの公用語である他、アルバニア、セルビア、モンテネグロ、ギリシャでも一部で使われている。記述の際にはキリル文字を使用する。200万人。
Малајскиот тапир нè спасува.

マラーティー語:インド西部のマハーラーシュトラ州の公用語。隣接するゴア州、グジャラート州、アーンドラ・プラデーシュ州などにも多数居住。7200万人。
मलयान तापिर आम्हाला वाचवते.

マラガシ語:マダガスカル島で話される言語。マダガスカル共和国の国語であると共に、フランス語と並んで同共和国の公用語。1900万人以上。
Mamonjy antsika ny tapir malayan.

マラヤーラム語:南インドのケーララ州などで話される言語である。3600万人。
മലയൻ ടാപ്പിർ നമ്മെ രക്ഷിക്കുന്നു.

マルタ語:マルタ共和国の公用語。オーストラリアやアメリカ合衆国、カナダへ移民した人々の間でも使われている。60万人。
Tapir Malajjan isalvana.

マレー語:マレーシア(マレーシア語)、シンガポール、ブルネイ、の公用語。他に、フィリピン、南方のタイ(ジャウィ語)。2500万人。
Tapir Tanah Melayu menyelamatkan kita.

ミャンマー語:ミャンマー連邦共和国の公用語。他にバングラデシュ・マレーシア・タイなどにも話者がいる。第一言語3200万人・第二言語1000万人
Malayan tapir ကျွန်တော်တို့ကိုကယ်တင်သည်။

モンゴル語:モンゴル国の国家公用語。中国内モンゴル自治区、ロシアのブリヤート共和国、ロシアのカルムイク共和国など。500万人~600万人。
Малайз tapir биднийг авардаг.

モン語:話者はミャンマーおよびタイの両国に暮らすモン人。85万人。
Malayan tapir cawm peb.

ヨルバ語:西アフリカのナイジェリア、ベナン、トーゴに居住するヨルバ人の人々。2000万人。
Malayan tapir fi wa pamọ.

ラオ語:ラオスの公用語。330万人。
Malayan tapir ຊ່ວຍປະຢັດພວກເຮົາ.

ラテン語:略
Malayan tapir et salvet nos.

ラトピア語:ラトビア共和国の公用語。140万人。
Malajiešu tapīrs mūs izglābj.

リトアニア語:主にリトアニアおよびその周辺国の一部の地域で用いられている言語。246万人。
Malajiečių tapyras mus gelbsti.

ルーマニア語:ルーマニアの公用語であり、またその周辺地域でも使用されている言語。モルドバ、セビリア、ウクライナ、ギリシャの公用語。2600万人。
Tapirul malayan ne salvează.

ルクセンブルグ語:、ルクセンブルクの国語、公用語のひとつ。 ベルギー、フランス、ドイツ。30万人。
Malaiesch Tapir rett eis.

ロシア語:ロシア連邦の公用語。国語表記には、キリル文字を使用する。1億8000万人。
Нас спасает малайский тапир.

韓国語:主に朝鮮半島で使用されている言語で、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国語。中華人民共和国(中国)の吉林省延辺朝鮮族自治州と長白朝鮮族自治県でも公用語として使用されている。 8250万人。
말레이 맥은 우리를 구합니다.

中国語(簡体):中華人民共和国(中国)・中華民国(台湾)・シンガポール共和国の公用語であるほか、世界各国に住む華僑・華人の間でも使用されている。各方言を含む中国語を母語とする人は約13億9000万人[1]、第二言語としても約2億人が使用しているといわれており、世界最大の母語話者人口を有する。
马来亚tap拯救了我们。

中国語(繁体):略
馬來亞tap拯救了我們。

クリンゴン語:クリンゴン人が使用する架空の言語。
‘uSDu’lIjDaq jItuchjaj.

おわりに

昨年は国内のマレーバクの出産や死亡が相次いだ年でありました。どうか今年一年、バクが安らかに過ごすことができますように。もちろん、マレーバクに限らず、すべてのバクの平穏と繁栄を望みます。

SDGsで、獏の生息環境を守ることができるだろうかと、考えます。数年前は「エシカル消費」という消費者主体の全般的な運動の機運が高まりかけましたが、SDGsは企業側がイニシアチブをとる形になっているように感じます。おそらく、それでは資本主義の原理は緩まないでしょう。消費者の観点から、フェアトレード、焼き畑などの栽培方法によらない生産品を求めるなどの、意識改革をしていくことが、バクを守る、地球を守る、人類を救う、という風に繋がっていくのではないかと思います。

バクのいない星では愛せないだろう。バクを守りましょう!

※上記の言葉は、この曲のタイトルからの引用です。
モーニング娘。’20「雨の降らない星では愛せないだろう?」ピアノ伴奏バージョン

Comments (0)

Tags: , , ,

ワーズワースの庭 ―『ウォークス 歩くことの精神史』

Posted on 28 12月 2020 by

ゆっくりと読もうと思っている本。

ウォークス 歩くことの精神史
レベッカ・ソルニット著
東辻賢治郎訳
左右社2017年7月30日 第一刷
ウォークス 歩くことの精神史 レベッカ・ソルニット著 東辻賢治郎訳
左右社2017年7月30日 第一刷

17章490頁の本書の、第七章192頁まで読んだところ。思ったよりも「政治的」な志向のある内容だが、ワーズワースの歩行を知ることができただけで、私にとっての本書の意義は十二分に満たされたと思った。

それは第二部第六章「庭園を歩み出て」から同第七章「ワーズワースの脚」に詳しい。「歩く事」が「健康のため」と「どうしようもない場合の移動手段」でしかなかった当時、「歩くこと」によって自然に美を見出し、自然と一体化し、自然の中に身を置くことで成長するという価値観を見出した、ロマン派の詩人たちに関する記述だ。

note01
第一部「思索の足取り」アンリ・ルソーを中心に

「歩行のための歩行史」にとって、「庭園」は欠かすことができない要素であり、その「庭園」のルーツは、「迷路」や「迷宮」で、それらは「巡礼」の象徴だった。

英国風景庭園は、フランス幾何学庭園に対抗して、「自然への回帰」を目指した。そのとき景色は風景画として鑑賞すべき芸術となった。ここから、「崇高」という概念や、「観光」という文化が生じる。

歩行は、庭内から始まり、その庭園が自然との境界を曖昧にしていった結果、自然を歩くことに価値観を見出すことができた、ということになる。そのためには、裕福さと治安の良さが確保されていなければならなかったが、庭園を出ていくことにより、それらとは真逆の徒歩旅行に身を投じる者たちも現れる。それはバックパッカーのルーツといえるのかもしれず、「巡礼」への先祖返りの感もある。

歩行の身体性について

さて、ワーズワースだ。

かつて『ワーズワースの庭』『ワーズワースの冒険』というテレビ番組があった。主題歌だった「シャ・リオン」は今でもとても好きな歌の一つだし、渡辺満里奈さんもかわいかった。

ぼくはこの本を読むまで、このテレビ番組のタイトルの意味するところを理解できずにいた。たんに、自然好きな詩人だから、という程度の認識だったのだが、ワーズワースの庭。とは「自分と世界」の謂いだったのだ。

ただいま彼は歩いています。今朝はずっとひどい雨が降っているのですが、戸口を出ていってこの方、二時間になります。天気が悪いときは傘を持ち、なるべく雨に濡れない所を選んでそこを往復するのです。四分の一マイルから半マイルほど歩くこともありますが、まるで独房の壁のように選んだ範囲をきっかりまもるのです。詩作をするのはたいてい戸外で、没頭していると時間や天気の良し悪しなどは気に止まらないのです。

前掲書 1804年 ドロシーワーズワースによる友人への書簡

その態度は、著者をして『思索を肉体の労働に変えることでもあった』といわしめる。実際、そのように創作されたワーズワースの詩には、歩行のリズムと流れが刻み込まれている。

ワーズワース兄妹

わたし自身、同じ屋内を何周も歩き回る仕事を続けており、そうした中で、感じたことを言葉に書くという生活を続けてきた。胸ポケットの”pocket mod”にジェットストリームの黒の0.7で走り書きした断片を、ほぼ日weeks MEGAのnoteへ一時的に集積する。(今年は、このnoteをほぼ使い切ることができた。俳句や短歌のメモおよび校正や、本の抜書など、かなり乱暴に使っても1年もってしまう分量に、あらためて信頼を厚くした次第)

それから、しかるべきノートへ転記しながら、その内容から感じたことや想いだしたことを付け加えていく時間が、この上なく豊穣だ。

歩くことは、外部を体験することだ。自らの足で地球を感じながら、その風景との連帯を感じることだ。空っぽになり充たされることだ。それは、自転車がもたらす恍惚とは異なるハイな体験だ。

今年はどれだけ歩けただろうか。

来年はどれだけ歩けるだろうか。

それらを記すためにわたしのノートはあるのだと思う。

以上。2020年最後の記事として。piecesmaker.

Comments (0)

Kobe INK #01 × 北関東三都物語2020夏 |1/3|高崎・瀧澤禅寺グリーン

Posted on 20 6月 2020 by

2012年1月に開設されたノートブック好きのノートブック好きによるノートブックのためのサイト(と見せかけて記事テーマはライターセレクトやりたい放題)Notebookers.jpの読者ならば、元祖ご当地インク(諸説あり)「Kobe INK物語」ってインクがとてもカラフルでそして神戸だよって事案は、聞いたり読んだり見たりしたことはあるだろう。(あるよねー)(あるあるー)(えっなーい(ほんならググってくださーい))


(……ふぅ)

ここまでうっかりスクロールして今このテキストを読んでしまった君たちは、当然「Kobe INK物語」ってインクのことを知っているよね?えっまだ不安?ほんなら次の動画を観とくれやす。


(えっ?ナガサワ文具センターってどこ?なんの店?……とか、そういう質問しちゃう系?)

……まぁ、神戸や関西三都以外の都道県ならびに地球各地にお住まいのNotebookersだと、ナガサワ文具センターさんのある文房具生活を暮らした体験がないもんね。ちなみにわたしは、2010年代後半になってようやく、ナガサワ文具センターに足を踏み入れたよ。それでも大阪だったから、神戸はなかなか遠かったなぁ。。。

でもでも、大丈夫。
日本で文房具を使ったことがある人の9割は目にしたことがありそうなメーカー「コクヨ」さんが、謎にナガサワ文具センターさんを紹介していたよ。これで日本全国津々浦々は、まるっとまるごとカバーした……でしょう。


念のため補足を入れておくと、文具好きで文具について何かしらググったら割と遭遇しやすい「文具王」こと高畑正幸さんも、ナガサワ文具センターを訪問しているよ。

明治15年に創業した文具店なんだね。ナガサワさんって、すごいなぁ……。映像時間30分超だから、再生タイミングは各自の暮らしと要調整、何卒。


さて、「Kobe INK物語」に話を進めよう。
Kobe INK物語は、2007年に第1集のインク『六甲グリーン』を発表して以来、平成を駆け抜けて令和2年の今なお新色をリリースし続けている、元祖ご当地インクである(たぶん、おそらく。)ほんとに元祖かどうかは分からん。そこんとこ、よろしく。

最新のインク全色まとめ(2019年9月現在の最新集は「第74集」)
https://kobe-nagasawa.co.jp/originalitems/kobeink/p-287/

Kobe INK物語のホームグラウンドは、その名の通り「神戸」だ。

しかしわたしは、トラベラーズノートとそのへんに転がってる筆記具をカバンに詰め込んで、だいたい日本の47都道府県を旅してきた。つーか未だに旅の途中。

令和2年も旅路なう(JPN2020)

日本をいろいろ旅していると、日本史を改めて勉強し直したくなる。旅の目的は全然違うっていうのに、なぜか600年前に実在したという武士の甲冑を目の当たりにするとか、うっかり遭遇が想定外。いかなる事態にもそれなりに国内対応するならば、やはり日本史の復習はたいせつ。

昨今は透明ビニールシートでレジ空間を仕切りがちらしいけれども、そんな仕切りは遭遇当時(平成時代)には全くなかった。いましらんけど。

「瀧澤禅寺」までの道程は、ローカル鉄道+ローカル路線バス駆使して行くとなると難易度やや高い。群馬県にある高崎駅からローカル路線バスで數十分揺られたのち、さらにまだ遠くに行ってようやく辿り着く。聞き慣れない地名のバス停で降りなければいけないので、バス乗車ついでに爆睡なんてほぼ不可能。道中どうぞ、お気をつけて。

乗らなくても楽しいD51


瀧澤禅寺(Minowa)– 2020年 最新料金|Booking.com
オーナーのクチコミスコア 9.9(記事執筆時点)

瀧澤禅寺は箕輪にあり、レストラン、無料の自転車レンタル、バー、共用ラウンジを提供しています。フロントデスクは24時間対応で、共用キッチン、館内全域の無料Wi-Fiを利用できます。有料の専用駐車場を手配可能です。

https://www.booking.com/hotel/jp/long-ze-shan-si-ryutakuzenji.ja.html

寺院の周りは、大変自然豊かで春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬は静かな時間が訪れます。 

https://www.booking.com/hotel/jp/long-ze-shan-si-ryutakuzenji.ja.html
お寺の中も詩季織々

瀧澤禅寺の春夏シーズンを象徴する色は、グリーンだと思う。
どんなグリーンが待っているかは、現地を訪ねてからのお楽しみ。個人的には一泊二日より二泊三日を勧めたい。三泊以上は手帳の中身とジブン自身と要相談のこと、各自何卒。

2020年シーズン直近。
これから日本は、ますます夏だ。
きっとグリーンも、映えるはず。

だがわたしは、敢えて「瀧澤禅寺グリーン」を伝えない。
実際のグリーンは、やはり現地で体感してほしい。

体感したいと思ったNotebookersは、まずは高崎に行く日程を確保すること。
確保した日程で宿泊できるかは、先に紹介したBooking.comでチェック。
うまいこと予定があったら、予約ぽちっとなで旅支度スタート。

高崎に向かう旅支度のバックミュージックは、ベタにBOØWYが合いますかね。わたしタイムリーに観てないから、知ってる曲がこれくらいしかないよ。バブリーNotebookersさん世代ってイメージ。


バンドってよりは、解散後の方が当方世代です。

記事執筆時58,040 回視聴•2019/12/25

これは海なし県の主要都市を訪れて大抵思うことなのだけど、住民さんの学習意欲がはんぱない。街の本屋さんとか図書館とか、駅構内にある本スペースとか、謎のこだわりがありませんか?

あと地域の連帯結束が強すぎて、わりと隣市同士でバトりがちとか。高崎だと前橋と県庁所在地バトルをしてそうなイメージ。わたし群馬出身じゃないから、これまた無責任に「しらんけど」

こんなノリで「Kobe INK × 北関東三都物語2020夏」1都市目は「高崎」でした。
高崎に行くならば、世代関係なく「B・BLUE」歌えた方がいいのかい?
インクカラーイメージ、こちとら「グリーン」なのですが……。

それはさておき、
北関東三都物語2020夏、あと2都市はどことどこでしょうか?
ヒントはもちろん、Kobe INK物語。

Comments (0)

Tags: , ,

かに座と天の川の物語〜7月の星空

Posted on 06 7月 2017 by

日、ガイリッチーの『キングアーサー』を見てきました。
こういう映画です。はー、至福。

本予告(なんだそれは)だそうです。はー、堪能。

==以上、前振り終わり==
7月です。
(ムダに注釈の多い)12星座のギリシャ神話紹介、7月はかに座です。
(前々回、おひつじ座&おうし座で、前回はふたご座で記事を書きました。よろしければドウゾー)
夏7月じゃなくて、春に見える星座だそうです。

蟹座

いかにして蟹が(シャレではない)星座になったのか。


かに座、どういう物語を経て星座として天にあげられたかというとーー

まず、ヘラクレス(※1)の話から始めます。
ヘラクレス、イメージとしては、力持ちの代名詞、英雄、豪傑というあたりでしょうか。
彼は、英雄、豪傑のイメージの割には、ギリシャ神話では、ちょっと(かなり)苦労人で、えー、無茶な命令をシュクシュクと聞き入れて、大変な冒険をこなしている、そういうキャラクターです。

まず、ギリシャの大神ゼウスが、ティリュンス王の妃アルクメネを見初めます。そんで、口説くのですが、アルクメネは「自分は(ティリュンス王)アムピトリュオンを愛しているから」と拒みます。
それならば、と、えー、ゼウスはアムピトリュオンに姿を変えて思いを遂げました。
月満ちてアルクメネに子供が生まれます。
ゼウスは、うっかりゼウスの妻ヘラの前で「今日、生まれる子がペルセウス一族(※2)の支配者になるんだー、でへへ」と言ってしまいます(※3)。
ヘラは「また浮気してー!! きー!!」となり、お産の神と謀って、アルクメネの子より先に、同じペルセウス一族のエウリステウスを生まれさせます。
ギリシャ神話では、例え一番エラい神様でも、一回言ったことは撤回できないため、エウリステウスがペルセウス一族の王になる運命を与えられました。
翌日、アルクメネが男の子を出産、次の日に双子のもうひとりの男の子を産みます。
先に生まれた子がアルケイデス(ヘラクレスの幼名)、次の日に生まれたふたごの片われがイピクレスと名づけられました。(※4)
アルケイデス(ヘラクレス)は、赤ん坊の頃から英雄としての片鱗を見せていたようで。
どうしてもアルケイデスを排除したいヘラが、揺りかごに毒蛇を送り込みますが、赤ちゃんアルケイデスは、素手で絞め殺したというエピソードもあります。

さらに、懲りない大神ゼウスは、我が子に不死性を与えようと、眠っているヘラのお乳をアルケイデスに飲ませます。
吸う力があまりにも強かったため、お乳があふれ出て、それが天の川になったと言われているそうです。

また、別の話では。
ヘラの嫉妬を恐れたアルクメネが赤ちゃんアルケイデスを野に捨てたそうです。
そこへ戦いと芸術の女神アテナとゼウスの妻ヘラが通りかかり。
アテナがヘラに、赤ん坊にお乳をあげては……と提案します。
そんで、ヘラが赤ん坊にお乳を飲ませたところ、これまた力強く吸い、ヘラは驚いて赤ん坊を投げ捨てます。
それでも赤ん坊は、何滴かは女神のお乳を吸ったため、不死性を得た、というヴァージョンもあるようです。

このように、アルケイデス(ヘラクレス)は赤ん坊の頃から、嫉妬深い女神ヘラの怒りを買い、憎まれていました(※6)。

成長したアルケイデスは、テバイ王クレオンを助けたことで、その娘メガラと結婚します。
3人の子供にめぐまれ、幸せに暮らしていたんですが、またヘラの怒りが復活し、アルケイデスは狂気にとらわれて、子供たちを火に投げ込んで殺してしまいます。
正気にもどったアルケイデスは、アポロンの神殿へ行き、これからどう生きればいいのかを問います。すると、えー、生まれる時に因縁を作ってしまった(作られてしまった)ペルセウス一族の支配者エウリステウス(※7)からの10の命令をやりとげるように、そしてまた、アルケイデスという名を改め、ヘラクレス(ヘラの栄光)と名乗るようにとの、神託が下されたのです。
ヘラクレス12(※8)の冒険の始まりです。

ヘラクレスの二つめの冒険が「レルネの野のヒドラ退治」です。
レルネの野のアミューモの泉に住む九つ頭のヒドラ(※9)を退治するようにエウリステウスに命じられます。
このヒドラは、口から毒を吐き出し、頭を切り落としても、すぐに生えてくる上に、真ん中のメインのアタマは、黄金でできた永久に死なないという厄介な怪物で。
ヘラクレスは、甥っ子のイオラオスを伴い、レルネの野にやってきます。
そんでヒドラのアタマを棍棒で打ち砕くのですが、次々と復活し、勝負がつきません。
ヘラクレスはヒドラのアタマを切り落とし、イオラオスにたいまつを持たせ切り口を火で焼かせます。
最後のメインのアタマは焼かれても死なないため、穴を掘って埋め、大きな石で封じました。

この戦いの最中に、ヒドラの友達である(※10)大蟹が参戦し、ヘラクレスのかかとを挟もうとします。
ヘラクレスは「この忙しい時にーーー!」的に、蟹を踏みつぶします。
(主にヘラが)この蟹のヒドラへの友情を愛でて、大蟹は天に上げられ星座となったそうです。
また、ヘラが大蟹に、ヒドラへ加勢するように命じたという説もあるようです。(※11)

このヘラクレス、来月8月の獅子座にも出てきます。
よろしくドウゾー。

===
そして、せっかく七夕なので、そちらの星の話も書こうと思います。
天の川、というと。
『銀河鉄道の夜』の冒頭で、賢治センセイがすばらしい説明をされています。
以下、引用。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
(略)
「ですからもしもこの天あまの川がわがほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒つぶにもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。(略)」

この冒頭で言われている「ぼんやりした白いもの」、日本では天を流れる川、と名づけられていますが、えー、他の国ではどうかというと。

フィンランドの星の伝説が面白いので紹介します。

フィンランドに、ズラミスとサラミという夫婦がいました。
仲のよい夫婦で、何をするのも一緒でしたが、人生をまっとうして天に還るときも一緒というわけにはいきませんでした。
ふたりは、人生を終えるとそれぞれに天にのぼり、別々の星になりました。
それでもふたりは、なんとかもう一度会いたいと、そればかり願っていました。
そこで、ふたりの間に光の橋をかけることができれば、そこを渡ってあうことができる、と考えました。
ふたりは、天に漂う白いもやを集め、橋を造りました。
そのもやは、はかなく、頼りなく、橋を造るにはまったく少ない量しか集めることはできません。
しかし、ふたりはもう一度会うことを願って、光のもやを集め続けました。

あっという間に千年もの年月が過ぎました。
ふたりが集めた光のもやは、みごとに美しい光の橋となり、天上界の端と端を繋ぎました。
ズラミスとサラミは、光の橋の両側に立ち、一歩一歩ふみしめながら歩き出します。
こうして、ふたりは、永い年月の末、シリウスの輝くところで、再び会うことができました。
ふたりは、星になってからも変わらずに添い遂げ、天上界で幸せに暮らしていると伝えられています。
ヨーロッパでは、天の川を天の道、橋などに見立てることが多かったようです。

光の白いもやを『手で集めて』橋を造る、という発想がすごいなあ。
手で触れられるものなんだー。
===
あと、中国では、えー、天の川の源泉を探る話が残っているようです。
漢の武帝の時代。
武帝が「天の川の源を探るように」と、武将である張騫(ちょうけん)に命じました。
「それでは」と、張騫は準備をして、長江からいかだに乗り込み、出発します。
すると、意識が遠のいて、ふと気がつくと、川の岸に機を織っている女性が見え、もう片方の岸には、牛の世話をしている青年が見えました。
張騫は「わたしは、武帝の命令で天の川の源を探しに来ました。ここは一体どこなのですか」と声をかけました。
すると女性は「こここそが天の川の源です。わたしたちは織女と牽牛なのです」と答えました。
張騫は大喜びで、川を下り、武帝の元へと戻り、報告しました。
すると、武帝は「七月七日の夜、天の川の織女と牽牛の間に、見慣れない星があったのだが、あの星はそなただったのだな」と、張騫に、天の川のあたりに新しい星が見えていたことを話しました。
新しい星、彗星などを中国では『客星』というそうです。

天の川の源流を探るのに、長江から出発という発想がすばらしー。

===
他にも。
天の川の名前色々。
アイヌ語 ペッノカ(川の姿)
北欧 魂の道 冬の道など
古代エジプト 天のナイル
古代バビロニア 天のユフラテス などなど…

天の川そひねの床のとばりごしに星のわかれをすかし見るかな 与謝野晶子

===
わたしは、学生の頃、よくプラネタリウムに行っていたんですが。
上映が始まる時の挨拶がとても好きでした。
「ここの星は電気で投影しているだけだから、瞬きません。今夜はぜひ、空を見上げて、実際に星がきらきらしているのを見てみてください」
というようなカンジでした。
皆様もぜひ、(見られるのなら)夏の夜空を見上げてみて下さい。

===以下、注釈==今回は少ないかもー。
※1:かに座の話なのに、なんでヘラクレスから!?と思われるかも知れませんが、ドウゾ今回もおつきあいください。ちなみにヘラクレス、英語ではハーキュリーズといいます。パシフィックリムの登場人物のひとりがこの名前だそうです。短縮形:ハーク。そんで知らなかったんですが、Aクリスティが書いた探偵の一人、ポアロのファーストネーム、エルキュール、これがヘラクレスのフランス語読みなんだそうで。へー。
※2:すごっっっい名門の一族。
※3:ヘラがゼウスに誓わせた、という説もあり。
※4:アルケイデスがゼウスの子、イピクレスがアムピトリュオンの子、だそうです。
ふたご座のふたごは、もっとフクザツな四つ子だったし、↑このくらいだったら、もう驚かないよね。
※5:天の川は英語でミルキーウェイといい、それはこのヘラと赤ちゃんアルケイデスの話から。
※6:がんばれ。
※7:エウリステウスとか、アルケイデスとか、名前が覚えにくい場合は、もう ぱっ と見て、エウリステウスとあれば えりえり とか、アルケイデスとあれば あるけー とか、適宜読みやすいように読んで頂ければと思います。ですが、アルケイデス記述はここで最後になります。
※8:10なの12なのどっちなの、と思われるでしょうが、これはわたしの間違い入力ではないのです。エウリステウスが言いがかりをつけて、2つの冒険をノーカウントとしたので2つの冒険がさらに上乗せされます。ヘラクレス、苦労してるよね。
※9:日本神話でも八岐大蛇(やまたのおろち)て、あるじゃーないですか。これ、ずっと思ってたんですが、蛇状の生き物で、首がふたつ以上あったら、どういう風に配置されてるのかなあ、と。
(三つだったらキングギドラ状?)

それで考えてみたんですが、この九つアタマヒドラの場合。

ヒドラ考察1

熊手ではないです。

では、立体的にしてみました。

ヒドラ考察2

さらにわからない物体に。


※10:(本では友達って書いていました…… わたしも、どう表現すればいいのかわかりません……)。
※11:これでなぜ、ヘラクレスの半生を説明したか、おわかり頂けたでしょうか……

■おまけ
あ、前振りですが。もちろん、あの『アーサー王』です。その映画化です。
キャメロット城も出るし、円卓もあるし、エクスカリバーもアーサーが抜くし、騎士たちもいるし、湖のレディも出るし、マーリンは代理が出演してますし。『あの』アーサー王のガイリッチー版です。

Comments (0)

Tags: , ,

薬膳セミナー◎テーマは春のデトックス〜2月26日開催します。

Posted on 14 1月 2017 by

えば、この季節、出かける前は。
寒いなあ、と、コート来てストールぐるぐる巻いて、手袋をしてマスクをして、戸締まりをして自転車に乗る。
そんで向かい風に顔を上げて自転車をこいでいると、ああ、冬だなあ、いいなあと、毎年思います。
ハッシュタグは #好冬 で。

====
以上、前振りとして。
2月26日(日)薬膳セミナーを開催します。
(セミナーの講師はわたしじゃなくて、ちささん @amane008 漢方カウンセラー&薬膳アドバイザーのかたです)。
13時開催で、約1時間半、場所は大阪市内のレンタルスペースを予定しています。
(会費はだいたい500〜700円くらい? 参加人数により変わります)

薬膳セミナー

和ハーブですね。

テーマは『春のデトックス』だそうです。
暖かかったり寒かったりする気候の季節、春。
この季節をいかに快適に過ごすか、をお話して頂きます。

薬膳セミナー

春は五行では『肝』にあたり、この肝の気が上へ上へと上がる季節だそうです。
それが過剰になると情緒不安定になったり、頭痛などの原因にもなり、その辺りの
◎春がデトックスに向いている理由
◎「気」が上がって頭痛やめまい、情緒不安定が起こる原因
この対処法、そして、冬の間に溜め込んだ不要なものを排出するおすすめの春野菜の薬膳レシピ、代謝のよい身体の作り方など、そういうお話を伺います。
あと、26日は新月で、新月のおすすめの食材のお話などもあるようです。
(新月向けの食材てあるんだー、へー)

(まず間違いなく)わたしがここで書いていること以上のすばらしい講義をして頂けるので、皆様、安心してご参加下さい。

ツイプラはこちら>>春の薬膳セミナー
(ツイプラのアカウントは @se_labyrinth となっていますが、わたしの企画用アカウントです)
お問い合わせは、この記事のコメント、またはわたしのツイッターまでドウゾお気軽にー。

薬膳セミナー

これは八角でしょうか。おいしそー。

薬膳セミナー

□おまけ

薬膳セミナーめも

ヴォヤジュールとミニトラベラーズダイアリー

Comments (0)

Tags:

Notebookers Map プロジェクト

Posted on 23 12月 2015 by

こんにちはkonamaです。

今日はちょっと大がかりなプロジェクト(その割に思いつきですが)のお知らせです。

Notebookers Map プロジェクト、始動いたしました。

NotebookersMap

Notebookers MapはNotebookersの愛する文具店、雑貨屋、書店、カフェ、バルなどをマップ上にまとめる試みです。日常・旅先でふと時間が出来たとき、あ、近くにこんなお店があるから足を延ばしてみようかなと、毎日にちょっとした特別を付け加えるための宝さがし地図をつくろうという企画。

みんなで作っていく地図ですし、完成しない地図でもあります。ちょっとしたエピソードを添えて登録されたNotebookersの愛するお店や場所をのぞいてみませんか?

Continue Reading

Comments (5)

女子って本当にいい匂いがするよね!!

Posted on 23 11月 2015 by

*この文章は@blanqのお題Tw
“Notebookersの「野郎」たちへ、10代の女の子向けの記事を書いてみよう。
キャッチーでポップな感じで。”

が元になり整理された文章になるはずでした。

三十代も半ばに足を突っ込み(突っ込んだ足は当然臭い)、十代の若人に伝えられるような、何か深みのある人生を送ってきたかというと、別にそのようなことは全然ない。酒を飲み、助平なことを考え、文字通り毎日会社に通っている。仮に何か気の迷いで十代に伝えたい事が出来ても、多分私の書き記す言葉は「オッサン臭いヒゲメガネが時代遅れなことを言っている」程度に映るんだろうと思う。まぁそれでもいい。今回はノートも文具もあまり関係なく、十代に媚も売らずに、今回は二月中旬にアイルランドに行ってきた旅行メモを少し整理しようと思う。

一月下旬のある日、欧州の同業務に従事している同僚から社内メッセンジャでこう話しかけられた。

「お前なんか面白いから遊びに来いよ。家に泊めてやるよ!」

年末年始の忙しい業務も終り、少しまとまった休みが取れるような予感があり(後にこの予感が全く期待はずれだったと痛感することになるのだけれども)、おまけにランチビアの後だったので「少し考えさせてくれ」と答え、少し考え、帰りの半蔵門線車内でiPhoneから航空券を購入した。大人になって良かったなと思うことは、こうした無理が出来るようになったことだ。後日、上司に一週間ほど休みますと申請を出し、国際免許証を運転免許センターで発行してもらい、同僚に持っていく日本食の土産を買った。

IMG_0001IMG_0002

左: 国際運転免許証ではなく、正確には国外運転免許証らしい。だったら何故表紙も国外運転免許証にしないのか、今ひとつ腑に落ちない。
右: パスポート以外普段の出勤の装備とあまり変わらない。

準備が整う。

DAY1 (2015-03-13)
移動日: Narita(JP) – Amsterdam(NL) – Cork(IE)

IMG_0003IMG_0004

左: 国内で747に乗ることは無くなったけれど、海外では未だ健在だ。この機体が長距離燃料を積み、重々しく空を上がっていく姿が好きだ。
右: エールフランスとの提携のせいか、エコノミーでもワインが美味しかった。

IMG_0005IMG_0006

khabarovsk上空。左: 画面上部が南、氷結したAmurが見える。
右: 文字盤がキラキラと反射する感じが綺麗だった。

IMG_0007IMG_0008

左: Amsterdamで四時間ほどの乗り換え待ち。その間VPNで仕事をする。
右: Cork(Ireland)入国。

同僚とも合流し一日目を終了。他に記すことはない。

DAY2 (2015-03-14)
午前中はレンタカーを借りに行く。レンタカーは総額10,000円程。その後、市内を少し散策し昼食に郷土料理を食べる。部屋に戻り、仕事の続きをして眠る。

IMG_0009IMG_0010

左: Cork市内にあるCork English Market(観光市場)
右: Marketの二階にある食堂で地ビールを飲む。

IMG_0011IMG_0012

左: 羊の内臓を煮込んだもの。
右: 羊肉のスープ。

どちらも北海道育ちの私にとっては違和感のない美味しいものだった。大抵の旅行者は癖があり残してしまうらしいので「羊だけど大丈夫?」と聞かれた。大丈夫。緯度が近いと食べるものも似るのかもしれない。食堂っぽいところはこの旅でここだけ。後はスーパーマーケットで食材を買って食べた。

IMG_0013IMG_0014

左: 現地Prepaid SIMを購入。4G(LTE) Unlimitedで2,500円ちょっと。
右: 冬のIrelandにしては珍しく朝は晴れていた。

DAY3 (2015-03-15) Killarney (Ireland) Day Trip
終日ドライブ。

IMG_0015IMG_0016

左: HartzでCセグメントの車借りたらピッカピカの6MT Renault Méganeが来る。気持ちが高揚する。久しぶりのMTで最初何度もエンストする。ロータリーでもエンストしてクラクションを鳴らされる。凹む。欧州車らしく少し引っ張って繋げると調子が良いことに気付く。
右: 紙の地図が好きで、レンタカーにナビは付けなかった。

IMG_0018IMG_0020

左: 国立公園内(Ladies View Industries)の駐車場。
右: N71号線 Kerry周辺の風景。Google Streetviewでも楽しむことが出来る。

凡そ250km程度の道程。昼前に出発して夕方日の暮れる前に帰ってこられる距離だった。運転で疲れていたので早めに眠る。
Killarney (Ireland) Day Trip

DAY4 (2015-03-16)
01:30時に起床し、06:00時くらいまで仕事をする(日本時間の月曜10:30から15:00)。午前中は仕事場に顔を出し少して挨拶と仕事をする。社食で地元料理のBlack Puddingを食べる。社内は残念ながら撮影が一切許されていないのでここには記せない。ホテルに戻り夕方まで眠り、知り合った同じチームのメンバとPubに行く。

IMG_0021IMG_0022

左: 宿泊先を同僚宅からホテルに変える。部屋からの風景。
右: 近くのバスターミナル。都市間高速バスの電光掲示板。

IMG_0024IMG_0023

左: Franciscan Well Breweryという地元のBrewery。Pubも併設していて同僚とそこで飲む。
右: 幸運にも旅行がIreland最大の祭りSt Patricks Dayと重なった。外の電光掲示板には”St Patrick’s Day Parade – Starts on Pamela Bridge at 1pm on Tuesday”と記されている。

IMG_0025IMG_0026

左: 路地裏。街灯が整備され身の危険を感じることはなかった。
右: 先日DoodleにもなっていたGeorge Booleが暮らしていた家を見つける。メンテナンスがされておらず廃墟に近い形で放置されていたのが残念。

DAY5 (2015-03-17) St Patrick’s Day
03:30時頃に起床し、04:00時から07:00時まで仕事をする。午前中はレンタカーを返却しに空港まで行き、帰りに近くのスーパーで少し食べ物を買う。午後は市内のお祭りのパレードを少しだけ眺め、昨日行ったPubにもう一度足を運び、IPAと薪釜のピザを頬張る。

IMG_0027IMG_0028

左: 道路をゲートで仕切りパレードが行われていた。
右: パレードの特に大きな山車。こうした山車がいくつも連なる。

IMG_0029IMG_0030

左: 昨日のPubにもう一度足を運ぶ。IPA(ビールの種類)、英国パイントで提供される。
右: 野外に石窯があり焼きたてのピザを提供してくれる。

IMG_0031IMG_0032

左: 帰り道、Graffitiを見つける。
右: スーパーにも寄る。バターが一個200円以下、安い。凍らせて日本に持ち帰った。

DAY6-7 (2015-03-18 to 19)
移動日: Cork(IE) – Amsterdam(NL) – Narita(JP)

IMG_0033IMG_0034

左: 霧深い朝。前日車を返すか迷っていたので正解だった。自分で運転していたら空港まで辿りつけなかった可能性がある。空港までの途中、ボンネットの先数メートルが見えない濃霧もあった。
右: 空港に着き出国手続きを終えると、朝5:30にも関わらずBarが開いていた。

IMG_0035IMG_0036

左: 日本ではあまり見ない距離で旅客機が並んで飛行している。
右: Amsterdamの売店にあったSushi。NigiriだけにGrab and Fly。コンビニ寿司を二晩冷凍庫で寝かせて解凍したみたいな見事な味だった。

IMG_0037IMG_0038

左: Amsterdamの無料ラウンジ。旅行中の仕事に疲れてもう諦めた図。どこでも仕事が出来るというのは、どこにいても仕事を与えられるというジレンマ。囚人の鎖自慢をしても仕方ないのだけれども。
右: 成田着。結局Wi-Fiのない飛行機の中がこの旅で一番長時間まとまって睡眠がとれた。Amsterdamで座席に身体を埋め目を瞑ると、もう極東上空だった。

今回の主な出費
klm.com Narita-Amsterdam-Cork 100,000円 (往復航空券、空港使用税、燃料サーチャージ含)
hotels.com Jurys Inn Cork 30,000円 (3泊、食事無)
hertz.com Car Rental 10,000円 (燃料は別に5,000円程度)

ショッピングも、観光バスに乗るのも、美味しい高級レストランで食事をするのも楽しいけれども、地元を車で走り、有名でもないよくわからないものを見たり、適当なPubで昼から飲んでその日は寝てしまったり、空港でわかりきっているのに寿司パックを買ったりする方が、私にとっては心地よいなと感じる。ちょうど今回のような少し慌しい旅のように。この感覚は何か思いついたことをノートに書き記していく感じに近い。

残念ながら圧倒的に私のノートは汚いし、文章を整理するときはiPhoneのメモ帳を使うのであまり手書きをすることがない。だからお題にかこつけて旅行した際のメモを貼ってみた。誰かの何でもない旅のメモを私もここで読んでみたい。そこに文具が絡まなくなって別にいい。(多分@blanqもそんなことは気にしない。)

Comments (0)

悲しみという進化

Posted on 14 11月 2015 by

象は群れの仲間が死んだら葬式をするという。

死んだ個体の亡骸に対し、周りに集まり鼻を上げて匂いを嗅ぐような動作や、労わるように鼻でなでる等の行動をとった記録があるらしい。それが葬式と言えるのかどうかは分からないが、象は仲間の死を悲しむという感情を持っていると思いたい。

IMG_20130417_064911

象は人間には聞こえない低周波音で会話をしている。自分たちの群れの存在を脅かす天敵の存在を仲間に知らせるといったコミュニケーションをとっている。こうしたコミュニケーションの前提として群れの安全の確保が目的で生き延びるための手段と言ってしまえば味も素っ気もない。しかし、象たちが仲間をこれ以上失いたくないと思って仲間を守るための行動と想像してみたら象のコミュニティの絆を感じられるかもしれない。象は仲間の死を悲しむ動物であると。

ではなぜ、ほかの動物にはなく象にこのような感情があるのだろうか。例えば、鰯の群れが鰯より大きい魚に食べられたら生き残った鰯は悲しむだろうか。鰯が何故群れるのかというと、ばらばらで生きているより群れになって行動する方が固体の生存率が高いという説がある。どういうことかといえば、群れを襲う魚は群れの外側の固体の一部を食べつくしたらお腹いっぱいになって内側の固体まで被害が及ばないということである。内側の固体は外側の固体の犠牲の上に生き延びている。鰯は犠牲になった固体に対し、悲しみや感謝の念を抱くのだろうか。

さて、我々人間は悲しいときに涙を流す唯一の動物である。人類の祖先は泣いたのであろうか。サルが涙を流したという話は聞いたことがない。生物の進化の分岐点で涙を流す特性を獲得した固体が人間に進化したのだろうか。では、なぜ進化の過程で涙を流すという特性を身に付けたのだろうか。

仮定として、人間の祖先は現在では想像もつかない厳しい生存環境にさらされていたのではないだろうか。ヒトの赤ちゃんはほかの動物と違って自立するのに時間がかかる。その分幼くして亡くなってしまうことも多かっただろう。また、大きくなってからも身内や仲間が亡くなったりすることがほかの動物よりも多かったのであろう。悲しみを多く体験することで、何らかのきっかけで悲しみの感情の揺れが大きく振り切ったときにふと涙が流れたのではないだろうか。それは悲しみで自我が崩壊しないためのシステムではないかと思う。誰もが泣いた後に泣き疲れてその後に来るカタルシスを覚えたことがあるのではないか。そうして悲しみを乗り越えて生きていく、ある種の活力を得て生存競争を勝ち抜いてきたのではないか。そして、「悲しいときに泣く」から「感動したときに泣く」という進化を辿ったのではないか。

かなしいなかしぃでした。

Comments (0)

移動式生活「MOBILIS IN MOBILI」のススメ

Posted on 11 11月 2015 by

IMG_9266

あなたの目の前に、突然、海底二万里のノーチラス号とネモ船長が現れ、この船での生活は衣食住すべてがそろって何不自由なく、美術や博物などの知識もたっぷりと保有し、快適な生活が送れる旨ひと通り船の説明を受け、「この船で世界を永久に航海できる。そしてまだ未解明の海の秘密を解き明かす冒険ができる。しかし二度と降りることができない」と言われたときに、そこにあなたは飛び乗りますか?

現代における移動式生活(MOBILIS IN MOBILI)というスタイルについて考えてみたい。
思想としては、現代におけるジプシーのスタイルとはどのようなものになるかというところ。常日頃、自分の理想の生活や環境やユートピアについてヒマさえあれば考えているので、割とこういう空想は好きだ。自分の理想の生活は、都市と自然を行き来するという生活がテーマになると思う。 都市における仕事や義務的なものから僕らは解放されたときに、都市にいる必要性を感じない人々は、徐々に移動を開始する。日本という国がもしも国境のない大陸続きのスンダランドだったとしたなら、寒い時期には南に下り、暑い時期には北国へ移動し、住みやすい環境をその場その場で作り、都市で起きていることを意に介さず物ともせず気にもとめず飄々と暮らしていく新しい人々が現れ始めると思っている。現代においてそれは車での移動であるかもしれない。もしくは大規模な馬での移動になるかもしれない。町でも村でもない新しい集団の単位が発生していくと思う。

例えばモンゴルでのお話。ゲル1帳は、おおむね夫婦を中心とする1小家族が住み、遊牧民たちは一般に2~3帳のゲルからなる拡大家族集団を「アイル」(「仲間」や「村」の意味もある)と呼び、アイルでまとまって遊牧を行うらしい。同じ地域で遊牧を行う複数のアイルの集合体がいわゆる部族(アイマク)と呼ばれる。部族の極小の単位がゲルに相当するわけである。テント1帳が自分が属する社会の極小の単位であるなんて非常にシンプルでグッとくる。19世紀以前のモンゴルでは、アイマクに王侯貴族がいて、隷属民まで含めゲルが何十何百も集まった大型の集落が存在していた。つまり移動する都市である。まるでヴェルヌの移動する砂漠の都市みたいだ。これを中世モンゴル語ではクリエン、近世モンゴル語ではフレーといった。

小さなころに読んだ本や映画が良い具合に影響を与え想像力を刺激してくれている。文学で言うと、ハックルベリー・フィンの冒険、宇宙船とカヌー、宝島、蝿の王、なかでも「海底二万里」は特別な本。それぞれの本が描き出すそれぞれの特殊な生活環境は僕の憧れとなって、具体的に僕の理想の生活としてしっかりと根付いている。ヴェルヌの描き出すノーチラス号での生活は「MOBILIS IN MOBILI」のことばに相応しくまさしく移動する生活の代表格である。その都市から隔絶されたノーチラス号の世界観は移動式生活に対するヒントがいくつも隠れている。物語の中では潜水艦の中での生活・美術・経済・学問・衣食住について徹底的に考えられていて刺激になる。関係ないけど、物語を僕らが創造するとき、少なくとも2種類のアプローチの方法があると思える。一つ目は、何かが過剰な部分と何かが欠落した部分のギャップのある「特殊な人間の創造」。二つ目は一般的ではない「特殊な生活環境」の創造。そのことについて徹底的に考えられたとき、そこに物語が発生すると感じる。良い意味合いで海底二万里はその二つを実現できていると思われる。

ツリーハウスはハックルベリー・フィンの冒険でもお馴染み。ケネス・ブラウワーの「宇宙船とカヌー」では、40m級の杉の大木の上に建てられたツリーハウスが登場する。よく冷えた針葉樹の森。杉の枝が螺旋階段となっていて、樹上の小屋の中ではベッドと本棚と暖房替わりの小さな古びた鉄のストーブ。ストーブの上のシュンシュンと音を立てたコーヒー。木の麓には手作りのカヌー。トイレは板の上で済まして、フリスビーのごとく力いっぱいに遠くまで飛ばすシーンが印象的。彼方へうんこがキラキラと輝きながら飛び去っていくのである。

アルチュール・ランボーの人生において、不思議な経緯がいくつもあるけれど中でも好きなのは、フランスの詩人だった彼がある日突然のように砂漠に渡り商人になってしまうという話である。おかげさまで彼が旅する姿を想像すると、何か文学的な姿の砂漠のキャンプを思い浮かべる。それは、砂漠の旅人であっても瀟洒な彼のこと、なんとなく洒落た雰囲気のある暮らしだったのではないだろうか。現代においても「Gramping」といってグラマラス(Glamorous)なキャンプ(CAMP)のスタイルというものがある。まるで砂漠の王族が過ごすかのようにコットンのテントに家具を設置して滞在するスタイルである。モンゴルでいうところのゲルやパオ(包)のような住居に近いと思う。現在、実際に購入することができるものでいうとCanvasCamp社のシブレーなどが理想に近い。

このタイプのテントのよいところは、居住空間が広く取ることができ、夫婦1組+子供1人くらいまでは理想的な広さを確保できるところにある。家具を設置して中央部分にテーブルを設置し、内側側面にストーブをインストールし快適な環境を作ることができる。最近でもテント・ビレッジなどでラグジュアリーな環境作りでもこのコットンで作られたテントが一役買っていて、アウトドアであっても快適な環境を提供し、ホテル並みのサービスを提供しているところもある。

このテントの姿を見てからというもの、読んでいる本の中で、移動式の生活をしている人々を思い描く時、つい思い浮かべてしまう。中でもガルシア・マルケスの「エレンディラ」で、祖母のために街はずれで身を売るエレンディラのテント(外には順番を待つ兵士の行列、その行列に物を売る商人の数々)、そして「百年の孤独」で登場する宝箱のチェストに氷を沈め、磁石を引きずり、絨毯に乗って空を飛ぶ、何やらガチャガチャと騒がしいジプシーたちのテントである。 最近この住居の姿にものすごく興味がある。このテントを使い、一つの移動式コミュニティを作り上げていくことが僕の当面の夢となっている。このテント1張で移動し、その生き方や生活に興味を持った人々を迎え入れ、徐々にその単位を増やしていき、移動式の村を作り上げいくこと。そしてあらゆる町や村に所属せずに、境界線に住むこと。僕はこういうことを考えるだけで興奮する。

とりあえず、想像しよう。
コットン張りのテントの両サイドに羽毛入りのふかふかのベッドを配置し、真ん中のポールには木製の小さなテーブルを置く。テーブルの上にはコーヒーの道具、ポーレックスのコーヒーミルとコーヒーサーバも兼ねたビーカー数個。床にはペンドルトンの毛布や、色とりどりのラグマットを敷き詰め、足の裏にやさしい感触を与える。テントの外側には旗めくタルチョ(チベットの三角旗)。ストーブの上ではケトルに入ったお湯が沸騰し、部屋を暖めている。すぐそばには毛の長い大きな黒い犬。ぽこぽこと音を立てる水タバコのパイプ。そしてベッドの上に目を向けると、赤いペディキュアを塗る白い肌の裸体の女性。はい、ここで重要なのは、こういうアウトドア的な生活を思い浮かべる時なんだが、大半のケースでは妙に健康的な風景を思い浮かべてしまうのだが、いかがわしい感じのイメージをインストールすると、突然のように物語性が現れるのでお勧めする。

Cryptozoic(クリプトゾイック)ということばがあって、意味は文明の隅っこで密かに生きることを覚えてしまった野生動物のこと。または、港に停泊する古びたボートの中で寝泊まりする、樹上の小屋でコーヒーを入れながら暮らす、ハンモックで眠り、焚き火と共に過ごす人々のこと。そして、ヒンズー語なのかな?「アンテヴァシン」という言葉にも惹かれる。意味は「境界に住む者」。そのためにいろんな物事を捨ててしまった人々の意味もあるらしい。未開の森の奥深くで暮らす賢者でもなくて、賑やかな街に住むわけでもない。そんな人々に興味がある。常に境界線に住んでいて、世界をいくつか渡り歩きながら生きて行かなければならない人というのは、きっと荷物を小さく小さくしなければならないと思う。鞄にうまくぎゅうぎゅうと収めて、ふらっと行ってしまう、そんな感じ。いつか、皆さんも家を捨てて大陸を移動する時はどこかで合流しましょう。

さて、冒頭の「あなたの目の前に、突然、海底二万里のノーチラス号とネモ船長が現れ、この船で世界を永久に航海できる。そしてまだ未解明の海の秘密を解き明かす冒険ができる。しかし二度と降りることができないと言われたときに、そこにあなたは飛び乗りますか?」の質問ですが、僕はそこにエロいのがあれば迷うことなく飛び乗ります。ピース

Comments (0)

ありがたいというおはなし

Posted on 07 11月 2015 by

Happy birthday to me、Happy birthday to me、Happy birthday dear なかしぃさん、Happy birthday to me♪

Facebookって友達の誕生日がくると通知がいくはずなのに誰一人お祝いメッセージくれない嫌われ者のなかしぃさんです。なので自分で歌ってみました。演奏はモレカウのときにupしたのでそちらもどうぞ。

で、憎まれっ子世にはばかるといいますが、未だはばかってません。手相占いで両手ともに天下取りの手相って言われたのに・・・織田信長と同じ相やって言われたのに・・・ あっ、そうか!信長は天下取る前に謀反で殺されたんだっけ。もうおいらも誰か殺してくださいっ!

というわけで、今日は誕生にまつわるおはなしです。さっき殺してくださいって言ってたのに命の誕生にまつわるおはなしです。舌の根も乾かぬうちに正反対のことを平気で言えるなかしぃさんです。

中学のときに数学の授業で累乗を勉強するときに先生が言ってたのは、自分が生まれてくるには両親がいて、その両親が生まれてくるには2組の祖父母がいて、その祖父母が生まれてくるには8組の曽祖父母がいて、その曽祖父母が生まれてくるには16組の・・・(以下略)ということで、どんどんさかのぼると2の累乗の分だけカップルが成立してセックスして子供を生んで無事にそだてなければならず、そのうちの一組が欠けても今の自分は存在しなかったということです。現代みたいに医療が発達していない時代の方が歴史的には長かったですが、生活環境とか生育環境が厳しく、その間には戦乱もあったでしょう。そういったことを乗り越えて子孫をつないでいった結果が今の自分なのです。そう、今「ある」ことが「むずかしい(難い)」のです。そう、「ありがとう」なのです。なので、誕生日には産んでくれた両親や祖先に感謝することが大切なんです。ありがとう、両親!(この呼びかけ方もどうかと思いますが)

その当時の中二のボクは素直にそう思いました。あの頃はまだ純真な少年だったのですよ。でも、色々世間の波に揉まれて汚れつちまったなかしぃに今日も風さえ吹きすぎる、というわけでひねくれた大人に育ってしまいました。両親に感謝もしますし尊敬もしますが、唯一ダメ出しするとしたら子育てですね、なんでかって言ったらこんなぺらい子に育ってしまいました。

で、すれた大人の私が足りない頭で考えたことといえば、2の累乗で先祖を遡っていくと源平合戦の時代には現在の日本の人口を超えてしまうというこということが発覚したんです。計算上では1億2千万人超えますからね。でも、平安時代そんなに人口なかったですよね。矛盾してますよね。それこそ今自分があるのが不思議です。その人口差はどこいったんでしょうね。

答えは知ってますが、それは読者さまへの宿題とさせていただきます。分かった方はコメント欄に回答をおねがいします。

DSC_0436

写真はぺら部の象徴「運命の輪」です。

Comments (2)

Smell it used to be a creature

Posted on 15 9月 2015 by

新しい革の雑貨は革の匂いがする。 鞄、財布、ブックカバー、もちろんノートブックのカバーも。

この匂いがなじんできて消えたときにやっと使いこなしてると感じる。そう、この匂いは獣の臭いともなめしの薬品の臭いとも言い難い、革そのものの匂いである。それはかつて生き物だった残り香なのかもしれない。

太古の昔、人類は狩猟を通して食料を得ていた。狩った獲物は隅々まで利用され、骨や皮など食べられない部位も生活の役に立つように加工されてきた。皮はそのままにしておくと固くなったり腐敗してしまう。そこで人類は自らの唾液で皮をなめして革にしていった。古代には植物に含まれるタンニンでなめすようになり、複雑ななめしの工程を経て革製品となっていった。

かつて生きていたものが素材となり、そして製品となり暮らしを彩るようになって人々を魅了している。ではなぜ革製品に魅かれるのだろう。

革製品を使用するということは命のお裾分けをいただいているのだと最近感じるようになった。そのきっかけはトラベラーズノートのブルーエディションを買うかどうか迷ったときだった。一目惚れしたはいいけれど使いこなせるだろうか・・・一生モノとして長く愛せるだろうか。使っていくうちに味が出て傷も一緒に歩んできた歴史として受容できるだろうか。しばらく逡巡した後で、かつて生き物であったモノを粗末に扱ったりすぐに飽きて使わなくなるという事は死んでいった生き物に対する冒涜ではないのかと思うようになった。例えばそれは食べ物を残すことに通じるのかもしれない。

そして迷った末に思い切って購入し、使い続けるうちに革の匂いも消えていき、傷だらけになったらクリームでお手入れをしているうちに愛着が湧いてきた。そうして青TNは旅の相棒となっていった。生きていたら青空の下でもっと草を食む事ができただろうに、縁があって革となって自分のところにやってきてくれたので、これからも一生モノとして使い込んでいくことがかつて生き物であったことに対する供養になるのかもしれない。

IMG_20150315_153026

Comments (0)

【ノートブックがない旅なんてVol.43】旅先のToday’s TRAVELER’S notebook/2015夏

Posted on 20 8月 2015 by

この夏から始めた「行ったことのない県に行ってみよう!」シリーズ。
第1弾として選んだのは、富山でした。

saori_150820-01

山・海・街がコンパクトにまとまっていて
毎日まいにち、新鮮な景色が視界に広がったものです。

違う季節の景色も見たい。
違う時間の景色も見たい。
また行きたい場所が増えるのは、知らないところを訪ねる旅の醍醐味ですね。

ノートに記録する手段は、書くことだけではない。
「旅先のToday’s TRAVELER’S notebook」として写真におさめる方法だって
私にとっては、旅の記録になるのです。

みなさまにも、少しばかり富山の空気をおすそわけ。

スターバックスコーヒー 富山環水公園店

スターバックスコーヒー 富山環水公園店

称名滝

称名滝

室堂展望台

室堂展望台

雨晴駅

雨晴駅

内川と街並

内川と街並

富山城

富山城

————————————————————————————————————
【ノートブックがない旅なんて】は毎月20日に更新。
今回の旅、ベストスポットを3つあげるなら……
1)室堂エリア:山歩きの面白さに目覚めました!
2)JR氷見線 越中国分〜雨晴間:海×線路×青空=爽快な風景
3)カフェ uchikawa 六角堂:店員さんとの会話に和みました♪
————————————————————————————————————

Comments (1)

お題に答えてみた。その1

Posted on 03 2月 2015 by

curacco150203

 

お題:あなたの好きなものについて語ってください。

 

好きなものね…今一番は、訛り。

イントネーション。

ここ10年、一人暮らしをして地元ほどの訛りのない
県庁所在地に籍を置いていまして、
会社の付き合いや得意先にも訛りがでないよね、
なんて言われたものでしたよ。えぇ。
昨年、関東へ行った際にも
「全然、わからない!こっちの人みたい!」
…などと言って頂いたくらいですし、
そこで訛りで話せと言われても、まぁーこれがまた出てこない。
環境と雰囲気とは恐ろしいものですよ。

そんなわたくし、訳があって地元に戻って
落ち着いている訳なのですが、
出るわ出るわ、両親が引くほどの方言と訛りが同窓会のように、
私の口からでてくるのね。

時にね、家族や親戚の集まりに行くとこれが一番良い。
叔父様、叔母様とのコミュニケーションには事欠きません。
相手を油断させることができますね。
斜に構えてないというか。

双子座は、コミュニケーションと言われるのが
わかる気がします。あ、私は双子座なんですがね。

ノートもたまに方言で書いたら面白いかもね。
ばぁちゃん、何書いてるのかわからないんだけどー!って
言われるくらいコテコテの方言を。
まぁ、あまり見られたくないんだけど…
自分しか見れない、自分だけのノートに、
その土地で暮らした生身の等身大の自分を。

Comments (4)

【ノートブックがない旅なんてVol.33】旅先のToday’s TRAVELER’S notebook/2014秋

Posted on 28 10月 2014 by

saori_141028-07
先週、ちょっくら旅してました。
高松・直島・豊島。

様々な風景やアート作品などから感じることは確かにあるのですが、
それをコトバとして外部化するのは、なんか違う感覚。
コトバにしてしまうと、私の語彙力ではとても陳腐になってしまって
そういうコトを言いたいんじゃなくて…と、自分ごとなのにうまくカタチにできません。

なので、しばらくはその感覚を感覚のまま包み込んで
ココロのどこかにそっと置いておきます。
ノートには書けない感覚は、無理に書かないことにしました。

ノートに記録する手段は、書くことだけではない。
「旅先のToday’s TRAVELER’S notebook」として写真におさめる方法だって
私にとっては、旅の記録になるのです。

みなさまにも、少しばかり瀬戸内の空気をおすそわけ。

saori_141028-01

saori_141028-02

saori_141028-03

saori_141028-04

saori_141028-05

saori_141028-06

Comments (1)

野外のこと数点。

Posted on 27 8月 2014 by

01152ffc7fb6b532da7d0a5d76d2185475f8c89230

ヘイ、こんばんはタカヤです。
最近はみなさん焚き火しているかな?地平線は見たかい?

01e5ac6b0b9420ee96dbecb95d4023f7252c62c0a0

山から平野に抜けてさまよっていると、ヒッピーの村によくたどり着く。そこではいろんな人々が暮らしているのだけど、不思議なことに大半地図には載っていない。メルヴィルの白鯨にもあったように、「そこはどんな地図にも載っていない。ほんとうの場所はけっして載らないものなのだ」。海外からの移住者も多く、山の急斜面であっても畑を耕して、自給自足で自分の国の野菜を育てて暮らしている。日本ではあまり見たことのない野菜や自家製の燻製を分けてもらったり、BBQとビールをごちそうになったり、地面を掘って湧き出た井戸水を分けてもらってお米を炊いたり、干し草をつめこんだ温室で眠らせてもらったりしながら、再び野に出てさまよっている。
先日深夜に湖に潜る機会があって、シュノーケルをして水深2~3メートルくらいのところに潜ってライトで底を照らしてみると、びっしりと目を光らせたエビがいた。

016c1af1185e249141b03035c46960ddd76120c06d

最近狩猟について学んでいる。ヘッドフォンで海外のハウスとかエレクトロニカを聴きながら、獣の痕跡を探して口笛ぴーぷー吹いて歩いている。山野をさまよっていると気が付くのだけど、自分はアウトドアとして楽しんでいるというよりは、文学的に世界をとらえている節があって、都会にいるよりも野外にいるほうが、世界がなんとなくリアルだ。不思議な人々に出会い、おもしろい出来事にぶつかる。蚊に刺されながら腰からぶらさげたモレスキンに考え事を書き留めていく。情報カードはデータベース的に使うのがよろしいと最近気が付いた。さまよいながら学んだことなど、トラップに関する知識や、狩猟鳥獣の知識などフィールドで役立つようにトラベラーズノートブックのジップフォルダーに収めて入れていく。

016a05c8149a87c8c55b7c023e721ea0b51019319a

荷物を軽減するためにテントは持ち歩かず、Amazonで1000円で買ったハンモックと寝袋だけで十分眠れることを知った。山の斜面であっても樹木が二本立っているだけで、地面を気にせず眠ることができて、しかも快適だ。森中から枯れ枝を集めてきて焚き火しながら近くにハンモックをぶらさげて眠るとぐっすりと眠れる。そのまま眠るとお尻がスースーするので、ハンモックの上で寝袋に入って、上から毛布をかけて眠る。朝方はひどく寒いから。

015a51e0149117d0bc776dfb03e17cbb9ef30995e0

深夜しーんとした山の中で読書するのだけど、最初はものすごく怖かった気がする。遠くから枝をふむパキという音が聞こえただけでビクっとしたんだけど、 今では特に気にもならず、むしろ誰か炎にでもあたりにくるといいのにと思ってる。たとえば、深夜に炎を起こして本を読んでいるときに、森の奥から誰かがとつぜんあらわれて、無言で炎の近くに座ったとしても、いつでも「サンドイッチ食べるかい?」とか「コーヒーでも飲むかい?」と声をかけることができる。過 去に、「タカヤさんは森の奥の家の暖炉の前で炎に当たりながら、ぐるっと丸まって眠る黒い犬だと思う」といわれたことがあるのだけど、ものすごく気に入っ ている。そういうイメージに自分の姿を少しでも近づけていくことが、自分の世界での目的なのかもしれない。おかげで地平線上に燃えるシリウスを探すことが多い。

森をたっぷりと歩いて、持てるだけの枯れ枝を拾い、あなたのために焚き火を燃やしたなら、僕のできる限りの歓迎です。

01a34e99ee54f071933c59821877de87ce4ecdea13

 

Comments (0)

【ノートブックがない旅なんて Vol.29】旅先のToday’s TRAVELER’S notebook

Posted on 31 5月 2014 by

前回の記事を書いてから、ほんとにふわふわ旅していました。
南のほうまで、のんびりと。

日頃使えない五感の領域があることを痛感し、
痛感したからにはその領域を使ってみようと動く日々。

くもり予報は所詮予報にすぎなくて、
からりと気持ちよい晴天に恵まれ日もあれば、
おいおいそれはないだろうなスコールに見舞われた日もあり。
そこがどんな天気であろうと、
私には「南の空気定期充電」が必要なのでした。

それではここで、「旅先のToday’s TRAVELER’S notebook」
旅の風景とトラベラーズノートの写真を何枚か。
みなさまにも、少しばかり南の空気をおすそわけ。

saori_140531-01

saori_140531-02

saori_140531-03

Comments (0)

わらび

Posted on 25 5月 2014 by

h 041

おはこんばちわ。

モレスキンを持って、山に行きました。

思いのほか人が多かったです。みなさん山菜を採っていました。

わらびです。モレスキンの後ろに、まっすぐ伸びてるヤツです。

h 043

山の奥へ進むと、自然の音が大きくなって、耳の奥が重くなって、頭の中が軽くスーっとする感覚になります。

しばらくはそれが気持ちいいんだけれど、段々不安になってくる。来た道を引き返したくなってくる。

でも、モレスキンと一緒だと、友人と一緒に歩いているような、

頭の中で会話しながら歩いているような、そんな気がして、どんどん歩いて行けました。

h 042

途中、こんな美人さんに出会ったり。

 

孤独と向き合うことはなんだか怖いことのような印象があるけど、

モレスキンと一緒にいると、

ひとり、だけども、独り、じゃないというか。

今まで、ノートはおうちの机の上で。というカタに嵌っていましたが、

これからは、一緒にたくさん出かけたいと思います。

 

なんだか、持っていて勇気をもらったり、相手してもらったり、写真を撮ったりしていたら、

帰ってきてびっくり。

そういえば、なにも書いてこなかったwww

Comments (0)

Notebookers HandBook #1 「失うこと、得ること」

Posted on 05 7月 2013 by

IMG_9934

学生の頃、夏休みの度にバックパックを背負って旅をしていた。旅の中でのささやかな楽しみというと、一日が終わり疲れ果ててテントの中で眠る時に、キャンドルランタンに火を灯して眠くなるまで本を読むことである。

当時は自然や旅に関わる文学を読むのが好きで、ヘンリー・D・ソロー「ウォールデン 森の生活」やケネス・ブラウワー「宇宙船とカヌー」やM・トゥエイン「ハックルベリー・フィンの冒険」や星野道夫や椎名誠や野田知佑を読んでかなり衝撃を受けていた。おかげで、カヌーで旅をすることや、針葉樹の森の奥深くの樹上に小屋を建ててストーブに薪を放り込んで、訪れた友達にコーヒーや暖かな飲み物をふるまうことなどを夢想しながら何度も眠っていたと思う。好きな雑誌は「BE-PAL」…わかりやすいなぁ。

誰かと二人きりでいるときは、やはりそういった森の奥深くで火を灯すことや、雪降る夜の森の奥に灯る焚き火の暖かさについて経験したことも無いのに熱心に語っていた。これらは当時、あらゆるものを捧げても良いと思う程に大切な何かだったと思う。

炎というものは、それが例え小さくとも、一度からだの奥深くに何らかの形で灯ることがあるなら、それは何十年経っても消えることは無いのだと思う。あれから数十年経っても、「炎」というと、どこか自分が観たことも経験のしたこともない見知らぬ土地で燃える炎について連想するのは、これらの知識がきっかけとなっている。

小さな枝に小さな火を焚き付けるように何かに導かれ、ごうごうと燃える炎のように誰かと出会い、うっすらと漂う煙のように消えていく。そしてどこか見知らぬ土地でまた同じ炎を起こす。これらは「旅」のイメージだけではなくて、同時にこれらの炎は、自分が今衝動的に何かを行うときの最初のイメージや、最終的な結論をイメージするときのシンボルになっていると思う。

当時、愛用していたランタンは、タラスブルバの真鍮製のキャンドルランタンである。自分が中学生の頃、父親がお金を出してくれて買ったもの。コンパクトにたためるんだけど、ずっしりとして、何より銀色の鴨が羽ばたくラベルがヘビーデューティな雰囲気があって好きだった。ぶら下げるための小さな鎖がついていて、テントのひさしのところのポールにひっかけて、本を読んだ。

20歳頃に、何となく、もう旅をすることは無いなと思った時期があった。当時、好きだった女の子に今まで大切にしていたこのキャンドルランタンをポンとあげた。あげた後で気付いたのだけど、結局旅をやめることは無くて、10代の頃の何か大切にしていた時間をそのままパッキングして、消えてしまった感じがした。いつかまたどこかでこのキャンドルランタンと同じものに出会って、また同じ火を灯すことができたらいいなぁと思い続けていた。

IMG_9935

それからだいたい18年後、久しぶりに同じランタンを見かけた。まるで遠い日に出会った誰かに再会したように、心が一気に当時にまで引き戻されて、そのことしか考えることができなくなった。久しぶりにみかけたランタンは、その所有者の納屋の奥に90年代の初頭からずっと転がっていたようで、真鍮の表面も鴨のラベルもぼろぼろに腐食していた。不思議なものでちょうど失った年代と重なり、まるで手放した当時にその場所に保管されたように錯覚した。「時間を丁寧にパッキングして手放した感覚」がそのまま目の前に転がっているような感じがした。

少し話はずれるけど、自分は、過去を振り返った時に、それぞれの時代を代表する「道具」というものがあって、不思議なもので、ある一時期を通り越すとその時代を代表する「道具」というものは自然とどこかに行ってしまう。過去を振り返った時に、思い出される道具たちは想像の中でいつもピカピカと光っていて、まるで丁寧に手入れされていたようにイメージとして浮かんでくる。ただ少し異なるのは、それを手にして立っている自分を想像できないということだと思う。自分が欲しいものというのは、そのものの姿ではなくて、自分が手に持っている姿をイメージしないと手に入れることができない。ひとつは欲を満たすもの、もうひとつは自分を象徴するもの。

IMG_0002

最近、ずっと昔に夢中になったものや思い入れのあったものに再び出会うことが度々あった。少しの謝礼とともに自分のところへ戻ってくるものや、ただで譲り受けたものもあった。当時に自分を象徴するものであった道具が、少しずつ戻ってくることは、もちろん嬉しいのだけど、なんだろう、何か自分の中での時間の感覚を変化させたような感じがしている。一度手離したものに再会すると、不思議なもので昔の習慣が良いものも悪いことも含めて、もう一度繰り返される。
道具に対して、すこし特別な考え方がある。これらのおかげで、今所有している自分を象徴する道具に対して特別な愛情のようなものを感じている。

IMG_9936

タラスブルバのキャンドルランタンは、所有者に当時の思い入れを伝え譲り受けることになった。ホームセンターで金属用のパテと銀メッキ風の塗料を購入し、よく晴れた直射日光の強い日に時間をかけて修復した。本当はちゃんとメッキを行ってぴかぴかに仕上げたかったのだけど、丁寧にヤスリをかけて表面をなめらかに磨いて銀メッキ風のスプレーできれいにしてみた。

ひとりでテントを原っぱに張って、夕暮れ時に再び炎を灯すことができるようになった。遠い過去に、灯した同じ火をふたたび見つめることができる喜びは、何にも代え難い。何か大切なものをポンと手離して、ふたたび同じものを手にいれること。思い続けること。そこに意義があると思っている。ずっと遠い過去に燃えていた同じ炎を灯すことは、なんとなくひとつ、終焉を迎えた気がしている。「終わり」ということばを手にいれて、なにかひとつ失ったのだと思う。

時々、すべてのものを失った時のことを想像している。人もモノも何もかも。これは悲しい空想ではなくて、どちらかというと旅の時に感じる「一種の身軽さ」に感じる。何かを失って、再び手にいれること。そして再び失うこと。過剰と欠落のギャップが僕を日々生かしている。

Comments (0)

トーテムポールと何かの上に登ることについて

Posted on 18 3月 2013 by

IMG_9148

「お前は何を踊るのか?(オ・ビナング?)」– アフリカの少数民族の挨拶

小学生の頃、校庭の端っこの生い茂った原っぱに朽ち果てたトーテムポールが立っていた。おそらく数十年前の卒業生が製作したものだと思うのだけど、3m程の高さに、長い年月で変形した気味の悪い顔や鳥やワニなどいまいち正体が判別できない動物が縦にならび、てっぺんには白塗りの象の頭が乗っていた。ペンキで塗られた表面も色あせて小学生が作ったとは思えない程なんとなく呪術的な雰囲気がにじみ出ていた。
皆がドッジボールなどをして遊んでいる場所から遠く離れていて、その場所にあまり訪れる子もいなかったのと、夏の暑い時には日陰となって静かなこともあって、よくそのトーテムポールのてっぺんに登って近くに流れる川を眺めていた。子供達の声でにぎわう大きな地面と隔絶されてひっそりとしていて、なんとなく校庭とは対照的な場所だなぁと思っていた。昼休みになると、鷲のような正体の不明の顔の横から突き出た翼に足をかけて登り、いちばんてっぺんにある「鼻がぐにゃりと曲がって地面にたれた鼻を持つ(おそらく)象」の頭の上に座るのである。当時は、「ハックルベリー・フィンの冒険」に影響を受けており、何かの上に登っているというのが自分の中でのステータスだった。長い間、そこに登っているうちに思ったのだけど、自分の中ではトーテムポールというのは何か隔絶された場所の入り口に立っているようなそんな印象がずっと残り続けている。

IMG_9067

関係ない話だけど、この「何かの上に登って、そこに留まること」というのは、自分の人生の中ではとても重要なことなので書き留めておく。
カトリックの聖人「登塔者シメオン」の話をどこかで読んだ。残っているイコンのグラフィックでは塔の上に座るシメオンを誘惑しようとする蛇が絡みついている。シメオンは18メートルの塔の上に登り頂上に小さな小屋を建てて40年間暮らした。この噂を聞き付けた修道士や使者達は、シメオンが他人より優れようとする傲慢からこのような風変わりなことをしているのではないかと考え、降りてくるように大きな声で彼に命じた。降りてこないようなら力づくで下ろそうとしていたらしい。さて、ここで面白いのは、シメオンは「オッケー♫」と言ってあっさり降りようとするところである。使者達はあわてて、彼が塔の上に留まっているのは傲慢から来るものではなくて、それは謙遜からくる態度であり、神を思う気持ちで塔の上にいると判断して、塔から降りちゃダメ!と彼を留めるのである。
さて、何かの上に登るというのは神秘的なことが多いので、いくつか書いておく。中学生に上がったころ、親の財布から100円玉を抜き取って、近所の幼なじみと夜中に抜け出して缶コーヒーを買いにいくことが日課だった。暖かな缶コーヒーを持って、近所の鉄工団地の工場の脇にあるらせん階段を上って、自分たちが住んでいる背丈の低い小さな街をよく見下ろした。秋の夜は芯まで冷えて、缶コーヒーが世界最後の飲み物のように大切に飲んだ。らせん階段の上ではいつも流れ星は近くにあって、幼なじみとはとりとめのないことをよく話した。このことがきっかけで「らせん階段」というのも何か象徴的なものであるように感じている。
以降も、樹の上に小屋を建てる話である小説「宇宙船とカヌー」を読んで影響を受けたり、樹の上で暮らすヒッピーの話を読んだりしては、何かの上に登る行為にものすごく興味を持っていくのである。ちなみに樹の上で暮らすヒッピーは、ただ登っているのではなくて、樹を切り倒されるのを守るために、彼はそこにMacbookと一緒に留まって暮らすのである。面白いなぁと思ったのは、ウンコの処理である。樹の上にバケツを置いておき、長いひもを結びつける。1日おきにウンコをしたバケツをひもを使って下ろし、地上で友人達がそのバケツを回収してきれいにして、またバケツを引っぱりあげるのである。友情ってすごいなぁと思った。

IMG_8357

さて、話がずれたのだけど、今日書きたかったことは「何かの上に登ること」ではなくて「トーテミズムやトーテムポールのこと」である。
トーテムポールとは、先住民の多くが、彼らの家の中、家の前、あるいは墓地などに立ててきた、柱状の木の彫刻で、人々の出自、家系に関わる紋章や、彼らが伝えてきて、かつ「所有する」伝説、物語の登場者などを彫刻したものである。(wikiより)
このトーテムというのは、宗教的なものというより紋章のような象徴的なものとして作られている。写真家 星野道夫氏のエッセイ「旅をする木」でも書いてあったけど、現存する本物のトーテムポールというのはなかなか無いらしい。つまり、観光目的で残されているものは多いけれど、少数部族が森の奥にひっそりと残して今でも発見されていないトーテムポールを見るというのはとても困難なことらしい。今現存しているものは20世紀初頭に先住民達の伝統文化を残すという目的において作られたものがほとんど。

8117637529_9f8fc1b06d_b

このトーテムポールに代表される「トーテミズム」という考え方にとても興味を持っている。トーテミズムというのは世界的にある民族のものごとの考え方のひとつ。アラスカやカナダや北アメリカに限らずアフリカなど世界的にその考え方は存在している。トーテミズムというものは、日常生活においてなかなか出てこない上に、最近のビジネス書でも取り上げられないので一般的にトーテミズムについてあれこれと考えている人というのは少ないと思うので書いておく。
アフリカの多くの部族では特定の動植物を自分と同定して、それをトーテムとする。トーテムの特性が部族の特性となる。挨拶代わりに「お前は何を踊るのか?(オ・ビナング?)」と聞かれる。これは出身を尋ねる時に使う。つまり、「自分が踊るもの」というのは部族と同定しているトーテムである動植物のダンスのことである。例えばコヨーテをトーテムとしている部族では、コヨーテのダンスを狩りの前や結婚式や部族の中での記念的なことがある日に踊ったりする。この「踊るもの」で、彼がどこの出身なのかが相手に伝えることができる。またこの自分のトーテムを答えることで、部族間の関係性(過去に敵対をしていたこととか、部族間での婚姻関係とか)も判明するらしい。このトーテムとしている動植物を食べることは、その部族にとってタブーとなり得るし、またその動植物を体の中に取り入れることはものすごく大切なことなのである。
昔から、自分に特別に関連していると信じている野生の動物や植物などが存在するというトーテミズムという考え方がものすごく好きである。誰にでも、自分を象徴するものというのがあると思っている。

IMG_9048

トーテムポールには小さな像を含めると数十の彫像が彫られていて、これらには陸上に見られる動物、鳥、海、川、湖に住む動物や魚、人間のような実際に存在するものが多い。また、先住民が語り伝えてきた神話や伝説に登場する怪物も見られるし、自然界の動物などでも超能力を備えた特別なものもあって、植物の彫刻も存在しているらしい。
トーテムポールには必ず見えない物語が背後にある。その物語のことを考えるとぞくぞくする。どこにも書かれず、飲み込まれたことばの数々のことを思うと、なんだか心がものすごくぎゅっとつかまれるような気分になる。その部族を救ってくれた特別な動物に対する畏敬の念が込められた物語や、世界の果てにある地平線の向こう側にある観測不能な物語。それらが自分をとらえて離さないのである。

IMG_9008

最近その「トーテミズム」についてよく考え事をしているので、頻繁にスケッチをしている。自分のノートブックは考え事をキャッチするための道具である。そういうトーテムの背後にある見えない物語をキャッチして、ごくんと飲み込むために描いているので、なんとなくちょっとした想いを込めたスケッチだと思う。
自分に特別に関連していると信じている野生の動物や植物。もしくは動植物に限らず「物」や「動作」であるかもしれない。これらについて想いをはべらすというのはなかなか素敵な考え事だと思っている。
自分の内側に一致する「象徴的な外側のもの」についてゆっくりと考えるというのが自分のひそかな遊びである。

小学生の頃、トーテムポールのいちばんてっぺんにある「象」の頭の上に座っていたのも、自分を象徴する物事のひとつなのかもしれないなぁと思う。何かの上に登ることや、らせん階段もどこか自分の中では象徴的だ。トーテムは動植物に限らず、自分の外側にある物や行為も含まれるのではないかなと思っている。
校庭の端っこにひっそりと立っていたトーテムポールは世界の果てのように感じていた。今ではその小学校は取り壊されてしまって、グラウンドにあった奇怪なオブジェの一群もどこかに行ってしまった。その場所は今でも原っぱとして残っているのだけど、見えないそのトーテムポールがいつまでも残っているような気分になる。トーテムポールのてっぺんで、ぐにゃりと鼻をまげた象が、見えない風に乗せてその鼻をゆらりとしているそんな感じがしている。

8117637323_c4ba9b214e_b

Comments (1)

手作りNotebookers石けん

Posted on 04 12月 2012 by

モレカウです。
NotebookersのサイトのノベルティとしてNotebookers石けんを作っていた。
映画「ファイトクラブ」を観てから、ずーっと石けん作りしてみたいなぁと思っていて、最近日中がヒマなので、えいやっと試してみたところハマってしまった。それからいろんな油を使って試しては化学実験している感じ。これがね〜、なかなかおもしろい。
手作り石けんを試してみたところ、市販の石けんに比べて泡は控えめなんだけど、使うと肌の表面に薄くオイルコートしたみたいでとても肌触りがよい。
さて、熟成も終わり、Twitter限定で限定4個の応募をしたところ、54名の応募があって、当たった4名様は本当にラッキー。近日郵送しますのでお待ちくださいませ。

そもそも石けんというものがどのようにできているのか知らなかったのだけど、油と水酸化ナトリウムを混ぜて固めて熟成するだけでできてしまう。

いろんな資料を読んでみて、手作り石けんを作るための式みたいなものをノートブックに最初に作っておいたので作業がとてもスムーズだった。

例えば、油(x)グラムに対して水(y)グラムは、x*28/72=yで計算できる。
例:600gの油に対しては、600*28/72=233gの水が必要

対して水酸化ナトリウムの量は、けん化価*40/56.1*0.9*x/1000 で求めることができる。
けん化価というのは1g の油脂を鹸化するのに必要な水酸化カリウムや水酸化ナトリウムのミリグラム数のこと。

けん化価 例:
オリーブオイル:191mg
ココナッツオイル:258mg
アーモンドオイル:194mg

以上により、オリーブオイル600gでの石けんを作る場合
191*40/56.1*0.9*600/1000= 73.5g の水酸化ナトリウムでできる。

牛乳1パックで作る簡単オリーブオイル石けん作り手順

  1. 水酸化ナトリウム73.5gをガラス瓶に入れる。
    ※注意:水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)は劇薬です。素手で触れてはいけません。アルミはNG
  2. 水233gを水酸化ナトリウムの入った瓶に入れて混ぜる。
    ※この時発熱するので注意。目に入らないように注意してください。メガネなどや作業用ゴーグルをつけると良い。
  3. オリーブオイル600gを40度くらいに湯煎する。
  4. 水酸化ナトリウムの入った瓶を冷水につけて40度くらいに冷ます。
  5. ステンレスのボウルにオリーブオイルと水酸化ナトリウムを入れてかき混ぜる。
  6. 30分くらい本気で混ぜる
  7. 10時間くらいの間、時々思いついたらかき混ぜる感じで放置
  8. 表面に雫で絵が描けるようになったら型入れ時
  9. 蜂蜜大さじ1.5杯、お気に入りのアロマオイル20滴くらい混ぜる
  10. 牛乳パックに注ぎ込む
  11. あたたかいところで、固まるまで数日間放置
  12. 後日固まったら切り分けてスタンプを押す。28日間くらい放置して熟成
  13. できあがり

石けんに型押ししたスタンプはこちら。
1文字別の連結スタンプを利用してみた。1文字200円くらいする…

型押しするとこんな感じ。

切り分けるとこんな感じ。熟成させると「きんつば」みたいになる。食べれそう。

耐油紙に包んで、毛糸でひもを縛ると雰囲気が出る。
手のひらサイズのコンパクトな姿に愛着が湧く。

ちなみに、石けんを手作りすると女の子ウケがとても良いので、男子諸君におすすめする。
たくさん作ったのに、4個しかプレゼントできなかったのは、身近の女の子に「俺さ、石けん作ったんだけど使ってみて。そして、君の肌がどれくらいつやつやになったか教えてよ。ベッドで」と言いながら渡したのは内緒である。

Comments (3)

モレスキンと虫

Posted on 02 11月 2012 by

お久しぶりです。
ゲスト投稿者のエハガキ華です。
今日はモレスキンについて書かせてください。

私は虫が嫌いなのですが、虫の形が好きで、本棚には虫の本が並んでいます。
でも本物は触れません。虫が嫌いだからです。

虫が嫌いな人物は虫の形を愛したりしないだろう、というのは長年の私の思い込みでした。
その思い込みを解いたのは、モレスキンのスケッチブックです。

虫を描くのが楽しかったのです。
虫が嫌いな人物は虫の絵なんて描かないだろう、といのも長年の思い込みでした。
モレスキンが「思い込みなんて捨てなよ」と喋ったのです。

否、そういうメルヘンな話ではなく、モレスキンを使いだしてからモレスキンユーザーの自由な発想に刺激を受けたのだと思います。
私にとってものすごく大きな変化です。

虫もですが、動物も自然もあまり好きではないと思い込んでいたのです。

全く、頑固な思い込みでした。最近の私の新しい趣味は雨後のキノコ探しと野鳥の鳴き声を覚えることです。

ありがとう、モレスキン&モレスキンユーザー。

 

Comments (1)

アウトドア文具術

Posted on 10 9月 2012 by

こんにちは、モレカウです。
この夏は、t.freeのテザリング環境のおかげでものすごーくアウトドアを満喫できた。いつでも、好きな場所にいることができるのはしあわせなことだ。今まで公衆無線LANを使って接続が中心だったので、ベースキャンプは主に街中だったんだけど、どこでもネットに接続できる環境を手にいれてから、主に原っぱになった。

野外で文具やPCなどを使う方で役に立つかもしれないので書いておく。

実は写真のテーブルは公園のベンチ。
椅子を隣に設置するだけで、手頃なテーブルに早変わり。車の中に、高さの違う2台の椅子をいつも積んでいる。大きな椅子をテーブルにして、小さな椅子に座って作業することもできるのでおすすめ。もしくは芝生に座って、小さな椅子をテーブル代わりにするというのもよい。

野外において紛失すると見つけ出すのはなかなか困難。
文具については常にコンパクトになるように、雑多なものはひとつのパッケージになるようにまとめておく。使い終わったら必ずもとの場所に戻す癖をつけておく。
デルフォニクスのビニールのパッケージはいろいろなサイズがあって使い勝手が良い。
最近購入したつくしペンケースもお気に入り。収納能力と畳んだときのコンパクトさが最高。

背もたれのある小さな椅子は便利。パタッと背もたれを倒すと普通のテーブルのように活用できる。

封筒型の寝袋をひとつ積んでおくと、固い地面で作業する際のクッション代わりになるので便利。寒いときは広げて、毛布代わりにもなるし、下に引いてピクニックシート代わりに。誰かといっしょに包まってもよい。

朝日を浴びながらガラスのピラミッドを見下ろす。
原っぱや好きな場所に、いるのが好きだ。自分がいるべき場所をつくりあげて、とてもとても大切にしてみよう。都会の中の一点でもかまわないと思う。そして、そんな愛すべき場所ができたら「ベースキャンプ」と呼んでみよう。日常の中での旅を楽しんでください。

Comments (7)

【ノートブックがない旅なんて Vol.8】銚子電鉄日帰り探訪

Posted on 20 8月 2012 by

銚子電鉄。
それは、関東最東端のローカル線。

ノートはトラベラーズノートのクラフト(014)。
いつもは無地(003)を使っているものの、
一度に一冊使い切らないような日帰り鉄旅用として
初めて、クラフトのノートを使うことにした。

ちなみにペンは三菱鉛筆のuni-ball VISION ELITEの黒。
クラフトには、あまり凝った色味を加えないほうがよいと思う。

わわっ。
話を本線にもどして。

東京駅についた私は、銚子駅に向けて乗った。
…高速バスに。
おぉ、いきなり鉄道無視の交通ルート選択(笑

あたらしいカメラでスカイツリーを撮ったり

流れる車窓を眺めてみたり

そんなことをしていたら、着きました銚子駅。

いざ、銚子電鉄!
「孤廻手形(こまわりてがた)」という一日乗車券を車内で購入して、出発。

 【観音駅】
スイス登山鉄道風の駅舎(と、ホームページに書いてある)
駅構内のオシャレライトを真下から見上げると…なんかコワイ。

【海鹿島駅】
関東最東端の駅は、あっけないほどの無人駅だった。
周辺に何があるわけでもなく、次の電車まで40分近く待つ。

…40分もただ待つくらいなら、歩くわ!
海を目指して、ほぼ勘であるく。

 きたーっ!
青い海そして青い空!!
陽射しはジリリと痛いけれども、勢いあまって隣の駅まで歩いた歩いた。
(むしろ危うく歩き過ごす勢いだったが…苦笑)

 犬吠崎も、もちろん行った。
青空に灯台の白が映える!

 灯台前のポストも白い。

 99段の階段を上がって見えた景色。
真昼だったけれども、風が気持ちよかった☆

 【外川駅】
銚子電鉄終点の駅。
そのまま折り返してもよかったけれども、漁港までふらっと歩いてみた。

【犬吠駅】
折り返して、再び犬吠駅を降りる。
今度は犬吠埼と反対方向に歩くこと20分。
目指したのは、「地球のまるく見える丘展望館」

 ぐるりと、海!
夕暮れスタンバイタイムを迎えた西側の海は、特にキラリとしていた。

 犬吠駅に到着する電車。
そろそろ、帰りますかね。

 【仲ノ町駅】
最後の途中下車は、ヤマサ醤油工場の最寄り駅にした。
トラベラーズノートがよく映える駅舎だった。

銚子駅に戻った頃には、空は綺麗なオレンジ色。
帰りの車窓から日暮れを眺めながら、
今度はどこに日帰りしようかなんて考えてみたりみなかったり…。

Comments (3)

NoteBookerは世界の果てをめざす(episode ZERO)

Posted on 04 8月 2012 by

モレスキンを使い始めて4年、今年9月で5年目を迎える。

今でも友人から、こんな高いノートブックを何に使ったらいいの?って聞かれる事もしばしば、私自身まだその答えを得ていない。

でも、ノートブックだから何を書いてもいいんじゃない?

と思い、当時よく映画の小道具で使われるモレスキンに興味を持ち、映画「ダヴィンチコード」のロバート・ラングドン教授のように、使えたらカッコいいなぁ。という不純な?動機で、旅の事前資料集めに使い始めたのがきっかけ。

当時はまだノートブッカーという言葉すらなかった時代、モレスキンの使い方も、beforeからafterに変わった、旅と日常の記録がノートのほとんどを占めるようになった。

時に西暦2010年6月、モレスキナリーのYOKOさんから、「モレスキン人生をいれる61の使い方」(いわゆるモレ本2)の正式な原稿オファーがメールで届いた。

この時私は、スイスの山岳ホテルでこのメールをiPad2で受信した。登山旅行だったのでパソコンは持って行かなかったが、ヨーロッパのホテルは日本と違い、イーサネットよりwifiが主流なので、フロントでIDをもらえば、iPadで十分使える。

グリンデルワルドで、アイガー北壁直下「アイガートレール」を歩きながら、原稿を考えていた事をいまでも、覚えている。

アイガー北壁

アイガー北壁の登攀に成功した、ハインリッヒ・ハラー著の「白い蜘蛛」には、彼の登攀の記録が、緻密に記録されて出版されています。彼もまた、クライマーでありノートブッカーだったのかもしれません。馴染みのない方に、簡単に解説しますが、ブラッド・ピットが主演した映画「セブンイヤーズ イン チベット」は実話で彼が演じた役が、このハインリッヒ・ハラーでした。2010年に公開された「アイガー北壁」は彼が登攀に成功する以前のエピソードで、いかに人を寄せ付けない、魔の山だった事が見事に映像化されています。

スイスモレスキン 左上のサインは、現在チェルマット観光局長の直筆。今回の登山で、チェルマット観光局より特別観光大使のバッチを授与されました。

日本と比較して、欧米では自然に対して挑む行為を高く評価します。日本では危ない事には、責任を取りたがらない行政が、蓋をしがちですが、グロバール社会の価値観の違いですね。

さて今回の最果てって?端ではなく、頂を目指しました。これも自己最高記録ですが、モレスキンと行く標高3883mの旅、日本では富士山より高い位置にある、チェルマットのGlacire Place.

リュックにはモレスキンとトラベラーズノートが入っています。

 

この山頂の向こうはイタリア。こっそりスイス側から、イタリア国境を越えてイタリア側の景色も堪能しました。この辺がセミ個人旅行のいいところ。

 

近年「岳」「クライマーズハイ」「剱岳点の記」「ミッドナイトイーグル」と山をテーマにした映画の公開が続き、山への関心も高まっているように感じますが、ここでも命がけの「自己責任」の認識が重くのしかかってきます。

今回の脚の怪我で、医師から登山は諦めように言われました。でも、私の尊敬する登山家山野井泰史氏は、チベットとネパールの国境にあるギャチュンカンの登攀で、両手両足の半分の指を失いました。それでもなお彼は山を捨てません。私も彼にお会いした時に指を見せて頂きました。そのスピリッツを分けて頂きました。(詳しくは、沢木耕太郎著「凍」が出版されています)私も必ず治して再び山へ挑みます。

他のライターさんには、イラスト・デザイン・コラージュと何一つ適いませんが、ここに独りクライマーズノートブッカーがいる事。それが、私のアイディンティであり、notebokkers72の存在理由だと考えます。

滅多にみることができない、マッターホルンの頂

この時がきっかけで、多くのモレスキナーと出会い、いまこうしてらしくもない?Notebookerのライターとして、この場にいるのが不思議でなりません。

1冊のノートブックが、人間のライフスタイルに影響を与える。あなたのノートブックも新しい人との出会いが待っているかもしれません。大切なことは、自らの判断で行動するすることです、さすれば、道は開かれん。

Comments (0)

Tags: , , ,

【写真部】4月の活動はコチラ!

Posted on 27 3月 2012 by

「花咲く春」

「野の花」

「はじまりの日」

「sweet」

「リズミカル」

 

2012年4月の写真部、お題目は上記の5個となります。
勿論、フリーのテーマもお待ちしています!

やっと暖かい日々になった地域も、まだ残雪どころかドカドカ雪の降る地域の皆さんも、こんにちは。
私は岩手県の北の方在住なのですが、暖かさは届き始めつつもまだ毎朝もっさりと雪が積もっています。

桜は開花宣言が九州から始まっている模様ですね。

そんな訳で3月の募集エントリーには沢山の写真を有難うございました。
先ほど、遅れていたコメントを入れながら一枚いちまい、拝見いたしました。
それぞれにコメントを添えているつもりですが、無かった場合はお知らせ下さい。

特筆すべきは「モノクローム」の写真が想像していたより多くて。
対する「カラフル」の方が少ないという事。
皆さんきっと普段はカラー写真の方がどちかと言うと多めになると思うのですが、他の方の「モノクローム」写真、如何でしたか?

それぞれ全体的に味のある、言い方を変えるとクセのある良い写真を見れた3月でした。

 

また、Twitterの方でも沢山投稿して頂いてます。
直接リプライを頂いていない方との繋がりも私はあるのですが、気付いていない事も多々ありまして申し訳ありません。
Twitterアカウントの方が時々非公開になってはいますが、プロフィールの方にMoleskineや写真、カメラなどの記述がありましたら承認が早いと思いますので、お気軽にどうぞ。

 

 

【募集要項】
決まりはありません。
コメント欄に投稿出来る方(主にPCユーザーさん)は、エントリーのコメント欄をご利用下さい。

携帯やiPhone、iPadユーザーさんでコメント欄に写真をアップロード出来ない方は、ご自分でエントリーを作って部活動のカテゴリーかタイトルに写真部と入れてくれると分かり易いです。

ライターさんではない方でTwitterをご利用の方は、写真貼付でツイート、ハッシュタグ #写真部
こちらを入れて下さい。ハッシュタグを間違う(または半角を入れてしまう)と、検索に反映されません。

コメント欄ご利用の際は、ファイルサイズの確認をお願いします!
大きいファイルサイズですと恐らくアップロード出来ません。
リサイズ(サイズを小さくする事)が出来ない場合はTwitterの方でリプライを飛ばして写真を貼付して頂ければこちらで変更も出来ますが、PCユーザーの方やiPhone及びiPad、携帯電話の方でも機能としてリサイズする事が可能となっている場合が殆どですので、調べてみて下さいね。

 

可能であれば、使用カメラ(レンズ)や携帯のキャリア(メーカーなど)、
iPhoneでしたらどのappを使用したかなどを添えて頂けると嬉しく思います。

 

Twitterの方でお願いしているのですが、ハッシュタグの利用についてです。
別のユーザーさん方が先に「写真部」を含むハッシュタグを利用されているという事に気付きまして。
多くの方に混乱とご迷惑おかけしますが、新しくオリジナルのハッシュタグが決まるまでは、
#notebookers 【写真部】
このふたつの組み合わせでお願い致します。
組み合わせる事で本文の方が短くなってしまうので、早急に対応したいと思いますので、少々お待ち下さい。変更があった場合はTwitterとこちらに追記していきたいと思いますのでご協力お願い致します。

 

なお、Twitter公式の方で桜前線のハッシュタグが発表されています!
詳細はコチラのページになりますが、【 http://blog.jp.twitter.com/2012/03/twitter-2012.html#桜2012 写真部の方でも参加してみませんか?
地域別にタイムラグが生じる面白い企画だと思います。

 

頭の片隅にお題目を。
これだ!という被写体があったら、シャッターを押して下さい!

 

 

自己紹介などはコチラのエントリーで。
写真部、始めませんか?

 

3月の活動の模様はコチラのエントリーで。
写真部、3月の活動はコチラ!
【写真部】それぞれの3.11、繋がる空

 

著作権に関するエントリー、本文よりもコメントがとても分かり易くなっております!
【写真部】著作権に関する事など

 

Twitterでは相互フォローする事を緩くお勧めしています。
カメラのお話やら何気ない挨拶まで。

 

 

 

「はじまりの日」

「はじまりの日」
camera:PENTAX K200D

 

「リズミカル」

「リズミカル」
camera:PENTAX K200D

 

「sweet」「sweet」
camera:PENTAX K200D
カルミアという愛らしいお花なのですが、アポロチョコしか思い出さないです、これは。

 

「sweet」
OLYMPUS SP500uz
iMacの「プレビュー」→「ツール」でレタッチを加えてます。
こっちは食べられるsweet:)

 

 

 

■写真の解釈は人によって大きく違いますしリプライやコメントが完璧には出来ません。
 (ちょっと新年度の色々が落ち着くまでは忙しくなります)
特にTwitterの方はリプライ(お返事)が確実とまでは出来ない事もあると思いますのでご了承下さい。

■解らない事(写真の技術的な事、カメラの機種、その他の用語から一般的なこと)は、まず検索してみてください!Googleで検索する場合、恐らく目的の回答が得られると思います。調べて解らない時は、是非フォロワーさんや気になる素敵写真を撮影されている方に聞いてみて下さい。大概は失礼がない限り快く教えて下さると思います。

■簡単な事でも解らない、調べられない状況下であればお気軽に!

……という事を、フォローしてる方同士でやっていければと考えています。

 
良い新年度を!

あやと/@Cloud_9__

 

 

 

 

■2012/04/06  追記
Notebookers.jp 写真部のハッシュタグですが、以下となります。

#photo_ntb

お手数ですがこちらで統一したいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します!

 

Comments (24)

Tags: , , ,

今週気になった記事まとめ 2012/2/19-2/25

Posted on 26 2月 2012 by

週末にまとめてやる主義。
こんばんは。まとめ記事のどんべぇです。

さあ、今週もまとめ行きます。

トラブルトラベル

トラブルトラベル

一箇所にまとめたが故の弊害が…!でもその後のモレスキンを通じての出会いが素敵ですね。
スリも人生のスパイスと解釈してしまうのもいいです。

新月の願い事

新月の願い事

今まで私の見てきた新月の願い事に関する記事の中で一番わかりやすいです。
このサイトはスピ好き紳士淑女も中々多いようですね。今度私も集めた石の記事を書こう…いやまあそれはさておき。

自分の希望とかやりたいことって、いざなんだろうって考えてみるとなかなか出てこなかったり、ちょっと恥ずかしかったり、紙に堂々と出そうとすると、「本当に実現できるんだろうか?」と不安になったり…。
胡散臭いで終わらせるには持ったいない、自己分析手法だと思うのです。
今回やりそびれてしまったんですが、次の新月ではやってみたいです。

闇筆のススメ(書き方篇)

闇筆のススメ

親指を一行の目安として進めていくとは…!
ただ、書く場所を見失っても書くのは楽しそうですけどねw

ノートブックを手放すとき

ノートブックを手放すとき

ノート大好きーな記事が多い中、「捨てる」という行為を題材にした記事。
ただ、「書く」「見返る」だけじゃなく「捨てる」っていうのもノートの使い方の一つなんじゃないかなと思いました。

マスキングテープの収納方法と持ち歩き方法

マスキングテープの持ち歩き方

マスキングテープのケースって、取り扱っているお店ないんですよね、私の周りには。
だけど化粧品いれなら雑貨屋さんにもありそうです。

最後に

さっき、マスキングテープを集める人になろうと決めました。
このサイトで持ち歩き方法のアイディアを提案してくださっている方々のおかげで、工夫次第で持ち歩けることがわかったからです。
マステならいくら持ってても困らないしね!

Comments (2)

Tags:

新月の願いごと

Posted on 22 2月 2012 by

こんにちは。毎月twitterで流している「新月の願いごと」。

割と需要がありそうなので、考え方ややり方、コツなどをまとめようと思います。

ちなみに本日2/22、7:34、魚座で新月でした。

 

一番下に、7~8年続けてきた私が感じる「効用」のようなモノについても書いてみました。

興味はあるけど胡散臭い感じもするし・・・と感じてらっしゃる方の参考になれば幸いです。

 

NB for NewMoon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何年か使っていた「新月の願いごと専用・Bloomberg手帳」と、現行「夢かなチャーリー・モレスキン」、インク工房・ピンク色「LOVE」が入っている、セーラーのスケルトン×ズーム。

 

新月の願いごととは

ジャン・スピラー「魂のねがい 新月のソウル・メイキング」(2003年・徳間書店)で一躍有名になった、願いを叶えるテクニックです。
「月の魔力」など、月がもたらすとされる「パワー」についての本も昨今続々と増えていますが、
それを活用して、スムーズに夢を叶えていこうというもの。
アファメーションのテクニックと月のサイクル活用を合わせたものと言えます。

 

*願いごとの書き方*

(前置き)

上掲本が出てから徐々に、そして爆発的に流行し、たくさんの人が方法やコツをブログやサイトで流されています。

私がこれを知ったのはインターネットで、このテクニックを紹介されているサイトを見つけたからでした。
多分日本では一番最初に紹介に動かれたサイトだと思います、当時は検索してもそこしかなかったので。

そのサイトは上掲本に忠実に記事を起こされており、私も本屋で何度かこの本を手に取っているのですが特に目新しい情報もなかったので、
結局、本は入手していません。

何年か経ち、多くの人がいろいろな情報を独自に付加し、様々なテクニックを加えたり、元のテクニックから一部削ったりして
「オリジナルな新月の願いごと」を流されるようにになりました。

そんな訳で、これから書くことについて以下2点をご留意・ご了承ください。

・私は元の文献を手元に置いたことがありません。最初に出会ったサイトの情報を「元に限りなく近いもの」として実践してきました。
・その後、様々な人の「オリジナル・テクニック」を適宜取り入れています。「応用編」の内、私が取り入れているものは◎で示します。

(前置き 終わり)

 

基本編・新月に関すること

・新月(太陽と月の合)から8時間以内に書く

・その後40時間以内も、有効期間ではある。が、新月直後8時間以内よりはパワーは落ちるとされる

・月のボイドの時間は避ける

・新月の起こる星座が司る事象に関する願いが叶いやすいとされる

・1年に1度、「最大パワー周期」がある。この時期には50個書くと良い。
(自分の「最大パワー周期」を判定できるページ(ジャン・スピラーによる/英語です)→ https://www.janspiller.com/personalcharts/gpp.php

 

基本編・アファメーションに関すること

・2個以上10個以内とする

・必ず「私は」で始める
→これは多分に「日本語圏でない言語文化」に由来するものです。あちらでは主語が絶対必要なのです!

・「既に叶った」という意味での「完了形」で書く

・書き終わったら、どこかにしまって、忘れる

・ある程度の期間を空けて、ふと思い出した頃に見返してみる・・・埋めた宝箱を後年掘り出すような気持ちで

 

応用編・新月に関すること

・8時間以内、その後40時間以内というのは、それほど神経質になるべきではない

◎りっか実感として、48時間の内あまり後ろの方になると、効果はないなと感じています。なるべく、直後8時間→過ぎたら早めに、が良いなと思います。

・ボイドは無視して良い

・新月に入る前に準備をするべきではない・・・新月前のものは全て無効である

・新月に入る前に準備をしておいて、新月に入ってから改めてまとめ直しても良い

 

応用編・アファメーションに関すること

◎他者が主語になる願いはしない
→・これが守れていれば、主語を特に設けなくても良い
ex.「彼が私を好きになってくれますように」と書きたいなら、「私は彼に好意を持ってもらえるようになれた」とする。
ex.「仕事が上手くいきますように」と書きたいなら、「私は仕事を上手く進められた」とする。

◎「完了形」で書くことに抵抗があれば、「すんなり叶いつつある」など「進行形」の表現でも良い
ex.「私は彼に好意を持ってもらえるようになれた」と書きにくければ、「私は彼に好意を持ってもらえるようにすんなりと変わっていっている」とする。
ex.「私は仕事を上手く進められた」と書きたいなら、「私は仕事を上手に進められるようになりつつある」とする。

◎他者の不幸を願うことはしない

◎リラックスした気持ちで行う

◎「どうやって」は考えない

・紙片に書き、箱にしまっておく

・ヴィジョンを可視化できるものと合わせる(写真や絵など)

・なるべく具体的に書く

 

応用編・その他

・ピンクの紙に書く

◎ピンクの色で書く

◎2個以上10個のうちのひとつに、このテクニックへの信頼を混ぜる。
ex.「私はこれらの願いが、新月のエネルギーに助けられてすんなり叶うと、心から信じられています」 など

◎もし10個以内で「もういいや」と思えたら、他者のため、世界のための願いを追加する
ex.「私は、健康を取り戻した〇〇さんと、また何の心配もなく接せている」
ex.「私は、戦争や内紛がなくなり平和を取り戻した世界で安心して暮らしている」    などなど

◎一番最後に、日付・時刻と署名を入れる

・時間内なら書きなおしOK

 

なぜ「新月」なのか

新月は「始まり」のタイミングだからだと思います。

願いごとでなくとも、何かを「始める・着手する」には新月が良いとされています。

 

「アファメーション」とは何か

affirmation。断言、確言。論理学における肯定。と辞書にはあります。

転じて、
「自己に向けて肯定的な言葉を繰り返し向けることによって、潜在意識に対してポジティブな自己像を刷り込み、ネガティブな自己像を書き変えることで、より潜在的な力を引き出し活用する」ための「肯定的な言葉」。
というのが、潜在意識活用の分野で使われる際の最も狭義の意味だと見ています。

しかしアファメーションという言葉とテクニックが広く人口に膾炙した現在では、
「肯定的な自己暗示」「(いわゆる)言霊」
くらいの意味になっているような気もします。

(潜在意識活用と日本アニミズム的スピリチュアリズムが不思議な融合を見せた結果、独自のものが出来上がってきている気もします・・・)

いずれにせよ、とにかく「言葉を使って心持を変える」ことに意義があるワークなので、自分にすんなり入って来ない言葉はよろしくないと看做されることが多いです。

新月の願いごとが広まる際に、ジャン・スピラーの述べたアファメーションに関する部分が、多くの日本人にとって、取りかかりにくさと戸惑いをもたらしました。

日本人は、いちいち主語を言わないのです。
また、「まだ叶ってもいないのに”完了形”で断言しようとすると、むしろ疑念を深める」ということもあります。

それでは根本的な意義が欠損する、ということで、この面で特にいろいろな「手を変え品を変え」が言われました。

 

私見

思い返せば、26くらいの頃に始めたので、もう7、8年になるんだなぁ、と、先ほど振り返ってびっくりしました。

私は魚座らしく、現実的なこと物質的なことなどなどにあまり興味が向かないので、新月に行う願いのワークで「Have」に関することはほぼ出てきません。
「Do」はまだある方かな・・・「Be」が最も多いです。
なので、叶うにはとてもゆっくり、長い時間がかかります。

叶わなかったことも沢山あります。主に恋愛とか(笑)。相手さんあってのことなので、それぞれの「魂の意志」が違えば、こちらだけの願いが叶うということはありませんね。

一番叶ったのは「健康」や「幸せ」に関することかな。次が「仕事」。

そろそろようやく「恋愛」「結婚」に関することも叶いそうですが・・・どうなんだろう、先のことは分かりません。

結局のところ、「自分」に関することが最も叶いやすいのです。
書けば当然です。が、実感してみないと分からない最たるものかもしれません。

何が「自分のこと」なのか。
何なら「自分のこと」として、「願いを叶え」、リーダーシップを握って外界に影響を与えていけるのか。

ほんとうは、あらゆることが「自分のこと」であり、あらゆることについて「主導権を握っていられる」のですが、細かく探っていけば、実に沢山のことについて人は「自分がコントロールできる状況にない」と考えているものです。
何についてそう考えているかは、人それぞれ。

このワークを続けて来て私が得たなぁと思うものは
・多くの「願い」の実現
・自分の本性・本質・思いこみについての詳細な省察
だと思います。

そういう話とは別に、
・月1回、自分の「願い」=「今の自分が望むこと」を整理し、再確認できる機会
・月のサイクルに体が合ってきた
の2つは、大きいなあと感じます。

特に女性の場合、月と体が合ってくると、精神的にも大きな好影響があります。よく喧伝されることですが、実際多大に実感してます。
男性の場合は、月と体の関係を女性ほどには実感しにくいかもしれませんが、こういった節目・切り替えの時期は男女問わず影響しているので、掴めると色々便利かと思います。だいぶライフハックです(笑)。

また、「望みの棚卸」は良いですね。
新年を迎えるときや、「牡羊座の新月」(占星術における新年)、誕生日などは、いわば「年度末決算と予算作成」。
月次の棚卸と決算・3か月の短期予算と目標設定というのも、現実を動かすには大変大事な作業です。
もちろん、「第1日曜」とか「1日」とかに設定してもいい訳なのですが。なんしかそういう機会はあると良い。そして、それを新月とするのはより良い、と私は思っています。

願いのカテゴリは新月が起こる星座の司るカテゴリに準ずるとされるので、1年やっているとあらゆるジャンルから願いを眺め回すことができます。
それも割と良いかな。
たとえば「結婚」という願いに関していえば、
・結婚相手とどんな関係性を築きたいか
・一緒に作りたい家庭はどんなものか
・一緒に何を成し遂げたいか
・どんな生活をしたいか
・どこに住みたいか、どんな家が良いか
・どんなライフスタイルにしたいか
・金銭面ではどんな風に在りたいか
などなど、などなど・・・「結婚」という夢の球を眺め回す視点は山ほどあるわけです。(仕事でも何でも全く同じですね。)
これが、12カ月(12種類)で、おおよそ全方向から眺め回してクリアにしていけるというのが、新月の願いごとを継続する一つの便利さかなぁと思います。

 

ご質問等あれば、コメント欄にどうぞ。分かることならお答えします。
また、何かあれば加筆修正等します。

 

Comments (14)

地平線

Posted on 02 2月 2012 by

見えないはずの地平線を見た。

2011年3月、日本を襲った、東日本大震災。

私の宮城県南部の実家から福島県の相馬港までは車で30分くらい。

地震直後はなんだか怖くて近寄れなかったけど、

やっぱり見ておかなきゃいけない気がして、お正月に弟に連れて行ってもらった。

夕暮れの時間、雲の合間から光が差し込むのが妙に神々しい。

車の中から外を見ると、やたら遠くまで見えてしまう景色。

本当は地平線なんて見えるわけもない場所。

陸地の端っこまで見えるようにすべてを流してしまったのは、他でもない自然の脅威。

そんな中、家を建て直してる人もいて。

放射能とか、津波の心配とかないわけじゃないけど、

本来農耕民族の日本人は、東が危険だからって、別に西に民族大移動なんてしない。

つらい光景だし、振り返ると今でも胸が締め付けられるけど、だからこそいつでも振り返る必要がある光景だと思って、写真を撮った。

そしてそれをノートブックへ。

最近好きなテレビ番組の「世界は言葉でできている」の録画見てたら、三島由紀夫の幸福論が取り上げられてた。

「幸福って、何も感じないことなのよ。幸福って、もっと鈍感なことなのよ。」

生きてることってそれだけで奇跡みたいで幸せなことなんですよね。

20120202-122026.jpg

Comments (2)

Photos from our Flickr stream

See all photos

2023年9月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

アーカイブ