3月13日、原美術館のソフィ・カル展へ行ってきました。
本当は1月に行く予定だったのですが、へ、へっへっへ、う、紆余曲折があり、3月になりました。
ソフィ・カル、フランス人アーティストです。>> wiki
写真と文章を組み合わせて作品を作ることが多く、また、ひとにインタビューして、その記録を作品にする、という傾向が多いです。
このソフィ・カルという人物、わたしが初めて知ったのは、美術館の作品の展示ではなく、なんとポールオースターのエッセイでした。
『トゥルーストーリーズ』というオースターのエッセイで、『ゴサムハンドブック NYの暮らし方について』があります。これがソフィ・カルのために書かれた、というもの。
その他にも、オースターの小説『リヴァイアサン』では、ソフィ・カルをモデルにしたマリア・ターナーというアーティストが登場します。
自分は人一倍好奇心が強く、他人のプライバシーを覗くのが大好き、と話しているそうで、そういうひとが作品を作ります。すると。
鑑賞者は自動的に共犯者となるーー というような記録も読んだことがあります。まずは、そういう覚悟で見てきました。
限局性激痛 これは医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味するそうです。
では、ソフィ・カルのどんな痛み、何の痛みか、というと。
第一室。
1984年 ソフィ・カルは日本に三か月滞在できる奨学金を得ました。が、ちょうどこの頃、長い片思いがようやく実って、これから蜜月ー! という時期で。ソフィカルは、その恋人を置いて、日本へ行くことになります。
なるべく移動して、気を紛らわせたいので直行便で日本へ来るのではなく、フランス、ロシア、中国を経由するというルートを取りーー
その移動と滞在で92日間、帰国までのカウントダウン、1日1枚の写真に、スタンプを押して展示していました。
スタンプは XX DAYS TO UNHAPPINESS と文字があって、このXXに数字が入ります。
わたし、面白がって、その写真全部、ひとことずつ記録とったんですが、これが結果としてすごく良かったです。
(なぜならソフィ・カル展、図録がなかったからです。売り切れ、在庫切れではなく「作っていない」んだそうです)
92から始まります。ずっと見ていくと、83くらいからものすごく淋しくて、このあたり、中国の景色でした。革命歌の流れる小さい駅や、車掌から見た景色、ホテルの便箋らしき用紙に書かれた中国の格言、何敬恒という人の住所らしき文字が書かれたメモなど。
すべてモノクロの写真で、赤で押されたスタンプがものすごく印象的でした。

79 ソフィ・カルの後姿?
おそらく、一枚だけ見たら「あー、中国だなー、万里の長城っぽい?」くらいの感想かと思いますが、一連の流れ、何枚かの連続で、この79を見た時、あ、このさびしいのが激痛って意味なのかな、と思いました。
身が引きちぎられるようでした。

70くらいから、すごく楽しげな印象になってきました。
90→70くらいまでは、写真はモノクロでしたが、69日目くらいからカラーになったので、それもあるかもしれません。
69の写真は、和食の朝ごはんを撮ったものでした。ソフィ・カル、楽しんでる?
67 寝る前のおふとんの写真
66 おそらく起きた時のおふとんの写真
64 銀行の通帳
あと、意外なのか、どうなのか、寺社仏閣の写真が多かったです。
お地蔵様や、台形の石に布を巻いた像に、花が供えられているショットとか、おみじくもひいてたなあ。
(凶でした)


すごく面白かった 46−44、ソフィ・カル、手相を見てもらっています。
1回目 街の手相見に見てもらう。通訳がいないためわからない。
2回目 通訳を連れて行く。見てもらう。
3回目 通訳を連れて、予約が必要な本格的占い師に見てもらう。
行動力、すごいなあ。
残り9日 若いカップルを尾行した、時間をつぶせるから〜 と書かれていました。
(どんな写真だったかは覚えていない)
あと10日くらいで帰れるけど、やっぱりまださびしい? と、思ってしまいました。
楽しそうな日本滞在の写真が何枚も続いた後でした。
尾行というと言葉が強烈ですが。
ソフィ・カルは、こういうことをふつーにします。
ある日、最初に会ったひとを尾行して、その活動を撮影するとか、拾ったアドレス帳に記されたひとを順番に訪問して、持ち主について聞く、とか。それらを記録して、作品として作り上げています。

そして最後の一枚。ようやく、やっと、最後の一枚へ来て、ソフィカルは失恋します。
この最後の一枚が、二部への始まりとなります。
第二室
あらためて、局限性激痛がこれ? と思いました。
第二室の展示もまた、写真と文章なのですが……
ソフィ・カルは、フランスへ帰国し、その失恋、痛みと向き合うために、その苦しみ、つらさをひとに話し、また聞き手にも、人生で最も苦しい経験を話してもらい、その話を作品に仕立てます。
(聞き手、というのは、まったくの通りすがり、行きずりのひと、という…)
展示としては、上に写真が一枚、その下にソフィカルの話が白糸で刺繍された灰色の布地が配置され、その隣には同じく、上に写真が一枚、その下に聞き手の話が黒糸で刺繍されたで白い布地がありました。
ソフィ・カルの話、聞き手の話が交互に展示されていました。
ソフィ・カルの話は、最初の3−4枚くらいまでは、殆ど同じで、ひたすら
・インペリアルホテル261号室
・赤い電話
・カーペット
・肉にくいこんだ爪
この4つをキーワードとした失恋の経緯と、ソフィカルの苦悩が綴られています。
そして、聞き取った相手の『激痛』、これもまた身がねじ斬られるような痛みで。
失恋だったり、家族や恋人を亡くしたり、取り返しのつかない嘆きだったりーー
その痛みを何年も抱えたひともいれば、最近、そのつらさを経験したひともいて、2019年の今、彼、彼女たちは、どうしているんだろうなあと思ったり。
そのうち、ソフィ・カルの話の文末が変わってきます。文章自体も長々とつづっていたのが、徐々に短くなり。
ついには「それだけのこと」「これがわたしの物語だ」と言えるようになります。
灰色の布に縫われていた白い糸も、徐々に布地と同じ色合いに変わっていく、という……
そして43回目の聞き取りの時、ようやく「ばかばかしいと思えた」と書かれていて、ちょっとホッとしました。
が。
他者の痛み、それも『激痛』を媒体として、自分の痛みを癒やす、というのは、とか
あなたはそれですっきりしたかも知れないけど、聞き手はーー? とか
聞き取りをした、その後はーー とか、思わなくもない。
ただ。
ソフィ・カル、この”物語”が、どこまで本当なのか。
前述したオースターの小説『リヴァイアサン』に登場するマリア・ターナーというアーティストの話ですが。
ソフィ・カルはこれを面白がって、後年、マリア・ターナーを演じて『ダブルゲーム』という作品を作っています。
ソフィ・カル → Mターナー(フィクション) → ソフィ・カルが演じるMターナー という、ナニこの実在と虚構のマトリョーシカ。それともメビウスの輪?
失恋したのはホントかも知れない。ただ、作品にあるような『激痛』ではなくて「別れよう」「そうねー」くらいの軽いものかも知れない。
ソフィ・カルから別れを切り出したのかも知れない。もっというと、恋人の存在自体、本当じゃないかも知れない。第二部、ソフィ・カルが失恋の激痛を話し、また聞き取った相手も実在しないかも知れない。
と、このあたりまでノートブックに書いたところ、そう言えば、ソフィ・カルの講演記録のPDFがあったっけと思い、引っぱり出してきました。
ソフィ・カルの作品の特徴は、写真あるいは物的な証拠を交えながら、まことしやかにきわどく刺激的なストーリーが綴られることろにある。作品の鑑賞者は、感情移入するため、あるいはスリリングであるために、いつの間にかそこで語られるストーリーをすべて真実だと信じようとする。しかし、ソフィ・カル自身、時として観者ののぞき趣味的な欲望を見透かし、はぐらかすかのように、今まで語ってきたことが虚構であったかもしれない可能性をほのめかす。
ソフィ・カル講演記録の読み方ーーあるいは、ソフィ・カル作品における写真(近藤幸夫)
わたしは、アレだ、ソフィ・カルの手の平で共犯者になりたくないから、こう考えたいのかも知れない。あの聞き取りをしたひとたち、あの激痛、嘆きが本物で、今でもまだ痛みを抱えているのだと思いたくないから、丸ごと否定したいのかも知れない。
でも、この一枚、これだけは、ほんとうに身がよじられるように切なかったです。

おまけ1 旅ノートより



おまけ2