ハイタイドのスクエアバーチカルダイアリーをいたく気に入った

Posted on 25 11月 2020 by

ハイタイドのスクエアバーチカルの使い勝手が良い。携帯性の高さと記入スペースの程よい広さを両立してると思う。
月間ブロックはスペース不足だけど、週間バーチカル、週間レフトだと余りがち。持ち運びしやすく記入もそこそこできる手帳が欲しい。そんな人におすすめしたい。

まず外見。サイズはB7サイズを少し大きくした正方形に近い形。このデザインが気に入ったのも、購入に至った大きな理由。

ハイタイドスクエアバーチカルダイアリー

手のひらサイズでかさばらず、持ち運びしやすい。ペンホルダーと2本のスピンも付いている。

実際に中のレイアウトを見てみよう。
この手帳は、大きく分けて月間ページと週間ページの2部構成。
まず、月間ページ。

1日の記入スペースは横に長く、時刻と用件くらいなら1行に収まる。1日の予定が1、2件程度なら、そんなに狭く感じないはず。左ページに余白があって、メモを書き込めるのも良い。

続いては週間ページ。このフォーマットが要。

ハイタイドスクエアバーチカル週間ページのフォーマット

バーチカルフォーマットであるが、朝・昼・夜の3分割。
時間軸がない分、記入スペースがすっきりしていて、やはり狭さを感じない。
さらに、何時から何時まで、と決まった予定やToDoでなくとも、午前中にあれ片付けちゃいたいな~、午後はこれに着手したい…というざっくりした予定を、ざっくりしたまま書ける。これがすごくいい。

紙面の色は目に優しいクリーム色。少し硬さがあり、フリクションのラバーでこすっても波打ちしません。
角丸なのも、地味に好き。

最後に、意外にカスタマイズ性が高い。
市販のB7サイズのミニノートや、5×3の情報カードやミニ6穴リフィルといった紙片が程よく挟める。私は、表紙裏と裏表紙裏にポケットを付け…

表紙裏に付けたポケット

トラベラーズノートパスポートサイズのドット方眼ノートと情報カード、さらにトラベラーズノートパスポートサイズの下敷きを挟んでいます。

いろいろ挟みこんでもかさばりません。手のひらサイズの強み。

月間ブロックタイプだと記入スペースが小さい、でも週間バーチカルや週間レフトは大きすぎる。
そんな感覚をお持ちの方はぜひ、文房具売り場でこちらをご覧になってはいかがでしょう。

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完成した大人の塗り絵の記録

Posted on 21 8月 2020 by

2年ほど前から大人の塗り絵(コロリアージュ)に夢中です。

完成した作品には日付を書いた付箋を貼っています。

手元の塗り絵本が少しずつ増えてきて(2020年8月現在で9冊!)、しかも着色する順番はランダムで・・・こんな状態なので過去の塗り絵を振り返りにくいなと思い、実践していることがあるので紹介します。

使用ノートについて

ジブン手帳のIDEAを使用しています。

これは塗り絵の記録専用ではなく、日記(雑記)帳です。

サイズやページ数などがちょうど良くてお気に入りです。

記録手順

  • 完成した塗り絵を真上から撮影します。
  • 画像を正方形にします。縦長や横長の塗り絵はカメラアプリ(SNOW)で正方形の中に収めるように加工します。
  • 更にカメラアプリ(LINEカメラ)のコラージュ機能で4分割の大きさに加工し、A6サイズで印刷します。
  • 印刷したものを切り抜き、ノートに貼って完成です。

▼完成した塗り絵を貼ったページ

最後に

大人の塗り絵はとても楽しいですよ。

  • ディズニーやサンエックスなどのキャラクター系
  • 人気のイラストレーターさんの線画
  • 和柄
  • 自律神経を整える系
  • 脳トレ系
  • パズル塗り絵

などなど・・・種類も豊富です。

色鉛筆と塗り絵本があればすぐに始められるので、おうち時間に楽しんでみてはいかがでしょうか?

さや

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はいってみたいところ

Posted on 17 7月 2020 by

~またの名をちまちまツイートNo. 249

雨が続きますね。
色々と大変なご時世ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
おひさしぶりのkonamaです。

今日は、本の話のような、そうでないような。
つれづれに書いておりますので、気楽にお付き合いください。

● 滑らかな平面の上を移動する球体aの世界

 先日Twitterをながめていたら、岸本佐知子さんのエッセイ「ひみつのしつもん」についてツイートすると、クラフト・エヴィング商會さん直筆イラスト+著者サイン入りしおりをプレゼントというキャンペーンをみつけました(筑摩書房さんのキャンペーンで、既に終了しています)。
 それは応募せねばと抜書きをトライした時の写真がこちら。岸本さんの話はなんというか、こういうところが色々と自分にひっかかるのです。

私が心の底からやりたいことは、たとえば、「つるっつるすること」だ。完全に滑らかな、摩擦ゼロの平面を、どこまでもどこまでもつるっつると滑っていきたい。その究極のつるっつる感だけを無限に味わいたい。『パンクチュアル』、岸本佐知子「ひみつのしつもん」より。

この文章のあと、

「むかし物理の問題で「滑らかな平面の上を移動する球体a」が出てきたことがある。(この時、平面の摩擦はゼロになるものとする)と但し書きがあった。私がつるっつるしたいのはその問題の世界だ」

と続くのですが、なんていうかこのこういう不思議空間(というか、感触なんだけど)の中に入ってみたい(身をおいてみたい)願望って、ありません?
 この本の中にもプール一杯にゼリーを作ってその中を泳いでみたいとかそういう話も出てきて、そうそうと膝を打つ…。こういう話って、なんだか自分の性癖を開示しているような恥ずかしい気分になって、なかなか話題にはしないからよく分からないけど、みんなそういうものを持っているのかしら?と思ったりしたのです。プール一杯の○○のなかで泳ぎたいって話、けっこう色んなエッセイでみたことがあるきがするもの。子供用のプレイエリアにある、一杯バルーンが詰まってる遊具なんかもそういう感触を楽しむ物でもあるのかしら。むしろ、人をダメにするソファ系がイメージとしては近いのか。

♨ 温泉にでも行きたい?

 こういう「○○に浸かってみたい」的な発想は、私の場合、仕事でくたびれた~って時に、なんていうかこういう物に入りたいよねって感じで頭に浮かんできます。

 以前、ものすごい忙しい時期に、職場の同僚でもある長年の友人と帰宅途中にした会話:(夜遅いので同じ車両に誰もいないローカル線でぐだぐだしている図。あまりにヘトヘトなのでお互いの顔も見ていない感じ)

私:いや、もうさ帰ってもお風呂はいって寝るだけって感じだよね
友:こういう時って、温泉でも行きたいっていうんだろうけど、正直行くのが面倒
私:そだねえ。なんかこう謎のゼリーみたいなのに浸かると、疲れ成分がじわじわと溶け出して出るとすっきりみたいな機械ないかなあ。ゼリーが黒っぽくなって、お客さん相当お疲れでしたね~みたいな感じ。
友:あー、私は巨人のような力持ちに足首つかんで水平にぐるぐる回して欲しい感じ。昔の手回し脱水機みたいな?
私:蜂蜜絞るのみたいなのか…
友:あとね、なんかこう柔らかい物でぎゅーっと圧迫してくれるみたいな?

 こんな会話をしたのも、もう(年単位で)大分前なのですが、先日この友人から、誕生日祝いにハンドマッサージャーをもらいました。指を突っ込んで全体を圧迫するタイプのやつ(イメージわかないかたはこちら)。
 さっそく、風呂上がりに試す私。親指以外の指を穴に通して、ボタンをおすとぎゅーっと結構な強さで締め付けられる感じがします。「おー、確かに彼女が欲しがってた物そのものだねえ、全身だったら完璧だった….」
 ん、全身?全身をぎゅっとするってなんか読んだことあるぞ。

🐄 子牛用締め上げシュート

思い出したのは、オリバー・サックスの『火星の人類学者』。

力強く、だが優しく抱きしめてくれて、しかも自分が完全にコントロールできる魔法の機械を夢見るようになった。何年かたって、思春期の彼女は、子牛を押さえておく締め上げシュートの図をみて、これだと思った。それを人間に使えるように改良すれば、彼女の魔法の機械ができる。空気を入れてふくらまし、身体全体に圧力をかける服といったほかの装置も考えてみたが、締め上げシュートの単純さには抵抗しがたかった。

オリバー・サックスは『妻を帽子とまちがえた男』とか『レナードの朝』で有名ですが、このエピソードも脳神経医のサックス先生が自閉症の動物学者に会いに行った時の物。愛情とかそういうものがわからないというこの方が、ひそかにおうちに置いている機械のお話。ハンドマッサージャーはどちらかというと、空気をいれてふくらまし…の方に近いと思うけど、このしっかり圧をかけられるというのは普通に人類の欲としてあるんだなあと思ったのでした。

 しかし、人に抱きしめてもらいたいというと変に思わないのに、全身に圧をかける機械が欲しいというと、なんとなく奇妙な後ろめたさがあるのはなんなんでしょうねえ。

🐼 ちまちまツイート No.249

そんなわけで、つるっつるの世界から締め上げ機までの話を思い起こして書いた、ちまちまツイート(私が一番小さいロディアに、パンダのスタンプで書いている手書きツイート)がこの図になります。

ちょっときっかけからこの絵まで説明むずかしいよなー、と思ったのですが、「懐深いNotebookersの皆様なら許してくれるかな」と思いつき、こちらに書き留めた次第です。

追:結局のところ、〆切りから大分たちますけど何の連絡も来ないので、残念ながらしおりは当選しなかったようです。(そういえば、はじまりはそういう話だった…)

追2:と思っていたら、忘れた頃に当選のお知らせが来ました!

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Notebookers ようやくSSL対応

Posted on 10 7月 2020 by

Notebookers ようやくSSL対応させました。
ほれ、アドレスのところ見ると鍵マーク付いてるよ。
久しぶりの投稿なので画像で手書きの記事UPしておきます。

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Kobe INK #03 × 北関東三都物語2020夏 |3/3|桐生・西桐生駅セピア

Posted on 23 6月 2020 by

https://kobe-nagasawa.co.jp/originalitems/kobeink/p-289/

念のため、前々回記事にも貼った「神戸の街のイメージをインクの色で表現した人」の物語動画を再生。

Kobe INK物語の3色目は、旧居留地セピア。
神戸らしい落ち着いた街並みとノスタルジーさえ感じる風景をセピアカラーで表現した、らしい。

しかし舞台は北関東。
北関東はやすやすと、ノスタルジーさえ感じる風景を見せてくれない。

「すごい!」「たのしい!」「おいしい!」……魅力表現がアバウトすぎてノスタルジーの欠片も見えない北関東。

#1高崎→#2水戸→#3……。
流れに身を任せて東に進むのは、もうきつい。

ならばどうする?北関東セピア。

とりあえず僕らは、西に戻ったほうがよさそうだ。

Notebookers.jp画面の前のみなさん こんばんわ
みなさんが日頃 何を考え何を悩んでいるのか 私には全く計りしれませんが
まずは このサイトを 楽しんじゃってねぇ〜

あの曲を歌ってた女性は、たしか桐生のご出身。

(あわせて読みたい)上毛電気鉄道西桐生駅|桐生市ホームページ

水戸から西へ、ただし高崎未満の戻り。
このさじ加減範囲内で最適な「セピア」を、群馬県桐生市で見つけた。

北関東三都物語2020夏のセピアは、JR桐生駅にではなく西桐生駅にある。
新桐生駅ではなく、西桐生駅。
わ鐵の桐生駅でもない。とにかく2020夏のセピアは西桐生駅。

鉄道(市内の駅名)|桐生市ホームページ

「桐生」と名のつく駅だけで、4社の路線が入り込んでいる。
桐生ってば、なんて懐が広いんだ。
海なし県の駅なのに、地味にしれっと開放的。
それはまるで、神戸の旧居留地のごとく。

観光イメージアップポスター(桐生市観光大使篠原涼子さん)|桐生市ホームページ

https://twitter.com/haken_ntv/status/1255303806750994433

謎な桐生市街観光となった。
JR桐生駅から電動レンタサイクル5分圏内で、ほぼ初降車の織都桐生をざっくり押さえた。

桐生の地に降りると、「小さな街」「日帰り余裕」そう思うかもしれない。
しかし実際は、その真逆。
一日ではとても回りきれないし、桐生駅徒歩圏内を飛び出した桐生市はもっと奥深い。

ほぼ初降車の桐生について、私は一言で語れない。
まだまだ廻りきれていない桐生の魅力が、小さくたくさんありそうだ。

だから私は、篠原涼子に桐生を託す。
桐生駅に着いたら、篠原涼子表紙のKIRYUパンフをぜひゲットしてね!

桐生市観光大使 篠原涼子さんからのメッセージ(新型コロナウイルス感染症対策)|桐生市ホームページ

こんなノリで「Kobe INK × 北関東三都物語2020夏」3都市目は「桐生」でした。
桐生に行くならば、まずどの駅から桐生入りするかを考えよう。あっ車で桐生入りの方は、各自うまいことルート検索よろしくね。わたし道路交通事情に疎い!

以上をもちまして「Kobe INK物語×北関東三都物語2020夏」三部作はおしまいです。三都まとめは以下の通り。

「Kobe INK物語×○○三都物語」、書いててとっても楽しかった!
私の気が向いたり、読者の皆さんからのリクエストがあったりしたら、秋シーズンにまた考えてみようかな。

stayhomeに飽き飽きしているNotebookersさんの気分転換に「Kobe INK物語×○○三都物語」おすすめです♪ みなさんのご近所から行きたい世界三都市、三大惑星まで、北関東三都物語2020夏の3記事を参考に、ぜひみなさんも考えてみてくださいね。

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Kobe INK #02 × 北関東三都物語2020夏 |2/3|水戸・宮町スカイブルー

Posted on 21 6月 2020 by

https://kobe-nagasawa.co.jp/originalitems/kobeink/p-288/

この記事の続きを書きます。前提情報は#1参照。各自何卒。

念のため、前回記事にも書いた「Kobe INK物語」の復習を。

Kobe INK物語は、2007年に第1集のインク『六甲グリーン』を発表して以来、平成を駆け抜けて令和2年の今なお新色をリリースし続けている、元祖ご当地インクである(たぶん、おそらく。)ほんとに元祖かどうかは分からん。そこんとこ、よろしく。

Kobe INK物語の2色目は、波止場ブルー。
神戸メリケン波止場に広がる海と空の青を凝縮した色、らしい。

しかし舞台は北関東。
北関東はやすやすと、あの広い海を見せてくれない。

地図で改めて確認しよう。海を見るなら茨城県。

#1の高崎から小細工最小限で海を目指そうと考えるなら、
目的地はとりあえず、水戸で落ち着かせるのが良さそうだ。

水戸なら以前、行ったことがある。
平成終盤・春の偕楽園は、偕楽園のために電車が臨時駅を設置するレベルで賑わっていた。

偕楽園駅(臨時)から一駅南下すれば、すぐ水戸駅。
その先の計画は、水戸駅でパンフレットを収集して考えよう。

ほぼ田んぼの車窓を眺めつつ、茨城県の県庁所在地に向かう。

海を目指した標識と街ですれ違う

結果を先に言おう。

海を目指すも、水戸駅は電車降車からホーム、ホームから改札口までの区間で県外来訪者を引き止める。水戸から海を目指す気力を失う。

さらに言うならば、みどりの窓口インテリアが謎。
わかったよ水戸駅。今回は海を諦めて、市街地観光を楽しもう。

「6月の水戸なら、あじさいが6,000本くらい咲いてる公園に行くのはどうだろう?」親切な地元のおじさんが教えてくれたので、あじさいを目指す方針に変更。

なんとなく「水戸は徳川でよく学ぶ」イメージを持っていた。
学ぶ市民が携える三種の神器はきっと「書物」「筆記具」「紙束」に違いない。

弘道館近くにある本スポット。エントランスホールの紹介時間が短い。もっと長く映してほしい。そしてのびのび感をもっと伝えてほしい。

三種の神器仮説を抱きながら街を歩くと、なんと三の丸エリアで半日を費やす。書物部門はまず、県立図書館だけで十分楽しい。煉瓦の建物が少し遠くにある風景は、札幌の旅路を私に思い出させた。

水戸の人たちは、土日祝日もよく学ぶ。
県図のあとに訪ねた文具店と喫茶店でも、学ぶ人たちが行き交っていた。

水戸で学ぶ人たちの音楽は、もう日本だけで賄えないらしい。
喫茶店には、BLUE NOTEがよく馴染む。

BLUE NOTE CLUB WEB | コラム:またしても衝撃の発掘! ジョン・コルトレーン『ブルー・ワールド』は瞠目必至の音源だ
https://bluenote-club.com/diary/265877?wid=67719

ビートルズな空気も、街の何処かに流れていたような。

「ロンドンよりはパリがいい」と語る紳士もいた。その理由は明らかではないが、パリにも闘いの歴史があることを学ぶ。

長い水戸市街観光になった。
駅北口から徒歩10分圏内で、ほぼ初降車の県庁所在地観光を満喫できた。

観光パンフで大々的に取り上げられないどころか、そもそも掲載されていない場所の数々が常軌を逸して面白い。水戸はまず、三の丸エリアで午前中を潰せる。

あとは隣接する南町となんとか銀座、駅前宮町もう十分。水戸は瞬間にいくつもの情報を詰め込んで観光客を迎えてくるから、こちらの情報処理スピードがぜんぜん追いつかなかった。

旅路の趣味「風景印収集」を、県庁所在地にある中央郵便局でできなかったことは、今回最大の反省点。うーむ、水戸は年内にまた行くかぁ。弘道館にすら行けてないので、今度はすこしは、観光スポットをベタに巡っておきたいな。

「本」「喫茶」「文房具」も旅路の趣味とする筆者が巡った水戸エピソードにはなるのだが、駅北口エリアを散策すると、帰りの電車でこんな写真要約を撮影できる。

購入した集金袋のファスナーはYKK製。
パンフレットを貼りすぎて膨れ上がったトラベラーズノートレギュラーサイズは、わりとスッと入れられた。

こんなノリで「Kobe INK × 北関東三都物語2020夏」2都市目は「水戸」でした。
水戸に行くならば、どの地図を片手に町歩きすれば良いのだろう?駅や観光案内所で、まずは迷ってくださいね。

それはさておき、
北関東三都物語2020夏、ラスト1都市はどこでしょうか?
ヒントはもちろん、Kobe INK物語。

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Kobe INK #01 × 北関東三都物語2020夏 |1/3|高崎・瀧澤禅寺グリーン

Posted on 20 6月 2020 by

2012年1月に開設されたノートブック好きのノートブック好きによるノートブックのためのサイト(と見せかけて記事テーマはライターセレクトやりたい放題)Notebookers.jpの読者ならば、元祖ご当地インク(諸説あり)「Kobe INK物語」ってインクがとてもカラフルでそして神戸だよって事案は、聞いたり読んだり見たりしたことはあるだろう。(あるよねー)(あるあるー)(えっなーい(ほんならググってくださーい))


(……ふぅ)

ここまでうっかりスクロールして今このテキストを読んでしまった君たちは、当然「Kobe INK物語」ってインクのことを知っているよね?えっまだ不安?ほんなら次の動画を観とくれやす。


(えっ?ナガサワ文具センターってどこ?なんの店?……とか、そういう質問しちゃう系?)

……まぁ、神戸や関西三都以外の都道県ならびに地球各地にお住まいのNotebookersだと、ナガサワ文具センターさんのある文房具生活を暮らした体験がないもんね。ちなみにわたしは、2010年代後半になってようやく、ナガサワ文具センターに足を踏み入れたよ。それでも大阪だったから、神戸はなかなか遠かったなぁ。。。

でもでも、大丈夫。
日本で文房具を使ったことがある人の9割は目にしたことがありそうなメーカー「コクヨ」さんが、謎にナガサワ文具センターさんを紹介していたよ。これで日本全国津々浦々は、まるっとまるごとカバーした……でしょう。


念のため補足を入れておくと、文具好きで文具について何かしらググったら割と遭遇しやすい「文具王」こと高畑正幸さんも、ナガサワ文具センターを訪問しているよ。

明治15年に創業した文具店なんだね。ナガサワさんって、すごいなぁ……。映像時間30分超だから、再生タイミングは各自の暮らしと要調整、何卒。


さて、「Kobe INK物語」に話を進めよう。
Kobe INK物語は、2007年に第1集のインク『六甲グリーン』を発表して以来、平成を駆け抜けて令和2年の今なお新色をリリースし続けている、元祖ご当地インクである(たぶん、おそらく。)ほんとに元祖かどうかは分からん。そこんとこ、よろしく。

最新のインク全色まとめ(2019年9月現在の最新集は「第74集」)
https://kobe-nagasawa.co.jp/originalitems/kobeink/p-287/

Kobe INK物語のホームグラウンドは、その名の通り「神戸」だ。

しかしわたしは、トラベラーズノートとそのへんに転がってる筆記具をカバンに詰め込んで、だいたい日本の47都道府県を旅してきた。つーか未だに旅の途中。

令和2年も旅路なう(JPN2020)

日本をいろいろ旅していると、日本史を改めて勉強し直したくなる。旅の目的は全然違うっていうのに、なぜか600年前に実在したという武士の甲冑を目の当たりにするとか、うっかり遭遇が想定外。いかなる事態にもそれなりに国内対応するならば、やはり日本史の復習はたいせつ。

昨今は透明ビニールシートでレジ空間を仕切りがちらしいけれども、そんな仕切りは遭遇当時(平成時代)には全くなかった。いましらんけど。

「瀧澤禅寺」までの道程は、ローカル鉄道+ローカル路線バス駆使して行くとなると難易度やや高い。群馬県にある高崎駅からローカル路線バスで數十分揺られたのち、さらにまだ遠くに行ってようやく辿り着く。聞き慣れない地名のバス停で降りなければいけないので、バス乗車ついでに爆睡なんてほぼ不可能。道中どうぞ、お気をつけて。

乗らなくても楽しいD51


瀧澤禅寺(Minowa)– 2020年 最新料金|Booking.com
オーナーのクチコミスコア 9.9(記事執筆時点)

瀧澤禅寺は箕輪にあり、レストラン、無料の自転車レンタル、バー、共用ラウンジを提供しています。フロントデスクは24時間対応で、共用キッチン、館内全域の無料Wi-Fiを利用できます。有料の専用駐車場を手配可能です。

https://www.booking.com/hotel/jp/long-ze-shan-si-ryutakuzenji.ja.html

寺院の周りは、大変自然豊かで春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬は静かな時間が訪れます。 

https://www.booking.com/hotel/jp/long-ze-shan-si-ryutakuzenji.ja.html
お寺の中も詩季織々

瀧澤禅寺の春夏シーズンを象徴する色は、グリーンだと思う。
どんなグリーンが待っているかは、現地を訪ねてからのお楽しみ。個人的には一泊二日より二泊三日を勧めたい。三泊以上は手帳の中身とジブン自身と要相談のこと、各自何卒。

2020年シーズン直近。
これから日本は、ますます夏だ。
きっとグリーンも、映えるはず。

だがわたしは、敢えて「瀧澤禅寺グリーン」を伝えない。
実際のグリーンは、やはり現地で体感してほしい。

体感したいと思ったNotebookersは、まずは高崎に行く日程を確保すること。
確保した日程で宿泊できるかは、先に紹介したBooking.comでチェック。
うまいこと予定があったら、予約ぽちっとなで旅支度スタート。

高崎に向かう旅支度のバックミュージックは、ベタにBOØWYが合いますかね。わたしタイムリーに観てないから、知ってる曲がこれくらいしかないよ。バブリーNotebookersさん世代ってイメージ。


バンドってよりは、解散後の方が当方世代です。

記事執筆時58,040 回視聴•2019/12/25

これは海なし県の主要都市を訪れて大抵思うことなのだけど、住民さんの学習意欲がはんぱない。街の本屋さんとか図書館とか、駅構内にある本スペースとか、謎のこだわりがありませんか?

あと地域の連帯結束が強すぎて、わりと隣市同士でバトりがちとか。高崎だと前橋と県庁所在地バトルをしてそうなイメージ。わたし群馬出身じゃないから、これまた無責任に「しらんけど」

こんなノリで「Kobe INK × 北関東三都物語2020夏」1都市目は「高崎」でした。
高崎に行くならば、世代関係なく「B・BLUE」歌えた方がいいのかい?
インクカラーイメージ、こちとら「グリーン」なのですが……。

それはさておき、
北関東三都物語2020夏、あと2都市はどことどこでしょうか?
ヒントはもちろん、Kobe INK物語。

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短歌を写すノート

Posted on 15 3月 2020 by

twitterなどを流れていく短歌を書き写しておきたいと思いまして、そういえば、

短歌拾遺
短歌拾遺ノート

妹から以前もらったインド土産のノートがあった、それは丁度良いサイズ感。

ノートの表紙
ノートの表紙。インドっぽい

紙質は正直悪そう。分厚くてケバケバしているけれども、

厚みなど
全貌はこんな感じ

Surari0.7で書いてみると、ひじょうにひじょうに心地よかったので、

見開き
書き心地がよい

まずはせっせと書き始めましたけれども、

大き目の字から
大き目の字で書いていた

だんだん、いつもの癖がでてくるわけで、字が小さくなって、

字が小さくなる
字が小さくなってくる
がちゃがちゃになる
がちゃがちゃになる

可読性よりも、ページを埋める快感にはしりました。

読み返すときには多少、苦労しますけれども。苦労すると一生懸命読もうとするので、自分のためのノートならOKかなと。

好きな歌人さんは、俵万智さん。寺井奈緒美さん。兵庫ユカさん。です。以上!

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珍しく3か月分のUPです。Oct-Dec.2019 Calendar

Posted on 03 10月 2019 by

 

いつも遅れて配信していてすんません。
今回はめずらしく2019年10月から2019年12月まで「3か月分」まとめてUPします。

★2019年09~12月のカレンダーです

ポケット用_10月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_10.pdf

ポケット用_11月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_11.pdf

ポケット用_12月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_12.pdf

ラージ用_10月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_10_L.pdf

ラージ用_11月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_11_L.pdf

ラージ用_12月
https://notebookers.jp/calendar/calendar2019_12_L.pdf

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きちきちの跳ね出るみちや魔法陣

Posted on 12 9月 2019 by

トラベラーズノート(茶)レギュラーをメインノートとして、心に映り行くよしなしごとをそこはかとなく書きなぐる日々です。
メインノート、というからには、サブノートというものがあるわけで。それは、トラベラーズノートで展開させていく種となる雑多なメモの体裁をとります。

ダイソー
「文庫本と同じサイズのノート」
ダイソー「文庫本と同じサイズのノート」

使い勝手のいいのは、この無地144枚の、ノートです。こちらに、キーワードを、気分で配置していくわけです。

新感覚派の世界的位置
日本の新感覚派の世界的位置についてのメモ

新感覚派(日)、ヌーボーロマン(仏)、ロシアアバンギャルド(露)、ドイツ表現主義(独)などを軸として、「言語と文章」の世界的潮流を考える図

写生文という言語
写生文とありのままの叙述との違い

ありのままを叙述する、という場合の、非日常性と修辞の問題を考える図

ネイキッド
ありのままと当たり前と裸と素朴に関するメモ

裸であることと、ありのままであること。意味を放棄することと痴ということ。捨てるべき我を捨てようとする我について、ガンダムと相田みつをさんと、レスリーニールセンさんと、裸のマハなどが顕れてくる図

徹子の部屋。ゲスト滝沢カレンさん
徹子の部屋。ゲスト滝沢カレンさん

徹子の部屋に滝沢カレンさんが出演した際に顕れたコミュニケーションの特色についての図

エラリークイーン著 「首吊りアクロバットの冒険」について
エラリークイーン著 「首吊りアクロバットの冒険」について

エラリークイーンさんが同作品で展開した推理の穴を考察する図

萩原朔太郎 meets 梶井基次郎
萩原朔太郎 meets 梶井基次郎

両者の年譜を調べ、朔太郎さんが京大入試を受けた際に、タイムスリップして梶井基次郎さんの檸檬事件を目撃しており、それをステレオタイプカメラに撮影していたことを、後年、伊豆で話し合う、という短編のメモ

世界の構造
仏教による「真如」と「世俗」の世界モデル

「一」であり、絶対無分別かつ絶対静寂であるはずの「真如」が分割され、この世という「物質存在世界」があるように感じられる世界モデルの試作図

イデアなき世界の芸術とは
イデアなき世界の芸術とは

あらゆるものの原型たる「イデア」を否定する立場から、絶対的美という在り方も否定されるとしたら、芸術とはどのようなものを指すのか、について考察する図

と、いう感じです。

既知と既知を図式に現す過程で、相関を想定していなかった既知が次々と想起され、しかるべきラインや座標に配置されて姿を現した曼荼羅に、創発ともいえる作用が起こり、未知が召喚されてくる。

私にとってのノートとは、そうした魔法陣のようなものなのでした。
というご報告でした。それではまた。

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かわりつづけるからかわらない

Posted on 16 6月 2019 by

かわらないものはなにもない から かわるものはなにもない
かたときもかわらないでいる もの はどこにもありはしない
とめどもなくかわりつづける もの にはかわり目などはない

脳は諦めない

ちがっているもの どうし をくらべることは
もとよりできない かわり つづけることには
慣れることさえも 不可能 であるはずなのだ

報告可能性

かわりつづけるのなら かわりたいものに
かわろうとするべきだ かわりたいものに
かわりつづけることで かわっていく世界

意識の経験

かわりたくない むかし にもどりたい
などと祈るのは どだい むだなあがき
なにしろなにも かわる ものなどない

2019年5月のマンスリー絵日記
2019年5月のマンスリー絵日記

かわることをおそれず かわらないことをみとめ
過去と今とを比べずに 逃れようのない今の形を
満喫していく全肯定が 唯一の真実だと信じてる

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おかげさまで10周年

Posted on 09 5月 2019 by

2019年5月9日、よる。
Notebookersライターのsaoriです、こんばんは。

うちの茶トラこと「トラベラーズノート レギュラーサイズ 茶」
本日無事に、10周年を迎えることができまし……

って投稿するつもりだったのに、
きょう撮影のために1冊目のノートを開いたら、使用開始日2009年5月2日じゃないですか!!

こんな信じがたい展開、アリ?
あるんですよーそれが今!

ほんとにほんとに、我ながら心底びっくりしました。
人の記憶は時として豪快に曖昧なのだと、自らの体験をもって痛感しました。

「わたし今年の5月9日にTN愛用10周年迎えるのー♪」とかなんとか、
浮かれた話を聞いてくださった方々、ごめんなさいあれ嘘でした!!

2009年5月2日に1冊目のリフィル(003 無罫)を使い始めて以来、
なんだかんだの紆余曲折はあったものの、
いつの間にやらトラベラーズノートは、時代を越えた旅の連れ?友達?ただの必須文具?
うーんなんだろう。とりあえず生活におけるなんかいい感じのポジションになりました。

出張ついでも含む旅で使ったリフィルは、40冊くらい。
20冊目あたり表紙ナンバリングが面倒になって書いてなかったり、
数冊どっかになくしたりしたせいで、正確な冊数が分からないのです。

10年間、その時にあうペースでトラベラーズノートユーザーを続けていると、
トラベラーズノートとの向き合い方とか、選ぶ基準とか、
ほんの些細なことでも変化していることを実感します。

多くの人たちになにかしらを発信する職業を生業の一つとする身でありながら、
誰よりも、私自身が私の発信に新鮮さを感じられるのかもしれません。

トラベラーズノートユーザーになったことがきっかけで
さまざまな出合いや機会に恵まれたことにも、改めて感謝します。
使い始めた当初にはこの展開、全然考えもしていませんでした。トラベラーズノートすごい。

トラベラーズノートユーザー、10年続けて良かったです。
良かったなぁと、思います。

11年目からは、旅以外でもトラベラーズノートを使ってみようと画策中。
もうすこし、生活に根付かせた使い方をしてみたくなっています。
用途を絞ってときどき使うだけでは、もったいないノートなのではないかと。

筆記具や表現手法などに制限を設けず、
少なくとも使用歴11年目に入った令和元年のうちは、茶トラを使い倒してみます。
(飽きて使わなくなったらごめんね)

今後とも、うちの茶トラをよろしくお願いいたします。

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未来はノートの外にある

Posted on 07 5月 2019 by

未来はノートの外にしかない。
ノートがなければ未来はない

覚えておきたい本文は書き抜いておく

本か手紙かのいずれかを処分せよ、といわれても動じない。
必要な、本は抜書きしてあるし手紙はスクラップしてある。

資料を書き抜き、思いつきをメモする

過去を現在にもってくるのがノートだと思う。
現在を未来へと解き放つためにノートがある。

書いている途中に挿入される無関係なことがら

メモからノートへ、一切を遮断して記す作業もあれば、
さまざまな音や景色の中に埋没しつつ記すこともある。

捕まえたモノは決して離さない

どこかで何かがつながる。時間をもたない様々な事物。
しかし、それらを解読し展開する時空は限られている。

次元の異なる雑多なものを結ぶ

見開きという限定された容器の中に醸成される織物。
脆くとも見苦しくとも、害悪であったとしてもよい。

展開する左頁をアンカーする右頁

抜書きは解体され、思いつきと衝突事故を引き起こす。
思いつきは分解され、抜書きの行間に溶け込んでいく。

言葉だけでは足りなくなる未来の形

今の少し過去までの膨大な功績がもつれるノートの中。
お陰で少しだけ風通しのよくなった今の少し先の未来。

ノートは未来の外にあるから、
未来はノートの外にしかない。

おまけ 4月マンスリー絵日記

世界バクの日ありましたからバク週間があります。

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ソフィ・カル展〜限局性激痛 見てきました

Posted on 30 4月 2019 by

3月13日、原美術館のソフィ・カル展へ行ってきました。
本当は1月に行く予定だったのですが、へ、へっへっへ、う、紆余曲折があり、3月になりました。

ソフィ・カル、フランス人アーティストです。>> wiki

写真と文章を組み合わせて作品を作ることが多く、また、ひとにインタビューして、その記録を作品にする、という傾向が多いです。
このソフィ・カルという人物、わたしが初めて知ったのは、美術館の作品の展示ではなく、なんとポールオースターのエッセイでした。
『トゥルーストーリーズ』というオースターのエッセイで、『ゴサムハンドブック NYの暮らし方について』があります。これがソフィ・カルのために書かれた、というもの。
その他にも、オースターの小説『リヴァイアサン』では、ソフィ・カルをモデルにしたマリア・ターナーというアーティストが登場します。
自分は人一倍好奇心が強く、他人のプライバシーを覗くのが大好き、と話しているそうで、そういうひとが作品を作ります。すると。
鑑賞者は自動的に共犯者となるーー というような記録も読んだことがあります。まずは、そういう覚悟で見てきました。


限局性激痛 これは医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味するそうです。
では、ソフィ・カルのどんな痛み、何の痛みか、というと。

第一室。
1984年 ソフィ・カルは日本に三か月滞在できる奨学金を得ました。が、ちょうどこの頃、長い片思いがようやく実って、これから蜜月ー! という時期で。ソフィカルは、その恋人を置いて、日本へ行くことになります。
なるべく移動して、気を紛らわせたいので直行便で日本へ来るのではなく、フランス、ロシア、中国を経由するというルートを取りーー
その移動と滞在で92日間、帰国までのカウントダウン、1日1枚の写真に、スタンプを押して展示していました。
スタンプは XX DAYS TO UNHAPPINESS と文字があって、このXXに数字が入ります。
わたし、面白がって、その写真全部、ひとことずつ記録とったんですが、これが結果としてすごく良かったです。
(なぜならソフィ・カル展、図録がなかったからです。売り切れ、在庫切れではなく「作っていない」んだそうです)

92から始まります。ずっと見ていくと、83くらいからものすごく淋しくて、このあたり、中国の景色でした。革命歌の流れる小さい駅や、車掌から見た景色、ホテルの便箋らしき用紙に書かれた中国の格言、何敬恒という人の住所らしき文字が書かれたメモなど。
すべてモノクロの写真で、赤で押されたスタンプがものすごく印象的でした。

誰かのパスポートの写真? このように赤いスタンプが押されます。

79 ソフィ・カルの後姿?
おそらく、一枚だけ見たら「あー、中国だなー、万里の長城っぽい?」くらいの感想かと思いますが、一連の流れ、何枚かの連続で、この79を見た時、あ、このさびしいのが激痛って意味なのかな、と思いました。
身が引きちぎられるようでした。

70くらいから、すごく楽しげな印象になってきました。
90→70くらいまでは、写真はモノクロでしたが、69日目くらいからカラーになったので、それもあるかもしれません。
69の写真は、和食の朝ごはんを撮ったものでした。ソフィ・カル、楽しんでる?
67 寝る前のおふとんの写真
66 おそらく起きた時のおふとんの写真
64 銀行の通帳
あと、意外なのか、どうなのか、寺社仏閣の写真が多かったです。
お地蔵様や、台形の石に布を巻いた像に、花が供えられているショットとか、おみじくもひいてたなあ。
(凶でした)

2枚一組で、残り54日。
植込みにうずくまる黒猫 残り36日。

すごく面白かった 46−44、ソフィ・カル、手相を見てもらっています。
1回目 街の手相見に見てもらう。通訳がいないためわからない。
2回目 通訳を連れて行く。見てもらう。
3回目 通訳を連れて、予約が必要な本格的占い師に見てもらう。
行動力、すごいなあ。

残り9日 若いカップルを尾行した、時間をつぶせるから〜 と書かれていました。
(どんな写真だったかは覚えていない)
あと10日くらいで帰れるけど、やっぱりまださびしい? と、思ってしまいました。
楽しそうな日本滞在の写真が何枚も続いた後でした。

尾行というと言葉が強烈ですが。
ソフィ・カルは、こういうことをふつーにします。
ある日、最初に会ったひとを尾行して、その活動を撮影するとか、拾ったアドレス帳に記されたひとを順番に訪問して、持ち主について聞く、とか。それらを記録して、作品として作り上げています。

温泉?露天風呂? 残り28日。

そして最後の一枚。ようやく、やっと、最後の一枚へ来て、ソフィカルは失恋します。
この最後の一枚が、二部への始まりとなります。

第二室
あらためて、局限性激痛がこれ? と思いました。
第二室の展示もまた、写真と文章なのですが……
ソフィ・カルは、フランスへ帰国し、その失恋、痛みと向き合うために、その苦しみ、つらさをひとに話し、また聞き手にも、人生で最も苦しい経験を話してもらい、その話を作品に仕立てます。
(聞き手、というのは、まったくの通りすがり、行きずりのひと、という…)
展示としては、上に写真が一枚、その下にソフィカルの話が白糸で刺繍された灰色の布地が配置され、その隣には同じく、上に写真が一枚、その下に聞き手の話が黒糸で刺繍されたで白い布地がありました。
ソフィ・カルの話、聞き手の話が交互に展示されていました。

ソフィ・カルの話は、最初の3−4枚くらいまでは、殆ど同じで、ひたすら
・インペリアルホテル261号室
・赤い電話
・カーペット
・肉にくいこんだ爪
この4つをキーワードとした失恋の経緯と、ソフィカルの苦悩が綴られています。
そして、聞き取った相手の『激痛』、これもまた身がねじ斬られるような痛みで。
失恋だったり、家族や恋人を亡くしたり、取り返しのつかない嘆きだったりーー
その痛みを何年も抱えたひともいれば、最近、そのつらさを経験したひともいて、2019年の今、彼、彼女たちは、どうしているんだろうなあと思ったり。

そのうち、ソフィ・カルの話の文末が変わってきます。文章自体も長々とつづっていたのが、徐々に短くなり。
ついには「それだけのこと」「これがわたしの物語だ」と言えるようになります。
灰色の布に縫われていた白い糸も、徐々に布地と同じ色合いに変わっていく、という……
そして43回目の聞き取りの時、ようやく「ばかばかしいと思えた」と書かれていて、ちょっとホッとしました。

が。

他者の痛み、それも『激痛』を媒体として、自分の痛みを癒やす、というのは、とか
あなたはそれですっきりしたかも知れないけど、聞き手はーー? とか
聞き取りをした、その後はーー とか、思わなくもない。

ただ。
ソフィ・カル、この”物語”が、どこまで本当なのか。
前述したオースターの小説『リヴァイアサン』に登場するマリア・ターナーというアーティストの話ですが。
ソフィ・カルはこれを面白がって、後年、マリア・ターナーを演じて『ダブルゲーム』という作品を作っています。
ソフィ・カル → Mターナー(フィクション) → ソフィ・カルが演じるMターナー という、ナニこの実在と虚構のマトリョーシカ。それともメビウスの輪?
失恋したのはホントかも知れない。ただ、作品にあるような『激痛』ではなくて「別れよう」「そうねー」くらいの軽いものかも知れない。
ソフィ・カルから別れを切り出したのかも知れない。もっというと、恋人の存在自体、本当じゃないかも知れない。第二部、ソフィ・カルが失恋の激痛を話し、また聞き取った相手も実在しないかも知れない。

と、このあたりまでノートブックに書いたところ、そう言えば、ソフィ・カルの講演記録のPDFがあったっけと思い、引っぱり出してきました。

ソフィ・カルの作品の特徴は、写真あるいは物的な証拠を交えながら、まことしやかにきわどく刺激的なストーリーが綴られることろにある。作品の鑑賞者は、感情移入するため、あるいはスリリングであるために、いつの間にかそこで語られるストーリーをすべて真実だと信じようとする。しかし、ソフィ・カル自身、時として観者ののぞき趣味的な欲望を見透かし、はぐらかすかのように、今まで語ってきたことが虚構であったかもしれない可能性をほのめかす。

ソフィ・カル講演記録の読み方ーーあるいは、ソフィ・カル作品における写真(近藤幸夫)

わたしは、アレだ、ソフィ・カルの手の平で共犯者になりたくないから、こう考えたいのかも知れない。あの聞き取りをしたひとたち、あの激痛、嘆きが本物で、今でもまだ痛みを抱えているのだと思いたくないから、丸ごと否定したいのかも知れない。

でも、この一枚、これだけは、ほんとうに身がよじられるように切なかったです。

おまけ1 旅ノートより

1月の旅ノート 原美術館へ行く気みちみちていました。。。
月曜日が祝日の場合、翌日火曜日が休館になるそうです。
その節は、ネットの皆様、教えて下さってありがとうございました。

おまけ2

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瑣末な抹消の書式に関する煩瑣な事項

Posted on 17 4月 2019 by

線は一本? 二本? ヘアピン型? 稲妻型? ぐるぐる型?
塗りつぶす派? 楕円形に? 四角形に? 何往復もさせて?
目玉つけて虫にしたりする抹消キャラ的なものがありますか?
修正ペンなら液体派? テープ派? マステでデコるタイプ?
訂正箇所は続けて? 罫線の上?下? 上から強引になぞる?
誤記訂正の痕跡は残すべき? それとも最初からしきり直す?
×印を使用する人のことを忘れてるぞ って思ってましたか?
訂正する場合に筆記具を 赤とか蛍光ペンとかに替えますか?
面倒なのでそのまま突っ走っていくのもありだと思いますか?
ノートに訂正が入るのが嫌な場合は鉛筆で下書きをしますか?
下書きの文を忠実になぞって書くことが苦手は人はいますか?
はい。私は苦手です。そして誤字もものすごく多いのですが、
勢いを押し留めることができないので訂正はとても乱暴です。
訂正が多いノートはそのノートの価値を貶めると思いますか?
訂正が多かろうが少なかろうが書かれた事自体が重要ですか?
なぜそんな誤記をしたのかについて自分で説明ができますか?
誤記には理由があるという考え方についてはどう思いますか?
誤記は抹消加筆によって なかったことになると思いますか?
誤記を見つけて訂正するときあなたは誤記を憎んでいますか?
誤記を消す際 誤記に敬意を表するというのはどうでしょう?
あなたの意図せぬモノの手触りを誤記から感じはしませんか?
その誤記にこそあなたのリアルが潜んでいたりはしませんか?
あなたの誤記への姿勢は他の何に対する姿勢に似ていますか?
この瑣末な抹消の書式に関する煩雑な事項をどう思いますか?

三月のマンスリー絵日記

2019年3月分


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1=0.5=2=∞=1

Posted on 16 3月 2019 by

どんなに頑張っても半分までしか分からない
だからその半分が全部だと思ってしまうけど
全部の半分を隠している幕に映る半分のこと
半分を隠さないと何にも分からないのが人間

隠れた半分に映る自分以外はみんな自分以外
自分と自分以外でこの世の半分ができている
あとの半分は自分以外の自分の半分があって
そこでは他人と他人以外の他人が映っている

半分と半分を足して一つになる計算だけれど
一つと一つを足せば二つになる計算だけれど
半分と半分を足して二つになる世界があって
一つと一つを足して一つになる世界があって

自分がいて自分以外の全てがいる世界があり
他人がいて他人以外の全てがいる世界があり
自分と他人がお互いを認めあえる世界があり
他人と自分との区別がなくなる瞬間があって

隠れた半分とそこに映る半分とが明滅しあい
明滅する半分のそれぞれに接する半分があり
その一つ一つの半分ずつとが響きあう刹那に
全ての半分が一つになり無限の一つが現れる

(存在)

おまけ マンスリー絵日記

2019年1月分
2019年2月分

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迷うことには迷いはない

Posted on 08 12月 2018 by

迷うことを迷わないで
迷うことこそ前向きだ
迷うことを悩まないで
真正面から迷えばいい

迷うことを悩むなんて
迷うことが無駄になる
迷うことを迷わないで
一心不乱に迷わなきゃ

迷うことこそが全てだ
だから次々と迷いたい
世界に迷路を見出して
どこでも遊び続けたい

堂々巡りに陥ったって
全ての道を失ったって
迷うことを諦めないで
最期まで迷い続けたい

(謳歌)

おまけ:11月のマンスリー絵日記

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生き残ろうぜ!映画に学ぼ☆アクションサスペンス編

Posted on 30 11月 2018 by

日、ポールオースターの『インヴィジブル』を読みまして。
オースター読むのって年単位ぶりくらいかもしれない。
このタイトル、『不可視』見えないもの、見ることができないもの、の通り、ものすごく物語じたいがつかめず、頼りなく、寄る辺なく。ひとつの出来事は、あるひとにとっては「あったこと」で、また別のひとにとっては「なかったこと」
そこで、オースターのいつものフレーズ「ヴァージョンAとヴァージョンB、どちらもが本当の物語なのだ」と。
良かったです。はー、次は何を読もう。
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the note of jam organ とおまけ

Posted on 07 10月 2018 by

無罫を好む五線譜さえも不要
音と音符の声と言葉の不適切
声から始まることだけが真実
頭から声を取戻すための叛乱

肺の小腸の心臓の腎臓の声や
副鼻腔の十二指腸の横隔膜の
肝臓のランゲルハンス島の声
手から声を取戻すための叛乱

第六感とはオルガンを聴く力
五臓六腑をノートにぶちまけ
フリーインプロビゼーション
頭はオルガンの共鳴箱である

(零度)

おまけ 9月のマンスリー絵日記

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「この女は多くを愛したから、その多くの罪はゆるされているのである」〜マグダラのマリア 十作品

Posted on 30 9月 2018 by

月に東京へ行ってきました。
旅のテーマは、美術館の常設展に行く、企画展へ行く、本屋さんで泊まる、ひとに会う、などなどあったんですが。
美術館の企画展も見てきました。
こちらです>> 国立新美術館『ビュールレ展』
リンク先にある少女の肖像『可愛いイレーヌ』が、チラシなどのメインに使われていて、えー、キャッチコピーが「最強の美少女(美少女にセンターとルビがふっている)』でした。
センターという言葉に賛否あったようですが、わたしはそれより「最強」の方が気になっていました。

最強の美少女。

なんだろう、イレーヌ、彼女は銀行家のお嬢さんだそうで、なので誘拐などの対策として、幼い頃から格闘技を仕込まれ、この絵が描かれた八歳の頃には、もういっぱしの格闘家として(以下略)。
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頭を使いたくないときのノート (とおまけ)

Posted on 09 9月 2018 by

何もしたくないわけじゃない
ただ頭を使いたくないだけだ
そんな気分のときの過ごし方

読書もテレビも落書きも駄目
料理も入浴も睡眠も頭が動く
最適なのは作業機械になる事

部屋の片付けや庭の草むしり
床のワックスがけに風呂磨き
そんな気力は残っちゃいない

散歩程度が妥当だと思うのだ
近所を適当にブラついてくる
頭は使わないし迷う事もない

散歩みたいなノートとは何だ
本一冊を丸写しするノートだ
何も考えず作業に没頭できる

決めごとのない写経のように
頭を空っぽにしてひたすらに
書写機械となってワープする

適度に難しい短文が連なって
書きなれない漢字が頻出する
日夏耿之介詩集がその散歩道

書き写すノートはダイスキン
惜しげなく使える値段であり
高級感を漂わすハードカバー

                          (写経)

おまけ 八月のマンスリー絵日記


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Note of the note ―ノートの調べ  p.6 横尾忠則さんのデスクダイアリー とおまけ

Posted on 05 8月 2018 by

はじめに

「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

第6回目は、横尾忠則さんのデスクダイアリーを鑑賞する。

出典

横尾忠則 日記人生1982-1995 マドラ出版(1995.6.15 初版)

1年間365日のそれぞれの日を、一番面白い年からピックアップして1冊に編む。(中略)日付は連続しているけれど、実際の日にちはつながっていないという、なんというか、10年間をアトランダムに飛び回っている感じのアイデアが、ぼくはすっかり気に入ってしまったのだ。(同書あとがき)

横尾忠則さんのこと

TADANORI YHOKOO OFFICIAL WEBSITE
http://www.tadanoriyokoo.com/

詳細はこちらをご覧いただくとして、私にとっての横尾さんは、三島由紀夫さん、寺山修司さん達と仲良しのグラフィックデザイナーであり、「Y字路シリーズ」の画家だ。

今回出典元としている本は、横尾さんがつけ続けている日記を原寸コピーしたものである。365日(+α)の日記をまるごと掲載しているわけで、私は文章を全て熟読したわけではない。
だから今回は、この日記から横尾さんの魂に触れよう、というのではなく、ただひたすら、その見た目が、圧倒的にかっこよい、日記、メモ、ノート、スクラップブックなどの手本としたいページをピックアップすることを目的としている。

1.1995/2/26:1983/2/27

デスクダイアリーは見開き二日。横尾さんは、文章、イラスト、スクラップでページを埋めていく。

2.1993/4/1-1993/4/2

旅行先では記念スタンプが必ず押され、入場券、切手なども貼りこまれる。縦書き横書きは混在し、筆文字なども自在にレイアウトされる。文章がこれらの額縁として機能し、雑多な印象はない。

3.1990/4/9-1990/4/10

サラリと描いたスケッチが、とてもいい味を醸し出す。洗練された線がぺージの白さを損なわない。

4.1992/4/11-1992/4/12

滝に関する記述が続いている。ページの半分を占める滝の絵と、文章との融合。

横尾さんの日記には、「滝」「UFO」などの記述や「名刺」「おみくじ」「占い記事」「著名人の訃報記事」などの貼りこみが頻出する。気になっていることは、なんでも綴じておくのだ。

気がついたことをちょっとメモしたり、スケッチブック代わりに絵を描いたり、何を描くかはそのときの気分次第だから書きたくない日は書かない。(同書あとがき)

5.1985/7/2-1985/7/3

大半を文章が占めた見開き。訂正や追記などを細かく見ていくと、思考を追いかけることができる。文字ばかりであるはずなのに、ページにはある種のリズムがあり、退屈を感じない。

コラム:愛用のデスクノート

小さな画像で恐縮だが、これは”the Y+Times”(「横尾忠則現代美術ニュース」)というパンフレットで、2016/8/6-11/27まで行われた「ヨコオマニアリスムvol.1」を紹介するものである。
ここに、横尾さんがずっと愛用しているのは「英国レッツ社製デスクダイアリー」との記述がある。世界で初めてダイアリーの製造・販売を開始した会社との記載あり。
株式会社平和堂 http://www.heiwado-net.co.jp/letts_hp/letts.htm

同社の現行品で、出典書のデスクノートに最も近いのは以下の製品だと思う。(訂正ご指摘承ります)

(同上リンクより)

6.1990/7/12-1990/7/13

こんな具合に、スタンプなどを押し、ホテルなどで落ち着いたところで、文章を書くのだろう。この配置、囲碁の布石を思わせる。

7.1984/8/31-1984/9/1

迸る見開き。旅先での記述。A4見開きとは思えないサイズ感で迫ってくる。

8.1989/9/8-1989/9/9

縄文。イラスト、スタンプ、入場券、切手、文章、アイデアメモなどの全部入り。それでもやはり、詰め込みすぎだとか、乱雑だという印象はない。

おわりに

ぼくの場合、ものを作るというのは、日記的な要素がとても強い。(中略)ぼくの絵は、まさに日記そのものといってもいいし、日記が作品だといってもいいんじゃないかと思っている。(同書あとがき)

私は、こういうノートが大好きで、できればこういう風にノートを埋めていきたいと思っている。横尾忠則さんのデスクダイアリー。是非真似したいノートである。

おまけ

2018年7月のマンスリー絵日記

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裸の好き

Posted on 01 7月 2018 by

記憶を棄ててでも
好奇心を守りたい
記憶を持たない頃
世界は身近だった

知ることは経験で
経験は感情だった
この三つは一体で
瑞々しく輝いてた



記憶が生じたとき
これらは分たれた
言葉の鎖によって
互いを縛り合った

かつて手にした物
かつて理解した事
失われてしまった
叡智を取り戻す旅



そんな神話は嫌だ
そんな旅は御免だ
知識に安心しない
記憶に未練はない

書き捨てるノート
鎖を抜ける大脱出
好奇心を丸出しに
ノートの前を行け

                  (直面)
おまけ:6月のマンスリー絵日記

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ノートの人格 と 4月のマンスリー絵日記

Posted on 06 5月 2018 by

本気だから躊躇わない
感情だから今しかない
真実だから茶化さない
率直だから忖度しない

思いやりには屈しない
優しくされて甘えない
他人の顔色は窺わない
体調管理だけは万全に

世界のことは判らない
見ていても刺さらない
交感は全て痛みだから
自己破壊アンド再構築



交換日記で交歓しない
日記は担保にならない
非公開のつもりで書き
全公開するという責任

感情から離れぬように
ギリギリの距離を保ち
自問自答のキスをして
記した途端に他人行儀

身を守る道具じゃない
傷つける武器じゃない
酸素が猛毒である事と
同程度には有害だろう



素直さを言い訳にせず
耐えたことに充足せず
人の為と思いあがらず
自分を褒めたりしない

そんな人になりたい?
べつになりたくない?
これはノートの話です
ノートの人格の話です

                        (尊厳)

おまけ:4月のマンスリー絵日記

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出会い頭の貼混帖 と、3月のマンスリー絵日記

Posted on 15 4月 2018 by

エイプリルフールに拵えた「似非コラージュ3点」

 

 

 

 

 

これが存外楽しく、引き続き拵えた。

 No.4「島の話」

見開きで完結するから、余ったノートを有効活用できる。

 No.5「言語・思考・現実」

なんとなく取っておいた「紙」モノを、一気に片づけられる。

 No.6「転軆」

文字でも絵でも出てこない「何か」が出てくるような気がする……

考えるな。切れ! 貼れ! そうして欲望を解放せよ。

(極薄)

おまけ:3月のマンスリー絵日記

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Note of the note ノートの調べ ―No.119 釜名見煙の純粋空想ノート

Posted on 01 4月 2018 by

はじめに

「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。

No.119として、現代芸術家 釜名見煙さん(以下敬称略)のノートを検証する。

出典


図版1.『空想技術体系便概』釜名見煙 ばんぐ出版(1969年復刻版)

釜名見煙のこと

1900年(明治33年)4月23日 愛知県土岐郡市之倉村の鉄道技師の次男として生まれる。
早稲田大学建築科に学ぶも1923年6月中退。


図版2.学生生活を過ごした四谷の朱雀荘

1923年(大正12年)9月1日関東大震災に遭遇。瓦礫の山と化した帝都に、「物質存在」の醜さを感じる。
壺井繁治の知己を得て、萩原恭次郎創刊の詩誌「赤と黒」に一時参加するも、2年を待たず「白こそが爆弾である」と宣言し決別する。図面のトレースなどで生計をたてながら、「空想技術体系全20巻」の草稿に取組む。

1924年(大正13年)『赤と黒』6月(号外)に掲載された「空想技術体系要綱」が、改造社 山本実彦の目に止まり、現代日本文学全集の「詩・評論」の巻に収録された。円本ブームにのって、多くの印税を手にした釜名見は、三重県鳥羽市の神島に「共想舎」を開設。美術工芸に勤しむ者たちと共同で自給自足生活を行いながら、1930年「空想技術体系全20巻」を脱稿する。

図版3.神島での住居

図版4.神島の共同宿舎

その後、釜名見は「媒体に囚われない相関的全感覚芸術の行使」を提唱。全国を行脚し、住民らを巻き込んでの行使を行った。受け入れられるものも、排斥されるものも、騒乱罪などで捕縛されることもあったその行使は、約5年間で、800回に及んだ。(異説あり)

1935年 福島の霊山町を通りかかったところで喀血し、山戸田の寺で養生をする。そこで、釜名見は全身を剃毛したり、薪を粉々になるまで彫ったり、書道で紙が真っ黒似なるまで筆でこすったりという奇妙な振る舞いを繰り返し、精神衰弱と診断され入院する。


図版5.病院の中庭にて

最期まで付き従った能面師の土師無明は、釜名見の入院中の様子を次のように伝えた。

「縺れ合い、絡み合う無数の”意味可能体”が表層的”意味”の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相責めぎ、相戯れる。”無名”がいままさに”有名”に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節の狭間に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ」(引用1)

1937年8月24日死去(享年37)

釜名見煙のノート

「かつて、素晴らしい才能がありながら、絵の具を作る技術がなかったばかりに埋もれて行った画家が数多く存在しました。表現されたものでしか、人は価値を判断する事ができません。それは枷です。私は、あらゆる人間が持っている空想を、絵とか音楽とか彫刻とかに束縛されることなく表現する術を明らかにしたいのです。(釜名見)」

このような原理を打ち立てた釜名見煙は、行使に際して一切の習作を残していない。自画像もサインもない芸術家、それが釜名見煙である。したがって、以下に紹介するノートは、尋常小学校~早稲田大学、そして神島における『空想技術体系』のための研究ノートに尽きている。釜名見煙の主活動である行使(釜名見ナンバーズ)については、当時の地方新聞などから探すしかない。

白磁への情熱(尋常小学校当時の研究ノート)


図版6.白磁に関する研究 尋常小学校6年生「夏の自由課題」

生まれ育った土地は陶芸がさかんな地域だった。そのなかで釜名見煙はとくに「磁器」に興味をしめし、透き通るような肌合いをもつ白磁のかけらを集めていたという。

この白への執着は「空想技術体系」収蔵の「ネイトン二世 ―純粋空想と人工純白」論に結実する。

付録「ネイトン二世(抄)」

混血王(またの名を皮剥ぎ王ネイトン二世の逸話)
「旧世紀の西大陸を白の恐怖で被い尽くした一人の王がいました。『混血王。ネイトン二世』です。彼はまたの名を「皮剥ぎ王」といいました。ネイトン二世は確かに王族の血を引いていたのですが、どういうわけか、鳶色の肌で産まれてきました。その為に、後継者争いは熾烈をきわめることとなりました。幼い頃、自分の肌の色から骨肉の争いを引き起こしたのだとのトラウマは、ネイトン二世に過剰なまでの白色愛好癖を植え付けたのです。
白色の優位性を成文化した最初の王として、現在彼の名は歴史から黙殺されています。彼は白のために紡績、鉱工業、遺伝子学、医学、なめし工芸、博物学、芸術、特に絵画などの分野を厚く保護しました。しかし、本質的には恐怖政治だったといわれています。純粋な白を作ることが王の最大の命令であり、失敗には死を与えられたのです。それぞれの分野で様々な白が発見、生成され、その純度で等級が決定しました。医学の分野ではアルビノ種の研究、肌の漂白技術などが研究されました。もちろん、当時が第一次産業革命期に重なったことは、研究者や職工にとっては、ある意味で、幸せだったといえるでしょう。そんな中で、白でなくてはならないのに、白が作り出せない一つの分野がありました。
王は、自分の身の回りを全て白で統一していました。自分の肌を隠すために、白い肌を持つ娘の皮を剥ぎ、衣服を作らせたという伝説もあります。全国から集められたえり抜きの美女、特に肌の美しい女たちと七日七夜に及ぶ宴を催し、娘達の中で酔いつぶれた者から順番に、生きながら皮を剥ぐのです。阿鼻叫喚が宴をいよいよ盛り上げて行き、白色大理石の鉱脈を磨きぬいて作られた地下室からは、血が溢れたといわれています。最高のなめし職人が皮をなめし、染みぬき、さらに漂白を施した人皮の衣類は、王の身体にあわせたまま縫い合わされていたといいます。
それほどまでに白に執着した王が、歯がゆくてならなかったのが、「磁器」だったのです。
現在の白磁が、ボーンチャイナと言い習わされている事はご存知でしょう。東の果てから、シルクロードを通って塩と共に交易されはじめたのが、この冷ややかな白い肌を持った白磁器でした。王はこの技術を盗み出そうと、密偵を送りこみ、さらに軍勢をしかけようとした程でした。しかし、隣国のストラビヌが、その外交手腕によってまんまとこの技術を輸入することに成功してしまったのです。ネイトン二世は、使者を遣わしてこの技術を手に入れようと試みました。しかし、ストラビヌはチャイナとの条約によって、『門外不出』を遵守し続けたのです。大陸において薄く硬質な白い肌は一大ブームとなりました。ネイトン二世は、諦めて、ストラビヌからの輸入で、欲望を満たせたでしょうか?
王は、白馬に乗り、白い羽飾りをつけた甲冑に身を固めて、ストラビヌへ進攻したのです。王の肌はいかなる矢をも貫けないように加工を施された乙女の皮を纏っていたのです。五千からなる白馬の進攻。それは無謀な行軍でした。ストラビヌの首都までの辺境地帯には自然の要塞、ヌトラカン砂漠が横たわっているのです。ストラビヌ軍は、砂に潜んでそれを迎え撃ちました。激しい日差しの下でも、夜間でも、『白』は砂中艦からの格好の的となりました。王は、戦に望んでなお、白を捨てられなかったのです。迷彩を施したストラビヌの兵士達は、囲いの中の白色レグホンを捻るよりも容易く、王の軍を殲滅できたでしょう。王の甲冑は砕け、人皮は日に焼かれ、防護機能が停止していました。ネイトン二世は、このヌトラカン砂漠の中ほどで、全身を陽に焼かれ、褐色の塩に被われて息絶えたといわれています。今でもその塩の柱を見ることができるそうです。」

大学時代の雑録帳

建築設計を学ぶかたわら、釜名見煙は「雑録帳」とよばれるスクラップブックを作成している。学び始めたドイツ語を駆使して、自由奔放なイメージをコラージュしたものだ。


図版7.scrap 01. 永遠


図版8.scrap 02. 凝視

図版9.scrap 3. 女たち

空想技術体系の研究ノート

全20巻索引1巻からなる『空想技術体系』は、1930年に発表された。羊皮紙に手彩色図版が添付され、限定13部。セット毎にナンバリングが施されている。釜名見の行使を「釜名見ナンバーズ」と呼ぶのは、このナンバリングのなごりだ。


図版10. art and magic

「体系」は、「第一巻 空想技術を紹介する」から始まり、最終巻「空想技術集団宣言」に至る間に、古今の文献や、芸術界、文芸界、音楽界、思想哲学界、宗教界、そして科学技術界、医学界までを包括し、空想技術を明晰に確立させ、既にありながらそれと意識されることなく無為に浪費されている空想技術に明確な構造を与えた、非常に難解な大著である。


図版11. 南方熊楠往復書簡まとめ

釜名見は南方の粘菌研究について、「物から存在へと突き抜けると「物質」とは存在の属性の一つであるということがわかる」と感心していたという。

図版12. 曼荼羅

釜名見煙は人間の欲望、煩悩と密接に関わりながら空想の純粋さについて論じる。宗教・科学を疎外的空想技術と見做しつつ各派がどの程度純粋空想を保持しているのかを研究した後、精神異常と空想、夢と空想、先端科学と空想、天才と空想など、あらゆる二項対比を行い、そのいづれもが純粋空想を堕落に導いたのだという事を論証しようとしている。


図版13.脳と記憶

空想はどこから生じるのか? 釜名見煙は哲学的方面のみならず、科学的見地からの検討を最重要とした。


図版14. 脳細胞スケッチ

「空想とは、それ自体が非常に掴みにくいものだ。したがって、様々な述語によって規定され、撤廃され、また確定され、廃止されるといった馬鹿げたことが繰り返されている。空想、想像、妄想、虚妄、空言、嘘、夢だとか、幻想だとか、様々な述語が用いられ、そのいづれもが少しずつ重なりながらも、別々の意味を表すという複雑な状況となった。しかし、これらは皆、同一の現象なのだ。では、何故このような区別をされなくてはならなかったのか。それは、この現象が引き起こす二次的な要素、またはその現象がみられる場所、時間などによる規定の仕方に過ぎない。(釜名見)」


図版15.重力

釜名見煙は、純粋空想そのものを説明するのではなく、反対概念を糾弾することで純粋空想を浮き彫りにしようとする。純粋空想は言語による規定をも否定するためだ。

釜名見煙の芸術は、常に価値観の破壊をテーゼとし、それは最新の科学的知識、先端技術によって表現されてきた。第一作とされるエンサイクロペディアの発表は、知の破壊と再生を体言したいわば脱現代宣言だった。

おわりに

「その後発表された釜名見ナンバーズと呼ばれている一連の作品は、全て、見るものを二分してきました。すなわち、心酔する者と、嫌悪する者とに、です。釜名見は、時として駄々っ子のように現在の風潮や、大義をひっくり返そうと試みてきましたし、そのようにして成し遂げられた作品は、無視することを許さないリアリティを獲得していました。釜名見は現代美術最後の巨匠として、時代の推進力となり、かつ、時代の破壊神として君臨し続けていました。煙の凄さは、こうした状況をすべて、処女作品の「空想技術体系」で予言していたということです。今、この著作は散逸しており、この点については釜名見神話として語られているだけです。時代に対するアンチテーゼが釜名見の製作動機だったことは、いうまでもありません。ですから、自身が時代を造り出してしまっているというジレンマを解決するためには、釜名見は、つかみ取った地位を捨て去らねばならなかったのです。釜名見にとって時代はあまりにも軽く、むなしい物に見えたことでしょう。」(『季刊 几螺果巳』1969年12月「蘇る釜名見煙」号)

釜名見煙という芸術家は、埋もれていました。

死後30年余りたった1964年。ハイレッド・センターの赤瀬川原平らによって、釜名見煙は、ハプニング、アクション、イベント、といった芸術行動として再評価され、「訪問詩劇」、「回覧彫刻」など、寺山修司らによる天上桟敷の活動にも多大なる影響を与えることとなります。

しかし、彼が解放したかった「純粋空想」は未だ、いやますます物質文明に縛り付けられているように感じるのです。

「この世界の全てが、空想を堕落させている」釜名見煙

以上

※052. ノートブックに○○を貼ってみる
※119. さて、エイプリルフールがやってきます。今年もエイプリルフール的記事を楽しみにしています★

使用図版及び引用出典

図版1.斎藤清『凝視』 1962年(昭和37)に文字を合成

図版2.朱雀荘(四谷)「写真集失われた帝都東京」 柏書房 1991.1.10. p.333

図版3.M邸外観(原宿) 「同上」p.277

図版4.同潤会青山アパート 「同上」p.323

図版5.宝塚大劇場庭園 「同上」p.58

図版6.磁器について 「私物」

図版7.8.9. scrap「今回のために作成」

図版10.-15. 「私物」

引用1『井筒俊彦』河出書房新社 p.62よ「言い難く豊かな沙漠の人」日野啓三より(『文化と言語アラヤ識』「意味の深みへ」井筒俊彦著 を抜粋)

ネイトン二世(抄)創作

(万愚)

 

 

 

 

 

 

 

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秘伝の書 (おまけ:二月のマンスリー絵日記)

Posted on 04 3月 2018 by

言葉は意味しか伝えられない 意味は非意味のごくごく一部
意味は言葉にはこだわらない 深い谷間をくねくね進む小路
意味は世界に秩序をもたらす 論理は非論理のわずかな隙間
世界は意味に狭められている 深い流れをそっと渡る飛び石



言葉は意味を欲しがりすぎる 意味を裏打ちした言葉なんて
みんな意味を頼りにしすぎる ごわごわしてて身に沿わない
意味だけが意味を求めてくる その隙間を見ないふりせずに
意味を言葉で欲しがりすぎる 白刃をこじ入れて引き剝がせ

意味と言葉を三枚におろして こんなんじゃ何も解からない
言葉と思いを三枚におろして 秘伝書なんてそういうものさ
包丁で粘りが出るまで叩いて 肝心なことは文章ではなくて
中骨は出汁とるから保存して その人が体得した奥義だから



意味も言葉も奥義からは遠い 見ているときには見てなくて
秘伝の書とは奥義の象徴詩だ 見てないときには見ている物
解かったなら解かってないし 見ていると思っていない物は
解かってないならまだまだだ 見えてはいるけど見ていない

                        (沢庵)

おまけ:二月のマンスリー絵日記

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「私たちの心が感じることは、私たちの力がおよぶことではありません」〜美術展行ってきました 2017年ざっくりまとめ

Posted on 02 3月 2018 by

ートを書いていて、厚くなり、重くなるのはフツーなんですが。
どうだろう、買った時点で、もう「重い」文具ってなんだろう。
より「軽く」より「軽量に」というのは、セールスポイントのひとつですが。
逆、まだ書いていない、使ってない時点で「これは重い」というような文具。墨?紙?
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旅先のToday’s TRAVELER’S Notebook/2017春の陣

Posted on 02 3月 2018 by

今年もちょっくら、(仕事も兼ねて)旅をしていた。

鹿と戯れていた@飛火野。
といっても、飛火野で活動してた鹿は1,2頭だけ。街にはわんさかいたのに。。。

さて、マイトラ撮り。
この風景の枠内に、トラベラーズノートを置いてみるだけの簡単な撮影。

地面の色がパックリ分かれていて、ごちゃついてしまった。
場所を移動しよう。

地面問題は解決できた。
けれども、トラベラーズノートと鹿の距離がなぁ……もっと近づきたい!

鹿に近づいて、トラベラーズノートを置く。
構図どうしよう。鹿、いい場所に来ないかな。

きたきた、鹿。
一歩…………、二歩……、三歩…、四歩、五歩六歩以下略

みるみるうちに、近づく鹿。
こちらが求めていないレベルのスピードで迫り来る……。
(もう来なくて、いいんだよ。いいんだってば)

これ、2秒後危険な予感しかない。
トラベラーズノート、ピーーーンチ!!!

おそらく、貴方の予想通りである。

鹿、トラベラーズノートを噛んだ。
噛んだトラベラーズノート、ぶんぶん振り回してた。

……ごめん、鹿。
それ、食べられないんだよ。

トラベラーズノートを取り戻すのに必死で、その瞬間の写真は1枚もない。
動物を入れたToday’s TRAVELER’S notebook写真撮影修行は、まだまだ続く。

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夢を実らせる万年筆『récolte レコルト』先行お披露目イベントを写真で振り返る

Posted on 19 2月 2018 by

文房具関連の著書を数多く執筆しているフリーアナウンサー・堤信子さんが、
万年筆『récolte レコルト』をプロデュース。
2016年11月、運良く先行お披露目イベントに行くことができた。

『récolte レコルト』とは、フランス語で「実り」という意味。
夢を綴り、夢を実らせるという意味を込めて、この名前がつけられたそう。

細部にまで堤さんのこだわりが詰まった『récolte レコルト』は、
いつまでも眺めていたくなる美しさだった。

全3種類の字幅(細字、中字、特太)の試筆もできると言われていて、もちろん試筆もしたけれど、
きれいに写真に収めたい衝動のほうが強くて、試筆より撮影に熱心になっていた。。。

以下、写真で振り返る『récolte レコルト』先行お披露目イベント。

木箱の中に入ったレコルトを開封する。
レコルトと一緒に、インク瓶と「~ザ・プレミアム・モルト~ マスターズドリーム」2本。
えっ、ビールも!?

堤さん、曰く。
「他にないまろやかな味わいのマスターズドリームと、手紙に想いをのせるときに使う万年筆は、
『贈りもの』というキーワードで結びつくのではと感じた」とのこと。

このアイデアが元になって、
三越伊勢丹「百年百貨」 × サントリー「~ザ・プレミアム・モルト~ マスターズドリーム」の
コラボ万年筆が実現した、という経緯。

コラボレートした三越伊勢丹もサントリーも、
「ビールと万年筆」を組み合わせた販売は初の試みだったとか。
(この2社以外でも、ビールと万年筆を組み合わせた販売はしていないのでは……)

「ビールと万年筆」という斬新な組み合わせをひとつにまとめ上げる木箱は、オーダーメイド品。
木箱には、レコルトの絵とロゴのみが直接印字されている。

一番下が万年筆と筆記線の組み合わせになっているのは、
筆記線上に名前を書いて、自分だけの大切な箱として使えるようにするため。
マスターズドリームを飲み終えたら、空いたスペースに文具や大切な小物を入れる宝箱として
いつまでもいつまでも、手元に置いておける。

堤さんの書籍『旅鞄いっぱいの〜』シリーズに、
コラージュ素材に使えるくらいお洒落なページが潜んでいることをふと思い出した。
素敵なデザインのパッケージを見つけるのも好きだという堤さんならではの、洗練された木箱である。

さて、ようやく万年筆を手に取ってみる(木箱にテンションがあがりすぎた……想定外)
レコルトは、プラチナ万年筆の「#3776 センチュリー」をベースにしてつくられている。

軸色は、マスターズドリームをイメージした琥珀色のグラデーション。
きめ細やかなラメが、会場のほのかな明かりに照らされて上品にきらめく。

まるで宝飾品のような、華のある万年筆。
遠目から見てもきらめきを放っていたのには、本当に驚いた。

クリップ部分の回り止め(机上で万年筆が転がるのを防ぐ飾り)は、
トップを目指す、新しい挑戦、1世紀続くモノづくりの想いを込めた「1」に、
実りや豊穣を象徴する「麦の穂とホップ」が絡む特注デザイン。

夢を綴り、夢を実らせる。
レコルトという言葉を集約させた回り止めになっている。

インクは「実り」をイメージした琥珀色。
開封前のボトルは蓋の上部までラベルが伸びているが、こちらは試筆用に開封したもの。
ラベルは、堤さんがヨーロッパのインクをイメージしてつくったのだとか。

ラベルに描かれているペン先は、14金でできたレコルトのペン先と同じ。
麦とホップがここにも、ひっそり。

細字(F)と、特太(C)の試筆比較。
筆記時の力の入り具合がインクの濃淡にはっきり現れる特太は、参加者人気が高いようだった。
細字と中字(M)は、特太に比べるとインクの濃淡が一定に保たれている。


レコルトに入っているカード。
パリのカフェをイメージしたというフォントそれ自体が、万年筆を引き立てる額のように並ぶ。

レコルトは、2016/11/23(水祝)から伊勢丹新宿店と三越伊勢丹オンラインストアにて先行販売。
現在は完売しています。

【参考】
三越伊勢丹ホールディングス プレスリリース
三越伊勢丹「百年百貨」×サントリー「~ザ・プレミアム・モルツ~ マスターズドリーム」
初のコラボ万年筆『récolte レコルト』伊勢丹新宿店、三越伊勢丹オンラインストアにて先行販売
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000328.000008372.html

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