
おおよそ10年を要し単独飛行まで辿り着いた(途中、一旦は挫折した)。自動車教習で例えるのであれば、初めての路上講習を終えただけなのだけれど、私にとっては十分な釣果だ。ノートブックに記された、単独飛行を終えたことを証明する教官署名を目にするたび、私は少し誇らしい気持ちになる。
Posted on 20 5月 2023 by lemonade_air
おおよそ10年を要し単独飛行まで辿り着いた(途中、一旦は挫折した)。自動車教習で例えるのであれば、初めての路上講習を終えただけなのだけれど、私にとっては十分な釣果だ。ノートブックに記された、単独飛行を終えたことを証明する教官署名を目にするたび、私は少し誇らしい気持ちになる。
Posted on 02 11月 2021 by konama
お久しぶりのkonamaです。
最近、仕事以外のインプットが少なくなって、ちょっと味気ない気分を味わっております。
この場合のインプットとは、ちびちびと大事に読みたくなるような本を読むとか、知らない国の映画を見るとか、仕事帰りに思いつきで美術館によったり、食べたことのない料理を食べてみるとかそんなものです。
いつもなら、旅にでること(出張も含めて)でこの欠乏は部分的に回復できるのですが、そのほとんどが中止かオンラインに置き換えられて、歯の治療のあとに麻酔がのこっている状態みたいな気分がつづいています。
とはいえ、本が読めないというのは自分の調子のバロメーターでもあり、ネオフォビア的な自分の行動(新しいものより、安心の知っている定番を選ぶ)への苛立ちもあり、なんとかせねばなあと思っていました。
実は今年の職場の健康診断では2.0と1.5と言われたのです(若い頃は矯正のためにメガネをかけていたけど、現在は裸眼)。まあさすがにそんなに見えてるとはおもわないんだけど、老眼鏡をすすめられたとき、え、まだいいかなあと思って。仕事での読書は何とかなっているので、おそらく物語に没入する集中力が欠けているのだろうと。
でも、そういえば最近細かい作業がちゃんと見えてないなあ(経験とこころの眼で作業)、この間なんて画数の多い漢字を手先が見えにくいから適当にぐしゃって書いた気がする……という証拠が積み上がって、観念して作ってきました。
眼鏡屋さんの店員さんと色々話してみた結果、老眼としてはまだ初期だけど乱視が進んでいるから手元作業には軽い度数の老眼鏡+乱視矯正がよかろうと、新しいメガネを手に入れました。ふんふん、それなりに新しいギアには気分があがるものです。
そして、使ってみているわけですが、これは良く見え~る。ちょっとメガネの視線の先だけ世界が拡張してるみたいですけど。視界がクリアになった分本の読み方が元に戻ったきがします。たぶんぱっと見たときにフォーカスがあうエリアが大分減ってたんでしょうね。まだまだ積ん読の消化は進みませんが、読書やノートを細字の万年筆でびっちり書くとかそいういう楽しみは徐々に戻って来つつある感触があります。
しかし、上の写真でも写っている訳ですが、昭和の新潮文庫の字のサイズと、現在のものを比べるとなんと甘やかされていることか。むしろこれを良く読んでたなあとしみじみと見てしまいました。小さい字の細部をごまかしてかいているのも味だと思えば……と思いたかったのですが、新しいメガネをかけて見直して悲鳴をあげています。
Posted on 17 11月 2020 by lemonade_air
昼間は食べるために文章を書き、夜は自分のために文章を整理する生活を最近は送っている。来春に向け小さな同人誌を作り始めたのだ。週に1〜2度、出来上がった”Nightly build”をUSBメディアへ転送し、コンビニまで足を運びそれをプリントする。先ほどまでディスプレイに表示されていた文字が紙となって現れると、それだけで何かを成し遂げたような多幸感がある。
Posted on 15 7月 2020 by ピース・メーカー
2020年7月7日、日本平動物園の、フタバ君とオリヒメさんの間に赤ちゃんが生まれました! めでたいめでたいめでたい。詳細は後日発表があるとのことです。とにかく、丈夫に無事にスクスク育ってほしいです。フタバ君もオリヒメさんも、ますます元気に長生きしてほしいです。また、会いにいきます。
https://www.nhdzoo.jp/news/naka.php?id=1493&p=4
以上、獏部歓喜のご報告でした。
では、
以下の記事は、『俳句の世界』小西甚一さん著、のごく一部に関する感想と、別のブログに書いた過去記事とをミックスしたものです。
子規の本意は客観的世界の尊重にあったわけですが、子規と言えどもそれが何時の間にか事実の尊重と置き換えられて、あのような愚作が詠まれたに違いない(…)言わば創作の一つの安易な手段として写生が考えられているのです。物干竿を見ていたら一匹の蝶が飛んできた。そこで一句が出来るという具合であります。これを手帳俳句と言います。「それは事実だった」―それが手帳俳句の考えであります。
前掲書 p.197
だが作品はあくまでも一つの完結した世界であって、偶然経験した事実の破片が言葉の上に移されただけでは、やはり断片は断片で、それだけでは完結性は与えられていないのです。
という具合です。これは、piecesmaker1という名前で、写生を信奉する私に対する批判ですね!
こうした、いわゆる「(反写生派の主張する)いわゆる写生」によって作られた断片の寄せ集めを「タダゴト句」とよび、上っ面な、表層的な、真実に到達していない上滑りな、たんなるLogでしかないもので、なんでこんなものをわざわざ句にするのか、と、萩原朔太郎さんも疑問を呈していました。
何のために、何の意味で、あんな無味平淡なタダゴトの詩を作るのか。作者にとって、それが何の詩情に価するかといふことが、いくら考えても疑問であった。所がこの病気の間、初めて漸くそれが解った。(中略)退屈もそれの境地に安住すれば快楽であり、却って詩興の原因でさへあるといふことを、私は子規によって考えへさせられた。
萩原朔太郎『病床からの一発見』より
作者の小西さんは『俳句は作品でありそれは「完結性」をもたねばならない』としています。
ですが俳句という短い詩形が「完結性」を持つためには、どうしても「読者」による補完が要請されます。(これはどんな形式の作品でも同じでしょうが、とくに俳句は補完に頼る度合いが大きくなります)句作者の「本意」をおもんぱかるためには、句のみでなくその句作者の人生と句が作られた状況をもかんがみ、読み手としての願望も少し交えながら最大限のそんたくをせねばなりません。その機構が「結社」です。
(以下は過去ブログの採録です)
俳句は連歌の発句であることを止めたとき、現実に対する一個人の批評となり、絶対に物語を構成しない、権威主義を離れた「自在」なものとなったと思う。
とことんまで、「個」と「世界」とを突き詰めたところに結晶する十七文字。それこそが俳句であり、そこにこそ、「普遍」が現われるはずだった。
だが、この十七文字という極端に短い詩形であることが、俳句の読者に、自動的に「補完」を強いてしまう。いや、むしろ、それを期待しているのが俳句である。
だが、それはあるあるネタの同感などという共同体を強化するタイプの補完ではなかったはずだ。
全てを言い表すのではなく、そこに切れ目をいれておくこと。その切れ目は、読者が想定してない切れ目であり、そこから垣間見える「本質」または、そこから垣間見られる眼差しなど、に「ぎょっとさせられる」体験こそが「補完」されべきなのであるが、一般的には補完する際、「共同体」を「シイタケ駒」のように呼び込んでしまう。
しいたけ俳句
そして気が付けば、「俳句」の内部は「共同体」の菌糸でねとねとになってしまうのだ。こうなると、あとは放っておいても、同じDNAによる「シイタケ俳句」が雨後のタケノコのようにビラビラと生えてくる。それが結社である。
つまり、「個」は「共同体」という「類」にとって変わられてしまうのだ。
それは、「個」の拡大ではない。
「類」において、「個」は「類的本質」という「物語」として均質化された上、アンタッチャブル化されてしまう。
それこそが「一般」と呼ばれるものであり、そのように解釈されてしまった「上手な句」こそが一般のなかの一般の、まさしく「タダゴト俳句」であり「月並み俳句」と呼ばれるべきだ。
この場合、世界とは「一結社」にすぎない。その中で上手と認められたものが「特別な俳句」としてもてはやされ、特別な俳句が作れる特別な人がカリスマとして、崇めたてまつられるのだ。
しいたけ結社からしいたけ国家へ
大勢の一般市民が、カリスマ的指導者を崇拝し、それぞれのISMをもって、争っている。俳句は国家の内部に小さな国家を形成する。そして他を外部とみなし、外部からの干渉を嫌い互いに地上でも地下でも、争いあう。
俳句の歴史は「芸術たらん」とする俳人たちの苦闘の歴史でもあったようです。とくに結社を維持運営する上ではそういった格式は必要なのでしょうが、そういったモノに、とことん無関心な「手帳派」としては、徹底的に「事実の断片」をコレクションしていければそれでいい、という考えです。こっちには、俳句に貢献したいという熱意もなければ、俳句のために生きる義務もなく、ただ、自分の今ある「この(一つの)世界」にのみ関心があるわけですから。
Notebookersは、Logを尊重します。愚鈍なまでに「写生的(主観的=客観的)事実」を尊重します。凡庸な私が、五・七・五の制限のなかで、「悟りを記そう」(俳句の完全性が「悟り」だということは、長くなるので書きません)などと考えるなど、おこがましい限りです。
だって真理は自然の表層に常に顕れており、それは因果を離れて縁起しあっているのですから、二物衝撃とかなんとか頭をひねったところで不純になるばかりです。
日常の中の、「下手な考えより奇なる現実に」あふれるありふれた事を、因果や説明が不可能な、五・七・五に記録することが、手帳派の写生俳句だと思います。
(再び別のブログから)
非常にシンプルなルールに則っていながら、無数の亜流を生み出し、大同小異の小異にのみアイデンティティーを見出して、大同を認めない。同じ一つの国にあって、それぞれの切り口は全く異なっているため、そもそも同じ一つの国などという事実ですら認められない。この差別主義は人間性にも及ぶ。
丸い地球も切りようで四角
俳句はあらゆる場面を切断することができる。その際、球体がその切断の仕方によって、無数の断面を形成するように、世界は一つではなくなる。というより、われわれは存在論的に、世界を分断しなければ認識できないのだ。それは『分断以前の一』のあることの証明でもなく、『多様性』の証明とするでもなく、「上手」「下手」、「特別」「タダゴト」、「本物」と「偽者」、「深い」「浅い」、「分ってる」「分ってない」というに差別に利用する姿勢がしみついてしまっている。
句会
句会はいい。さまざまな句を読むことはいい。その句読んだ感想を言い合うのもいい。互いの「個」をもって自らの在る世界を鑑賞しあい、自分のそれとの差異を、無責任に楽しめるのであれば。何かを変えようとか、何かになろうとかしないのならば。ただ、自分にとっての社会と自分とのスタンスの差を感じ、その差異を「広さ」と感じることができるのであれば。
つまらない素人としての私
そして、そのような「拘束された自由」を育む結社とは全く無縁に俳句を詠む私は、何の影響力ももたぬ有象無象である。私はそのように俳句を詠む。
そして、そこにしかアナーキズムはありえない。
団結は不用だ。
アナーキズム運動は、運動であるべきではない。それは、組織されてはならない。
同胞の支援は不要だ。
支援を受けるなら、それぞれの抗う相手から支援を取り付けるべきである。
暴力は不要だ。
アナーキズムは好戦的である必要はない。暴力は古い物語としてかならず「しいたけ国家」を産む。
敵は不要だ。
多様性が認められなければ、選別と排除の理論が「王」を産むだろう。
アナーキズムはグラバカだ。
アナーキズムの美しさは、K-1的ではなく、グラバカにある。互いに離れたところから単発的に相手と対話を交わす関係ではない。
相手とぐずぐずに溶け合って一つになる。巻き込み巻き込まれた一体化の果てに各々の「個」を確立することこそが、アナーキズムの姿勢である。
アナーキズムは不用だ。
それを名づけてはいけない。名指してはいけない。旗印としてはいけない。指導者をもってはいけない。バイブルを携えてはいけない。
アナーキズムはもう、あなたの心のなかにある。その心の中にあるものを実現すべく、自らの居場所で、自らの周辺にある自らの事実を、愚直に書き留めること。
声に出す必要もない。作品など書かなくてもいい。
信じることを行うこと。
認められることに意味は無い。アナーキズム活動歴何年とか、アナーキズム活動実績は、とか、関係ない。それで飯を食おうとするな。もはや、それはアナーキズムでない。よりどころを求めるな。アナーキズムは常に流浪するものなのだ。
途中に、なかなか勇ましい部分を挿入してみましたが、
「せっかく作ったタダゴト俳句を上手に散文に戻して感想文を書かれてしまった(泣)」という、トホホさ加減が少しでも伝われば幸いです。(嘘)
俳句っぽい俳句というものは確実にあって、俳句っぽい俳句を作る方法は巷に溢れていますけれども、世界をその俳句の文法で切り取ろう、というのは本末転倒なのではないかとも思います。重要なのは、慣れ親しんだ因果関係による思考を離れることに尽きます。
ところで、短歌は、因果を入れることが十分に可能な形式なのですが、現代短歌は、上句と下句を別々に作っておいて、現代短歌っぽい組み合わせをランダムに拾うというような作り方で、遅れてきたシュールレアリズム短歌を量産しているようです。その脈絡のなさそうでありそうでなさそうでありそうな感じに「俳句的」な余韻を持たせようという風にも思われます。
昭和のころから「短歌が俳句的になり、俳句が短歌的になっている」との指摘はなされてきたようですが、手帳派なので、どーでもいーです。
五・七・五にはまればそれで、七・七があったほうがよければそれで。散文を否定するものでもありません。
日常の「感じ」を書き留められればそれでよいので、スケッチだって除外しないし、写真だってかまわないです。
手帳派は偶然に遭遇した事実の断片の「美しさ」を思わずLogに残してしまい勝ちなだけの、個人なのです。
(こちらも過去のブログからの転載です)
時雨るゝや海と空とのあはひより
馬子一人夕日に帰る枯野哉
ぬぎすてた下駄に霜あり冬の月
散る花のうしろに動く風見哉
夕立にうたるる鯉のかしらかな
門を出て十歩に秋の海広し
夕顔や裏口のぞく僧一人
涼しさや石燈籠の穴も海
夕風や白薔薇の花皆動く
秋風や道に横たふ蛇のから
一列に十本ばかりゆりの花
フランスの一輪ざしや冬の薔薇
鷄頭の十四五本もありぬべし
Posted on 14 2月 2020 by neokix
こんにちは、neokixです。
ずいぶん昔になりますが、私は壁一面の本棚を捨て去り、もう本は買わないぞ、本は図書館で借りるぞ!と無謀なことを考えました。そのころちょうどミニマリストが自分の中でブームになっていて(今もそれなりにブームですが)、もう私はミニマルに生きるんだ!と思っていたわけです。職業柄そんなことをできるはずもないのに、です。その際、大量の本を裁断し、スキャンしました。その時はちょうど、僕には時間がたくさんあったのです。
しかしまあ本というものは不思議なもので、やはり増えるわけです。増殖する。そして、隠れたところから出てきたりもする。そんな折に、ちょっと引越しをすることになったこともあって、また裁断の日々がはじまったわけです。
手順としては簡単です。まず、本を選びます。そして、OLFAのロータリーカッターと、アルミニウム製の定規と、これまたOLFAのカッターマット(A4)を使って、本の背表紙部分を取り去ります。そして、Brotherのやっすいドキュメントスキャナにそれをぶち込むわけです。(このコンボは非常にお勧めです)
しかし、本の選定もなかなか難しいものがあります。もちろん、もう読まない、いらないという本については、ある程度の失望感なんかがありますので、捨てるとか、ブック・オフに売りに行くとか、そういうことができます。それは容易。
しかし、絶版の研究書などはさすがに裁断できません。保存するなら裁断でしょ、という向きもあるかもしれませんが、それはそれ、これはこれです。
一方で、教科書なんかはすぐ裁断できます。あと、古典的な研究書や、私的に時期が過ぎたもの、再購入が可能な小説もたいていは裁断できます。シュッツとか、ジンメルとか、村上春樹とか、そのあたり。フーコーなんかももう容赦なく裁断してスキャンされます。ヴィトゲンシュタイン先生には、もう少しお付き合いいただくので、ステイです。
そうこうしているうちに、どんどんと今度は、裁断された哀れな本の残骸の紙の束ができてきます。これもまた、紐でくくる必要があります。そうすると、どんどん哀れな元・本たちがたまっていく。それを見ていると、あぁ、残念だな、悲しいな、となるわけです。罪悪感すら感じるわけです。こんなことなら、私の元に来なければよかったんじゃないか、とかそういう風にすら思うわけです。
これまたノートもたまっています。たぶんまるまる燃やしてしまっても困ることはないのでしょうけれど(自分ノートを読み返すことはごくまれにありますが、ごくまれですので)、それでもやはり場所は取ります。たぶん30冊ぐらいのノートはあるんじゃないかな、と推察します(連番をつけるべきですね)。
そういう具合で、本を切り刻んで01000100100にしても、ノートを横目に睨んでも、どう頑張っても引っ越しというのは大変なものです。この時期、引っ越しで悩んでいる方も多いでしょうなぁ、とそんな人々に想いを馳せます。スキャナが一定のリズムを刻んで、どんどんとインクの染みをせっせと 0100010101101に置き換えていきます。
いったい私はどこで、道を誤ってしまったのでしょうか。
Posted on 08 12月 2019 by neokix
大き目の論文の執筆のために,ありとあらゆるデータをパソコンに落とし込む日々であった.もう2年ぐらい何も書いていないかもしれない.お久しぶりです.
ノートに書き込むことがめっきり減り,もっぱら思考はスマホのメモアプリに書き込まれ,アップロードされ,同期され,コピーされ,その後編集されて,私が何をもともと考えていたのかが分からなくなるまでに改変されてしまった.
ノートのページ間の日付はどんどん伸び,1か月以上何も書かない日もあった.その間,私はもくもくとキーボードに触れ,スマホに打ち,話しかけ,それは同期され···という感じの日々.同期されたのは文字情報だけではない.パソコンとスマホで,私が二人いるかのようだ.私はもう一人の私に考えるのを任せて,そのもう一人の私は,もう一人の私に考えるのを任せている.同期というのは真剣さを無くしてしまう.
大き目の論文!たいそうな名前だが,本当は読書感想文と変わらない.私は何も発見しない.世界の見方が,個人的に少しだけ変わるだけである.木箱に乗って少し展望が出てくる,そういう具合のものである.
それでも,3か月に一度ぐらいはNotebookersを覗いていました.そのままの人もいるし,いなくなった人もいる.帰ってきた人もいるかもしれない.私は帰ってこられるだろうか,と思い,タブを閉じる.ちょっとした羨みや妬みを感じて,それを持つ自分を嫌悪する.
ここに下書きを書いたこともある.でも,なにも書くことがない.なぜなら,何も書いていないから,考えていないからである.ノートは空白だからである.そこには何の考えもないし,考えは物質化されていないし,空虚である.010010001011010010というぐあいのデータしかない.同期されていて,それは思考ではない.
私はノートに何も書かなかったから,本当に薄っぺらい人間になってしまった.同期されたら便利だけれど,考えることはそもそも便利である必要はない.これから,また少しずつ,何かしらについて考えていきたい.
※写真は大阪府箕面市資本主義化された勝尾寺にて.
Posted on 17 6月 2019 by lemonade_air
校区の外れにある実家と小学校の間には一本の川が横切っていてた。両親は幼い私を心配し通学以外での川越えを禁じていた。当時、私の友人の多くは川向こうに住んでいた。川を越えられない私は帰宅後多くの時間を一人で過ごすこととなった。この状態は単純に放課後の生活だけではなく、学校生活でも私を過酷な状況に置いた。
「今日ゲームやるから遊びに来いよ」
「いや、川を越えて遊びに行けないんだ」
「なんだよ、意味わかんないよ」
変化は小さな気付きからだった。あるとき私は両親から川とは反対方向への移動を禁じられていないことに気づいたのだ。両親も私が校区の外へと移動を拡大することは想定していなかったのだろう。彼らの定めたルールの欠陥をついた私の最初の抵抗だった。私たちは時として自分の置かれた環境から移動を迫られることがある。旅がもし、自分の置かれている世界から一歩踏み出し新しい世界に接点を持つことであれば、この行動は間違いなく私の最初の旅だった。幼い私は自転車のペダルを踏み「外」の世界へと渡ったのだ。
私は公園で見かけた同年代に、まるで最初からいたような顔で話しかけ、多くは知らぬ奴と拒絶され、時々仲間に入れてもらえるところで遊んだ。やがて顔見知りとなり、何人かはこの歳になるまで時々連絡をとり合えるような友人となった。最近帰省した際に当時の知人と会う機会があった。
「お前はさ、ある日気づくといたんだよ。んで、気づくといなくなってる。」
「放浪者かよ。」
「違うんだよ。うまく言えないんだけどさ。」
友人には二人の子供がいて、四角いファミリーカーと四角い家(北海道の家は大抵四角いのだ)のローンを抱えながら生きている。私は相変わらず、これといって何も持たず生きている。
東京に帰る飛行機の中で私は会話を思い出す。両親の決めたルールも。もし私が川越えを許されていたら、どんな人生を歩んでいたのだろう。また、
「ひょっとすると私は、まだ一番最初の旅を終えていないのではなかろうか」
とも。Dash 8のプロペラが回転を始めていた。千歳から函館を経由して羽田に帰る遠回りの特典航空券だった。時々するこの意味のない遠回りも、超えることを禁じられた「川」を本能的に避けるための、私の妙な癖なのかもしれない。(975文字)
Switch Publishingが発行しているMONKEYという文芸誌に「一番最初の旅」について、多様な人に1000文字で綴ってもらうという企画があった。面白そうだったので、僕にとっての「一番最初の旅」について書いてみた。
Posted on 08 5月 2019 by konama
お久しぶりのkonamaです。
先日コーヒーのお供として食べたいもの……という話をしていて、
「チーズケーキ、それもベイクドの甘すぎないやつ!」
と声をあげたのですが、ふと小さい頃ってチーズケーキってレアチーズケーキだった気がする…?あれ、でも家で作るようになったのはベイクドが先だよなあ……そもそも家でチーズケーキを作るようになったのっていつ頃だろ?という疑問が沸いてきました。
小さい頃、ケーキ屋さんで買ってくる定番といえば、ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、たまにチーズケーキ(もちろんベイクド)というラインナップで、レアチーズの気配は感じないのに、なぜ家で作ったイメージが強いのだろう。そもそも、いつごろからチーズケーキって作れるようになったっけ?というわけで、私のお菓子づくりの歴史(!)を思い返してみました(下の図)。小さい頃一番最初に作ってみるお菓子って、ホットケーキだと思うんだけど、みなさんちがうのかしら?
思いつくままに書いてみたけれど、ホットプレートからトースターにいって、オーブンがつかえるようになるとか、既成のミックスから、自分で粉を量り、バターを摺り混ぜるみたいな、難易度のグラデーションに沿って、何となく作るお菓子の種類が増えていくんだなあ。
ホットケーキが作れるようになって、似たようなクレープとかお好み焼きとか挑戦したりして、おたまからタネをこぼして台所をべっとべとにしながら作っていた気がします。最近だと玩具のお料理セットとか有るのかもしれませんが、思いっきり普通にガス台のわきでホットケーキミックスを混ぜて、火が強すぎて半分焦げた焼きムラのある物体をせっせとフライ返しでひっくり返してどや顔してる写真が残っていたような…。
そうそして見つけましたよ「クールン」!一番下の「プリンエル」とか「ゼリエース」のルートです。インスタントプリンとかゼリーを作ってみたあとに、同じ売り場にある、「クールン」に気が付いたんでしょうねえ。作ったなあ。たしか、タルト台があるバージョンの別製品もあったきがするのですが、クラッカーの台とレアチーズの部分をそれぞれ作るインスタントレアチーズケーキの素。中にアルミでできたお皿がついてるんだよね、確か。
濃厚とは程遠い感じのお味だったけど、冷やしとけばできるお気楽なデザートで、何回か作った気がします。これがきっと、私の中にある初期の「レアチーズケーキ」なんだろうなあ。
面白がって図を書いてみましたけど、みんなどんなふうにお菓子をつくるようになるのかなあ、というのが気になってきました。こういう図って、たとえば「私がファンタジー読みになった経過説明図」みたいなのも書けそうだなと、ちょっと笑っています。まあある種のマインドマップ過去編みたいなものかしら。
大人になった今では、もっとチーズくさいチーズケーキが好みなのだけど、それでもたまに、あのクラッカーの台の冷蔵庫で固めるチーズケーキも懐かしく思うのです。一番上の好きなチーズケーキの文には「クラッカーの台はちょっと」ってかいてあるのにね。
Posted on 04 1月 2019 by lemonade_air
横浜にある日本郵船歴史博物館を訪れた際、海図の廃材を利用したメッセージカードが販売されているのを見つける。地図好きの私にとっては最高のメッセージカードだったので、早速購入する。帰宅後にニヤニヤと眺めていると「これでカルタ遊びをすると面白いのでは」ということを思いつく。ルールは簡単だ。カードに印刷されている地図の断片から場所を特定する。ただし、検索をせずに、だ。
まず、遊びが出来そうなもの、そうではないもののグループに分けてみる。
写真説明にもあるように、海岸線がはっきりと印刷されているものはこの遊びに適している。反対に、海上の海底深度だけ記されたものや、陸上の断片、それから、海図の説明が記されているものはこの遊びに適さない。今回購入した10枚入りのカードは、4枚が遊びに使えそうだ。
早速遊んでみる。陸上や海上にプリントされた地名や川の名前から場所を推測し、丁寧に海岸線を追っていく。あった。この地図の場合には、陸上に印刷された津駅が決め手となった。
二枚目、大島という島が印刷されている。大島という地名は厄介で、全国にかなりの数が存在する。ここでは印刷された港の名前、「唐津港」がポイントとなりそうだ。発見、佐賀県唐津市の海岸だった。
写真に写っているiPadの地図は海図だけれども、海図である必要は全くない。Google Maps.appでも、iOSであれば標準の地図.appでも構わない。自分が答え合わせが出来れば良いのだ。海図廃材のメッセージカードやメモブックで「海図カルタ遊び」を楽しんでみるのは如何だろう。
Posted on 05 12月 2018 by yuzuhara
眠気に愛想を尽かされた日。
ベッドの中で、何か邪魔のものが無いかポケットを探ると紙切れが手に当たる。
5%オフクーポン
栞の切れ端
なんとくだらないものをベッドに持ち込んでしまったんだ。
とりあえず栞は手帳に挟んでおこう。
手帳を開くと真っ白なページ。思わず眩む。
この先は暗闇しかないという事を知っているのかと思わず問いかける。
虚空に消える。
栞を挟むのは7月23日。
なんの意味もない。きっと何処かの誰かの良い日なんだろう。
意味はないのに藁にも縋る思いで意味を見出す。
身軽になった事で何かに近づけた気がしてすっかり冷えてしまったベッドに戻る。
まんじりともせずに布団と自分の境界がなくなる事を待っていると枕の下に何かあると気づく。
無くした万年筆がこんなところにあったんだ。そう想うことにして確認するのは怖くてやめる。
濡れ夜に乞うも 音 眠る。
Posted on 30 11月 2018 by せら
先日、ポールオースターの『インヴィジブル』を読みまして。
オースター読むのって年単位ぶりくらいかもしれない。
このタイトル、『不可視』見えないもの、見ることができないもの、の通り、ものすごく物語じたいがつかめず、頼りなく、寄る辺なく。ひとつの出来事は、あるひとにとっては「あったこと」で、また別のひとにとっては「なかったこと」
そこで、オースターのいつものフレーズ「ヴァージョンAとヴァージョンB、どちらもが本当の物語なのだ」と。
良かったです。はー、次は何を読もう。
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Posted on 14 10月 2018 by neokix
ちょっと愚痴っぽくなってしまうのだけれど,ちょっと思い至ったことがあるので,聞いてほしい.
残念ながら僕は舌貧乏だ.たいてい作るものはまずいし,カップラーメンでもお店のラーメンでもどちらでも同じような味に感じてしまう.
冷凍うどんと釜揚げうどんの違いも多分わからないんじゃないかと思う.
それぐらい舌貧乏なのだ.本当です.(ただし,コカ・コーラとペプシの違いはなぜだか分かる.こちらも本当.)
Anyway,コーヒーの味の微細な違いなんて,絶対にわからない.僕の中では,
苦いー酸っぱい(ロースト/産地)
熱いー冷たい(温度)
ぐらいの違いしかない.好きなのは,熱くてやや苦いコーヒーである.なんとなく淹れたてがよい気がするけど,それは古いコーヒーが体によろしくないのであるとどこか拾い読みしたからであって,味に関しては単に冷めるからなんじゃないか思っている.
となると,飲み比べ(カッピング,というそうです)だとかに行く気はない.いろんな産地の豆を買ってみたりするけれども,結局ローストが強いものに行きついてしまうし,そうなればもう苦い以外の何物でもなく,単に苦ければいいんじゃないか,という話になってくる.
とはいっても,サイゼリアさんや各種コンビニのコーヒーがとんでもない代物だということぐらいはわかるんだけれども.
さて,ここまではコーヒーの味自体の話である.
しかし,カフェおよび喫茶店等,外で飲む場合は多少事情が異なる.
そもそも,僕の中で,カフェおよび喫茶店を別の呼称で呼ぶべきだという強迫観念みたいなものがある.一つは「コーヒー屋的コーヒー屋」であり,一つは「なんでも屋的コーヒー屋」である.
コーヒー屋では,コーヒーを売る.コーヒーがメインであり,モーニングとか,パンケーキとか,そういうものはサブである.お供である.
なんでも屋では,コーヒーはあくまでも包み紙,包装紙であって,メインではない.喫茶店だとか,カフェだとか,聞こえのよい言葉でくるんでいるだけで,本質は「なんでも屋」,である.
パンケーキだの,アフタヌーンティーだの,ランチメニューだの,そういうのが稼ぎ頭なのであり,コーヒーではない.
だいたい,コーヒー屋のマスターは,内気そうな実直な人か,人生経験を積んだおじいさん的な人が多い.一方,なんでも屋のマスターは,ともかく薄ら笑いを浮かべていたり,コーヒーだけ注文するとちょっと表情が曇ったりする.
それに,見た目に騙される人がいてもよくない.たとえば,サイフォンがあるからといって,そこがコーヒー屋的コーヒー屋かどうかは,また別の話である.サイフォンなんて買おうと思えばどちらも買えるわけなので.むしろ,そのサイフォンを導入することでなにをしたいのか,が見えなければいけない.サイフォンが店先にどうどうと並んでいるようなところは,ちょっと信用できないですね.
無論,ここまで来ればわかるように,コーヒー屋のコーヒーは理由なくうまい.酸っぱくてもうまいのである.
一方,なんでも屋のコーヒーは大体が薄暗い味がする.後ろめたい味といってもいいかもしれない.あるいは資本主義におぼれた味かもしれない.ともかく,何かが足りない.
まあつまり,舌貧乏は舌貧乏なりに,味以外の何かを求めて外のコーヒーを飲むのだな,と感じていたわけです.
でもしかし,これはコーヒーを飲む頻度の5パーセントにしか過ぎない.
残りの95パーセントは,コーヒー屋的コーヒー屋で買った豆を,フレンチプレスなんかにぶち込んで飲んでいるだけです.
なんでって?だって舌貧乏ですもの.おほほ.
Posted on 30 9月 2018 by lemonade_air
A3の方眼紙
ここ最近、使い道のない資格試験の勉強をしている。勉強中、いくつかのノートブックを使ってみたのだけれど、どれもしっくりこない。結局、学生の頃から続けているA3用紙に書出すという方法に戻ってくる。私の場合、A3用紙(大きな紙)であれば特にこだわりはない。ただ、近所の文具店にあったオストリッチダイヤの方眼紙がとても良かったので、文具好きの皆様ご紹介したい。この方眼紙は厚手で、安価なものにありがちな「消しゴムで擦ると方眼が薄くなる」ということがなく、とても良かった。
LEDのデスクライト
デスクライトは文具だろうか。私にとっては文具かもしれない。以前は、山田照明のZ-107というデスクライトを使い続けていた。今は廃番になってしまった灰色のモデルが本当に好きで、何度か修理に出してまで使っていた。後継のZ-108というモデルもあるのだけれど、優美な曲線を持つZ-107のランプシェードの方が私は美しいと感じている。
Z-108のランプシェードデザインはオリジナルシェード(復刻のZ-00参照)から曲線を排したとも解釈できなくもなく、寧ろZ-107の方が本流から逸れるとも解釈が可能だけれど、そんなことは割とどうでもよく、私はこのZ-107のランプシェードラインが大好きだ。そんな大好きなZ-107は、このアパートに越してから、しばらく机に向かうことがなかったので(そもそも向かう机がなかったのだ)、今は手元からは離れている。
折りたたみの机を用意して以来、白熱球のデクスライトを再び用意しようと心に決めていたのに、目の衰えには勝てずに最近LEDデスクライトを購入した。硬質なLEDの光は毛嫌いしていたよりもずっと生活に溶け込んでいる。悪くない。
それから、これは多分気のせいだろうけれど、白熱球の柔らかい光より学習効率が上がっている気がする。作業環境の光については多くの研究がされていて、より色温度の高い照明(白熱灯色ではなく蛍光灯色)の方が、生産性が高いという研究結果もあるようなので、私の体験は単純な勘違いとも言い切れないのかもしれない。何れにせよ、文具を囲む照明を変えることによって、普段書き記しているノートブックに変化が生まれるのであれば、それは面白い体験になるのではないだろうか。
Posted on 15 7月 2018 by lemonade_air
“伊東にゆくならハトヤ“というCMが関東圏では定番らしい。北海道の”定山渓ビューホテル サンバカーニバル“みたいなものだと信じている。今日は伊東屋で万年筆を購入した話を書こうと思う。
文具店で万年筆を買い求める経験はこれが最初で、特に詳しくもないので、知ったかぶりをせずにお店に行き色々聞きながら購入した。インクの詰め方や、メンテナンスの仕方を丁寧に教えてもらえた。
購入したモデルはパイロットというメーカのカスタム74というもの。最初の一本には悪くない選択とのこと。
インクは今のところ標準のインクカートリッジを使っている。
今朝は意味もなくノートパッドに文字を書いたりしてニヤニヤしている。
Posted on 15 7月 2018 by ピース・メーカー
ノートブッカーズお題に “153.Define it(定義せよ)”が、あった。
そこで季節がら、「私の好きな怪談」を定義してみることにした。
私は怪談が好きだ。幼少期から「ムー」を購読し、「あなたの知らない世界」や「心霊写真特番」などを見聞きしては、夜な夜な後悔していた。
そうして、多くの怪談に親しんでいるうちに、どうやら、「好みの怪談」が固まってきていた。というか「好みでないもの」が明確になってきた、というほうが正しいだろうか。
そして今、この原稿の下書きをしながら私は、「いわゆる怪談」なんて好きではなかったのだということに気づかされた。それでは、なぜ私は「怪談」が好きだと勘違いしていたのだろうか? 私は頁を改めて、「私の好きな怪談」を定義しなおしてみた。
「怪談」のすそ野は広い。
『氷菓』という作品の「愚者のエンドロール」篇で「人によってミステリーの定義はずいぶん違う」という場面があった。それと同じく、人々が「怪談」と言われて思い浮かべる話は様々だろう。
「心霊現象」「祟り」「風習」「自業自得」「民話」「妖怪」「サイコパス」「狂気」「超能力」「シンクロニシティ」「転生」「エクソシスト」などなど。これらの話は、たいてい「怖い状況の発生」と「その理由」がセットになっている。そして私好みでない怪談とは「その理由」をもつ話なのである。
怪談の冒頭か最後かで語られる「怪異の理由(=原因)」は、実際のところ「理由」になっていないことが多い。「その部屋で自殺した人がいる」から「住んでいる人が次々に自殺する」なんて、説明になっていないことは明らかだし、現象の方も全くおもしろくない。そんな「怪談的お約束」に、私は退屈してしまうのだ。
「かくれんぼ」「追跡」「人別改め」の構造をもった「怪談」は多く語り口も類型化されている。この文体ではたいてい「くりかえしの後の断定的大声」によって「吃驚させようとする」。急に大声を出されればびっくりするのは当然で、これは「怖い」というのとは違うし、むしろ「怪談」を壊していると思う。
霊現象を扱っていながら「命を救われる」とか「心が通い合う」とかいうタイプの話が、「世にも奇妙な物語」などに多い。これらは登場人物に「霊」を交えただけの「渡る世間は鬼ばかり」にすぎない。
私好みでない怪談とは「怪談の話法で怪談的理由に頼った怪談らしい怪談」だった。
「因果因縁不要」この条件によって、「長編怪談」はほぼ全滅する。「長編」とはその大半が「因果因縁の説明」だからだ。だから私好みの怪談とは「新・耳袋」型となる。
私が考える「新・耳袋」型怪談の特徴は「不思議な現象だけを淡々と語り、言いっぱなしで終わること」である。(この精神こそ、元祖「耳嚢(根岸鎮衛さん)のモットーであった。)
「因果因縁」で説明されてしまうところに「不思議」はなく、それらの怖さとは「理解できる怖さ」でしかない。正確に表現するなら「怪談的お約束を理解できる怖さ」ということになる。
「新・耳袋」型の怖さとは、「目の前の現象が理解不能なために引き起こされるパニックから、思考が強制停止し、あたかも「放送を終了したテレビ画面を席捲する砂嵐」を見つめ続けている時の、自らがバグってしまった(のではないかという)怖さである。そこには、静かな恐慌と、爆発的な笑いの予感が同居する。
都市伝説(陰謀論は除く)、「ロア」(ネットより)、「ちょっと不思議な話」(南山宏さん)、伊藤潤二さんの「阿彌殻断層(あみがらだんそう)の怪」「落下」「首吊り気球」、「百物語」(杉浦日向子さん)などが思いつく。
以上から、私好みの怪談の定義は
「私の世界認識や現状認識や知識が揺らぐほど理解不能な現象(=不思議)を表した話」ということになる。
1.私好みの怪談(以下【怪談】)に「霊」は必須ではない。
2.【怪談】は「奇妙な話」の中に含まれている。
3.【怪談】は既存の「恐怖」では処理できない
4.【怪談】は「オーパーツ」「世界の七不思議」「UMA」「深海生物」「絶景、奇景」を含む
5.【怪談】は唯物的である
6.【怪談】は実話である必要はないが、創作するのは困難である
7.【怪談】は「霊」より「妖怪」にシフトする
8.【怪談】はヒューモアを有する
以上
上記の定義はあくまでも私的なものなので気にせずに、あなたの「Notebookers的怪談」を、教えてください。実体験、創作談は問いません。あなたは何を「怖い」と感じますか?
Posted on 27 6月 2018 by yuzuhara
知らない事を知るまでの過程はできるだけ暗闇の方が面白い。
未経験な事に出会うまでに自分はどういった道順を辿っているかを考えてみたけど、案外知っている事から導入されていそうだな
そう ふと 考えた時に、不快じゃないけどなんだかムズムズする勿体無い感が出てきた。
大げさだけど得体の知れないものを初めから自分のフォーマットに書き換えて吸収しやすくし過ぎてるのではないか、ある意味恐怖すら感じる。
日頃から感じているマンネリ感の正体は噛み砕きすぎな気がする。
たまには知っている形に整えないで無理やり喉を通さないといけないと心に刻んでおこう。
久しぶりの記事がこんなんですいません・・・
Posted on 17 6月 2018 by どんべ
毎度ご無沙汰しております。
今年2月に行きつけのポケモンセンターで限定品のピカチュウモレスキンを入手したのをきっかけにBullet Journalをしていた私。去る2018/6/16、むやたん様主催の第3回Bullet Journalプチオフ会に参加してまいりましたので、筆をとった次第です。
といっても、都合により第1部の手帳朝活の部分にしか出られなかったのですが…
朝の部だけにも関わらず、時間が濃厚でした。
集まった4名で、時に黙々と手帳を書き、時にグデグデと手帳をはじめとする文房具周りの雑談で盛り上がり…
文章だと何その緩すぎる集まり、という印象しか持たれないかもしれませんが、大量の文房具に囲まれながらゆっくり時間が過ぎていくこのひと時がもう本当に幸せな時間だった(語彙力不足)。
特に黙々と手帳書いてる時間なんかは、小中学生時代に友人同士で集まってみんなで宿題やってた時を彷彿させ、懐かしさも相まって。
しかも主催者様から、限定モノの添え文箋やらマステやらをお裾分けいただきまくる始末です。
次は、皆さんにお裾分けできそうな文房具を携え、メインプログラムまで出てみたいです。
引き続き開催予定とのことですので、Bujo愛好家の皆様やご興味をお持ちの皆様におかれましては、今後ぜひご参加を検討されてはいかがでしょうか!
むやたん様、そして参加者の皆様、すてきな時間をありがとうございました。
Posted on 17 6月 2018 by たね
わたしはあまりノートを書かない。たぶん、Notebookersイチ、ノートを書かないんじゃないかと思うくらいに書かない。
人のノートを見るのも実はあまり好きじゃない。いや、「好きじゃない」とは違う。すごく興味もあるし見たい気持ちもあるんだけど、見ることが少し怖い。生々しくそのひとそのものの欠片であるようなノートを覗くのに躊躇する。恐る恐る、に近いような気がする。
ずっと昔、
・
本を本棚に収めている時に見つけて、何の本だろう?と開いたら、本ではなくて手書きのノートだった。ノートだ、と思った瞬間あわてて閉じたので何が書いてあったのかは知らない。本の間に無造作に突っ込んであったくらいなのだから
・・・
うっかり見つけてしまったノートブックを隠すように差し込んだその本棚の隅は、結界が張ってあるみたいに、禁忌のように、その家を出る何年もの間ずっと、触るのも、視線を落とすことすらも避けた。
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柚子の木の折返し場、殿の谷戸、めぐみ野、日あたり台、野猿峠、絹の丘、多摩丘陵、打越弁財天、北の野、北野天神、六万坊、子安、
※ バスに乗りながら
─────
not much / nothing much
without haste
modest – confident
─────
ポストアポカリプス
Post-apocalypse
Post-apocalyptic
─────
echo break crack
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マギーブイヨン
キャベツ茹でてみじん切り
絞って
ミンチ牛豚合挽き
にんにくみじん
玉ねぎ生でみじん
塩、胡椒、
醤油はほんの気持ち
※ 母の餃子のレシピ。ブイヨンは餃子ではなく、餃子をつける付け汁。うちの餃子はちょっと変っていて、野菜っぽいさっぱりした焼き餃子を温かいつゆにざぶんとつけて食べる。
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卵豆腐
卵1 だし2
塩
茶碗蒸し
卵1 だし4
いりこだし
※ 卵の蒸し料理だしの配分
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lquince paste
halloumi / hellim
※ ずっと食べてみたいと思いながら見たこともなく2年半経った。
─────
コンテ
カマンベール ノルマンディ
ブルーチーズ61
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酒、塩、胡椒、醤油、にんにく(おろし)
まるのまま一晩漬ける
唐揚げ
カットして一味唐辛子をぱらり
※ 砂肝の唐揚げ
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ごまめ一袋をからからさくさくになるまで(弱火で25分)から炒り(途中から胡桃を加えて一緒に炒る)する
オレンジマーマレードに醤油を加えて煮る。しゃもじですーってなるまで煮込んだところにごまめと胡桃を加えて混ぜ、からんだら、バットへあけて冷ます。
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6/9 1030
6/3 5/25 4968
6/23 6/14 1840
※ 謎の数字。家計簿につける何かの代金のメモかと思ったんだけど、複数の日付(らしきもの)にまたがるものもあって謎。
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マシュマロトースト
とろけそうに愛くるしい人たちに乾杯
※ 何かの本からの抜書き。「ザ・コピーライティング」(ジョン・ケープルズ著)のような気がする(曖昧)
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El Borrachito Canto andino
El Borrachito del canto andino
The Andean ridge Borrachito
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that’s ok i like it
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琥珀と硫黄と魔法の材料。
革のリボンで縛られる。
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絵が欲しいにはマッチするが、絵を買うことによる諸々にはマッチしない
(インテリア、技巧)
重い額縁、モダンな額縁
絵描きのパトロン
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ハシエンダアルナシア
ハシエンダアルサシアの間違い。スターバックスのコーヒー豆。音の響きが好きでメモしたものだと思う。
─────
マイナンバーカード
4.5×3.5
パスポート切替新規申請
一般旅券発給申請書
4.5×3.5
─────
‘最良のデザインに出会うと、「このデザインが採用されたのは必然だ」などと感じたりするものですが、たいていは別のデザインもありえるのです。’
※ 何かの本からの抜書き。「マイクロインタラクション」(Dan Saffer著)のような気がするけどまったく違う気もする
─────
ふと思いついて、日曜日の夜のホテルをとってみた。
※ 次
─────
154
アドルフヴェルフリ
─────
59 59
104-5
2.02 1.36 1.77
1.76
1.70 1.79
1.48
1.34 2.12
※ 寸法
─────
島に住む伯母がいる。伯母の家は納屋から小さなモノレールが出ていて、お山のみかん畑に続いていた。冬になると、ダンボールいっぱいの甘酸っぱいみかんが船に乗って島から届いた。
高校生の時、船で島から通ってくる子たちがいた。とても優秀で何で島からの子はみんな賢いんだろう?と思っていたのだけど、「船で勉強してるんだよ」と聞いて何だかとても納得した。電車通学もバス通学も(自転車通学も!)したことのないわたしにとって、”通学の船”で勉強したりマンガを読んだりおしゃべりをしたりという時間は、何だかとてもうらやましいものだった。
自転車でフェリーに乗って、島に海水浴に行った。自転車でひと山超えて港の反対側に出た時の、夏の濃い日陰の道から真っ白な太陽の光にきらきらした海。
瀬戸内海沿岸の町に暮らしていると、島や船はとても身近なものだ。島に住む彼らは電車やバスのように船を使い、電車やバスの時刻表のように船の時刻表を気にし、駅やバス停のことを話すように港を話す。わたしは島に住んだことがないので、彼らのように船を使ったことはない。
と、帰省して実家にいる時にふと思い立って、海路で隣町に行ってみようと思った。
http://www.go-shimanami.jp/access/ship_map.html
三原→(鷺経由)→因島・重井港
徒歩30分弱?
重井東港→尾道
尾道(福本渡船)→向島→尾道(福本渡船)
※ 3年近く前、午前中の船旅。とても暑い日。尾道でラーメンを食べて、電車で帰った。
─────
わたしはあまりノートを書かない。食べたものはしばらくつけていたのだけど、結構な負担になるのでやめてしまった。iPhoneの「メモ」と写真と、時々頭の中の情報を整理するために紙に描くくらい。今日はそのノートをそのまま、ここに置いてみたくなった。
Posted on 03 6月 2018 by ピース・メーカー
「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。
第5回目は、太宰治さんのノートを鑑賞する。
1.別冊太陽 日本のこころ159 太宰治 生誕100年記念 平凡社 2009.07.09
2.弘前大学付属図書館貴重資料 太宰治自筆ノート(「英語」ノート、「修身」ノート)
1923(大正12)年。14歳のとき、青森県立中学校受験勉強の一環として、二十篇の課題綴方を書いた。(p.169)
左 表紙 右 本文 (p.23)
英語のノート
英語の教科書の見返し(p.37)
表紙
見返し
青森近代文学館 太宰治の旧制高校時代のノートについて 安藤宏(東京大学准教授)(以下「解説」とする)による
「英語」のノートから解説に入ることにしよう。
使われているのは横罫線二三行の大学ノートで、表紙左上に弘前高校の校章が刷り込まれ、裏表紙に「今泉本店(注ー弘前市内の主要な書籍店)特製」の標記がある。サイズはA4版に近い縦二一〇ミリ、横一六五ミリ。表紙に「Johnson & Goldsmith/Essays by/T.B.Macaulay/The Hirosaki High School/L.1.1/S.Tsushima」と記入されている。太宰は昭和二年の四月に文科の一年一組に入学しており、「L.1.1」とあることから、第一学年時に使用されたものであることがわかる。英語の授業は「発音」「綴字」「読方読解」「話方」「作文」「書取」「文法」からなっているが、このノートには文学作品の現代語訳が記されているので「読方読解」に該当するものであろう。
下(閲覧p79)顔の下の欄外の書き込み (解説より)
橄欖之実が/ほろほろと/月の光に 散つて行く/TaRanTuLa!/蜘蛛に咬まれた若者は/空を見つめて 舞ひ狂ふ/哀れ悲しく/舞ひ狂ふ
当時、多くの高等学校がそうであったように、弘高でもまた、〝ノート主義〟ともいうべき風潮が支配的だったようだ。あたかも速記術を思わせるような口述筆記が授業の中心をなし、それが学生にとって大きな負担になっていたようである。(解説)
落書きページ
裏表紙
「英語」のノートには、実に多くの箇所に落書きがあるが、その大半は肖像画(4~8、14、19、27~30、34、36、40、41、43~45、47、53、57、59、73、83、86、裏表紙など)と、英語・日本語による自己の署名(3、58、59、86など)である。(中略)自画像や、来るべき文壇デビューに備えてのサインの練習(?)を繰り返している様態は興味深い。
「修身」の科目は文理共通の三カ年に渡る必修科目。
講義内容の大まかな構成は次のようになっている。
吾人ノ国家観及ビ吾国体
国家ト個人ナラビニ愛国心
歴史上ヨリ見タル吾国ノ特性
日本民族ノ外観
1、日本の民族及国民(注ーここから〈第参学期〉とある)
2、日本ノ国民国家
3、日本社会運動ノ諸傾向ト我が氏族性(ママ)(解説)
表紙
表紙見返し
「修身」もやはり「英語」同様、横罫線二三行の大学ノートで、弘高の校章が刷り込まれ、サイズも同一である。ただしこちらは「今泉本店特製」ではなく、「神書店製」の標記。表紙に「修身/宮城教授/弘高/文 二 一/津島修治」の記入がある(「二」の漢数字は白黒の画像だと「三」に見えるが、実際は「二」である)。昭和三年度、太宰の第二学年時のものと考えられよう。38頁まで使われ、あとは白紙。なお、ノートの終わりの部分に七ページに渡る落書きがあるほか、「英語」同様、表紙、裏表紙、表見返し、裏見返しにも落書きがある。(解説)
閲覧p.71 自画像?
閲覧p.79 津島修治サイン
顔ばかり
裏表紙
二冊のノートの人物画像の合間に頻出する数多のサインは過剰な自意識の表象でもあろう。名前と共に The Hirosaki High School の署名が多く記されているが、そこからは一方で旧制高校スピリットの交錯した、屈折したプライドをうかがい知ることができる。(解説)
(別冊太陽 p.41)
エヴァーシャープの万年筆はもともと美知子夫人がアメリカ土産にもらった品であったが、いつからか太宰が使うようになった。透明な軸は途中で破損して取り替えいちいちインクをつけて書いていたが、軽く字を書く癖があった太宰は、1939(昭和14)年頃から最期まで、この万年筆1本で執筆を続けることができたという。
(この文は、青森近代文学の名品 vol.1 太宰治 愛用の万年筆より)
太宰治さんの万年筆は、EVERSHARPのDoricシリーズかと思われる。(キャップの金具の形状から)検索により似たものは見つかったが、型番は判明しなかった。しかし、同型の万年筆を落札なさったジョリ様のブログを見つけた。参考としてご紹介する。ジョリのブログ 2016-01-07 太宰治の万年筆
ちなみに使用していたインクは 丸善のアテナインキ(P.149)とのこと。
彼女が19歳の頃、本人が太宰へ郵送した。
太宰はこの日記を再構成して『女生徒』を書きあげ、川端康成の絶賛を受ける。1939(昭和14)年4月「文学界」。翌年12月には北村透谷文学賞副賞を受賞した。
太宰から『女生徒』を送られた彼女は感激し、長く愛蔵したという。(p.80)
(P.115)
この年の11月に『斜陽』のモデル太田静子との間に治子が誕生。太宰は認知。12月に『斜陽』発表。一躍流行作家となるも、精神と身体は蝕まれ続ける。3月末に、看護婦兼秘書の役割を果たす山崎富栄と出会っている。
『M.C様へ うぬぼれないでください』
太宰は、M.C、マイ・コメヂアン、を自称しながら、どうしても、コメヂアンになりきることが、できなかった。(坂口安吾『不良少年とキリスト』より抜粋)(p.102)
この年、『太宰治全集』の配本が始まる。
『如是我聞』を連載。『人間失格』の執筆開始直前の時期。
この4か月後に山崎富栄と入水心中。
弘前高等学校時代の二冊のノートのおびただしい落書きの大半が「横顔」であったことが、ひじょうに印象深い。横顔で目立つのは、「鼻」「顎」そして「眼」である。
「鼻」「顎」は、自尊心の象徴として用いられるものであるし、「眼」は虚栄心、自惚れ、承認欲求などを表すように思う。そして、その眼が真正面からではなく、横、もしくは斜であることが、太宰治さんの性質の全てを表しているかのように思われるのだ。
たとえば太宰治には過敏な自意識はあります。いつも他人に見られていると思っている。しかし、そこに「まなざし(サルトル)」はないと思います。日本の私小説家は自意識だらけですけれど「まなざし」はない。
柄谷行人(『ダイアログⅤ p.331 戦後文学の「まなざし」)より
『太宰は絵や書を一気呵成に仕上げることが多かった。とくに酒席の「席画」が好きで、酔った勢いでものの数分で描くこともしばしばだったという。(pp.58-59)』
左頁 自画像 /1947 (昭和22)年
右頁上 三つの貌 /1947(昭和22)年
右頁下 風景 / 1940 (昭和15)年ごろ
さいごに、太宰治さんといえば、月見草が有名だが、私には1940(昭和15)年に描かれた「水仙」の絵がとても印象深かった。
以上
Posted on 27 5月 2018 by ピース・メーカー
※以下は別のブログに書いた記事を転載したものです。
『人はなぜ日記を書くか』 大島 一雄 著
Jパブリッシング(1998/11発売)
本書にこのタイトルの答えを求めてはならない。なぜなら本書では「日記」ありきの論考しか行われないからだ。そのような姿勢で「日記」を扱うのなら、「日記」を解体するところまでいかねばおもしろくないのだが、本書において「日記」は、徹頭徹尾「日記」のままだ。
一体、この本において、いやこの本の筆者にとって、「日記」とはどのような「事件」だったのだろうか?
ここで唐突に「事件」という言葉を用いた理由は
「今の私の気分として日記はテクスト化すべきではない、と思うから」
と、今の私はとりあえず、説明するだろう。
結局、私は『人はなぜ日記を書くか』などいう問題提起には、なんの魅力も感じていなかったのだ。むしろ「人はなぜ日記以外のものを書きうるのか」のほうが、よほど今の気分なのである。
ではなぜ、本書を手にしたのか?
その理由は本書が網羅している日記資料の豊富さである。それが本書唯一の長所である。
膨大な資料を読み込んでいるからこそ、筆者は、日記筆者と、その関係者の日記を、横断的に読み合わせることができた。
ただ、その作業が糸を毛糸に拠り合わせるに留まり、編み物を編むに至らなかった点が残念なのである。
そのようにして立ち上がる日記(個人)相互の関係性としての編み物こそが「小説的」に「時代」を構成するのではないか。
そしてそのようにして立ち現れた「時代空間」は「無数の人称」によって、「普遍」となるのではないか。
そんな酔狂な考えが、頭をよぎった。
もともと世界とはそのように編まれている。
「日記」という「自己疎外=モダン」の産物を「時系列」で「横断的」に集成すると、関係性の全てを保持したまま「普遍=ポストモダン」が顕れる。「モダン即ポストモダン」「集団的個即一的全」
日記は「世界を顕す特異点」というわけだ。
もちろん、あらゆる文章のなかで、「日記」だけがこうした特権を担う、というわけではない。
全ての存在は縺れ合い、網目という「穴」を構築する。我々は世界を「綱渡り」しようとばかりするのだが、おそらくもっと、この「網目」に飛び込んでいくべきなのだ。
「個」から「個」を渡り歩くための順路を模索するのではなく、自らの質量をもって穴に飛び込み、周辺の時空を歪ませるブラックホールとなるべきなのだ。
この穴は、拡大すればするだけ、同じような網目が現れるフラクタルな構造を有する。
事件の解決のためであればその緋色の一本を解きほぐすべきなのだが、「解決」などという「予定調和」は、ハナからおよびでない。
ただ、やみくもに飛び込んで、跳ね返されたり、ぶつかったりしたいだけなのだから。
そのとき、我々が携えるべきが『日記』なのである。
なぜならば、日記は誰が書いてもよく、誰が書いても正しく、誰が読んでも(日記そのものを)批判できないという、稀有の特性を持つからである。
かつて、究極超人あーるは『誰も私がここにいることをとめられないのです!』と宣言した。このことをより重く考えねばならないと、私は考えている。
私がここにいること。私がここにいることを記憶すること。私がここにいることが及ぼした影響を記録すること。私がここにいることはあらゆるものがここにあることを証明していること。
一切の自己検閲を排除し、あらゆる忖度を度外視して日々生産される日記が構成するのは、「遅れてきた今日のモデル」である。それこそが「普遍世界」の極めて貧しい欠片なのだ。我々は、その不完全さを嘆いたり、不平を抱いたりするべきではない。
我々は、多くの日記を、横断的かつ網羅的に読むことによってのみ、世界の全体像をまさぐることができる。
公開を気にも留めず、思いのままにSNSに垂れ流される脊髄反射こそが、現代の日記の一形態でもある。内省やら洞察なぞ、日記には求めてはいない。むしろ、そういう「作為」は邪魔である。
ただし、網羅的かつ横断的に読むことは、読者というメタレベルから俯瞰的に並列することとは全く違う。そのように読まれたとき、日記は単にテクストとなり「歴史=当事者性」が剥奪されてしまうだろう。それは日記性の消滅を意味する。
日記を日記のままに取扱うことも、日記性を消滅させることも駄目だというのなら、一体、日記はどのように読まれるべきなのか?(因みに、この本では「なぜ書くか」ではなく「いかに読むか」を論じている。ならそういうタイトルにすべきである)
「他人の日記を読む」とは「他人を生きる」ことでなければならず、「多くの他人の日記を読む」とは「多くの他人を同時に生きるというメソッド」でなければならない。
これは「輪廻」を体得する姿勢に酷似する。
我をもって我を空じ、他者を我として他者を空じるとき、世界を我として世界を空じ、我を世界として我を空じるという手触りを感じられるのである。世界は「あなた」でできている。
多分、「普遍」とは、そのようにしか捻出できないものなのだ。
すなわち日記とは、「ありうるべき世界」=「統制的理念」の破片なのである。
人はなぜ日記を書くか?
それは世界存在のあるべき姿を紡ぎだそうとする「我々」という存在者に共通する「根源的衝動」に他ならない。これがとりあえずの私の回答だ。
それでは、この本を最大限有効活用して、今回のブログをとじよう。
すなわち「参考文献リスト」である。(各見出しは、引用書の章題)
『日記の虚実』紀田順一郎(ちくま文庫)
『蘆花日記』徳富蘆花
『戦中日記』シモーヌ・ボーヴォワール(白水社)
『日記論』ベアトリス・ディディエ(松籟社)
スタンダールの日記
@日記の自己言及性と「現在(同日)性」
『続高見順日記』(勁草書房)
『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房)
アナイス・ニンが日記をアヘン吸引にたとえていた
D.H・ローレンス、マルセル・プルーストは膨大な書簡を書いたが日記を書かなかった
プルーストは膨大で複雑な「草稿」を残した。カフカは日記も書簡も残した
ローレンスの「三つのチャタレー夫人」
『カフカ全集 7 日記』フランツ・カフカ(新潮社)
『ノートブック』ヘンリー・ジェイムズ
樋口一葉の日記=ノート(『樋口一葉全集』筑摩書房 第三巻上下)
『全集樋口一葉 3 日記篇』(小学館)
『セーレン・キェルケゴールの日誌』(未来社)
『トーマス・マンの日記 1933-1934』(紀伊國屋書店)
『トーマス・マンの日記 1935-1936』(紀伊国屋書店)
『トーマス・マンの日記 1940-1943』(紀伊国屋書店)
『無知の涙』永山則夫(河出書房新社)小説「土堤」の元となった箇所が削除されている
『人民を忘れたカナリアたち』永山則夫(辺境社/河出文庫)公開を意識していたため『無知の涙』のよさが消えている
『草稿 1914-1916』ウィトゲンシュタイン
『川端康成全集補巻一』著者十五歳からニ十五歳1914-24および1944-45の公表を意識しない日記草稿等
中上健次は日記を残さなかった 「枯木灘」の著者校ゲラ
吉本隆明『試行』巻頭の「状況への発言」
『吉本隆明著作集15』初期ノート
ヴォルグフガング・ケッペンの日記論
フィリップ・ルジュンヌ『フランスの自伝ー自伝文学の主題と構造』(1971)(法政大学出版局)
エドワード・サイデンステッカー 平安朝の女流日記
グスタフ・ルネ・ホッケ『ヨーロッパの日記』
diary,journal,notebook,cahiers(カイエ),carnets(手帳),journal intime《仏》(個人的日記),
tagebch《独》
『モンゴメリ日記(1897-1900)・その光と影』ルーシー・モード・モンゴメリ(立風書房)
『モンゴメリ日記(1889-1892)・プリンス・エドワード島の少女』 同上
『マリ・バシュキルツェフの日記』上下(国民文庫刊行者)
『アンネの日記』(文春文庫)
『青春さまよい日記』青木正美 (東京堂出版)日記収集家
『石川啄木全集 6 日記』(筑摩書房)
『百鬼園日記帖』内田百聞 (福武文庫)
『恋日記』内田百聞 (福武書店)
『戦中派虫けら日記』山田風太郎(未知谷/ちくま文庫)
『戦中派不戦日記』 山田風太郎(講談社文庫)
『占領下日記』ジャン・コクトー(筑摩書房)
『美女と野獣/る映画の日記』 ジャン・コクトー
『マレーシュ/ある講演旅行の日記』ジャン・コクトー
『定過去』(未邦訳)ジャン・コクトー
ヴァージニア・ウルフの完全版日記 全五巻
『ヴァージニア・フルフ著作集 8 ある作家の日記』(みすず書房)
『ゴンクールの日記』(岩波書店)
『ジュール・ルナール全集11』(臨川書店)
『左手の日記』大屋典一 (青娥書房)
『日本空襲記』一色次郎
『奇妙な戦争』ジャン・ポール・サルトル (人文書院)
『ドストエフスキー夫人 アンアの日記』 (河出書房新社)速記を反訳
スースロワの日記(ドストエフスキーにとって重要なもう一人の女性)
『古川ロッパ昭和日記 戦中篇』(晶文社)
『The Complete Notebooks of Henry James』ヘンリー・ジェームズ(Oxford)
『富士日記』武田百合子(武田泰淳夫人)
『成城だより』大岡昇平
@日記に非公表性による、関心ある他者への気兼ねの無さ(自己検閲がゆるむ)
『戦時の日記』ロマン・ロラン全集 26 (みすず書房)現存するだけで百七冊あるノートのうちの二十九冊分
『トーマス・マン日記 1940-1943』(紀伊國屋書店)邦訳された氏の日記のなかで最も厚い
『ジッドの日記 Ⅰ1889-1911』アンドレ・ジッド(小沢書店)本人による取捨選択のある日記集
『ヴァレリー全集 カイエ篇1』ポール・ヴァレリー(筑摩書房) 九冊
『ワイマル日記 上下』ハリー・ケスラー(冨山房)
『ニ十年代』~『六十年代』の5冊 エドマンド・ウィルソン
『神谷美恵子著作集10 日記・書簡集』(みすず書房) ウルフの訳者・研究者、精神科医
『野上弥生子全集 第Ⅱ期 日記』(岩波書店)
『アーネスト・サトウ公使日記 Ⅱ』(新人物往来社)
リチャード・ゴードン・スミスの日記
『罹災日記』永井荷風
『断腸亭日記』永井荷風(岩波書店)
『疎開日記』谷崎潤一郎『谷崎潤一郎全集』所収(中央公論社)
『内面の日記』ボードレール『ボードレール全集Ⅵ』所収(筑摩書房)
『ジュリアン・グリーン全集 日記Ⅰ、Ⅱ』(人文書院)
『ヨーロッパの日記』グレアム・グリーン
@ジャン=ポール・サルトルは十九世紀の日記を集中的に読んでいた。スタンダール、ゴンクール兄弟、ルナール、ダビ、そしてジッドの日記を、自分が日記を書く際に参照にした。
『ボーヴォワールの戦中日記』(白水社)
『カミュの手帖』アルベール・カミュ(新潮社)さまざまな作家の日記への言及。後半はみずからのjurnal
『ドリュウ・ラ・ロシェル日記1939-1945』(メタローグ)
『エリアーデ日記 上下』ミルチア・エリアーデ(未来社)
『秋田雨雀日記』(未来社)
『穂積歌子日記 明治一法学者の周辺』(みすず書房)
『欧米留学日記(1912-1916) 大正一法学者の出発』穂積重遠(歌子の息子)(岩波書店)
『二十歳の原点』高野悦子
『自殺直前日記』山田花子(太田出版)
『インマンの日記』コリン・ウィルソンが言及 アーサー・インマン(ハーバード大学出版局)
『春の歩み』ジェームズ三木
夢日記の例 東雅夫による紹介「正木ひろし、島尾敏雄、つげ義春、横尾忠則」
『日本「日記」総覧』「歴史読本特別増刊」「事典シリーズ」(新人物往来社)
『小林信彦60年代日記』(白夜書房)
『アンネの日記 研究版』(文藝春秋)
『ニ十歳の原点序章』高野悦子(新潮文庫)
『ニ十歳の原点ノート』高野悦子(新潮文庫)
『意思表示』岸上大作(角川文庫)
『もう一つの意思表示』岸上大作(大和書房)
『青春の墓標』奥浩平(文藝春秋)
『闇の産卵/立中潤遺稿 日記・書簡』(弓立社)
『転回点 -マン家の人々』クラウス・マン(晶文社)
『日本の名随筆別巻 28 日記』(作品社)
『「死への準備」日記』(朝日新聞社)
千葉敦子の日記形式の連続エッセー
『アミエルの日記』(岩波文庫)アンリ=フレデリック・アミエル
『麻酔剤服用日記』正岡子規
『仰臥漫録』正岡子規(岩波書店)
『動揺記Ⅰ』永山則夫(草頸書房)
『回復記』永山則夫
『死刑確定直前獄中日記』永山則夫(頸草書房)
『永山則夫の獄中読書日記』永山則夫
『南京の真実』ジョン・ラーベ
『覚え書』エマヌエル・リンゲルブルム
『ワルシャワ・ゲットー/捕囚1940-42のノート』ジェイコブ・スローン編(みすず書房)
『涙の杯/ワルシャワ・ゲットーの日記』A・ポロンスキー編(影書房)
『ワルシャワ・ゲットー日記/ユダヤ人教師の記録 上下』ハイム・A・カプラン(風行社)
『吉野作造選集14 日記ニ』(岩波書店)
『将軍の遺言/遠藤三郎日記』宮武剛(毎日新聞社)
『ヒロシマ日記』蜂谷道彦
『重松日記』重松静馬(風媒社)
『日記と人格の概念』アラン・ジラール
『セーレン・キェルケゴールの日誌 第一巻〈永遠のレギーネ〉』(未来社)
@フランツ・カフカは恋人に日記をすべて渡した。
『アンナ・カレーニナ』に日記で触れた著名人の日記の例(※ここには名前のみ列挙する)
有島武郎、森鷗外、夏目漱石、永井荷風、山田風太郎、阿部昭、野上弥生子、アンドレイ・タルコフスキー、永山則夫、ドストエフスキー
『蜻蛉日記』藤原道綱母
『ボーヴォワールの戦中日記』ボーヴォワール(白水社)
『インセスト』アナイス・ニン 非削除版
『ヘンリー&ジューン』アナイス・ニン
『火』アナイス・ニン 非削除版
頼静子の日記(頼三陽の母)
頼春水の日記(静子の夫)
『梨本宮伊都子妃の日記』
『近代日本の日記』(講談社)
『千葉敦子のななめ読み日記』(三笠書房)
『日記の虚実』(ちくま文庫)
@日記の自伝化
『険しい道』ウェス・モンゴメリ自伝
『東京焼儘』内田百聞
『新方丈記』内田百聞
『日日不穏』筒井康隆
『イーディスの日記』パトリシア・ハイスミス
『一九八四』ジョージ・オーウェル
『収容所群島』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
『イワン・デニーソビィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン
『情事の終わり』グラム・グリーン
『鍵』谷崎潤一郎
『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎
『正義と微笑』太宰治
『女生徒』太宰治
『日記の一揆』野坂昭如
『三島由紀夫/剣と寒紅』福島次郎
『クローディアスの日記』志賀直哉
『ハムレット日記』大岡昇平
『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー
『IT』スティーブン・キング
『ファウスト博士』トーマス・マン
以上(日記)
Posted on 19 5月 2018 by lemonade_air
“The boarding will be start at 11:45 on 4th floor, she said.”
“boarding”という単語がとっさに口から出て「この単語は元々は空港ではなく、旅客港で使われていたんだよな。今まさに語源通りに使っているのか。」などと少し感動しながら、私は目の前の男性と、困って慌てている券売担当の女性の会話に割って入った。男性はこちらを振り向きに”Thank you”と軽い会釈をした。僕も適当に”No hey problema.”と返す。徳島のフェリーターミナルで交わした彼との最初の言葉だった。
彼と出会う前日、私は帰宅途中に神田にあるお好み焼カープで同僚と一緒に食事をし、そのまま駅中の神田鐵道倶楽部で飲みながら店内のディスプレイをぼんやりと眺めていた。ふと、自分が十分に疲弊し限界に近づいていることに気づいた。それは、何かのきっかけて音を立てて切れてしまうような切迫したものだった。私は会計を済ませた後、東京駅で閉店間近のみどりの窓口に滑り込み、寝台特急のチケットを買い求め、同僚に「良い週末を」と交わし寝台列車へ乗車した。この場所から少しでも早く離れる必要があると感じたのだ。翌朝に高松に到着すると、駅構内にあった連絡線うどんでうどんを食べ、そのまま特急で徳島まで向かい、寄り道をせずに市内フェリーターミナルに移動した。時間軸を正確に記すとこうなる。
Leg 1: 東京: (金) 2200 🚆 高松: (土) 0727 寝台特急 サンライズ瀬戸
Leg 2: 高松: (土) 0823 🚆 徳島: (土) 0936 特急 うずしお5号
Leg 3: 徳島: (土) 1200 🚢 東京: (日) 0730 オーシャン東九フェリー びざん
今回は「少し遠回りした週末の帰宅」の際、フェリーで出会った彼について書こうと思う。
私がこのフェリーに乗船するのは今回が二回目で、以前は東京から北九州の逆航路だった。この会社のフェリーは新造から間も無く、綺麗で、そして船内で販売される酒類がコンビニと殆ど変わらない価格だった。つまり、乗船中は天候に関わらず酔いどれていられるのだ。今回も船が岸壁を離れる前から船内の自販機でビールを何缶か買い、関空から飛び立ったであろう幾機もの旅客機が曳く雲を眺めながら、甲板でそれを煽った。
船内は大型連休後の週末らしく閑散としていて、彼を見つけるのは難しいことではなかった。もっとも、甲板でビールを飲み続けていた僕に彼から声をかけてきた。彼の喋る英語はとても紳士的な英語で、時々イタリア語の響きに近い訛りが出るのが年齢も相まって可愛らしかった。彼は世界に点在するいくつかの巡礼路を歩いている最中だった。今回の来日は四国の巡礼路が目的で、三月から歩き始め今日徳島にたどり着いたとのことだった。確かに、彼は十分に日焼けをし、笠を被り白い巡礼服を纏っていた。
彼とは乗船後の東京での乗継路線や、船内の自販機の利用方法などの話はしたけれど、不思議とそれ以上の話をしなかった。彼は基本的に私に個人的な質問をしなかった。私も彼に多くを投げかけなかった。甲板で沈む夕日を眺めたり、それから約束をしたわけでもないのに、早朝から朝日を見るために甲板に上がろうとしているところを偶然に出会い、各々に房総半島を上る朝日を眺めた。
彼は満ち足りているようにみえた。彼の動作一つ一つが、私が殆ど失ってしまった何かを感じさせた。lonly planetを開き何かを調べ、ノートブックに文字を記し、そしてゆっくりと外の風景を眺める。彼は、彼の人生を完全に楽しんでいた。私はどうであろうか。私は、過剰なコミュニケーションに疲弊していた。昼夜を問わず通知が届き、携帯の微かな振動音で目が覚める。そんな生活に心底嫌気がさしていた。
りんかい線の大井町で彼と別れ、私は帰宅した。カレンダーには翌週の予定がいくつか届いていた。私は日曜の昼間、ごく当然のことのようにいくつかのSNSアカウントを閉じ、携帯電話の連絡先を整理した。それから、冷蔵庫に冷やしてあったビールをグラスに注ぎ飲むと、少し幸せな気持ちになれた。簡単な答えにたどり着くまで、帰宅以上に遠回りをしてしていたようだった。
Posted on 18 5月 2018 by neokix
ピース・メーカーさんのお題:069.パンがなければケーキを。ではノートがなければ?
昔,大学にダンディーな声の言語学の教授がいた.
その人はよく,「言語学者はねぇ」といって,言語学者あるあるを授業で言っていた.
渋いその声で.
その中でも印象的だったのは,「言語学者はねぇ,酒屋で議論になると,樹形図を箸袋に書くんだよ.」
詳しくない人のために解説しておくと(僕もそんなに詳しくない),樹形図というのは,
構造主義言語学(いろんな言語って実は共通した構造パーツからできてるよね)という人たちが使っている言語の分析表記方法で(詳しい人,こんな説明であってますか),
言語を樹形(···ピラミッド型っぽいよね)に表す表記法です.
たとえば,こんな感じ.
これを箸袋に書くというのである.
ということで,言語学者にとっては,「ノートがなければ箸袋に書けばいいじゃない」ということになるだろう.
しかしよくよく考えてみると,いろんなところに走り書きってできるものだ.
後はそれを,ノートに貼り付けておけば一件落着.
貼られる側がもったいないではないか!と思う人もいるかもしれない.
しかし,大切にしたいのは,そのモーメントだろう.
その
ジョットして
スクラブする
その理性的かつ感情的な
モーメントが!
···ボールペンのほうは,店員さんか大将にでも借りてください·
neokix
[[[ちなみに]]]
ノート: 無印良品 開きやすいノート A5 ドット方眼 (多分廃盤)
写真中のペン:OHTO GIZA + Zibra SARASA Dry 0.5
樹形図を描いたシャーペン:Bic Matic
Posted on 13 5月 2018 by れでぃけっと
こんばんは。れでぃけっと と申します。
滅多に書かない2016年度ライターです(すみません)
以前こんな記事を書きましたが・・・
この時ゲットしたCITTA手帳を2018年に本格導入しました。
というのも昨年7月に手帳ライフコーディネーターさんの講座を受講しまして、課題に
「ワクワクリスト108個を3日以内に提出」というのがあり、講座では10個も厳しかった
ダメダメな受講者が締め切りギリギリに提出。
CITTA手帳の基本である「自分を愛すること」「自分を大事にすること」の大切さを教わり
この手帳は自分に合っていると感じました。
最近は自分で決めた時間内(だいたい1時間)にワクワクリストを書くことにしています。
自宅より外のほうが集中してできるみたいなので、スタバとかに行っています。
ワクワクリストって何を書けばいいんだろう?と思いますよね?
とにかく思いついたものを書いてます。
オレンジ色で書いて、青で理由(何故そうしたいのか)を記入。
もう欲まみれですよ。何かを買うとかそんなのばっかりです。
「こんなこと書いていいのか?」と制限をかけずに思いついたことを書くのがいいらしいです。
ほんの一部です。字が汚くてすみません。
本当はここからウィークリーに落とし込んで行くんですが、私は書いたら忘れてることが多いです。
でも後で読み返すと叶っていることがあります。知らず知らずのうちに行動に向けて動いているんですね。
ワクワクすることって待ってるだけではやって来ない。
じゃあどこから来るのだろう。結局は自分の気持ちからなんじゃないのかなと思うこの頃です。
講座で書けなかったのはそれだけいろいろなことに疲れていて、ワクワクを感じることができなかったのかなって。
少しずつでいいからやりたい事を叶えていきたい。
それがほんの些細な事・すぐにできない事だとしても。
今年の手帳は白。手帳ライフコーディネーターさんから買って、後日青木千草さんにサインしていただきました。
青木千草さんのセミナーをいつか受けてみたいです。
お値段も競争率も高いけど・・・
Posted on 09 4月 2018 by neokix
昔から使っていた筆箱(というかペンケース)がある.
これはある人に作ってもらったもので,しかしその人とはもう何年も会っていない.
いろんなことが原因で(そして大体の若い日の出来事がそうであるように,それはほとんど僕の責任だったのだけれど)その人とは疎遠になってしまった.
それからも今日まで,ことあるごとに使い続けてきたけれど,そろそろお役御免となりそうだ.
コンディションはすこぶるいいし,形も色も好きだ.
だけれど,ミニマリストWannabeになってから,筆箱が気になって仕方なかった.
かさばるし,重い.ものをいくつも吸収してしまう.
スティック状の修正テープ
携帯タイプの小さなテープのり
ステッドラーの固形蛍光ペン (ちなみにめちゃくちゃオススメです)
カドケシの消しゴム
スティック状に変形合体するはさみ.
必要のないものばかりが目に付く.
持ち運びは,ボールペン,赤ペンだけでいいじゃないか.
オレンジのケースに入れて.
BICのシャープペンシルも入れるかどうか,迷うところである.軽いから持っていくか?
そういうわけなので,筆箱よ,さようなら.
僕にはもうたぶん,必要のないものなのだ.
宿るあのつらい思い出も,ほどよく一緒に.
あ,お久しぶりです.元気です.
neokix
Posted on 01 4月 2018 by ピース・メーカー
「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。
このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。
No.119として、現代芸術家 釜名見煙さん(以下敬称略)のノートを検証する。
図版1.『空想技術体系便概』釜名見煙 ばんぐ出版(1969年復刻版)
1900年(明治33年)4月23日 愛知県土岐郡市之倉村の鉄道技師の次男として生まれる。
早稲田大学建築科に学ぶも1923年6月中退。
図版2.学生生活を過ごした四谷の朱雀荘
1923年(大正12年)9月1日関東大震災に遭遇。瓦礫の山と化した帝都に、「物質存在」の醜さを感じる。
壺井繁治の知己を得て、萩原恭次郎創刊の詩誌「赤と黒」に一時参加するも、2年を待たず「白こそが爆弾である」と宣言し決別する。図面のトレースなどで生計をたてながら、「空想技術体系全20巻」の草稿に取組む。
1924年(大正13年)『赤と黒』6月(号外)に掲載された「空想技術体系要綱」が、改造社 山本実彦の目に止まり、現代日本文学全集の「詩・評論」の巻に収録された。円本ブームにのって、多くの印税を手にした釜名見は、三重県鳥羽市の神島に「共想舎」を開設。美術工芸に勤しむ者たちと共同で自給自足生活を行いながら、1930年「空想技術体系全20巻」を脱稿する。
図版3.神島での住居
図版4.神島の共同宿舎
その後、釜名見は「媒体に囚われない相関的全感覚芸術の行使」を提唱。全国を行脚し、住民らを巻き込んでの行使を行った。受け入れられるものも、排斥されるものも、騒乱罪などで捕縛されることもあったその行使は、約5年間で、800回に及んだ。(異説あり)
1935年 福島の霊山町を通りかかったところで喀血し、山戸田の寺で養生をする。そこで、釜名見は全身を剃毛したり、薪を粉々になるまで彫ったり、書道で紙が真っ黒似なるまで筆でこすったりという奇妙な振る舞いを繰り返し、精神衰弱と診断され入院する。
図版5.病院の中庭にて
最期まで付き従った能面師の土師無明は、釜名見の入院中の様子を次のように伝えた。
「縺れ合い、絡み合う無数の”意味可能体”が表層的”意味”の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相責めぎ、相戯れる。”無名”がいままさに”有名”に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節の狭間に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ」(引用1)
1937年8月24日死去(享年37)
「かつて、素晴らしい才能がありながら、絵の具を作る技術がなかったばかりに埋もれて行った画家が数多く存在しました。表現されたものでしか、人は価値を判断する事ができません。それは枷です。私は、あらゆる人間が持っている空想を、絵とか音楽とか彫刻とかに束縛されることなく表現する術を明らかにしたいのです。(釜名見)」
このような原理を打ち立てた釜名見煙は、行使に際して一切の習作を残していない。自画像もサインもない芸術家、それが釜名見煙である。したがって、以下に紹介するノートは、尋常小学校~早稲田大学、そして神島における『空想技術体系』のための研究ノートに尽きている。釜名見煙の主活動である行使(釜名見ナンバーズ)については、当時の地方新聞などから探すしかない。
図版6.白磁に関する研究 尋常小学校6年生「夏の自由課題」
生まれ育った土地は陶芸がさかんな地域だった。そのなかで釜名見煙はとくに「磁器」に興味をしめし、透き通るような肌合いをもつ白磁のかけらを集めていたという。
この白への執着は「空想技術体系」収蔵の「ネイトン二世 ―純粋空想と人工純白」論に結実する。
混血王(またの名を皮剥ぎ王ネイトン二世の逸話)
「旧世紀の西大陸を白の恐怖で被い尽くした一人の王がいました。『混血王。ネイトン二世』です。彼はまたの名を「皮剥ぎ王」といいました。ネイトン二世は確かに王族の血を引いていたのですが、どういうわけか、鳶色の肌で産まれてきました。その為に、後継者争いは熾烈をきわめることとなりました。幼い頃、自分の肌の色から骨肉の争いを引き起こしたのだとのトラウマは、ネイトン二世に過剰なまでの白色愛好癖を植え付けたのです。
白色の優位性を成文化した最初の王として、現在彼の名は歴史から黙殺されています。彼は白のために紡績、鉱工業、遺伝子学、医学、なめし工芸、博物学、芸術、特に絵画などの分野を厚く保護しました。しかし、本質的には恐怖政治だったといわれています。純粋な白を作ることが王の最大の命令であり、失敗には死を与えられたのです。それぞれの分野で様々な白が発見、生成され、その純度で等級が決定しました。医学の分野ではアルビノ種の研究、肌の漂白技術などが研究されました。もちろん、当時が第一次産業革命期に重なったことは、研究者や職工にとっては、ある意味で、幸せだったといえるでしょう。そんな中で、白でなくてはならないのに、白が作り出せない一つの分野がありました。
王は、自分の身の回りを全て白で統一していました。自分の肌を隠すために、白い肌を持つ娘の皮を剥ぎ、衣服を作らせたという伝説もあります。全国から集められたえり抜きの美女、特に肌の美しい女たちと七日七夜に及ぶ宴を催し、娘達の中で酔いつぶれた者から順番に、生きながら皮を剥ぐのです。阿鼻叫喚が宴をいよいよ盛り上げて行き、白色大理石の鉱脈を磨きぬいて作られた地下室からは、血が溢れたといわれています。最高のなめし職人が皮をなめし、染みぬき、さらに漂白を施した人皮の衣類は、王の身体にあわせたまま縫い合わされていたといいます。
それほどまでに白に執着した王が、歯がゆくてならなかったのが、「磁器」だったのです。
現在の白磁が、ボーンチャイナと言い習わされている事はご存知でしょう。東の果てから、シルクロードを通って塩と共に交易されはじめたのが、この冷ややかな白い肌を持った白磁器でした。王はこの技術を盗み出そうと、密偵を送りこみ、さらに軍勢をしかけようとした程でした。しかし、隣国のストラビヌが、その外交手腕によってまんまとこの技術を輸入することに成功してしまったのです。ネイトン二世は、使者を遣わしてこの技術を手に入れようと試みました。しかし、ストラビヌはチャイナとの条約によって、『門外不出』を遵守し続けたのです。大陸において薄く硬質な白い肌は一大ブームとなりました。ネイトン二世は、諦めて、ストラビヌからの輸入で、欲望を満たせたでしょうか?
王は、白馬に乗り、白い羽飾りをつけた甲冑に身を固めて、ストラビヌへ進攻したのです。王の肌はいかなる矢をも貫けないように加工を施された乙女の皮を纏っていたのです。五千からなる白馬の進攻。それは無謀な行軍でした。ストラビヌの首都までの辺境地帯には自然の要塞、ヌトラカン砂漠が横たわっているのです。ストラビヌ軍は、砂に潜んでそれを迎え撃ちました。激しい日差しの下でも、夜間でも、『白』は砂中艦からの格好の的となりました。王は、戦に望んでなお、白を捨てられなかったのです。迷彩を施したストラビヌの兵士達は、囲いの中の白色レグホンを捻るよりも容易く、王の軍を殲滅できたでしょう。王の甲冑は砕け、人皮は日に焼かれ、防護機能が停止していました。ネイトン二世は、このヌトラカン砂漠の中ほどで、全身を陽に焼かれ、褐色の塩に被われて息絶えたといわれています。今でもその塩の柱を見ることができるそうです。」
建築設計を学ぶかたわら、釜名見煙は「雑録帳」とよばれるスクラップブックを作成している。学び始めたドイツ語を駆使して、自由奔放なイメージをコラージュしたものだ。
図版7.scrap 01. 永遠
図版8.scrap 02. 凝視
図版9.scrap 3. 女たち
全20巻索引1巻からなる『空想技術体系』は、1930年に発表された。羊皮紙に手彩色図版が添付され、限定13部。セット毎にナンバリングが施されている。釜名見の行使を「釜名見ナンバーズ」と呼ぶのは、このナンバリングのなごりだ。
図版10. art and magic
「体系」は、「第一巻 空想技術を紹介する」から始まり、最終巻「空想技術集団宣言」に至る間に、古今の文献や、芸術界、文芸界、音楽界、思想哲学界、宗教界、そして科学技術界、医学界までを包括し、空想技術を明晰に確立させ、既にありながらそれと意識されることなく無為に浪費されている空想技術に明確な構造を与えた、非常に難解な大著である。
図版11. 南方熊楠往復書簡まとめ
釜名見は南方の粘菌研究について、「物から存在へと突き抜けると「物質」とは存在の属性の一つであるということがわかる」と感心していたという。
図版12. 曼荼羅
釜名見煙は人間の欲望、煩悩と密接に関わりながら空想の純粋さについて論じる。宗教・科学を疎外的空想技術と見做しつつ各派がどの程度純粋空想を保持しているのかを研究した後、精神異常と空想、夢と空想、先端科学と空想、天才と空想など、あらゆる二項対比を行い、そのいづれもが純粋空想を堕落に導いたのだという事を論証しようとしている。
図版13.脳と記憶
空想はどこから生じるのか? 釜名見煙は哲学的方面のみならず、科学的見地からの検討を最重要とした。
図版14. 脳細胞スケッチ
「空想とは、それ自体が非常に掴みにくいものだ。したがって、様々な述語によって規定され、撤廃され、また確定され、廃止されるといった馬鹿げたことが繰り返されている。空想、想像、妄想、虚妄、空言、嘘、夢だとか、幻想だとか、様々な述語が用いられ、そのいづれもが少しずつ重なりながらも、別々の意味を表すという複雑な状況となった。しかし、これらは皆、同一の現象なのだ。では、何故このような区別をされなくてはならなかったのか。それは、この現象が引き起こす二次的な要素、またはその現象がみられる場所、時間などによる規定の仕方に過ぎない。(釜名見)」
図版15.重力
釜名見煙は、純粋空想そのものを説明するのではなく、反対概念を糾弾することで純粋空想を浮き彫りにしようとする。純粋空想は言語による規定をも否定するためだ。
釜名見煙の芸術は、常に価値観の破壊をテーゼとし、それは最新の科学的知識、先端技術によって表現されてきた。第一作とされるエンサイクロペディアの発表は、知の破壊と再生を体言したいわば脱現代宣言だった。
「その後発表された釜名見ナンバーズと呼ばれている一連の作品は、全て、見るものを二分してきました。すなわち、心酔する者と、嫌悪する者とに、です。釜名見は、時として駄々っ子のように現在の風潮や、大義をひっくり返そうと試みてきましたし、そのようにして成し遂げられた作品は、無視することを許さないリアリティを獲得していました。釜名見は現代美術最後の巨匠として、時代の推進力となり、かつ、時代の破壊神として君臨し続けていました。煙の凄さは、こうした状況をすべて、処女作品の「空想技術体系」で予言していたということです。今、この著作は散逸しており、この点については釜名見神話として語られているだけです。時代に対するアンチテーゼが釜名見の製作動機だったことは、いうまでもありません。ですから、自身が時代を造り出してしまっているというジレンマを解決するためには、釜名見は、つかみ取った地位を捨て去らねばならなかったのです。釜名見にとって時代はあまりにも軽く、むなしい物に見えたことでしょう。」(『季刊 几螺果巳』1969年12月「蘇る釜名見煙」号)
釜名見煙という芸術家は、埋もれていました。
死後30年余りたった1964年。ハイレッド・センターの赤瀬川原平らによって、釜名見煙は、ハプニング、アクション、イベント、といった芸術行動として再評価され、「訪問詩劇」、「回覧彫刻」など、寺山修司らによる天上桟敷の活動にも多大なる影響を与えることとなります。
しかし、彼が解放したかった「純粋空想」は未だ、いやますます物質文明に縛り付けられているように感じるのです。
「この世界の全てが、空想を堕落させている」釜名見煙
以上
※052. ノートブックに○○を貼ってみる
※119. さて、エイプリルフールがやってきます。今年もエイプリルフール的記事を楽しみにしています★
図版1.斎藤清『凝視』 1962年(昭和37)に文字を合成
図版2.朱雀荘(四谷)「写真集失われた帝都東京」 柏書房 1991.1.10. p.333
図版3.M邸外観(原宿) 「同上」p.277
図版4.同潤会青山アパート 「同上」p.323
図版5.宝塚大劇場庭園 「同上」p.58
図版6.磁器について 「私物」
図版7.8.9. scrap「今回のために作成」
図版10.-15. 「私物」
引用1『井筒俊彦』河出書房新社 p.62よ「言い難く豊かな沙漠の人」日野啓三より(『文化と言語アラヤ識』「意味の深みへ」井筒俊彦著 を抜粋)
ネイトン二世(抄)創作
(万愚)
Posted on 18 3月 2018 by せら
例えば、本を読んでいて、その本に挟んでいる新刊紹介のリーフレットとか、その本のあとがきや解説に書かれている別の本とか。あと、映画館などで(ミニシアターなどは特に)次の上映の予告などを見ると(本も同じなんですが)あー、次はこれを見よう(読もう)と思うことを、わたしは『新刊リーフレットアリジゴク』『ミニシアターアリジゴク』と呼んでいるんですが、いかがでしょうか。
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Posted on 17 2月 2018 by なかしぃ
新年快楽(^-^)/
2018年の幕開けですね。皆さん、お元気ですか?早速ですがぺら部の仮想通貨、ペラ部コインをナカシーチェックのサイトで今なら1,000ペラ=1万円から交換できますがいかがでしょうか?3年後には値上がり間違いなしです。絶対に儲かりますよ!(胴元が)
というわけで、わたくし、今年からほぼ日5年手帳を始めました。2014年~2015年まで1日1ページ絵日記を描いていて、2年のブランクを経て久々に手帳スケッチを再開しました。5年手帳なので5年は続ける覚悟で参る所存でございます。5年手帳は1日に描くスペースが少ないので気負わずに続けられそうです。
と、自分のことはおいといて、読者の方もインスタなどで他人の手帳を見てあんな風にスケッチを描けたらなぁと思いながら理想と現実のギャップに愕然としてしり込みするという方もいらっしゃると思います。あんなに上手く描けねーよ、どうせおいらは絵心なんか持ち合わせちゃいねーんだ、みたいなコンプレックスが障壁になってなかなか踏み出せない。違いますか?
手帳スケッチなんか今日食べたランチとか、気に入って買ったものだとか、そんな感じで見えるものを描いていくのですが、なかなか上手く描けないです。上達するにはかなりの努力が必要ですね。美大受験を目指す受験生のデッサンの訓練くらいの修行が必要ですね。
でも、一時期流行った絵手紙なんかは極意として「下手でいい、下手がいい」と標榜していますね。下手でいいーんですっ!(川平慈英かっ!)でも、下手風に見えて味わいがある上手な絵を見せられても説得力がないですよね。
そんな絵なんて描きたいわけじゃない、お洒落なスケッチを描きたいんだ!カフェ飯とか雑貨とか風景とか…ねっ。でも大丈夫!努力もセンスも絵心がなくても簡単に手帳スケッチが描ける方法を教えてしんぜよう。
1.まず、描きたい対象をスマホのカメラで撮る(または画像検索で探す)
2.好きな大きさに拡大/縮小する
3.紙の下にスマホを置く
4.透過した画像を上からペンでなぞる
たったこれだけでなんとか形が整った絵が描けたでしょ。遠近法やパースなんか気にしなくても大丈夫(遠近法とパースは一緒のものでしょ、という突込みは無し子さんでお願いします)
あとは上記の手順で描ききれなかった細かい部分を描き込んだり色を塗れば出来上がりです。ほら、簡単でしょ。これでも結構楽しいものです。ペンで一発描きがためらわれるのならフリクションボールで描いてからペンで清書して最後にドライヤーで温めればフリクションボールの線が消えて完成です。
筆者はほぼ日なのでトモエリバーに描いているのですが、結構透けて見えます。他の紙はやったことがないですが、大体いけるかもしれないっすねぇ。
目から鱗の簡単スケッチ術、いかがでしたでしょうか?こんなの邪道じゃないか!という声も聞こえてきそうですが、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、はい!
というわけで、また来週(^-^)/~~~
Posted on 25 1月 2018 by lemonade_air
私にとっての一番大きな文具、折りたたみ式の簡素な机が年末に届いた。背面に貼付されていた巨大な「安全に関する注意事項」を丁寧に剥がし、部屋の中央に机を設置すると、ようやくこの部屋が自分の居場所のように感じられた。
以前の机を処分してからの半年、私は「この部屋に居場所を持たない流浪者」であった。アパートの小さなキッチンで立ったまま食事を摂り、床にタオルケットを敷き丸くなって本を読んだ。過去どのような所有物を処分した時よりも生活の質が下がった。陽の光が差し込む明るい独房に収監されていた気分だった。
私は再び多くの時間を以前と同じように机に向かい過ごすようになった。本を読み、食事をとり、キーボードを叩き、書き物をした。部屋が手狭に感じられるときは、折りたたんで押入れに仕舞った。こうして新しい文具「机」は生活に馴染んだ。
Posted on 18 1月 2018 by neokix
Notebookersなみなさま,そしてもちろん読者さま
さて,このNotebookers.jpには「モレカウさまお題」,「キリエさまお題」の二種類のお題があることを,私はしかと存じ上げております.
しかし,わたくしめもみなさまに話題提供をしたく,とりあえず今は30個ぐらいあげようと考えておるわけであります.
30個思いついたらぱちぱちと,拍手をしてください.
読者さまにおきましては,コメント欄にて知りたいことなどをお書きください.
いずれにせよ,モレカウさまお題,キリエさまお題とのかぶりはご容赦ください.
一つずつ確認するなんてめんど(略
もうだめだ,思いつかない.
また思いついたら投稿します.
neokix
拝