King of 三日坊主 とむとむです。
ノートブックを前に使い方が分からない、書けない、続かない・・・
こういう経験の方は少なくないかと思います。
僕も気分の浮き沈みが激しいため、その時の心の状態で書いたり書けなかったりが多い方です。
大体僕が書けなくなるのは、非常に精神的に落ち込んでいる時、
もしくは滅多に無い事ですが、妙に気分が満たされていたりハイテンションな時。
要は気持ちの揺さぶりが大きすぎて平常心じゃない時です。
本来であればこんな時こそ、ノートブックに感情をぶつけるほうが良いのでしょうが、
なかなか僕はそれが出来ません。
書けない自分を情けないと思うこともあったのですが、
昨年の夏あたりから、ふっと心が軽くなる魔法の言葉が降りてきました。
「空白も記録」
記録が突然途絶えることで生まれる空白ページ。
書いているからこそ、生まれるギャップ。
しかしページはまっさらにもかかわらず、実は色んな感情がこもっています。
勿論、それは他の人が見てわかるものではありません。
僕は今年の2月あたりから、健康記録ノートがほとんど書けなくなりました。
今、その空白ページを見ていますが、不思議と色々思い出します。
・孤独にさいなまれ、寂しさのあまり、自暴自棄になっていた。
・しかしその直後、恋に落ち、今度はしばらく浮かれていた。
・その結果、食事制限のタガが外れてしまい、誘惑に負け現実から目をそらしていた。
ようやく最近、落ち着きを取り戻し、3週ほど前から記録を再開できるようになりました。
3~5月にかけては正直浮ついていたのだと思います。
記録を取らず、食事を見直すことなく生活したことで、先月の検査結果は非常に悪いものに。
(参考までに結果についてはこちら→ちゃりねこ復活編 「追い込む!!!」 )
この結果が現実に引き戻してくれました。
そして面白いことに書き始めれば、やっぱり楽しいんですよね。
この楽しさは理屈では説明が上手くできませんが、
記録を続けることで得られる結果への期待感とでも言うのでしょうか。
なかなか続かない、うまく書けない、でも楽しい。
この楽しさに気づかせてくれるのは僕にとっては空白のページだったりします。
日常もそんなものかもしれません。
何もないと思っていても、きっと何かがあるんです。
その隙間を「無」と取るのかどうか、変化のきっかけは意外と目の前にあるのかもしれません。
今は何もないページと向き合うことで、改めて記録の大切さも実感しています。
「空白も記録」 白いページも楽しんじゃいましょ。
ではでは、今日はこの辺で、とむとむでした。