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『ミッドナイト・イン・パリ』

Posted on 05 7月 2012 by

「パリを訪れたひとは、みんなこの街に恋するのよ」

ミッドナイトインパリ画像

『ミッドナイトインパリ』


監督&脚本:ウディ・アレン
主演:オーウェン・ウィルソン

(ワタシはこういうことばっかりノートブックに書いているのです)
映画レビューです。
(ネタバレになりそうな箇所は、白文字反転しています)
良かったです。ほんっとーーーに良かった。見ている間、シアワセだった、終わらないで欲しいと思ったくらい良かったです。
オープニング、パリの朝からお昼、夕方、夜にかけて、音楽だけが流れるシークエンス、もうこれだけがずっと写されても見ていられる、むしろ見ていたいと思いました。その音楽も素晴らしい!

話としては。
主人公は、ハリウッドの脚本家ギル(ちょっと文芸ヲタク?)。
彼は、婚約者と一緒にパリへやってきて、新分野の小説を書き、ボヘミアンぽい人生を送るという(ひそかな)ヤボウを企てているのですが、婚約者嬢の理解を得られず、何かと食い違いが生じる、そんな状況。
ある夜中、パリで迷子になったギルは、通りかかった車に乗せてもらったところ、行った先が1920年代の作家、文化人たちのサロンでーーー

と、いう、ぷちタイムスリップストーリーです。
この作家、文化人たちの顔ぶれがまたゴーカ!
仲良しフィッツジェラルド夫妻、(「退屈だよね」なコクトーのパーティで演奏する)コール・ポーター、オトコマエのパパ・ヘミングウェイ、どこか突き抜けているサルバトール・ダリ、肝っ玉おっかさんガートルード・スタイン、(影が薄い)ピカソ、おっとりマン・レイ君、あんなちょい役でもったいないぞT・S・エリオットなどなど。

ですが、ゴーカだなあ、と、うっすらわかればそれでイイよね、と。
この映画のレビューを読むと、彼らのことをわかっていたらもっと楽しめたのに…、てなことが多く書かれていますが、ワタシ的には、そこにはほぼ焦点が当たらず、楽しいのに、笑えるポイントいっぱいなのに泣きそう、切ないなあ、となったのが、主人公ギルの立ち位置でした。

物語の最初に、主人公ギルと婚約者は、偶然パリに来ていた友達からベルサイユ宮殿に行こうと誘われます。
ギルは当初予定していた某レストランに行くんだと言うんですが、そこへ行きたい理由が
「昔、教授がジョイスを見かけたお店だから」

そのキモチ、すっごくよくわかる!!

ベルサイユ行ってる場合じゃねえ!!

しかし、婚約者嬢とその友人にビミョウな表情をされ、そのギルの提案は、軽ーく却下されます。
こういう些細な行き違いが、物語中、ずっと続きまして。
ワタシがすっごく切ないなあと思ったのが、ギルと婚約者嬢が買い物をしている場面。
ギルのロマンとしては、「雨の」「パリを」「傘をささずに」「恋人と」「歩く」なんですが。
買い物の途中、雨が降ってきて、ギルは「せっかく雨なんだから、歩こう」と言い、婚約者嬢は「冗談じゃないわ」とさっさとタクシーに乗り込む、もうこれが何かでココロをちくちく刺されるようで。
こんなことさえ歩み寄れない、ギルがすごくつまらないことを言っているような反応をされる、座り心地が悪いとゆーか、砂でココロの表層をざりざりされているような気が。
(確か3夜目だったと思いますが、遊園地でのパーティでギルがノリノリで女の子と踊っていて、20年代に順応しまくり、超エンジョイしていました。もう、笑っていいのやら、泣きたいのやら、わかんなくて切なかったです)

『周囲との温度差』
これがもうものすごく肌にびりびするようでした。
自分の好きなこと、興味のあることが周囲に受け入れられないこと。
それを受け入れられる場所を見つけた時の嬉しさ、楽しさ。その溝の深さ。

えー、作中、ギルの履いているパンツと『アニーホール』でWアレンが履いてたパンツが、色、デザイン等ほぼ同じです。
どうかなあ、何十歳か若かったら、Wアレン、自分が主演したかったんじゃないかなあ。
若き日のWアレンがパブとかバーで、そういう話を振ったとして、周りからはほぼ無反応で、「あ、そっかー…」と、このギルと同じように言葉を飲み込んで、とか。
そういうことが繰り返されて、それは傷というほどはっきりしたものでなくても、鈍い痛みとしてどこかに残り、この物語になったんじゃないかなあ。
これは経験したひとじゃないと書けないモチーフかと。こういう感情、温度差は、想像だけでは作り出せないような気がするんですが。

そのギルに、「あなたの小説に恋したわ」「パリは雨の日が一番素敵よ」と理解を示すのが、1920年代に生きていた(ピカソの)モデル、アドリアナ・マリオン・コティヤールです。カワイイです。

そのアドリアナと恋に落ちて、盛り上がったり、すれ違いがあったり、更には、ベルエポックの時代にまたタイムスリップをしたりするんですが。
ワタシ的には、「ひとは、そのおかれた時代で生きるんだ」の辺り、これはもう物語を終わらせる流れくらいで、特に物語の核でも、カントクからのメッセージでも
ないんじゃないかな、と。

そしてエンディング。
ギルがアドリアナと1920年代をエンジョイしている間、婚約者嬢も元カレ?と浮気をして、結局は破局するんですが。
その時も、ギルは特に怒りもせず(まあ、自分も浮気してたからな!)、非常に穏やかに、まるで水がするりと流れるように別れを受け入れます。
それは、ギルの優しさとか、負い目による諒解ではなく、どこか『諦め』のようなもの、諦観、に見えました。
結局は理解し合えなかった、歩み寄ることができなかった「もう、いいよ」を力いっぱい洗練させた、
そんな諦観

ですが、その諦観で終わらず、「また明日から始めよう」と思えるエンディングで、(『カイロの紫のバラ』もそうなのですが)ハッピーエンドでもバッドエンドでも、このカントクの映画の終わらせ方は本当に好き。

すんばらしー音楽に乗せて、 パリという世界一の街を舞台に、そーゆー『飲み込んだ言葉 』を結晶させた物語。
見ることが出来て良かった。本当に良かった。と思える一作。

【余談】
フランス映画ですが、それほどたくさん見ているわけでもないですが、パリが舞台で、好きだなあと思い、憶えているのは、曇りやら雨やら、いわゆる『良くないお天気』のシーンばっかりです。
『ディーヴァ』のディーヴァとジュールの雨の日のデートとか。
透明感あふれる曇り空の下、セーヌ河岸で、軽ーい足取りのアコーディオン弾きのじいさまとか。
『ミックマック』で、世界の終わりかと疑うくらいの、ど灰色の空とか。

公式サイト:http://midnightinparis.jp/

(2012年アカデミー賞最優秀脚本賞受賞作でもあります。余談の余談)

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Profile: あなたと一緒に歩く時は、ぼくはいつもボタンに花をつけているような感じがします。

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