モレスキンを使い始めて4年、今年9月で5年目を迎える。
今でも友人から、こんな高いノートブックを何に使ったらいいの?って聞かれる事もしばしば、私自身まだその答えを得ていない。
でも、ノートブックだから何を書いてもいいんじゃない?
と思い、当時よく映画の小道具で使われるモレスキンに興味を持ち、映画「ダヴィンチコード」のロバート・ラングドン教授のように、使えたらカッコいいなぁ。という不純な?動機で、旅の事前資料集めに使い始めたのがきっかけ。
当時はまだノートブッカーという言葉すらなかった時代、モレスキンの使い方も、beforeからafterに変わった、旅と日常の記録がノートのほとんどを占めるようになった。
時に西暦2010年6月、モレスキナリーのYOKOさんから、「モレスキン人生をいれる61の使い方」(いわゆるモレ本2)の正式な原稿オファーがメールで届いた。
この時私は、スイスの山岳ホテルでこのメールをiPad2で受信した。登山旅行だったのでパソコンは持って行かなかったが、ヨーロッパのホテルは日本と違い、イーサネットよりwifiが主流なので、フロントでIDをもらえば、iPadで十分使える。
グリンデルワルドで、アイガー北壁直下「アイガートレール」を歩きながら、原稿を考えていた事をいまでも、覚えている。
アイガー北壁の登攀に成功した、ハインリッヒ・ハラー著の「白い蜘蛛」には、彼の登攀の記録が、緻密に記録されて出版されています。彼もまた、クライマーでありノートブッカーだったのかもしれません。馴染みのない方に、簡単に解説しますが、ブラッド・ピットが主演した映画「セブンイヤーズ イン チベット」は実話で彼が演じた役が、このハインリッヒ・ハラーでした。2010年に公開された「アイガー北壁」は彼が登攀に成功する以前のエピソードで、いかに人を寄せ付けない、魔の山だった事が見事に映像化されています。
日本と比較して、欧米では自然に対して挑む行為を高く評価します。日本では危ない事には、責任を取りたがらない行政が、蓋をしがちですが、グロバール社会の価値観の違いですね。
さて今回の最果てって?端ではなく、頂を目指しました。これも自己最高記録ですが、モレスキンと行く標高3883mの旅、日本では富士山より高い位置にある、チェルマットのGlacire Place.
近年「岳」「クライマーズハイ」「剱岳点の記」「ミッドナイトイーグル」と山をテーマにした映画の公開が続き、山への関心も高まっているように感じますが、ここでも命がけの「自己責任」の認識が重くのしかかってきます。
今回の脚の怪我で、医師から登山は諦めように言われました。でも、私の尊敬する登山家山野井泰史氏は、チベットとネパールの国境にあるギャチュンカンの登攀で、両手両足の半分の指を失いました。それでもなお彼は山を捨てません。私も彼にお会いした時に指を見せて頂きました。そのスピリッツを分けて頂きました。(詳しくは、沢木耕太郎著「凍」が出版されています)私も必ず治して再び山へ挑みます。
他のライターさんには、イラスト・デザイン・コラージュと何一つ適いませんが、ここに独りクライマーズノートブッカーがいる事。それが、私のアイディンティであり、notebokkers72の存在理由だと考えます。
この時がきっかけで、多くのモレスキナーと出会い、いまこうしてらしくもない?Notebookerのライターとして、この場にいるのが不思議でなりません。
1冊のノートブックが、人間のライフスタイルに影響を与える。あなたのノートブックも新しい人との出会いが待っているかもしれません。大切なことは、自らの判断で行動するすることです、さすれば、道は開かれん。