大人になってしまい、まとまった夏休みなんてなくなってしまったけれど、8月というと、いくつになっても夏休み的な気分が抜けません。お祭りに行きたいし、花火を見たいし、海を眺めたりかき氷を食べたり、プール行ったり、日焼けしたり、扇風機の前でアー(に濁点)て言ったり……。
今日は、大きな梨をいただいたので、仕事場の手休め時間に仲間で食べました。千葉は梨の産地なのです。とれたての梨は、大きいのにみずみずしくて甘く、そして、もうそろそろ夏が終わってしまうのかぁ…なんて気持ちにさせました。
そんなおセンチな気持ちはさておき、不意に訊かれた質問、「梨の皮とか…そういう皮むきって、いつ頃できるようになったのですか?」と。自分でも、いつできるようになったかよく覚えておらず、多分、中学生くらいには朝食のときにむいていたか…なんて思い出していました。何かが出来るようになるって、ちょっと不思議な気がします。出来なかった頃は、そのことが出来るのって、すごいなあ、なんでだろ?なんて日がな思っていたりするのに、出来てしまうと途端に当たり前になってしまう。その、出来ない頃の状態を忘れてしまうのが、不思議だなと思うのです。
夏休みって、全て(と思われるものから)の制限からの自由→そして、枠組みの中での生活への回帰……出来るということが例えば何かの制限からの自由だとすると、この出来ない→出来るの逆向きの矢印が夏休みの終わりってやつなのでしょうか。切ない!…でも、これが、なんとなく思っていた夏休みの開放感とか全能感とかそういう源なのかしら。
秋になるのはちょっぴり寂しいけれど、秋は秋で食べ物がまた美味しくなるし、色んな人たちとの中での新しい気づきもあるかもしれないし、そして、モレスキンにも新しい季節が来るしで、まだまだ楽しみはこれからですね。
楽しみに待ちます。
何かの折りにお会いしましたら、これもご縁と観念していただき、よろしくお願いします。