続けるというのは、ひとつの愛情なのかもしれません。
こんばんは、こめです。
月曜日、北海道から千葉へ、戻って参りました。
毎回、企画する度に「今度こそゆっくり旅しよう」と思うのに、実際にお出かけすると、すっかり詰め込み旅になってしまう傾向があるみたいです。同行者に言われて気付きました。
出し惜しみはしたくないのだと思います。また行くつもりです、その努力もします。でも、それはいつまで続けることが出来るのかわからない。何らかの行けなくなる状況に陥るかもしれない。今後悔したくない、だから足りるようにするために詰め込んでしまうのかもしれないです。
加えて、私はとても恵まれているなあ、と思っています。行く理由がある、迎えてくれる人がいる。そこで、何文字詰め込んでも埋めることの出来ない気持ちを埋める。一つ一つは、しょうもないことなのかもしれない。でも、それを、一つ一つ積み重ねるのは、楽しい。一度気になってしまい、好きになってしまうと、実際に会いたくて旅に出るのですが、1知ると10の誘惑が私を次の旅に導きます。そんなループで同じ地域に何度も行きたくなってしまうし、対話したくなります。
こんな考え方が、ポケットがふくらんでしまう理由に繋がるのかも、と思いました。一つのことには、もっと多くのことが含まれています。以前、「ポケットの中にはあなたにとって大事だと思うものを入れるべきであって、それはそんなに多くないはずだ」…みたいなことを言われた記憶があるのですが、ある意味ではそうなのかもしれない。でも、正確にはそうではない。大事なものというのは、一つ一つの積み重ねで、より大事になるので、たとえ、AがBに変化したからといって、Aは捨てられるものではない。AがないとBたりえない。
とはいえ、全てをとっておけるほど、私にもポケットにも容量はないので、適度にポイってしてますよ。全てを愛するほど人間出来てないから、私は。
それも、これも、やはり…
いい加減は、良い加減。