Categorized | Think, 世界の果て

「飲み込まれたことば」の物語。

Posted on 29 1月 2013 by

それは、別れの言葉。

晴海埠頭から

少し前の話になります。良く晴れた日に一緒に歩いた人。その頃の私は、ちょうど分岐点にいて、良く言えばどんな未来をも描くことができる、悪く言えば、日々ふわふわでゆらゆらと不安定な日々を過ごしていた。大学生の後半くらいからか、東京駅から晴海埠頭のあたりを歩くのが妙にしっくりときて、よく歩いていた。幹線道路(確か、国道20号→1号…だったかな)を渋谷、新宿あたりから東京辺りまで歩いたり、学校卒業してからは、仕事終わりに新橋から日本橋まで目抜き通りを歩いたり、色んなところをでたらめに歩いた。でも、一番よく歩く経路は、東京〜晴海埠頭だった。その日は、私らしいことを、ということで、一緒に歩いた。さすがに帰りはバスを使ったけれど。

当時は、歩くとき、長距離は大体一人で歩く。何かの考えに詰まったときに、無性に歩きたくなった。にもかかわらず、歩いているとき、あまり込み入ったことの考えを進めることはない。ただ、どんどん歩く。歩くことに、その経路や安全確保などに、集中する。歩いているうちに、何かがストンと落ち着いている……ときもある。落ち着かなくても、身体に疲労が溜まり、とりあえず眠れるようになる。
誰かと長く歩くとき、それはあまりないのだけれど、そのときは、とりとめもないことを、ただダラダラと話す。よく歩く経路の場合は、ちょっとした道の紹介をしながら歩く。その日もそんな感じだったと思う。

別れの日、と決まった日はなかった。
ただ、気づいたら、もう、会わなくなっていた。どうしてそうなったか、おそらく原因は私にある。何か、余計なことを言ったような気がする。言うことなど、よく失敗するのに、その失敗について客観的に書いてみたり、誰かに話してみたりすることを、今まで避けて来たな、ということに今更気付いたところ。ノートにもそういう記録を見ることはできない。当時も、自分の失敗について何も話さぬまま、ただ訊かれれば、会わなくなったことを話すのみだった。

結局、そのことばは宙に浮いたまま。私の訊きたかったことも、そのまま。想いは時間が経つ流れの中で、風化していく。今は、会いたかったのか、そうではなかったのか、もはやわからない。

——–

これが私の「飲み込まれたことば」の物語。
久しぶり、モレカウことタカヤさんからのお題で、記事を書いてみました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

Name:
Profile: 千葉県在住のピーナッツ娘です。 日々地味な仕事で色々なものを支えています。 今までの楽しいことも、これからの願い事も、ノートに詰め込みすぎて少しパンク気味。 若干浮遊する程度の幸せを意識したい。気持ちは帰宅部。 ライフワーク→声楽、趣味→写真撮影(NikonFが好き、iPhoneも好き) メインノートはモレスキン。

Photos from our Flickr stream

See all photos

2022年12月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

アーカイブ