近代絵画、探し物の発見について

最終更新日

a37b554f.jpg

Edward Hopper(エドワード・ホッパー)という画家が昔からみょうに大好きだ。
パリで絵画を学んだあと、ニューヨークに出てきて活動していたらしい。「都会で暮らす人」とか、「自然に侵食された人工物」等を描いた。この何気ないシーンはかなり有名な絵なんだけど、とてつもないくらいクールに切り取られているのが好きな理由なんだと思う。ホッパーに描かれる大都市で暮らす人たちは誰も皆孤独で疲れているように見える。背後には何かストーリーを想像してしまう。そういったイメージをつむいでいくと、ざわざわっとした妙な気分を感じるときがある。それがそのホッパーの魅力だと思う。

詳しいことはわからないけど、それと似た気分にさせてくれる現代画家でEric Fischl(エリック・フィッシュル)という人がいる。今から約5年前くらいにその人の絵画を見てからずっと頭の隅っこにスタンプのようにペタンと張り付いていた。ずっと名前を思い出せず先日雑誌をぱらぱらとめくってると突然のように再び現れた。この人の絵は、何気ない人物画が多い。しかし何かがおかしいし、じーっと見ているとどこか不安なものに到達する。その不安さがホッパーのものと何か似ている気がする。
こういった不安感とか孤独感を感じる作品は他にもいろいろあって、まったく脈絡もないのだが、Tom Wesselmanの”Bathtub  Collage”とかGeorge shigalの作品を見てても感じる。
こういった作品が持つ孤独感というのに僕は多分魅かれてしまうんだと思う。

話はずれるけど、よくこういったように何年も思い出せない曲が僕の場合よくあって、今から7年前にもとあるミュージシャンが思い出せなくて困ってたら、ゲーセンでビートマニアやったらなんとその中に収録されていた曲がそうだった。なんていうアーティストかというと「US3」のリミックスしたご存知ハービーハンコックの「Cantaloop」だった。つまり今から7年前はまったくもってジャズに詳しくなかったということだ。

頭の中に絵画が貼りつくという表現は本当にあると思う。オレンジジュースを注いでる時とか、ウインドウショッピングをしているときとか、おしりを拭いているときとかに、突然思い出す。それで必ず探しているものも、数年越しに思いつづけると必ず突然のように発見される。不思議だ。

タカヤ

ヒッピー/LAMY・モレスキン・トラベラーズノート好き/そしてアナログゲーマー

シェアする