Moleskineに手書きで小説を書き始めた自称・物書きの望月です。
セレンディピティなる言葉もありますが、自分が気になる・・・と思ってるものって、意識していないつもりでも何かと目につくようになりますよね。
最近ではプロの作家さんもパソコンで入力される方が大半です。今も原稿用紙に手書きしている方は、だいたいが年配の作家さんだと思います。
手書き好きの人間としては、やっぱり「直筆原稿」っていう響きに憧れます。
漫画家さんですと、「原画展」と称したイベントは盛況になりますしね。
先日、地元図書館でふらふらと読む本を物色していると、目に飛び込んできたのが。
「直筆で読む『坊ちゃん』」
漱石の直筆原稿を撮影、書籍化したものでした。
思わず借りて読みましたが、はっきり言って読みにくく。詰まってばかりで、「物語を楽しむ」という読み方はできません。当時はかなもまだ変体かながかなり使われていましたし、漱石は一般的な変体かなとは違う書き方をしていたりするので、なかなか大変です。漱石のお孫さんが解説を書かれていますが、数ページで投げ出したとコメントされています。
ただ、当時の漱石の筆跡や、定子による校正、印刷会社の朱入れなど、編纂具合を垣間見ることができます。
小説というのは、作家が書きしたためた第一稿がそのまま本になるわけではありません。
これは手書き原稿も、テキスト打ちされた原稿も同じですが、何度か校正がはいりますし、出版社の意向などによっては書き直しすることもあるでしょう。
「坊ちゃん」の場合は、版を重ねるごとに「勝手な解釈」で変更された部分もあるそうです。
もしかしたら、漱石はこだわってそう表記したかもしれないのに、誤字だと判断された部分もあるとか。
長い間、直筆原稿が見直されることもなく、初版で出したものを基本として「全集」を作ったりもしたそうです。
テキストファイルですと、誤ったところを修正すると、元々は何だったのかが残りません。
手書き原稿だからこそ、その経緯も見えてくる。
私がノートにしたためている小説も、後からテキスト入力します。
その時点で、変だなとか思う部分は軽く校正しながら入力していく。
でも。ノートに書き記したものは、正真正銘「第一稿」として、残るのです。
いつか、価値が出る日を夢見て。
今日も物語を紡いでいきます。
皆さまがノートに綴るものも、「直筆で読むエッセイ」「直筆で読む旅録」「直筆で読む日記」となるわけですよね!
ノートが、皆さまの「直筆原稿」ですね。