失ったMoleskineを手に入れるまでの考察 #5

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前回の続き:半ばあきらめかけていたところ、僕のMoleskineを発見したとBからの電話が入る。

「ベンチの上に、あなたのノートが置かれていました。」
それはまるで異国の人に車のクラッチについて説明するように、ゆっくりとしたしゃべり方だった。

電話の向こう側で、Bは公園でモレスキンを発見したことを僕に伝えた。僕が無くした翌日の朝、犬の散歩の際に見つかったそうだ。公園のベンチの上で僕のモレは、ぽつんと置き去りにされたチワワのように置かれていたとのこと。モレスキンの冒頭のページに記載されている僕の電話番号を確認し電話をかけてきたそうだ。彼女は自分の名前と要点をシンプルに伝えると、微かに沈黙をした。
そのかすかな空白の後ろ側でフィッツジェラルドの「エイプリル・イン・パリス」がかけられていることに気がつく。もう10月にもなるというのに、ボーカルはただ静かに4月のパリのことを歌っていた。

Bはどこかの店舗から電話をかけてきているのだろうか?店舗で勤務しており、その仕事の合間に電話をかけてきているのだろうか、僕の頭の中では様々な想像がかけめぐった。
僕はBとの対話の際に、静かに応対していたものの、このまま見つからないものだと半ばあきらめ気味であったモレスキンが見つかったとの連絡を受け、少しどきどきしていた。

彼女は僕の言葉を待つ、気の利いた言葉を捜すが特別思いつかず、「ありがとうございます」と僕は伝えた。不思議なことにその言葉は、意味を軽く失って宙にういているような気分がした。なぜかその場に相応しくない言葉を述べているような感覚だろうか。

「ベンチの上に、あなたのノートが置かれていました」

僕は頭の中でBのシンプルな言葉を反復する。
特別な感情がこもらず、ただ事実をそのまま語ったBのその言葉は、余分なものが何もなかったが、素っ気なくはなかった。彼女にとって、ただそういった自然な話し方なのだろう。Bは声の雰囲気から10代のように感じるし、30代のようにも感じる。
僕らは自分たちの生活の中で、出会った相手を、第一印象で今までであったタイプと比較し、記憶のスクラップブックのポケットに、相手のお尻のほこりをパンパンと軽く払って放り込むものである。僕も例外に漏れず相手をこそっとポケットに分類するクセがあった。
Bの声は小さな声で話した印象と、背後の70年代に録音された古いジャズボーカルの音源からか、印象が特定できず、まるで夢の世界から電話をしてきているような感じであった。
愛犬とのシンプルな生活を楽しみ、好きな音楽を聴き、友人は毎日会うものではなく、たまに会っても友人でいれる人を大切にするといった人物を想像するのだがいまいちピンとこない。鍋を買うにも店舗に足を運んでは3週間ほど吟味するタイプでもない。その短い会話でわかったのは、言葉をゆっくりと選択しながら話すタイプであることと、その選択をする時間が、相手にときどき戸惑いを持たせてしまうことをコンプレックスに感じている。数少ない友人からの忠告で、クセを直そうと普段は考えているが、いつも考えることが多く、思ったよりも捗らない、そういった日々を空想した。

モレスキンの冒頭に書かれた「この手帳を失ったときは以下の対価を払います」といった項目がある。
ここに「$」マークがあり、モレスキンのユーザはそこに自分が愛用しているモレスキンを発見してくれたことに対して、お礼で払うことが可能な金額を書き込むことになっている。
僕は簡単なお礼がしたかっこともあり、Bに直接受け渡すことは可能であるかを確認した。彼女は、ゆっくりと考えた後に承諾をした。

そしてBは会う場所を、伝えてきたのだが、内心驚いた。
その場所は、僕がその昔付き合っていた彼女と、デートで利用したカフェと同じだったのである。
頭の後ろ側で何か小動物のようなものがカサっと動くような感覚がした。

夕方にそのお店でモレスキンを引き取ることを約束し、簡単なお礼をいい電話を
切る寸前、Bは一言気になることを僕に伝えた。

「すみません、謝らなければならないことがあります。」・・・しばし空白。
「ノートの中身を確認をした際に、大変失礼だとは思いますが、書かれていたことをいくつか読んでしまったのです。」
「いやいや、それはしょうがないと思いますよ。大半の人はそうすると思いますよ、正直に仰っていただいてありがとうございます。」
「その内容の事で、お会いした際にお伺いしたいことがあります。詳しくは、その時に・・・」

いうまでもなくその直後、必死に思い出す作業に集中した。
書かれていたことで彼女が気になりそうな内容が何かあっただろうか?と、書いてあったことを必死になって思い出そうとするのだが、よくわからなかった。しかも、普通は読んだことを黙っていないだろうか?なぜわざわざ正直に切り出したのだろう。

いくつか疑問は残ったものの、僕はこうして、札幌から小樽に向かうことになった。
別な言い方をするとA点からB点への移動。
二つの点を結んでみる。そこには一本の線が引かれている。
なんのことはない、これはそのモレスキンに書き留めた一本の線の記録である。
Aは僕、Bは彼女。その間に引かれた一本の線。ただのシンプルな話に過ぎない。

タカヤ

ヒッピー/LAMY・モレスキン・トラベラーズノート好き/そしてアナログゲーマー

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