Al tuo posto , io comprerei un quaderno.
イタリア語のクラスで、今、条件法を勉強しています。
今回は人に何かを勧める言い方の練習をしていたところで、「先生の姪っ子さんが22歳の誕生日で、プレゼントを贈ろうと思っているが、何を買えばいいか」というシチュエーションで、不意に出て来たのがこのことばです。
皆、マフラーとか手袋とか本とか…色々良さげなものを提案していたので、モノを被せないことがルールの練習の中、何が被らないかな…と考えた末、私は結局ノートに辿り着きました。こちらに少し記事書かせていただいてるとはいえ、そんなに私の心の中にノートが巣食っていたのかと思うとちょっとびっくりです。「手帳ではないの?スケジュール帳ではないの?」と訊かれても、私が見せたノートは純粋なノート(モレスキンのルールドポケットサイズ)。この反応は、もしかしたら、日常使いでノートを持つというのはあまり一般的ではないことを意味するのでしょうか。そうであれば、この年代だからこそ、日常のノートというものをお勧めしたいです。正直、私も20代の初めの頃から、日記でもない、スケジュール帳でもない、単なる日々のノートを使う暮らしをしていたかった。やってみて初めてわかるのですが、日々ノートを持って暮らすのはなかなか素敵なものです。書くことそのものも、何かを貼ること、記念のものをしばらく挟んでおくこと、そして後で見返すことなど、どれも楽しい体験です。などど書いてみたけれど、こうやって書くだけでは何にも説得力がないので、少しずつ(私のノートという少ない実例ですが)綴っていきたいです。
【ノートことはじめ】
今回は、初めてノートを持ってみたものの、第一刀ならぬ第一筆に悩んでいるという意見向けの内容です。
「きれいなノートだから、もったいなくて変なこと書けない」とか「とっかかりが見つからない」という意見を、例えば一緒に限定モレスキンを買ったノート慣れしていない方とか、とりあえず素敵なノートだから買ってみたという方から聞くことがあります。仕事や趣味でもそうですが、作業を続けるということより、始めてみるということが一番難しい、そういうことと同じ現象。なので、ひとことだけ言う場合は、「とりあえず落書きでも何でも、ノートを汚すことが新しいノートをおろすことなのだと思ってやってみてください、きっと面白いです」と話すようにしています。ただ、実際それを聞いても抽象的すぎてピンと来ないのだろうなあ、と今更ながら気付く自分もいます。
それにつけて、ネットなど徘徊するとノート好きな方のすんばらしいノートを見てしまう…決してその存在を否定するものではないし、本当にすごいなあと思いますが、日常のノートを始める参考としては萎縮しちゃうのではないかしら…と思い、恥を忍んで私の初ページをさらしてしまおうかと思いつきました。
日常とか言っておいて、完璧に旅行準備のノートと化していた…。
かなり浮かれて書いていました。白状します。ただ、これがきっかけで、表紙の厚いノートを使うことへの抵抗が無くなって、ノートを日常的に持つことに魅力を感じるようになったことは確かです。ここから、ノートそのものには興味があるけれど、何となく使い始められないなあ、という場合には、まず浮かれた時に勢いで書いてみる、というのをお勧めできそうです。個人的には、旅のはじめ。準備するモノや乗り物の時間の覚え書きなど、携帯の電波がなくても確認できるのは、意外と便利です。
私の初ノートのお話におつき合いいただき、ありがとうございます。
ノートはいいねが付くのを期待するために使うものではないです。人に見せることもあるけれど、自分が楽しいことが一番です。そこに注力することにより、きっとノートは自分のノートとなると信じています。
私は、ノートを使う人のノートより、日常のノートを持つ方のその日常のお話を聞きたいです。
まだしばらくは私もここにいられるはずなので、ぜひお話を聞かせてください。