Happy Holiday! Notebookers!
明日、12月22日(日)、クリスマス、アドベント4週目です。
4週目は、実はもう1週目を書く前から、コレにしようと決めていました。
クリスマス! そしてワタシ! もうネタはひとつだろう!
ということで、『ナショナルストーリープロジェクト』ポールオースター編であります。
まず。
1週目の記事の終わりに書いた『クリスマスキャロル』のフレッドの台詞を、もう一度。
「ぼくは、クリスマスがめぐってくるたびに、クリスマスってなんてすてきなんだろうと、あらためて思うんですよ。(中略)とにかくクリスマスは、親切と、許しと、恵みと、喜びのときなんです。長い一年のなかでもこのときだけは、男も女もみんないっしょになって、ふだんは閉ざされた心を大きく開き、自分たちより貧しい暮らしをしている人たちも、墓というおなじ目的地にむかって旅をする仲間同士なのであって、どこかべつの場所へむかう別の生きものじゃないんだってことを思い出すんです。」
ここにある
1)親切
2)許し
3)恵み
4)喜び
ディケンズは、この4つをクリスマスの精神としています。
3)の『恵み』は、原文では charitable とあるので、コレは『慈悲』『慈善』という、困っているひとを助けること、いたわりの心、というカンジで、トータルして『恵み』かと。
クリスマスキャロルは、ごうつくばりのスクールジが、この精神に目覚めるまでの物語で、では、具体的にはどういうことか、というと。
多分、こういうことじゃないかなーという一編が『ナショナルストーリープロジェクト』の中に。
■『ナショナルストーリープロジェクト』
ポールオースターが編集した本なんですが、もともとこれは、1999年から2001年にかけて、NPR 全米公共ラジオで企画された番組でした。
リスナーから物語を募集し、それを番組中で作家ポール・オースターが朗読する、という企画。
『募集する物語はこういうものですよ』と、オースターは、リスナーにこう呼びかけます。
物語は事実でなければならず、短くないといけませんが、内容やスタイルに関しては何ら制限はありません。私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂のなかで働いている神秘にして知りがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです。(略)とにかく紙に書きつけたいという気になるほど大切に思えた体験なら何でもいいのです。
全部で四千通ほどの投稿があったようです。
(内容やスタイルについて制限はない って、Notebookers.jp この企画にものすごく近い気がするなあ)
この中からピックアップした179の物語を、ラジオで朗読しました。
アルクからCD付きの対訳本も出ています。
ポール・オースターが朗読する ナショナル・ストーリー・プロジェクト
そして。
それらの物語は、動物、物、家族、スラップスティックなど10のカテゴリに分けられ編集され、”I Thought My Father Was God, and Other True Tales from NPR’s National Story Project”(これが原題。邦題は『ナショナルストーリープロジェクト』)として出版されました。
この中の『見知らぬ隣人』というカテゴリの「一九四九年 クリスマスの朝」という1編がすばらしいので、これを紹介しようと思います。
『隣人』というと。
字だけを見ると、じぶんちのお隣の方、ご近所の方、という意味に取れますが、えー、見知らぬ、とあるので、どちらかというと stranger 的な、ですが、特別なセレブリティではなく、また、なにか人知を越えた超能力を持っているひとでもなく、見知らぬ、だけど親愛なる、どこにでもいるふつーのひと、くらいのイミかなあ、と思います。
(Notebookers的に言うと、『遠くにいる友達』?)
語り手は テネシー州在住の女性で、シルヴィア シーモア エイキン。
彼女が子どもの頃のクリスマスを回想して、投稿したものです。
クリスマスの朝の礼拝からの帰り道、シルヴィアは、長距離バスの停留所で、短いひさしの下で雨宿りをしている5人の家族連れを見かけます。
祖父母の家のパーティに行く途中、シルヴィアの父親が、その家族連れに声をかけて…
以下、しばらく引用。
赤い文字で『父』はシルヴィアの父親、緑色の文字の『父親』は、その家族連れの父親です。
(シルヴィアの家族として… 両親 姉(ジル) 次女シルヴィア 妹(シャロン)です)
一九四九年 クリスマスの朝
(略)
「バスを待ってるのかい?」父が訊きました。
父親はそうだと答えました。バーミングハムに弟がいて、仕事の当てもあるのだ、と言いました。
「バスが来るまで、まだあと何時間もある。このままそこにいたんじゃ濡れてしまう。この先を三キロほど行ったところにウィンボーンの停留所がある。あそこなら屋根つきだし、ベンチもある。さあ、乗って。送ってあげよう」と父は言いました。
父親は少し迷っていましたが、すぐに家族に向かって手招きをしました。みんなが車に乗ってきました。着のみ着のままで、荷物も持っていませんでした。
みんなが座席におさまると、わたしの父が後ろを振り返って、サンタさんはもう来てくれたかい、と子供たちに訊きました。黙って見つめ返す三つの暗い顔が答えの代わりでした。
「ははあ、やっぱりな」わたしの父はそう言って、母に目配せしました。「実は、けさサンタさんに会ったんだが、君たちの居場所がわからないと言ってひどく困っていたよ。それで、おじさんの家にプレゼントを預かってくれないかと言われたんだ。バス停に行く前に、ちょっとそれを取りに行こう」
三人の顔がぱっと輝き、とたんにシートの上で跳びはねたり、笑ったり、おしゃべりしたりしはじめました。
家に着いてみんなが車を降りると、三人の子供たちは玄関に駆け込み、クリスマスツリーの下に並べてあった玩具めがけて一直線に走っていきました。片方の女の子はジルのお人形を目ざとく見つけ、ぎゅっと胸に抱きしめました。男の子はシャロンのボールをつかみました。もう一人の女の子は、わたしの物を手に取りました。もうずっと前の出来事ですが、そのときの光景は今も目に焼きついています。わたしたち姉妹が、人を喜ばせることの素晴らしさを知った、はじめてのクリスマスでした。
シルヴィアたちは、祖父母の家のパーティに来ないかと誘うのですが、その一家は固辞します。
そして、ウィンボーンのバス停に送る途中、シルヴィアの父親は…
父はポケットに手を入れ、次のお給料までのなけなしの二ドルを出すと、父親の手に無理やり握らせました。相手は返そうとしましたが、父は受け取りませんでした。「バーミングハムに着くのは夜になる。子供たちがお腹を空かせてしまうだろう。いいから取っておいてくれ。わたしも前に無一文になったことがあるんだ。だから家族を飢えさせてしまうのがどんなに辛いか、わかるんだよ」
一家はウィンボーンの停留所で車を降りました。わたしは遠ざかる車の窓から、真新しい人形を大事そうに抱いている女の子の姿を、いつまでも見送りました。
クリスマスの精神、『親切』『恵み』『喜び』(あ、『許し』がない)が きゅっ と詰まった物語かと。
こういった『困っているひとを助ける話』では、ワタシは、困っている側のひと、この話では、シルヴィアんちじゃない方の5人の家族連れ、このひとたちって神様じゃないかあと思ったりします。
クリスマスじゃなくても。クリスマスならなおさら。
えー。ポールオースターは、偶然をすごくよく書いている作家さんで、読む側も、同じような偶然が起こったー!いう事例を多く見かけるんですが。
前述しましたが、原題が ”I Thought My Father Was God,(略)”、ひじょーにイイ感じに、オースターの手の中で転がされているような気が。
■オーギー・レンのクリスマス・ストーリー
SMOKE オーギー・レンのクリスマス・ストーリー(柴田元幸氏の朗読)
(ワタシがクリスマスにコレを素通りするワケがナイ)
■SMOKE
Smoke by Wayne Wang & Paul Auster
(ワタシがクリスマスにコレを素通りするワケがもっとナイ)
(この動画で満足しないで、本編も見てくださいねー)
Notebookers、皆様、どうぞ良いクリスマスを♪