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Crossborder’s Blues ~越境者の憂鬱~ なかしぃ

Posted on 19 4月 2014 by

国境を越える・・・海外を旅したことのある人でも全員が陸路で国境を越えるという体験をするわけではない。陸路で国境を越える行為というのはバックパッカーにとってある種の儀式であったり、感慨を抱く行為なのかもしれない。かつてヒッチハイクをしながら世界を回るという企画をテレビで見たり、沢木耕太郎の深夜特急を読んだことのある方は憧れを持ったかもしれない。しかし、ボクにとってはあまりいいものではなかった。タイトルにもあるように、文字通り憂鬱なものであった。

ボクはかつて何十回も国境を越えてきた。しかし好きこのんでそうしたわけではない。人生最初の国境越えは香港から深センだった。このときは26歳のときで、初めての海外旅行で一人旅。そのときは自分の意思でそうした。まぁ、国境越えといっても一国二制度というなかでのボーダーなので、本当の意味の国境ではないかもしれない。

しばらくして本当の国境越えをすることになる。今回は遊びではない、ビジネスでの出張だった。詳しくは言えないがある種の国境ビジネスで日本では非合法な業界に身を置いていたからだ。東南アジアの国境沿いというのはちょっとした盛り場である。国境を越える人々がさまざまな思いをもって行き交う地点。人が行き交うということは必然的に人が集まりマーケットができ、娯楽産業が栄えることになる。中東やヨーロッパは知らないが、アジアではごく普通の現象である。最初(?)の国境越えはタイのアランヤプラテートからカンボジアのポイペトであった。ここはバンコクからアンコールワットのあるシェムリアプへと続く道の途中にある。このカンボジア側のポイペトにある取引先へ商談に行くために国境を越えるのだった。タイ側のイミグレを通ったらカンボジア側のイミグレで、手続きはあっという間であり、日本人であるボク以外は国境周辺に住むタイ人の行商人か南アフリカから来た白人のバックパッカーくらいである。

そして無事に手続きを終えるとたちまち子供が寄ってくる。3~4歳の女の子が乳児をおんぶして日傘をこちらにさしかけてくる。けなげで可愛らしく、同情を誘う光景であるが女の子は手を出してチップを要求してくる。アテンドしてくれる人曰く、容易にチップをあげるとどこからともなく他の子供も湧いてきて全員にチップをあげないと収拾がつかなくなるのでチップをあげるのは止めておけ、と言う。しかも、彼女たちの背後には組織がついており、そうして稼いだ売り上げを回収するそうだ。その代わり生活は保障してくれるので貧しいかもしれないが生きていけるそうだ。その後何度もポイペトを訪れることになるが、その一件があってから物乞いの子供に対して同情する心は一切持たず、動物を見るような感覚になっていった。もしかしたら人間として大切なものを失ったのかもしれない。ただ、こちらも国境で商売するので情け容赦というものを持っていたらやっていけないのかもしれない。

ポイペトはカンボジアがポルポト派による内戦で難民キャンプになったことがあり、今でこそ発展しつつあるがちょっと道を逸れると地雷が埋まったままなのでうかつに歩くことは出来ないと言われた。ではどうするのかというとホテルのリムジンで何件かあるホテルの間を移動するのが一番安全であるとのことであった。現地の人は普通に歩いていたりリヤカーを引いたりしてなんともなさそうであるが。

さらに不安にさせるのが、パスポートをホテルに預けなければならないということである。人にも寄るがボクはパスポートを肌身離さず持っておかないと不安になる。ましてや英語も日本語も通じないしこちらはカンボジア語もタイ語も分からない。何かあったとしても一人では何も出来ない状態というのは極度の緊張状態になる。この感覚は何度訪れても慣れないものだった。ただ、客のほとんどがマレーシア華僑なので英語も通じるし広東語でも最低限のコミュニケーションが取れるので商談は不自由しなかったが。この後ポイペトへは半年間毎月通うことになるが、何度訪れても体が警戒態勢を自然にとってしまう。人間の本能はすごいと思わざるを得ない。

余談であるが華僑は身なりがきちんとしてようがラフな格好であろうがモンブランのボールペンを胸ポケットに挿している人がやけに多い。こちらもハッタリをかますためマイスターシュテックのボールペンを買ったがボールペンの機能としては満足のいくものではなく、特に替え芯は日本のボールペンの方が良い。名入れをしてもらったので売るに売れないので、将来子供が出来たときにあげることにする。

東南アジアの国境ビジネスのある業界の現場のマネージャークラスはほとんどがマレーシア華僑で元同僚だったり師弟関係だったりするので他の国境のことも教えてもらったり紹介してもらったりして新規開拓をしていった。例えばカンボジアのオースマイ、ベトナム側から行くところではバベット、国境ではないがベトナムのハロン湾やドーソン、また中国の南寧との国境沿いのモンカイなどに行ったが、誰々を知ってるとか紹介してもらったとかいうとフレンドリーに扱ってくれた。ただ、商売の方は厳しかったが。

実は密入国もしたことがある(結果的にではあるが)。オースマイの国境は小学校の校庭と周辺を区切る金網のフェンスみたいなものをくぐるだけで、そこから歩いてイミグレまで行って手続きをしなければならないが、国境とイミグレの間にあるホテルに泊まったのでノービザで滞在できた。見つかったら強制送還か?とびびりながらだったが、客の車で小さいマーケットをドライブしたり川魚の料理を食べたりした。和気あいあいと振舞いながらも内心どきどきであった。

無事に帰ってきているからこうして記事も書いていられるが、現地にいるときは無事に帰れるか気が気でなかった。昼間は気が張っているから何とか持ったが、夕方になってホテルに戻るとそれまでの緊張が解かれどっと疲れが出る。接待でお酒を飲まされているからお酒で緊張を解くこともできないので、マッサージにはよく行った。物価が安いので2時間コースでも数千円で済む。心地よい揉みが心も体も癒していく。どんなに気持ちよくても2時間以上やるとアホになる。

ボクはあの業界からは既に足を洗ってかたぎとしてまっとうに生きているが、この先もう二度と東南アジアの国境沿いの街に行くことはないだろう。バックパッカーになって貧乏旅行をするには歳を取り過ぎてしまった。今は昔と比べて治安も良くなり発展しているかもしれない、または時間が止まったまま取り残されているかもしれない。どちらにせよ命あっての物種である。まだ若かったら思い出の追体験としてリベンジしたかったし、もっと現地の人とふれあったり市場をぶらぶらしたかった。今となっては思い出の風景として心にしまっておくことにする。

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Profile: ボールペン画家にしてぺら部の創設者、しかしてその実態は? Notebookersのwriterの中で一番内容が薄っぺらいですが何か?

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