書き終わったモレスキン デイリーダイアリーがあります。
2014年1月8日から9月13日まで(というか、最後の日付が書いてあるのが9月13日。ワタシはあんまり日付を正確には書き入れていないのです)8か月少しの間、使いました。
えー、2013年のデイリーダイアリーで、なので、1日1ページの仕様なので、ふつーのモレスキンラージより、たっぷり書ける、と思い、ふつーの雑記用ノートブックとして日付関係なく、書いていまして。
コレが。
なんとも、忘れられない一冊のノートブックになりました。
ワタシのノートブックは、ご存知の方はご存知なのですが、ノートブックを横にして、縦に開く『せら開き』と呼んで頂いている開き方でして。
モレスキンでも、トラベラーズノートでも、要は、改行を少なくしたいので、長辺を横にして使っています。
デイリーダイアリーはルールドなので、どうしようかなあと思っていたのですが、そうか、見開きで一面として書けばいいんだと、たっぷり横に長く書けるなあ、と、えー、非常に贅沢なページの使い方をしていました。
ほとんどが読んだ本の抜き書き、ヒトコト、フタコトの感想、日々考えたこと、旅のこと、美術館や博物館に行った時のことなどーー記録というよりは、インプットしたものをアウトプットして、さらにもう一回インプット、自分の中に入れ直す媒体なカンジで、キレイには書き残していないのですが、ノートブック、ワタシにとっては、本当に、何でも入れるおもちゃ箱でして。
そのおもちゃ箱、400ページ近く、たっぷり書きました。
初デイリーダイアリーだったので、今まで使ったことのないページがたくさんあり。
なんだかすごく「使うよ!」というキモチが前向きに。
例えば。
ワタシは
コレとかコレというような記事を書いてまして、海外ブンガクが好きで読んでいるのですが、あ、いいモノを見つけた、と思ったのが世界地図でした。
ワタシは迷子体質なのですが、地図も好きで、現実の世界地図も、中つ国やナルニアの地図も好きで、そうだ、読んだ作品の舞台になった国、地方にチェックを入れていこう、と。
こんなカンジで。
8か月でこのくらい埋まりました。
やっぱりヨーロッパに偏ってるなあ。そして、えー、ココロのふるさとの北米の更に北、アンカレッジ、ノーム。この辺りが舞台の物語もダイスキー!
「○○ってどこ」とソボクな疑問から始まり、地図帳を見たり、検索をしたり。
なんというか。
例えば、バルザックの『サラジーヌ』を読んだ後で、ベルンハルトシュリンクの『朗読者』を読み、えー、地理的にはフランスとドイツ、お隣だけど、並べて書くのをちょっと遠慮したり。
他にも。
ジャックロンドンの『火を熾す』を読んだ時、舞台がアラスカ、その冬の頃で、えー、気温が華氏で零下75度、氷点は32度なので、氷点下107度とありまして。
デイリーダイアリーには、摂氏と華氏の対照表があるのです。
これはすっごくありがたかったなあ。
(他にも、長さや重さの換算表もあり。海外モノを読むには何かと便利かと)
そして、見開き2ページで4か月分マンスリーのページもありまして。
ここには、作家さんの誕生日やご命日、その他 記念日などを書き込んだり。
(9月までなので途中で終わってしまいましたが)
このデイリーダイアリーを使っている時期に読んだもの、これがまたすばらしい作品が多く。
ジョルダーノ『兵士たちの肉体』
オコナー『フランクオコナー短篇集』
『アイルランド短篇選』
タブッキ『夢のなかの夢』
トウェイン『ジムスマイリーの跳び蛙』
この中で。
えー、タブッキ『夢のなかの夢』の『アルチュールランボーの夢』がまた素晴らしく。
4、5ページの短篇でして。初めて。やってしまいました。
全文写しました。
丸ごと、全文写したいと思う作品はたくさんありましたが、実際にしてしまったのはコレが初めてでした。
なんていうのだろう、自分の中に入れ直す、咀嚼する、消化して血肉にする、したい、と思う。
文章、物語なんてゆーものは、カスミのようなもので、つかむことも、噛みつくこともできないので、『入れ直す』ことはともかく、血にも肉にもならないのですが、そのカスミを捉まえる唯一の方法が『ノートブックに書く』ことなのかも知れない。
そして。
2014年9月13日から読み始めた、ガルシアマルケス『百年の孤独』。
ワタシは、本を読む時、あとがき、や、解説から読むのですが。
これもそこから先に読みまして。
マルケスのばー様が、素晴らしい語り部だったと。
その辺りもノートブックに書いていて、本当にコレ、読み終わるのかな、と思った覚えが。
ワタシは本を読むときは、ばーっ と一気に読んでしまって、それで気に入った文章などをノートブックに書き写すのですが、この本はそうは行きませんでした。
世代を経て、繰り返される同じ名前の登場人物、止まらない、一時停止もない状態で、次から次へと物語が押し寄せてくるような。
それを流して、見失ってしまわないために、このノートブックに系図を書いて、エピソードを書き添えていたんですが。
それでも。
なんというか。
なんとか自分のトコロに留めよう、という努力(っていうのか)は、もう本当に篩で砂とか水を汲むようなもので、コレはワタシのものにはならない物語なのだなあ、と、今、デイリーダイアリーを見返して思っています。
どんな本を読んでも、えー、好きなだけ抜き書きして、感想も書いて、いろんな別の本や映画のことをひっぱってきたりして、好きなだけ書いたら、それで気が済むんですが、これは、好きな場所を書き写し、思い出した別の物語のことを書いたり、どんなに好きなよーに書いても書いても、終わりがなく、ものすごく『まだ何か書き足りない』気がして、こんな尻切れトンボ感は初めてかも。
その物語に引きずられたのか、『百年の孤独』書き切った気がしないまま、デイリーダイアリーのページも最後のページになりまして。
物語、そしてノートブックは、まだ終わらないのだなあ。
今のノートブックは、この記事でも書いたように迷子になって戻って来まして。
内容より、そのエピソードの方がオモシロい、という、かつてなかったノートブックです。
こちらのノートブックにも、オモシロい、不思議な、美しい物語を、いっぱい書き写せたらいいなと思います。
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おまけ◇◇◇