夢のおはなし。
前に書いたものの続きでもあります。
需要があるかは知らないけど。
普段、私たちは日々を送る上で、感情などをすべてだしているわけではありません。出しきっていないものは、存在しないのか。そんなことはありません。
夢には「補償作用」があります。現実で抑えこんだものが、夢に発露する。
ところで、人の脳ってけっこう単純なところがあったりしますが、ちょっと癖がありまして、夢に関しては徹底的に連想ゲームをしてくるのです。なので、夢分析の本や、夢辞典があったりするのですが。
そうですね。ピンクの象が左へと歩いている夢をみたとしましょうか。
象から連想ゲームはじめっ。
巨大で潜在的な力。勇気。尊敬。味方。力強い援助。知恵と悟り。神の使い。
ピンク色からの連想ゲーム。
愛情。優しさ。甘え。
左からの連想ゲーム。
受け手。内的世界。無意識。精神的な世界。
こういう意味づけを引っ張ってくるのです。
うーん。逆ですね。日常で押さえつけていたであろう意識から、夢という無意識で「みた」ときに「絵として象徴的に」変換されたものを毎晩、夢というフィルターをとおしてみているわけです。
(夢は、みんなみています。夢を覚えていられるタイミングというものもある。忘れているだけ)
わたし、悪夢の夢分析は得意なんだけど。それ以外は、しっかり分析したことないし所詮は素人なんですけれど、解釈するなら、ノートブッカーズ的な夢ですね。
威厳と、ふわりと優しいような心模様が自己に向かっている。じっくりと考え事を深めているようなかんじかな。
さあ、ノートを開いてかくのだ!とでも言ってしまいそうな解釈となりましたね。
夢辞典とか、夢分析の検索ワードで参考になりそうなところはけっこうでてきます。
大きい書店なら、夢辞典が置いています。
無意識というものは、フロイトという人が発見しました。
どうやら、人には意識以外の膨大な何かがあると確信され名をつけた。意識でない。無・意識。無意識と。
フロイトの弟子で、袂を別つことになるユングという人がいました。
この人のエピソードで好きなのは、風がうまれる話。
ある患者が「太陽から、しっぽが下がっている。あのしっぽが動くのが風のものなんですよ」といった。(絵を描いて、せっかくだから載せたものの……へたっぴにびっくり)
ユングはこれをきいて、驚いた。
ギリシャ語で書かれたミトラス教のことが書かれた本にはこう載っていました。
「太陽にはしっぽがあって、そのしっぽが右側に揺れる時には東風が、左側に揺れる時には西風が吹くであろう」
フロイトやユングが生きていた時代は、今のように情報が手軽に手に入る時代ではない。この患者がこの本を読んでいるはずはなかった。こういったことがきっかけで、ユングは、人には不変の共通認識というものがあると提唱した。
ちょろっと先に書きましたが、悪夢の夢分析が得意です。得意になりました……。
とはいっても、夢分析は自分の好奇心と、その時の自分に必要なものでもあったので、誰かに教わることなく、完全なる我流なのですが、悪夢の分析回数はかなりのものでして。ちょっとくらい自負してもいいんじゃないかな。
夢をみるのが怖すぎて、眠りたくなくないから起きていて、それでも眠くなるから眠って、やっぱり怖い夢みて怖すぎて目が醒めるとか……はははー。
今は、とんとみなくなりました。
さて、怖い夢をみる人へ。
怖い夢は、あなたのシャドウとよばれるものです。影。普段、抑圧されているもの。
怪物、化け物、ゾンビ、お化け、とにかく怖いモノに追いかけられている。ひたすら逃げる、逃げる。こう書いているとそんなに怖くないね。夢の中では死にかけているのに。
その追ってくる怖いモノ、それは自分が抱えているトラブルや、ストレスを表しているのですが、その化け物って自分自身なんです。ここは現実じゃない。夢の中。だったら作り出しているのは自分しかいない。
では、どうすればいいか。
夢が怖いから、眠れないなら。
現実を変えるしかない。
現実を変えたら、夢の内容もまた変わります。
ま、それが一番、辛いのですが。
その時に、状況にもよりますが、逃げられるなら逃げよう。悪夢が慢性化しているならけっこうな重症です。助けを求めてもいい。誰かに相談できるならしよう。
そして、私の体験談をひとつ。
悪夢を見つづけた。
夢の解釈をしつづけて実際の心の有り様なんかをチェックしたり、魂が半分、体からぬけおちたような状況だったりもしたけど、そのうちアホらしくなってきたりして、現実が少しづつ変わった。私の心模様も変わった。
辛いのは、辛い。
辛いけど、自分なりにできることをやっていった。
そうすると、夢の中でお決まりの怖いモノが、いつものようにでてきたのだけど、ある日を境に、私は武器を持って戦いはじめた。
けっこう格好いいスタイリッシュなアクション映画みたいでした。
そして、そのうちシャドウの夢はみなくなり、別の夢をみるようになった。
それでは、おやすみなさい。